モチベーションとやり抜く力『GRIT』
働き方改革や外国人の雇用など日本の労働環境が大きく変わろうとしています。企業の成果は、言い換えれば社員一人一人が働いた結果です。個々の社員がどのように働き、どれだけの成果を出すか、これは企業経営に大きな影響があります。
その一方で、若い人達の仕事に対する姿勢や意識は大きく変化しました。
「電話に出ない」、
「言われたことしかやらない」、
「メール1本で休む」
など今までの常識が通用せず、多くの経営者や管理者は戸惑っています。
未来戦略ワークショップでは、この若者の特徴とやる気を高める方法について、
で述べました。
今回は、モチベーションについて近年注目されている「GRIT」という考え方から、社員が意欲的に仕事に取り組む方法について考えます。
日本人は勤勉なのか?
日本の労働生産性はどれくらいか?
戦後の日本の高度成長は、日本人の勤勉さによるところが大きいといわれています。ところが日本人の1人当たりの生み出す価値「労働生産性」は世界で21位(2018年)と高くありません。
労働生産性の伸び率も2015年から2018年にかけて、日本はマイナス0.2%、先進諸国と比較して低い数値です。
その結果、国は労働生産性の向上は喫緊の課題としています。
日本の労働者は頑張って働いている
この国の統計の労働生産性は、GDPを就業者数で割ったものです。
実は日本の就業者数は1998年の6,793万人をピークとして、2015年には6,075万人と10.5%減少しました。また年間労働時間も1989年には2,076時間だったものが、2015年には1,724時間と17%減少しました。
それでもGDPは1990年の454兆円(名目)が2015年には537兆円と18%(名目)も成長しています。従って労働生産性は大幅に改善されています。
それでも世界と比較して日本の労働生産性が低いのは、GDPつまり国内で生み出す価値が低いからです。この数字で見る限り日本人の働き方の効率は高くなっています。むしろこれ以上効率を追求すれば、働き方に無理が生じる恐れがあります。
日本の社員のやる気は高いのだろうか?
その一方で「日本人はまじめで勤勉」というステレオタイプは虚構ではないかという意見もあります。
アメリカの人事コンサルティング会社ケネクサは28ヵ国の社員100名以上の企業の社員の従業員エンゲージメント(組織の成功に貢献しようとするモチベーションの高さ、組織の目標を達成するための重要なタスク遂行のために自分で努力しようとする意思の大きさ)を調査しました。
その結果「従業員エンゲージメント指数」は、上位がインド77%、デンマーク67%、メキシコ63%でした。他の主要国では、アメリカ59%、中国57%、ブラジル55%、ロシア48%で、日本は31%で最下位でした。
つまり我々日本人は自らの意志で長時間労働、サービス残業をしていても、そのモチベーションは決して高くないようです。
ではなぜ遅くまで働いているのか?
原因のひとつは、仕事が終わっても自分だけが早く帰れないという組織の同調圧力です。
単純労働とホワイトカラーの仕事
今から20年以上前、職場にはパソコンが普及し業務の効率化が進みました。事務作業の中で単純作業はパソコンやITシステムに置き換わり、コンピューターにできない「考える、判断する」仕事が増えました。
今後、RPAやOCR、AIの普及により、伝票処理や入力業務はさらに減少すると予測されます。さらに「判断する」する業務もある程度はコンピューターが行うようになります。
(すでに私たちは、道順を考えたり、電車の乗り換えを自ら考えなくなっています。)
今後事務の人員はますます減少し、残ったホワイトカラーの仕事は企画や管理ぐらいしかなくなるかもしれません。
その結果、人に求められる能力は、今までの勤勉さやまじめさより、企画力や実行力、コミュニケーション能力に変わっていきます。
そのような社会の変化に対し、人材の教育や育成はどうなっているのでしょうか?
失敗させない親たち
企画力や実行力、創造性がより強く求められる時代、子供たちを育てる環境はどのような状況でしょうか?
自尊心教育ブーム
次の話はどこの国だと思いますか?
子供たちの通うスイミングスクール、このスクールにはかつてオリンピックに出場したスイマーを輩出しました。ある日、壁に掛けられていたオリンピアンのジュニア時代の記録ボードが撤去されていました。「この記録を見たら子供たちが自信を失ってしまう」という保護者からのリクエストに応えたものでした。
1960年代後半からこの国の心理学者は「ほめて育てる」ことで子供たちに自信が備わり、それが成功につながると考えました。そうすれば成績不振はなくなり、社会問題の解消につながると主張しました。
子供たちに過度な競争を強いることは強いストレスになるため、避けるべきと考えたのです。
運動会の競争には順位はつけなくなり、高校の成績はB評価になると親から大学進学に影響するとクレームが来るため、今では大半の生徒がAをもらえます。ついに期末試験を中止してしまった高校も出ました。大学生も全員素晴らしい成績表をもらいます。
その結果、ある大学では、大学院に進学する学生に対して「自分の成績表を見て自分の学力を過剰に誤解しないように」成績表と別に学習能力に関する先生の評価を書いた紙を渡しました。
これはどこの国だと思いますか?
アメリカです。
我が子が怯えそうな競争を片端から排除していく親は
「ヘリコプターペアレント」
「スノーブラウ(除雪機)ペアレント」
「ローンモア(芝刈り機)・ペアレント」と呼ばれています。
こういった環境で育った子供たちは、実力以上に自信過剰で自分を有能と感じています。しかし一度失敗するとその自信は崩れ去ってしまいます。
強まる同調圧力
日本の小中学校では、生徒たちは一対一ではお互いに危害を加えませんが、集団になるとグループの中で一人が浮いてしまうと、その子を仲間外れにされたり無視したりといったいじめが起きます。
そんな目に合わないように自分の身を守るには、
「常に周りと同じ行動をする」、
「場を読んで発言する」、
という「空気を読む」能力が不可欠です。
そして大学生活が終わり就職活動に入ると、少しでもマイナスにならないように
誰も全く同じ服装をし、
誰も同じ受け答えをして
面接をこなします。
それでもなかなか内定がもらえず、自信を喪失する子もいます。
こうして自己評価の低い、自らは主張せず、場の空気を読むことに長けた若者たちが、「効率化を追求する会社」にいきなり入っていきます。
この「空気を読む」文化は、戦前から日本社会にありました。
1945年4月戦艦大和は、航空機の護衛が全くないまま沖縄に出撃しました。片道分の燃料での特攻作戦でした。当時航空機の護衛もなく、沖縄へ向かうことは成功の可能性の全くない自殺行為でした。司令官 伊藤中将はこの作戦に強く反対しました。
最終的に彼がこの作戦を承諾したのは場の「空気」でした。そして無意味な作戦のため3000名以上の命が失われました。
才能こそすべて
1997年マッキンゼーは
「ウォー・フォー・タレント(人材育成競争)」、
企業は優秀な人材の獲得とその育成が業績を決めると主張しました。
「ウォー・フォー・タレント」という書籍では、GEなど優良な企業がいかに組織的に優秀な人材獲得に取り組んでいるかを述べました。その結果、難関大学卒業やMBAなどの資格は、就職やその後の収入に大きく影響するようになりました。少しでも高給を得るために、アメリカの若者たちは奨学金を借りて大学へ進学しました。今では若者の大学卒業時の奨学金の負債は、一人700万円にもなります。
しかし優秀な人材を集めた精鋭主義のエンロンは、2001年巨額の粉飾決算が発覚して経営破綻しました。エンロンCEOで元マッキンゼーのコンサルタント、ジェフリー・スキリングは、毎年従業員の業績を評価し、下位15%をクビにするという「ランク・アンド・ヤンク」制度(昇進と処罰)を導入しました。その結果不正な手段で成績を上げるものが後を絶ちませんでした。狡猾なものばかりが得をして、正直者が馬鹿を見るような職場環境になってしまいました。
日本のある金融機関は、本来は融資できないはずの企業に、営業担当者が売上や利益を実際よりも高く書き換えて融資を行っていました。支店では担当者は日常的に上司から「今月の貸計(貸し出し計画)はどうなっているんだ」と”詰め”られていました。貸出ノルマも細かく分かれ、保証協会付融資、危機対応融資、設備資金などに、それぞれノルマが決められていました。預金、カード契約、さらには電子債権記録機関「でんさいネット」の利用件数などという意味のないノルマもありました。
もはや不正に手を染めないとノルマを達成できませんでした。1年以上前の設備を半年前と日付を改ざんするなど、現場では不正が当たり前のように行われていました。しかし現場の正常な判断力は失われ、咎めるものは誰もいませんでした。
これは2018年3月に5,000件以上の不正融資が発覚した政府系金融機関 商工中金です。
スルガ銀行は、住宅ローンに代わる新たな収益事業として、収益不動産ローンを柱に据え規模の拡大にまい進しました。金融庁やメディアは、他行よりも高い収益を上げているスルガ銀行のビジネスモデルを絶賛しました。しかしその裏では、達成不可能な営業目標とノルマが掲げられ、行員は上司から
「銀行の収益の足を引っ張る社員」
「銀行員なんてやめちまえ」
「できるまで帰って来るな」
「(死んでも頑張りますと目標必達を宣言すると)それなら死んでみろ」
と厳しい叱責を浴びていました。
まともにやっていてはノルマの達成はできず、ノルマを達成するために、偽装行為は融資に関するあらゆる資料に及んでいました。第三者委員会の調査では、不正ゼロの割合は全体の1%以下という状況でした。
今では、難関大学卒業やMBAが本当に仕事で成果を挙げる人材と関係があるのか、疑問が持たれています。グーグルでは、今では卒業後何年か経っていない限り、応募者に成績証明書やGPAスコア(アメリカの大学や高校の成績スコア)の提出を求めていません。またグーグルでは大学に行ったことのない社員も増えています。それはグーグルが求めている人材が
「明確な答えがないところに何かを見出す」
人材だからです。
成果を上げる人の特徴GRIT
このように人材に対する要求が変わってきた今日、アメリカで注目されているのがGRIT(グリット)です。このグリットは以下の4つの要素からなっています。
【度胸 (Guts) 】
ジョージ・パットン将軍によれば、勇気とは「もう1分恐怖に耐えること」で、リスクを取る覚悟でもあります。十分な準備と入念なシミュレーションののち、勝算を確信したら、大きなリスクがあっても必ず勝つと信じて勝負することです。
【復元力 (Resilience) 】
挑戦すれば失敗は避けて通れません。失敗の度にあきらめていては決して成功にたどり着くことはできません。例え、失敗してどん底の状態となっても、そこから這い上がる力が復元力です。
【自発性 (Initiative) 】
自らが率先して取り組むことです。アフリカの13歳のトゥレレ少年は家族で飼っていた牛がライオンに殺されたことにショックを受けました。どうすればいいのか考えていて、夜牧場をパトロールした時にライオンが懐中電灯の光を怖がっているのに気づきました。そこでガラクタの中から太陽電池と懐中電灯の部品を使ってライト付きのフェンスをつくりました。
【執念 (Tenacity) 】
長期間目標に取り組み続ける能力のことです。
成功と脱落を分けるもの
アメリカ陸軍士官学校には、毎年14,000人以上の希望者の中から選び抜かれた頭脳や体力に優れた1,200名が入学します。ところが彼らの5人に1人は、卒業を待たずに中退します。中退者の大半は、入学直後の7週間の厳しい基礎訓練「ビースト・バラックス(獣舎)」に耐え切れずに脱落した人たちです。そこで、どんなタイプの人間が脱落するのか、アメリカの心理学者は50年以上研究しました。
心理学者のアンジェラ・ダックワースは、脱落するかどうかの違いがやり抜く力GRITにあることを突き止めました。そして彼女の開発したグリット・スケールのテスト結果(グリット・スコア)が低い者と脱落者の間に強い関係がありました。しかもこのグリット・スコアは、学校の成績や運動能力は関係がありませんでした。
表1 グリット・スケール
全く当てはまらない | あまり当てはまらない | いくらか当てはまる | かなり当てはまる | 非常に当てはまる | |
1.新しいアイデアやプロジェクトが出てくると、ついそちらに気を取られてしまう | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
2.私は挫折をしてもめげない。簡単にはあきらめない | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
3.目標を設定しても、すぐに別の目標に乗り換えることが多い | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
4.私は努力家だ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
5.達成まで何か月もかかることに、ずっと集中して取り組むことができない | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
6.一度始めたことは必ずやり遂げる | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
7.興味の対象が毎年のように変わる | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
8.私は勤勉だ。絶対にあきらめない。 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
9.アイデアやプロジェクトに夢中になっても、すぐに興味を失ってしまったことがある。 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
10.重要な課題を克服するために、挫折を乗り越えた経験がある。 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
当てはまる箇所の数字に〇をつけていき、合計して10で割った数値がグリット・スコアとなりま。
心理学者のアンジェラ・ダックワースは、大学を卒業後マッキンゼーに入社しましたが、27歳で教師に転職しました。中学1年生の数学を教える中で、彼女は呑み込みが悪くて最初は中々問題が解けずに苦労している生徒の中に、ずば抜けて良い成績を取る子がいることに気が付きました。そして中学1年の数学は才能でなく、コツコツと取り組むことが重要だと気が付きました。
多くの人は偉大な成果を達成した人たちを天才と呼び、その成果は才能によってもたらされたものと思っています。しかし、実は才能に努力も含まれています。しかも図4のように何かを成し遂げるには努力は2回影響しています。
GRITの強さ
① 目標
NFLシアトル・シーホークスのコーチ ピート・キャロルは、コーチのキャリアとしてどん底の状態にいた時、バスケットボールコーチ ジョン・ウッデンの著作に「チームが首尾よく成し遂げることは山ほどあるが、その屋台骨となるビジョンを確立することこそ、最も重要である。」という言葉を読み、「哲学を持たなければだめだ」と強く感じました。
「この試合に勝つ」「攻撃のラインナップの構成を見直す」「選手たちに効果的な掛け声を行う」などの具体的な個々の目標をひとつに束ねるには、すべての目標を貫く目的が必要だと考えました。ピートは「明確に定義された哲学は、選手たちに指針や境界線を示して、みんなを正しい方向に導くことができる」と語っています。
② 情熱
グリットを強くするためには、対象に興味を持つだけでなく、強い情熱を持つ必要があります。しかし今取り組んでいる対象が本当に情熱をかけられるものかどうかは、実際にある程度取り組まなければ分かりません。
ある程度取り組んでみて情熱を持つことができなければ手放すべきです。人は一度に多くのことに注意力を注ぐと、多くのエネルギーが消費されて、ひとつのことに十分なエネルギーをかけられなくなってしまいます
③ 幸福感
強いグリッド持つ人の特徴は幸福感です。心理学者エド・ディーナーらは「人は何かに成功して幸せになるのでなく、幸せだから成功する」と述べています。このような幸福感を高めポジティブ感情を持つためには、以下の方法があります。
- 強みを生かす
- 日記を書く:日記に自分の思考や感情を書くことはポジティブな効果をもたらします。
- 精神性を高める:精神的な感性を高めることは、ポジティブ感情を強化します。ただし排他的で偏見を伴うような宗教的活動は別です。
- コーチングを受ける
- 希望を持つ
- 運動する
- 利他的な行為を実践する
- 瞑想する
④ やり抜く力は年齢と共に高まる
図6はアメリカの成人を対象としたグリット・スケールのスコアの調査結果です。これによると最もやり抜く力の強かったのは、65歳以上でした。
これは彼らの育った時代が
「ひたむきな情熱」や「粘り強さ」が重んじられた時代だったためという見解があります。あるいはやり抜く力は年と共に強くなるとも考えられます。年と共に成熟し、自分の人生哲学を見出し、挫折や失望から立ち直る経験を積み、目標の重要度を見極めて、重要度の高い目標を理解することで、やり抜く力は高くなります。
⑤ やり抜く力の強い人たちに共通するもの
【興味】
やっていることを心から楽しんでこそ、情熱が生まれる
目標に向かって喜びや意義を感じ、前向きに取り組むことを楽しいと感じている
【練習】
「昨日よりも上手になるように」日々の努力を怠らない
慢心せず、「もっとうまくなりたい」と口にする
【目的】
自分の仕事、今やっていることを重要だと感じること
目的意識を感じないことに一生興味を持つことは難しい
一つのことに興味を持ちつつづけ何年も鍛錬を重ねると「人の役に立ちたい」という意識が強くなる
【希望】
最初の一報を踏み出す時から、途中で困難にぶつかったときにも、希望は、強いグリットに欠かせない
成功する練習
1万時間の法則というものがあります。過去に偉大な成果を上げた人、世界トップクラスの人たちは例外なく10年間、1万時間以上の練習を積み重ねたというものです。一方認知心理学者のアンダース・エリクソンは図6のように練習時間が長いだけでは上達は頭打ちになってしまうため、さらに成長するには「意図的な練習」が必要だと述べています。
エキスパートは概ね以下のように練習します。
- ある1点に絞ってストレッチ目標(高めの目標)を設定する
自分の中でうまくいっていない点を見つけます - しっかりと集中して努力を惜しまずにストレッチ目標の達成を目指す
目標を達成するために集中するためには一人でやった方が、効果が高い - 終わったらすぐにフィードバックを求める
- 改善すべき点が分かったら、うまくいくまで何度でも繰り返して練習する
目をつむってでもできるように体に覚え込ませるために繰り返し練習する
この意図的な練習はひどく頭を使いとても疲れるため1日に3~5時間が限度です。自分の限界に挑み極度に集中して行う練習は甚だしい疲労を伴います。この意図的な練習は、トップの人たちでさえ辛く楽しくない練習です。ではどうしてこのような練習を続けることができるのでしょうか。
やり抜く力の強い人たちは、このような意図的な練習に自ら取り組んでいます。その動機は努力の結果が出た時の高揚感です。ストレッチ目標を決めて意図的な練習を行いその目標を達成した時の高揚感が意図的な練習を行う強い動機となっています。そして彼らは、この小さな達成の積み重ねでしか、大きな目標(例えばオリンピックで金メダルを取る)を達成できないことが分かっているからです。
逆に意図的な練習なしでただ長い時間練習しても効果は限られています。オリンピックのボート競技金メダリスト マッズ・ラスムッセンは、日本のチームの練習を見学した際、練習時間のあまりの長さに衝撃を受けたそうです。
そして
「ただ何時間も猛練習して、自分たちを極度の疲労に追い込めばいいってものじゃない」
と諭しました。
「それよりも大事なのは、周到に考えた質の高いトレーニング目標を設定して、それを達成することだ」と。
それには長くても1日数時間が限度です。
それでも意図的な練習を毎日続けるのはトップ選手でも心理的に大変です。それを乗り越えるものが「習慣化」です。トップ選手は、毎日、同じ時間に同じ場所で「意図的な練習」を行っています。なぜなら大変なことをするのに「ルーティン」に勝るものはないからです。
意図的な練習を続けられる一番大きな動機は目的です。この目的には、自分の欲求を満たす目的と、社会や他人のための目的(あるいは意義)のふたつがあります。そして他人の為、社会の為といった意義を目的にする方がやり抜く力が高まります。
自己中心的な動機と利他的な動機について、ウォートン・スクール教授のアダム・グラントは「多くの人は片方が強い人はもう片方は弱いと思っているが、実際はこの二つは完全独立していて、両方強い人もいれば両方弱い人もいる」と語っています。
悪いGRIT
一方で、強すぎるグリットが弊害をもたらすこともあります。
【強情グリット】
あきらめない、粘り強くやり抜く力が強すぎて実現不可能なことでも強引に突き進んでしまうことがあります。これを強情グリットと呼び、かえって弊害があります。
2012年5月19日カナダ人女性シュライヤ・シャー・コールファインは数年来の夢だったエベレスト登頂を果たしました。それは登頂をあきらめて早く下山するようにという同行者たちの忠告を無視して達成されたものでした。その結果、下山中に彼女は一歩も動けなくなり、生きて帰ることはできませんでした。彼女のグリットは強情に目標を追い求めたため、達成に必要な準備(登山訓練)や冷静な判断力を欠いていました。このように「登頂熱」に浮かされた登山家や、限界を超えて練習するアスリートなどは強情グリットの持ち主です。
プロテニスプレイヤー セリーナ・ウィリアムズは、この執着について
「自分を止める必要があるんです。でも、終了ボタンを持ってないですし、誰かにパソコンのようにキーを押して再起動させてもらうこともできませんしね」
と語っています。そんな彼女の対処法は家族のサポートです。
「聞いて。私が病気になったときは、必要なら私を引っぱたいて、私が外に出られないように拘束しちゃってちょうだい」
強情グリットに囚われた自信過剰な人たちは、他者の意見を聞かず自分だけで意思決定します。あるいは自分に反対しないイエスマンをあつめて自分の決定がそのまま返ってくるのを聞いています。
自己決定論のエドワード・デシは
「自分一人でした決断は決して最良の決断にならない」
と述べています。間違いのない意思決定には、良き友人や良きアドバイザーと彼らの助言を聞く耳が不可欠です。
【虚栄グリット】
これは周囲から賞賛を得るために、自分や他人を騙して、やったことがないのに何か困難なことを成し遂げたかのように振舞うことです。例えば著名人の学履詐称などです。これは私たちの社会が「勝利者」を尊重する文化の為、自尊心の強い人にとって普通の生活や行動だけでは自信が得られないためです。
ロナルド・レーガン氏は、兵役期間中はアメリカ本土から出たことはなかったのにもかかわらず、さも危険な任務に就いていたかのように語りました。ヒラリー・クリントンは、ボスニアの飛行場で着陸寸前に狙撃されたと語っていましたが、実際の映像には笑顔で手を振り握手をする姿が残っています。ほら吹きで知られるトランプ大統領も多くの成功を自慢げに語っています。自転車選手のランス・アームストロングはツールドフランスを7度制覇しましたが、ライバルやチームメイトを激しく非難し、さらにドーピングの為に永久追放されました。
この虚栄グリットと本物のグリットの違いは、本物のグリットを持つ人は謙虚で自慢話をしないのに対し、虚栄グリットの人は、自分がどれほどすごいのか、どれほどハードなことを行ったのか、常に周囲に伝えることです。
【セルフィーグリット】
虚栄グリットと違う点は実際に困難な目標を達成したことです。そしてそれを執拗なまでに賛美することを求めます。人は他人から認められたいという承認欲求があり、これをうまく活用したのがSNSなどのソーシャルメディアです。
セルフィーグリットの強い人は、他の人よりも多く努力をした分、それを認めて欲しい、賛美してほしいと強く思います。時には、これが他人に対する卑下や粗野な言動に現れます。
楽観主義
意図的な練習を繰り返し、進歩が感じられれば意欲も続きます。ところがある時成長が止まる「プラトー」に至ることがあります。プラトーでは内部には経験が蓄積され次の成長の力が蓄えられているのですが、実際に成長が感じられないため、無力感に陥ったり挫折したりします。
実際に競技成績が伸びずにライバルに先を越されることもあります。これを乗り越えるのに必要なのが「楽観主義」です。
楽観主義者はそうでない人に比べて失敗の受け止め方が違います。うまくいかなかったのが自分の能力が足りないせいだと思うと無力感を感じます。しかし努力が足りなかったのだと解釈すれば「もっと頑張る」ことができます。
心理学者のマーティン・セリグマンは、失敗の経験がどのように無力感に影響するのか調査しました。中学生に算数の課題を与え、半数のグループは、何問解けたかに関係なく褒美をもらえました。
残りの半数のグループは、
「今回は解けた問題が少なかったね」
と失敗を指摘し、
「もうちょっと頑張るべきだったね」と励ましました。
その結果、失敗を体験することなく褒められてばかりの「成功のみのプログラム」の生徒たちより、失敗を指摘し励ました「解釈改善プログラム」を受けた生徒たちの方が、難しい問題に出会ったときにより粘り強く挑戦することが分かりました。
この調査から子供の頃の褒められ方が、やり抜く力に影響することが分かります。また、やり抜く力は周りの大人の態度にも影響されます。周りの大人が「努力することで結果がでる」という「成長思考」であれば子供もそうなりきます。
逆に子供がミスした時に「ミスをするのは悪い」という態度を示せば「固定思考」になってしまいます。実際に小学校1,2年生のクラスで成績の良い子を特別扱いすると生徒は「固定思考」になります。
社員のGRITを高める方法
企業において社員が強いグリットを持ち、積極的に仕事に取り組めば、今まで以上の成果が得られこと想像に難くありません。では、そのような社員になるためにどのような取組をすればよいでしょうか。
1. 意義
ピート・キャロルの言う哲学、つまり大きな目標です。それは企業の場合、存在意義でもあります。
「何のために自社は存在しているのか」、
「自社は誰を幸福にしているのか」
自社の存在意義を明確にし、適切に社員に伝えることで、大きな目標を示すことができます。
大きな目標が明らかになった上で、これから取り組む仕事の目標と意義を明らかにします。この意義は、金銭以外のものが必要です。
《反対》(社員のやる気をなくす例)
自社の存在意義、自社が誰の役に立っているのかはあいまい。又は、偽りの存在意義を伝える。(本当は金銭が最大の目的なのに、あたかも社会に貢献するような目的を掲げる。)
2. 目標設定
意義を明らかにした上で、それぞれの社員が達成できる目標を設定します。この目標設定は、SMARTな目標にします。
- S Specific(具体的)/Significant(重要)
- M Measurable(測定できる)/Meaningful(有意義)
- A Attainable(達成できる)/Action-Oriented(行動につながる)
- R Relevant(関連のある)/Rewarding(やりがいのある)
- T Time-Bound(期限のある)/Trackable(追跡できる)
この目標は、最初は社員が少し頑張れば達成できるものにします。何度も目標を達成し、自信ができれば、目標の難易度を高めます。
《反対》
達成不可能な目標をノルマとする。目標は自社の存在意義と矛盾している。
3. 手応えとやり通した経験
目標を達成すれば社員は手応えを感じます。達成した目標は大きな目標につながっているため、目標の達成は自社の存在意義を高めることにつながり、達成感を高めます。そして、目標達成に向けてやり通した経験が本人に蓄積されます。
《反対》
目標が具体的、定量的なものでなく手応えがない。毎回達成できず自信を喪失する。
4. 失敗の経験
リスクのあることに取り組むのですから、失敗は避けられません。そのため小さな段階から何度か失敗を経験し、失敗を恐れなくなるようにします。そのためには指導者は適度に失敗するように遠くからそっと見守ります。また失敗しても、リカバリーできる方法をこっそりと用意しておきます。
《反対》
失敗を許さず、失敗すれば厳しい叱責や懲罰を受ける。
5. 貢献と感謝
目標の達成は決して本人だけの努力ではできません。同僚や他の部署、顧客など多くの関係者の協力があって達成されます。そこで目標を達成したら、虚栄グリットやセルフィーグリットに陥らないために、目標達成に協力してくれた人たちに感謝します。感謝の習慣は、家庭で身に着けている社員もいればそうでない社員もいます。そうでない社員には根気よく感謝の心を持つように教育します。
また成功するには、テイカーよりもまずはギバーである必要があります。つまりもらう前に与える人になるべきです。感謝の習慣と共に、積極的に他人に貢献する習慣も身に着けます。地域での清掃やボランティア活動も良い方法です。
《反対》
目標達成した社員のみを称賛し、目標達成は本人の努力だと褒め称え、達成できない社員を強く非難する。顧客や関係者に感謝せず、目標達成の手段だとみなす。
未来を明るいものにするために
今後、社員には企画力、実行力が一層求められる時代になり、社員の育成はますます重要になります。企画力、実行力を高めるには、やり抜く力、グリットは欠かせません。そしてグリットを高めるためには、今まで述べてきたように取組が必要です。これらは決して目新しいものではありませんが、今までは個人の能力や成果に気を取られて疎かになっていたと思います。
一方で、エンロンや商工中金など多くの企業は短期的な成果を求め、厳しいノルマや成果で社員を追い込んでいます。その結果、本来社員が持っている能力は封じられ、ノルマ達成のため不正に走る結果となっています。
グリットを高める取り組みは社員の能力を引き出し、組織を活性化し、高い創造性と実行力を生み出し、企業の競争力を高めるものと考えます。
ハーバード大学教授のウィリアムジェイムズ氏は
我々の能力は半分しか目覚めていない。
人間は自分の持っている能力をほとんど使わずに暮らしている。
さまざまな潜在能力があるにもかかわらずことごとく生かせていない。
当然ながら能力に限界はある。
木が空まで伸びたりしないように
と語っています。
参考文献
「GRIT やり抜く力」 アンジェラ・ダックワース 著 ダイヤモンド社
「実践版GRITやり抜く力を手に入れる」 キャロライン・アダム・ミラー 著 すばる舎
「GRIT平凡でも一流になる力」 リンダ・キャプラン・セイラ― 著 日経BP社
「17歳でもわかるGRITワークブック」 カレン・バルーク・フェルマン 著 双葉社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
ものづくりはどのように変わっていくのでしょうか?
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