「フェアレディZの父」片山豊氏の北米事業は破壊的イノベーションだった

フェアレディZの父として知られ、元北米日産自動車の社長、片山豊氏が2015年2月21日に105歳で亡くなりました。

katayama

片山氏は1960年北米に渡り、北米のディーラー・ネットワークを構築し、日産車をアメリカに浸透させることに成功しました。

アメリカで「ミスターケイ(Mr.K)」と呼ばれ、日産自動車のアメリカでの躍進を支えた片山氏は、本田宗一郎、豊田英二、田口玄一に続き、米国自動車殿堂入りを果たしました。

 

そんな片山氏ですが、彼の北米での事業は、東京の本社の無理解との戦いでした。

その中で北米に確固たる地位を築くことができたのは、片山氏が巧みな嗅覚で破壊的イノベーションを探り当てたからです。

 

この片山氏の苦闘は「覇者の驕り」デイビッド・ハルバースタム著 に詳しく書かれています。

以下、覇者の驕りから片山氏の苦闘とアメリカ市場でのイノベーションについて書きました。

 

片山豊氏は、1909(明治42)年、静岡県周智郡春野町(現・浜松市)に浜松市に生まれ、慶應義塾大学を卒業後、日産に入社しました。

当時の自動車会社が、一般の人々にどのように思われていたのか、以下の動画で片山氏が語っています。

(ちなみに動画の中の女性たちの服装が日本離れしていて、当時のファッションセンスの高さに驚きました。)

入社後、総務部で宣伝を担当した片山氏は、次々と奇抜なアイデアで世間の話題をさらっていきました。

1935年には“男装の麗人”水の江瀧子らと共に、当時人気絶頂の松竹少女歌劇の舞台上に、10台ものダットサンを登場させたりしました。

 

さらに戦後、各自動車メーカーが合同で展示するイベントを企画・提案し、1954(昭和29)年“第1回 全日本自動車ショウ”(現在の東京モーターショーの前身)を実現させました。

この全日本自動車ショウの開催は、あまり協力的でない自動車メーカーをまとめるのに、片山氏は大変苦労しました。

 

1958年には、210型ダットサンで豪州一周ラリーに挑戦、チームはクラス優勝を果たしました。

 

ところが国家的英雄として凱旋帰国した片山氏に、居場所は有りませんでした。

そして日産本社は、彼に北米への赴任を命じました。

 

でも片山氏はこの人事をむしろ喜んでいたようです。

学生時代アメリカに行ったことのある彼は、アメリカの自由と独立心旺盛な気風と、西海岸の儀式や形式にこだわらないところが気に入っていました。

西海岸の人々は、良いものであれば、見知らぬ国「日本の車」でも試してみようという気風がありました。

一方、人口が少なく広大なアメリカ中央部では、アメリカの自動車メーカーの得意とする大型車が向いていて、まだ日本メーカーは太刀打ちできませんでした。

 

片山氏はアメリカ人の仲間にこう語っていました。

以下、「覇者の驕り」より引用

「私たちがやるべきことは、次第に車の性能を良くしていきながら、

人の気がつかないうちに、秘かに、ゆっくりと市場に忍び寄っていくことだ。

そうすれば、デトロイトが気がつく前に、いつのまにか私たちは優れた自動車メーカーとなっており、

客も私たちを立派なメーカーだと考えるようになる。」

引用ここまで

これこそ、クリステンセンの言うローエンド型の破壊的イノベーションです。

 

片山氏は、アメリカではディーラーのネットワークと販売力が重要なことに気がつきました。

日本と違い、アメリカでは、ディーラーこそが自動車メーカーの本当の顧客でした。

ディーラーの力が強くなければ、アメリカ市場での成功は見込めなかったのです。

そこで強力なディーラー・ネットワークを築くべく、小さな修理工場を一軒一軒回って、日産の車を扱ってくれるように頼み込みました。

こういった小さな修理工場の主は、学校を出てすぐに修理工をしながら、独立した人たちでした。

例えばサンディエゴのレイ・レムケは以下のように語っています。

「私のような機械工に、フォードの販売権がとれるなんて絶対にありえなかった。

よくて、せいぜい中古車のディーラーぐらいだった。」

そんな彼らには奇行の持ち主が多く、事業センスは皆無でした。

そんな彼らに、名も知らぬ国「日本」の車を扱ってもらうために、片山氏は渋い顔をする東京を説き伏せ、フォードやGMよりもディーラーの利益を多くしました。

東京の本社には、ディーラーが繁栄することが日産の繁栄につながると説き伏せました。

 

当時のアメリカでは、車はステータスでした。

中産階級の人々は、大きなエンジンを積んだ大型車を好みました。

またディーラーも利幅の大きい大型車を優先して売りました。

一方、それほど裕福でないアメリカ人たちは、耐久性のある燃費の良い車を求めていました。

フォルクスワーゲンのビートルはそういった市場で人気を集め、輸入車の46%を占めていました。

 

対して当時の日本車の評判は良くありませんでした。

アメリカ市場に最初に参入したトヨタの性能低く、いったん引き揚げ1964年までアメリカ市場には戻って来ませんでした。

日産がアメリカに輸出したダットサン210は、その武骨なスタイルがアメリカ人には好かれませんでした。

210

排気量は1000ccしかなく、広大なアメリカを走るにはエンジンが非力すぎました。

さらに日本より寒さの厳しいアメリカの北部では、バッテリーが小さく冬にはエンジンがかかりませんでした。

片山氏は、何度も東京の日産にエンジンの排気量アップやバッテリーの大型化を嘆願しました。

にもかかわらず東京の対応は鈍く、片山氏の訴える、アメリカ人の求める車「大きな馬力のあるエンジンやスタイルの良い車」は一向にできてきません。

 

そんな片山氏を救ったのが、小型トラック(ピックアップ・トラック)でした。

小型で価格も手ごろ、しかもトラックなのでスタイルが悪いという欠点も気になりません。

そして唯一の日本車の強み、丈夫で壊れないという高い耐久性を生かすことができたのです。

 

truck

そして西部のアメリカ人にとって、小型トラックは、彼らのフロンティア・スピリッツを象徴するものでした。

もともと農民だった彼らは、かつて小型トラックは日常欠かせないものでした。

そしてもう農地で働かなくなっても、自分たちのルーツを象徴する小型トラックは、特別な思い入れのある車なのです。

さまた若者たちにも、小型トラックの持つラフな感じに好感を持つ者がたくさんいました。

 

事実、小型トラックは、当初から宣伝をしなくても良く売れたのです。

車を見に来た人たちは皆、これは良くつくられた車だと、直感的にわかりました。

 

そして小型トラックのオーナーたちは会う人ごとに、

「このおかしな格好の小型トラックは、一度も故障せず丈夫で長持ちするんだ。」

と仲間に自慢しました。

 

ダットサンのディーラーの多くが、当時名もない日産と契約したのは、この小型トラックがカリフォルニアでよく売れることがわかっていたからです。

そんなアメリカ人のトラックに対する思い入れは、以下の動画で見ることができます。

 

かつてホンダは大型バイクでアメリカ市場に参入しようとしました。

しかし、実際は、大型バイクは売れず、代わりにスーパーカブが大人気となりました。

そして、市場のローエンドに橋頭保を築くことに成功しました。

これと同じローエンド型の破壊的なイノベーションが、自動車でも起きていました。

 

しかし小型トラックの思わぬ成功に東京の本社は戸惑います。

高級車を売ってアメリカ市場に参入し名を上げたかったのに、トラックばかり売れるからです。

片山氏がトラックの改良すべき点を挙げても、東京の本社は耳を貸しませんでした。

片山氏は、こうした小型トラックの半分以上が通勤用に使われ、乗用車と変わりない使い方をされていることを東京に伝えました。

そして小型トラックの内装のグレードを上げ、エアコンの装備やクッションの良いシートに変えればもっと売れることを再三東京に訴えました。

これらの改良を加えれば、市場は爆発的に広がらんばかりだったのです。

 

しかし何度説明しても、東京の本社は、アメリカ人たちが小型トラックをファミリーカーとして、通勤やドライブに使っていることを理解しませんでした。

片山氏は後に、

「東京が自分の言うことを聞いてくれたら、あとどれほどトラックが売れただろうか」

と想像したと言います。

 

一方、1959年アメリカ市場に自前の販売網で参入したホンダには、資金的な体力がありませんでした。

従って大型バイクが売れなくて、苦境に陥った時、販売の中心を売れているスーパーカブに転換せざるを得ませんでした。

そうしなければ会社が傾いてしまいかねなかったからです。

そしてスーパーカブがアメリカで大ヒットしたのです。

 

一方苦境の中、奮闘していた片山氏に朗報が訪れます。

通産省にいた松村氏が日産に入社してきたのです。

彼は片山氏と意気投合し、片山氏の要求する1600ccエンジンを経営者に上申してくれました。

 

事態は急転し、新しいブルーバード510(ダットサン510)に1600ccエンジンが搭載されました。

このダットサン510は、直線基調の近代的なデザインと、OHCエンジン、四輪独立懸架などの先端技術を導入し、当時の高級セダンBMW1600をそっくり真似て作られた車でした。

それでいて価格は、BMWの5,000ドルに対し、わずか1,800ドルでした。

この車は、スポーツカーの運転の楽しさと性能を持ちながら、セダンの実用性と経済性を持っていました。

当時の日産にはその車を作る技術も製造能力もありました。

ただ、それは当時の日本市場の顧客ニーズのずっと先を行っていました。

東京の本社にとって、片山氏の主張する車は輸出専用車であり、受け入れがたい要求だったのです。

 

510

 

しかし結果的に国内ニーズを上回った高性能なこのブルーバード510(ダットサン510)は国内でも大ヒットしました。

以下に当時のブルーバードCM動画があります。

SLと並走するのが、いかにも昭和という感じです。

片山氏が待ち焦がれたダットサン510、その最初の1台がアメリカに陸揚げされてからというもの、片山氏は会う人毎に、このダットサン510の良さを語りました。

 

実際ダットサン510は爆発的に売れました。

 

売れすぎてディーラーの手元に置く車すらなくなるほどでした。

かつて日産の参入初期にダットサンを扱い、片山氏と苦労を共にした元修理工のディーラーたちは、立派なスーツを着た“成功者”になっていきました。

そんな彼らは、皆「自分たちの成功は日産のおかげ」と感謝しました。

そんな日産が、ようやく片山氏の要望する車を作りました。

 

幼いころ、馬と触れ合っていた片山氏は、車に対しても馬と同様の想いを抱いていました。

それは

「馬と人の関係性を、どうにかしてクルマと人の関係に置き換えることはできないものか?」

というものでした。

以下、日産のホームページにある片山氏の言葉です。

「スポーツカーっていうのは別に、豪華である必要はない。

誰でも手に入れることができて、気軽にメインテナンスできる。

そして、あまりお金をかけずに楽しむことができる。

スポーツカーに5万ドルのプライスタグをつけるのは、僕にとってはちょっと不自然です。

装備を増やせばいくらでもそうなるワケで。

そうじゃなくて、なんにもつけないで、よく走れば、これほど楽しいことはないでしょ?

それが証拠に、馬には鞍だけあればいいんですから(笑)」

 

そんな片山氏の車への想いは、以下の動画にあります。

そして、

「すでに商品化されていた他の車のコンポーネントを活用し、ロングノーズ・ショートデッキの流線形のボディを持ち、誰でも気軽に、爽快なドライブができるスポーツカー」

というコンセプトができました。

 

これを具現化したのが、フェアレディZ、アメリカ名「ダットサン240Z」

 

アメリカでは「Zカー」と呼ばれ爆発的に売れました。

240

世界総販売台数55万台(うち日本国内販売8万台)という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立し、「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれました。

 

アメリカに乗用車を輸出して、名をあげようとした日産は、大型車が主流のアメリカ市場では当初太刀打ちできませんでした。

そこに安くて耐久性の高い小型トラックを求めるローエンド市場を片山氏が発見し、ダットサントラックという破壊的技術で市場に参入しました。

 

小型トラックで市場に一角を占めると、ダットサン510で小型乗用車市場の一角を確保しました。

大型車を変えるほど余裕がない庶民や、免許を取ったばかりの子供たちがこれを受け入れました。

 

さらにフェアレディZで「安価な小型スポーツカー」という新たな市場を創りました。

 

この破壊的なイノベーションを引き起こしたのは、優秀な経営者や企画を担う組織でなく、現地で顧客と直に接し、ディーラーの面倒を見ていた片山氏でした。

 

そんな片山氏にとって、自動車は単なる機械ではありませんでした。
氏は、生前以下のように語っています。

「人間は、何千年にわたって馬と行動をともにしてきました。

同じ屋根の下で暮らし、家族のように接した。

クルマはそんな馬の代わりですから、人間にとって大切なものであるはずです。」

 

ホンダの破壊的イノベーションの影の立役者 藤沢武夫氏についての記事は、こちらから参照ください。

 

イノベーションについての他の記事は、こちらから参照いただけます。

 

イノベーションとその定義についての記事は、こちらから参照いただけます。

 
 

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