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【製造業の値上げ交渉】24. 発注先の選定 品質の重要さ
値上げ交渉は価格が争点です。値上げ金額が高いのかどうか、取引先と議論します。
しかし価格以外に、品質管理などの管理体制も仕入先によって違います。これについては製造業の値上げ交渉23 少し高くても受注3 高い価格を受け入れてもらうには?を参照願います。
ものづくりは価格だけではありません。QCDの3つが良くなければいいものはつくれません。
中でも重要なのは品質です。
理由は、一度不良が起きれば多額の損失が発生するからです。
リコールは多額の費用
2023年度の自動車のリコール件数は、国産車169件、輸入車180件、総対象台数は国産車、輸入車合わせて810万台でした。
食品は2021年度に1453件のリコール(自主回収)がありました。
リコールには多額の費用がかかります。1回で数億円もかかることも珍しくありません。
価格が低くても品質管理の不十分な仕入先に発注すれば、不良品が市場に流出する可能性があります。リコールになれば部品価格の少々の違いは吹き飛んでしまう損失が発生します。
他にも発生する費用
リコール費用は、不良品を回収して良品を提供するための費用です。
他にもリコールは、原因調査、対策のための費用(主に人件費)がかかります。対策会議を開けば、それも新たなコストです。実際はこれらの費用は集計していないメーカーもあります。その場合はこれらは見えないコストです。
さらに仕入先自身でも費用が発生します。これは
- 不良品を廃棄・修正する費用
- 取引先に行って、回収、選別する費用
- 代品を作成する費用
- 不良の原因分析、対策のためのテストや会議の費用
- 再発防止にかかる費用
このような費用が発生します。
不良品の損失金額は
- 不良品を廃棄する場合、廃棄した部品の原価
- 不良品を修正する場合、修正費用
実際は修正費用を集計しないため、修正費用は損失と思っていない工場もあります。
他にも流出防止・再発防止のために、担当者が活動している時間も損失です。
仕入先が中小企業の場合、多くはありませんが、大きな不良ではメーカーから損害賠償を請求されることもあります。
自動車メーカーは、部品メーカーが原因でリコールが生じた場合、リコール費用の一部、又は全額を部品メーカーが負担します。
不良が原因で経営破綻
あるいは不良品が原因で事故が起きれば、メーカーの存続にかかわります。
13,420人が食中毒を起こした旧雪印乳業、異常破裂が原因で死亡事故を起こしたエアバッグのタカタ、いずれも品質問題が原因で会社分割や経営破綻に至りました。
では品質が悪い仕入先とは取引しないで、品質が良い仕入先とだけ取引すればよいのでしょうか。
それが、そう簡単ではないのです。
なぜなら、品質はコストのように定量化できないからです。
不良率を使えば品質は数値化できます。
では不良率が低ければよいかというと、そう簡単ではないのです。それはヒューマンエラーによる突発的な不良もあるからです。
そして不良が発生した後の再発防止も重要です。
不良品が市場で発生した場合
不良品が取引先に流出すれば、再発防止と流出防止が必要です。
例えば、寸法、形状などの品質は、10±0.01ミリのように公差で規定されます。製品を測定し、この範囲にあれば合格、外れれば不良です。
検査員のミスで不良品を取引先に納入すれば、その部品を組み込んだ製品は不良品です。
もし取引先が完成品を出荷検査して不良に気づけば出荷されません。
しかし気づかなければ不良品が出荷されてしまいます。しかし誰もそれが不良品であることに気づきません。
メーカーの動き
顧客がこの製品を買って、動作不良などが起きれば、販売店に修理(保証期間内なら無償修理)を依頼します。そして製品がメーカーに送られます。そこで部品が不良品であることが分かります。
ここからが大変です。
メーカーは、この部品(不良品)が他の製品にも組み込まれていないか調査します。
そのためには、
- なぜ仕入先が不良品を製造したのか
- なぜ仕入先は不良品を出荷したのか
原因を調査します。仕入先と協議して、不良品を製造した原因、検査が見逃した原因を調べます。
そして不良品を組み込んだ製品が、問題を起こした製品のみという確信が持てれば、その製品のみの問題とし、その製品を修理、又は新品と交換します。
リコール可否の判断
不良品を組み込んだ製品が他にもある場合は大変です。
使用者がけがをしたり、発火したりするなど問題が深刻であればリコール(自主回収)をします。販売店などを通じて、購入した顧客に連絡して、回収・修理をします。
自動車の場合、リコールは保安基準に適合しなくなるおそれがある問題が対象です。
ということは保安基準に適合すれば、不良品でもリコールにはなりません。
車が調子が悪くなってディーラーに持っていくと、無料で部品を交換してくれることがあります。
これは原因がメーカーでもわかっていて、対策品も用意してあるためです。それでも保安基準に適合しているのでリコールにはならないのです。
対象範囲の特定
リコールになった場合、メーカーはリコールの台数をできる限り少なくするため、対象台数を絞り込みます。
仕入先が不良品を製造した原因、あるいは仕入先の検査が不良品を見逃した原因を調査し、それが一定の期間に製造した部品であることを特定します。
ところが原因が特定の設備や作業者と分かっても、
- いつ、
- どの設備で、
- 誰が製造したのか、
記録がなければ、問題の部品の範囲を限定できません。その結果、対象台数は増えてリコール費用は増加します。
トレーサビリティ管理の必要性
そのため、最近では仕入先に、いつ、どの設備を、誰が製造したのか、記録する製造履歴管理(トレーサビリティ管理)を取引先から要求されます。
図では
設備1はAさん、設備2はBさんが担当しました。
A2製品の不良の原因はBさんの設定ミスでした。
○月1日から3日 Bさんが作業した設備2の設定ミスが分かりました。その結果、○月1日から3日にかけて設備2が製造した部品が対象になります。
しかしこうした記録がなければ、設備1で製造した部品も対象になってしまいます。
不良は数値化できるのか
こうした不良品発生の過程では
仕入先の現場 : 工程内検査 工程内不良率
出荷検査 : 不良率
メーカー : 製品の不良率
こういったデータがあります。
最近は品質に対する要求が厳しく、メーカーの検査で不良が見つかり、原因が仕入先の部品の場合、大問題になります。
メーカーから仕入先に、不良品を納入した原因の調査と再発防止が求められます。
その際、まずは、なぜ出荷検査が見逃したのかを調査します。
それだけでなく、不良が多ければ見逃しする確率が高くなるため、不良自体を減らすことが求められます。具体的には工程内不良率を調べ、製造工程を改善して工程内不良を減らすように求められます。
大量生産での数値化
この時、大量生産では工程能力指数というものが用いられます。
これは製品の特性値が目標値に対してどれだけばらついているかを示す指標で、Cp, Cpkで表します。
Cp, Cpkは測定結果の平均値と標準偏差から以下の式で計算します。
これは測定結果から統計を用いて不良品の発生確率を推測する方法です。
Cpは平均値のずれを無視して、公差範囲に対するデータのばらつきのみを表します。
Cpkは公差の中心に対するデータの平均値の偏りと、公差範囲に対するデータのばらつきを表します。
一般的には平均値の偏りも考慮してCpkで説明します。Cpkの値と発生する不良率を上図に示します。またCpkと工程能力を下表に示します。
Cpkの値 | ばらつきの幅 | 工程能力 | 検査 |
1.00 | ±3σ | 不安定 | 全数検査 |
1.00~1.33 | ~±4σ | まあ安定している | 抜取検査 |
1.33~1.67 | ~±5σ | 安定している | 緩い抜取検査 |
1.67以上 | ±5σ以上 | 十分安定している | 無検査 |
この表よりCpkが1.33以上であれば工程能力は十分なため、抜取検査に移行できることがわかります。
実際にはCpk1.33は公差範囲に対してばらつきは非常に少なく、Cpk1.33を達成するには工程を安定させてばらつきをかなり抑えなければなりません。
仕入先の品質が工程能力のみで評価できれば、Cp, Cpkを比較すれば、仕入先の品質を比較できます。
実際は、そう簡単ではありません。
それは突発的に発生する不良があるからです。その原因は人のミス、ヒューマンエラーです。
人のミス、ヒューマンエラーによる不良
現場における人の要素は今でも大きく、例え自動化された設備でも、その設備を設定するのは人です。設備は問題なくても設定をミスすれば、不良品を製造します。
しかも今日の現場は、熟練の正社員以外に、派遣社員、外国人研修生、パート社員などさまざまな人がいます。精密な切削加工品を、日本語で書かれた図面を元に、図面の読み方がわからない外国人が検品していることは珍しくありません。
つまりヒューマンエラーが起きる要素はあちこちにあるのです。
とてもきれいな工場で、手順書やマニュアルも整備され、工程内不良や出荷検査の不良も少なく、品質に問題ないと思えるような工場から、
ある日突然、不良品が入ってきて現場は気づかずに出荷してしまった。
その結果、市場で大きな問題になった、
このようなことを私は品質保証部門にいた時に何度も経験しました。
こういったヒューマンエラーによる不良は、原因は以下の4つです。
- 正しい作業が決まっていない、ルールがない
- ルールを守らない
- ヒューマンエラー
- 人には向いていない
従って
- 正しい作業が決めて、ルール化(標準化)する
- ルールを守る組織にする
- ヒューマンエラー対策を行い、発生したヒューマンエラーに対し再発防止を徹底する
- 人には向いていない作業は極力自動化、システム化する
こういったことに地道に取り組まなければなりません。
つまりばらつきを抑えることとヒューマンエラー対策は品質という車の両輪なのです。
精度が高いものは、加工だけでなく、測定の管理も重要
要求精度が高くなれば、高い管理能力も必要です。例えば寸法精度の場合、精度が厳しくなると、温度管理も必要です。なぜなら金属は温度によって伸び縮みするからです。
1ミクロンを保証する大変さ
100ミリの鉄は、1℃変わると1ミクロン寸法が変化します。室温が10℃変われば10ミクロン、0.01ミリも変わってしまいます。しかも加工直後の部品は温度が50℃以上になることもあります。こういった温度による寸法の変化も考慮して測定しなければ、1ミクロンの精度の部品はできません。
他にも1ミクロンの寸法精度を保証するには、測定機の誤差も管理しなければなりません。
自社の測定機と取引先の測定機に1ミクロンの誤差があれば、自社では公差ギリギリで良品だったものが、取引先では不良品になることがあります。この1ミクロンは、測定機や測定の仕方によって簡単に変わってしまいます。
つまり1ミクロンを保証するためには
- 温度管理
- 高い測定技術(設備、人)
- 測定のバラツキの管理(機器の校正)
これらが必要です。
今の工作機械は優秀なので、プログラムを入れればどの会社でも加工できます。しかし、それを測定し、精度を保証するには測定方法や測定機の管理などにレベルの高い管理が必要です。
他にも不良を防ぎ、品質を管理するために重要なのは、変化点を管理することです。
不良を防ぐための変化点管理
今の生産設備は自動化が進み、スタートボタンを押せばどんどん生産します。
最初に設定をミスすれば不良品を大量に生産してしまいます。
そこで重要なのが、最初の設定時の確認です。こういった変化点を確認する手法には、4M変更管理と3H管理があります。
4Mとは以下の4つのことです。
- Man (作業者)
- Machine (設備)
- Material (材料)
- Method (製造方法)
頭文字の4つのMから「4M変更管理」と呼ばれます。他にも4Mに製品(Product)を加えて、4M+Pを管理することもあります。
4Mは品質が変化する要素ですが、品質が変化するタイミングは初めて(Hajimete)、変更(Henkou)、久しぶり(Hisashiburi)の3つがあります。3H管理とは、この3つの頭文字をとったものです。
4m変更管理(4M+P)と3H管理を組み合わせれば下表のようなマトリックスができます。
表 変化点管理の例
変化 | 変化のタイミング | ||
項目 | 初めて | 変更 | 久しぶり |
Man (人) |
新人 | 配置転換 | 職場復帰 |
Machine (設備) |
新規の設備・金型・治具 | 修理・仕様変更 | 長期間使用していない設備 |
Material (材料) |
新規の材料 | 材料・メーカー変更 | 長期間発注がない材料、長期保管した材料 |
Method (方法) |
初めての製造・検査・管理の方法 | 製造・検査・管理の方法の変更 | 長期間実施していない方法 |
Product (製品) |
新製品 | 設計変更 | 長期間製造していない製品 |
このような変化点では、問題を未然に防ぐために以下の取組を行います。
- いつもより入念な検査
- 一時的に抜取から全数検査へ切替
- 製造工程の入念な確認
品質の高いものづくりは、工場の総合力
このように不良が出ない、品質の高いものづくりを実現するには、不良率や工程能力指数といった指標だけでなく、
- 正しいやり方を決め、ルール化してルールを守らせる
- ヒューマンエラー対策を行う
- 変化点管理など
様々な取組が必要です。
それは一朝一夕ではできません。時間をかけて工場の総合力を高める必要があります。
しかもこの総合力は、大量生産と多品種少量生産で、重視されるものが違います。
品質管理は、品質に関するこのような総合的な能力です。
定期的にPR
この工場の総合的な能力は、不良率のような指標では表しきれません。そのため自社の取組を取引先に分かってもらうには、自らPRする必要があります。自社のこういった取組をまとめた資料をつくり取引先に渡してPRします。
自らPRしないと、品質について総合力の高い工場と、そうでない工場は、取引先から見れば同じです。そして価格だけで総合力の低い取引先に発注されてしまいます。
設備保全、人材教育、工程の管理に力を入れて、日々細心の注意を払っても不良は起きます。
価格だけで総合力の低い仕入先に発注すれば、取引先は将来重大な品質不良のリスクを抱えているのです。
その結果、どうなるか、過去の破綻の例が示しています。
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【製造業の値上げ交渉】21. 少し高くても受注するには1 内製も含めた他の選択肢
【製造業の値上げ交渉】20. 値上げのチャンスとは? で、値上げできる機会とそれの活用について説明しました。
値上げが成功するかどうかは取引先に他の選択肢があるかどうかです。
他の選択肢があれば、取引先は強気で交渉します。
つまり交渉での最大の力は「選択できること」です。
競合の情報が重要
取引先は今の仕入先以外に選択肢がなければ、仕入先の価格交渉は有利です。従って他の選択肢、つまり競合の情報が欲しいところです。
では、自社の競合はどこでしょうか?
競合の価格はいくらでしょうか?
これは簡単には分かりませんが、購買の担当者との会話や同業者からの情報などで競合となっている会社の情報を集めます。
値上げ交渉では転注の可能性
値上げ交渉の場合、取引先が値上げを受け入れられなければ、他社に転注しなければなりません。しかし、
- 転注できる仕入先がない
- 転注すれば品質リスクがある
- 転注品の評価や検証が必要
であれば、転注するより値上げを受け入れます。
例えば下図のように仕入先が受注金額988円の製品を、88円値上げを要請しました。この値上げ金額は、材料費、外注費、人件費などの経費の上昇分から計算した適正な値上金額です。
しかし取引先は88円の値上げは受け入れがたいため、他の仕入先に見積を取ったところ、ある仕入先は材料費以外は従来と同等として、1021円の見積でした。
ただしこの仕入先に転注すれば、初品確認、初期流動確認など転注に伴う費用が取引先内部で発生します。(ただしこういった内部費用は取引先自身も把握していないことが多いです。)
低すぎる価格の問題
新規の引合では、取引先から希望価格(指値)が出されることもあります。
この指値は低すぎることが多く、指値では赤字になってしまいます。
なぜ赤字価格で受注するのか?
ところが指値で受注する競合があると購買から聞かされます。
なぜでしょうか?
同じような設備、同じような時間で製造する場合、それでも低い価格で受注するのは、いくつかの理由が考えられます。
適正価格が低い
企業の規模が小さく、間接費や販管費が低い場合です。
取引先の求める品質管理、納期管理、トレーサビリティ管理などを行うと、間接部門の人数が増え、間接費が高くなります。営業や管理部門の人も必要であれば、販管費も高くなります。
しかし競合が数人の会社で、全員現場で作業すれば間接費や販管費は少なくて済みます。必要な利益が得られる適正価格も低くなり、指値でも利益が出ます。
(この適正価格の違いについては【製造業の値上げ交渉】7. この製品、いくらが正しいのだろうか?を参照願います。)
受注が少ないため赤字でも受注
現在、競合は受注が少なく、工場の稼働を維持するため、たとえ赤字でも受注しようとしている場合です。
受注不足で売上が少なければ工場の経費や人件費など固定費が回収できません。そこで今は少しでも固定費を回収するため、赤字の案件でも積極的に受注します。
この場合、売上が増えて固定費が回収できれば、このような儲からない案件はもう受注しません。
もし競合が赤字でも受注しようとして受注した場合、この実績金額は、本来であればどこも受注しようとしない赤字金額です。
廃業した会社の案件
中には赤字受注が続き、事業を断念する会社もあります。
そうなると取引先はこの製品をつくってくれる他の仕入先を探します。
知人の経営者に聞きましたが、こうして他から回ってきた案件を取引先から打診された場合、打診された価格の2~3倍の金額でなければ受けられないそうです。
つまり廃業された会社は、値上げできずに赤字を我慢した結果、他社が受けている価格に比べて大幅に低い価格でつくっていたのです。
安値受注競争を避けるには?
価格だけで発注すれば、自社よりも低い見積を出す競合が大抵はあります。そこと競えば安値受注競争になってしまいます。
本当に価格だけで決まるのでしょうか?
取引先は本当に最安値の仕入先に発注したいのでしょうか?
ものづくりは価格だけではありません。
購買の仕事は、QCDを総合して最適な部材を調達することです。
そのためには価格だけでなく品質や供給能力も含めて選定しなければなりません。
価格は低いが品質や供給能力に問題がある仕入先に発注すればどうなるのか、経験豊富な購買はわかっています。(ただ価格交渉の場では、価格だけにフォーカスし、そのようなことは決して言いませんが)。
そのために必要なこと
そのためには自社は取引先からどのように評価されているのか、自社の強みは何なのか、理解しておく必要があります。
SWOT分析では不足
その場合、一般的なSWOT分析では不足する点があります。
SWOT分析は、自社の内部環境(強み、弱み)、外部環境(機会、脅威)を分析するフレームワークです。しかしこのフレームワークには「取引先から見た強みと弱み」がありません。
取引先から見て、
- 自社はどの点で評価されているのか
競合に対して、
- 優れている点と劣っている点
を調べます。
これは結構難しいです。
技術の洗い出し
例えば「技術力」は
- 取引先が求める技術
- 自社の持っている技術
- 競合が持っている技術
これらを洗い出します。
しかし技術という定性的なものを見えるような形にするのは大変です。
実際は
取引先が求める技術 →取引先から出た図面・仕様
自社の持っている技術 →受注した図面・仕様、断った、あるいは受注できなかった図面・仕様
自社の持っていない技術 →断った、あるいは受注できなかった図面・仕様
競合が持っている技術 →自社が断った、あるいは受注できなかった図面・仕様で競合が受注したもの
これらを洗い出して俯瞰すれば、見えてくる場合もあります。
品質の洗い出し
取引先が行うまとめるサプライヤーの評価には、仕入先の不良件数や内容がまとめられ、仕入先のランキングがつくられています。
自分の経験(品証部)では、技術的に難易度が高い部品をつくっている仕入先は不良も多かったです。
対して簡単な部品をつくっている仕入先は不良件数が少なかったです。
しかし不良件数が少ないからと言って、簡単な部品をつくっている仕入先の品質が高いわけではありません。
不良件数よりも不良発生後の対処が重要
不良件数が多いことよりも、不良が出た後の対処が問題になりました。
代品の供給や原因分析、再発防止の取組などが仕入先の評価になりました。
不良が出た後の対処が遅く、対策が不十分で不良が再発した仕入先は低い評価でした。
品質の評価は定性的
こういった評価は定性的です。何かデータが出てきて、仕入先を順にランキングして決められるものではありません。
価格が高い原因をPR
リコールや自主回収などメーカーは不良品を販売すれば、多額の費用をかけて対処しなければなりません。
そのため品質に対する要求は厳しくなっています。
それに応えるには仕入先は、品質管理、工程管理、納期管理などの体制を整備しなければなりません。間接部門の人員も多くなっています。
その結果、コストは上がり、自社の適正価格は高くなります。
価格だけで比較すれば、数人の会社で全員作業者の会社の方が低くなります。
そこで取引先の要望に応えて上記のような取り組みをしてきた場合、それを簡単な文書にまとめて取引先にPRすることをお勧めします。
言われないことは、取引先はわかりません。
特に購買は価格だけ見ているからです。
なぜ品質が高いのか、自身もわからない
私の経験ですが、ある仕入先は品質が高く、不良はめったに出ませんでした。しかし工場に行って工程管理や品質管理を監査しても他の仕入先と大きな違いはありませんでした。
違いは人にありました。
この会社では「不良品かもしれない」と思うと、取引先の品質管理部署に必ず連絡してきました。
「気になる傷があるのですが、これは納品してよいか見て欲しい」と品物を送って来ました。
このようなことは他の仕入先ではありませんでした。
こうした品質に対する姿勢、不安があれば必ず確認するという姿勢が高い品質の原因だったのです。
しかしこれは仕入先自身も気づいていません。このように強みをみつけるのはなかなか難しいようです。
内製部門が競合
特殊な設備や工程があるため、競合となる仕入先がない場合があります。
ところが取引先が内製できました。
つまり取引先の内製加工部門が競合だったのです。
これは双方で誤解があります。
内製加工の原価は低くなる
取引先は仕入先の見積と内製加工部門の価格を比較します。そして内製加工した方が安くなります。仕入先に
「内製すれば○○円、○○円より高ければ内製する」
と言います。
なぜそうなるのでしょうか?
原因は見積条件が違うためです。
内製加工品は社内で取引されるため、外注品のような販管費や利益が含まれません。
(社内販売価格と社外販売価格の違いは【製造業の値上げ交渉】14. なぜ取引先は販管費が高い、利益が多いと言うのだろうか?を参照願います。)
従って見積の基準が違うため、同じ時間、同じ人件費で製造しても外注加工の方が高くなるのです。
なぜなら内製すれば、内製品の価格は製造原価だけです。しかし外注加工品は仕入先の販管費や利益が製造原価にプラスされます。
ただし実際は、仕入先の人件費や工場の経費が取引先よりも低いことが多く、外注化すれば原価が下がることも多いのです。そのため取引先、仕入先のどちらも外注化すれば安くなると誤解します。
しかし理論的には製造原価が同じであれば、外注すれば高くなるのです。
内製しない理由
本当に安くつくりたければ、取引先は内製すべきです。
なぜ内製しないのでしょうか?
理由は、内製には人や設備が必要だからです。現在の人や設備で製造できなければ、増員や設備投資が必要です。その結果、固定費が増えます。
人は、派遣社員を活用すれば使えば変動費にできます。しかし設備が足らなければ設備投資を行わなければなりません。その分固定費が増えます。設備が高価であれば資金も必要です。さらに減価償却費が増えて利益が減少します。
しかも設備は一旦導入すれば償却が終わるまではずっと稼働しなければ設備投資を回収できません。製品や技術の変化の激しい今日、償却が終わるまでその製品を生産する保証はありません。
従って取引先は、設備投資や増員が必要な製品は外注化できれば外注化しようとします。
これは言い換えれば、設備投資の必要な部品を外注化することは、設備投資のリスクを外部に移転することです。
内製化の課題を理解して交渉
つまり取引先は内製すれば安くても内製するとは限りません。
そこでこのような場合、まずは適正な原価計算を行い、自社の適正価格を計算します。
そして取引先と価格交渉します。
取引先が自社の内製価格を出して「社内なら○○円でできる」と言う場合、自社の適正価格を主張します。
そして、自社に発注しなければ、取引先は設備投資をしてまで内製するのか、それとも「だったら内製する」と言う言葉が本当かどうか、その可能性を見極めます。
経営コラム【製造業の値上げ交渉】の記事は下記リンクを参照願います。
経営コラム【製造業の原価計算と見積】の記事は下記リンクを参照願います。
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経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
ものづくりはどのように変わっていくのでしょうか?
未来の組織や経営は何が求められるのでしょうか?
経営コラム「ものづくりの未来と経営」は、こういった課題に対するヒントになるコラムです。
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【製造業の値上げ交渉】20. 値上げのチャンスとは?
材料費、人件費、エネルギー費など様々な費用が上昇し、値上げは避けられません。しかし規模の劣る中小企業が取引先と値上げ交渉するのは困難さが伴います。
そこで国は中小企業を支援すべく様々な施策を打ち出しています。
この国の取組については【製造業の値上げ交渉】】19. 下請法や国のガイドラインを値上げ交渉に活かす方法で説明しました。
2024年には国は仕入先からの適正な値上げを認めないのは「下請法違反」という見解を示しています。
そのため取引先も仕入先からの値上げを認めざるを得ない状況にはなってきています。
値上げのチャンスとは?
それでも値上げはなかなか大変です。ところが値上げを認めてもらえる絶好の機会があります。それは
- 特急・短納期
- 発注先の仕様変更・設計変更
- 他社ができないもの
なぜ値上げのチャンスなのか?
それはこのような時は、価格が高くても価格以外の事情が優先されるからです。
ところがこのような機会を活かしきれない企業もあります。
こういった機会があってもそれを活かして値上げしなければ、利益は変わりません。
ではどうすればいいのでしょうか?
値上げの機会を活かす1 特急・短納期
取引先がとても短い納期で依頼することがあります。
このような超短納期でつくるためには、今ある製品を止めて割り込ませたり、残業や休日出勤で対応したりしなければなりません。できればやりたくない仕事です。
取引先の事情
こうした場合、取引先には超短納期で手配しなければならない事情があります。例えば
(1) 試作・開発品
開発日程に間に合わせるために、どうしても○日までのこの部品が欲しい
試験・評価中に問題が見つかった。至急対策品をつくって確認したい。
(2) 生産中のトラブル
新機種を立上げ中に問題が発生。至急対策品をつくらないと生産が止まってしまう。
(この対策品は、製品の部品、製造設備の部品、治具や金型の部品など様々)
(3) 市場クレーム
商品が市場で問題を起こした。至急対策品を評価して切り替えなければならない。
あるいは至急対策品に切り替えないと生産が止まったままになっている
超短納期では部品コストよりも損失金額がはるかに大きい
特急・短納期を依頼する背景にはこういったことがあります。いずれにしてもこの問題の損失金額は大きく、早く解決しないと損失は膨らむ一方です。
従って最も重要なのは、必要な納期に「良品を確実に入れてもらうこと」です。価格は二の次です。
【私の経験】
週末に問題が分かり、どうしても答えが月曜日までに必要になりました。評価チームは土曜日に出勤することになりました。ところが評価に使う部品の形状に問題があり、修正が必要でした。
金曜日の夜、購買の担当者と一緒に仕入先に行って修正してもらい、形状を確認して土曜日の評価に間に合わせました。
金曜日中に修正できなければ、評価チームが土曜日に出勤しても無駄になってしまいます。さらに評価結果が1日遅れれば工場の生産が1日止まってしまいます。生産を1日止めれば損失金額は何百万円にもなりました。
(これが自動車メーカーでは1日で何億円にもあります。)
必要なのは価格よりも…
このような場合、超特急で依頼したものの価格が普段の2倍であっても問題ではありません。問題なのは急いでつくったものが不良品の場合です。
実際、超特急でつくったものを組込みテストした結果、いいデータが取れなかったことがありました。そこで部品を調べたら、寸法が図面公差から外れた不良品でした。仕入先に作り直してもらい、再度評価しました。これで数日時間を失いました。
超特急で1個だけつくる場合、その工程は普段とは違う工程です。うっかりミスしやすいのです。
せっかく急いでつくったのに、不良品であれば、評価にかけた時間が無駄になり、再度作り直すために、時間もかかります。損失はさらに膨らみます。
だったら高くてもちゃんとしたものをつくってくれるところに頼みたいと思います。
購買は背景を知らない場合
超特急で間に合わせるため、仕入先は他の仕事を止めて人手をかけてつくります。当然高くなります。
ところが後日仕入先から請求書が来ると、購買の担当者から私に
「こんなに高い請求書が来たけど、これは合っているのか」
と問い合わせされることがありました。
通常の納期であればあり得ない高い値段でした。
しかし上記の背景を考えれば、納期通りに良品を入れれば、金額は問題なかったのでした。
最初に値段を言う
そこで超特急・短納期で受注する際は
「最初に価格を言っておく」
ことです。
取引先が抱えている問題や損失の大きさを考えれば、部品が少々高くても問題ありません。しかもその納期でつくってくれるところは他にないのです。
しかし価格を言わなければ取引先はこれまでと同じ価格だと思います。そこで最初に値段を言えば後でもめることはありません。
今は下請法があるため価格を明記しなければ取引先は発注できません。従って最初の交渉が重要です。
そこで事前に特急・短納期は、何割増しと決めておきます。そして価格が合わなければ、受注する前に交渉します。特急でつくるのは現場にも負担がかかりますし、他の製品の生産にも影響します。
それでも儲かるような価格にします。
もし低い価格を強要される場合、他の仕入先にやってもらえばいいのです。
しかし中には、取引先の依頼を聞くと「なんとか間に合わせたい」と考え、材料手配やどうやってつくるかを真っ先に考えてしまう仕入先もあります。そして値段の交渉をしないでつくってしまいます。
高くなる理由は必要
高い値段をつけた時、
「なぜ通常納期に比べて、これだけ高くなるのか」
取引先から聞かれるかもしれません。その時に理由が言えなければ、取引先の購買も納得しません。理由は、
1個だけつくるために段取時間やプログラム作成時間、準備時間が余分にかかる、
作業者を2人投入など、
取引先が納得すればなんでもよいです。
発注先の仕様変更・設計変更
仕様変更や設計変更で価格が上がる要素があれば、値上げのチャンスです。
適度な値上げ
新規に受注する場合、厳しい指値や相見積の競争で受注までに適正価格よりも値下げしたかもしれません。そこで設計変更の機会に少しでも利益を戻したいところです。
そこで上げすぎと思われない程度に値上げをします。その際、「どうしたこの値段になったのか」取引先に聞かれた場合、説明できるようにします。
交渉力は選定
価格交渉の最大の力は「選定」です。
取引先は新規に発注する際は相見積を行い、購買は選定という力を駆使して仕入先を競争させ価格を引き下げます。
しかし仕様変更や設計変更が出た時点では、仕入先の選定は終わっています。値上げ金額が高いからといって、仕入先を変えるのは大きなエネルギーが必要です。しかも値上げを認めざるを得ない理由があります。
新規に受注する場合は、相見積で価格を比較されますが、設計変更の値上げは比較する対象がありません。そこで取引先が納得する理由を述べて、上げすぎと思われない程度に値上げすれば、値上げは通る可能性があります。
他社ができないもの
価格交渉で発注先が最も交渉力を発揮できるのは、最初の選定の段階です。
どこでもできるものは発注側の力が強い
その製品をつくれる仕入先は数多くあり、どの仕入先も供給能力が十分あれば、発注側の力は強くなります。相見積で価格を競わせ、最も安いところに発注できます。
そういった仕入先が少なければ価格競争は弱くなります。もし1社しかできなければ仕入先の価格で発注するしかありません。そこが断れば調達できなくなるからです。
これは技術的にできることに加えて、品質と供給能力も必要です。品質が良くなければ不良品のリスクがあります。供給能力が不十分であれば生産に支障をきたします。
ヒントは創意工夫
私の経験では、「他社でできないもの」は長年研究開発した高度な技術でなくてもありました。取引先が困っている課題を一緒に考え工夫して解決すれば、それが他社ができないものになりました。
例えば以下のようなものはつくり方がわからず、仕入先にもアイデアを出してもらって何とか実現しました。
- 薄い金属と薄いゴムを強固に接合
- 細いピンと細いパイプの接合
- うまくクランプできない形状を切削加工
新たな製品を開発する際は、様々な課題が出ます。そこでいろいろとアイデアを出して、テストも行い、解決に協力してくれる仕入先はとてもありがたかったです。
大事なところは見せない
大切なことは、創意工夫した「キモ」の部分は取引先に見せないことです。取引先に見せれば、それは他の取引先に伝わります。他社ができないものでなくなってしまいます。
2社購買が必要な取引先も
自然災害の多い日本は、1社しかできない部品があると、その1社が災害に遭えば部品の供給が止まってしまいます。
そこで1社が災害に遭っても生産が継続できるように、2社発注の体制を進めている取引先もあります。つまり取引先にとっては「他社ができないもの」があるのは都合が悪いのです。
かといって創意工夫した内容を全く見せなければ、取引先から信頼されなくなってしまいます。そこである程度まで見せて、その技術の肝心の「キモ」となる点は隠します。
このノウハウをどこまで見せて、どこまで秘匿するかは、発注先と仕入先の価格交渉の力関係を決める大切な要素です。
(現実には工夫してうまくできたことは嬉々として取引先に話してしまう経営者もいますが…)
一方このような値上のチャンスがいつもあるとは限りません。普段は「値上げするなら他に出す」と脅されます。では取引先は他に選択肢があるのでしょうか?
これについては【製造業の値上げ交渉】21. 少し高くても受注するには1 内製も含めた他の選択肢を参照願います。
経営コラム【製造業の値上げ交渉】の記事は下記リンクを参照願います。
経営コラム【製造業の原価計算と見積】の記事は下記リンクを参照願います。
中小企業でもできる簡単な原価計算のやり方
製造原価、アワーレートを決算書から計算する独自の手法です。中小企業も簡単に個々の製品の原価が計算できます。以下の書籍、セミナーで紹介しています。
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複雑化する社会やシステムとヒューマンエラー その2 ~複雑化するシステムの問題を食い止める組織とは~
その1はこちらで参照いただけます。併せてご覧ください。
複雑化する社会やシステムとヒューマンエラー その1 ~複雑化するシステムの問題を食い止める組織とは~
現代は様々なシステムが複雑化し、さらにシステムの中でそれぞれの機能が密接に結合しています。そのため、些細な失敗が失敗の連鎖を生み、思いがけない事故が起きることを、「複雑化する社会やシステムとヒューマンエラー その1」で述べました。
この問題に対し、どのように対処すればよいのでしょうか?
問題を早期に発見する
密結合のシステムは、小さな問題が連鎖を生み短時間に重大な結果を引き起こします。
それを防ぐためには、問題を早期に発見します。
操作の見える化
最新型の航空機、例えばエアバスA330の操縦桿はジョイスティックです。
対して、アメリカのボーイング737のコックピットには、今でも中央に巨大な操縦桿があります。機首を下げるには操縦桿を前に倒し、機首を上げるには操縦桿を手前に引くという昔ながらの操作です。機長と副操縦士の操縦桿は連動しているので、副操縦士が操縦桿を引けば機長にもすぐに分かります。
2009年エールフランス447便のエアバスA330が大西洋に墜落しました。その5年後にはエアアジア8501便がジャワ海に墜落しました。原因は旋回失速でした。つまり旋回中に機首を上げすぎたためでした。機種を上げすぎた時には、機首を下げれば失速しないのですが、混乱した副操縦士は機首をさらに上げてしまったのです。しかも機長はこの致命的なミスに気付きませんでした。
操作が機長に見えないことが、問題の発見を遅らせたのです。この問題は最新の自動車にもあります。
シフトレバーの位置はどこ?
映画スタートレックの主演俳優アントン・イェルメンは、愛車ジープ・グランドチェルキーから降りた後、勝手に下がってきた車と塀の間に挟まれて亡くなりました。この車は、シフトレバーを動かしてギヤを選ぶと、その後シフトレバーは元の位置に戻ります。そのため、今ギヤがどこに入っているのかシフトレバーを見ても分かりません。イェルメンはシフトをパーキングにしたつもりでしたが、ニュートラルだったのです。実際、パーキングのつもりがニュートラルやリバースに入っていたという苦情が寄せられていました。
「どのように操作したのか一目でわかる」
単純なことですが、そうでないことがヒューマンエラーを誘発し、重大な結果をもたらしたのです。
多すぎる警告の危険
間違った操作、機器の故障、人が気づかない危険を防ぐために、多くの機械は警告を発します。しかし警告が多すぎても混乱します。
ボーイングでは、飛行に有害な影響を及ぼす可能性のある、下記の4項目のうち、高レベル警報を作動させるのはどれとどれでしょうか?
- エンジン火災
- 着陸降下を開始しているのに着陸装置が出ていない
- 空気力学的な失速が差し迫っている
- エンジン停止
答えは「3. 空気力学的な失速が差し迫っている」です。
ボーイングのコックピットでは失速のみ、赤い警告灯が点灯し、赤文字のメッセージがスクリーンに表示されます。操縦桿が激しく振動し、警報音が鳴り響きます。
尚、失速以外の状況では警報音が鳴り響くことはありません。
これは警報システム(に限らずあらゆるシステム)を
必要以上に複雑にして人々を圧倒するな
ということです。
かつて航空機の複雑化が進むと、人の不注意を補うため、あちこちに警告灯や警報装置がつけられました。その結果、コックピット内は頻繁に警告灯が点灯し、警報が鳴り響いていはました。この警告灯や警報がかえってパイロットの注意力や正しい判断の障害となってしまいました。
今は警報が階層化され、日常のフライトではめったに警報は作動せず、あまり重要でない警報にパイロットが圧倒されることはなくなりました。
十分な高さはどれくらいか
海抜約60mの山腹にある宮古市重茂姉吉(おもえあねよし)地区には、130年以上前に建立された石碑があります。
「津波は、ここまで来る。ここから下には、家を作ってはならない」
2011年3月11日の東日本大震災では、1896年三陸沖地震の後に建てられた石碑の100m手前で津波は止まりました。
一方、地震による津波のため福島第一原子力発電所は発電機が浸水、全電源を喪失しメルトダウンを起こしました。福島第一原発の防波堤10mに対し、女川原発の防波堤の高さは14mあり、13mの津波を防ぐことができました。
では、防波堤の高さは何メートルにすればよいのでしょうか。
確率90%に入るのは50%以下
最善のケースと最悪のケースの間の合理的な範囲を考えれば、防波堤を襲う最も高い波は99%の確率で7mから10mに含まれます。
しかし心理学者のドン・ムーアとウリエル・ハランの研究によれば
90%の信頼区間は10回のうち9回はその範囲に入るはずなのに、実際には
真値が含まれる確率は50%以下
であると、予測の研究から述べています。
解決策① 主観的確率区間推定法
そこでムーアとハラン、キャリー・モアウェッジは、主観的確率区間推定法(SPIES : Subjective Probability Interval Estimates) で、両端だけを考えるのでなく、起こりうる複数の結果の確率を予測すべきと提言します。
主観的確率区間推定法とは、データから得られた情報に加えて、事前に持つ確率的知識を加味して、パラメータの値の区間を推定する方法です。従来の統計学では、データから得られた情報のみに基づいて、区間推定を行います。しかし、この方法では、データが限られている場合や、データの質が低い場合、正確な区間推定が難しい場合があります。
主観的確率区間推定法では、データから得られた情報に加えて、事前に持つ確率的知識を加味することで、より正確な区間推定を行うことができます。主観的確率区間推定法には、以下の2つの方法があります。ベイズ統計学に基づく方法
ベイズ統計学では、事前に持つ確率的知識を事前分布として表現します。そして、データから得られた情報に基づいて、事前分布を更新し、推定結果を導きます。事前分布を用いない方法
事前分布を用いない方法では、データから得られた情報のみに基づいて、区間推定を行います。しかし、この方法では、事前に持つ確率的知識を加味できないため、正確な区間推定が難しい場合があります。主観的確率区間推定法は、従来の統計学よりも正確な区間推定を行うことができるため、さまざまな分野で活用されています。主観的確率区間推定法のメリットとデメリットは、
メリット
・従来の統計学よりも正確な区間推定が可能
・事前に持つ確率的知識を加味できるデメリット
・事前分布の設定が難しい
・計算が複雑になる可能性がある主観的確率区間推定法は、事前分布の設定が難しいというデメリットがあります。しかし、事前分布を適切に設定することで、より正確な区間推定を行うことができます。
まず全ての起り得る結果を網羅するように区間を設定し、
次にそれぞれの区間の確率を推定し書き出していきます。
これらの推定確率を元に、以下の表のように信頼区間を推定します。
区間(プロジェクトの長さ) | 推定確率 |
1か月未満 | 0% |
1~2か月 | 5% |
2~3か月 | 35% |
3~4か月 | 35% |
4~5か月 | 15% |
5~6か月 | 5% |
6~7か月 | 3% |
7~8か月 | 2% |
8か月以上 | 0% |
例えば、90%の信頼区間を求める場合は、上から合計確率が5%になる信頼区間を切り捨てます。同様に下から合計確率が5%になる信頼区間も切り捨てます。残ったものが90%の信頼区間になります。SPIESを用いた結果、ある研究では、従来型の90%区間に真値が含まれる確率が30%だったのに対し、SPIESで算出した区間の的中率は74%でした。
つまり従来の客観的確率で99%とされていたものは、もっと低いかもしれないのです。逆に客観的確率ではめったに起こらない高さの津波は、もっと高い確率かもしれないのです。
なぜ正確な予測が困難なのか?「意地悪な環境」の難しさ
津波のような自然災害は、社会インフラのコストに影響するため多くの専門家が高度なモデルを使って推定します。しかし津波のようなめったに起こらないことは学習ができません。これを心理学者は「意地悪な環境」と言います。実際に起きなければ、予測や決定がどれだけ正確だったか確認できません。しかも自然災害の予測は、わずかなミスも許されません。
これに対して、気象予想の専門家は常にフィードバックを受けています。日々予想の正しさを確認しています。これを心理学者は「親切な環境」といいます。結果について頻繁にフィードバックが得られるため、正しい決定のためのパターン認識能力が身につく環境です。
これに対し、「意地悪な環境」では専門家でさえ、自分の決定が正しいかどうか、確認できません。つまり専門知識を身につける機会が限られています。ある実験で、出入国審査官がパスポートの写真を見て別人を通す確率わ調べました。結果は7回に1回、これは実験に参加した学生と変わりませんでした。
解決策② 選択を構造化
家を買うとき、様々な家を見るとそれぞれ特徴があります。どの家が「最適な選択」でしょうか。ある家のとても素敵なベランダに心惹かれて、他の欠点は無視してしまうかもしれません。
「ペアワイズ(2因子間網羅)」を使えば、ある特徴に引っ張られることなく、総合的な評価ができます。
ペアワイズとは、組み合わせテストの技法の一つで、2つの因子のすべてのペアについて、取り得る値の組み合わせを網羅する手法です。ソフトウェアの不具合の多くは1つまたは2つの因子の組み合わせによって発生する、という経験則に基づいて、すべての因子・水準の組み合わせを網羅するよりも何桁も少ない回数で組み合わせテストを構成することができます。
ペアワイズ法は、以下の2つのステップでテストケースを作成します。
1. テスト対象とする因子と、その因子の水準を特定する。
2. すべての因子のペアについて、それぞれの水準の組み合わせを網羅するテストケースを作成する。
例えば、テスト対象とする因子が「色」と「サイズ」で、色の水準が「赤」と「青」、サイズの水準が「小」と「大」の場合、ペアワイズ法では以下の4つのテストケースを作成します。色:赤、サイズ:小
色:赤、サイズ:大
色:青、サイズ:小
色:青、サイズ:大ペアワイズ法は、以下のメリットがあります。
・少ないテストケースで効率的にテストを進めることができる。
・ソフトウェアの不具合の大部分を検出できる。デメリットとしては、以下の点が挙げられます。
・因子間に明確な関係がない場合に、必要なテストケースが不足する可能性がある。
・因子の数が多い場合に、テストケースの数が多くなる。ペアワイズ法は、ソフトウェアの不具合の多くを効率的に検出できる有効なテスト技法です。しかし、因子の数や因子間の関係を考慮して、適切に活用することが重要です。
家を選択する場合、リストからランダムに選んだ2つの項目を次々に表示し、自分にとって大切な方をクリックします。この選択を数十回行い、各項目につき0~100までのスコアを算出します。これに対し重みづけをして総合的に評価します。
シアトルに住むリサとその夫は家を買うときにこのペアワイズを使用しました。結果、気に入った家の評価が意外と低く、平均的な不満の少ない家が見つかりました。この手法のおかげで費用面的な細部にとらわれずに済みました。(表2)
表3 家を買うときに行ったペアワイズ
基準 | 重み | 家D | 家J | 家T |
間取り(3ベッドルーム+ゲストルーム) | 89 | 1 | 1 | 1 |
動線の良さ | 79 | 0.5 | 1 | 0.5 |
開放感 | 73 | 0 | 1 | 1 |
プレハブを増築できるか | 67 | 1 | 1 | 1 |
戸外や自然環境との一体感 | 62 | 1 | 1 | 0.5 |
家の雰囲気 | 62 | 1 | -1 | 0.5 |
大規模な改修が不要 | 61 | 1 | -0.5 | 1 |
お得感 | 53 | 0 | 0 | 0.5 |
親しみやすい土地柄 | 65 | 0 | -1 | 0.5 |
近隣地域の質 | 57 | -1 | -1 | 0 |
近隣住民の雰囲気 | 54 | -1 | 0 | 0 |
加重和(722点満点中) | 269.5 | 155.5 | 450.5 | |
合計スコア(722を100%とした割合) | 37.3% | 21.5% | 62.0% |
※注 2人はプロセスを簡素化するために、評価がとても低かった基準を省いた
頭の中に12もの項目を一度に入れておくのは難しいですが、このツールがあればすべてを組み込んだ全体像をつかむことができます。
解決策③ 死亡前死因分析
プロジェクトが失敗すると、何が問題だったのか、なぜ失敗したのかを検討するための教訓セッションが行われます。医療でいう、死亡後死因分析のようなものです。ゲーリー・クラインは以下のように考えました。
これを事前に考えてみてはどうだろう? プロジェクトを開始する前に、こう宣言するのだ。「今、水晶玉を覗いてみたら、プロジェクトが失敗していました。大失敗です。さてみなさん、少し時間をとって、なぜプロジェクトが失敗したのかを考え、その理由をすべて書き出してください。」
これは心理学者が「先見の後知恵」と呼ぶもので、つまり出来事がすでに起こったと想像することで頭に浮かぶ後知恵です。この先見の後知恵を用いると、特定の結果が起こる理由を見抜く能力が高まります。
例 卒業を控えた60人に今後母校の成功を脅かす最大のリスクを書いてもらいました。学生には2種類の質問をしました。
(#1) 少し時間を取って、今後2年間に当校の存続や成功にとって最大の脅威となるかもしれない要因や動向、出来事を考えてください。頭に浮かんだことをすべて書き出してください。
(#2) 今は2年後だと想像してください。当校は大苦戦していて、最近の卒業生であるあなたは悪いニュースをしょっちゅう見聞きしています。実際、大学はビジネスモデルの閉鎖さえ検討しているほどです。では少し時間を取って、この結果をもたらした要因、動向、出来事を想像してください。頭に浮かんだことをすべて書き出してください。
表 質問の回答
バージョン#1の質問の回答 | バージョン#2の質問の回答 |
学生の実地研修が足りない。他大学の学生に比べて実地スキルを学ぶ機会が少ない | アカデミックなことに力を入れすぎて、実践的なスキルや就職支援などに手が回らない |
他校のプログラムとの差別化が図れず、毎年卒業生がよい仕事に就けない | 学生のカンニングなど学術スキャンダルによって、大学の評判が傷つく |
<教室での講義と実際の職業経験とを結びつけていない/td> | 多くの卒業生が就いてきた新卒向けの仕事が、人工知能に取って代わられる |
他校に比べて卒業生を採用する企業が少ない。就職準備のサポートが不十分 | 自然災害による公社の損壊。法律改正により海外留学生のビザ取得が困難に |
他校との競争や、全般的な経済不安 | 他校の実地研修が拡充する。オンライン教育により対面での授業が時代遅れになる。経済学部の応用プログラムにビジネススクールの優秀な学生が奪われる |
バージョン#1の回答と、バージョン#2の回答には明らかな違いがあります。バージョン#1の結果を想像しなかった場合に比べて、バージョン#2ではより多くの理由を思いつき、しかもそれらはより具体的で正確でした。
解決策④ 予測能力・直観力を磨く
【2秒早く予測】
アイスホッケー選手ウェイン・グレツキーは、1981~1982年のシーズンで92得点というNHL記録を打ち出し、NHL史上最高のプレイヤーと呼ばれました。ウェインは身長180cm、体重77kgとNHL選出しては小柄でしたが、他の選手よりも2秒早くリンク上の展開が読めました。
ウェインは「パックがある場所へ滑るのでなく、パックが向かうはずの場所に滑り込む」と述べています。
チームメイト グラントファーは「彼は試合の動きが読めるんだ。他の選手はそんなこと考えもしない。不可能だと思っているからね。なのに彼はそれをやってのけるのさ。同僚選手に向けてでなく、スペースへとパスを出す。誰かがそこを滑るはずだし、その位置からなら得点できるとわかっている。だからパックをそこへ送り出すわけだ」と話しています。
【自分と会社が一体という感覚】
シリコンバレーの投資家 元ネットスケープ・コミュニケーションズのベン・ホロウィッツは、ラウドクラウドのCEO時代、データを見るのではなく自社についての知識を頭の中に詰め込んでいました。
製品、顧客、従業員、課題や脅威などの情報が頭の中をうまく流れるようにしていました。ホロウィッツは自分が会社と一体だという感覚で仕事を行っていました。
そのため、難題が持ち上がっても打つべき手が瞬時に頭に浮かびました。
ホロウィッツはこの感覚を持った人材をタイプ1の人材と呼びました。企業への投資はタイプ1の人材がいるかどうかで決めていました。
一方、企業にとってはタイプ1とは違うタイプ2の人材も必要であり、細かい点に注意を払って実行役を果たすと考えていました。ただしタイプ2の人材は想定内の話しかできません。
CEOが完全な情報をもとに判断を下すことはあり得ないため、これまでの経験から複雑で巨大な情報のかたまりを脳内で咀嚼し、解決策を即座に判断できます。また、見過しがちな変化やチャンスに注意を払うことができます。
【とにかく行動】
ボストンのトーマス・メニーノ市長は、支持率は72%で、2009年5期目の再選を果たしました。
メニーノ市長はひっきりなしに街に出て、世論調査はせず、コンサルタントにも頼らない方針でした。泥臭い仕事を自分でこなし、「熟考より行動」を重んじていました。その積み重ねでメニーノ市長は自分の判断がどんな影響を及ぼすのかをほぼ瞬時に見通すことができました。
彼は、1万時間を超える時間をかけてボストンについての予測脳を築きました。
解決策⑤ 小さなミスから学習する
システムが小さなエラーやミス、その他警告サインという形で私たちに投げかける情報から、学習することを欠かさないようにします。
小さな過ちやニアミスから学習する方法をアノマライジングと呼びます。
【ステップ1】
- アノマリー(計画したことと実際に展開する状況との乖離)の収集
- 危険なニアミスの報告の収集
- うまくいっていない物事を発見
- 例えば航空会社は航行中の航空機からも直接データを収集
【ステップ2】
- 指摘された問題に対処
【ステップ3】
- 問題を掘り下げ、根本原因を特定し対処
例 同じ病棟で投薬ミスが繰り返し起こっていた - 調査の結果、看護師たちが立ったまま投薬の準備をする間、何かと邪魔が入って投薬準備がしょっちゅう中断されていた
- 対策として投薬準備室を設けた
- 問題が解明したらヒヤリハットの事例は組織全体で共有
【ステップ4】
- 警告サインを受けて講じた解決策がちゃんと機能しているか検証
例 航空会社での手順ミスが発生した - コックピットにパイロットがもう一人乗り込んでクルーの仕事を見守る
- チェックリスト項目の見逃しや手順の混同がないか確認して対策の有効性を検証
検証を行うことで、解決策が問題を悪化させる事態を防ぐことができます。
組織の中で「報告者が責められるようなことがあれば、システムに生じたまちがいや事故を指摘する人など誰もいなくなる」というような「あやまちを魔女狩りにする」のでなく、学習機会とみなす文化が必要になります。
UCSFの医師ボブ・ワクター氏は、「組織の安全性を測るものさしは、ファインプレーをした人がCEOに表彰されるかどうかではない」
「たとえ勘違いでも声をあげた人が表彰されるかどうかなのだ」
と述べています。
失敗を引き起こす権力
ウィスコンシン大学で、以下のような研究が行われました。
まず、面識のない3人の参加者に学内の様々な問題を議論させます。その後、3人の中からランダムに選んだ1人を評価者に指名し、他の2人について議論の貢献度に応じて点数をつけてもらいます。評価者は選ばれたのがただの偶然であることを知っている状態です。
次に、議論の30分後にチョコレートチップクッキーを差し入れます。
チョコレートチップクッキーは全員分のおかわりがなく、2枚目のクッキーをもらえるのは評価者に選ばれた人だけです。この、「評価をする」というわずかな権力意識が、評価者自身に「自分は2枚目を食べる権利がある」と思わせました。
しかも食べ方も汚く、「脱抑制摂食行動」の兆候が見られました。動物のような食べ方で、他の参加者に比べて口を大きく開けて食べたり、クッキーのかけらを顔やテーブルにこぼしていました。
① 権力意識が現場の直感を阻害する
【他人の意見を聞かない】
前記の研究から、ささやかな権力意識を手にするだけで人は腐敗することが分かります。そして他人の意見を曲解したり却下したりします。「議論で他人の発言を遮る」、「自分の順番でないときに発言する」、「専門家であろうとなかろうと他人の助言を聞き入れない」などの行動を起こす可能性が高くなりました。
権力を持っている状態は、脳に損傷がある状態と少し似ているといえるでしょう。
「権力者は脳の前頭葉眼窩部に損傷を受けた患者とそっくりの言動をとることが多い」
この領域の活動が低下すると、衝動的で無神経な行動をとりがちになります。複雑系では、失敗の前に
失敗が近いことを示す手がかり
が現れます。その多くは役職者より現場の人の前に現れます。しかし彼らは「上司はどうせ聞いてくれない」と思います。声を上げることはありません。
【予兆を妨げる上司】
ウィスコンシン大学のジム・ディタートは従業員の素直な意見を促すために企業が行っている取組を調査しました。その結果「ベストプラクティス」とは程遠い現状が浮き彫りになりました。
「オープン・ドア・ポリシー」は、効果が上がっていませんでした。上司との会話においても、問題の責任は部下にあり、それは乗り越えがたいハードルでした。
ウィスコンシン大学のディタートとパリスは「匿名で意見を言える仕組みにすれば、その背後に『この組織で思っていることを素直に言うのは危険だ』というメッセージが言外隠されている」と指摘しました。
② 開かれていないリーダーシップ
リーダーは何より「人がいかにヒエラルキーに忖度しているか」このことを理解することがとても重要です。前述のディタートは以下のように述べています。
ほとんどの人が意識していなくても、上役のご機嫌を損ねていないだろうか、人間関係を損ねていないだろうか、といつも気にしている。だから上司は、ただ和やかな雰囲気をつくり、オープン・ドア・ポリシーを唱えるだけではだめなんだ。誰かがやってきて声を上げるのを待つんじゃない。自分から行かなくては。会議で誰も反対しないからといって、全員が合意していると思ってはいけない。多様な意見を促そう。部下が意見を言える場を頻繁に設けよう。そうするうちに、声を上げることが特別なことではなくなり、いつものありふれたことになる。
「声を上げるよう積極的に促さないのは、抑えつけているのと同じだ。ネガティブなことをしないというのでは全く不十分なんだ」
しかし、メンバーが声を上げやすいように様々な取組をした結果、根拠のない懸念や的外れの意見まで殺到したらどうしたら良いでしょうか。寄せられるアイデアにはよくないものもあります。ただ文句を言いたいだけの不満分子かもしれません。
素直な意見を促すとき、よいアイデアだけが出てくることはありません。一部の意味のないアイデアで時間を無駄にするかもしれません。そのコストと、とても重要なことを見過すコストをてんびんにかけなければなりません。どちらを大切にするべきか、判断するのはリーダーです。
システムが線形系であれば声を上げることがあまり重要でないかもしれません。失敗は明白で人目に付きやすく、些細なエラーでメルトダウンを引き起こすことはめったにありません。
しかし複雑系では何が起こっているかを把握するのは、一個人の能力では限界があります。その上システムが密に結合していれば、間違いの代償はとても高つきます。
複雑系のデンジャーゾーンでは、少数意見を無視できないのです。
レジリエンスを高める
十分な対策をしても大規模な災害を防ぎきれないもしれません。
レジリエンス・エンジニアリング、認知システム工学のE・ホルナゲルは、大規模な災害が起き、それは防ぎきれないという前提で「被害を最小限に食い止め、早期の復旧を目指すべき」という考え方を提唱しました。(レジリエンスとは弾性力、回復力を意味し、物理学、生態学、心理学で用いられます。)
東日本大震災では、巨大な津波が防潮堤を乗り越えて人命や財産を奪いました。レジリエンス・エンジニアリングでは、ハードウェアだけで津波を100%防ぐのでなく、例え津波が乗り越えても被害を最小限に抑え、そして被害から早期の復旧ができることを目指します。
これは強固なハードウェアに頼るのでなく、社会システムを構築し、人や組織が臨機応変に柔軟に対応することで問題に対処するという考え方です。そのためには事前に様々な場面を想定し、臨機応変な対応ができるような訓練が必要です。
つまり、これまでシステムやルールを守り安全を確保する「第1種の安全」に対して
2被害をできるだけ抑えて、機能の維持と回復に向かう取組は「第2種の安全」と呼べるでしょう。
表 第1種の安全と、第2種の安全の比較
Safety-Ⅰ | Safety-Ⅱ | |
安全の定義 | 悪い方向へ向かう物事ができるだけ少ないこと | できるだけ多くのことが正しい方向へ向かうこと |
安全管理の原則 | 何かが起こった時に、反応し、応答する | 事前対策的、発展や事象を予期するように努める |
事故の説明 | 事故は失敗や機能不全が原因で起こる | 結果によらず、物事は同じ方法で起こる |
ヒューマンファクターの見方 | 責任 | 資源 |
参考文献
「巨大システム失敗の本質」クリス・クリアフィールド、アンドラーシュ・ティルシック 著 東洋経済新報社
「科学技術の失敗から学ぶということ」寿楽浩太 著 オーム社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
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複雑化する社会やシステムとヒューマンエラー その1~複雑化するシステムと密結合が起こす事故~
現代は様々なシステムが複雑化し、さらにシステムの中でそれぞれの機能が密接に結合しています。
そのため、些細な失敗が失敗の連鎖を生み、思いがけない事故になってしまいます。
小さな失敗と思いがけない事故
スリーマイル島原子力発電所事故
1979年3月28日アメリカ ペンシルベニア州のスリーマイル島にある原子力発電所で事故が起き、炉心溶融(メルトダウン)という重大な結果になりました。
きっかけは保全のために、2次冷却水系のイオン交換樹脂を交換したことでした。この作業中、弁を制御する圧力空気の経路に少量の水が混入しました。
これが原因で主給水ポンプ、復水ポンプが停止し、発電用タービンが緊急停止しました。
その結果、一次冷却系の圧力が上昇しました。そのため原子炉は自動的に核反応を停止(制御棒を炉心に全部挿入)しました。
しか原子炉内では崩壊熱の発生は続き、一次冷却系の圧力は上昇しました。そのためパイロット・オペレーション・リリーフバルブ(PORV)が自動的に作動し、一次冷却系の圧力を下げました。
ところがPORVは故障していました。PROVをオフするように信号が送られましたが、信号がオフになってもPORVの弁が開いたままでした。ところがPORVの弁の開閉を検知するセンサーはないため、計器盤が表示するPORVへの信号のオフから、誰もがPORVの弁は閉じていると思いました。
実際は、原子炉内の冷却水は高温になり、圧力容器内の水は激しく沸騰し気化していました。
これにより気化した蒸気の泡が水位計に流入しました。そのため、水位計は十分な水位を示すという間違った表示をしました。
こうしたことが重なり、オペレーターは炉内で起こっていることを正しく理解できませんでした。
こうした誤った情報から、オペレーターは炉内の冷却水が過剰気味と考えました。
そして緊急給水ポンプを停止してしまいました。PORVから蒸気の放出は続き、ついに原子炉内の炉心コア頂部が露出しました。そして水素の発生と燃料棒被覆の溶解が起きました。
午前6時にシフト交代がありました。交代したチームはPORV近辺の温度異常に気付きました。すぐにPORVのバックアップバルブを閉じましたが、この時すでに120,000Lの一次系冷却水が放出されてしまいました。
結局、炉心溶融(メルトダウン)により、燃料の45%、62トンが溶融ました。このうち20トンは原子炉圧力容器の底に溜まってしまいました。給水回復による急激な冷却によって、炉心溶解がさらに深刻化しましたた。
実際には、最初の配管トラブルと蒸気発生器への給水ポンプの停止から、原子炉内の圧力上昇、PORVの弁の固着とPORVの誤表示までは、わずか13秒の間でした。
その後10分以内に炉心の損傷が始まっていました。
この事故は、操作員のミスと、あとから振り返って初めてわかる「あとになってわかる過失」が重なったために起きた事故でした。
中華航空機事故
1994年(平成6年)4月26日に台湾発名古屋空港行きの中華航空140便(エアバスA300)が名古屋空港への着陸進入中に墜落し、乗員乗客271人中264人が死亡しました。この事故は、日本では日本航空123便墜落事故(死者520人)に次ぐ惨事でした。
事故の原因は、名古屋空港への着陸進入時に、副操縦士が誤って着陸やり直しスイッチ(ゴー・レバー)を押してしまったためでした。
副操縦士が知らない間に着陸やり直しの自動操縦モードになっていたのです。そうとは知らない副操縦士は、着陸のため操縦桿を押して機首を下げようとしました。しかし自動操縦モードは着陸やり直しになっているため機首を上げました。副操縦士がいくら操縦桿を押しても機種が下がらないため、機長は着陸は無理だと判断しました。そして着陸をやり直すため機首を上げようとした時、機体は突然急上昇しました。その結果失速し、墜落しました。
ボーイングに代表されるアメリカ製航空機は自動操縦装置について、「思いがけない事態が生じた際は、いつでも手動操縦に切り替えることができる」という考え方でした。事故機の副操縦士は、ボーイングの操縦経験が長く、このアメリカ製航空機の考え方に馴染んでいました。
それに対しエアバス社は、「人はミスを犯すものであり、それをコンピューター制御によって防ぎ、正しい操縦を行うことで安全性を高める」という考え方でした。かつてパイロットのミスによる航空機事故が何度も起きたため、エアバス社はこういう考え方になりました。
現代の航空機は、コンピューター制御と人の操作の領域が複雑に重なり合っています。その重なり方もボーイングとエアバス社で異なっています。
しかし航空機の操縦は、時には一瞬の遅れやミスが許されない場合もあります。その時、複雑な重なりは、致命的な事故になりかねません。
ひとつのミスが許されない「酸素容器の取り扱い」
1996年5月バリュージェット航空592便の機内で火災が発生、機は墜落しました。
原因は貨物室内にあった酸素発生装置が誤って作動し、貨物室内に酸素が放出され、この酸素が貨物室の火災を引き起こしたためでした。
この酸素発生装置は、バリュージェット航空の下請け整備会社セイバーテック社がアタランタへ飛ぶ592便の貨物に入れたものでした。しかし、酸素発生装置は輸送のための適切な処理がされていなかったのです。
【酸素発生装置の取り扱いルール】
航空機は非常事態の場合、乗客に酸素マスクを提供します。そのため、酸素発生装置(バルブのついた酸素ボンベ)を航空機は積んでいます。これは使用期限が来れば新しいものと交換します。交換した酸素発生装置の取り扱いは「期限切れ」「使用済みでない」の場合は安全キャップをつけなければならないルールでした。しかし、セイバーテック社の整備工は酸素発生装置の使用期限を区別していませんでした。
使用済みと期限切れの関係は表1のようになっていました。
表1 酸素発生装置の処理
使用期限 | 使用の可否 | 安全キャップ |
期限切れ | 使用済み | 不要 |
使用済みでない | 必要 | |
期限切れでない | 使用済み | 不要 |
使用済みでない | 必要 |
もし整備工がバリュージェット航空の作業命令書を読んで、
MD-80型機の分厚い整備用マニュアルの第35-22-01章「h」行から調べていたとしたら、
「酸素発生装置の保管または廃棄」に関する説明にたどり着いていたはずです。
そして、もしも丁寧に選択肢を検討してマニュアルをめくっていたなら、
「すべての使用可能/使用不可な(使用済みでない)酸素発生装置(容器)は、高温や損傷の危険にさらされない場所に保管すること」
を学んでいたはずです。
また、もしも括弧でくくられた「(使用済みでない)」の意味をじっくり考えていたのなら、
「(使用済みでない)」容器が「使用不可」な容器であることを察していたはずです。
しかもセイバーテック社は出荷用のキャップを持っていませんでした。
本来であれば、これらの酸素容器を安全な場所に移し、マニュアルに説明された手順に従って「起動されるべき(バルブを作動して酸素を解放)」だったのです。
ジャーナリスト兼パイロットのウィリアム・ランゲビーシュはこの事故に関して「アトランティック」誌に以上のように書いていました。
安全は、個人の注意力や能力、個々の装置の問題だけではなく、人や設備、運営を含めたシステムの問題も考慮しなくてはいけません。そのシステムが複雑で入り組んでいることが問題なのです。
正解に至る道筋がわかっていても、そこに至る道筋に
様々な分岐や選択肢があれば、正解にたどり着けるとは限らないのです。
さらに現代の事故の原因には、システム内での相互作用があります。
複雑さを増すシステムと密結合の危険
複雑さを増す現代のシステム
イェール大学チャールズ・ペロー氏は、航空機事故から原子力発電所や化学工場の事故を調査し、思いがけない相互作用が発生し小さな失敗が予期せぬ方法で組み合わさって大きな事故を起こすことに気が付きました。
このシステムの脆弱性を以下の二つの変数で表しました。
(1)線形系と複雑系
線形系の例 自動車工場の組立ラインなど製品が順に流れて作業を行うものなど
- シーケンシャルに進む
- 不具合が起きてもどこで発生したかすぐ分かる
- 影響が及ぶ範囲も明確であることが多い
複雑系の例 原子力発電所
- 入り組んだ網に近く、構成要素が相互に影響し合う
- サブシステムが多くの構成要素と結びついている場合が多い
- 一見無関係な要素が間接的につながっているため、何か問題がおきるとあちこちに影響する
- 問題を直接見ることができず、情報は断片的にしか入らない(これは双眼鏡で遠くを見て、足元を見ずに断崖絶壁の近くを歩いているようなもの)
(2)システム内のゆるみの大きさ(結合の強さ)
2番目はシステム内での構成要素の相互の結合の強さです。構成要素間にスラック(緩み)やバッファー(緩衝)がほとんどないものを密結合、スラックやバッファーがある程度あるものを疎結合と呼びます。
密結合と疎結合
構成要素間にスラック(緩み)やバッファー(緩衝)がほとんどないため、ひとつの構成要素の不具合が他に影響を及ぼしやすい。この状況を密結合といいます。
【密結合の例 原子力発電所】
ものごとを正しく行うだけでは不十分です。正確な量のインプットを決まった順序で、決まった期間内に行わなければいけません。失敗してもやり直すことはできず、代用品や代替品がうまくいくことはありません。
つまり、ものごとを正しく行う方法は一つしかない状態です。
いろいろなことがあっという間に起こり、問題を解決する間システムを停止させておくことはできません。
原子力発電所の核分裂反応の制御がまさにそうです。
核分裂反応は特定の条件がそろう必要があります。正しいプロセスからわずかに逸脱しても問題が起きます。問題が起きてもシステムを一時停止できません。核分裂反応は連鎖し独自のペースで進行し続けます。もし中断できても崩壊熱はその後も発生し続けます。そして過熱した原子炉には直ちに冷却水を注入しなければなりません。タイミングが遅れれば炉心融解に至りかねません。
【疎結合の例 航空機製造工場】
尾翼と胴体は別々に製造されます。片方に問題起きても、二つの部分を結合する前であれば修正できます。しかもどちらを先に製造しても構いません。何か問題が起これば、その部分の製造を中断すればよく、後から作業を再開できます。
これを図にまとめると以下のように表せます。
郵便局や大学は疎に(緩く)結合しています。物事を正確な順番で行う必要はなく、問題を修復する時間も十分にあります。
ただ郵便局に比べて大学は入り組んだ官僚制機構です。非常に多くの部門と、部署、役職、規則、そし研究者や教員、学生、事務員などて様々な動機を持った人がいます。そのため相互の関係は複雑で予測不能な状態で結びついています。
ただし大学の場合は疎結合です。時間をかけて柔軟に問題に対応することができます。しかもある学部の問題は他の学部に影響することは稀です。社会学部のスキャンダルは医学部に影響を及ぼしません。
この結びつきの「固い」と「弱い」の違いを表2に示します。
表2 「固い」結びつきと「弱い」結びつきの比較
固い結びつき | 弱い結びつき |
作業過程における遅延は不可能 | 作業過程における遅延が可能 |
手順の順序は変えられない | 手順の順序は変えられる |
目標を達成する方法は1つだけ | 代替的な方法がある |
資材、装置、従事者における「たるみ」は少しだけしか許されない | 資材、装置、従事者における「たるみ」は許容可能 |
以上の緩和策や予備手段はあらかじめ周到に組み込まれている | 緩和策や予備手段はケースバイケースで用意できる |
資材、装置、従事者の代替は限られているか、あらかじめ用意しておくしかない | 資材、装置、従事者の代替もケースバイケースで対応できる |
危険なのはマトリックスの右上
ペロー氏は、システムがメルトダウンを引き起こすのは、複雑系と密結合の組み合わせと言います。
複雑系では小さなエラーは避けられません。そしていったん歯車が狂い始めるとシステムは不可解な兆候を見せます。手を尽くしても問題を正しく診断するのは容易でありません。時には間違った問題を解決しようとしてしまいます。そして事態をさらに悪化させます。この時、密に結合されていれば、倒れ始めたドミノを止められません。失敗は制御不能になってしまいます。
ペロー氏はこの種のメルトダウンを
「ノーマルアクシデント(起こるべくして起こる事故)」
と名付けました。
ここでノーマルとは、頻繁に起こるという意味でなく、当たり前で避けがたいという意味です。
ペロー氏によればこのノーマルアクシデントは
「安全を期すためにどんなに力を尽くしても、(複雑な相互作用のせいで)複数の失敗の思いがけない相互作用が、(密結合のせいで)失敗の連鎖を招いてしまうような状況」
と定義しました。
こうした事故は
起こってはいけないことが起こったのではなく、
こういった複雑なシステムでは頻度は非常に低いが「起こるものである」
とペロー氏は主張しています。
金融 コンピューターによる高速取引プログラム
金融での複雑性と密結合
2012年8月1日、ニューヨーク証券取引所で製薬会社ノバルティスの株が乱高下しました。その結果、10分間で1日分の取引が行われました。しかも同様の不可解な動きがGMやペプシなど主要銘柄でも起きました。
原因は、大手証券取引仲介業者ナイト・キャピタルのシステムが誤発注したためでした。ナイト・キャピタルはまるで市場を相手に「手札を全部さらしてポーカーをしている」かのようでした。ナイト・キャピタルは、毎分1500万ドル強の損失が発生し、損失合計は5億ドルにも上りました。
密結合ではひとつのミスが命取り
2011年11月に個人投資家流動性プログラム(RLP)という新制度が導入されました。それに対応するため、ナイト・キャピタル社はプログラムを改修しました。RLPに対応するためのフラグを、以前は使用していたけど今は使用していない「パワーペグ注文」というフラグを使いました。すでにパワーペグ注文のコードは無効にしてありました。プログラマーはRLPに対応したプログラムを8台のサーバーに導入しました。ところが1台のサーバーはプログラムを入れ忘れました。
8月1日新しいプログラムが稼働すると、新しいプログラムをインストールしなかったサーバーは、RLPに対応したフラグを古いパワーペグコードと受け取り、パワーペグコードで決定した価格で注文を毎秒数百件の速度で出し続けました。しかもこの異常な注文は、システム画面に表示されず、誰も気づきませんでした。
ナイト・キャピタル社は、このたった1日のトラブルで破産しました。
こんなことは、原子力発電所や証券取引ぐらいで、自分たちには関係ないと思うかもしれません。
ところがシステムの複雑性と密結合は、今や私たちの身近なところにもあるのです。
複雑性と密結合の増す製品
ATMをハッキング
ホワイトハッカーで、セキュリティの専門家バーナビー・ジャックは、2010年ハッカーの年次国際会議でATMのハッキングをデモンストレーションしました。
車を止める
ハッカーのチャーリー・ミラーとクリス・バラセクは、「ワイヤード誌」の依頼でジープ・チェロキーのハッキングをデモンストレーションしました。チェロキーのエンターテイメントシステムに、モバイルネットワークから侵入し、車載コンピューターにアクセスしました。そして走行中の車のエンジンを停止させました。記事掲載から3日後、クライスラーはセキュリティの脆弱性を認め、140万台をリコールしました。
今ではこれまでオフラインだった自動車やATMがオンラインでつながっています。そのためセキュリティ上の脆弱性が増しました。加えてIoTでこれらの機器の上位システムともつながっています。今後、自動車、家電製品、工場内の設備など多くの機器もネットワークにつながり、相互に影響しあうようになっていきます。しかも私たちは途中過程を見ることができません。
システムの複雑性と密結合が強化され、思わぬ結果が起きる可能性は高くなっているのです。
一方、巨大な組織は、多くのメンバーが複雑に役割分担しています。こういった複雑な組織でも問題は起きます。
よい人がみんなで起こす悲劇
1986年1月、スペースシャトル『チャレンジャー号』は、打ち上げ73秒後に空中分解しました。低温のため補助ロケットの接合部分を密閉する部品(Oリング)から燃料が漏れ爆発しました。Oリングメーカー サイコオール社の技術者ボイジョリーは低温での危険性を指摘し、打ち上げ延期を主張していました。
しかしNASAの責任者は、『チャレンジャー号』の打ち上げが何度も延期されたこともあり、「気温12度? 春まで待てと言うのか!」と声を荒げました。
この事故についてアメリカの組織社会学D・ヴォーンは、関係者への聞き取りや関係文書の収集・調査を行いました。その結果、Oリングのリスクはサイコオール社だけでなくNASAでも共有されていることがわかりました。このようなリスクがあるのにも関わらず、正式な実験や安全審査の手続きを経て、打ち上げは決定されました。
つまり、この事故の真の原因は、はたから見ればルールや常識に外れたことでも、当事者たちはおかしいと思わず、当たり前のように振る舞っていたことでした。
しかもNASAのような専門的な業務は、高度に専門分化しています。担当者は自分たちの業務に長い経験を持つため、部外者には問題点分かりません。D・ヴォーンはこれを「構造的な秘密性」と呼びました。
これまでNASAは、NASAという組織の規則や慣習に従い、プロジェクトがうまくいくように取り組んできました。そのため、ボイジョリーのような部外者が直感で中止を訴えても、それは仕事の円滑な遂行を妨げるだけだとNASAは考えました。D・ヴォーンはこれを「逸脱の常態化」と呼びました。
これによる事故を防ぐには定期的に「外部の目」を入れます。今回の事例では、NASAやサイコオール社の別の部署の技術者に意見を出してもらうことです。同じ組織でも別の部署や異なる業務をしていれば「逸脱の常態化」に気づくことができます。
平穏無事に潜む危険
イギリスの心理学者・安全研究者 J・リーズンは、多くの組織で生産性と安全性のせめぎあいから、安全性が削られていると考えました。しかし大事故が起こるまでは平穏無事な状態です。そののため、小さなトラブルや軽微な事故が起こっても抜本的な解決はされないままでした。
こうした潜在的な危険を封じ込めるため企業は安全対策を重ねます。これは防護壁を何重にも張り巡らせている状態でか。これを「深層防護」と呼びます。リーズンは一見すると安全な深層防護の「平穏無事に潜む危険」が大事故を引き起こすと主張しました。様々な安全対策やルールによる深層防護壁も、実はヒューマンエラーやルール無視があれば穴が開いた状態です。これは図5のスイスチーズにたとえられます。
大事故が起きると「以前から問題があった」「いつか事故が起きると思っていた」という証言が出ます。その一方で7年間無事故など、それまでは安全に問題はありませんでした。これは防護壁が穴の開いたチーズであることを示しています。
リーズンは、「高度な深層防護はシステムをより複雑にし、その管理者や運転者にとって、システムが不透明なものになってしまう」ことを指摘しました。
その原因は、組織の文化に起因します。
組織全体で安全を高めようとする組織文化を「安全文化」と呼びます。これは次の4つの要素からなります。
-
報告する文化
組織の中で安全に対する情報を積極的に共有する - 公正な文化
するべきこと、やっていいこと、してはいけないこと、この3つの境界線が明確で、これらを行った場合の顕彰や処分に対し構成員は納得している - 柔軟な文化
時と共に変化する要求や、危機の際の突然の要求にも、必要な役割や権限をすぐに調整できる - 学習する文化
現状に満足せず、経験や情報を活かして、ときには手直しもいとわない姿勢
では、この安全文化は具体的にはどのように取り組めばよいのでしょうか、これについては次の経営コラムでご案内します。
参考文献
「巨大システム失敗の本質」クリス・クリアフィールド、アンドラーシュ・ティルシック 著 東洋経済新報社
「科学技術の失敗から学ぶということ」寿楽浩太 著 オーム社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
ものづくりはどのように変わっていくのでしょうか?
未来の組織や経営は何が求められるのでしょうか?
経営コラム「ものづくりの未来と経営」は、こういった課題に対するヒントになるコラムです。
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危機管理とBCP~企業経営の本当のリスクと、それに備えるリスクマネジメントとは?~
日本は地震、豪雨や台風による水害や土砂崩れなど、災害が多い国です。
災害は時には企業に大きなダメージを与えます。災害の規模によっては事業の継続が困難になることもあります。
この時、万が一に備えた事業継続計画(Business Continuity Plan : BCP)があれば、災害を乗り越え事業をスムーズに再開できます。
ただし自然災害以外にも事業リスクあります。つまりBCPだけでは万全ではありません。
ではどうすればよいのでしょうか。事業のリスクとは何でしょうか?
企業経営の危機管理についてまとめました。
リスクとリスクマネジメント
危機や危機管理に関して、リスクマネジメント、クライシスマネジメント、リスクアセスメントなどの言葉があります。
これはどのような意味でしょうか?
そもそもリスクとは何でしょうか?
リスクとは
リスクとは、
「将来いずれかの時に起こる不確定な事象とその影響」
を意味します。
一方日本語ではリスクは
「何か悪い事が起きる可能性、予想通りにいかない危険、危機が起きる確率など『危険』や『危機』」
を指します。
【リスクの語源】
英語 risk の語源はラテン語の risicare で、「(悪い事が起こる可能性を承知の上で)勇気をもって試みる」という意味です。
このようにリスクは、様々な意味があります。また分野によっても定義が違います。
【経済学でのリスク】
経済学では、ある事象の変動に関する不確実性を指します。また金融理論では変動の大きさをリスクと呼びます。そして経済学では悪いことだけでなく良いこともリスクです。
【工学でのリスク】
工学分野でリスクとは「ある事象生起の確からしさと、それによる負の結果の組合せ」を指し、JIS Z 8115「ディペンダビリティ(信頼性)用語」で定義されています。この場合、リスクはマイナスの要因のみを指します。
【リスクとハザード】
工学ではリスクと並んでハザードという単語も使われます。「リスク」と「ハザード」は同じ意味としても捉えられますが、リスクアセスメントの観点では以下の違いがあります。
- ハザード :自然災害、停電、劣化などによる危険性又は有害性
- リスク :ハザードが悪影響をもたらす可能性
従って、ハザードがなければリスクは生まれません。
工学の分野では、製品やプロジェクトの信頼性を高めるために、リスクマネジメントを行い、リスクの影響を抑えます。
リスクマネジメント(工学)
JISの定義によればリスクマネジメントとは
「リスクについて,組織を指揮統制するための調整された活動」(危機管理)
とあり、ISO31000に規定されています。
ISO31000のリスクマネジメントのプロセスは以下の通りです。
- コミュニケーション及び協議
- 適用範囲,状況及び基準
- リスクアセスメント (リスク特定、リスク分析、リスク評価)
- リスク対応
- モニタリング及びレビュー
- 記録作成及び報告
1. リスクアセスメント
リスクマネジメントでは、最初に以下の手順に従いリスクアセスメントを行います。
- リスク特定
- リスク分析
- リスク評価 – 各リスクに対してリスクの度合いを評価
(1)リスクを特定
リスクを洗い出し、確認して記録します。リスクを特定するには、次のような方法があります。
- 過去のデータ、または理論モデルに基づくチェックリスト、または分類法
- 文献レビューや履歴データの分析などの証拠に基づく方法
- HAZOP、FMEA、SWIFTなど、通常の運用からの逸脱の可能性を体系的に検討するチームベースの方法
- 特定の状況下で何が起こるかを特定するためのテストやモデリングなどの経験的方法
- シナリオ分析など、将来の可能性について想像思考手法
- ブレインストーミング、構造化インタビュー、 監査などの専門家を引き出す方法
(2)リスク分析
特定したリスクを発生可能性(確率)も含めて分析します。リスク分析には以下のようなものがあります。
- リスクの原因、リスクが推進される要因
- 既存の管理手法(コントロール)の有効性の調査
- 起こりうる結果とその可能性
- リスク間の相互作用と依存関係
- リスクの尺度の決定
- 結果の検証と妥当性確認
- 不確実性と感度(変動)の分析
リスク分析は、過去の事象(イベント)の確率と結果に関するデータを使用することがよくあります。
(3)リスク評価
リスクの推定レベルからとその結果から、リスクの重大性を評価します。そしてリスクの対処について決定を下します。
2.リスク対応
リスクの対応を選択します。以下はリスク対応の例です。
(1)リスク除去
リスクを生じさせる活動を行わないことでリスクを回避します。
(2)あえてリスクを取る
利益や事業機会を失わないために、あえとリスクがあることを容認します。しかしこの場合も安全を考慮するべきで、安全の低下を推奨するものではありません。
(3)リスク回避
リスク源を除去します。
例)人のミス(ヒューマンエラー)のリスクに対し、ポカヨケやチェックシステムを構築する。
(4)起こりやすさを変える
例)地震や洪水に対し、より安全な場所に会社を移転する。
(5)結果を変える
何らかの対処をすることで、問題は起きても深刻な事態にならないように結果を変えます。
例)火災が派生しても、スプリンクラーをつけることで火事になるのを防ぐ。
(6)リスク共有
例)契約、保険購入によってリスクを共有する
(7)リスク保有
リスクの情報を収集し、問題は小さいことから、あえてリスクをそのままとします。
リスクマネジメント(経営)
経営におけるリスクマネジメントは、組織運営に影響を与えるようなリスクに対し、損失を最小限に管理することです。
経営の2種類のリスク
経営のリスクは、大別すると「純粋リスク」と「投機的リスク」の2種類があります。
【純粋リスク】
企業に損害や損失のみをもたらすリスクのことで、以下のような要因が挙げられます。
- 火災
- 水害
- 地震
- 自動車事故
- テロ
【投機的リスク】
「ビジネスリスク」とも呼ばれ、投資や金利変動、新商品開発など損失と利益のどちらの可能性もあるリスクのことです。例えば、以下のようなタイミングで発生します。
- 為替変動
- 金利変動
- 新商品の開発
- 事業の多角化
リスクマネジメントの手順
経営におけるリスクマネジメントは以下の手順で行います。
(1)リスクの特定
予測されるあらゆるリスクを列挙します。些細だと思うものも含め、抜けや漏れなくリスクを洗い出します。
例 上場企業が国内拠点で着目しているリスク
順位 | リスク |
1位 | 地震・風水害等、災害の発生 |
2位 | 人材流失、人材獲得の困難による人材不足 |
3位 | 法令順守違反 |
4位 | 製品/サービスの品質チェック体制の不備 |
5位 | 情報漏えい |
6位 | サイバー攻撃・ウイルス感染 |
7位 | 過労死、長時間労働等労務問題の発生 |
8位 | 市場における価格競争 |
9位 | 原材料ならびに原油高の高騰 |
10位 | 法改正や業界基準変更時の対応の遅れ |
引用元│ 有限責任監査法人トーマツ「企業のリスクマネジメントおよびクライシスマネジメント 実態調査 2018年版」
(2)リスクの分析
各リスクのもつ影響度の大きさを評価します。
一般的には各リスクを頻度と影響度で分類してマトリクスにします。頻度を発生確率として、影響度を金銭的な損害として下記のようなマトリクスを作成します。
リスクの大きさ=影響度×発生確率
中には数値で表す(定量化)のが難しいリスクもあります。これは定性的リスクと呼ばれ、例えば、コンプライアンスリスクは、発生頻度とその結果の金銭的な影響の予測が難しく、影響度を数値化するのは困難です。こういった定性的リスクは、弁護士・公認会計士など専門家の意見や客観的な統計を使ってリスクの影響度を精査します。
(3)リスクの評価
リスク分析後、リスクマップと呼ばれる表を用いてリスクの重大さを可視化します。
表 リスクの大きさと対応の例
リスクの大きさ | 重要度 | |
9 | 大 | 優先的に対応 |
6 | やや大 | 二番目に優先 |
4 | 中 | 三番目に優先 |
3 | 小 | 費用対効果を考慮して対応 |
2 | 小 | 費用対効果を考慮して対応 |
1 | 小 | 対応しない |
各リスクをマッピングしていくことで、リスク全体を体系的に把握することができるほか、優先して対応すべきリスクの可視化ができます。
マトリクスでマッピングされた(分析された)リスクに対し、対応の優先順位をつけます。
リスクは数多く存在するため、そのすべてに対応することは不可能です。またリスクマネジメントに割けるリソースも限られています。
そのため、リスクに対し優先順位をつけます。
基本的には頻度と影響が大きいものを高い優先順位にします。
(4)リスクの対応と実施
優先順位に従って対策や低減措置を考えます。
その際、対策は大きく分けて、リスクコントロールとリスクファイナンスに区分されます。
● リスクコントロール
リスクによって発生し得る損失の頻度と大きさをコントロールします。回避する、損失防止・損失削減を行う、分離・分散を行うなどです。
例)事業撤退、リスクを生む要因を取り除くリスク発生頻度を軽減させるためのマニュアル策定、緊急対応時のルール策定など
● リスクファイナンス
リスクによって発生した損失を、金銭で補填する方法です。移転や、損失の許容などがこれに当たり、大きな経済的損失を補填することです。
例:損害保険加入など他社と合意に基づきリスク分散する、期間損益でのコスト吸収など損出を受容する
リスクコントロールとリスクファイナンスの詳細を以下に示します。
表 リスクコントロールとリスクファイナンシング
区分 | 手段 | 内容 |
リスクコントロール | 回避 | リスクを伴う活動自体を中止し、予想されるリスクを遮断する対策。リターンの放棄を伴う。 |
損失防止 | 損失発生を未然に防止するための対策、予防措置を講じて発生頻度を減じる。 | |
損失削減 | 事故が発生した際の損失の拡大を防止・軽減し、損失規模を抑えるための対策。 | |
分離・分散 | リスクの源泉を1か所に集中させず、分離・分散させる対策。 | |
リスクファイナンシング | 移転 | 保険、契約等により損失発生時に第三者から損失補填を受ける方法。 |
保有 | リスク潜在を意識しながら対策を講じず、損失発生時に自己負担する方法。 |
資料:リスク管理・内部統制に関する研究会「リスク新時代の内部統制」から中小企業庁作成
表 具体的なリスク対策方法
リスクへの対応方法 | 具体例 |
回避 | 活動を停止し、リスクを遮断する。事業撤退など |
損失防止 | 発生しないよう予防策を講じる。研修やマニュアルの整備など 自社に損失を与える可能性のある取引先を避ける |
損失削減 | リスク発生時の損失を抑える。対応フローの整備など。 火災の損失を削減するために、スプリンクラーや防火扉を設置する 自動車事故での負傷による損失を削減するために、エアバッグを設置する、シートベルトを着ける |
分離、分散 | 地震の発生確率を考えて、生産拠点を分散させる 金融機関の破綻に備えて、預金先銀行を複数確保する リスクの源泉が集中するのを防ぐ |
移転 | ネットワークの停止時における損失を保険で補填する、ネットワーク保険に加入する 保険などで第三者から損失補填を受ける |
保有(許容) | 特に対策を講じず自社で損失を負担する。新入社員に業務を任せるなど |
(5)対応のモニタリングと改善
対策を実施したら効果を評価します。効果が不十分であれば改善を行い、より質の高い対策にします。
さらに定期的にモニタリングを行います。社会や企業を取り巻く環境が変われば、リスクや対応策も変化するからです。
クライシスマネジメント
「クライシス(crisis)」の語源は「将来を左右する分岐点」です。
人あるいは組織がクライシス(危機的な事態)に直面したとき、対応によって将来が大きく変わります。
そこで組織が危機的な事態に直面したときの対応を管理するクライシスマネジメントを行います。これはクライシス(危機)をマネジメント(management)は「管理」することなので危機管理とも呼ばれています。
リスクマネジメントは、「危機を発生させない」ようにし、なおかつ「危機が発生した」場合も管理します。従ってリスクマネジメントは、クライシスマネジメントを含みます。ただし狭い意味のリスクマネジメントは、危機を発生させないための管理に限定します。
下図で、リスクマネジメントとクライシスマネジメントについて示しました。危機の予見力、回避力から再発防止力までがリスクマネジメントであり、危機が発生後の被害軽減力がクライシスマネジメントであることが分かります。
危機が発生した時は、以下の手順で対応します。
第一報
いつまでに(危機発生後何分以内に)、誰に報告するのか、何を (5W1Hにとらわれない)、深夜、休日はどうするのかなど、社内でルールを決めておきます。
この場合、自社にとっての危機は何か、どこまでを危機とみなすのか、誰もが同じ判断ができるようにしておく必要があります。
事実と状況の把握
正しい決定には、正確な情報が不可欠です。情報は「現地・現物・現実」の三現主義に徹して、人から聞いた情報を鵜呑みにするのではなく、自分の目で確かめるようにします。
情報はできる限り正確に、定量的に把握(何分、何kg、何個…)します。
状況の判断
論理的に予測し、データに基づいて判断します。問題は「こうなってほしい」とこちらの都合のいい結果にならないこともあります。予測が外れた場合のプランBを必ず用意しておきます。
また意思決定者が不在の場合、誰が判断するのか、代行者をあらかじめ決めておきます。
対応方針の決定
判断した状況に基づき、対応を決定します。
組織的な実行
メンバー全員で組織的に対応します。現場では想定外のことも起きます。その場合はメンバーが自ら判断しなければなりません。そこでリーダーからメンバーまで同じ情報を持ち、判断の根拠となる方針を全員が共有していることが必要です。
その場で判断が必要な場合、上からの指示がなくても現場がためらわず行動できるようにします。例え行動した結果がリーダーの考えと違っていても、リーダーは違っていたことを後から指摘してはいけません。
コラム 震災2日目 ヘリコプターで上空を視察
東日本大震災で福島第一原子力発電所の状況に対し、的を射ない東京電力の説明に業を煮やした菅直人首相は、ヘリコプターで福島第一原子力発電所に向かいました。
福島第一原子力発電所の後、ヘリコプターで宮城と岩手を上空から視察した菅首相は、津波に飲み込まれた市街を見て災害の規模を実感、自衛隊派遣を10万人に倍増しました。
コラム 初期消火が遅れたA社 加工工場火災
A社の部品加工工場で火災が発生しました。原因は設備から出た火花が木製の踏み台に引火したためでした。しかし初期消火が遅れたため、工場が全焼しました。初期消火が遅れた原因は「消火器を使うと叱られる」「始末書を書かされる」といったマイナス要因のため、現場には「消火器は使うものでない」という文化があったからでした。
高価な設備から出たわずかなボヤに対し、消火器をかけるのは勇気がいります。しかし、もし火が出た時、消火器を使わなければ火は工場全体に広がってしまいます。こういった状況では、
設備よりも工場、
工場よりも人命、
という優先順位をあらかじめ決めておかなければ、対応が遅れてしまいます。
企業経営のリスク
このように経営のリスクマネジメントについて述べました。純粋リスクと投機的リスクは
- 純粋リスク : 内部要因によるリスク
- 投機的リスク : 外的要因によるリスク
した方が分かりやすいでしょう。
内部要因によるリスクは、自社で防止策や改善が可能で、つまりコントロールすることができます。
外的要因によるリスクはコントロールできないため、起きてしまったらどうするかを考えるしかないものです。
企業広報戦略研究所が行った「危機管理力調査」の結果、直近2年間に起きた危機の件数のランキングを以下の表に示しました。
表 直近2年間に起きた危機の件数
順位 | 件数 | 内容 |
1 | 17 | 事故・火災の発生 |
2 | 12 | 欠陥商品の回収(リコール) |
3 | 11 | 個人情報・顧客情報の漏洩 |
4 | 7 | 従業員によるSNSへの不適切な書き込み |
5 | 5 | 労務上のトラブル(過労死、不当解雇等) |
6 | 5 | 製品・サービスの表示偽装 |
7 | 4 | 地域住民とのトラブル |
8 | 4 | 他社の知財の侵害訴訟 |
9 | 4 | 顧客が利用する情報システムのトラブル |
10 | 3 | 談合・独占禁止法違反 |
これを参考に、自分なりに企業経営のリスクのうち、内的要因を以下の表にまとめました。
表 企業経営のリスク
(赤枠はBCP、青枠は情報セキュリティマネジメントシステムでカバーする範囲)
このうち、自然災害は内的要因ではありませんが、物理的な損失が大きく事前に対処が必要なため、内的要因に含めました。外部要因は以下にまとめました。
表 その他外部要因のリスク
社外の企業 | 取引先、仕入れ先などの売掛金回収不能や、倒産・廃業 |
社会 | 新型コロナウイルスなどの感染症 原油、穀物など材料価格上昇と入手難 戦争・テロ・クーデター、デフォルトなどカントリーリスク |
金融 | リーマンショックのようなショックと信用収縮、金利上昇 為替(円高、円安) |
このように企業経営のリスクを洗い出すと、一般的なBCPの内容よりも多くのことが含まれます。むしろ自然災害よりもそれ以外のリスクの方が頻度が高く、影響も大きいのです。
では、これに対しどのような対策があるでしょうか?
具体的な対策
事故
① 人
人のリスクは、病気や事故、けがにより長期間出社できなくなる、あるいは亡くなってしまうことです。最悪の場合、業務が停止してしまいます。そして中小企業の最大の人のリスクは、経営者自身です。
他にも例えば見積や経理のような重要な業務を一部の社員のみが行っている場合、その社員が出社できなければ誰も替わることができません。そうなると他の社員が分からないなりに時間をかけてもしなければ業務が止まってしまいます。よくあるのが必要な書類やデータの保管場所が担当者しかわからないことです。
【リスクマネジメント】
社員の業務と担当をリストアップし、代替要員がいなければ、代替要員を育成します。資料やデータは他の社員も分かるようにします。業務に必要な書類やデータの保管場所をルール化し、それを全員で守ることです。個人のパソコンのマイドキュメントに業務のデータを保管するのは論外です。
② 業務
設備や工場の破損には、高額な修理費がかかるものがあります。
【リスクマネジメント】
事前に保険に加入します。交通事故も同様に保険でカバーします。一方保険でリスクをヘッジすることも重要ですが「設備を破損させない」、「交通事故を起こさない」教育を定期的に行う方がより大切です。
③ お金
社員による横領、不正支出、物品の不正持ち出しなどで会社に経済的な損失が生まれることがあります。
【リスクマネジメント】
任せっぱなしは危険です。人は魔がさすこともあります。不正があれば見つかるように定期的にチェックを行うと共に、社員への不正に対する教育が不可欠です。
④ 火災
火災の多くは、設備のメンテナンス不良や社員の火の不始末、漏電、放火などが原因です。一方近年は喫煙者が減少し社員の火の不始末による火災は減少しています。
【リスクマネジメント】
設備のメンテナンス不良や漏電による火災は、ある意味人災です。定期的な設備点検を行う、延長コードを使用しない、使い終わった機器のコンセントは抜いておく、コンセントや機器の周りのほこりは取り除くなど基本的な防止策を徹底します。
さらに火災発生時に迅速な初期消火ができるように、消火訓練を行います。そして必要な場合は
ためらわず消火器を使用できるように「消火器を使用した者を褒める」ようにします。
⑤ 通信障害
2) の災害で発生することもあります。有線の電話回線、無線の携帯回線が不通の場合、業務がどうなるのか、あらかじめ検討します。そういった場合も出社するのか、業務は継続できるのか等、万が一に備えた対策を講じておく必要があります。
【リスクマネジメント】
オフラインでできることと、オンラインでなければできないことを事前に洗い出しておきます。もし事前に準備を刷ればオフラインでも業務ができるのであれば、オフライン化を検討します。
⑥ インフラ故障
2) の災害で発生することもあります。トラブルで電気、水道、ガスが止まった場合、業務が遂行可能か、事前に検討しておきます。
災害
① 地震
後述のBCPでも詳しく記載します。広域災害のため、従業員とその家族の安全が優先されます。時間帯によって、出社すべきか、帰宅すべきか、判断が必要になります。また工場の被害が大きいと復旧に時間がかかります。
【リスクマネジメント】
BCPを策定します。その中で、優先すべき事項、そして出社待機すべき条件、早期退社すべき条件を決めておきます。
② 水害(大雨、台風、津波)
地震と同様、広域災害として対応します。特に局地的な豪雨により一時的に交通がマヒすることがあります。定時で退社したために道路が冠水して、水没や亡くなることもあります。豪雨が予想される場合は、早期退社するなど、社員の安全を優先するようにします。
③ 他 突風、雪害、噴火、異常低温・高温
突風(竜巻)、雪害、噴火、異常低温、異常高温により、工場や業務に支障が出る可能性があれば、検討しておきます。
品質問題
不良品が発生した場合の対処方法は、多くの企業ではルールが決まっています。もし責任者やリーダーが不在の場合は、どのように対処するか決めておきます。また社内で発生した不良は報告されないことがあるので、社内不良も報告するルールを策定しておきます。
情報漏洩
個人情報、顧客情報、営業秘密(図面、ノウハウも含む)
顧客の個人情報を扱う企業は個人情報の管理(規定)が必要です。また必要であれば顧客(企業)の情報も「営業秘密」として管理しなければなりません。同様に必要であれば、顧客の図面や支給品、自社の図面や治具などのノウハウも「営業秘密」として管理します。
【リスクマネジメント】
「盗もうと思う人間」に「盗めないように対策する」のはとても大変です。お金がかかり、日常業務の効率も低下します。
そこで「盗めないように対策する」よりも、「盗もうと思わないように教育すること」が大切です。
ただし簡単に盗めないような管理は必要です。もし魔がさして盗んだとしてもすぐに発覚するような管理体制を構築します。機密事項を機密として管理していなければ、機密を漏洩した社員を刑事告発できません。
SNSの書き込み
SNSの利用規定を策定し、業務に関する情報をSNSに上げないよう社員に教育します。
労務
① 長時間残業、過労死、健康問題(身体、心)
定期的な残業時間管理を行い、一部の社員だけが長時間残業にならない配慮をします。もし残業時間が多い場合は代休や振替休日を活用します。メンタルヘルスは周りからはわかりにくいため、本人から言いやすい仕組みも必要です。
【リスクマネジメント】
社員の残業時間の上限を規定します。上限が決まってなく、本人の判断、あるいは直属の上司の判断で長時間労働になるようであれば、そのような環境は改善します。
② セクハラ、パワハラ
セクハラ・パワハラは、会社の評判に大きく影響します。また訴訟問題に発展することもあります。
【リスクマネジメント】
セクハラ、パワハラに対するルールを決めて、社員教育を行い、ルールを運用します。セクハラ、パワハラは社員からは言い出しにくいため、告発制度を設けます。
③ 問題社員と不当解雇訴訟
問題のある社員を解雇した結果、不当解雇で訴訟されることがあります。
【リスクマネジメント】
解雇ルールを就業規則に入れ、社員に通達します。
情報システム
① システムトラブル、通信障害
自社のシステムがトラブルを起こした場合、あるいは通信障害で自社のシステムが使用できない場合に備え、代替方法を検討しておきます。
【リスクマネジメント】
情報システムの問い合わせ先、担当者を確認しておきます。古いシステムの場合、システムを開発した会社がなくなっていることがあります。
② ウイルス感染、ウイルス他者へ感染させた
社員が「ウイルスメールを開封してしまう」、「ウイルスメールを他に転送してしまう」トラブルが起きることがあります。
【リスクマネジメント】
ウイルス感染しないようにメール、WEB使用時のルールを策定します。またウイルス感染が判明した場合の処置を検討しておきます。会社によっては、見知らぬ人からのメールはすべて削除すると決めている会社もあります。
③ データ消失
データ消失により業務が停止、過去の資産を喪失することがあります。
【リスクマネジメント】
定期的なバックアップ(PC、データベース、サーバーのデータ)を行います。クラウドサービスを使用してクラウドにデータがある場合もバックアップを取るようにします。
知的財産
「ホームページや社外へ発信する文書が著作権を侵害してしまう」、「自社の製品やサービスが他社の商標や特許を侵害してしまう」などです。
【リスクマネジメント】
社員に著作権や商標などの知財教育を行います。ホームページやパンフレットが著作権のルールに抵触していないか確認します。画像はフリー画像を使用せず、購入します。
関係者とのトラブル
近隣住民とは同じ圏内で生活するため、トラブルになることがあります。会社から出る騒音のクレームや排気(炉や塗装設備など)や排水等の環境問題、配送車の路上駐車や社員の交通マナーなどがトラブルの原因として挙げられます。
【リスクマネジメント】
騒音、排気、排水は定期的に測定し、環境基準を満たすことを確認します。路上駐車は納入業者に文書で通達し、社員に交通マナーを教育します。近隣住民の代表者(町内会など)と定期的に連絡を取るようにします。
BCPについて
BCPとは
災害など緊急事態における企業の事業継続計画(Business Continuity Planning)を意味します。BCPの目的は自然災害やテロ、システム障害など危機的な状況に遭遇した時に損害を最小限に抑え、重要な業務の早期復旧を図ることです。内閣府は、2005年公表の「事業継続ガイドライン」でBCP策定を強く推奨しています。
BCPの構成
詳細は、中小企業庁ホームページ「中小企業BCP策定運用指針」を参照してください。
- 基本方針
- BCPの運用体制 組織と担当者
- 財務診断と事前対策計画 財務診断、保険、対策のための投資
- 緊急時におけるBCP発動
- 発動フロー 活動チェックと実施内容メモ書き
- 退避 避難計画シート
- 情報連絡 主要組織の連絡先、従業員連絡先、通信手段、主要顧客情報
- 事業資源 中核事業に係るボトルネック資源、必要な供給品、供給業者、災害対応用具
- 地域貢献 地域貢献活動チェックリスト
中核事業と復旧目標 中核事業の情報 売上、顧客、復旧時間
事業継続に係る各種資源の代替
代替生産する工場、応援要員、資金、必要な情報(プログラム)
BCPの活用
国がマニュアル、書式をすべて提供しており、内容もシンプルにまとめられています。
災害時、迅速な対応ができるように、また必要な資金を計算し、不足すれば保険を活用できるよう、BCPを各企業が活用していく必要があります。
マニュアルは紙ベースになっていますが、緊急時に対応できるように必要なことはカードに小さくまとめる、又はチェックリスト形式にしておきます。
問題は、自然災害は滅多に起きず、大半の企業はBCPを規定しても一度も使うことがないことです。そのため時間の経過とともにBCPマニュアルが陳腐化します。災害に備え、定期的に訓練を行い、いつでも使える状態にする必要がありますが、それはとてもエネルギーがいる作業です。
コラム ハドソン湾の奇跡
2009年1月15日、ニューヨーク発USエアウェイズ1549便が離陸直後の渡り鳥の群れに遭遇、両方のエンジンが渡り鳥を吸い込んでしまいました。エンジンは2基とも停止、機体はハドソン湾に不時着水しました。乗客乗員155名は無事救助されました。
この時、エンジが停止してから不時着水までの時間はわずか3分。その間に、クルーはエンジン再始動を試みましたが、回復は見込めなかったので不時着水の準備に入りました。なぜ短時間にこれだけのことが手際よくできたのでしょうか?
それはコックピットにエンジン再始動のチェックリストや不時着水のチェックリストが備わっていたからでした。これらのチェックリストは大半の飛行機では使われることはありません。しかし、もし必要な場合には確実に使えるように適切に準備されていました。
リスクマネジメントの必要性
このようにみていくと企業には様々なリスクがあります。しかも自然災害よりも確率の高いリスクも多く、こういったリスクに対応するには一般的なBCPでは十分ではありません。
しかもリスクはいつ顕在化するのか分かりません。
一度リスクマネジメントを行って自社の経営上のリスクを洗い出し、対策しておけば問題を未然に防止できます。
その一方、セキュリティ対策などは、何万人もの社員を抱える大企業と数十人の社員の中小企業では大きく異なります。
大企業は社員が多く中には問題社員がいる可能性もあるため、不正や情報漏洩できない仕組みが必要です。もし情報漏洩が起これば多額の損失が発生します。そのため、情報漏洩を防ぐためにコストがかかるのは仕方ありません。
しかし、中小企業はそこまでコストをかけられません。また過剰な管理をすれば管理コストが肥大化し、業務効率も低下します。
そのため、信用のおける社員の採用と社員相互の管理を基本とします。信用のおける人材を採用し、不正をすればどうなるのか、罰則も含めて教育します。その上で、社員が相互にお互い仕事を見ていて不正な兆候があれば直ちに管理者や経営者に報告するようにします。加えて会社に個人的な恨みを持たないように適正な処遇やコミュニケーションも必要です。
想定内の問題を防ぐ
このようにリスクを洗い出してみると、まだまだリスクを減らすことができることに気付きます。
- 「ルールが決まっていない
- 「いけないことを社員が知らない」
、
そのためうっかりやってしまうリスクもあります。
こういったことはルールや罰則が決まっていれば防ぐことができます。ルールを作る際はできれば関係する社員にも関与してもらい、アイデアを出すのと同時に
「リスクを低減し会社を守るのは社員である」
という自覚を持たせるようにします。
想定外の問題への対応
自然災害や事故などは、想定していなかったようなことが起きます。事前に策定した計画通りにはできず、計画があったとしてもうまく実行できません。むしろ災害や事故は想定外のことが起きるのです。
自分で考えて行動できる体制
想定外の事柄に対しては、関係する社員が現場で対処しなければなりません。
自然災害では、リーダーへの連絡が困難な時もあります。事前にマニュアルがあってもマニュアル通りにできないかもしれません。
目の前で起きていることを的確に把握し、正しい判断ができるように普段からトレーニングが必要です。
そして正しい判断をするためには、元となる方針が必要です。
BCPの参考書には、基本方針に
- 人命(従業員・顧客)の安全を守る
- 自社の経営を維持する
- 供給責任を果たし、顧客からの信用を守る
- 従業員の雇用を守る
- 地域経済の活力を守る
- 社会からの要望に応える
という例が掲載されていますが、
優先順位がありません。
実際はどれかを優先し、どれかを犠牲にしなければならないのです。
実際はどれかを優先し、どれかを犠牲にしなければならないのです。
緊急時は時間も資源も限られています。
その中でどれを優先し、どれを切り捨てるのか、これが危機的状況において本当に必要な方針です。
参考文献
「戦略思考のリスクマネジメント」企業広報戦略研究所 著 日経BPコンサルティング
中小企業庁ホームページ「中小企業BCP策定運用指針」
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
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なぜ人は忘れるのか、記憶のメカニズムと特徴
日常の様々な活動は、まず対象を認識し、それに対してどのような行動をとるのか頭で考え、そして行動します。その際、一度認識したことを頭にとどめておくのが記憶です。
ところが人の記憶はコンピュータのメモリと異なり、忘れたり変質します。これが時には大きな事故や不良を引き起こします。
では記憶はどのようなメカニズムで行われ、どのような特徴があるのでしょうか。記憶について考えます。
記憶の種類と特徴
記憶のメカニズム
記憶は保持時間の長さによって感覚記憶、短期記憶、長期記憶の3種類に分類されます。1968年アトキンソンとシフリンは「感覚情報が感覚記憶において瞬間的に保持され,その中の一部が短期記憶で短時間貯蔵されます。短記憶で保持された情報のー部は長期記憶に送られ、長期記憶に貯蔵された情報は必要に応じて検索され,取り出される」としました。
図1にアトキンソンの2貯蔵庫モデルを簡略化したものを示します。
聴覚や視覚など感覚器官が受けた刺激は、各器官からの感覚記憶としてしばらく保持されます。例えば聴覚に刺激を受ければ音声、視覚が刺激を受ければ視像として保持されます。
この刺激は数分の1秒から数秒は保持されますが、私たちはその内容に気付きません。感覚記憶の情報の中から注意(意識を向けた情報)のみが短期記憶へ送られます。
意識を向けた情報は短期記憶に送られ、それに対して私たちは判断します。短期記憶の保持時間は短く、長くても10~15秒程度です。私たちの日常活動の大半は短期記憶で行われます。判断が終われば記憶は次々と消えていき、後からは思い出せません。
短期記憶にある情報のうち繰り返し使われる情報は長期記憶に保管されます。長期記憶の保持期間は長く、一生忘れないものもあります。
例えば、車を運転する時、視覚に次々と様々な景色が入ってきます。これらは感覚記憶で順に保持されますが、本人はその情報を意識しません。ただ信号機の色は必要な情報なので注意を振り向けます。前方の信号機の色を見て、走行するか停止するか判断します。この信号機の色は短期記憶で保持されます。次々と信号機を通過するため、短期記憶は順次消失し、これまで通過した交差点の信号機の色はもう思い出せません。この目的地までの道のりは何回も行くと記憶します。これは長期記憶に保存され長期間保持されます。
感覚記憶
聴覚、視覚など感覚器官が音や光などの刺激を受けた時、それを一時的に保管するのが感覚記憶です。例えば音など聴覚の刺激はエコーイック・メモリと呼ばれる感覚記憶に保存され、光など視覚の刺激はアイコニック・メモリと呼ばれる感覚記憶に保蔵されます。
感覚記憶は、視覚、聴覚以外にも味覚や嗅覚,皮膚感覚など各感覚器官に存在します。保持時間はエコーイック・メモリで1秒前後、アイコニック・メモリで0.5秒前後です。感覚記憶は、感覚知覚の情報処理との境界があいまいなため記憶に含めないこともあります。
短期記憶(ワーキングメモリ)
感覚記憶に入る多くの情報の中から、注意を向けたものだけが短期記憶に保存されます。一方近年は短期記憶をワーキング・メモリリ(作動記憶)と呼ぶこともあります。
従来の記憶モデルは,感覚記憶から取り出された情報は長期記憶に送られる前に短期記憶に短時問保持されると考えられていました。しかし短期記憶には感覚記憶によって外の世界からはぃってきた情報だけでなく、長期記憶に保管されている情報を引き出すこともあります。
そこで短期記憶に代わるより広い概念としてワーキング・メモリが提唱されました。このワーキング・メモリは図2に示すように中央実行部と音声ループ、視空間スケッチパッドの3つの部分から構成されています。
音声ループは言語的音声を扱い、視空問スケッチパッドは視覚的な空間イメージを保管します。これらの情報を利用して中央実行部が複雑な認知処理を行います。
短期記憶の記憶容量は少なく、成人で数字の7桁±2桁と言われています。これは数字も文字も変わらず、アメリカの認知心理学者ジョージ・ミラーはマジカルナンバー・セブンと呼んでいます。しかし実際には数字を7桁も覚えられない人もいます。2001年にミズーリ大学のネルソン・コーワン氏は「4±1」が正しいマジカルナンバーと発表しました。
① ワーキング・メモリの成熟は高次の思考と関係
2013年オスロ大学のノルウェーのクリスチャン・タムネスらは8~22歳を対象にワーキング・メモリの成熟について調査し、その結果、脳の特定部位の変化がワーキング・メモリの向上に関係していることが判明しました。
短期記憶が発達すると前頭頭頂ネットワークが成熟します。短期記憶は高次の思考(前頭葉)を扱う能力と密接なかかわりがあり、その能力は幼少期から成人にかけて年齢とともに向上します。脳領域のネットワークが発達するに従い短期記憶の容量も増えていきます。
人の脳は4つの領域に分けられ、脳の上部に位置する頭頂葉は知覚情報と言語の統合を担い、短期記憶に欠かせない領域です。前頭葉は脳の前部に位置し、思考、計画、論理的思考など高次の認知機能を司っています。
前頭葉のすぐ前にある前頭前皮質は複合思考を担い、複雑な行動の計画や意思決定などに関係しています。
② 短期記憶から長期記憶に移動するのではない
アトキンソンとシフリンの二重貯蔵モデル以来、認知した内容は一旦短期記憶に保存され、それから長期記憶に向かうと考えられていました。しかし短期記憶の容量は7桁(5桁)しかありません。短期記憶に保存された情報だけを長期記憶に保存すれば長期記憶の情報量は非常に小さなものになってしまいます。むしろ短期記憶は「今意識されていること」と考えます。
感覚器官が受け取った情報の中から、いくつかの情報はそのまま長期記憶に保存されると考えます。ただし感覚器官から直接長期記憶に保存された情報は、意識していないと思い出すこと(検索すること)ができません。しかし何度もリハーサルを行って長期記憶から取り出せば、取り出しやすくなります。
③ リーディングスパンテスト
リーディングスパンテスト(RST : reading span test)は、数字や単語を記憶する一般的な記憶テストと異なり、文を幾つか読んでもらってその中の 1 単語を記憶するテストです。図4の表にその例を示しました。
このテストでは文を読むことに注意しながら、下線が引かれている言葉を記憶しなければならないため、会話や本を読みながら内容を記憶することに近いテストです。RSTの評価は他の記憶テストよりも読解力との相関が高いことがわかっています。RSTのスコアが高い人は、文章を読解中に記憶すべきものとそうでないものに、注意をうまく配分しています。
こうした注意の配分はワーキング・メモリを制御している中央実行系によるものと考えられています。タスク処理能力の高い人とそうでない人の違いは、この中央実行系の違いによりRSTで評価できます。
④ サブリミナル効果
サブリミナル効果は、視覚、聴覚、触覚の潜在意識に刺激を与えることで得られる効果のことで、心理学や軍事などで研究されてきました。
有名なのは1957年アメリカのジェームズ・ヴァイカリーが、映画の上映中知覚できない短い時間「コカコーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」という映像を入れると、コカコーラの売上が57%、ポップコーンの売上が18%アップしたと発表したことです。しかしその後の実験では同様の効果は認められず、後年ヴァイカリーは実験をでっち上げたと語っています。
現在サブリミナル手法は、アメリカ、日本など各国で禁止されています。
長期記憶
一旦長期記憶に保管された情報は、永久的に保持されるものもあり、その容量も無限大と考えられます。短期記憶がいつでも取り出せる活性化した状態の記憶に対して、長期記憶は毎回思い出す必要のある非活性状態の記憶です。
① 長期記憶の仕組み
感覚記憶から受け取った情報は、電気信号として短期記憶、そして長期記憶に送られます。長期記憶をつかさどる脳の海馬では脳の神経細胞(ニューロン)同士の接合部「シナプス」で神経細胞同士のつながりが強くなります。信号の伝達効率が高くなり、これにより記憶が保存されます。
これは時間とともに強化され「長期増強 (LTP Long-term potentiation」と呼ばれます。
一方加齢により神経細胞同士のつながりが弱くなると情報を取り出しにくくなります。短期記憶の情報を長期記憶に保存する方法がリハーサルです。
② リハーサル
試験勉強で忘れないようにするため何度も口に出したり書いたりすることです。このリハーサルには、維持リハーサルと精緻化リハーサルがあります。
維持リハーサルは意識から消えないように情報を短期記憶にとどめておくだけで長期記憶には移動しません。長期記憶に保存するためには、繰り返すだけでなく,情報を能動的に分析し,すでに貯蔵されている情報に関連付けたり、イメージ化する必要があります。これを精緻化リハーサルと呼びます。単語のような単純な情報を繰り返し音読しても、それは維持リハーサルなので短期記憶にとどめ置かれ、リハーサルの効果が薄れると忘れてしまいます。
リハーサルで短期記憶から長期記憶へ移行する際、リハーサルの回数が多く、注意の大きい情報(印象が強烈な情報)ほど、脳はより重要な情報と判断し、長期記憶に定着する確率が高くなります。
生存するために脳が脅威と感じる経験や生命に関わる情報は短期間に吟味され長期記憶へ移行します。これは人類が環境の変化に適応するために、脳が情報の取捨選択を暗黙の裡に行っているからです。テスト勉強などで記憶しなければならない時、短期間に何度も繰り返して脳に重要な情報と思わせると早く記憶します。
③ 符号化と想起
記憶には、符号化 (記銘) ・保持・想起の3つの過程があります。
【記銘(符号化)】
感覚刺激を認知や記憶のための意味のあるものに変換する作業です。例えばレストランで店員から聞かれた場合、聴覚からの情報は「オノミモノハナニニシマスカ」ですが、これを符号化すると「お飲み物・は・何・に・しますか?」となります。そしてそれぞれの意味を理解し記憶します。従って意味の分かる母国語の記憶は容易ですが、意味の分からない外国語は記憶が困難です。
この符号化には意図して行う顕在的な符号化と、意図しないで行う潜在的な (偶発的) 符号化があります。私たちの日常生活では、意図して記憶する顕在的な符号化より、意図しないで記憶する潜在的な符号化の方が多いといえます。ただし再生が確実なのは意図して記憶した情報で、詳細かつ正確に記憶しています。また記憶の仕方によっても差があります。
例えば単語を文字として記憶した場合、音声も併せて記憶した場合、意味も含めて記憶した場合の3つでは、意味も含めて記憶した場合が最もよく記憶されました。意味も分からずひたすら暗記する方法は効率がよくありません。
【保持(貯蔵)】
脳は符号化された意味情報を保持します。この符号化の際、知識は人それぞれ異なるため、情報が切り捨てられたり、付け加えられたりします。その結果、同じ情報を与えられても保持される情報が人により異なります。
【想起(検索)】
保持されている記憶が呼び起こすことで、想起の仕方は以下の3つがあります。
- 再生 : 保持されている記憶がそのままの形で再現
- 再認 : 以前経験したため、「経験した」として認識
- 再構成 : 保持されている記憶をいくつか組み合わせて再現
「名前がなかなか思い出せない」というのは、記憶しているが想起ができない状態です。あるいは思い出す状況によっては元の記憶と相反する記憶を学習する消去学習を行うこともあります。刑事裁判で自白の信ぴょう性が問われることがありますが、これは取り調べ中に消去学習が行われることがあるからです。
また記憶した時の味やにおいで思い出すこともあります。これは情報が符号化される状況と、その情報を検索する状況が一致していると、検索の効率が高くなるためです。これは符号化特性原理と呼ばれます。
④ チャンク化
容量の少ない短期記憶に多くの情報を保存する方法がチャンク化です。例えば12桁の数字を記憶する場合、345264571074を一度に記憶するのは大変です。そこでこの数字を4桁の数字の組合せで記憶します。3452 6457 1074個とすると理解しやすく、記憶しやすくなります。この4桁の数字がチャンクです。
数字以外にもメニューなどの名詞もチャンク化できます。英単語もいくつかのグループに分けて記憶すれば、バラバラに記憶するよりも効率がよくなります。あるいは覚えたいことを階層状に図式化するのもよい方法です。 (メモリーツリー)
⑤ 長期記憶と短期記憶を持っているのは人だけでない
すべての動物に長期記憶と短期記憶があり、過去のことを忘れてしまう逆向性健忘症を起こします。また哺乳類だけでなく虫や魚も長期記憶があり、長期記憶はゆっくりと形成されます。記憶をゆっくりと形成することで、それを経験として役立てる際に都合がよいことがわかっています。
⑥ 患者H.M
患者HM氏は、26歳の時、難治性てんかんの治療のため、脳の両側の内側側頭葉の一部分を切除しました。その結果、短期記憶は正常でしたが、短期記憶の情報を長期記憶に転送できなくなり、長期記憶ができなくなりました。新しく運動を学習することはできましたが、新たな運動をしたことを思い出せませんでした。
このことから短期記憶、長期記憶は脳の異なる場所に形成されることがわかり記憶についての研究が大きく進みました。
人はどうやって思い出すのか
① プライミング効果
プライミング効果とは、以前に経験・取得した情報が、後から得た情報に無意識に影響を与えることで、プライムには「入れ知恵をする」という意味があります。あらかじめある事柄を見聞きしておくと、関連した別の事柄が想起しやすくなります。例えば見知らぬ人でも毎日通勤電車でみかけていると、混雑している街中でもその人物を容易に見つけられます。
② 忘れない方法 外化
外化は、頭の中にある情報を頭の外に出すことです。具体的には、口に出したり、書いたりします。これによって以下のような効果があります。
- 短期記憶の負担が軽くなり、その分他の処理作業に認知資源を振り分けられる
- 外化された内容を再度人力することで、頭の中での処理プロセスを確認できる
- 思考を他の人と共有でき、これにより課題解決の質が高まって、処理速度が速くなる
【外化の方法1 口に出す】
考えや行為を口に出すことで、行為に意識を集中できるようになります。これは指差と合わせて指差呼称として現場で広く行われています。
【外化の方法2 からだを動かしてみる】
手や腕など体の一部を動かすことで意識を集中する方法です。例として指差確認があります。また漢字の書き順を確認する時などは、空間に指で字を書く空書を行います。
【外化の方法3 書く】
授業をノートに取るなど古くから行われている方法で、課題解決など思考場面で認知機能の補完としてよく使われます。しかし時間がかかるため現場ではチェックリストの記入など使われる場面が限られています。
③ 系列位置効果(serial position effect)
順番に情報が提示されると時、その順番により記憶のしやすさが異なります。
【初頭効果】
最初に提示されたものが記憶されやすいことです。はじめに提示された項目は、 それより後の項目が提示されている中
に余分にリハーサルを受けることができます。そのため、符号化がより進みます。被験者が声を出して読み上げると、はじめに提示した内容はリハーサル回数が多く再生率が高いことが実験でわかりました。
【新近性効果】
新近性効果とは、終わりに提示される項目は再生するタイミングに近いため記憶されやすいことです。従来は短期記憶の効果によるものと考えられていました。しかし再生までの時間を長くしても新近性効果が現れることがあり、これは検索のされやすさに違いがあるためと考えられています。
様々な長期記憶
長期記憶には、言葉で表現できる言語的な情報(言語的な記述・事実・意味)「宣言的記憶(陳述記憶)」と、言語と無関係に無意識的な行動や思考の記憶「非宣言的記憶(非陳述記憶)」があります。
前者はイメージや言葉としてその内容を頭に浮かべる(想起する)ことができ、言葉で述べること(陳述する)ができ、事実や経験に関わるものです。非宣言的記憶は言葉によらない記憶で、代表的なのが手続き記憶です。これは技能や動作など「体で覚えている」記憶です。
① 宣言的記憶 (または陳述記憶)
【意味記憶】
「意味記憶」は知識に相当し、一般的な知識や教養など普遍的な事実に関するものや用語の定義や客観的な知見などです。「リンゴ」といえば皮が赤い冬の果物ですが、「リンゴ」という言葉は意味記憶です。勉強で得られる知識の大半は意味記憶です。
意味記憶に関わる脳の部位は側頭葉で、例えば側頭葉前方部が局所的に萎縮すると、単語、物品、人物などの意味理解が選択的に障害される意味認知症が生じると報告されています。
【エピソード記憶】
自分の経験や思い出など、身の回りで起きた出来事に関する記憶が「エピソード記憶」です。例えば、「いつどこで誰と何を食べ、美味しかった、楽しかった」という記憶です。
記憶の特徴として、意味記憶よりもエピソード記憶のほうが、長期記憶に移行しやすい点があります。また意味記憶と比較し、エピソード記憶の方が再生しやすい特徴もあります。そこでイメージで記憶すると長期記憶に保持されやすくなります。イメージすることは、想像のなかで体験することで、エピソード記憶とつながるため、取り出しやすくなります。
② 非宣言的記憶
非宣言的記憶とは意識上に内容を想起できない記憶で、言葉で表現することが困難な記憶です。非宣言的記憶には「手続き記憶」、「プライミング」、「古典的条件付け」、「非連合学習」などが含まれます。これらの記憶は人が動作を正確かつ効率的に行うのに役立ちます。
【手続記憶】
手続き的記憶は代表的な非宣言的記憶で、体で覚える記憶です。これには技能や習慣などが含まれます。
手続記憶は同じ経験を反復することで形成され、一旦形成されると自動的に機能し、長期間保持されます。自転車の乗り方などはわかりやすい一例です。練習するまでは乗れなかったのに、一度乗れるようになると長い間乗らなくても再び乗ることが出来ます。他に、水泳、スキーや柔道などのスポーツにおける体の動き、楽器の演奏、身近な所では箸や鉛筆の使い方などがあります。
手続記憶は海馬や側頭葉ではなく、小脳や大脳基底核が関与していると考えられています。大脳基底核は体の筋肉を動かしたり止めたりするといった大雑把な動きの記憶に関与します。小脳は筋肉の動きを細かく調節し、バランスを保ちつつ動くための情報の記憶に関与します。手続き記憶の獲得には前頭葉の前補足運動野が、記憶に基づく運動の実行には補足運動野が役割を担っています。
アルツハイマー患者は、エピソード記憶を保持することができなくなりますが、手続記憶はかなり長い間保たれています。これは「宣言的記憶」と「手続き記憶」で記憶のメカニズムや関与する脳の部位が異なるからです。認知症がかなり進行して昔の出来事は覚えていなくても、昔覚えた楽器の演奏はできます。
③ 階層的ネットワークモデル
コリンズとキリアンは1969年に意味記憶のモデルとして階層的ネットワークモデルを提唱しました。想起する際は、ノード間のリンクをたどって情報の検索が行われ、経由するリンクが多くなれば検索する時間を要すると仮定しました。またコリンズとロフタフは1975年に関連する意味の系列に沿ったネットワークモデルを提唱しました。1つの概念同士が対応していて、意味が関連する概念同士がリンクで結ばれています。このモデルはさらに意味のネットワークに加えて語彙のネットワークがあります。
④ 潜在記憶と顕在記憶
潜在記憶は、無意識にできる動作や反射的に思い出す記憶など、内容を特に意識していない記憶のことで、非陳述記憶、非宣言的記憶とも呼ばれています。
その中で、「家から最寄り駅までの道」のように意識せずに繰り返されてきた動作の記憶を「手続記憶」、自分の意思と関係なく思い出す記憶を「プライミング効果」「古典的条件付け」と呼びます。潜在記憶で行われる行動は、意識を行動にほとんど向けていないため、行動しながら他に注意を向けることができます。運転中の同乗者との会話などはその一例です。
長期記憶の中で自発的に思い出せ、言葉やイメージで表現可能な記憶を顕在記憶といいます。顕在記憶には個人の経験に基づく「エピソード記憶」と、一般的な知識として覚えた「意味記憶」があります。テストの時の勉強内容や旅行の思い出といった本人の意思によって思い出され、言葉やイメージで他者に伝えることができる記憶は顕在記憶です。
顕在記憶は、例えばテスト勉強のように意識的に記憶されるため、内容にゆがみが生じていることがあります。一方、潜在記憶は無意識に記憶されますが、潜在記憶も同様にゆがみがあります。加齢により顕在記憶は低下しますが、潜在記憶はあまり変化しません。
忘却の記憶の変容
忘却
① エビングハウスの研究
心理学者エビングハウスは、自らを被験者として13項目の無意味なつづりのリストを完全に記憶できるまで学習し、その記憶時間を測定しました。その後19分から31日後までの間、時間間隔をおいて再度学習し、学習に要した時間を測定し、最初の時間との差を節約率として計算しました。その結果、24時間後には節約率は34%で、つまり66%は忘れることがわかりました。
しかしその後別の研究者が追試したところ、これほど急激な減少は確認されず、エビングハウスの実験は記憶するリストに問題があったとされています。
② 干渉
忘却の原因として記憶すべきことが似ているために生じる記憶の干渉があります。この干渉には順向抑制と逆行抑制の2種類があります。順向抑制は先に記憶した内容が後から学習する内容の記憶を抑制することです。
先行学習したグループとそうでないグループに対し、同じ内容を学習すると先行学習したグループの方が、記憶が劣っていました。これは先行学習の内容が後の学習内容と干渉したためで、学習内容が似ているほど干渉が強く生じました。逆行抑制とは、順向抑制と逆に後から学習した内容のため、先に学習した内容の記憶が阻害されることです。学習した後、別の内容を学習したグループと何も学習しなかったグループを比較すると、別の内容を学習したグループの方が記憶が劣っていました。
③ 睡眠の効果
1924年ジェンキンスとダレンバックは2人の被験者に意味のないつづりを記憶させ、その後睡眠をとった場合と起きていた場合の記憶の保持量を比較しました。その結果、睡眠をとった方が記憶を高く保持していました。これは干渉が減ることに加えて、記憶の固定化が促進されるためです。
ジャンボーンは被験者にタイピングの学習を行い、その後睡眠を取るとタイピングの成績が向上することを発見しました。睡眠は記憶に加えて運動能力の固定化も促進する効果があります。スポーツをする場合、早く上達するには練習後に昼寝をしたり、午後の練習後は食事、入浴の後はすぐに寝た方がよいようです。
④ もう一つの忘却のタイブ
「思い出すことを忘れる」ことです。聞かれれば必ず答えられるのに、自発的に記憶の検索が行われないため「思い出さない」ことです。これについては思い出す手掛りをタイミングよく与えればよく、思い出す手掛りのことを「リマインダー」といいます。
リマインダーにはふたつあり、思い出す内容に関する「メッセージ」と思い出すきっかけを与える「シグナル」です。覚えておくべきことをノートに書き込むメモがメッセージ、忘れないように必要なタイミングで鳴らすベルがシグナルです。
⑤ 忘れられない男
トルジョーク出身の新聞記者ソロモン・ヴェニアミノヴィチ・シェレシェフスキーは、一語一句正確に記憶することができ、またいつでもそれを思い出すことができました。彼は編集長の勧めでモスクワの心理学者アレクサンドル・ロマノヴィッチ・ルリヤを訪れました。
ルリヤは彼に様々な記憶力テストを行ったところ、彼はどれも完璧に記憶しました。彼は音に色や形を感じたり、文字に色や明暗を感じることができました。五感が強く連結された共感覚を持ち、記憶すべきことを視覚像化して頭の中に定着させました。「記憶術師シィー」として舞台に出て世間の話題となりましたが、長続きせずその後職を転々としました。晩年は膨大な記憶量のため心が混乱するなどの弊害に苦しみ「忘れる」人間に戻りたいと願っていました。
⑥ 驚異的な記憶力 サヴァン症候群
1887年医師ジョン・ランドン・ダウンは、書籍を1回読んだだけですべて記憶する驚異的な記憶力を持った自閉症の男性を発見しました。学習能力は通常で、彼はサヴァン症候群と名付けられました。サヴァン症候群の原因はまだわかっていませんが、自閉症に関連した器質が原因と考えられています。記憶能力の他にカレンダ一計算、数学・数字能力、音楽、美術などに並外れた能力が報告されています。
⑦ 脳トレの効果は
2015年オスロ大学のモニカ・ラーバグは、ワーキング・メモリのトレーニングが有効かどうかを調べるメタ分析を実施しました。このテーマで行われた過去のあらゆる研究を調査し、結果を統計的に分析しました。その結果、どのワーキング・メモリのトレーニングも有意なワーキング・メモリの向上は確認できませんでした。脳トレを続ければ優れたゲーマーにはなっても認知能力が大きく向上することはなさそうです。
記憶の変容
① フラッシュバルブ記憶(Flashbulb memory )
フラッシュバルブ記憶とは、感情が強く喚起される重大な出来事を知ったとき、周りの状況についての鮮明で長期間保持される記憶のことです。「写真のフラッシュを焚いた時のように」鮮明な記憶で1977年ブラウン氏が論文でフラッシュバルブ記憶と呼びました。
例えば2001年のアメリカ同時多発テロや東日本大震災、阪神淡路大震災の時に、自分が何をしていたのか、明に覚えていることです。フラッシュバルブ記憶は大脳皮質下にあるベイペッツの情動回路の中を、情動を伴う記憶が循環するためです。フラッシュバルブ記憶は当事者にはビデオテープのように鮮明な記憶ですが、内容は必ずしも正確ではなく、思い込みから生じた誤りもあります。
② つくられた証言 マクマーティン保育園裁判
1983年にカリフォルニア州のジュディ・ジョンソンは、息子の肛門が腫れていたため、保育園で性的虐待があったと思い警察に訴えました。彼女は保育園の保育士で園長の孫のレイモンド・バッキーを告発しました。
警察は調査のため他の保護者に質問状を送り、また検事は国際児童研究所のキー・マクファーレンに調査を依頼しました。その結果、マクファーレンは360人以上の子どもに虐待があったと発表し、これをKABCテレビのリポーター ウェイン・サッツがセンセーショナルに報道したため、アメリカ中の子供を預けて働く母親の間でパニックが起きました。
子供たちの証言を裏付ける物的証拠はなく、調査を行ったキー・マクファーレンはセラピストの資格がありませんでした。さらに報じたレポーターのサッツと恋人同士だったことが発覚し、事件の信ぴょう性が疑われました。7年に及ぶ裁判の結果、レイモンド・バッキーは不起訴となりました。
③ 精神分析について
フロイトの確立した精神分析療法は、患者に催眠による暗示をかけて過去の経験を想い出すことで治療します。フロイトは、自我を脅かすつらい体験をすると、それを抑圧し無意識に押し込み、神経症を発症すると考えました。そしてそれを具体的に意識し自覚することで神経症を治癒していました。
しかし人は通常は夢で見たことや想像したことと、実際に経験したことを区別できますが、催眠状態ではこの機能が弱くなり、夢や創造したことと本当にあったことの区別がつかなくなります。
また幼児期の記憶は不確かで、心理学者のロフタスは被験者の大学生に「幼児期にショッピングモールで迷子になった」という偽りのエピソードを被験者の幼児期に実際にあったこととして聞かせたところ、被験者はそれが本当にあったと信じました。従って幼児期に虐待があったかどうかは、セラピストなどが幼児本人から聞き出したとしても事実とは限らないのです。
④ デジャビュ
デジャビュ (既視感) は、実際は体験したことがないのに、すでにどこかで体験したように感じる現象です。
原因は、ある経験をしたときに過去の類似の経験が自動的に想起されるからです。この想起された過去の体験と現在が似ているほど強いデジャビュになります。
もうひとつの原因は過去の光景を何度も想起する過程で細部が失われて抽象化し、印象の強い部分のみが典型的な光景として記憶されているからです。そのため今見ている光景がこの体験と強く一致するようになります。実際よくある典型的な写真を見せたところ行ったことがないのに行ったことがあるように誤解しました。
軽視されがちな記憶の問題によるヒューマンエラー
以上のような人の記憶の特徴を考えると、日常作業の大半を記憶に頼って行うことはヒューマンエラーのリスクがあることがわかります。そこでその対策としてできることを以下に述べます。
① 短期記憶に頼る危険
今どの作業を行っているのか、多くの現場ではモニターがありません。途中で作業を中断した場合、どこまで進んだかは作業者の記憶に頼っています。一方その記憶は短期記憶のため容易に消去や変容します。そこで記憶に頼らない方法にします。
現場でのコミュニケーションは口頭で行われます。相手は聞いた内容を記憶し、作業に反映させますが、ここで記憶が欠落したり変容したりします。
伝達内容は口頭だけでなく、メールや紙媒体を併用します。
② 記憶を助ける
記憶する場合、効率よく記憶するため以下の取組を行います。
【リハーサル】
複数回復唱します。複数回行うことで、リハーサル効果が生じ記憶の保持時間が長くなります。加えて複数回行うことで確認回数も増えます。
【精緻化】
認知すべき内容、記憶すべき内容を具体的に意味づけします。特に数字や記号の場合、数字や記号の意味を伝えて、単なる記号以上のものにします。
【チャンク化】
数字であれば、4桁のグループに分けます。記録や読み上げも4桁ごとに行います。他の情報も3~4個のかたまりにチャンク化し、記憶します。
③ 長期記憶は変容する
長期記憶に保管された内容も時間の経過とともに、内容の欠落や変容が起きます。特に作業指示は、指導者から作業者に伝達する過程で内容が変質します。さらに指導を受けた作業者の記憶が欠落や変容を起こします。
これを防ぐためには
作業手順書を整備し、文書により伝達
します。さらに指導者は作業者の作業を定期的に確認して、指導した内容が適切に実行されているか確認します。
④ たまに行う作業
普段は行わずたまに行う作業は、作業する者は長期記憶から作業内容を検索し、思い出しながら作業を行います。作業中はこの思い出すことに認知資源が多く使われ、作業自体への注意がおろそかになります。さらに思い出す過程の中で、作業内容が変容することもあります。
そこでたまに行う作業こそ、
作業手順を記載したチェックリストを用意し、チェックリストに基づいて作業すること
で、作業自体に意識を集中することができます。これにより不注意によるミスを防ぎ、チェックリストに基づいて行うことで確実に作業ができます。
参考文献
「記憶・思考・脳」 横山詔一 渡邊正孝 著 新曜社
「認知心理学」 仲真紀子 編著 ミネルヴァ書房
「認知心理学」 海保博之 編 朝倉書店
「記憶」 前野隆司 著 ビジネス社
「脳とワーキングメモリ」 芋坂直行 編著 京都大学出版会
「記憶と情動の脳科学」 ジェームズ・L・マッガウ 著 ブルーバックス
「対話で学ぶ認知心理学」 塩見邦雄 著 ナカニシヤ出版
経営コラム ものづくりの未来と経営
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なぜ間違えるのか?誤った意思決定について
合理的経済人と意思決定の誤り
買い物などの個人の消費から、経営の意思決定まで、様々な場面で人はを考えて意思決定します。意思決定の結果が間違っていると損失を被ります。
買い物の失敗なら笑って済ませられますが、M&Aの失敗は企業の経営を傾かせ、倒産に至ることもあります。あるいは誤った判断により大規模な事故を起こし、多くの方が亡くなることすらあります。
この意思決定の誤りはどのようにして起きるのでしょうか。
経済学の考える合理的経済人
判断の誤りについては、認知のゆがみや誤った論理による判断ミス、つまりヒューマンエラーが生じます。これについてはヒューマンエラーの書籍に様々な原因が書かれています。
一方で企業経営や経済活動における意思決定は、経済学が取り組んでいて、従来の経済学では、人は合理的な意思決定を行うことになっています。
人々は、品物の価格が高ければ買う量を控え、価格が下がればたくさん買います。このような人々の行動を元に需要曲線が作られました。対して生産者側は需要が少なければ価格を引き下げて生産量を絞り、需要が多ければ価格を引き上げて生産量を増やします。そうすることで、市場は需要曲線と供給曲線が交差する点で均衡します。
図1 需要曲線と供給曲線
このように消費行動を単純化することで市場活動を数学モデルで表すことが可能になり、経済学は大いに発展しました。合理的経済学者は、「どのような条件下でも人は合理的な利己主義の観点で意思決定をする」ことにこだわりを持っています。
合理的な経済学者の考える意思決定は、上司の誘いを断って残業するのか、先日連絡先を交換した女性と密会するかどうか、すべてはひとつの問いに集約されます。つまり「おれにどんな得があるか」です。
個人ではどのような行動をするかを解き明かしたのが、ゲーム理論です。ゲーム理論では、個人個人が自己の利益の最大化を図ろうとすると、相手と協調した方がより利益が増えるのにも関わらず、相手が裏切るかもしれないと考え、結局少ない利益しか得られない結果になることを示しています。
経済学が考える人は、「自分に得になることだけを考えている人」で、他人も同様に「自分に得になることだけを考えている」と考えている人です。他者が得になることは一切しない、まさに「ウォール街の冷酷な論理」に従う人です。
人は必ずしも合理的な意思決定をするわけではない ~行動経済学~
心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーは、人の意思決定は経済学者が考えるように合理的なものばかりでなく、非合理な意思決定、つまり意思決定にバイアスがあることを発見しました。
例えば人は同じ金額を得られる場合と失う場合では、失う場合をより避ける傾向にあります。(損失回避のバイアス)
これを図式化したものがプロスペクト曲線です。
図2 プロスペクト曲線
あるいは意思決定の際、想起しやすい事柄や代表的な特性を過大に評価してしまうヒューリスティックを起こします。ダニエル・カーネマンはこのような人々の意思決定を行動経済学の体形にまとめ、ノーベル経済学賞を受賞しました。
ノート 認知バイアスの例
- ギャンブラーの錯誤
- 後知恵バイアス
- クラスター錯覚
過去の出来事が未来の確率に影響を及ぼすと思ってしまうこと。硬化を投げて5回連続で表が出たら次は裏が出る確率が高いと思うこと。(6回目に裏が出る確率の正解は、50%である。)
新しい情報に対して最初から分かっていたと感じること
パターンのないところにパターンを見る傾向。バスケットボールで連続して3点シュート決めると、単なる偶然にしかすぎないのに流れや波のようなものがあると思いこむこと
図3 経済学、行動経済学、進化心理学
ではどうして人はこのような意思決定のバイアスがあるのでしょうか。
人も動物であることから逃れられない ~進化心理学~
このような意思決定のバイアスは、人が文明を手にするはるか大昔から、外敵から身を守り、子孫を残すために獲得した能力によるものだと、進化心理学は説明しています。そして人が獲得した能力は、幼児から大人へ成長する過程で徐々に変化しています。
それは幼児が外敵から身を守り両親に育てられる段階から、社会の一員として他人とうまくやっていく段階を経て、配偶者を獲得し、子孫を残す段階に移行するに従い、必要な能力が変化するからです。これは人に限らず、サルやチンパンジーなどの生物や鳥や魚も同様の能力を持っています。
つまり私たちが、日常生活の中でいろいろな条件を配慮して悩んだあげく「これしかない」と決定した動機は、実は生物としての「内なるつぶやき」に支配されています。
その意思決定は、実はサルやチンパンジーと同じ動機かもしれません。
この意思決定は、進化上のいくつかのまったく異なる進化上の目標を達成するように設計されています。その結果、意識的か無意識的かに関わらず、まったく異なるバイアスが生じ、まったく異なる選択を下すことがあります。
意思決定に影響する7つの下位自己
進化の過程の中で、人が身を守るために獲得した能力は、以下の図のように7つの階層に分かれていて、それぞれを下位自己と呼びます。これらの下位自己は、時には相反する結論となります。人はその時点でどちらの下位自己に従うかにより、全く異なる意思決定をします。
図4 7つの下位自己
7つの下位自己 その1 自己防衛 夜警
これは被害妄想による内なる自己であり、危険を予知する能力です。この能力は危険に対してバイアスがかかっています。つまり、危険度合いが低くても注意を促すように、わざと不正確に認識します。これは危険に対し、より速く察知し、安全に対してマージンを確保するためです。例えば、人は近づいてくる音が実際によりも速く来るように感じます。これを聴覚ルーミングと言います。
太古の人類は、自然界で肉食動物など捕食者から逃れるために、速く気が付いて逃げるためです。速く感じることで、速く逃げ出しても自然界では損失はありません。あるいはまだ何もいないのに、何かいるように感じて逃げ出しても、気づくのが遅れて捕食者に食べられるよりはましです。
現代では、大型の肉食動物に襲われて食べられてしまうことはありませんが、危険と感じるシグナルに対して人は過敏に反応します。人の意思決定も不十分な情報でも独善的な判断を下し危険を避けようとします。脳の中では、火事がなくてもアラームが鳴るようにできています。
図5 危険を避けるためにアラームは敏感に
【けむり検知器のジレンマ】
けむり検知器のような警報機はすべての異常に対して確実にに反応させようとすると感度を高くする必要があります。その結果、誤警報が頻発します。かといって感度を下げると、もし火事になった時に鳴らない可能性があります。そう考えると感度を下げられません。その結果、敏感すぎる感度を選択します。
【飢餓で国家緊急事態に陥ったザンビア、食糧援助を拒否】
2002年5月ザンビアは冬季の乾期が例年なく長く、記録的な不作となって国の食糧の備蓄が尽き、多くの国民が餓死寸前に陥りました。ムワナワサ大統領は国家緊急事態宣言を行い、国際社会に援助を求めました。この状況にアメリカは3万5千トンの食糧を送りました。
しかしムワナワサ大統領は受け取りを拒否し、送られた食料は廃棄しました。その理由は、食料に記載されていた「遺伝子組み換え」の文字でした。ムワナワサ大統領は「我々は遺伝子組み換え食品を食べるくらいなら飢える方がいい」と言い、国民もムワナワサ大統領を支持しました。遺伝子組み換え食品の人体への悪影響はまだ見つかっていません。
2000年アメリカで、マクドナルドが使用していたフライドポテトのじゃがいもが遺伝子組み換えのジャガイモだったことが判明しました。激しい抗議が起き、多くのアメリカ国民は「正常なジャガイモしか食べない」と訴えました。マクドナルドは遺伝子組み換えでない昔ながらの「正常な」ジャガイモに戻さざるを得ませんでした。
現代社会では、実際に身体が危険にさらされなくても、見知らぬ人の怒った顔、他の人種や異教徒の情報、怖い映画や陰惨な犯罪のニュースでも、自己防衛の自己が活性化します。そして自己防衛の自己が活性化すると、人は用心深くなり、人ごみに溶け込みたい気持ちが強くなり、人と同じことを好みます。
ある心理学の実験で、自己防衛の下位自己を活性化すると、人は他人と同じことをするようになると分かりました。
被験者にホラー映画や暴力的な映画を見せて自己防衛の下位自己を活性化させた後、ベンツとBMWのどちらかを選択してもらいました。その結果、他の人がBMWを選べば、被験者もBMWを選び、他の人がベンツを選べば被験者はベンツを選ぶなど他の人と同じ内容を選択しました。
図6 他の人が選んだ方を選ぶ
この用心深い下位自己が優勢になると、見知らぬ男性が中立の表情をしていても怒っているように思えてしまいます。人は用心深く被害妄想的になり、有力な集団に加わることを好みます。また体への危険を避けようとします。
7つの下位自己 その2 病気回復と行動免疫システム
人類は、太古から今日までの間に、よそ者が運んできた感染症により壊滅的な打撃を受けてきました。1300年代には、ペストでヨーロッパ、アジア、アフリカの人口の50%が死にました。その後アメリカ大陸では、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘、はしか、腸チフスによりメキシコの人口の75%が死に絶えました。
実は、北米、南米でアフリカからの奴隷貿易が盛んになった背景には、ネイティブ・アメリカンや南米の土着の人種が、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病に耐えられず激減したためでした。そのためすでにヨーロッパと交易があり、これらの感染症に耐性のあるアフリカ人が選ばれたのです。
近年では1918年スペイン風邪のために世界中で4,000万から1億人が亡くなりました。第一次世界大戦では、戦場で戦死するより病死する兵士の方が多かったくらいです。
【小さな共同体】
多くの感染症はバクテリアやそれを介在する虫が多発する熱帯で発生します。感染症は人から人へ感染するため、共同体の人数が少なく、他の共同体と接することが少なければ、感染するリスクは少なくなります。
そのため、熱帯の共同体コミュニティは規模が小さいものが多く、その結果、コミュニティごとに多様な言語があります。これは病原体が感染している地域での交差感染を防ぐ知恵です。
こうして、こじんまりとした内向き社会をつくり、よそ者を排除し、自分たちを守っています。また熱帯の地域の人々の方が信仰心が強く共同体は強固な結びつきがあります。
一方、新病の多くは熱帯を起源としていますが、多くは亜熱帯で大発生します。これは亜熱帯の方が人口密度が高く、相互接触も多いため、急速に感染するからです。
【くしゃみやせきに対する反応 ~マークシャラーの実験~】
被験者に発疹や疱瘡のある人、鼻汁を飛ばしてせきやくしゃみをしている人など、病気のように見える人の写真を見せたところ、血液中のイターロイキン-6 (IL-6)の濃度が高くなっていました。IL-6は白血球が微生物を感知した時に産生するものです。この結果から病気の人の画像を見ただけで白血球が細菌感染に対する活動を始めたと言えます。
同様に危険そうな画像、例えばこちらに向かって銃を撃つような画像を見せた場合は、被験者は大変な苦痛を感じましたが、免疫システムにはなんら変化はありませんでした。
【胎児を守る】
同様に妊娠初期の女性は、感染症にかかると胎児に致命的な影響が出るため、見知らぬ人との接触を避ける傾向にあります。
また、妊娠中のつわりは、胎児に影響を与える食べ物の避ける役割があるという説もあります。
実際、つわりを経験した妊婦は流産の危険が明らかに低く、大きくて健康な赤ん坊が生まれることが多いと言われます。
これは、つわりにより弱いながらも毒性がある食品、アルコール、コーヒーなどを排除することが一因です。またつわりになると肉、動物性脂肪、ミルク、卵、シーフードを避けるようになります。これらの食品は、細菌による感染のリスクがあるため、感染による流産による危険を減らし、妊婦に穀類中心の食事をするように仕向ける効果があります。
同様に幼児が新しい食べ物を避け、同じものを食べたがるのも、見知らぬ食べ物には最近による感染のリスクがあるため、まだ免疫力の低い幼児はそのようなリスクを避けようとするからです。
【恐怖は生存を助ける】
恐怖によりノルアドレナリンが高まると、血液のリセプターに作用して血液の凝固を促進します。つまり敵に襲われて出血しても、それに対応する準備を体が始めます。さらに心臓を刺激し、血流を速め肝臓のグルコースを放出します。
こうして逃走反応や闘争反応に関係する組織が多くのエネルギーを使えるようになり、持ち得る能力を目いっぱい使って逃げたり戦ったりできるようになります。
あるいは、恐怖で人がその場にくぎ付けになることがあります。これは突進する象に対しては決して良い反応ではありませんが、自然界では多くの場面で動かないことは賢明な反応です。動かなければ捕食者に見つかりにくく、生き延びる確率が上がります。
7つの下位自己 その3 協力関係
3番目の下位自己は、人に好かれたい、仲良くしたいという協力関係の下位自己です。これは飢餓に対する保険でもあります。狩猟採集民の時代、人は他人と協力しながら食料を確保し生き延びてきました。協力することで大型動物を狩りで仕留めました。また食べ物を得るための様々な知恵を人から教えてもらいました。
この協力関係の下位自己が強くなると、友人と食事をしたりして親交を深めようとします。あるいは友情が脅かされそうなときや友人から拒絶されたときも協力関係の下位自己は活性化します。
【友情】
ポールマッカートニーとジョンレノンはビートルズ結成時、二人でつくった楽曲を共同クレジットにすることを約束しました。二人は十数年の間におよそ180曲をつくり、2010年においてさえ、約7億ドル相当の利益をポールにもたらしました。
スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ―を設立した時、二人の持ち株は全く同じでした。
カリフォルニア大学の人類学者アラン・フィスクは、人には異なるタイプの人とのやり取りや交換を値踏みをするシステムがあると考えています。
- 「市場価格決定」は合理的な経済学者が考える冷淡で金銭的なシステム
- 「共同分配」は家族や血縁関係、濃い共同体に見られるもので、自分が与えられるものを与え、自分が必要なものをもらい、誰がどんな貢献をしたのかこだわらない
- 「等価マッチング」はジョンレノンとポールマッカートニー、スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズのような友人同士のやり取りで、協力関係の下位自己は主にこのルールを用いています。誰もが同じだけ手にし、同等の機会を得るのが公平だと感じる関係
【最も強力な協力関係 血縁】
1620年メイフラワー号でアメリカに渡った103名は栄養失調、病気、物資不足にたたられ、ニューイングランドの厳しい冬のために53名が亡くなりました。ここで命を落としたものの多くは独り者で、家族連れは死亡率が低かったそうです。
図7 メイフラワー号(Wikipediaより)
【恐怖は人と同化を好む】
心理学の研究者は被験者にホラー映画の古典「シャイニング」を鑑賞してもらい、とりわけ怖いところでCMを入れ、商品の人気や需要の高さをアピールしました。怖い映画の途中で広告を見た人は人気を強調している商品に魅力を感じました。「毎年、百万人以上が訪れる美術館」など、大勢に従うメッセージをすんなり受け入れる状態になっていました。
ところがホラー映画の代わりにロマンチックな映画を見ると商品の独自性を強調した宣伝に最も影響されました。
つまり人の同調性は変化し、ロマンチックな下位自己が優勢になれば他にない独自性を求め、用心深い下位自己が優勢になれば同調性をしきりに求め独自な存在になることを避けるようになります。
7つの下位自己 その4 地位
動物の社会でも集団の中で高い地位にあるものは、様々な恩恵を受けます。最高位のヒヒは一番最初に食べ物にありつき、水を飲むときも最高の場所に陣取ります。ロバート・サポルスキーは同じヒヒの群れを数年にわたり観察し、高い地位にあるヒヒの方が最下層のヒヒより生理的ストレスの兆候が少ないことを発見しました。
人の場合、地位による恩恵は精神的な問題です。地位はそれ自体が媚薬のようなものだという人もいます。そして地位の下位自己は、自分がどの階層にいるのかについて敏感です。そして地位の高い人といることに価値を見出します。また人からの侮辱に対し敏感になります。地位の下位自己が強くなると、ささいな侮辱でも攻撃性が暴発する恐れがあります。
【自信過剰のバイアス】
生物が環境に適応するためには自信過剰のバイアスは必要です。これは野心や粘り強さを増大させます。自信があれば予測不能の状態に立たされても楽観主義を崩さず努力し続け、成功できます。
こうした自信過剰な人の中には、フロンティアを求めて、遠く移動した人たちもいました。カヌーで太平洋を航海した古代ポリネシア人達の中には、失敗して帰らぬ人になった人たちもいたかもしれません。しかし一組でも新天地にたどり着けば、そこで種族は繁栄できます。このような新天地を探し求める能力は動物にも備わっています。
男性に自分の運動能力を評価するようにいうと、全員が上から50%以内にいると評価します。またアメリカ人の50%は離婚しますが、結婚するカップルの86%は自分たちの結婚は永遠に続くと信じています。最もそう勘違いしてくれないと人類は途絶えてしまうかもしれませんが。
図8 失敗する確率は50%でも…
このような自信過剰のバイアスは、人が進化する過程の中で必要に迫られて獲得したバイアスです。自信は野心や決意や粘り強さを増大させます。自信過剰な人は予測不能の状態に立たされても楽観主義のまま努力し続けます。
7つの下位自己 その5 配偶者獲得
配偶者獲得とは、自分の遺伝子を次の世代に伝えようとする下位自己です。この下位自己は生命が発展する中で獲得した能力の中でも極めて強力なもので、人においてもこの下位自己が優勢になると、全く合理的でない意思決定を行います。しかもこの下位自己は男性と女性で全く異なるという特徴があります。
この下位自己はセクシーな女性など、現実や想像の配偶者候補により呼び覚まされ、配偶者候補から見て魅力的な自分、相手に好きになってもらうことに敏感に反応します。この下位自己が強くなると、自己防衛の下位自己とは正反対に、他の人と違うものを選択します。またジェフリー・ミラーは「恋人選び」の中では、音楽を演奏する、詩を書くなど活動も配偶者としての自己の地位を示す努力だとしています。
【配偶者獲得には、荒々しい攻撃性と自己顕示が必要】
この配偶者獲得の下位自己が優勢にかどうかは、体内のホルモン「テストステロン」の量に大きく影響されます。このテストステロンは10代半ばで跳ね上がり、20代で頂点に達します。このテストステロンは競争、反抗、情欲の激情を煽ります。周りの人に気を使い、控えめに行動していては、現代においても配偶者の獲得は困難です。「少しぐらい無茶しなきゃ、女の子はゲットできない」わけです。実際に男性も女性もテストステロンを注射すると攻撃性が高まり性的関心が増すことが分かっています。事実、40代前半に比べ20代前半の若者は殺人を犯す可能性が400%も高く、その理由の多くが、言い方が気に入らなかった、因縁をつけたなどの些細な理由です。
【ネイティブ・アメリカン、シャイアン族の二人の酋長】
ネイティブ・アメリカンのシャイアン族には平和の酋長と戦いの酋長という二人の酋長がいます。
平和の酋長は、世襲制で社会の上層の一族から輩出され、若いうちに結婚し戦いには加わりません。
戦いの酋長は、独身を貫き、戦いとなると先陣に立って敵に乗り込み、敗北するよりも死を選びます。彼らは幾度もの戦闘を生き延びることができ、戦士として引退すれば妻を娶ることができます。
彼らの多くは、孤児や下層の生まれで、もともと結婚相手が見つかる可能性は高くありません。しかし戦いの酋長として成功すれば、つまり命を長らえて名誉と共に引退し社会に戻れば、女性からとても魅力的な存在になります。その結果、戦いの酋長は結婚生活がかなり短いのにもかかわらず、平均すると子供の数は平和の酋長よりも多くなっていました。
生物の進化
生物の中にはオスが明らかに生存に不利となるような特徴を持っているものがあります。ラケットハチドリの長い尾は軽快に飛ぶのには明らかにじゃまなものです。同様にクジャクの巨大な尾羽は捕食動物から逃げるのには極めて不利です。このような大きく発達しすぎて身軽に飛べず、目立つために敵に襲われやすい特徴は、メスに対して、自分の種としての優秀性をアピールしていると考えられています。
「ボクを見て、ボクはとても優秀だからこれだけハンディがあっても敵を撃退できるよ」
図9 オナガラケットハチドリ(Wikipediaより)
図10 クジャクのオス(Wikipediaより)
【無意識にリスクの大きい選択】
心理学者のリチャード・ロネイはスケートボード場で96人の若いスケートボーダーに20ドル払って簡単な技をひとつと2回に1回くらいしかできない技をそれぞれ一つずつ演じてもらいました。その後18歳の魅力的な女性が見てる前で何度か技を披露し、唾液に含まれるテストステロンを測定しました。
その結果、若い女性が見ているとスケートボーダーはより難しい技がより多く決まることが分かりました。彼らのテストステロン量は女性が見ているだけで急増し、より無謀な動きをする傾向が強くなりました。またロネイは、彼らの脳の前頭前野腹内側部の機能をテストしたところ、テストの成績が落ちていることが分かりました。この前頭前野腹内側部は報酬と罰を評価するところです。つまりテストステロンによって慎重な判断に関わっている脳の部位は活動を抑えられていた可能性があります。スケートボーダーの男の子たちは、女性を獲得するために慎重さをかなぐり捨て無謀なチャレンジに取り組んでいたのです。本人が全く意識をしないで……。
【やけっぱちの次男坊が切り開いた大航海時代】
14世紀のポルトガルでは貴族の領地が不足し、分割相続によって収入が先細りになるのを避けるために、分割相続から長子がすべて相続するように変えました。その結果、土地を相続できなかった次男以下は、土地なしでは収入が限られるため結婚できなくなり、グレはじめました。(貴族の下層階級との結婚は禁止されていました)
その結果、社会秩序を脅かすようになり、国王は彼らに海外雄飛を促しました。「コロンブスやヴァスコダガマ、マゼランに続け!」というわけです。こうしてポルトガルの黄金期である大航海時代は、食い詰めた貴族の次男たちが扉を開いたのでした。
15~16世紀にかけて、ポルトガルの貴族の長男は大抵ポルトガルで死んでいますが、その弟たちはアフリカなど遠い異国で死んでいます。
図11 大航海時代の真相
【中国の抱える時限爆弾】
独身男性が多いと危険ということは、現代の中国にも当てはまります。中国ではかつて人口爆発を避けるために一人っ子政策を推進しました。子供が一人しか持てないと、親は男の子を欲しがるため、女の子だと中絶するケースが増え、中国では若者たちの男女比がアンバランスになっています。
中国の大都市では、男性125に対し、女性100という人口構成で、2020年には3700万人の男性が配偶者を得られないと予想されます。そのため、犯罪発生率が高まるなど社会不安が増加する恐れがあります。また不足する女性を補うために東南アジアなど海外から花嫁さんを連れてくる動きがあります。
アメリカでの調査でも、離婚率とレイプ発生率の間に強い相関関係があり、離婚率が高く、その後の再婚率が低い地域では、レイプ発生率が高くなっています。
【女性の行動に影響を与えるもの】
マーケティングのクリスティーナ・デュランテ助教授は、集まった被験者の女性たちに尿検査を行い、彼女らが排卵期にあるかどうかを調べた上で、彼女らに架空のオンラインショップで買い物三昧をしてもらいました。
架空のオンラインショップのアイテムは、衣料品や靴、バッグ、ファッション小物などで、半分は派手でセクシーなもの、残りの半分は控えめでおとなしいものでした。
実験の結果、受精可能期の女性はよりセクシーで露出の高い服やアイテムを選びました。彼女らは全く意識なく「たまにはセクシーなものもいいかなと思って」と選んでいました。
【どちらを選ぶ?】
排卵期と非排卵期の大学生の女性に、以下の二つのタイプに分けた同年代の男性と引き合わせた実験を行いました。
- 信頼できる良き父親タイプ
- 遊び人タイプ
感じが良く、思いやりがあるものの自身がなさそうで内気、退屈そうな男性
美男でたくましく女性をリードし楽しませる術を知っているが、信頼できないタイプ
女性たちのパートナーとしてどちらが好ましいかという選択に対して、良き父親タイプの男性に対しては排卵の有無は影響がありませんでした。しかし遊び人タイプの男性に対しては、排卵の有無で大きな違いが生じました。排卵期の女性は、遊び人タイプの男性が誠実で安定した関係を築き、良き夫、父親になるという勘違いを起こしました。
【女性が美容に使うお金は、贅沢でなく必需品】
社会心理学者のサラ・ヒルが調べたところ、景気が低迷すると女性は他の製品にはあまりお金を掛けなくなりますが、化粧品など見かけを良くする製品には余計お金をかけるようになりました。
経済の低迷は女性の見かけへの投資を増大させることが分かりました。少しでも良い男性を獲得したいという潜在的な希望がそうした行動に駆り立てていると考えられます。
図12 化粧は嗜好でなく投資?
7つの下位自己 その6 配偶者保持
7番目の下位自己は、良き妻、良き夫としてふるまいを維持する配偶者保持の下位自己です。人間の子供は養育機関が長く、夫婦で長い間協力しなければ子どもは満足に成人できません。その一方で他人に配偶者を奪われるリスクがあります。そこで配偶者との関係を維持し続ける努力を促すのが配偶者保持の下位自己です。
この下位自己は、長期にわたる関係を脅かすようなきっかけがあると活性化します。例えば、他人が自分の配偶者に色目を使ったときなどです。従って嫉妬は配偶者保持の下位自己の最も強力な発露です。結婚や離婚などの社会的ルールが確立されていない時代は、妻は若くて魅力的な女性が夫に言い寄ってこないか監視しなければなりませんでした。同様に夫は、妻に他の男がちょっかいを出して、自分が育てている子供の中に他の男の遺伝子を持った子が含まれていないか常に監視しなければなりませんでした。
7つの下位自己 その7 親族扶養
7番目の下位自己は、親族扶養つまり子どもに対する愛情の下位自己です。これは自分の子供に囲まれているときや、他人の子供の鳴き声や愛らしい赤ん坊を見たときに活性化します。あるいはユニセフへ募金してアフリカの飢えた子供に援助したり、子犬や子猫の面倒を見るときにも活性化します。
太古の人類は直立歩行を始めることで、大きくて重い脳を支えることが可能になりました。そこで起きた問題は、直立歩行に適した骨盤は、大きな脳に対して産道がとても狭いことでした。
今更脳を小さくすることを拒んだ太古の人類は、赤ん坊を未熟児で生む方法を選択しました。本来であれば人の胎児は、母親の胎内で21か月過ごす必要がありますが、
実際は9か月で生まれます。そのため人の赤ん坊はサルや類人猿に比べて非常に未熟で無力で生まれます。
猿や類人猿の赤ん坊は生まれて数時間、長くても数日で活発に動き回りますが、人の赤ん坊がそうなるには丸1年かかります。また無事に生まれてもちゃんと育つかどうか危うく、細心の注意で育てていかなければなりません。人の赤ん坊に抗いがたい魅力があるのは確実に育ててもらうためでもあります。
図13 愛らしさも必要な能力?
【家では勝負できない】
モルガン・スタンレーのあるファンドマネージャーは、常にリスクの高い金融取引に挑み、アドレナリンが出るのを楽しんでいるかのような人物でした。ただ他の金融トレーダーと違っていたのは、家では決して投資判断をしなかったことです。彼は職場では一匹狼で常に攻撃的な意思決定をしました。一方、家庭では愛情深い妻と幼い子供とかわいい子犬を愛する良き家庭人でした。
彼が職場で考え抜いた堅実だと思っていた高リスクの取引は、家庭ではあまりに危なっかしく思えました。彼は自分が攻撃的な金融トレーダーと良き家庭人という分裂した性質を持っていることを理解していました。
生活史理論
生物にとって生涯に渡り自らが生き残り、子孫を残すための最大の問題は「身体能力」と「繁殖能力」の獲得とそのバランスです。身体能力は自らが成長して健康な体の維持するために費やすエネルギーのことです。繁殖能力とは自らの遺伝子を複製するために費やされるエネルギーを指します。この身体能力と繁殖能力をどの段階でどのようにバランスを取るかが、生物の生活史戦略になり、それぞれの生物は自らの生活史戦略に従って、身体の発達と繁殖能力を決めています。
例えばマダガスカルのハリネズミの1種テンレックは、速い生活史戦略を採用しています。生後40日で性成熟を迎、1度に32匹の子供を産みます。テンレックの体は小さく、外敵に対して非力ですが、早く成長して早く子供を産むことで、他の捕食動物にやられてしまう前に自分の子孫を残すことができます。
対してゾウは遅い生活史戦略を取っています。1度に1頭しか生まず、子どもを産むようになるまで長い年月がかかります。その代わり成人の体は巨体で他の捕食動物から襲われる心配はほとんどありません。従って病気にかからず無事に成人できれば、少ない子供をじっくりと育てて、自分の遺伝子を残せます。
【速い生活史戦略と遅い生活史戦略を取る人】
人もゾウと同じ遅い生活史戦略をとる生き物です。そこで一生の間には、身体努力、配偶者獲得努力、育児努力のうちのどれか一つが優勢になります。しかしこの生活史戦略は、人の中でも速い生活史戦略をとるタイプと、遅い生活史戦略を取るタイプがあります。
速い生活史戦略をとるタイプは、性的に早熟で初体験も早く、セックスの相手も多く、人生の早い時期に子どもを設け、多くの子供を持つことになる人も多くいます。あるいは離婚や未婚の母となることもあります。一方消費や投資も、お金をコツコツと貯めるよりも派手に儲かることに惹かれます。その結果、大金を獲得することもありますが、全部失うことも珍しくありません。
対して遅い生活史戦略をとる人は、ゆっくりと成長し、思春期が始まるのも遅く、生物学的な老化も遅くなります。セックスを開始する時期も遅く相手も少なく、一夫一婦制を好みます。派手な消費はせず、リスクのある投資は避け、堅実なことを好みます。
なぜ人により生活史戦略のタイプが分かれるのか、発達心理学者のブルース・エリスによれば、小児期の環境の影響が大きいとしています。
第一に危険な環境、例えば暴力や病気が蔓延するような環境で育った子供は、長生きできるとは限らないから早く子供をつくり子孫を残そうと無意識に行動します。
第二が変動する環境です。離婚や再婚で家族構成が変わったり、子どものころ、戦争や災害、事故で環境が大きく変わると、コツコツと時間をかけて大きな成果を得るよりも、早く結果が出ることを求めるように無意識に選択します。
イーストオークランドの公営住宅に住むシングルマザーの8人兄弟の一人、MCハマーは1990年には5,000万枚以上のレコードを売り上げ、3,300万ドルの財産を築きましたが、6年後の1996年に破産しました。同様にアメリカンフットボール選手の78%が生きているうちに破産し、プロバスケットボール選手の60%が引退後5年以内に破産しています。
53人のロックスターが名を連ねる27クラブは27歳で他界した速い人生のロックスターたちです。その中にはジャニスジョプリン、ジミーヘンドリックス、ジムモリソン(ドアーズ)、ブライアンジョーンズ(ローリングストーンズの初代ギタリスト)などがいます。
参考文献
「きみの脳はなぜ『愚かな選択』をしてしまうのか」 ダグラス・T・ケンリック、ヴラダス・クリスケヴィシス 著 講談社
「消費資本主義!」 ジェフリー・ミラー 著 勁草書房
「友達の数は何人?」 ロビン・ダンパー 著 インターシフト
「進化心理学入門」 ジョン・H・カートライト 著 新曜社
本コラムは2018年7月22日「未来戦略ワークショップ」のテキストから作成しました。
経営コラム ものづくりの未来と経営
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ものづくりにおけるヒューマンエラーの原因と対策
不良・事故の原因
手順を守ったかどうか
ものづくりにおいて人間のウッカリミスやヒューマンエラーは、時に重大な事故や多額の損失を引き起こしています。問題が起きるたびに、原因の是正や再発防止に取組み、次は全く別の原因で発生します。こうして対策はモグラたたきになってしまい、終わりません。
不良や事故の原因は、図に示すように4つに分類できます。
図1 不良(事故)の発生原因
- 決められた手順を守っても起こる不良(事故)
- 決められた手順を守らなかったために起こる不良
不良(事故)には、決められた手順を守って確実に作業したのにも関わらず、起きてしまうものがあります。
【原因1製品設計の不良】
元々、製品の設計に問題があれば、求められる結果(精度や機能など)が実現できません。この場合は後工程がどれだけ努力しても、製品設計を変更しない限り、不良は解決しません。
【原因2工程設計の不良】
製品設計に問題はなくても、製造方法や作業方法、つまり工程設計に問題がある場合です。
例えば「コストダウンのために本来研削加工をすべきところを切削加工で仕上げた」、「プレスでなければ出せない精度だが、ロットが少ないため金型を製作するとコストが高くなる。そのため板金加工で製造した」などです。
製品設計は、工程設計と密接に関係しています。製品を開発する際は、製品設計と工程設計は密にコミュニケーションを取って、その製品に最適な工程設計をする必要があります。
コミュニケーションに問題があり、工程能力を超えた部品を設計したり、目標とする機能を実現するには不十分な設計るのに、部品精度を上げることで解決しようとすることがあります。そして、工程設計に負担をかけます。
往々にしてこのような問題の解決は莫大な時間と労力がかかっています。
故意に守らなかった場合と、守ろうとしていたのだけれど、うっかりして守らなかった場合があります。
【原因3 故意に守らなかった】
故意に手順を守らなかった場合も、ヒューマンエラーに分類されることがあります。しかしこの場合は、当事者がルールを守ろうとしない限り問題は解決しません。
多くの場合、ルールを守りたくない、あるいは守れない理由があります。
そこで、当事者から理由を聞き取って調査します。
例えばルールを守らず、安全スイッチを無効にして作業している機械は、安全スイッチが効いていると、
- 著しく作業性が悪い
- 安全カバーを閉めなければならないために内部が確認できない
などの理由が判明します。
この場合は、安全スイッチが効いていても作業性が悪化しないように作業の仕方を改善したり、安全カバーを閉めても内部が確認できるように窓やカメラモニターを取り付けて対処します。
【原因4 手順を守ろうとしたのに守っていなかった】
当人は守ろうと努力をしていて、しかもほとんどは的確に作業しています。
にもかかわらず、ごくたまに発生するミスが大きな問題を起こします。
このような本人の意思に反して、うっかり行ってしまうミスを、ここではヒューマンエラーと呼びます。
人はミスをする生き物
ヒューマンエラーを完全になくすのが難しいのは、人は本来ミスをする生き物だからです。
偉大な発見や発明の多くは、ミスや失敗から生まれています。従って全て悪と決めつけることもできません。かといってヒューマンエラーを許容していては、一つのミスが大きな事故や損失をもたらしてしまいます。
人はミスをする生き物?
- コンピューター化、多重化でミスゼロに
- 大量生産では、システム化とポカヨケ
- 多品種少量生産ではヒューマンエラー対策
- ピッキングする部品をランプが点灯して知らせる。
- 部品をピッキングする際にバーコードやRFIDで照合する。
- 間違いやすい品番の表示に色を付け、手順書の部品の表記も同じ色にする。
- 品番の表示だけでなく、品名や使用部位も表記する。
- 間違いやすい似通った部品は隣り合って置かない。
- 毎回新しい作業では
- 正確に聞き取っていない
- 正確に理解していない
- 確実に相手に伝わるように文書や掲示板など伝える方法を改善する
- 相手に伝わっているか確認する(確認会話)
- 分らない時に気軽に聞ける環境に改善する
- 誤って認識してしまう原因は、
- 忘れる
- 記憶が変質するという記憶の問題
- 差が小さくて見落としてしまう
- 周りの情報が多すぎて誤認識する
- メモやホワイトボード、パソコンやタッチパネルなどの他のものに記録する
- 見間違いや見落としが少なくなるように対象物の表記を大きくする
- 周りの余分な情報を減らして惑わされないようにする
- 判断プロセスが複雑
- 認知的不協和のためやり方が感覚と異なる
- 思い込みや先入観により直感による判断が間違う
- 複雑な作業を同時に行う
- 複数の作業を同時に行わない
- 判断は必ず二択にする
- 動作の方向と習慣を一致させる
- 思い込みや先入観を事前に排除する
- スリップ
- 故意
- できない
- 集中力が低下
- 心離れなど一瞬不注意となる
- 似ているために間違う
- 重要なことや目立つことに注意を奪われミスする
- 習慣化した動作が顔を出す
- 集中力が低下しないようにわざと手間をかけさせる
- 心離れが起きるタイミングで注意喚起する
- 違いを大きくする
- 大事なことが最後になるようにする
- 指差呼称を行う
- 実力・能力を過大評価している
- リスクを取り過ぎている
- 実力を測定して安全マージンを確認する
- 安全マージンの必要性を教育する
- 権威による圧力を受けて本当のことが言えない
- 急いでしまう
- 手順が不合理
- 作業の意味を理解していないため問題ないと自ら判断する
- 適切な判断をするように圧力をかけない
- 合理的な手順に変更する
- 急がせない
- 作業の本当の意味を理解させる
- チェックリストの項目を実際に確認せずにレ点を記入する
- チェックリストがあっても使わない
- 人が行う作業は全て間違える
- 人が行う検査は全て見落とす
- 人が覚えることは全て忘れる
実は、ヒューマンエラーを完全になくすことは、可能です。
人がヒューマンエラーの原因ですから、コンピューターにより自動化・無人化し、人による作業を極力排除し、さらにシステムを多重化すればミスを完全になくす事ができます。
仮に1個所でエラーが発生しても、システムは多重化されているため正常に動作します。こうすればミスのない仕組みも不可能ではありません。
非常にコストのかかる方法ですが、宇宙開発のようにコストをかけてでも確実に実行することが求められる分野では行われている方法です。
現実には、ミスの発生する頻度とミスが起きた時の損失費用から、経済的に見合ったヒューマンエラー対策が行われます。同じものを大量につくる大量生産では、コストをかけてもヒューマンエラーを防止する価値は十分あります。
この中でポカヨケは、比較的低コストでヒューマンエラーを防止する良い方法です。
多品種少量生産では、製品の形状が毎回全く変わってしまうこともあります。この場合、毎回新しいポカヨケを設計しなければならず費用対効果を考えると現実的でありません。
その場合、コストをあまりかけずに効果のある対策が必要です。これをヒューマンエラー対策と呼びます。
図 ポカヨケとヒューマンエラー対策
ヒューマンエラー対策は、ポカヨケのように完全にヒューマンエラーを防ぐことはできません。しかし、今までの何もしない状態よりは、発生確率を下げる事ができます。しかもポカヨケよりコストがかからず、様々な製品に対応できます。
例えば、複数の部品をピッキングする場合、
【ポカヨケやシステム化】
製品が頻繁に変わる場合は、製品に合わせた仕組みの構築が必要になります。
【ヒューマンエラー対策】
こうすることでコストがあまりかからず発生確率を下げることができます。費用対効果を考慮して、最適なやり方、仕組みを構築します。
毎回全く新しい製品の場合、作業者には高い能力が求められます。このような場合、不良を減らすのに作業者の能力向上が必要です。
従って、1度に数個しか流れない製品でAさんはミスなく行うが、Bさんはミスが多発する場合、原因は、ヒューマンエラーなのか、Bさんの能力の問題なのか、この点を見極める必要があります。
ヒューマンエラーの分類
ヒューマンエラー対策のためには、その発生原因を理解する必要があります。人が作業を行う場合には、認知→判断→行動のプロセスを経ます。
このそれぞれにヒューマンエラーが起こることがあります。
図 ヒューマンエラーの分類
以下に個々のヒューマンエラーの原因と対策を述べます。
認知
認知段階でのヒューマンエラーには、無知・理解してない場合と、事実を誤って認識する場合があります。
【1】無知・理解してない
原因として、伝えることの難しさがあります。
口頭では、伝えた内容を相手が
このような場合は少なくありません。
図 的確に伝えることは難しい
これは伝える立場、聞く立場それぞれの感情や考えが入り、バイアスがかかってしまうためです。また言葉だけでの伝達は、伝えられる情報には限りがあります。
十分に伝わっていないとき、聞き手も何がわからないかわかりません。
そのため、質問もできません。
【対策】
などがあります。
【2】誤認識
などがあります。
【対策】
作業途中の状況を記憶に頼らないように、
などがあります。
判断
情報は正しく認識したが、誤った判断をする原因は、
などがあります。
【対策】
などがあります。
行動
行動によるヒューマンエラーは、
の3つのパターンがあります。
【1】スリップ
本人は正しい動作をしようと思っているにもかかわらず、間違った動作をしてしまうことです。
原因は、
などがあります。
【対策】
などです。
図 色分けをしてわかりやすく
【2】できない
本人はできると思っているのに、できない場合です。原因は、
などがあります。
【対策】
作業には、ミスが起きても問題が発生しないように安全マージンが取ってあります。
などがあります。
【3】故意
自ら不適切な行為を選択する場合です。現実には様々な理由により、本人は望んでいなくても自ら不適切な行為を行うことがあります。
原因は、
などがあります。
【対策】
などがあります。
ヒューマンエラーを事前に防ぐ仕組み
ヒューマンエラーを防ぐために以下のような取組があります。
フールプルーフ
操作や取り扱いを誤っても事故にならない、あるいは、間違った操作や危険な取り扱いができない構造や操作体系に、設計しておくことです。
その前提には「人は間違える」「分かっている人だけが使うわけではない」があり、その場合も事故が起きたり、作業者を危険な目に合わせたり、設備が故障しないように設計します。
例として、ギアがパーキングに入っていないと始動しない自動車や左右のボタンを同時に押さないと起動しないプレス機などがあります。
フェイルセーフ
部品の破損や操作ミスをした場合、異常は出るが、できるかぎり安全な状態になるように設計することです。故障や誤操作は起きるという前提で、そうなった時に、自動的に安全な状態に導くように制御や動作、構造を設計しておきます。
例えば、倒れると自動的に消化する石油ストーブや停電・故障すると遮断機が降りて停止する踏切などがフェイルセーフの設計の例です。
フェイルソフト
事故や故障が発生したとき、問題の個所を部分的に停止したり切り離したりして、機能が不十分ながらも運転を継続できるように設計することです。
故障が起きることを前提にして、問題の個所を止めたり、切り離したりして他の機能への影響が波及しにくい構造にして、機能を落としても運転を継続するような仕組みや考え方です。
例えば、旅客機はエンジンに火災が発生した場合、そのエンジンへの燃料の供給を遮断して、残ったエンジンの運転を続けて飛行を続けることができます。
フォールトトレランス
一部が故障・停止しても予備の装置に切り替えて、正常に運転できるように設計することです。
事故や故障が起きることを前提として、重要な機能は複数の機器を用意したり、1個所が交渉しても他へは波及しないようにして、事故や故障が起きてもシステム全体の性能や機能を落とさずに運転を継続できる仕組みや考え方です。
例えば、電源装置を2組用意して、1つの電源が故障しても使用し続けることができるコンピューターや、停電しても自動的に発電機に切り替わって電力を供給するビルなどが、フォールトトレランスな設計の例です。
一方、どんなトラブルでも稼働し続けるようなシステムは、費用が膨大になり、経済的に合いません。そこで継続できる機能や持続時間を限定する(病院やビルの非常用発電機の燃料は数日分のみ備蓄する。)、あるいは機能や性能の低下を許容します。
FMEA (Failure Mode and Effects Analysis:故障モードと影響解析)
製品や工程の設計段階で、事前に発生する可能性のある故障を予測し、その影響を事前に評価します。そしてその影響の大きさに応じて事前に対策を行い、問題の未然防止を図る方法です。図10は、設計FMEAの例です。
FTA (Fault Tree Analysis:故障の木解析)
信頼性や安全性に関し発生する問題や現象を抽出し、それを引き起こす要因を順に展開し、その因果関係をツリー状の図に表し、発生経路や発生要因、発生確率を解析し、対策する方法です。
FMEAが、全体の構成要素から個別の故障モードに展開して、発生する問題を挙げて、それが全体に及ぼす影響を分析するのに対し、FTAは、発生すると重大な影響がある事故や故障を最初に抽出し、その発生要因を展開していく方法です。
FTAは、発生した問題をその要因に展開する必要があり、それには問題発生メカニズムに対する豊富な知識と問題解決力が必要です。このスキルが不足していると課題解決に使えるFT図が作成できません。
実際には原因を解明しただけでは不十分で、解決するための具体的な取組も必要です。そのためにはFTAのスキルだけでなく、様々な問題と発生原因意の知識、それを解決する技法や予防策に対する知識が必要です。
またこのFT図をつくることで、FMEAにおける故障モード予測に活かせる知識も得られます。
DR デザインレビュー(Design Review)
設計の成果物、結果に対して、目的とする機能や性能を達成するか、コストは適正か、また安全性、信頼性、操作性が適正か、生産性、保全性、廃棄での問題、法規制に対する適合など様々な項目を審査し、問題点を抽出し、対策することで問題の発生を未然に防止することです。
DRは、設計審査の訳ですが、単に設計だけにとどまらず、商品企画から製品設計を経て生産準備、販売サービスに至る各段階まで含みます。
DRと設計検証/設計の妥当性確認の関係
設計検証とは、設計の各段階において、その時点での設計結果が設計に要求されていることを満足しているかどうか確認することです。
妥当性確認とは、最終的に設計の結果として得られた製品や工程が、要求されている内容も含めて顧客のニーズを満たすかどうか、確認することです。
図 DR,設計検証と妥当性確認
設計検証は、製作する製品の仕様が、最初の要求仕様を確実に満たしているかどうか、設計の各段階で確認することです。
一方顧客の求めることは、仕様に明記されているもの以外に様々なものがあります。そのため顧客の使用状況を想定し、仕様に明記されている内容以外にも製品は問題ないかどうか確かめる必要があります。
これが妥当性確認で、実機試作品による試験や製品の据付・試運転などにより妥当性確認を行います。
ここでDRは、設計から据付までの各段階で設計検証や設計の妥当性確認の結果を確認し、次の段階に進んで良いかどうか判定するものです。
チェックリスト ( check list)
何かをするときに「必要になるモノ」や「必要になる行動」を一覧表にしたもので、確認項目と「〇」「×」、「ㇾ」などの判定があります。漏れなく確認する事ができるので、漏れなく安全に作業を開始したり、必要なものを確実に集めたり、必要な項目を確実に終了したりする場合などに用いられます。
チェックリストに従って確認すれば漏れなく行う事ができるのにもかかわらず、
など運用上の問題により、チェックリストがあっても事故や不良の発生が後を絶ちません。
図 ヒューマンエラー発見のためのチェックリスト
ヒューマンエラー対策事例
ヒューマンエラー対策で重要なポイントは、以下の3点です。
100%良品が必要であれば、完全にミスをしない作業、又は人の作業+確認作業が必要です。しかし、現実には確認作業は、必ず見落としがあります。そのため、さらにチェック機構が必要になり、全ての製品を100%良品保証するためには、かなりコストがかかります。
つまり現実には、ある程度のミスを許容して、ものづくりをしているのが現実です。しかし、ミスがプロジェクトに重大な影響を与える場合は、多額の費用をかけても確実な作業を作り込むことも必要です。
現実的なヒューマンエラー対策は、費用対効果を考慮して、一定のリスクを許容することです。ヒューマンエラー対策にコストをかけすぎ費用対効果が合わなくなれば、収益性が低下し事業の存続ができなくなります。かといって、タカタの例のように想定外のミスにより甚大な被害を顧客に与え、巨額の損害賠償を請求されれば、事業の存続が不可能になります。
従ってヒューマンエラー対策は、その前段階としてリスクマネジメントが必要です。
人間のウッカリミス、ヒューマンエラーについてもっと詳しく知りたい方は、こちらをご参照願います。
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
ものづくりはどのように変わっていくのでしょうか?
未来の組織や経営は何が求められるのでしょうか?
経営コラム「ものづくりの未来と経営」は、こういった課題に対するヒントになるコラムです。
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