なぜ人は忘れるのか、記憶のメカニズムと特徴
日常の様々な活動は、まず対象を認識し、それに対してどのような行動をとるのか頭で考え、そして行動します。その際、一度認識したことを頭にとどめておくのが記憶です。
ところが人の記憶はコンピュータのメモリと異なり、忘れたり変質します。これが時には大きな事故や不良を引き起こします。
では記憶はどのようなメカニズムで行われ、どのような特徴があるのでしょうか。記憶について考えます。
記憶の種類と特徴
記憶のメカニズム
記憶は保持時間の長さによって感覚記憶、短期記憶、長期記憶の3種類に分類されます。1968年アトキンソンとシフリンは「感覚情報が感覚記憶において瞬間的に保持され,その中の一部が短期記憶で短時間貯蔵されます。短記憶で保持された情報のー部は長期記憶に送られ、長期記憶に貯蔵された情報は必要に応じて検索され,取り出される」としました。
図1にアトキンソンの2貯蔵庫モデルを簡略化したものを示します。
聴覚や視覚など感覚器官が受けた刺激は、各器官からの感覚記憶としてしばらく保持されます。例えば聴覚に刺激を受ければ音声、視覚が刺激を受ければ視像として保持されます。
この刺激は数分の1秒から数秒は保持されますが、私たちはその内容に気付きません。感覚記憶の情報の中から注意(意識を向けた情報)のみが短期記憶へ送られます。
意識を向けた情報は短期記憶に送られ、それに対して私たちは判断します。短期記憶の保持時間は短く、長くても10~15秒程度です。私たちの日常活動の大半は短期記憶で行われます。判断が終われば記憶は次々と消えていき、後からは思い出せません。
短期記憶にある情報のうち繰り返し使われる情報は長期記憶に保管されます。長期記憶の保持期間は長く、一生忘れないものもあります。
例えば、車を運転する時、視覚に次々と様々な景色が入ってきます。これらは感覚記憶で順に保持されますが、本人はその情報を意識しません。ただ信号機の色は必要な情報なので注意を振り向けます。前方の信号機の色を見て、走行するか停止するか判断します。この信号機の色は短期記憶で保持されます。次々と信号機を通過するため、短期記憶は順次消失し、これまで通過した交差点の信号機の色はもう思い出せません。この目的地までの道のりは何回も行くと記憶します。これは長期記憶に保存され長期間保持されます。
感覚記憶
聴覚、視覚など感覚器官が音や光などの刺激を受けた時、それを一時的に保管するのが感覚記憶です。例えば音など聴覚の刺激はエコーイック・メモリと呼ばれる感覚記憶に保存され、光など視覚の刺激はアイコニック・メモリと呼ばれる感覚記憶に保蔵されます。
感覚記憶は、視覚、聴覚以外にも味覚や嗅覚,皮膚感覚など各感覚器官に存在します。保持時間はエコーイック・メモリで1秒前後、アイコニック・メモリで0.5秒前後です。感覚記憶は、感覚知覚の情報処理との境界があいまいなため記憶に含めないこともあります。
短期記憶(ワーキングメモリ)
感覚記憶に入る多くの情報の中から、注意を向けたものだけが短期記憶に保存されます。一方近年は短期記憶をワーキング・メモリリ(作動記憶)と呼ぶこともあります。
従来の記憶モデルは,感覚記憶から取り出された情報は長期記憶に送られる前に短期記憶に短時問保持されると考えられていました。しかし短期記憶には感覚記憶によって外の世界からはぃってきた情報だけでなく、長期記憶に保管されている情報を引き出すこともあります。
そこで短期記憶に代わるより広い概念としてワーキング・メモリが提唱されました。このワーキング・メモリは図2に示すように中央実行部と音声ループ、視空間スケッチパッドの3つの部分から構成されています。
音声ループは言語的音声を扱い、視空問スケッチパッドは視覚的な空間イメージを保管します。これらの情報を利用して中央実行部が複雑な認知処理を行います。
短期記憶の記憶容量は少なく、成人で数字の7桁±2桁と言われています。これは数字も文字も変わらず、アメリカの認知心理学者ジョージ・ミラーはマジカルナンバー・セブンと呼んでいます。しかし実際には数字を7桁も覚えられない人もいます。2001年にミズーリ大学のネルソン・コーワン氏は「4±1」が正しいマジカルナンバーと発表しました。
① ワーキング・メモリの成熟は高次の思考と関係
2013年オスロ大学のノルウェーのクリスチャン・タムネスらは8~22歳を対象にワーキング・メモリの成熟について調査し、その結果、脳の特定部位の変化がワーキング・メモリの向上に関係していることが判明しました。
短期記憶が発達すると前頭頭頂ネットワークが成熟します。短期記憶は高次の思考(前頭葉)を扱う能力と密接なかかわりがあり、その能力は幼少期から成人にかけて年齢とともに向上します。脳領域のネットワークが発達するに従い短期記憶の容量も増えていきます。
人の脳は4つの領域に分けられ、脳の上部に位置する頭頂葉は知覚情報と言語の統合を担い、短期記憶に欠かせない領域です。前頭葉は脳の前部に位置し、思考、計画、論理的思考など高次の認知機能を司っています。
前頭葉のすぐ前にある前頭前皮質は複合思考を担い、複雑な行動の計画や意思決定などに関係しています。
② 短期記憶から長期記憶に移動するのではない
アトキンソンとシフリンの二重貯蔵モデル以来、認知した内容は一旦短期記憶に保存され、それから長期記憶に向かうと考えられていました。しかし短期記憶の容量は7桁(5桁)しかありません。短期記憶に保存された情報だけを長期記憶に保存すれば長期記憶の情報量は非常に小さなものになってしまいます。むしろ短期記憶は「今意識されていること」と考えます。
感覚器官が受け取った情報の中から、いくつかの情報はそのまま長期記憶に保存されると考えます。ただし感覚器官から直接長期記憶に保存された情報は、意識していないと思い出すこと(検索すること)ができません。しかし何度もリハーサルを行って長期記憶から取り出せば、取り出しやすくなります。
③ リーディングスパンテスト
リーディングスパンテスト(RST : reading span test)は、数字や単語を記憶する一般的な記憶テストと異なり、文を幾つか読んでもらってその中の 1 単語を記憶するテストです。図4の表にその例を示しました。
このテストでは文を読むことに注意しながら、下線が引かれている言葉を記憶しなければならないため、会話や本を読みながら内容を記憶することに近いテストです。RSTの評価は他の記憶テストよりも読解力との相関が高いことがわかっています。RSTのスコアが高い人は、文章を読解中に記憶すべきものとそうでないものに、注意をうまく配分しています。
こうした注意の配分はワーキング・メモリを制御している中央実行系によるものと考えられています。タスク処理能力の高い人とそうでない人の違いは、この中央実行系の違いによりRSTで評価できます。
④ サブリミナル効果
サブリミナル効果は、視覚、聴覚、触覚の潜在意識に刺激を与えることで得られる効果のことで、心理学や軍事などで研究されてきました。
有名なのは1957年アメリカのジェームズ・ヴァイカリーが、映画の上映中知覚できない短い時間「コカコーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」という映像を入れると、コカコーラの売上が57%、ポップコーンの売上が18%アップしたと発表したことです。しかしその後の実験では同様の効果は認められず、後年ヴァイカリーは実験をでっち上げたと語っています。
現在サブリミナル手法は、アメリカ、日本など各国で禁止されています。
長期記憶
一旦長期記憶に保管された情報は、永久的に保持されるものもあり、その容量も無限大と考えられます。短期記憶がいつでも取り出せる活性化した状態の記憶に対して、長期記憶は毎回思い出す必要のある非活性状態の記憶です。
① 長期記憶の仕組み
感覚記憶から受け取った情報は、電気信号として短期記憶、そして長期記憶に送られます。長期記憶をつかさどる脳の海馬では脳の神経細胞(ニューロン)同士の接合部「シナプス」で神経細胞同士のつながりが強くなります。信号の伝達効率が高くなり、これにより記憶が保存されます。
これは時間とともに強化され「長期増強 (LTP Long-term potentiation」と呼ばれます。
一方加齢により神経細胞同士のつながりが弱くなると情報を取り出しにくくなります。短期記憶の情報を長期記憶に保存する方法がリハーサルです。
② リハーサル
試験勉強で忘れないようにするため何度も口に出したり書いたりすることです。このリハーサルには、維持リハーサルと精緻化リハーサルがあります。
維持リハーサルは意識から消えないように情報を短期記憶にとどめておくだけで長期記憶には移動しません。長期記憶に保存するためには、繰り返すだけでなく,情報を能動的に分析し,すでに貯蔵されている情報に関連付けたり、イメージ化する必要があります。これを精緻化リハーサルと呼びます。単語のような単純な情報を繰り返し音読しても、それは維持リハーサルなので短期記憶にとどめ置かれ、リハーサルの効果が薄れると忘れてしまいます。
リハーサルで短期記憶から長期記憶へ移行する際、リハーサルの回数が多く、注意の大きい情報(印象が強烈な情報)ほど、脳はより重要な情報と判断し、長期記憶に定着する確率が高くなります。
生存するために脳が脅威と感じる経験や生命に関わる情報は短期間に吟味され長期記憶へ移行します。これは人類が環境の変化に適応するために、脳が情報の取捨選択を暗黙の裡に行っているからです。テスト勉強などで記憶しなければならない時、短期間に何度も繰り返して脳に重要な情報と思わせると早く記憶します。
③ 符号化と想起
記憶には、符号化 (記銘) ・保持・想起の3つの過程があります。
【記銘(符号化)】
感覚刺激を認知や記憶のための意味のあるものに変換する作業です。例えばレストランで店員から聞かれた場合、聴覚からの情報は「オノミモノハナニニシマスカ」ですが、これを符号化すると「お飲み物・は・何・に・しますか?」となります。そしてそれぞれの意味を理解し記憶します。従って意味の分かる母国語の記憶は容易ですが、意味の分からない外国語は記憶が困難です。
この符号化には意図して行う顕在的な符号化と、意図しないで行う潜在的な (偶発的) 符号化があります。私たちの日常生活では、意図して記憶する顕在的な符号化より、意図しないで記憶する潜在的な符号化の方が多いといえます。ただし再生が確実なのは意図して記憶した情報で、詳細かつ正確に記憶しています。また記憶の仕方によっても差があります。
例えば単語を文字として記憶した場合、音声も併せて記憶した場合、意味も含めて記憶した場合の3つでは、意味も含めて記憶した場合が最もよく記憶されました。意味も分からずひたすら暗記する方法は効率がよくありません。
【保持(貯蔵)】
脳は符号化された意味情報を保持します。この符号化の際、知識は人それぞれ異なるため、情報が切り捨てられたり、付け加えられたりします。その結果、同じ情報を与えられても保持される情報が人により異なります。
【想起(検索)】
保持されている記憶が呼び起こすことで、想起の仕方は以下の3つがあります。
- 再生 : 保持されている記憶がそのままの形で再現
- 再認 : 以前経験したため、「経験した」として認識
- 再構成 : 保持されている記憶をいくつか組み合わせて再現
「名前がなかなか思い出せない」というのは、記憶しているが想起ができない状態です。あるいは思い出す状況によっては元の記憶と相反する記憶を学習する消去学習を行うこともあります。刑事裁判で自白の信ぴょう性が問われることがありますが、これは取り調べ中に消去学習が行われることがあるからです。
また記憶した時の味やにおいで思い出すこともあります。これは情報が符号化される状況と、その情報を検索する状況が一致していると、検索の効率が高くなるためです。これは符号化特性原理と呼ばれます。
④ チャンク化
容量の少ない短期記憶に多くの情報を保存する方法がチャンク化です。例えば12桁の数字を記憶する場合、345264571074を一度に記憶するのは大変です。そこでこの数字を4桁の数字の組合せで記憶します。3452 6457 1074個とすると理解しやすく、記憶しやすくなります。この4桁の数字がチャンクです。
数字以外にもメニューなどの名詞もチャンク化できます。英単語もいくつかのグループに分けて記憶すれば、バラバラに記憶するよりも効率がよくなります。あるいは覚えたいことを階層状に図式化するのもよい方法です。 (メモリーツリー)
⑤ 長期記憶と短期記憶を持っているのは人だけでない
すべての動物に長期記憶と短期記憶があり、過去のことを忘れてしまう逆向性健忘症を起こします。また哺乳類だけでなく虫や魚も長期記憶があり、長期記憶はゆっくりと形成されます。記憶をゆっくりと形成することで、それを経験として役立てる際に都合がよいことがわかっています。
⑥ 患者H.M
患者HM氏は、26歳の時、難治性てんかんの治療のため、脳の両側の内側側頭葉の一部分を切除しました。その結果、短期記憶は正常でしたが、短期記憶の情報を長期記憶に転送できなくなり、長期記憶ができなくなりました。新しく運動を学習することはできましたが、新たな運動をしたことを思い出せませんでした。
このことから短期記憶、長期記憶は脳の異なる場所に形成されることがわかり記憶についての研究が大きく進みました。
人はどうやって思い出すのか
① プライミング効果
プライミング効果とは、以前に経験・取得した情報が、後から得た情報に無意識に影響を与えることで、プライムには「入れ知恵をする」という意味があります。あらかじめある事柄を見聞きしておくと、関連した別の事柄が想起しやすくなります。例えば見知らぬ人でも毎日通勤電車でみかけていると、混雑している街中でもその人物を容易に見つけられます。
② 忘れない方法 外化
外化は、頭の中にある情報を頭の外に出すことです。具体的には、口に出したり、書いたりします。これによって以下のような効果があります。
- 短期記憶の負担が軽くなり、その分他の処理作業に認知資源を振り分けられる
- 外化された内容を再度人力することで、頭の中での処理プロセスを確認できる
- 思考を他の人と共有でき、これにより課題解決の質が高まって、処理速度が速くなる
【外化の方法1 口に出す】
考えや行為を口に出すことで、行為に意識を集中できるようになります。これは指差と合わせて指差呼称として現場で広く行われています。
【外化の方法2 からだを動かしてみる】
手や腕など体の一部を動かすことで意識を集中する方法です。例として指差確認があります。また漢字の書き順を確認する時などは、空間に指で字を書く空書を行います。
【外化の方法3 書く】
授業をノートに取るなど古くから行われている方法で、課題解決など思考場面で認知機能の補完としてよく使われます。しかし時間がかかるため現場ではチェックリストの記入など使われる場面が限られています。
③ 系列位置効果(serial position effect)
順番に情報が提示されると時、その順番により記憶のしやすさが異なります。
【初頭効果】
最初に提示されたものが記憶されやすいことです。はじめに提示された項目は、 それより後の項目が提示されている中
に余分にリハーサルを受けることができます。そのため、符号化がより進みます。被験者が声を出して読み上げると、はじめに提示した内容はリハーサル回数が多く再生率が高いことが実験でわかりました。
【新近性効果】
新近性効果とは、終わりに提示される項目は再生するタイミングに近いため記憶されやすいことです。従来は短期記憶の効果によるものと考えられていました。しかし再生までの時間を長くしても新近性効果が現れることがあり、これは検索のされやすさに違いがあるためと考えられています。
様々な長期記憶
長期記憶には、言葉で表現できる言語的な情報(言語的な記述・事実・意味)「宣言的記憶(陳述記憶)」と、言語と無関係に無意識的な行動や思考の記憶「非宣言的記憶(非陳述記憶)」があります。
前者はイメージや言葉としてその内容を頭に浮かべる(想起する)ことができ、言葉で述べること(陳述する)ができ、事実や経験に関わるものです。非宣言的記憶は言葉によらない記憶で、代表的なのが手続き記憶です。これは技能や動作など「体で覚えている」記憶です。
① 宣言的記憶 (または陳述記憶)
【意味記憶】
「意味記憶」は知識に相当し、一般的な知識や教養など普遍的な事実に関するものや用語の定義や客観的な知見などです。「リンゴ」といえば皮が赤い冬の果物ですが、「リンゴ」という言葉は意味記憶です。勉強で得られる知識の大半は意味記憶です。
意味記憶に関わる脳の部位は側頭葉で、例えば側頭葉前方部が局所的に萎縮すると、単語、物品、人物などの意味理解が選択的に障害される意味認知症が生じると報告されています。
【エピソード記憶】
自分の経験や思い出など、身の回りで起きた出来事に関する記憶が「エピソード記憶」です。例えば、「いつどこで誰と何を食べ、美味しかった、楽しかった」という記憶です。
記憶の特徴として、意味記憶よりもエピソード記憶のほうが、長期記憶に移行しやすい点があります。また意味記憶と比較し、エピソード記憶の方が再生しやすい特徴もあります。そこでイメージで記憶すると長期記憶に保持されやすくなります。イメージすることは、想像のなかで体験することで、エピソード記憶とつながるため、取り出しやすくなります。
② 非宣言的記憶
非宣言的記憶とは意識上に内容を想起できない記憶で、言葉で表現することが困難な記憶です。非宣言的記憶には「手続き記憶」、「プライミング」、「古典的条件付け」、「非連合学習」などが含まれます。これらの記憶は人が動作を正確かつ効率的に行うのに役立ちます。
【手続記憶】
手続き的記憶は代表的な非宣言的記憶で、体で覚える記憶です。これには技能や習慣などが含まれます。
手続記憶は同じ経験を反復することで形成され、一旦形成されると自動的に機能し、長期間保持されます。自転車の乗り方などはわかりやすい一例です。練習するまでは乗れなかったのに、一度乗れるようになると長い間乗らなくても再び乗ることが出来ます。他に、水泳、スキーや柔道などのスポーツにおける体の動き、楽器の演奏、身近な所では箸や鉛筆の使い方などがあります。
手続記憶は海馬や側頭葉ではなく、小脳や大脳基底核が関与していると考えられています。大脳基底核は体の筋肉を動かしたり止めたりするといった大雑把な動きの記憶に関与します。小脳は筋肉の動きを細かく調節し、バランスを保ちつつ動くための情報の記憶に関与します。手続き記憶の獲得には前頭葉の前補足運動野が、記憶に基づく運動の実行には補足運動野が役割を担っています。
アルツハイマー患者は、エピソード記憶を保持することができなくなりますが、手続記憶はかなり長い間保たれています。これは「宣言的記憶」と「手続き記憶」で記憶のメカニズムや関与する脳の部位が異なるからです。認知症がかなり進行して昔の出来事は覚えていなくても、昔覚えた楽器の演奏はできます。
③ 階層的ネットワークモデル
コリンズとキリアンは1969年に意味記憶のモデルとして階層的ネットワークモデルを提唱しました。想起する際は、ノード間のリンクをたどって情報の検索が行われ、経由するリンクが多くなれば検索する時間を要すると仮定しました。またコリンズとロフタフは1975年に関連する意味の系列に沿ったネットワークモデルを提唱しました。1つの概念同士が対応していて、意味が関連する概念同士がリンクで結ばれています。このモデルはさらに意味のネットワークに加えて語彙のネットワークがあります。
④ 潜在記憶と顕在記憶
潜在記憶は、無意識にできる動作や反射的に思い出す記憶など、内容を特に意識していない記憶のことで、非陳述記憶、非宣言的記憶とも呼ばれています。
その中で、「家から最寄り駅までの道」のように意識せずに繰り返されてきた動作の記憶を「手続記憶」、自分の意思と関係なく思い出す記憶を「プライミング効果」「古典的条件付け」と呼びます。潜在記憶で行われる行動は、意識を行動にほとんど向けていないため、行動しながら他に注意を向けることができます。運転中の同乗者との会話などはその一例です。
長期記憶の中で自発的に思い出せ、言葉やイメージで表現可能な記憶を顕在記憶といいます。顕在記憶には個人の経験に基づく「エピソード記憶」と、一般的な知識として覚えた「意味記憶」があります。テストの時の勉強内容や旅行の思い出といった本人の意思によって思い出され、言葉やイメージで他者に伝えることができる記憶は顕在記憶です。
顕在記憶は、例えばテスト勉強のように意識的に記憶されるため、内容にゆがみが生じていることがあります。一方、潜在記憶は無意識に記憶されますが、潜在記憶も同様にゆがみがあります。加齢により顕在記憶は低下しますが、潜在記憶はあまり変化しません。
忘却の記憶の変容
忘却
① エビングハウスの研究
心理学者エビングハウスは、自らを被験者として13項目の無意味なつづりのリストを完全に記憶できるまで学習し、その記憶時間を測定しました。その後19分から31日後までの間、時間間隔をおいて再度学習し、学習に要した時間を測定し、最初の時間との差を節約率として計算しました。その結果、24時間後には節約率は34%で、つまり66%は忘れることがわかりました。
しかしその後別の研究者が追試したところ、これほど急激な減少は確認されず、エビングハウスの実験は記憶するリストに問題があったとされています。
② 干渉
忘却の原因として記憶すべきことが似ているために生じる記憶の干渉があります。この干渉には順向抑制と逆行抑制の2種類があります。順向抑制は先に記憶した内容が後から学習する内容の記憶を抑制することです。
先行学習したグループとそうでないグループに対し、同じ内容を学習すると先行学習したグループの方が、記憶が劣っていました。これは先行学習の内容が後の学習内容と干渉したためで、学習内容が似ているほど干渉が強く生じました。逆行抑制とは、順向抑制と逆に後から学習した内容のため、先に学習した内容の記憶が阻害されることです。学習した後、別の内容を学習したグループと何も学習しなかったグループを比較すると、別の内容を学習したグループの方が記憶が劣っていました。
③ 睡眠の効果
1924年ジェンキンスとダレンバックは2人の被験者に意味のないつづりを記憶させ、その後睡眠をとった場合と起きていた場合の記憶の保持量を比較しました。その結果、睡眠をとった方が記憶を高く保持していました。これは干渉が減ることに加えて、記憶の固定化が促進されるためです。
ジャンボーンは被験者にタイピングの学習を行い、その後睡眠を取るとタイピングの成績が向上することを発見しました。睡眠は記憶に加えて運動能力の固定化も促進する効果があります。スポーツをする場合、早く上達するには練習後に昼寝をしたり、午後の練習後は食事、入浴の後はすぐに寝た方がよいようです。
④ もう一つの忘却のタイブ
「思い出すことを忘れる」ことです。聞かれれば必ず答えられるのに、自発的に記憶の検索が行われないため「思い出さない」ことです。これについては思い出す手掛りをタイミングよく与えればよく、思い出す手掛りのことを「リマインダー」といいます。
リマインダーにはふたつあり、思い出す内容に関する「メッセージ」と思い出すきっかけを与える「シグナル」です。覚えておくべきことをノートに書き込むメモがメッセージ、忘れないように必要なタイミングで鳴らすベルがシグナルです。
⑤ 忘れられない男
トルジョーク出身の新聞記者ソロモン・ヴェニアミノヴィチ・シェレシェフスキーは、一語一句正確に記憶することができ、またいつでもそれを思い出すことができました。彼は編集長の勧めでモスクワの心理学者アレクサンドル・ロマノヴィッチ・ルリヤを訪れました。
ルリヤは彼に様々な記憶力テストを行ったところ、彼はどれも完璧に記憶しました。彼は音に色や形を感じたり、文字に色や明暗を感じることができました。五感が強く連結された共感覚を持ち、記憶すべきことを視覚像化して頭の中に定着させました。「記憶術師シィー」として舞台に出て世間の話題となりましたが、長続きせずその後職を転々としました。晩年は膨大な記憶量のため心が混乱するなどの弊害に苦しみ「忘れる」人間に戻りたいと願っていました。
⑥ 驚異的な記憶力 サヴァン症候群
1887年医師ジョン・ランドン・ダウンは、書籍を1回読んだだけですべて記憶する驚異的な記憶力を持った自閉症の男性を発見しました。学習能力は通常で、彼はサヴァン症候群と名付けられました。サヴァン症候群の原因はまだわかっていませんが、自閉症に関連した器質が原因と考えられています。記憶能力の他にカレンダ一計算、数学・数字能力、音楽、美術などに並外れた能力が報告されています。
⑦ 脳トレの効果は
2015年オスロ大学のモニカ・ラーバグは、ワーキング・メモリのトレーニングが有効かどうかを調べるメタ分析を実施しました。このテーマで行われた過去のあらゆる研究を調査し、結果を統計的に分析しました。その結果、どのワーキング・メモリのトレーニングも有意なワーキング・メモリの向上は確認できませんでした。脳トレを続ければ優れたゲーマーにはなっても認知能力が大きく向上することはなさそうです。
記憶の変容
① フラッシュバルブ記憶(Flashbulb memory )
フラッシュバルブ記憶とは、感情が強く喚起される重大な出来事を知ったとき、周りの状況についての鮮明で長期間保持される記憶のことです。「写真のフラッシュを焚いた時のように」鮮明な記憶で1977年ブラウン氏が論文でフラッシュバルブ記憶と呼びました。
例えば2001年のアメリカ同時多発テロや東日本大震災、阪神淡路大震災の時に、自分が何をしていたのか、明に覚えていることです。フラッシュバルブ記憶は大脳皮質下にあるベイペッツの情動回路の中を、情動を伴う記憶が循環するためです。フラッシュバルブ記憶は当事者にはビデオテープのように鮮明な記憶ですが、内容は必ずしも正確ではなく、思い込みから生じた誤りもあります。
② つくられた証言 マクマーティン保育園裁判
1983年にカリフォルニア州のジュディ・ジョンソンは、息子の肛門が腫れていたため、保育園で性的虐待があったと思い警察に訴えました。彼女は保育園の保育士で園長の孫のレイモンド・バッキーを告発しました。
警察は調査のため他の保護者に質問状を送り、また検事は国際児童研究所のキー・マクファーレンに調査を依頼しました。その結果、マクファーレンは360人以上の子どもに虐待があったと発表し、これをKABCテレビのリポーター ウェイン・サッツがセンセーショナルに報道したため、アメリカ中の子供を預けて働く母親の間でパニックが起きました。
子供たちの証言を裏付ける物的証拠はなく、調査を行ったキー・マクファーレンはセラピストの資格がありませんでした。さらに報じたレポーターのサッツと恋人同士だったことが発覚し、事件の信ぴょう性が疑われました。7年に及ぶ裁判の結果、レイモンド・バッキーは不起訴となりました。
③ 精神分析について
フロイトの確立した精神分析療法は、患者に催眠による暗示をかけて過去の経験を想い出すことで治療します。フロイトは、自我を脅かすつらい体験をすると、それを抑圧し無意識に押し込み、神経症を発症すると考えました。そしてそれを具体的に意識し自覚することで神経症を治癒していました。
しかし人は通常は夢で見たことや想像したことと、実際に経験したことを区別できますが、催眠状態ではこの機能が弱くなり、夢や創造したことと本当にあったことの区別がつかなくなります。
また幼児期の記憶は不確かで、心理学者のロフタスは被験者の大学生に「幼児期にショッピングモールで迷子になった」という偽りのエピソードを被験者の幼児期に実際にあったこととして聞かせたところ、被験者はそれが本当にあったと信じました。従って幼児期に虐待があったかどうかは、セラピストなどが幼児本人から聞き出したとしても事実とは限らないのです。
④ デジャビュ
デジャビュ (既視感) は、実際は体験したことがないのに、すでにどこかで体験したように感じる現象です。
原因は、ある経験をしたときに過去の類似の経験が自動的に想起されるからです。この想起された過去の体験と現在が似ているほど強いデジャビュになります。
もうひとつの原因は過去の光景を何度も想起する過程で細部が失われて抽象化し、印象の強い部分のみが典型的な光景として記憶されているからです。そのため今見ている光景がこの体験と強く一致するようになります。実際よくある典型的な写真を見せたところ行ったことがないのに行ったことがあるように誤解しました。
軽視されがちな記憶の問題によるヒューマンエラー
以上のような人の記憶の特徴を考えると、日常作業の大半を記憶に頼って行うことはヒューマンエラーのリスクがあることがわかります。そこでその対策としてできることを以下に述べます。
① 短期記憶に頼る危険
今どの作業を行っているのか、多くの現場ではモニターがありません。途中で作業を中断した場合、どこまで進んだかは作業者の記憶に頼っています。一方その記憶は短期記憶のため容易に消去や変容します。そこで記憶に頼らない方法にします。
現場でのコミュニケーションは口頭で行われます。相手は聞いた内容を記憶し、作業に反映させますが、ここで記憶が欠落したり変容したりします。
伝達内容は口頭だけでなく、メールや紙媒体を併用します。
② 記憶を助ける
記憶する場合、効率よく記憶するため以下の取組を行います。
【リハーサル】
複数回復唱します。複数回行うことで、リハーサル効果が生じ記憶の保持時間が長くなります。加えて複数回行うことで確認回数も増えます。
【精緻化】
認知すべき内容、記憶すべき内容を具体的に意味づけします。特に数字や記号の場合、数字や記号の意味を伝えて、単なる記号以上のものにします。
【チャンク化】
数字であれば、4桁のグループに分けます。記録や読み上げも4桁ごとに行います。他の情報も3~4個のかたまりにチャンク化し、記憶します。
③ 長期記憶は変容する
長期記憶に保管された内容も時間の経過とともに、内容の欠落や変容が起きます。特に作業指示は、指導者から作業者に伝達する過程で内容が変質します。さらに指導を受けた作業者の記憶が欠落や変容を起こします。
これを防ぐためには
作業手順書を整備し、文書により伝達
します。さらに指導者は作業者の作業を定期的に確認して、指導した内容が適切に実行されているか確認します。
④ たまに行う作業
普段は行わずたまに行う作業は、作業する者は長期記憶から作業内容を検索し、思い出しながら作業を行います。作業中はこの思い出すことに認知資源が多く使われ、作業自体への注意がおろそかになります。さらに思い出す過程の中で、作業内容が変容することもあります。
そこでたまに行う作業こそ、
作業手順を記載したチェックリストを用意し、チェックリストに基づいて作業すること
で、作業自体に意識を集中することができます。これにより不注意によるミスを防ぎ、チェックリストに基づいて行うことで確実に作業ができます。
参考文献
「記憶・思考・脳」 横山詔一 渡邊正孝 著 新曜社
「認知心理学」 仲真紀子 編著 ミネルヴァ書房
「認知心理学」 海保博之 編 朝倉書店
「記憶」 前野隆司 著 ビジネス社
「脳とワーキングメモリ」 芋坂直行 編著 京都大学出版会
「記憶と情動の脳科学」 ジェームズ・L・マッガウ 著 ブルーバックス
「対話で学ぶ認知心理学」 塩見邦雄 著 ナカニシヤ出版
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