複雑化する社会やシステムとヒューマンエラー その2 ~複雑化するシステムの問題を食い止める組織とは~
その1はこちらで参照いただけます。併せてご覧ください。
複雑化する社会やシステムとヒューマンエラー その1 ~複雑化するシステムの問題を食い止める組織とは~
現代は様々なシステムが複雑化し、さらにシステムの中でそれぞれの機能が密接に結合しています。そのため、些細な失敗が失敗の連鎖を生み、思いがけない事故が起きることを、「複雑化する社会やシステムとヒューマンエラー その1」で述べました。
この問題に対し、どのように対処すればよいのでしょうか?
問題を早期に発見する
密結合のシステムは、小さな問題が連鎖を生み短時間に重大な結果を引き起こします。
それを防ぐためには、問題を早期に発見します。
操作の見える化
最新型の航空機、例えばエアバスA330の操縦桿はジョイスティックです。
対して、アメリカのボーイング737のコックピットには、今でも中央に巨大な操縦桿があります。機首を下げるには操縦桿を前に倒し、機首を上げるには操縦桿を手前に引くという昔ながらの操作です。機長と副操縦士の操縦桿は連動しているので、副操縦士が操縦桿を引けば機長にもすぐに分かります。
2009年エールフランス447便のエアバスA330が大西洋に墜落しました。その5年後にはエアアジア8501便がジャワ海に墜落しました。原因は旋回失速でした。つまり旋回中に機首を上げすぎたためでした。機種を上げすぎた時には、機首を下げれば失速しないのですが、混乱した副操縦士は機首をさらに上げてしまったのです。しかも機長はこの致命的なミスに気付きませんでした。
操作が機長に見えないことが、問題の発見を遅らせたのです。この問題は最新の自動車にもあります。
シフトレバーの位置はどこ?
映画スタートレックの主演俳優アントン・イェルメンは、愛車ジープ・グランドチェルキーから降りた後、勝手に下がってきた車と塀の間に挟まれて亡くなりました。この車は、シフトレバーを動かしてギヤを選ぶと、その後シフトレバーは元の位置に戻ります。そのため、今ギヤがどこに入っているのかシフトレバーを見ても分かりません。イェルメンはシフトをパーキングにしたつもりでしたが、ニュートラルだったのです。実際、パーキングのつもりがニュートラルやリバースに入っていたという苦情が寄せられていました。
「どのように操作したのか一目でわかる」
単純なことですが、そうでないことがヒューマンエラーを誘発し、重大な結果をもたらしたのです。
多すぎる警告の危険
間違った操作、機器の故障、人が気づかない危険を防ぐために、多くの機械は警告を発します。しかし警告が多すぎても混乱します。
ボーイングでは、飛行に有害な影響を及ぼす可能性のある、下記の4項目のうち、高レベル警報を作動させるのはどれとどれでしょうか?
- エンジン火災
- 着陸降下を開始しているのに着陸装置が出ていない
- 空気力学的な失速が差し迫っている
- エンジン停止
答えは「3. 空気力学的な失速が差し迫っている」です。
ボーイングのコックピットでは失速のみ、赤い警告灯が点灯し、赤文字のメッセージがスクリーンに表示されます。操縦桿が激しく振動し、警報音が鳴り響きます。
尚、失速以外の状況では警報音が鳴り響くことはありません。
これは警報システム(に限らずあらゆるシステム)を
必要以上に複雑にして人々を圧倒するな
ということです。
かつて航空機の複雑化が進むと、人の不注意を補うため、あちこちに警告灯や警報装置がつけられました。その結果、コックピット内は頻繁に警告灯が点灯し、警報が鳴り響いていはました。この警告灯や警報がかえってパイロットの注意力や正しい判断の障害となってしまいました。
今は警報が階層化され、日常のフライトではめったに警報は作動せず、あまり重要でない警報にパイロットが圧倒されることはなくなりました。
十分な高さはどれくらいか
海抜約60mの山腹にある宮古市重茂姉吉(おもえあねよし)地区には、130年以上前に建立された石碑があります。
「津波は、ここまで来る。ここから下には、家を作ってはならない」
2011年3月11日の東日本大震災では、1896年三陸沖地震の後に建てられた石碑の100m手前で津波は止まりました。
一方、地震による津波のため福島第一原子力発電所は発電機が浸水、全電源を喪失しメルトダウンを起こしました。福島第一原発の防波堤10mに対し、女川原発の防波堤の高さは14mあり、13mの津波を防ぐことができました。
では、防波堤の高さは何メートルにすればよいのでしょうか。
確率90%に入るのは50%以下
最善のケースと最悪のケースの間の合理的な範囲を考えれば、防波堤を襲う最も高い波は99%の確率で7mから10mに含まれます。
しかし心理学者のドン・ムーアとウリエル・ハランの研究によれば
90%の信頼区間は10回のうち9回はその範囲に入るはずなのに、実際には
真値が含まれる確率は50%以下
であると、予測の研究から述べています。
解決策① 主観的確率区間推定法
そこでムーアとハラン、キャリー・モアウェッジは、主観的確率区間推定法(SPIES : Subjective Probability Interval Estimates) で、両端だけを考えるのでなく、起こりうる複数の結果の確率を予測すべきと提言します。
主観的確率区間推定法とは、データから得られた情報に加えて、事前に持つ確率的知識を加味して、パラメータの値の区間を推定する方法です。従来の統計学では、データから得られた情報のみに基づいて、区間推定を行います。しかし、この方法では、データが限られている場合や、データの質が低い場合、正確な区間推定が難しい場合があります。
主観的確率区間推定法では、データから得られた情報に加えて、事前に持つ確率的知識を加味することで、より正確な区間推定を行うことができます。主観的確率区間推定法には、以下の2つの方法があります。ベイズ統計学に基づく方法
ベイズ統計学では、事前に持つ確率的知識を事前分布として表現します。そして、データから得られた情報に基づいて、事前分布を更新し、推定結果を導きます。事前分布を用いない方法
事前分布を用いない方法では、データから得られた情報のみに基づいて、区間推定を行います。しかし、この方法では、事前に持つ確率的知識を加味できないため、正確な区間推定が難しい場合があります。主観的確率区間推定法は、従来の統計学よりも正確な区間推定を行うことができるため、さまざまな分野で活用されています。主観的確率区間推定法のメリットとデメリットは、
メリット
・従来の統計学よりも正確な区間推定が可能
・事前に持つ確率的知識を加味できるデメリット
・事前分布の設定が難しい
・計算が複雑になる可能性がある主観的確率区間推定法は、事前分布の設定が難しいというデメリットがあります。しかし、事前分布を適切に設定することで、より正確な区間推定を行うことができます。
まず全ての起り得る結果を網羅するように区間を設定し、
次にそれぞれの区間の確率を推定し書き出していきます。
これらの推定確率を元に、以下の表のように信頼区間を推定します。
区間(プロジェクトの長さ) | 推定確率 |
1か月未満 | 0% |
1~2か月 | 5% |
2~3か月 | 35% |
3~4か月 | 35% |
4~5か月 | 15% |
5~6か月 | 5% |
6~7か月 | 3% |
7~8か月 | 2% |
8か月以上 | 0% |
例えば、90%の信頼区間を求める場合は、上から合計確率が5%になる信頼区間を切り捨てます。同様に下から合計確率が5%になる信頼区間も切り捨てます。残ったものが90%の信頼区間になります。SPIESを用いた結果、ある研究では、従来型の90%区間に真値が含まれる確率が30%だったのに対し、SPIESで算出した区間の的中率は74%でした。
つまり従来の客観的確率で99%とされていたものは、もっと低いかもしれないのです。逆に客観的確率ではめったに起こらない高さの津波は、もっと高い確率かもしれないのです。
なぜ正確な予測が困難なのか?「意地悪な環境」の難しさ
津波のような自然災害は、社会インフラのコストに影響するため多くの専門家が高度なモデルを使って推定します。しかし津波のようなめったに起こらないことは学習ができません。これを心理学者は「意地悪な環境」と言います。実際に起きなければ、予測や決定がどれだけ正確だったか確認できません。しかも自然災害の予測は、わずかなミスも許されません。
これに対して、気象予想の専門家は常にフィードバックを受けています。日々予想の正しさを確認しています。これを心理学者は「親切な環境」といいます。結果について頻繁にフィードバックが得られるため、正しい決定のためのパターン認識能力が身につく環境です。
これに対し、「意地悪な環境」では専門家でさえ、自分の決定が正しいかどうか、確認できません。つまり専門知識を身につける機会が限られています。ある実験で、出入国審査官がパスポートの写真を見て別人を通す確率わ調べました。結果は7回に1回、これは実験に参加した学生と変わりませんでした。
解決策② 選択を構造化
家を買うとき、様々な家を見るとそれぞれ特徴があります。どの家が「最適な選択」でしょうか。ある家のとても素敵なベランダに心惹かれて、他の欠点は無視してしまうかもしれません。
「ペアワイズ(2因子間網羅)」を使えば、ある特徴に引っ張られることなく、総合的な評価ができます。
ペアワイズとは、組み合わせテストの技法の一つで、2つの因子のすべてのペアについて、取り得る値の組み合わせを網羅する手法です。ソフトウェアの不具合の多くは1つまたは2つの因子の組み合わせによって発生する、という経験則に基づいて、すべての因子・水準の組み合わせを網羅するよりも何桁も少ない回数で組み合わせテストを構成することができます。
ペアワイズ法は、以下の2つのステップでテストケースを作成します。
1. テスト対象とする因子と、その因子の水準を特定する。
2. すべての因子のペアについて、それぞれの水準の組み合わせを網羅するテストケースを作成する。
例えば、テスト対象とする因子が「色」と「サイズ」で、色の水準が「赤」と「青」、サイズの水準が「小」と「大」の場合、ペアワイズ法では以下の4つのテストケースを作成します。色:赤、サイズ:小
色:赤、サイズ:大
色:青、サイズ:小
色:青、サイズ:大ペアワイズ法は、以下のメリットがあります。
・少ないテストケースで効率的にテストを進めることができる。
・ソフトウェアの不具合の大部分を検出できる。デメリットとしては、以下の点が挙げられます。
・因子間に明確な関係がない場合に、必要なテストケースが不足する可能性がある。
・因子の数が多い場合に、テストケースの数が多くなる。ペアワイズ法は、ソフトウェアの不具合の多くを効率的に検出できる有効なテスト技法です。しかし、因子の数や因子間の関係を考慮して、適切に活用することが重要です。
家を選択する場合、リストからランダムに選んだ2つの項目を次々に表示し、自分にとって大切な方をクリックします。この選択を数十回行い、各項目につき0~100までのスコアを算出します。これに対し重みづけをして総合的に評価します。
シアトルに住むリサとその夫は家を買うときにこのペアワイズを使用しました。結果、気に入った家の評価が意外と低く、平均的な不満の少ない家が見つかりました。この手法のおかげで費用面的な細部にとらわれずに済みました。(表2)
表3 家を買うときに行ったペアワイズ
基準 | 重み | 家D | 家J | 家T |
間取り(3ベッドルーム+ゲストルーム) | 89 | 1 | 1 | 1 |
動線の良さ | 79 | 0.5 | 1 | 0.5 |
開放感 | 73 | 0 | 1 | 1 |
プレハブを増築できるか | 67 | 1 | 1 | 1 |
戸外や自然環境との一体感 | 62 | 1 | 1 | 0.5 |
家の雰囲気 | 62 | 1 | -1 | 0.5 |
大規模な改修が不要 | 61 | 1 | -0.5 | 1 |
お得感 | 53 | 0 | 0 | 0.5 |
親しみやすい土地柄 | 65 | 0 | -1 | 0.5 |
近隣地域の質 | 57 | -1 | -1 | 0 |
近隣住民の雰囲気 | 54 | -1 | 0 | 0 |
加重和(722点満点中) | 269.5 | 155.5 | 450.5 | |
合計スコア(722を100%とした割合) | 37.3% | 21.5% | 62.0% |
※注 2人はプロセスを簡素化するために、評価がとても低かった基準を省いた
頭の中に12もの項目を一度に入れておくのは難しいですが、このツールがあればすべてを組み込んだ全体像をつかむことができます。
解決策③ 死亡前死因分析
プロジェクトが失敗すると、何が問題だったのか、なぜ失敗したのかを検討するための教訓セッションが行われます。医療でいう、死亡後死因分析のようなものです。ゲーリー・クラインは以下のように考えました。
これを事前に考えてみてはどうだろう? プロジェクトを開始する前に、こう宣言するのだ。「今、水晶玉を覗いてみたら、プロジェクトが失敗していました。大失敗です。さてみなさん、少し時間をとって、なぜプロジェクトが失敗したのかを考え、その理由をすべて書き出してください。」
これは心理学者が「先見の後知恵」と呼ぶもので、つまり出来事がすでに起こったと想像することで頭に浮かぶ後知恵です。この先見の後知恵を用いると、特定の結果が起こる理由を見抜く能力が高まります。
例 卒業を控えた60人に今後母校の成功を脅かす最大のリスクを書いてもらいました。学生には2種類の質問をしました。
(#1) 少し時間を取って、今後2年間に当校の存続や成功にとって最大の脅威となるかもしれない要因や動向、出来事を考えてください。頭に浮かんだことをすべて書き出してください。
(#2) 今は2年後だと想像してください。当校は大苦戦していて、最近の卒業生であるあなたは悪いニュースをしょっちゅう見聞きしています。実際、大学はビジネスモデルの閉鎖さえ検討しているほどです。では少し時間を取って、この結果をもたらした要因、動向、出来事を想像してください。頭に浮かんだことをすべて書き出してください。
表 質問の回答
バージョン#1の質問の回答 | バージョン#2の質問の回答 |
学生の実地研修が足りない。他大学の学生に比べて実地スキルを学ぶ機会が少ない | アカデミックなことに力を入れすぎて、実践的なスキルや就職支援などに手が回らない |
他校のプログラムとの差別化が図れず、毎年卒業生がよい仕事に就けない | 学生のカンニングなど学術スキャンダルによって、大学の評判が傷つく |
<教室での講義と実際の職業経験とを結びつけていない/td> | 多くの卒業生が就いてきた新卒向けの仕事が、人工知能に取って代わられる |
他校に比べて卒業生を採用する企業が少ない。就職準備のサポートが不十分 | 自然災害による公社の損壊。法律改正により海外留学生のビザ取得が困難に |
他校との競争や、全般的な経済不安 | 他校の実地研修が拡充する。オンライン教育により対面での授業が時代遅れになる。経済学部の応用プログラムにビジネススクールの優秀な学生が奪われる |
バージョン#1の回答と、バージョン#2の回答には明らかな違いがあります。バージョン#1の結果を想像しなかった場合に比べて、バージョン#2ではより多くの理由を思いつき、しかもそれらはより具体的で正確でした。
解決策④ 予測能力・直観力を磨く
【2秒早く予測】
アイスホッケー選手ウェイン・グレツキーは、1981~1982年のシーズンで92得点というNHL記録を打ち出し、NHL史上最高のプレイヤーと呼ばれました。ウェインは身長180cm、体重77kgとNHL選出しては小柄でしたが、他の選手よりも2秒早くリンク上の展開が読めました。
ウェインは「パックがある場所へ滑るのでなく、パックが向かうはずの場所に滑り込む」と述べています。
チームメイト グラントファーは「彼は試合の動きが読めるんだ。他の選手はそんなこと考えもしない。不可能だと思っているからね。なのに彼はそれをやってのけるのさ。同僚選手に向けてでなく、スペースへとパスを出す。誰かがそこを滑るはずだし、その位置からなら得点できるとわかっている。だからパックをそこへ送り出すわけだ」と話しています。
【自分と会社が一体という感覚】
シリコンバレーの投資家 元ネットスケープ・コミュニケーションズのベン・ホロウィッツは、ラウドクラウドのCEO時代、データを見るのではなく自社についての知識を頭の中に詰め込んでいました。
製品、顧客、従業員、課題や脅威などの情報が頭の中をうまく流れるようにしていました。ホロウィッツは自分が会社と一体だという感覚で仕事を行っていました。
そのため、難題が持ち上がっても打つべき手が瞬時に頭に浮かびました。
ホロウィッツはこの感覚を持った人材をタイプ1の人材と呼びました。企業への投資はタイプ1の人材がいるかどうかで決めていました。
一方、企業にとってはタイプ1とは違うタイプ2の人材も必要であり、細かい点に注意を払って実行役を果たすと考えていました。ただしタイプ2の人材は想定内の話しかできません。
CEOが完全な情報をもとに判断を下すことはあり得ないため、これまでの経験から複雑で巨大な情報のかたまりを脳内で咀嚼し、解決策を即座に判断できます。また、見過しがちな変化やチャンスに注意を払うことができます。
【とにかく行動】
ボストンのトーマス・メニーノ市長は、支持率は72%で、2009年5期目の再選を果たしました。
メニーノ市長はひっきりなしに街に出て、世論調査はせず、コンサルタントにも頼らない方針でした。泥臭い仕事を自分でこなし、「熟考より行動」を重んじていました。その積み重ねでメニーノ市長は自分の判断がどんな影響を及ぼすのかをほぼ瞬時に見通すことができました。
彼は、1万時間を超える時間をかけてボストンについての予測脳を築きました。
解決策⑤ 小さなミスから学習する
システムが小さなエラーやミス、その他警告サインという形で私たちに投げかける情報から、学習することを欠かさないようにします。
小さな過ちやニアミスから学習する方法をアノマライジングと呼びます。
【ステップ1】
- アノマリー(計画したことと実際に展開する状況との乖離)の収集
- 危険なニアミスの報告の収集
- うまくいっていない物事を発見
- 例えば航空会社は航行中の航空機からも直接データを収集
【ステップ2】
- 指摘された問題に対処
【ステップ3】
- 問題を掘り下げ、根本原因を特定し対処
例 同じ病棟で投薬ミスが繰り返し起こっていた - 調査の結果、看護師たちが立ったまま投薬の準備をする間、何かと邪魔が入って投薬準備がしょっちゅう中断されていた
- 対策として投薬準備室を設けた
- 問題が解明したらヒヤリハットの事例は組織全体で共有
【ステップ4】
- 警告サインを受けて講じた解決策がちゃんと機能しているか検証
例 航空会社での手順ミスが発生した - コックピットにパイロットがもう一人乗り込んでクルーの仕事を見守る
- チェックリスト項目の見逃しや手順の混同がないか確認して対策の有効性を検証
検証を行うことで、解決策が問題を悪化させる事態を防ぐことができます。
組織の中で「報告者が責められるようなことがあれば、システムに生じたまちがいや事故を指摘する人など誰もいなくなる」というような「あやまちを魔女狩りにする」のでなく、学習機会とみなす文化が必要になります。
UCSFの医師ボブ・ワクター氏は、「組織の安全性を測るものさしは、ファインプレーをした人がCEOに表彰されるかどうかではない」
「たとえ勘違いでも声をあげた人が表彰されるかどうかなのだ」
と述べています。
失敗を引き起こす権力
ウィスコンシン大学で、以下のような研究が行われました。
まず、面識のない3人の参加者に学内の様々な問題を議論させます。その後、3人の中からランダムに選んだ1人を評価者に指名し、他の2人について議論の貢献度に応じて点数をつけてもらいます。評価者は選ばれたのがただの偶然であることを知っている状態です。
次に、議論の30分後にチョコレートチップクッキーを差し入れます。
チョコレートチップクッキーは全員分のおかわりがなく、2枚目のクッキーをもらえるのは評価者に選ばれた人だけです。この、「評価をする」というわずかな権力意識が、評価者自身に「自分は2枚目を食べる権利がある」と思わせました。
しかも食べ方も汚く、「脱抑制摂食行動」の兆候が見られました。動物のような食べ方で、他の参加者に比べて口を大きく開けて食べたり、クッキーのかけらを顔やテーブルにこぼしていました。
① 権力意識が現場の直感を阻害する
【他人の意見を聞かない】
前記の研究から、ささやかな権力意識を手にするだけで人は腐敗することが分かります。そして他人の意見を曲解したり却下したりします。「議論で他人の発言を遮る」、「自分の順番でないときに発言する」、「専門家であろうとなかろうと他人の助言を聞き入れない」などの行動を起こす可能性が高くなりました。
権力を持っている状態は、脳に損傷がある状態と少し似ているといえるでしょう。
「権力者は脳の前頭葉眼窩部に損傷を受けた患者とそっくりの言動をとることが多い」
この領域の活動が低下すると、衝動的で無神経な行動をとりがちになります。複雑系では、失敗の前に
失敗が近いことを示す手がかり
が現れます。その多くは役職者より現場の人の前に現れます。しかし彼らは「上司はどうせ聞いてくれない」と思います。声を上げることはありません。
【予兆を妨げる上司】
ウィスコンシン大学のジム・ディタートは従業員の素直な意見を促すために企業が行っている取組を調査しました。その結果「ベストプラクティス」とは程遠い現状が浮き彫りになりました。
「オープン・ドア・ポリシー」は、効果が上がっていませんでした。上司との会話においても、問題の責任は部下にあり、それは乗り越えがたいハードルでした。
ウィスコンシン大学のディタートとパリスは「匿名で意見を言える仕組みにすれば、その背後に『この組織で思っていることを素直に言うのは危険だ』というメッセージが言外隠されている」と指摘しました。
② 開かれていないリーダーシップ
リーダーは何より「人がいかにヒエラルキーに忖度しているか」このことを理解することがとても重要です。前述のディタートは以下のように述べています。
ほとんどの人が意識していなくても、上役のご機嫌を損ねていないだろうか、人間関係を損ねていないだろうか、といつも気にしている。だから上司は、ただ和やかな雰囲気をつくり、オープン・ドア・ポリシーを唱えるだけではだめなんだ。誰かがやってきて声を上げるのを待つんじゃない。自分から行かなくては。会議で誰も反対しないからといって、全員が合意していると思ってはいけない。多様な意見を促そう。部下が意見を言える場を頻繁に設けよう。そうするうちに、声を上げることが特別なことではなくなり、いつものありふれたことになる。
「声を上げるよう積極的に促さないのは、抑えつけているのと同じだ。ネガティブなことをしないというのでは全く不十分なんだ」
しかし、メンバーが声を上げやすいように様々な取組をした結果、根拠のない懸念や的外れの意見まで殺到したらどうしたら良いでしょうか。寄せられるアイデアにはよくないものもあります。ただ文句を言いたいだけの不満分子かもしれません。
素直な意見を促すとき、よいアイデアだけが出てくることはありません。一部の意味のないアイデアで時間を無駄にするかもしれません。そのコストと、とても重要なことを見過すコストをてんびんにかけなければなりません。どちらを大切にするべきか、判断するのはリーダーです。
システムが線形系であれば声を上げることがあまり重要でないかもしれません。失敗は明白で人目に付きやすく、些細なエラーでメルトダウンを引き起こすことはめったにありません。
しかし複雑系では何が起こっているかを把握するのは、一個人の能力では限界があります。その上システムが密に結合していれば、間違いの代償はとても高つきます。
複雑系のデンジャーゾーンでは、少数意見を無視できないのです。
レジリエンスを高める
十分な対策をしても大規模な災害を防ぎきれないもしれません。
レジリエンス・エンジニアリング、認知システム工学のE・ホルナゲルは、大規模な災害が起き、それは防ぎきれないという前提で「被害を最小限に食い止め、早期の復旧を目指すべき」という考え方を提唱しました。(レジリエンスとは弾性力、回復力を意味し、物理学、生態学、心理学で用いられます。)
東日本大震災では、巨大な津波が防潮堤を乗り越えて人命や財産を奪いました。レジリエンス・エンジニアリングでは、ハードウェアだけで津波を100%防ぐのでなく、例え津波が乗り越えても被害を最小限に抑え、そして被害から早期の復旧ができることを目指します。
これは強固なハードウェアに頼るのでなく、社会システムを構築し、人や組織が臨機応変に柔軟に対応することで問題に対処するという考え方です。そのためには事前に様々な場面を想定し、臨機応変な対応ができるような訓練が必要です。
つまり、これまでシステムやルールを守り安全を確保する「第1種の安全」に対して
2被害をできるだけ抑えて、機能の維持と回復に向かう取組は「第2種の安全」と呼べるでしょう。
表 第1種の安全と、第2種の安全の比較
Safety-Ⅰ | Safety-Ⅱ | |
安全の定義 | 悪い方向へ向かう物事ができるだけ少ないこと | できるだけ多くのことが正しい方向へ向かうこと |
安全管理の原則 | 何かが起こった時に、反応し、応答する | 事前対策的、発展や事象を予期するように努める |
事故の説明 | 事故は失敗や機能不全が原因で起こる | 結果によらず、物事は同じ方法で起こる |
ヒューマンファクターの見方 | 責任 | 資源 |
参考文献
「巨大システム失敗の本質」クリス・クリアフィールド、アンドラーシュ・ティルシック 著 東洋経済新報社
「科学技術の失敗から学ぶということ」寿楽浩太 著 オーム社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
ものづくりはどのように変わっていくのでしょうか?
未来の組織や経営は何が求められるのでしょうか?
経営コラム「ものづくりの未来と経営」は、こういった課題に対するヒントになるコラムです。
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