モノづくり温故知新 第一話 一丁5,000万円でも買う、一目見て国産化を考えた殿様

火縄銃(鉄砲)の写真

1543年二丁の鉄砲が種子島にやってきました。
その50年後には、日本は世界の鉄砲の50%を所有する鉄砲大国になっていました。

この鉄砲を国産化する過程を見ると いいものを見たら、まずつくることを考える
日本人の特性が垣間見られます。

さらに鉄砲が急速に伝わったのは、500年以上も昔に

「フリーミニアム」戦略

を取っていたからでした。

1543年(天文12年)、ポルトガル人を乗せた貿易船が
種子島(鹿児島県)に流れ着き、鉄砲が伝えられました。

そのとき当時16歳だった島主・種子島時尭は、
2丁の鉄砲を今のお金に換算すると約1億円で買いました。

なぜ2丁なのか

それは1丁はそのまま使用し、もう1丁は分解して構造を研究するためです。

若き島主・種子島時尭は、鉄砲を最初に見た時から
自らの手でつくることを考えていたのです。

種子島時尭は、刀鍛冶の八坂金兵衛に鉄砲の国産化を命じました。

そして、なんと1年後には国産化を成功させてしまいました。

しかし、金兵衛にはどうしてもわからないことがありました。

ポルトガルの鉄砲は銃身の底に雌ネジが加工してあり、
雄ネジをねじ込んで底を塞いでいました。

しかし、当時金兵衛には雌ネジを加工する技術がなく、
雌ネジをつくる方法がわかりませんでした。

そこで銃身を熱してからフタを入れて冷まし、抜けないようにする
「焼きばめ」という方法を採りました。

しかしこの方法では、銃身の底にたまったカスを取り除くことができず、
不発や暴発が起きる欠陥銃でした。

どうしても雌ネジの作り方を知りたかった金兵衛は
信じられない行為に出ます。

なんと自分の娘をポルトガル人に嫁がせたのです。

「娘を犠牲にしてでも鉄砲の秘密を知りたい」、

金兵衞の執念や恐るべし。

明国の船は ポルトガル人と金兵衞の娘を乗せて寧波(中国)に戻って行き、
2ヶ月後には日本に売るための鉄砲や様々なものを満載して、
再度種子島に来ました。

金兵衞の願いが通じたのか、娘はポルトガル人の鍛冶を連れてきました。

こうして金兵衞は鉄砲の量産を始めることができました。

しかし、さすがの金兵衞も娘が不憫でならず、
ポルトガル人が再び島を離れようとするときに
「娘は急病で死んだ」と、
芝居を打ちました。

怒ったポルトガル人は、「七代まで祟るぞ」と捨台詞を残して去って行き
、以来、八坂家では七代にわたって女の子が生まれなかったそうです。

こうして手にした鉄砲製造技術を種子島氏は、その技術を

独占することなく提供しました。

その結果、鉄砲という戦闘を変えてしまうイノベーション(革新兵器)が
各地に急速に普及していきます。

このように技術をオープンにすることで鉄砲は急速に広まり、
日本独自の改良も加えられました。

そして1500年代終わりには世界の鉄砲の50%を所有する鉄砲大国になっていたのです。

鉄砲は、当時他のアジア各国に伝えられましたが、国産化に成功したのは日本だけでした。

そして初めて見た時に、自分たちでつくることを考えた若き島主・種子島時尭に
日本人の「モノづくりの心(DNA)」を感じずにはいられません。

 
 

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