半導体の敗北と自動車の将来

半導体の敗北

 
世界の半導体需要は、2000年のITバブル崩壊、2008年のリーマンショックなど景気後退による一時的な縮小はありましたが総じて順調に成長しています。2018年は、1993年に比べ5倍近くに拡大しました。
 

図1 世界の半導体の市場
図1 世界の半導体の市場
 

その半導体市場において、1980年代は日本企業は世界を席巻し、その世界シェアは60%を超えました。ところが、その後日本企業のシェアは急落しました。
 

図2 地域別企業の半導体の売上高シェア推移
図2 地域別企業の半導体の売上高シェア推移
 

日立、NECのメモリー事業を統合したエルピーダメモリ―は、経営破たんし、米国マイクロンに吸収されました。そしてルネサステクノロジーもかつての勢いはありません。
 

図3 半導体メーカーの再編
図3 半導体メーカーの再編
 
なぜ、このような結果になったのか、雑誌や論文などでは、主な需要先がメインフレームコンピューターからパソコンに代わったことが原因とされています。メインフレーム用に25年間動作を保証した日本の半導体(DRAM)は、パソコンでは過剰品質であり、コスト競争で負けた、しかし技術では決して負けていなかったと言われています。
 

しかし、本当に敗因はコストだけだったのでしょうか?
1980年代、半導体メーカーの飛ぶ鳥を落とす勢いだった当時の空気を知るものとして「コストで負けたが技術で負けていなかった」というのに疑問を感じました。

日本の技術力は本当に高かったのか、

それならば、なぜ韓国、台湾に負けたのか、

調べました。

そしてその敗因は、今後自動車には当てはまらないのかを検証しました。

 

半導体の進歩

 

メインフレームからPCへと変化

半導体(DRAM)の速度を決める内部クロックの周波数は、1980年当時は22MHzでした。
(現在はパソコンで2GHz以上のなので、当時の100倍のスピードです。)

技術が進歩し、クロック周波数が33MHz、40MHzと向上すると、インテルのCPUを搭載したマザーボードで問題が生じるようになりました。40MHzを超えるとデジタル信号は、波形の立ち上がり、立下りの時間が処理に影響するようになりました。つまり純粋なデジタル信号と捉えられず、アナログ信号的な振る舞いを考慮しなければならなくなってきたのです。
 
従来、半導体の主要な使用先であるメインフレーム(IBMなどの大型コンピューター)では、20層の基板を使用していたため、微妙なアナログ信号の問題を抑えることができました。しかし、パソコンのマザーボードは、コストの制約のため4層しかありませんでした。

図4 マザーボードの構成
図4 マザーボードの構成
 
図4にパソコンのマザーボートへの構成を示します。マザーボート―の内部クロックは、右上のクォーツ発振器で生成され、PLLを介してメモリやCPUが同期します。メモリの信号は基板上の配線(メモリバス)を介してCPUに送られます。この配線がパソコンでは4層だったのです。その結果、メインフレーム用の規格(JEDEC標準)に準拠したDRAMが、インテルのCPUを搭載したパソコンでは動作しないという問題が起きました。
 

IBISによる技術のオープン化

このようなデバイス間の問題を解決するため、各半導体メーカーは信号シミュレーションモデルを使ってシミュレーションしていました。今まで各メーカーが使っていたのは「SLICEモデル」でした。しかしSLICEモデルは、トランジスタの特性までシミュケーションの要素になっていて、シミュレーションのためには各半導体の薄膜の厚さまで入力しなければなりませんでした。
 
しかし半導体の薄膜の厚さは半導体メーカーにとって技術の要のため、どのメーカーもトップシークレットでした。そのためインテルは、各DRAMメーカーと個々に秘密保持契約を交わさなければなりませんでした。
 
このシミュレーションをより円滑に進めるために、インテルはIBIS open Forumを開設しました。このIBIS open Forumは、半導体とCPUがやりとりする部分を等価回路として記述することで、シミュレーションの際に半導体の内部構造の情報を必要としませんでした。そしてインテルは、この技術をオープン化し、広く協力者を募りました。こうしてデバイスの内部構造は秘密にしたままインターフェース情報のみでシミュレーションできるようになり、デバイスメーカー間の協力体制が加速しました。
 
その結果、インテルはCPUから、1989年にチップセット市場に参入、さらに1993年にはマザーボード市場にも参入しました。こうしてメインフレームの時代には、専用設計されていたDRAMが汎用品になっていきました。
 

DRAMとMPUの同期の高速化

 
一方、パソコンのCPUは1995年以降急速に高性能化が進みました。1995年にはウィンドウズ95が発売され、インターネットが急速に普及し、パソコンの市場も急拡大しました。表1に示すように DRAMとCPUの同期周波数も1995年の33MHzから2014年には3200MHz(3.2GHz)と大きく向上しました。
 
表1 DRAMとCPUの同期周波数の進化

1995年 ED0-DRAM 33MHz 非同期
1996年 SRAM 66MHz 同期
1998年 (PC100) 100MHz 同期
2000年 DDR 400MHz 同期(並列化)
2003年 DDR2 800MHz
2007年 DDR3 1600MHz  
2014年 DDR4 3200MHz

 

その反面、DRAM内部のクロック周波数は、2000年の200MHzから変わっておらず、汎用DRAMは技術的に成熟の域に達していました。
 

汎用チップセットの登場とDRAMのコモディティ化

かつてパソコンのマザーボードは、メインフレームと同様にCPUやDRAMの特性に合わせてチップセットを開発しなければなりませんでした。そのためマザーボードやチップセットの高度なノウハウは、CompaqやWangのようなパソコンメーカーしかなく、他のメーカーがマザーボード市場に参入できませんでした。
 
ところが1986年に米国のChips & Technology社(C&T社)が汎用チップセットCS8200をリリースしました。この汎用チップセットCS8200を使えば、CompaqやWangのような高度なノウハウがなくてもCPU、チップセット、DARMを組合せてマザーボードが設計できるようになりました。その結果、DRAMのコモディティ化が進み、価格下落のスピードが加速しました。

 

素材技術の開発が優劣を決める

半導体の進歩は、今まで「ムーアの法則」に従ってきました。これは

「集積回路の実装密度は18カ月ごとに2倍になる」

というものです。
 
ところがDRAMは、CPUが線幅の限界に達する前に、キャパシタの容量の壁に当たりました。CPUはトランジスタとして信号のオン・オフだけができれば良いのですが、DRAMはメモリーなので、信号を電荷として蓄えなければなりません。その電荷を蓄えるキャパシタ材料の壁に当たりましました。

 
HSG技術
この壁を突破するためにキャパシタ電極にHSG(Hemi-Spherical Grained)という技術が開発されました。
1992年サムソンは、NECからこのHSG技術を導入し、128MビットDRAMを発売します。
 

CMP(Chemical Mechanical Polishing)化学的研磨法
CMPとは、研磨剤の表面化学作用や研磨液の化学成分によって、化学的(ケミカル)に研磨物表面を溶かして、砥粒による研磨面を飛躍的に滑らかにする方法です。
この技術は、IBMが1987年にインテルに、1988年にマイクロンにライセンスします。
この技術もサムソンは日本メーカーに先行し、1998年256MビットDRAMを発売しました。
 

High-K絶縁膜(比誘電率が高い絶縁膜)
日立は20年間の研究開発の末、絶縁膜の厚みを増しながらキャパスタの容量を増やすHigh-K絶縁膜を1999年五酸化タンタルを使って64MビットDRAMで実用化しました。しかし、その後2000年にサムソンが酸化アルミニウムHigh-K製品を発売し、その後、次世代の酸化ハフニウムでもサムソンが先行しました。
 
またサムソンは、フィンランドの物理学者スントーラ氏と彼の会社マイクロケミストリー社、さらにオランダのASM社と協力し、High-K絶縁膜に関する特許を2000年以降積極的に出願しました。この特許の数は日本メーカーを圧倒しました。

 

日本メーカーのDRAMの敗北

1986年から1995年までの間、高品質な日本メーカーのDRAMは市場を席巻し、米国は日本メーカーにDRAM供給制限をかけるほどでした。その間、256KビットのDRAMは価格は下落するどころか上昇するほどで、日本の半導体メーカーに大きな利益をもたらしました。その後、1988年に4Mビット、1992年に16Mビットが登場してもDRAMの価格の下落幅は大きくありませんでした。
 
ところがこのDRAMの価格が1995年に暴落、その後大きく下がり続けました。このタイミングでマイクロン社は、パソコンにターゲットを絞り、価格を大幅に下げた16MビットDRAMを量産し、この”マイクロンショック”により市場を席巻しました。その結果、日本の半導体メーカーの多くがDRAMのシェアが低下しました。
 

さらに1990年代後半には、前述のようにインテルがCPUのクロックスピードの矢継ぎ早に引き上げていきました。日本メーカーは、このクロックスピードの変化に対応したDRAMの発売で、サムソンに遅れるようになりました。
 
実は、64Mを超えたあたりからDRAMの開発が格段に難しくなり、1企業では研究開発費用や人材を負担しきれなくなってきたのでした。そして日本メーカーは、128Mビット、256Mビットの発売をサムソンに先行されました。
 
こうして日本メーカーは、高性能な新製品は開発がサムソンに先行され、設備投資もサクソンに後れを取るようになり、市場に出すタイミングが遅れ、先行者利益が得られなくなりました。一方汎用品は、マイクロンの低価格戦略に市場を奪われ、シェアを落としていきました。

 

DRAM敗北の要因

 
日本メーカーの敗因を要約すると、以下の3点です。
 
① 技術開発で負けた

  • 世界中の知恵を結集し、協業することで最先端の製品を実現したサムソンに、自前技術で戦い技術開発で遅れを取った。
  • 製品開発では性能にこだわり、安くつくるプロセスが疎かになった。

② 生産技術で負けた

  • 微細化技術にこだわるあまり局所最適になっていた。汎用品を「ライバルよりも安く早くつくる技術」に関心がなかった。
  • 半導体の製造プロセスが複雑になるにつれて職人的なすりあわせ技術が対応できなくなった。コンピューターシステム(汎用MES)でプロセス全体を最適化する海外勢に勝てなかった。

③ 経営で負けた

  • トップランナーでなければ生き残れない21世紀の半導体ビジネスに、国内競争の経営で戦った。

 
以下に、その詳細を述べます。

技術で負けた

1980年代主流であったメインフレームと、その後半導体の主要ユーザーとなったパソコンでは、以下のような違いがありました。

  • メインフレーム

微細加工技術と高信頼性(25年保証)

  • パソコン用DRAM

汎用チップセットへの対応と互換性、クロックスピードの進化への対応と開発スピード、低コストと大量の供給能力のタイムリーな提供

 
顧客がパソコンに変わり、製品に求められる機能が変わったのに、従来のメインフレームの顧客に合わせた技術開発を追求していました。技術は「利用目的があって価値がある」のですが、利用目的が変わっても同じ技術を追求していました。
 
「技術では負けていなかった」と元半導体メーカーの経営者の主張する技術とは、何を指していたのか?
 

ファンドリーメーカーへ生産依頼している日本半導体メーカーの技術者へのインタビュー

―要素技術力は、H社が圧倒的に優れている。
―安く作る生産技術力は、I社が優れている。
―I社の方が、歩留まりの立ち上がりが速い。
―H社は装置のスループットが悪いため、装置台数が多い。
―H社は、世界一高級な要素技術を使って、世界一高価なデバイスを作っているようだ。

 
【半導体の技術とは】

  1. 要素技術
  2. 個々のプロセス技術、特に微細加工技術

  3. インテグレーション技術
  4. 工程フローを構築する技術、同じ半導体でも工程フローによりコストが大きく変わる

  5. 生産技術
  6. 品質と生産性を高める技術、歩留まりとスループット重視

この3つの要素があります。日本メーカーは、要素技術に優れていても、インテグレーション技術と生産技術は疎かになっていました。
 

《参考》インテルの研究開発「最小情報原則」
インテルでは、ある問題に対して「答えを見つけたらいけるところまで行く」、「解決しなかったら元に戻り別のやり方で必要なだけ調べる」というやり方でした。そして問題を真に理解するための研究努力の積み上げは避けました。解決に必要な情報は少ないほど良いとしました。そして「答えがわかれば理由はいらない」という方針でした。

 

生産技術で負けた

  • リードタイム、生産性が低かった

150mmウェハーの時代は、ウェハーをまとめて運んで処理するジョブショップによるプッシュ生産方式が主流でした。仕掛品はウェハーの集中管理施設を経由して各工程に搬送する間接搬送でした。この時代、生産性を上げるには、それぞれの工程の能力を上げることでした。
 
1980年以降、アメリカでは日本企業を研究した結果、トヨタ生産方式に代表されるリーン生産方式が最適という答えに達しました。このリーン生産方式を実現するために、汎用MES(製造実行システム : Manufacturing Execution System)を用いたプル生産システムが開発され、トヨタ生産方式をコンピューター制御で実現できるようになりました。
 
200mmの工場では、ウェハーは間接搬送から、各工程間を直接搬送するダイレクト搬送になりました。
 
300mmウェハーでは、各工程間の搬送が完全に自動化され、汎用MESによる管理が一般化しました。
 
日本の工場では、各職場のリーダーが職人的な技術と経験で各工程を最適化していました。しかし、半導体の製造工程は、マスク枚数は増え、何度も同じ工程を経て複雑化が加速していきました。そして、個人の力では全体を最適するのは限界に達しました。
 

  • 工程フローが長すぎる

日本の半導体メーカーは、より高い品質を求め様々な工程を付加するため工程フローが長くなっていました。対して台湾メーカーの工程フローは日本メーカーの2/3でした。
またインテルでは、最初に目標価格があり、それを実現するために工程数が決まっていて、その制約の中で要求される品質、歩留まりを実現することに注力していました。対して、日本メーカーでは、開発部門はコストよりもまず最適なプロセスを設計し、コストは製造部門に任せていました。
 

日本から欧州の半導体メーカーへ転職した技術者へのインタビュー

―M社の12インチ最先端工場に入ったとき、「間違えて8インチ工場に来てしまった?」と思った。
―そのくらい、M社の12インチ工場は、コンパクトだ。L社の半分くらいの面積、半分くらいの装置しかない。
―L社のプロセス技術は脆弱、属人的。その人がいないと何もできない。
―M社は、あらゆることを文書化する。文書化に時間がかかるが、一度文書ができてしまえば効率的。

 

  • 設備を特注

日本メーカーは品質にこだわって設備を特注するため、競合よりも高価な設備になっていました。しかし後述の表2に示すように半導体の最大の製造原価は減価償却費です。
工程フローが長いためリードタイムが長い、しかも設備の数が多い、さらに設備自体も特注するため高価な設備を使用する日本メーカーはコスト競争力を失っていました。これは日本の人件費が高いこととは無関係でした。実際、韓国や台湾の人件費は上がっていますが、半導体の生産シェアは1位が台湾、2位が韓国です。
 

装置メーカーの技術者へのインタビュー

―日本のA社は装置を特注する。
―その結果、A社の微細加工技術は最も優れている。
―しかし、そこまでする必要があるのか? 過剰ではないか?
―他国は標準装備で同じような製品を量産している。

 

経営・マーケティングで負けた

経営者の仕事は、他社に勝てる取組を自社にさせることです。そう考えた場合、半導体の敗因は、経営の失敗と言えます。
 

  • 開発体制の問題

日本企業は、開発部隊が開発した新製品を、その開発部隊が生産技術部門に移動して立上げました。その間に次の開発部隊が今までの1/4の線幅のプロセスを開発するという4倍ルールで開発していました。
ところが1990年代に入ると、パソコンの急激な進歩により、DRAMも次々とハイスペックなものが求められるようになりました。今までよりも少し性能の高い製品をより短期間に開発し、競合よりも早く市場に出した方が有利になりました。
そこでサムソンは、128Mビットの次は256Mビットという1/2ルールで開発することで、開発をスピードアップしました
 

  • 設備投資の遅れ

パソコン時代に突入し、クロックスピードの急速な進化が始まったのに、従来のメインフレーム時代の体制で戦っていました。
 

  • 他社より先に発売する体制

パソコン時代に入り、DRAMの普及量とスピードは、急激に増大しました。他社に先駆けて大量の製品の供給体制を整え、市場を占拠しなければ勝てなくなりました。
その反面、150mmウェハーから200mm、そして300mmとウェハーサイズが拡大するにつれて、設備投資の金額は倍増し、巨額の資金が必要になりました。ところが日本メーカーは、日米半導体摩擦の際にアメリカに旧式の150mmウェハー工場を投資しました。。加えて1995年のDRAMの価格暴落したため、日本メーカーは資金が十分でなかったこともあり、投資スピードで海外メーカーに後れを取りました。

図5 2,4,6,8インチウェハー(Wikipediaより)
図5 2,4,6,8インチウェハー(Wikipediaより)
 

図6 2,4,6,8インチウェハーと年代
図6 2,4,6,8インチウェハーと年代
 

  • マーケティングの敗北

従来のメインフレーム用のDRAMでは主要顧客のIBMと密着営業を行い、顧客のニーズを収集することでメインフレームに最適な特性のDRAMを提供していました。日本メーカー自身も、日立、富士通、NECは最先端メインフレームメーカーでもありました。従ってどのような製品が求められているかは明確でした。
 
パソコン時代に入るとインテルの動向だけでなく、パソコンメーカーや市場の売れ行きを見ながら、開発、生産体制を整備しなければならなくなりました。そういったマーケティング力でサムソンの後塵を拝することになりました。
 

  • 減価償却費を抑えるのは経営者の役割

表2  半導体の製造原価
表2  半導体の製造原価
 

表2からわかるように半導体の製造コストの約6割が減価償却費です。従って競合に対しコストで優位に立つためには、製造工程の設計と設備の価格が重要です。そまためには、経営者が「製造原価に占める減価償却費」を目標設定する必要があります。それがなければ製造部門は品質を重視して少しでも良い設備を入れようとします。
 
日本メーカーは品質を重視して工程フローを構築していました。対してインテルは製品の売価から逆算して工程フローを決定していました。そしてその工程フローで必要な歩留りになるように工程を改善していました。
 
インテルの技術者によると「目標原価を実現することが最も悩ましい」「コスト度外視で、全ての技術を無制限に使ってよいのならこんなに苦労はしない」と語っています。

 

総括 半導体の敗戦から学ぶこと

 
以上の内容を総括すると、日本の半導体が優勢だったのは、メインフレーム用DRAMという製品においては、日本メーカーは、開発、生産技術、経営の面で最適であり、それが優位となっていました。
 
しかしパソコンという新たな商品が主流となった時、日本メーカーの開発、生産技術、経営の全てが最適ではなくなっていました。その間、パソコン用DRAMに事業構造を最適化し、国際協調やオープン化、低コスト生産などの取組を進めてきたサムソン、マイクロンなどに勝てなくなりました。
 

日本のものづくりは強いのか?

東京大学 藤本教授が言うように日本が「すり合わせ型ものづくり」に強いのであれば、なぜ、高度なすり合わせ型の半導体で日本企業は敗北したのでしょうか。
 

日本人の本当の強さ

「すりあわせ型のものづくり」は本当に日本の強みでしょうか。
 
日本企業の本当の強さは「一度目標が決まると、それを高度に磨き上げる能力」ではないかと思います。

ソニーがウォークマンを発売した後、すぐに各メーカーは追従して、より小さく、軽く、チューナー機能や録音機能がついたものまで出ました。現在の軽自動車は、コンパクトなセダンタイプから、トールワゴン、RV、スポーツカーまであります。

「ひとつの製品に様々な要素を詰め込み高度に磨き上げる」

様式美を追求した日本庭園や茶道などにも見られる日本人の特質です。

 

日本人の弱点 変革に弱い

その反面、変革を起こしたり変化に対応するのは苦手で、過去に成功するとその方法から変えようとしません。
 
日露戦争で勝利した日本陸軍は、日露戦争時代の白兵重視、突撃重視の戦い方が基本でした。それは昭和に入り、重火器と装甲車の時代になっても変わりませんでした。昭和の初め、ソ連の視察団が日本陸軍の演習を見学しました。日本陸軍の日露戦争時代と同じ演習を見たソ連の視察団は「過去のやり方はいいから、今やっている本当の演習を見せて欲しい」といいました。しかし当の日本陸軍は本気で自分たちの最新のやり方を披露していたのです。

その結果は、昭和15年のノモンハン事変で出ました。昭和15年満州とソ連の国境ノモンハンで発生した日本陸軍とソ連軍の武力衝突は本格的な戦闘に拡大しました。日本陸軍はソ連の機械化師団相手に壊滅的な打撃を受け、敗退しました。しかし日本陸軍はノモンハン事変の敗戦を秘匿しその教訓から学ぶことなく太平洋戦争に突入しました。

 

組織の問題 優秀な技術者が無能化する

もう一つは、「優秀な技術者が無能な管理者になる」という問題です。
これは南カリフォルニア大学のローレンス・J・ピーターが「ピーターの法則」として発表しました。
 
① 階層社会では、

  • 全ての人は(現在の地位で有能ならば)昇進する。
  • (いずれは)その人の「無能レベル」に到達する。
  • 職務を遂行する能力がなくなると、それ以上は昇進しない

② 組織に「十分な地位」と「十分な時間」がある場合

  • すべての人は、その人の「無能レベル」まで昇進し、そこに留まり続ける。
  • やがて、あらゆる地位は、職責を果たせなくない無能な人間で占められる。

③ その結果、仕事は、まだ無能レベルに達しない人が行う。

  • 昇進は「無能への道」の一里塚
  • スーパーエンジニアがスーパー無能マネージャーに
  • 組織の上層部は死屍累々
  • 無能レベルに達する人の人数は、組織に存在する地位の数に比例する。
  • 十分な時間と、十分な地位がある組織は、「無能の組織」と化す

 

半導体の複雑な工程フローの原因

技術部門で優秀な技術者が昇格すると管理職になり実務から離れていきます。そして後を引き継いだ技術者は、今までのいきさつを知らずに工程フローを複製します。あるいは「より良くするために」工程を追加します。しかし技術者にとって、付け加えるのは簡単ですが、マイナスするのはとても勇気がいります。もしマイナスしようとするし、誰か(大抵は社内の評論家)が心配な点を指摘します。そしてマイナスできなくなります。あるいはデザインレビューで、誰かが過去の問題を取り上げます。こうして工程は増え、検査はなくならず、コストは上がっていきます。

 

半導体と同じことが自動車に起きるか

 

自動車と半導体の違い

半導体は生産財、買い手は機能と品質を満足すれば、コストが重要になります。
とくに生産財としてコモディティ化したDRAMでは、激烈な価格競争が起きました。
 
対して、現在の自動車は個人が所有します。どの車を買うかは個人の嗜好によります。また車は、その人のステータスも表します。いくら安くて性能が良くても、トヨタからヒュンダイに乗り換える人は限られています。

 

これから起きる変化

カギは、今後も自動車は個人が所有し、その人のステータスを表すかどうかです。
 
今後、自動運転が普及すれば、自動車は所有から、必要な時に利用するものになる可能性があります。つまり所有から移動手段へと変わります。そして単なる移動手段であれば、小型、低速の小型モビリティでも十分です。
 
実際、一人乗りの小型電気自動車は、車重を非常に軽くできます。
自動運転によりぶつからない車であれば、事故のために高い強度の必要がなく、より軽量にできます。
軽くなれば、バッテリーの消費も少なくなり、バッテリーが軽くなるため、さらにバッテリーの消費が少なくなるという好循環が生まれます。つまり今までの電気自動車の問題を解決します。そこで今後、以下の3つのシナリオが考えられます。
 

  • シナリオ1 自動車はステータスであり続ける
  • 多くの自動車メーカー、そして自動車愛好家は本心ではそうあることを願っています。
     
    運転が自動化されてしまうと、ステータスとしての自動車の価値は大幅に減少します。他の車と同じペースで粛々と走るのであれば、V8エンジンもターボも必要ありません。自分でハンドルを握らないのであれば、足回りの良さや高性能なタイヤも必要ありません。
     
    自動運転が完成しても、個人所有が主流であれば、ステータスとしての車の価値は残るでしょう。そして半導体のような急激な価格低下は起きないと予想されます。

     

  • シナリオ2 自動車の階層化
  • お金持ちは、自分の自動運転カーを所有し、低所得者は自動運転タクシーに階層化するシナリオです。個人所有の車は、今のベンツやBMWのようなステータスシンボルとしての位置づけになります。
     
    そして格差が拡大すると、自動車を所有する層が、職階層の極上位層だけになり、次の3のシナリオに近づきます。一方、格差が縮小し、中間層が豊かになれば、多くの人が自分の車を所有したいと思うかもしれません。

     

  • シナリオ3 車は自動運転タクシーになる
  • そうなれば、今以上の大規模な量産により自動車のコストは大幅に下がり、100円で自動運転タクシーに乗れるかもしれません。いつでも気軽に100円で乗れれば、自転車に乗るより自動運転タクシーを選ぶかもしれません。
     
    特に公共交通機関が機能しなくなっている地方では、高齢者や子供など交通弱者の移動は切実な問題であり、超安価な自動運転タクシー普及は強く望まれています。

 

自動運転タクシーはコモディティ品

自動運転タクシーを買うのは企業であり、今までのようにステータス性を求めません。いかに安く、信頼性が高く、稼働率が高くて、お金を稼いでくれるかどうかです。
つまりコモディティ品になります。
場合によっては、今までの自動車のような信頼性がなくても、2~3年間で交換すれば良いかもしれません。
 
部品レベルでの市場争奪戦
このような製品では、モーター、制御装置、電池などの要素部品は、いかに早く市場を占有するかが勝負です。早く市場を占有すれば、デファクトスタンダードとして有利に立つことができます。つまりデンソー、ボッシュ、ジョンソンコントロール、コンチネンタルなど部品メーカー間の競争はさらに激しくなります。

 

量が少なければ負ける世界 モジュール部品は、大量生産になりたがる 

なぜソニーはイメージセンサをニコンやオリンパスにも売るのでしょうか。イメージセンサはカメラの心臓部です。競合に売らずに自社だけに留めて置けば競争力を維持出来ます。
かつては各社とも他社と差別化するため、キー部品を内製化していました。
 
しかし今日、デジタル機器は、大量生産するほど価格競争力が高まります。ソニー自身もデバイスメーカーとして生き残るため、少しでも多くのイメージセンサ―を販売しなければ生き残ることができません。

 

半導体の失敗は繰り返されるか

日本人の強さと弱点、これが失敗の本質であるならば、自動車メーカーも例外ではありません。変化を敏感に察知して、経営レベルで変革できるリーダーシップが取れなければ、半導体の失敗は、他人事ではないのではないでしょうか。

 
【イノベーションについてのまとめ】
イノベーションとは何か、日本企業のイノベーションの例、画期的なアイデアとそれを実現する方法、そしてイノベーターを脅かす模倣者の戦略など、今までのコラムを
「過去のイノベーションとデジタル時代のイノベーションについて」
にまとめました。良かったら、こちらもご参照ください。
 

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