経営と戦略 | 原価計算システムと原価改善コンサルティングの株式会社アイリンク https://ilink-corp.co.jp 数人の会社から使える原価計算システム「利益まっくす」 Sat, 06 Sep 2025 06:46:18 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.7.4 https://ilink-corp.co.jp/wpst/wp-content/uploads/2021/04/riekimax_logo.png 経営と戦略 | 原価計算システムと原価改善コンサルティングの株式会社アイリンク https://ilink-corp.co.jp 32 32 なぜセグウェイは失敗しダイソンは成功したのか?~新事業の成功に不可欠な錬金術~ https://ilink-corp.co.jp/17516.html https://ilink-corp.co.jp/17516.html#respond Wed, 03 Sep 2025 02:50:52 +0000 https://ilink-corp.co.jp/?p=17516
【コラムの概要】

セグウェイは熱狂的な支持を受けながらも市場ニーズに応えられず「キャズム」を越えられず失敗しました。一方、ダイソンは顧客の「不」を解消し「欲しい」と思わせる錬金術=心理的価値創造に成功しました。新事業成功には、論理的発明だけでなく感情に訴える物語や非合理な魅力を備え、アーリーアダプタからマジョリティへと製品を進化させる戦略が不可欠なのです。

これまでも多くの起業家がイノベーションにチャレンジしました。サイクロン掃除機でイノベーションを実現したダイソンは、掃除機のトップブランドになり、扇風機やドライヤーでも強力なブランドになりました。

一方セグウェイは投資家やスティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツなどから絶賛されましたが、販売は不振で、2015年には中国のロボット企業Ninebot Inc.に売却されました。そして2020年に生産停止になりました。

なぜこのように違いが生じたのでしょうか。そこには新商品・新事業の陥る典型的な失敗と、錬金術が欠けていたためでした。

1. 新商品・新事業の落とし穴

① イノベーションは誤解されている

トーマス・エジソン、グラハム・ベルなど有名な発明者の名前が歴史に残るため、彼らが画期的な発明が起きて新製品ができたように思われています。しかし現実には、単一の発明だけでは製品化は困難でした。これらの製品は多くの人々の度重なる試行錯誤の結果、製品が実現しました。

図 イノベーションの発展
図 イノベーションの発展

こうした試行錯誤が生まれたのは、その製品を必要する状況、つまりニーズがあったからです。ニーズを満たそうとして多くの人が度重なる改良を行い、製品は完成されたのです。実際に電球や電話は多くの人たちが改良に取組み様々な技術が開発されました。

蒸気機関は、最初は炭鉱の水のくみ上げ用のポンプに使用されました。幾多の改良を経て、効率は高まり、その結果、蒸気機関車に応用されました。炭鉱や製鉄所では鉄鉱石の運搬用にすでにレールが敷かれていて、運搬のために馬車が使われていました。

② 誰に対して「不」なのか?

このニーズとは、顧客が不便に感じていること「不」にあります。大事なのは、この「不」は誰に対してかと言うことです。蒸気機関という技術ができた後、最初の「不」は炭鉱に湧き出る水の排水でした。労働者がポンプを動かして1日中排水するのは大変なので、蒸気機関が使われました。
こういった新しい技術を採用するのは、リスクがあっても新しいものを好む人たちです。これはアーリーアダプタと呼ばれます。彼らが新しい技術を採用して、それが順調なことが分かります。すると後からより慎重な層が採用します。これをアーリーマジョリティと呼びます。

図 テクノロジー・ライフサイクル
図 テクノロジー・ライフサイクル

このアーリーアダプタとアーリーマジョリティの間には大きなギャップがあります。そして画期的な製品の多くがこのギャップを超えられずに事業化に失敗しました。このギャップをジェフリー・ムーアは「キャズム」と呼びました。

つまりアーリーアダプタとアーリーマジョリティでは、「不」に対する考え方が違うのです。そのため製品がキャズムを超えるには、アーリーアダプタから、アーリーマジョリティに変わる顧客に合わせて製品やサービスを進化させなければならないのです。

③ 小さな池の大きな魚になる

製品やサービスを進化させる過程で、多額の資金や体制が必要なこともあります。中小企業の場合、時には自社で太刀打ちできる規模を超えることもあります。そうなると新規事業を自社が独占できません。競合が現われ、自社の資本が競合に比べて不十分であれば、キャズムを超える段階で競合に敗れてしまいます。

それを避けるには、市場を自社の規模に合った市場に限定することです。最初は小さな池で大きな魚を目指します。逆にこれから新製品や新事業に取り組む場合、自社が大きな魚になることかできる事業や製品を考えます。

2. 「欲しい」をつくる心理学

現実には「満たされていない、○○がない」という状況はそれほど多くありません。ものがあふれる今、人々は大抵のものを持っています。さらに買ってもらうためには「欲しい気持ち」が必要があります。

① 必要でなく欲しいものにする

「必要なもの」と「欲しいもの」では価格に対する反応が違います。必要なものは「やむなく買うもの」です。そのためできる限り安いものを買います。当然、価格競争は激しくなります。 欲しいものを買うときはワクワクします。欲しいから買う時、価格は重要ではありません。

図 欲しいものはわくわくする
図 欲しいものはわくわくする
図3 欲しいものはわくわくする

そういう気持ちになってもらうには販売促進が不可欠です。スーパーの特売チラシは「今しかない」特売品を買うことで、顧客はお得感を感じワクワクします。対して特売をしないエブリディロープライス戦略は、特売でのコスト、販促費をなくし、店舗を効率的に運営できます。その分を価格に反映しいつでも安く売ることができます。これは理論上は正しい戦略ですが、特売がなければ顧客のワクワク感はありません。買いたいという感情が起きず、買い物は必要なものを買うという作業になってしまいます。

② 小さくなった「欲しい」という気持ち

高度成長期の日本は、買うことで生活に大きな変化を起こしました。
例 

  • 自動車 移動の自由
  • クーラー 暑さからの解放
  • カラーテレビ エンターテイメントの質の向上

今日では新たな製品を買っても、高度成長期の製品のような大きな変化は起きません。車を持っていなければ、好きな時間に自由に生きたいところに行ける車は「欲しい」ものです。しかしすでに車を持っている人にとって、車を買い替えても生活の質が変わるわけではありません。

このように新たな消費による変化は小さくなっています。だから何らかの「欲しい」気持ちを強く起こさせなければなかなか買ってくれません。

一方、それまでないこと「不」が日常だった場合、顧客は「不」を意識していません。車を持っていない人にとって、車がないことは当たり前です。そのことでさほど不便は感じていません。ところが周りの人が車を買って、その人の車に乗せもらうと、その便利さに欲しいと感じます。そういう感情を起こすのが販売促進です。逆にそういった感情が起きなければ市場は広がらないのです。

例えば、男性のメイクは20世紀から化粧品会社が幾度も挑戦しました。しかし大きな市場にはなっていません。

なぜ男性のメイク市場は広がらないのでしょうか?

③ 「欲しい」という気持ちは不合理

もし人が何事もすべて合理的かつ経済的に考えれば、以下の商品は誰も選択しないはずです。

  • 性能は大差ないが、他社の1.5倍するスマートフォン (apple)
  • 高速道路でも性能を発揮でない自足300km/hのスポーツカー
  • スマホで時間がわかるのにもかかわらず数百万円する腕時計

そしてこのような人は経済学では想定していません。なぜなら経済学で想定する合理的経済人は、以下のような人だからです。

  • 商品に関するすべての情報と自分の予算を、正確に把握し考慮する
  • その上で、自分の効用(満足度)が最大となるように商品を購入する
  • これらの判断を適切かつ迅速に決定する
  • 自己利益を追求するためだけに行動する

現実には人は非合理な存在だから先に挙げたものを消費します。非合理な感情は論理では刺激できないのです。そこには不合理なアイデアが必要です。

人はとびきり高いものには興味と関心を示します。対してとびきり安いものはお値打ち感とお得を感じます。しかし高くもなく安くもないものは感情が動きません。だから買おうとしません。

④ 感情を揺さぶる物語の力

人の感情を揺さぶり記憶にとどめるのに「物語」は大きな力を発揮します。

例)友人の友人の話
彼は出張である地方都市を訪れました。地元のバーで一杯飲んでいると魅力的な女性が近づいてきて
「もう一杯いかが。ごちそうするわ」
彼女は飲み物を2杯取り、1杯を彼に渡しました。その一杯に口をつけたところで記憶が飛びました。

目覚めたとき、ホテルのプールで氷水に浸かっていました。メモには「動くな!救急車を呼べ!」と。
そばの携帯電話から消防署に電話すると、消防署には彼の状況がわかっているようでした。
「いいですか、ゆっくりと背中に手をまわしてください。腰のあたりからチューブが出ていませんか」
確かにチューブがあります。

「落ち着いてください。あなたは腎臓を一つ取られたのです。この町で暗躍する臓器狩り組織の犯行ですね。今救急車がそちらに向かっています。動かずに待っていてください。」

これは「臓器狩り」の都市伝説です。これは一度聴いたら忘れられない「記憶に焼き付く話」です。これを聞いた人は、旅先で見知らぬ女性から飲み物をおごってもらうのはためらうでしょう。

このように物語はとても大きな力を持っています。しかし多くの販促は商品を「説明」し「物語」はありません。そうした販促を手掛ける人たちは、顧客は説明を聞けば買ってくれると信じているようです。しかし欲しいものがない顧客、または「不」に気づいていない顧客に欲しいと思ってもらうには、説明でなく感情に訴える物語が必要です。それが後述の錬金術なのです。

ただし、それには「顧客が誰なのか」明確にする必要があります。ところが新製品では製品が浸透する段階によって顧客が変わるのです。

3. 新製品が事業化できるか「キャズム」を越える方法

ジェフリー・ムーアは彼の著作「キャズム」「キャズム2」で、アーリーアダプタとアーリーマジョリティの顧客層には違いがあり、企業がそれに対応できなければ失速してしまうと述べました。

① アーリーアダプタとアーリーマジョリティの間に落ち込む

アーリーアダプタ(ビジョナリー)

特にソフトウェアなどハイテク製品の場合、メーカーが新しい製品を発売すると、新しい製品や技術に熱心な層が顧客となり初期市場が形成されます。この初期市場を形成する顧客がアーリーアダプタです。彼らは以下の特徴があります。

  • 求めるものは変革のための手段
  • 目的達成を最優先、コストは厳しくない
  • 注目する期間は限られる。「チャンスの窓」が開いているうちに達成しなければならない
  • 製品が目的を達成した場合、その良さはアーリーアダプタ同士の口コミで伝わる
アーリーマジョリティ(実利主義者)

初期市場からメインストリーム市場へと移行すると顧客がアーリーアダプタからアーリーマジョリティに変わります。アーリーマジョリティはアーリーアダプタに比べ非常に多く市場は大きく広がります。アーリーマジョリティは以下の特徴があります。

  • 求めるものは生産性を改善する手段
  • ビジョナリーが買ったからと言って買うとは限らない
  • 先行事例や信頼性、費用対効果を重視
  • マーケットリーダーから購入を求める(マーケットリーダーが競合よりも30%ぐらいまで高いのは許容する)
  • ベンダー同士を競争させる
  • 最高の品質やサービスに割増料金を払うのはいとわない。しかし差別化がなければ厳しい価格交渉も行う

なぜEVが失速したのか?

アーリーアダプタとアーリーマジョリティの差を比較すると、2025年にEV市場が失速した原因が分かります。費用対効果が低かったのです。アーリーマジョリティ層は内燃機関より価格が高く、性能も高くないEVには飛びつかなかったのです。

レイトマジョリティ(保守派)

これまでのやり方を重視し不連続なイノベーションを受け入れない人たちです。彼らは市場の1/3を占めます。従来、多くの企業がないがしろにしてきた市場ですが、その大きさを考えると無視できません。レイトマジョリティは以下の特徴があります。

  • これまでの慣習を重視し、今使っているものが役立つならずっと使い続ける
  • すべてがバンドルされている製品を格安の価格で買いたがる

② キャズムを超えられなかった原因

多くのハイテク製品がキャズムを超えられなかったのは、実は超えようとしなかったからです。アーリーアダプタとアーリーマジョリティは客層が違い、製品に求めるものも違います。初期市場で成功し、足掛かりをつかんだら、メインストリーム市場で成功するための製品の開発に、ただちに取り掛からなければなりません。
初期市場で成功するためには

  • アーリーアダプタは製品が画期的で業務を変革することを期待する
  • それを実現できる機能、品質を有すこと
  • 費用対効果や拡張性はそれほど要求されない

③ ホールプロダクトが必要

これがメインストリーム市場では

  • 顧客が求めるのはコアプロダクトに加えて、様々な拡張機能を持ったホールプロダクト
  • 競合が全くないのは、ダメな製品と思われる

従って初期市場からメインストリーム市場へ発展するためには、ホールプロダクトをいち早く開発しなければいけません。

1990年にゼロックス社からスピンアウトした文書管理技術のドキュメンタム社は、売上が低迷しキャズムに落ち込んでいました。そこで顧客の声を調べなおし、製薬会社の薬事規制担当というとてもニッチな市場をターゲットとしました。対象市場をこれまでの大手企業の複雑な文書管理に携わる人たちから、すべてを合計しても千人足らずのニッチな市場に絞ったのです。

製薬会社の新薬認可申請書は25~50ページに及び、膨大な情報を必要とします。そのため申請書の作成に数か月の期間と多額の費用がかかっていました。ドキュメンタムの文書管理技術は、申請書の作成期間を短縮し、問題を解決することができました。その結果、製薬会社40社の内30社が同社の製品を使用しました。そこから製薬会社の研究所、製造工場、そして化学薬品や石油精製工場へと市場を拡大しました。こうして同社はキャズムを超え売上1億ドルに成長しました。

初期市場を定める時、ドキュメンタム社は市場の大きさでなく、顧客の感じている痛みの大きさで決めたのです。

④ 3つの壁「魔の川、死の谷、ダーウィンの海」

キャズムに似たものに魔の川、死の谷、ダーウィンの海があります。これは新規事業が成功するまでの3つの障壁です。

図 魔の川、死の谷、ダーウィンの海
図 魔の川、死の谷、ダーウィンの海
【魔の川】

基礎研究で技術は確立しても、具体的な市場のニーズに結びつかず製品に出来ずに終わってしまうことです。

【死の谷】

製品は出来ても、事業として収益を得ることができずに終わってしまうことです。事業化には、製造、流通、販売などの体制が必要で、そのためには資金も必要です。また全く新しい製品の場合、市場がないことも多く、製品ができても市場をつくることができずに終わってしまうこともあります。

【ダーウィンの海】

事業化ができて収益が得られるようになっても、競合との競争に勝たなければいけません。新しい技術の場合、既存の技術と置き換えることの意義やメリットが市場に認知され、製品が市場に浸透しなければいけません。この競争に勝てなければパイオニアとして市場に参入したのにも関わらず、退出を余儀なくされます。

⑤ 期待外れのホッケースティック曲線

ベンチャー起業家は投資家の求めに応じて、売上、利益が増加し続けるホッケースティック曲線を描くことが多いです。しかし現実にはそのようになりません。

図 ホックスティック曲線
図 ホックスティック曲線

キャズムの前に売上はしばらく停滞し、投資がかさみます。しかしキャズムを超えれば売上は増加し始めます。その後はメインストリーム市場の他のセグメントに顧客が拡大するに従い、成長と停滞を繰り返し、階段状に成長します。
投資家がホッケースティック曲線の事業計画を信じていればキャズムに陥り停滞が続くと、そこでその事業を見放してしまうかもしれません。

4. だから錬金術を使う

広告会社オグルヴィUK副会長ローリー・サザーランドは、著書「欲望の錬金術」で新製品や新事業が成功するかどうかは、錬金術の有無にあると言います。

彼のいう錬金術の根本には「人はロジック(論理)でなく心理(サイコ)ロジックで動く」と言うものです。しかし事業に関わる人の多くが論理で事業を進めようとして失敗します。

現に成功しているビジネスモデルのすべては、合理的な理由から人気があるふりをしていても、成功の大半は心理的な魔法のトリックを偶然発見したことによります。

例えば、グーグルやダイソン、ウーバー、レッドブル、コカ・コーラ、マクドナルド、アップル、スターバックス、アマゾンなどです。そしてこれらの企業のライバルが失敗した原因の多くは、ビジネスのアイデアはロジカルだったが、錬金術がなかったためうまくいかなかったからです。

① 人はロジックでなく感情で動く

投資家、金融機関、管理部門などの人は、合理的な考え方を望みます。しかし錬金術は常軌を逸した非合理なものです。
「人々が欲しているのはうんとクールな掃除機です」ダイソン

「…そしてこれが最高なのはあらゆる人々が無償で書いてくれることです」ウィキペディア

「とりわけそのドリンクは消費者がひどくまずいという味をしています」レッドブル

「…完全に正気の人々が、家で作れば数十円しかしない飲み物を500円払うと期待しましょう」スターバックス

どの投資家がこんな話を理解するでしょうか。

リスクを回避したい官僚や重役にとっても、狭量で型にはまったロジックは自然な思考法です。しかもロジカルな取り組みであれば失敗しても責めを負うことはなく、解雇されません。

2016年のアメリカの大統領選挙では、トランプもヒラリー・クリントンもアメリカに製造業の雇用を取り戻したいと考えていました。ヒラリーの解決策はアメリカ、メキシコ、カナダの三国間貿易交渉という論理的なものでした。しかしトランプの解決策は「国境に壁をつくってメキシコ人にその費用を払わせる」でした。

まさに職を失った中間層が望んでいた言葉です。トランプは実現する必要はありません。彼らの感情に訴えるだけで十分なのです。そして不合理な人たちは合理的な人たちよりはるかに強力です。

② 人は理解不能(ノンセンス)な理由で決定する

広告業界最大の発見の中で、「キュートな動物が呼び物の広告はそうでない広告よりも成功する」というものがあります。
ある電気会社のキャンペーンでは、1年分の光熱費が無料(17万円相当)の景品より、ペンギン型ナイトスタンド(2600円相当)に5倍以上の応募がありました。

広告にかわいらしい動物を使うのは、ばかばかしい(ナンセンス)と思われがちですが、実は理解不能(ノンセンス)な方が広告として有利なのです。

錬金術をうまく働かせるには本当はばかげているべきです。

値段が高くて、量が少なくて、まずい飲み物の方が顧客は効果が高いと感じます。もし医者が「悪性のがんを治療する薬を処方します」と言い、「好きなだけ飲んで構いません。味はいちご味とカシス味のどちらがいいですか」と言ったらあなたはどう思うでしょうか。

ある犯罪多発地域では、店の金属製シャッターは、「この地域が無法地帯というメッセージ」になっているのではないかという仮説を立てました。そしてシャッターにかわいらしい幼児や赤ん坊のイラスト(心を落ち着かせる効果)を描いたところ、犯罪が減少しました。これは経済学では説明できません。

③ よいアイデアの逆もまたよいアイデア

保険商品のパンフレットを以下の二種類用意しました。

  • 長い案内書 安心感を与えてくれる
  • 短い案内書 商品は簡単なものだと思え、安心感を与えてくれる

すると、そのどちらも効果がありました。案内書を短いものにするというアイデアはよいアイデアでしたが、案内書を長いものにするという逆のアイデアもよいアイデアでした。

図 逆もまた良いアイデア
図 逆もまた良いアイデア

④ 1×10と10×1は違う

経済学者にとって1×10と10×1は同じです。期待値を計算すれば同じだからです。実際は1×10と10×1は同じではありません。1回で1,000万円もらえるロシアンルーレットは10人くらいはやるかもしれません。しかしその10倍の1億円もらえても1人で10回のロシアンルーレットはやらないでしょう。

アマゾンは47人の顧客に1つの品物を売ることができます。しかし1人の顧客に47の品物を売ることは容易ではありません。一度に47回も品物を買えば、47回も配送の対応をしなければならず、1回くらいは誤配送があるかもしれません。(まとめて配送を選択すればいいのかもしれませんが)

⑤ 正しいプロセスは重要でない

多くの企業は正しい決定のため、市場調査を行います。

しかし、「市場調査の問題は、人々が何を感じているのか考えないこと、何を考えているのかを言わないこと、そして言う通りの行動をとらないことだ」と、広告産業に多大な影響を及ぼした「広告の父」、デイヴィッド・オグルヴィ氏は述べています。

実は正しいプロセスで決定することはさほど重要ではありません。iPhoneは顧客のニーズに従ってつくられたわけでも、フォーカスグルーブと繰り返し相談して開発されたわけでもありません。1人の精神が錯乱した男による偏執狂的な構想のたまものでした。
彼はこうスピーチしました。

「ハングリーであれ、愚かであれ(Stay hungry, stay foolish)」

起業家の本質です。

意思決定に論理を用いる必要はありません。最も貴重な発見は、最初は筋が通らないものです。筋が通ったものなら他の誰かがとっくに試しているでしょう。むしろ直感に反したものを試してみるべきです。

⑥ 行動の裏にある隠れた目的を刺激する

以下は隠れた目的を暴く偽の広告スローガンです。

  • 花 下心のある安価な贈り物
  • ペプシ コークがない時に飲むもの
  • 食器洗い機 汚れた皿を人目につかない場所に押し込むためのもの
  • 自宅のプール 水着姿で庭を歩き回ってもバカみたいに思われないこと

国家運営も同様です。共産主義国の計画経済がうまくいくには、人々が何を求め、何を必要としているかを官僚はすべて知っていて、その要望を適切に実現できるのが自要件です。現実にはそれは不可能です。人々の欲望を知るには試行錯誤が不可欠だからです。

⑦ 「自信」というプラシーボ市場

女性の化粧、ファッション、美容に多額のお金が費やされています。これが異性へのアピールでないことは明白です。異性へのアピールであれば体を覆う布が少なければいいだけです。その真の目的は、他人と比較して自分に自信と言うプラシーボを与えるためです。だから誰にも会わない自宅では、すっぴんにジャージなのです。

男性の化粧品市場は広がらないのは、男性の自信に美容(化粧)という価値観がないからです。男性の自信は容姿でなく財力や権力だからです。それを象徴するのが高級車や高級腕時計です。これは女性にラグジュアリーカーやヨットの市場が広がらないのと同じです。

最高級のワインのビジネスに関わる専門家も同じように考えています。実は最高級のワインとは典型的なプラシーボ市場です。ワインビジネスの専門家は自分が売っている商品には関心がありません。彼らは自らを「売春宿の去勢男」と表現します。「宣伝している商品に免疫があるから、自分は価値があるのだ」と。

効果的なプラシーボのルールは

  • 何らかの努力が注がれ希少性がある
  • 費用がかかる

などが挙げられます。

⑧ なぜ格安航空会社が航空券の価格に含まれていないものを説明するのか?

格安航空会社は、自社にないものとして「事前に割り当てられた座席、機内食、無料の飲み物、無料の機内預かり荷物」を丁寧に説明します。そして交換条件を明確に定義することで、顧客に格安航空券を受け入れてもらいます。その裏の意味は、運行はちゃんとしていて危険はないことを示すためです。

5. アイデアを記憶に残るようにするには

スタンフォード大学教授チップ・ハースとコンサルタントのダン・ハースは、著書「アイデアのちから」で記憶に焼き付くアイデアの原則を挙げています。

① 単純明快

3つ言うのは何も言わないのに等しい

1992年のアメリカ大統領選挙では、ビル・クリントンも政策通でなんでも答えたがったため、争点がぼけていました。選挙参謀ジェームズ・カービルは選挙スタッフに向けて「経済なんだよ、馬鹿(It’s the economy, stupid) 」と伝え、これにより争点は絞られました。対立候補の持ち出した財政再建は話題にならなくなりました。

不確実性があれば決定しない

トバースキーとシェイファーの実験に以下のようなものがあります。

学生に格安のハワイ旅行があると伝えて、期末試験の結果をその場で告げると、合格者の57%が「格好のお祝いだ」とハワイ旅行を決定し、また、不合格者の54%が「自分を元気づけるのによい機会だ」とハワイ旅行を決定しました。つまり格安のハワイ旅行があれば、合格しても不合格になっても半分以上はハワイに行くことを決断したのです。
しかし、試験結果を知らせない場合は、61%が旅行を決断しませんでした。つまり不確実性があると、人は決断しなくなります。

関心を引き寄せる謎かけ

読者をひきつける優れた文章はすべて謎かけで始まっています。つじつまの合わない問題を提示し、状況を書いた上で、読者を謎解きの世界に誘います。

② 意外性

1953年アメリカからトランジスタのライセンスを取得した東京通信工業の井深大は、世界初のトランジスタラジオを開発しようとしていました。当時できたばかりのトランジスタは出力が弱く、補聴器ぐらいしかできないと言われていました。そこで井深が掲げた言葉は「ポケットに入るラジオ」。この言葉に技術者は奮起し、4年後に本当にポケットに入るラジオTR-55を発売、東京通信工業はソニーという世界的企業になりました。

③ 信頼性

信頼は物語から

バム・ラフィンは10歳で煙草を吸い始め、24歳で肺気腫を患いました。禁煙を訴える公共キャンペーンCMは彼女を起用し、自らの体験談を語ってもらいました。肺気腫のせいで呼吸困難になった姿や背中の手術跡、辛い気管支鏡検査などを放映しました。この物語は多くの人の心をとらえ彼女は禁煙運動のヒロインになりました。彼女は31歳で亡くなりました。

図 物語は人に強く訴える
図 物語は人に強く訴える

煙草の害を論理的、医学的に説明するよりも、実際のこの物語の方が見ている人の感情に強く訴えたのです。

「なぜ買うべきなのか」理由のない広告

「私がピアノの前に座るとみんな笑った…でも弾き始めるとみんな黙った」
ジョン・ケープルズの1925年のコピーです。多くのすぐれたコピーにより伝説のコピーライターと言われた彼は

「広告が成功しない理由で一番多いのは、自分たちの達成したことで頭が一杯なあまり、なぜ相手がそれを買わなければならないのかを言い忘れてしまうことだ」

と語りました。広告は相手のメリットを中心に組み立てるべきなのに、大多数の広告はそうではないのです。

参考文献

  • 「欲望の錬金術」ローリー・サザーランド著 東洋経済新報社
  • 「キャズム2」ジェフリー・ムーア著 翔泳社
  • 「アイデアのちから」チップ・ハース、ダン・ハース著 日経BP社

この記事を書いた人

経営コラム ものづくりの未来と経営

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「労働生産性向上と人材教育 その2」 ~企業が業績を高めるために必要な人材の確保と教育とは?~ https://ilink-corp.co.jp/13126.html https://ilink-corp.co.jp/13126.html#respond Fri, 21 Jun 2024 10:58:12 +0000 https://ilink-corp.co.jp/?p=13126
【コラムの概要】

労働生産性向上だけではGDPは増えず、縮小する国内市場と高齢化が課題。イノベーションには企業の高齢化を乗り越え、社員の自律性や学習意欲を高める「ラーニング・ソサエティ」が不可欠だ。

低成長が続く日本は、再び成長するためには労働生産性を高めなければならないと言われています。

そのため、国も労働生産性を高めるべく様々な努力をしています。

では労働生産性が高まればGDPを増加するのでしょうか?

これについては、「労働生産性向上と人材教育 その1 ~労働生産性とは?マクロとミクロの視点~」で、内閣情報調査室 前田氏の「TFP(全要素生産性)に関する一試論」を説明しました。

これによれば労働生産性が向上すれば、国全体ではTFP(全要素生産性)の増加として現れます。しかしTFPが増加しても、需要が増えなければGDPは増加しないのです。

そして日本は需要を増やすことが難しくなっています。それは以下の理由からです。
 

市場が縮小

 
日本のGDPの75%は国内の民間消費だからです。

日本は民間需要(国内需要)が73.1%、公的支出が26.0%、輸出から輸入を引いた外需は0.9%しかありません。

図 2023年のGDPの内訳
図 2023年のGDPの内訳(内閣府ホームページ 国民経済計算より著者作図)

注)以下の通り計算して作成
民間 (公的) の消費と投資 =
民間 (政府) 最終消費支出 + 総固定資本形成 民間 (公的) + 在庫変動 民間 (公的)
この民間需要、特に個人消費は、ほとんど増加していません。図は家計消費の成長率を示しています。

これを見ると2014年の消費税増税8%、2019年の消費税増税10%で個人消費を大きく落ち込みました。

家計最終消費支出の推移
図 家計最終消費支出の推移(内閣府ホームページ 国民経済計算より著者作図)


 

高齢化でさらに縮小

 
日本の場合、問題は人口の減少以上に年齢構成の変化していることです。65歳以上の高齢者が増加し、高齢化比率が急速に高まっています。
 

 図 年齢区分別人口の割合の推移
図 年齢区分別人口の割合の推移

消費者として考えると、高齢者が増加し年金生活者の割合が増えればれば、消費はさらに減少します。なぜなら年金生活者は節約志向が強くなるからです。
 

年金生活者の強い節約志向

年金生活は収入が増える見込みはありません。そのため貯えがあっても、将来貯えが尽きる不安から積極的に消費しません。

そうして80代になると今度は活動範囲が狭くなります。消費する機会が減少します。

日本人はセロトニン(トランスポーター遺伝子S型)という不安遺伝子の保有率が82.25%と世界一高い民族です。(アジア人の平均は70~80%です)

対してヨーロッパ人の不安遺伝子の保有率は40~45%です。それもあって年金も貯えも全部使い切って人生を満喫して一生を終える人も多くいます。しかし多くの日本人には、このイタリアの陽気な老婦人のような暮らし方は無理です。

結局、団塊の世代が引退した2017年以降、期待されたシニア消費の波はやってきませんでした。
 

不安遺伝子は若者消費にも影響

この不安遺伝子のため、若者もお金を使わなくなっています。

非正規雇用が増え、正社員の賃金上昇も低く、将来収入が増え豊かになると実感できません。しかも少子高齢化の加速は、年金制度への不安となり、貯蓄志向を高めます。その結果、総務省「全国消費実態調査」によれば、30代未満の単身所得世代の平均貯蓄額は、男性が1989年の138万円から190万円、女性が132万円から149万円に増加しました。

国が将来も不安のない年金制度を構築し、企業は社員に安定した賃上げを続ければ、若者の消費は増え、GDPは増加するのでしょうか?

問題はGDPの増加にはTFPの増加が必要です。TFPが増加するためにはイノベーション(技術の進歩)が必要です。ところが企業がイノベーションを生みにくくなっているのです。

不安遺伝子が強く、高齢化で節約志向が高まる日本は、そのままでは消費は伸びず、経済は縮小してしまいます。

 

企業自身も高齢化

 
それは企業の従業員の高齢化比率が上昇することで、企業自身も高齢化するからです。

東京商工リサーチの2013年の調査結果によると、上場企業2318社の従業員の平均年齢は40.2歳です。年齢分布が均等であれば、企業の中堅社員は30~50代、60代でも戦力です。中間管理職が実務を担う「名ばかり管理職化」が多くの企業で進んでいます。今では管理業務のみ行う管理職はわずかで、大半が実務を行っています。
 

図 企業の従業員の平均年齢
図 企業の従業員の平均年齢

この社員の年齢の上昇は、企業に以下のような影響を与えます。
 

① リスクを取らない

新事業、新製品は失敗のリスクが伴います。失敗して経歴に傷がつき社内の立場が悪くなることを考えれば、リスクを取って新技術・新製品に取組むよりも、取り組まない方がメリットは大きいと考えます。そのためリスクがあるようなプロジェクトは様々な理由を挙げて反対します。
 

② 新しい価値観、手法を受け入れない

中高年社員にとって、これまでの経験や価値観はアイデンティティの一部です。新しい考え方や価値観、技術や手法はそれを否定するものです。そのため受け入れがたいのです。
 

③ 決定を先延ばしにする

事業活動では、時には時間が成否を決定します。有望な事業でも決定が遅れれば失敗することもあります。しかし彼らは経験があるために、いろいろと不安な点に気が付きます。そのため決定を先送りにします。一方海外の積極的な企業は、早く取組んで早く結果を出すことを重視します。ダメなら早く修正して完成度を高めれればよいのです。

失敗の責任は問わない

アマゾンのジェフ・ペゾズは、早く実験し、早く結果を出すことを常に部下に求めます。だから失敗しても担当者は責任を問われません。

1日で新規事業が決済

中国のIT企業テンセントは、朝4時30分にオーナーの馬氏が思いついたアイデアをメールすると、10時にCEO、10時30分に副社長が意見を述べ、12時には本部長が決済します。15時には企画書が完成し、22時にはその製品の開発期間とリリース次期が馬氏に報告されます。24時間以内に新事業のプロジェクトが走り出します。

グローバル企業と競争するには、このような目まぐるしいスピードで意思決定が求められます。高齢化した日本企業がこのようなスピードに対抗できるでしょうか。

実はアマゾンやテンセントのようなIT企業が成長しても、かつてのようなGDPの成長は来ないのです。

業が高齢化し、イノベーションが起こせなくなった日本では、従来の企業に代わるスピード感のある企業が必要なのです。

 

むしろ今までの100年間が特別な期間だった

 
なぜならこれま出が異常だったからです。

ロバート・ゴードンは著書「アメリカ経済 成長の終焉」で「1870年からの100年がむしろ特別な期間だった」と述べています。

この100年の間、蒸気機関、電気、内燃機関、電気通信、化学工業など多くの革新的な技術が実用化され、生産性は急速に向上しました。しかし、「このような劇的な生産性向上はもう起きない」とゴードンは考えます。

その一方、ムーアの法則に従えば、半導体の進歩はこれからも続きます。情報通信技術の革新スピードは持続します。しかし情報通信技術はこれまでの産業のような雇用や消費の増大をもたらしません。グーグルの検索エンジンは、グーグルを時価総額2兆ドル(300兆円!)の企業に押し上げました。しかしグーグルの社員はたった10万人です。鉄鋼、造船、自動車、電気などのかつての産業に比べはるかに少ない雇用です。

つまりイノベーションを起こし、労働生産性を高めても、かつてのようなGDPの成長は望めないのです。
 

GDPは今の経済活動を表していない

 
そもそも経済の金銭消費のみを対象とするGDPは現在の価値を適切に表していないという考えもあります。

個人がSNSで挙げた情報は多くの人に有益な情報を提供しています。動画に投稿したダンスや音楽は、多くの人を楽しませています。しかし、そこに金銭が介在しないためGDPには何ら影響しません。ボランティアによる社会貢献活動が社会にプラスの価値を提供しても、GDPには影響がないのです。

しかしこういった活動がある社会とない社会では、暮らしやすさ、豊かさが全然違います。

その点で、日本のサービス業も優れたサービスがお金に十分に変わっていない分野です。
 

サービス業だから生産性が低い

 
日本の労働生産性が低いことについて、特にサービス業の労働生産性の低さが指摘されています。国もサービス業の生産性向上を課題としています。

サービス業の平均年収は飲食業108万円、理容・美容業125万円しかありません。業務を改善し、時間当たりのサービスを増やせば、サービス業の労働生産性は向上するのでしょうか。
 

効率化では労働生産性は上がらない

経営コラム「労働生産性向上と人材教育 その1 ~労働生産性とは?マクロとミクロの視点~」で計算したように、単に時間当たりの出来高を増やしても付加価値は増えません。

付加価値を増やすには、生産性を高めるだけでなく、販売量を増やすか、値上げが必要だからです。

しかし市場が縮小する日本は、販売量を増やすのは困難です。いくら割引を宣伝をしても床屋さんに行く回数は2倍になりません。そうなると値上しかありません。しかし高齢者の比率が高ければそれも難しいのです。高齢者は節約志向が高く、値上げすれば、安いところに変わってしまいます。

医療・介護・福祉の分野はどうでしょうか。これらの分野は報酬を国が決めています。国が報酬を引き上げない限り付加価値は増えません。料金は国が払うため、どこを利用しても同じ費用なので差別化しにくい分野です。そこで労働生産性を上げるためには、今までと同じ仕事をより少ない人数で短時間にこなすしかありません。これでは現場は過酷になるばかりです。

では、付加価値を高める方法は他にないのでしょうか?
 

年間500種の新製品

工業製品の場合、独自の工夫をして他社と違うより良いものをつくれば他社より高くても売れます。付加価値は増大し労働生産性は向上します。

岐阜県の電設部品メーカー未来工業は、残業ゼロ、年間休日140日、加えて有給取得率も高い会社です。それでいて営業利益率は常に10%以上の優良企業です。

同社は「常に考える」をスローガンに掲げ、付加価値の高いアイデア製品づくりに努力しています。新製品は毎年500点以上出しています。これがどれほど大変な事か、製品開発に関わった人ならお判りいただけると思います。

労働生産性を高めるのは効率性の追求ではありません。より高く売れる商品やサービスをつくることです。それが少子高齢化で高くても良い商品が市場で受け入れられなくなっているのが問題なのです。

未来工業の製品の顧客は、電気工事会社です。彼らは使いやすい良いものがあれば高く買ってくれます。では一般の消費者に提供する製品やサービスはどうすればよいでしょうか。

ヒントは時計です。世界の時計のシェアはスイスが50%を占めています。その多くがロレックスやカルティエなどの高級時計メーカーです。高額な時計は高い付加価値を生み、スイスの労働生産性を高めています。

サービス業も富裕層向けの商品やサービスを充実すればより高い付加価値を生むことができます。

労働生産性を高めるのは効率性を追求し勤勉に働くことではありません。

そもそも日本人は昔から勤勉だったわけではありません。昔の日本人は働かなかったのです。
 

昔の日本人は働かなかった

 
江戸時代まで、日本人には労働と日常の区別がありませんでした。時間の単位は1刻(およそ2時間)、しかも不定時法のため、夏と冬で1刻の長さが変わりました。「いつまでに、どれだけの仕事をしなければならない」というのはなかったのです。1859年に来日した駐日スイス領事ルドルフ・リンダウは、火鉢の周りでおしゃべりをしながらだらだらと過ごす日本人を見て「矯正不可能な怠惰」と言いました。

その日本も工場は西洋式の「テイラーの科学的管理方法」を導入し、効率性を追求しています。オフィスでも時間にしばられて働いています。時間に対し自分の裁量がないことが労働を苦痛なものにしています。ベルトコンベアーに沿って流れてくる製品に1分ごとに同じ作業を繰り返す仕事に喜びはありません。作業者の唯一の楽しみは、終業のベルが鳴って、この苦痛から解放されることです。

実は今の日本人の勤勉さは、和を重視する文化と集団の圧力によるものでした。だから個人の会社に対するエンゲージメント(組織への貢献意欲、愛着心)は高くありません。
 

エンゲージメントの低い現代の日本人

 
日本企業の社員は、長時間労働やサービス残業も厭わない「まじめで勤勉」というイメージが世界中で広まっています。実は仕事への充実感・達成感は高くないという結果が出ています。

アメリカの調査会社ギャラップ社の2017年の調査によれば、エンゲージメントの強い社員の割合が日本は6%で、139カ国中132位でした。同様にオランダの総合人材サービス ランスタッド社の2019年の調査でも、「仕事に対して満足」と回答した割合が日本は42%と、34カ国中最下位でした。逆に「仕事に不満」と回答した割合は21%で1位でした。

図 仕事に不満がある日本
図 仕事に不満がある日本


 

こうした原因について、ビジネス誌では以下の要因を挙げています。

  • 賃金が上がっていない
  • ルールが多すぎる
  • 意思決定がスピードを欠きストレスになる
  • 経営陣と現場とのコミュニケーション不足
  • 多様性・柔軟性に乏しくワークライフバランスへの配慮に欠ける
  • 業績評価で適切なフィードバックが行われていない

最もな感じがしますが、本当にそうでしょうか。上記の6項目を改善すれば、個人の組織に対する貢献意欲は高まるのでしょうか。
 

同じ仕事を続けることでやりがいを失う

これに対してマーケティング 評論家のルディー・和子氏は、なぜ日本人の貢献意欲が低いのか、これに対しユニークな意見を述べています。

それは「飽きるから」です。

実際、企業の業務はルーティン業務も多く、ホワイトカラーでも単調な業務をかなりの量こなさなければなりません。終身雇用制の元では社員は一生同じ会社に勤務します。組織内の移動も少なければ、何十年も同じ仕事をすることになります。その結果、仕事に飽きてしまいます。飽きたためにやりがいや充実感を感じなくなってしまうのです。

実際、アメリカでの過去10年間の生産性低下は、和子氏は離職率の低下を原因として挙げています。アメリカ人も同じ会社に留まって仕事に飽きると彼女は言います。日本も、異動による一時的な生産性低下が無視できないため、配置転換がとても少ない、あるいは全くない中小企業も多くあります。そのため入社してからひとつの部署に10年以上いる社員もいます。また仕事に飽きた若い社員は、転職してしまいます。

もし社員の貢献意欲が低い理由が、ビジネス書の指摘通りであれば、それを解決するには昇給や人事制度など様々な取り組みが必要です。しかし、ただ飽きてしまうのであれば、対策はもっと容易です。

移動すればいいのです。

一方上場企業は常に利益を出し続けるように株式市場から圧力を受けています。経営者は株価を持続的に上げなければならないのです。
 

イノベーションが起きない中、大企業が利益を増やすには

企業が高齢化し、新製品・新技術などに及び腰な時、付加価値を増やすにはどうしたらよいでしょうか。

具体的に売上は以下の式で計算されます。

売上=材料費+労務費+経費+利益

そこで付加価値を高めるために効果が高いのは、

  • 労務費の削減
  • 材料費の削減

の2つです。
 

労務費の削減

労務費を下げれば利益は増えます。しかし賃金は下げられないので、
賃金の高い中高年をリストラし若い社員と入れ替える
正社員から派遣社員に切り替え
などを行います。派遣社員にすれば生産量の変動に応じて人数を調整でき、労務費を変動費とすることができます。
 

材料費の削減

材料費(外部購入費用)を下げれば、利益は増えます。例えば自動車メーカーの場合、原価に占める外部購入費用の割合は80%もあります。工場の改善よりも購入部品の値下げの方が利益を増やす効果は高いのです。この購入部品には下請が製造する部品も含まれます。

労務費の削減や材料費の削減は、利益を上げるための王道です。しかしこれを継続してもイノベーションは起きず、社員のやる気も低くなるだけです。

目先のコスト削減でなく、社員のやる気を高め、アイデアを引き出す取り組みが必要なのです。

 

労働の質の向上

「労働生産性向上と人材教育 その1 ~労働生産性とは?マクロとミクロの視点~」で述べたように、労働生産性を高めるには

  1. 値上げ
  2. 製造時間短縮
  3. 販売量増加

の3つがあります。

例えば未来工業は、年間500種もの新製品を出すことで、製品の付加価値を高めています。こうした価値の高い製品や技術の実現は、社員の自主的な取り組み、高い意欲、問題解決力が必要です。つまり社員の労働の質を高める必要があります。

ところが日本企業の社員の仕事に対するエンゲージメントは高くありません。では、どうすればよいでしょうか。

ヒントは意外にも戦時中のGMにありました。
 

生産性が高かったGM

GM、フォード、クライスラーといったアメリカのビッグスリーの工場の労働者は、全米自動車労働組合(UAW)に所属しています。彼らにとって、仕事は収入を得るための手段にすぎず、できる限り楽をしたいと考えます。そのため担当の仕事以外はやりません。デトロイトをやめた職人気質の労働者は「デトロイト中の空気がよどんでいる。仕事のある者さえ失業者のようだ」とまで言いました。

ところがGMの工場の社員がやる気に満ち、労働者が多くの改善提案を出した時期があったのです。

それは第二次世界大戦中のことでした。

第二次世界大戦中、GMは大量の兵器の製造を請け負いました。しかし兵器の製造に習熟した工員はおらず、素人を大勢工場につれてくるしかありませんでした。そこで管理者は作業を細かく分解し、手順書には「なぜその作業をやらなければならないか」まで書きました。管理者は作業者を信頼し、作業スピードは作業者に任せました。

銃を製造する工場では、新人が銃の部品を製造できるようになると、新人を射撃場につれていきました。そして正確に加工した部品の銃を撃たせた後、雑に加工した部品に変えた銃を撃たせて、部品の違いをわからせました。

爆撃機の部品を製造していた工場は、本物の爆撃機を工場に展示しました。工員たちは自分たちの仕事がどこに使われ、それがこの戦争にどれだけ貢献するかが実感できました。仕事への意欲が高まり作業効率は向上しました。

工員がより良いやり方を提案する制度も実施され、40万人の工員から、11万5千件の提案が出ました。しかもそのうちの1/4が採用されました。

残念なことは、これだけ生産性の高かった工場が、戦後は前述した退廃した工場に変わってしまったのです。

上記を反面教師とすれば、社員の意欲を高める取り組みはビジネス誌のようなことをしなくても実現できるのではないでしょうか。

一方技術が進歩すれば、社員の能力が不足します。そこで継続的な能力開発が必要になってきます。

 

ラーニングの重要性

GMの工場では、非熟練者でも仕事の意義や目的を伝えることで、意欲を高めて高い生産性を実現しました。その一方、生産性を高めるには、意欲だけでなく能力も重要です。

ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者ジョセフ・E・スティグリッツは、著書「生産性を向上させる社会」の中で、『今日では国の成功を決める要因は、人や研究への投資であり、ラーニング(学習)が重要だ』と主張しました。

デビッド・リチャードの比較優位説では、国同士相対的に低いコストで製造できるものにお互いが特化し、貿易で生産物を交換すれば双方の国が大きな利益が得られます。

スティグリッツはこれを静学的比較優位と呼び、これに対し、より重要なのは知識と学習によるイノベーションであり、これを動学的比較優位と呼びました。そしてこういった学習を主体とする社会をラーニング・ソサエティ<注記>と呼びました

これからはどの年齢でも継続的に学習と能力開発の機会があり、自ら学習する社会がイノベーションを増やして、その国の経済を活性化させると述べました。
 

<注記>
ラーニング・ソサエティとは、アメリカのロバート・M・ハッチンスが1968年に著した「ザ・ラーニング・ソサエティ」で書かれた言葉で、国民の生涯学習が普及した社会を指します。ハッチンスは、未来には自由時間が労働時間を上回り、自由時間には自己実現を図るような学習が重要と考えました。対してスティグリッツのラーニング・ソサエティのラーニングは仕事の中における学習を指しています。

 

スティグリッツのラーニング・ソサエティ

この学習に関して、スティグリッツはお手本(ベストプラクティス)から学ぶことの重要性を説きました。

国の経済が発展するためには、新たな価値を生み出すことが必要で、スティグリッツは以下の3つを挙げました。

  1. ベストプラクティスを学ぶ
  2. ベストプラクティスから改善し生産性を高める
  3. 新たな製品や事業を創出する

 

① ベストプラクティスに学ぶ

1940年代から1980年代の間、多くの社会主義国は、自由主義国よりも高い貯蓄率と投資率を維持していました。教育投資も積極的に行いました。それにもかかわらず産出量は自由主義国の1/2以下でした。その原因はベストプラクティスに学ばずイノベーションが起きなかったからです。

先進国と発展途上国でも知識に大きな差があります。そこで発展途上国は先進国からベストプラクティス(知識)を導入し、工業化を促進しました。中国が成功した要因は、多くの外資系企業を呼び込み、積極的に知識を吸収して工業化を促進したためでした。

スティグリッツは貿易規制により、自国の産業を保護する「幼稚経済保護論」も提唱しました。発展途上国は当初は自国の工業が弱いので、貿易規制で自国の産業を保護して工業化を促進し、経済成長と生活水準の向上を実現することを推奨しました。
 

② ベストプラクティスの改善

さらにスティグリッツはこうして手にしたベストプラクティスを改善すれば、さらなる生産性向上が実現できるとしました。

アメリカの製造業は1970年代から1980年代前半、1980年代後半から1990年代、この2つの期間で年間成長率が0.9から2.9%に上昇しました。これは他の国よりも1.9%も高かったのです。スティグリッツは、これは業務管理の改善やTQC(全社的品質管理)の導入などの学習強化によるものだと主張します。

対して1995年~2001年もアメリカの生産性は日本やヨーロッパを上回りました。しかしこれは資本蓄積、教育の改善、公式な研究開発投資とは無関係と言います。
 

③ 新たな製品や事業を創出する環境

技術の進歩に伴い必要な知識も変わります。そのため常に新たな学習が必要です。しかし知識を生産し伝搬する点で市場は必ずしも効率的ではありません。そこで知識の生産や研究開発分野は政府が支援する必要があります。

図 新たな学習が必要
図 新たな学習が必要


 

学習により獲得した新たな知識は、ある製品から他の分野の製品へと伝搬し、社会に大きな影響をもたらします。こういった知識の取引は、市場メカニズムというより、むしろ研究者同士のプレゼント交換のような形なのです。
 

この学習を促進するためには以下のポイントがあります。

  • 学習能力 若いほど学習能力は高い「老犬に新しい芸は教え込めない」
  • 知識へのアクセス 「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからです」アイザック・ニュートン
  • 学習のための触媒 アイデアは反応を促進、学ぶための刺激が触媒となる
  • 思考方法 創造的思考を作り出すための認識フレーム
  • 触媒作用を引き起こす人との接触 知識は人との接触によって広がる
  • 知識の伝達につながるような人との接触

 

技術の進歩に適応し、常に新たな知識を獲得してイノベーションを起こすには、上記のような取組を促進し、学習する社会(ラーニング・ソサエティ)の実現が重要です。

スティグリッツは人や組織が継続的に能力を高めアイデアを共創することが重要で、知識を生み出し広げるには、政府の役割の重要性を説きました。

こういった学習に関して、最近「人的資本経営」という取組が注目されています。
 

人的資本経営の取組

 
労働生産性向上の本質は、生産活動の効率化ではなく付加価値の向上であり、新製品・新事業の促進、つまりイノベーションです。

そのためには新製品・新事業を促進する人材が必要です。そのため人材教育の重要性は高くなっています。加えて定年の延長もあり社員の年齢構成は変化しています。これからは中高年社員も戦力とする必要があります。ところが彼らのスキルは新たな業務や最新のIT技術に適応しない場合があります。

しかも単純作業、事務作業は非正規雇用が担当するようになり、正社員は企画・管理など今まで以上に高度な業務スキルが求められます。またテレワークなど新たな仕事のやり方も出てきて、これまでとは異なる業務スキルも必要になってきます。その結果、従来のOJTを主体とした人材教育では不十分になってきました。
 

そこで従来の組織構成員としての人材ではなく、設備や技術と同様に社員を資本と考え、教育を資本への投資とする「人的資本経営」という考え方が提起されています。

経済産業省は、企業経営者、投資家、コンサルティング会社などにより「人的資本経営に向けた検討会」を開催し、2020年に「人材版伊藤レポート」、2022年には「人材版伊藤レポート2.0」を発表しました。

人材版伊藤レポート2.0には以下のような項目が提唱されています。

視点

  1. 経営戦略と人材戦略の連携
  2. 現状とあるべき姿のギャップの把握

 

人材戦略の要素

  • 動的な人材ポートフォリオ
  • 知・経験の多様性と包括
  • リスキル・学びなおし(デジタル、創造性)
  • 従業員エンゲージメント

 

ただしこのレポートは、大企業を想定しているため課題や方針については詳細ですが、具体的な教育や育成の記述は少なく抽象的なものになっています。

残念ながらスティグリッツの提唱する「ラーニング・ソサエティ」という継続的に学習し、アイデアを交換することでこれまでにない発想を生みイノベーションを創出する考えが、「人的資本経営」では人事と教育、そして高齢者のリスキルになってしまいました。

見えない未来に必要な能力を自ら考え、選び学習することが必要です。そうして生まれた知識を一時政府が保護し熟成して世に出すことで、次々とイノベーションが生まれる社会がラーニング・ソサエティと考えます。

そのストーリーの中で、中高年が能力を発揮するために必要なスキルを身に着ける必要があるのです。

最後にGDPの成長と生産性向上、人的資本の関連性を下図に示します。
 

図 人的資本の関連性
図 人的資本の関連性


 

参考文献

「生産性を上昇させる社会」 ジョセフ・E・スティグリッツ 著 東洋経済新報社
「企業とは何か」 P・F・ドラッカー 著 ダイヤモンド社
「TFP(全要素生産性)に関する一試論」 前田 泰伸 著 内閣情報調査室レポート
「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~」経済産業省
 

この記事を書いた人

経営コラム ものづくりの未来と経営

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労働生産性向上と人材教育 その1 ~なぜ労働生産性の向上が必要なのか?~ https://ilink-corp.co.jp/13105.html https://ilink-corp.co.jp/13105.html#respond Fri, 21 Jun 2024 10:53:47 +0000 https://ilink-corp.co.jp/?p=13105
【コラムの概要】

日本は低成長を脱するため、イノベーションによる労働生産性向上が不可欠とされています。労働生産性にはマクロとミクロの視点があり、特にTFP(全要素生産性)の向上が重要です。TFPは資本・労働・経営の質、外部環境で決まり、需要増とセットでGDP成長に繋がります。

バブル崩壊後、日本は低成長が続き、海外と比べて日本は相対的に貧しくなっています。

日本が成長するには、労働生産性を高めなければならない、それにはイノベーションが必要と言われています。

つまり

イノベーション→労働生産性向上→GDP成長

というわけです。

しかし、こう言われ10年以上経過しましたが、大きなイノベーションは生まれず、アベノミクスの第三の矢は実現していません。

図 日本のGDPの増加と増加率
図 日本のGDPの増加と増加率


 

一方、企業も生産性を高め、より大きな付加価値を生まなければ賃金を上げられません。賃金が上がらなければ、個人消費は低迷したままで景気も良くなりません。

どちらも労働生産性の向上がカギです。

この労働生産性はどのようなものなのでしょうか。

 

労働生産性とは

 
生産性は、アウトプットをインプットで割ったものです。

労働生産性とは

「労働の成果(アウトプット)」を「労働量(インプット)」で割った

「労働者1人あたりが生み出すアウトプットの指標」です。

実は労働生産性は、

日本、アメリカといった国レベルで比較するマクロ的な視点の労働生産性と、

各企業の時間当たりの生産性といったミクロ的な視点の労働生産性

のふたつがあります。
 

日本の労働生産性 (マクロ的視点)

 
マクロ的な視点の労働生産性は、GDP(国の踏み出した価値の合計)を就業者数で割って計算します。

ここでGDPは国内で生み出したものやサービスの付加価値の合計で、以下の式で表します。

このGDPは、国内で生産して消費した「ものやサービス」と「海外に輸出したもの」の合計から、「海外から輸入したもの」を引いたものです。

その中で、マクロ的視点の労働生産性は、国民一人が平均してどれだけのGDPを生み出したのかを示します。

一方でGDP(実質GDP)は、1人あたりの労働生産性から以下の式で計算します。

日本がGDPを上げるには、「働く人を増やす」、「1人が生み出す価値を高める」のいずれかが必要です。
 

一方、ロバート・ソローの経済成長理論によれば、GDPの増加は、以下の3つの要因があります。

労働投入量の増加は、国の人口の増加を指します。

資本投入量の増加は設備投資を指します。

ところが人口や設備投資が増えなくても、産出量(GDP)は増加します。

それは技術革新があるからです。技術が進歩し、設備の性能が向上し、仕事のやり方も改善されれば、同じ労働投入量、同じ設備投資金額でも産出量は増えます。

これをTFP(全要素生産性)、またはソロー残差と呼びます。

日本のように今後は人口増加や、高度成長期のような大規模な設備投資が期待できなくても、技術革新があればGDPは増加します。

先に述べたイノベーションとは、この技術革新を指します。
 

TFP(全要素生産性)について

 
安倍政権が2015年に立案した「日本再興戦略」には「生産性革命」が謳われています。これはTFPの上昇を目指しています。

アベノミクスでも、第三の矢としてイノベーションの創出が掲げられています。にもかかわらず日本のTFPの上昇率は高くありません。

どうすればTFPが向上するのでしょうか。

図 日本のTFP(出所 日本生産性本部「生産性データベース」より作成)
図 日本のTFP(出所 日本生産性本部「生産性データベース」より作成)

内閣情報調査室 前田氏による「TFP(全要素生産性)に関する一試論」によるとTFPを高める要素として、

  • 資本の質
  • 労働の質
  • 経営の質
  • 外部経営環境等

の4つを挙げています。
 
これはどのような内容でしょうか。
 

(1) 資本の質を高める

これはより高性能な生産設備を導入することです。

その結果、投入量に対する生産量が増大します。他にも省エネ性能の高い設備を導入すれば、より少ないエネルギー(費用)で同じ生産量を達成できるため、資本の質を高めます。

またブランドのような無形資産があれば、同じ製品でもより高く売れます。そのためこのブランドも資本の質です。厚生労働省の「平成28年版 労働経済の分析」では高級なブランドが多く無形資産装備率が上昇している国ほどTFP上昇率が高い傾向がありました。

例えばロレックスなど高級腕時計は、価格の高さがステータスとなり、多額の付加価値を生みだしています。今日時計はスイスの主要産業のひとつで、スイスは世界の時計のシェアの50%を占めています。

この無形資産には、OFF-JTのような教育による人的資本形成も含まれます。
 

(2) 労働の質を高める

より能力の高い労働者を雇用して、時間当たりの生産量が増加すればTFPは上昇します。

これは製造業の場合、労働者が頑張って製造して生産量を増やすという20世紀的な考え方より、より高いスキルの労働者を雇用して、自動化を推進してより高度な製品を生産し、生産量を増やすという考え方です。

一方サービス業では、より近いホスピタビリテイの労働者を雇用すれば、質の高いサービスが提供でき付加価値を高めることができます。あるいはレベルの高い接客によってリピーターが増えれば、長期的にはTFPの増加につながります。

また博士号など高度な知識を持つ人材が、新技術や新製品を開発すればTFPは上昇します。

社員への能力開発投資とTFPの関係は、内閣府「平成29年度 年次経済財政報告」によれば、企業が能力開発費を1%増加した結果、TFPは0.03%の増加があったことが報告されています。

またワークライフバランスを実現し、女性、高齢者、外国人など社員の多様性が広がれば、TFPが増加する可能性があります。
 

(3) 経営の質を高める

経営者の経営能力が高くなれば、企業が生み出す付加価値が増えてTFPが上昇します。

この付加価値の増大は革新的な製品やサービスだけでなく、物流や流通、マーケティング、管理など業務のさまざまな面(ビジネスプロセス)を強化・改善しても実現します。経営の質は、こういったビジネスプロセスの改革も含んでいます。
 

(4) 外部経営環境等の影響

企業の立地や政府の施策も、TFPの上昇に影響します。

特定の地域に産業が集積することで、優れた労働者が集まるとともに企業間の連携が強化され、新技術の波及効果が高まります。政府の規制緩和が新しい産業を生み出すこともあります。あるいは優れた技術を持つ外国企業が日本に進出すれば技術やノウハウが日本に移転されます。

こういったTFPの上昇はGDPにどのような影響を及ぼすのでしょうか。

前田氏のシミュレーションによると下記の3つの結果が示されました。
 

① 現状のままTFPが3%と大幅に上昇した場合 (需要は変わらない)
  • 供給が増加しても需要は変わらないため、デフレが悪化する
  • 実質GDPは横ばい、物価は下落し、失業率は増加する

この試算からイノベーションが起きて供給が増えても、需要が増えなければ

  • デフレが悪化
  • 賃金が下がり失業も増える
  • GDPは変わらず、国の財政も変わらない

という結果になりました。
 

② TFP3%の上昇とともに輸出が大きく増加した場合

(輸出には外国人観光客の国内消費、インバウンド需要も含まれる。)

  • 供給の増加に応じて需要も増加し、物価と賃金は上昇し、財政収支は改善する
  • 実質GDPは増加、物価は若干上昇、失業率は変わらず、財政収支は黒字化

この試算からイノベーションが起きて、かつ輸出やインバウンドが増加して需要が増えれば

  • 物価が上がり、デフレ脱却
  • 賃金が上がり、それでも失業率は変わらない
  • GDPは上昇し、国の財政は改善される

という結果になりました。
 

③ TFP3%の上昇とともに公共投資を増加した場合
  • 乗数効果が輸出よりも大きいため、輸出よりも成長は大きいが財政は急速に悪化する
  • 実質GDPは増加、物価は若干上昇、失業率は若干改善するが、財政収支は大幅に悪化する

この試算から、イノベーションが起きても輸出も国内需要も増えないため、公共投資で補った場合

  • 輸出よりも乗数効果が高いため、デフレは改善される
  • 賃金はやや上がり、失業もやや減る
  • 国の財政は大幅に悪化する

という結果になりました。
 

イノベーションが起きても需要が増えなければ、デフレが続く

 
このシミュレーションからわかることは、TFPの上昇はあくまで供給側の指標ということです。

需要側の問題を解決しなければ、技術革新はさらなるデフレを誘発するということです。

一方、実際の経済活動において、TFPの上昇がどのような製品や技術により達成されるのかは、よくわかっていません。しかも実際の経済活動は、様々な人々の消費行動など複雑な要因があります。上記のようなシミュレーション通りにならない可能性もあります。
 

企業の労働生産性 (ミクロレベル)

 
企業の労働生産性も基本的な考え方は同じです。企業の場合、1人当たりの労働生産性の他、時間当たりの労働生産性も使用されます。

企業の生み出す付加価値は、売上から材料費など外部から購入した金額(変動費)を引いたものです。

付加価値=売上-外部購入費用=売上-変動費
 

企業で発生する費用は、

  • 外部購入費用 (変動費) : 材料費、外注費、他の資材など
  • 社内で発生する費用 (固定費) : 労務費、会社の経費(工場の経費、販管費)

があります。そこで利益は以下の式で表されます。

利益=売上-費用=売上-変動費-固定費=付加価値-固定費

1人当たりの労働生産性は、この付加価値を就業者数で割ったものです。

時間当たりの労働生産性は、この付加価値を就業者全員の就業時間の合計で割ったものです。

 

改善は付加価値を高めるのか?

上記の式を具体的な企業の数字に落とし込むと、意外なことがわかります。「改善は付加価値を高めるとは限らない」のです。

なぜでしょうか。
 

企業の労働生産性を具体的な数字で検証してみます。

モデル企業A社は、1人のみの会社です。この会社は製品A1(価格1,500円 年間販売量1万個)のみを生産しています。

A社

  • 売上 1,500万円
  • 材料費(外部費用) 500万円
  • 付加価値額 1,000万円

付加価値額1,000万円に対して、A社は賃金600万円、
会社の経費は200万円なので、これを引いて200万円の利益がありました。

A社の労働時間は2,000時間なので、
1時間当たりの付加価値(時間当たり労働生産性)は5,000円/時間でした。
 

材料価格が20%上昇しました。

  • 売上 1,500万円(変化なし)
  • 外部費用 500万円→700万円(200万円増加)
  • 付加価値 1,000万円→800万円(200万円減少)

時間当たりの労働生産性は4,000円/時間に減少します。
利益は0円です。
 

そこで利益回復のため以下の3つの手段を検討します。

  1. 値上
  2. 製造時間短縮
  3. 販売量増加

 

1. 値上げ

値上げをすれば、売上は1700万円に増加します。
付加価値は1,000万円に回復し、利益も200万円になります。

時間当たりの労働生産性は5,000円/時間に戻ります。
 

2. 製造時間短縮

A1製品の製造時間は0.2時間なので、これを0.16時間にして20%短縮します。

しかし売上、外部費用は変わらないため、付加価値は800万円のままです。

1万個の製造に必要な労働時間は1,600時間に減少しますが、その分賃金を下げなければ利益は200万円になりません。

ただし労働時間を短縮すれば、時間当たりの労働生産性は5,000円/時間に戻ります。
 

3. 販売量増加

販売量を1.25倍増加させます。
外部費用も1.25倍の875万円、労働時間も1.25倍の2500時間になります。

ただし賃金は変わらないとします。

その結果、付加価値は1,000万円に回復し、利益は200万円になります。

ただし時間当たりの労働生産性は4,000円/時間に低下します。
 

つまり原材料の上昇などで付加価値が減少した場合、以前の利益を維持するには値上げか、販売量の増加などで付加価値を回復することが必要です。

改善で製造時間を短縮しても、販売量が増加しなければ利益は回復しません。
(生産量に応じて労働時間と賃金が変動できれば別ですが。)

労務費が固定費であれば、材料価格の上昇などで付加価値が減少した場合、時間短縮などの改善では利益を維持できません。

受注を増やすか、値上げするか、付加価値を増やすか、いずれかの方法を取る必要があります。

人口減少など市場の縮小に直面する日本も同様です。
 

計算の詳細は以下に記載します。(ご関心のない方は飛ばしてください。)

参考 計算の詳細

製品A1
売価  1,500円
年間販売量 1万個
年間売上  1,500万円

利益=1500-500-600-200=200 万円
付加価値=1500-500=1000 万円
年間労働時間 2,000時間、1人なので、1人当たりの労働生産性=1000万円
1時間当たりの労働生産性=1000×104/2000=5000円/時間

年間で1万個生産なので
1個の生産時間=2000/10000=0.5時間
A1製品の原価
材料費500円
労務費600円
経費200円

1個の利益=1500-500-600-200=200円
1個の生産時間=2000/10000=0.2時間

【材料価格が20%上昇】
材料価格が40%上昇し、年間では500万円→700万円に増加

● 価格がそのままの場合
付加価値=1500-700=800 万円 200万円減少
利益=1500-700-600-200=0 円

利益はゼロ円になる。労働生産性は
1時間当たりの労働生産性=800×104/2000=4000円/時間
4,000円/時間に減少する。

● 値上 1500円→1700円
付加価値=1700-700=1000 万円
利益=1700-700-600-200=200 万円

利益は200万円と変わらない。

● 原価低減
製造時間を20%短縮、製造時間0.2時間→0.16時間
労務費600円→480円
計算上の原価=700+480+200=1,380円
利益=1500-1380=120円

しかし年間での販売量は1万個で同じ場合、売上1500万円は変わらないため
付加価値=1500-700=800 万円

付加価値は200万円減少し、利益はゼロになる。

● 販売量増加
販売量を1.25倍増加、1万個→12,500個
売上=1500×1.25=1,875万円
材料費=700×1.25=875万円

労務費600万円は変わらないものとする。ただし労働時間は1.25倍となり
労働時間=2000×1.25=2500時間
利益=1875-875-600-200=200円

1時間当たりの労働生産性=1000×104/2500=4000円/時間
材料費が上昇し、1個当たりの利益はゼロになる。

労務費が固定費で変わらない場合、売上を1.25倍にすれば付加価値は増加し利益は200万円になる。
 

なぜ国は労働生産性向上に力を入れるのか?

GDPが成長すれば、年々経済規模が大きくなります。雇用は安定し、家計収入は増加、生活も安定します。税収が増加し政府債務も減少します。従って国家の安定と国民生活の安定にはGDPの成長が不可欠と国は考えます。

GDPを成長させるためには以下の方法があります。

  • 就労者数の増加

今から出生率を上げても、生まれた子供が生産活動に貢献するのは20年以上先です。すぐに効果が出るのは移民の増加です。

  • 労働生産性向上

就労者数が増えなくても一人当たりの生み出す付加価値が増えればGDPは増加します。これは労働生産性の向上に他なりません。 

このような背景から、国は日本の労働生産性を高めるべく努力をしています。ところがなかなか効果が出ません。なぜ日本の労働生産性は低いままなのでしょうか。

続きは別のコラムで紹介します。

参考文献

「なぜ日本の会社は生産性が低いのか?」 熊野英生 著 文春新書
「勤勉な国の悲しい生産性」 ルディー和子 著 日本実業出版社
 

この記事を書いた人

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ハッキングから会社を守る2~ソーシャルエンジニアリングと企業が行うべき対策~ https://ilink-corp.co.jp/12411.html https://ilink-corp.co.jp/12411.html#respond Thu, 07 Mar 2024 03:58:54 +0000 https://ilink-corp.co.jp/?p=12411
【コラムの概要】

ソーシャルエンジニアリングは、情報通信技術を使わず、人間の心理的な隙をついてパスワードなどの機密情報を不正に入手する手口です。電話での聞き出し、覗き見(ショルダーハッキング)、ゴミ箱あさり(トラッシング)などが挙げられます。ハッカーは巧みに信頼を得て情報を引き出すため、社員教育や情報管理ルールの徹底、多層防御などの対策が重要です。

前回、ハッキングから会社を守る1 ~情報セキュリティ・個人情報保護法の課題~では、情報セキュリティの問題と、これに関する法規制について、説明しました。

実はこうしたセキュリティ関連の情報には、重要なものがひとつ抜けています。それがソーシャルエンジニアリングです。
このソーシャルエンジニアリングとはどのようなものでしょうか?
 

ソーシャルエンジニアリング

ここまで情報セキュリティに関する管理面、技術面での課題と対策を紹介しました。情報セキュリティに関する国のガイドラインや多くの書籍の内容もここまでしか触れられていません。
これで十分でしょうか?

実はハッカーが使う重要な手法に対する防衛が抜けているのです。

ソーシャルエンジニアリング」です。

ソーシャルエンジニアリングとは、ネットワークに侵入するために必要なパスワードなどの情報を「インターネットなどの情報通信技術を使わずに入手する方法」です。
ハッカーも全く情報がなければ、パスワードのクラックには総当たり攻撃をしなければなりません。
 

例えば、8桁のパスワード 英数字(大文字・小文字)+記号 の場合、1桁の組み合わせは120種類、8桁を総当たり攻撃でクラックするには
仮に1回の試行時間0.001秒としても
試行回数=1208=4.3×1016 回

全ての試行が完了するまでの期間は130万年かかり、事実上総当たり攻撃ではクラックはできません。

ところがパスワードが「password」+4桁の数字という情報があれば、
試行回数=104=10,000 回
全ての試行が完了するまでの期間は100秒となり、すぐにクラックできてしまいます。
そこでハッカーは様々な手法を使い、このパスワードは「password」+4桁の数字という情報を聞き出します。これがソーシャルエンジニアリングです。
 

ソーシャルエンジニアリングの手法とその対策

① 電話でパスワードを聞き出す

電話を利用したソーシャルエンジニアリングは、対面しないためターゲットに近づいて情報を入手しやすいのが特徴で、昔からある代表的な方法です。

何らかの方法でそのターゲットとなるサービス等のユーザー名を入手したら、その利用者のふりをして、ネットワークの管理者に電話をかけ、パスワードを聞き出したり、パスワードの変更を依頼したりします。

また、逆に管理者になりすまして、直接利用者にパスワードを確認するといったことも行えます。
 

② 覗き見する(ショルダーハッキング)

肩越しに覗くことから、ショルダー(shoulder=肩)ハッキングとも呼ばれる方法です。パスワードなどの重要な情報を入力しているところをさりげなく覗き見します。

【具体的な対策】
たとえオフィス内などの普段の慣れた場所であっても、クレジットカードの番号やパスワードなど、キーボードで重要な情報を入力する際には周りに注意することが重要です。
 

③ ゴミ箱をあさる(トラッシング)

重要な情報をゴミ箱に捨てたりしていませんか? 外部からネットワークに侵入する際に、事前の情報収集として行われることが多いのがトラッシングです。

不正アクセスの対象として狙ったネットワークに侵入するために、ごみ箱に捨てられた資料(紙や記憶媒体)から、サーバーやルータなどの設定情報、ネットワーク構成図、IPアドレスの一覧、ユーザー名やパスワードといった情報を探し出します。
 

ソーシャルエンジニアリングの事例

1978年ある企業のバックアップシステムの開発を担当していたスタンリー・リフキンは、「銀行から企業への送金通知手順を知りたい」とセキュリティ・パシフィック・ナショナル銀行の特別顧客用送金室に入りました。壁には行員がその日に受け取ったセキュリティ・コードがいくつも紙に書いてありました。

彼はセキュリティ・コードを記憶し部屋を出ました。彼は公衆電話から銀行の国際部マイク・ハンセンになりすまし、スイスの銀行に1,020万ドル振り込むように指示しました。彼は電話1本で1,020万ドルを手に入れたのです。

ソーシャルエンジニアリングを駆使するハッカーたちは決して「あなたのパスワードを教えてください」といった質問はしません。
情報の核心に近づくために、部署名、電話番号、担当者名などを違った人たちから順に聞き出します。パスワードを聞かなくても、ペットや子供の名前や分かれば、クラッキングはできるのです。

図1 情報セキュリティと個人情報、営業秘密
図1 情報セキュリティと個人情報、営業秘密


 

シャドーIT・BYODの問題

無料のサービスが充実したため、社員が独自にITツールをインストールするシャドーITの問題があります。これらの無料ツールにはセキュリティ上脆弱な点があるものもあり、そこが侵入者のきっかけとなる可能性があります。

あるいは個人でGmailやグーグルクロームを使用している場合、会社のメールをGmailに転送して出先でも見られるようにすることもあります。同様に個人で使用しているノートPCを会社のサーバーにもアクセスできるようにすれば、外出先でも仕事ができます。テレワークの普及とともにこうしたBYOD(Bring Your Own Device)も広まっています。

一方、個人のスマートフォンやPCの使用は外出先での紛失・盗難のリスクが高いです。あるいは個人のスマートフォンやPCにインストールしたITツールやゲームソフトが侵入者のきっかけになることもあります。実はハッカーが侵入を試みるソフトの中でゲームソフトはとても多いのです。
 

企業が行うべき対策

対策

システムが攻撃を受けるポイント

システムが攻撃を受けるポイントは主に以下が挙げられます。

  • システムの脆弱性
  • ゲートウェイ
  • エンドポイント
  • クラウドサービス
図2 システムのポイント
図2 システムのポイント


 

① システムの脆弱性

基本的にはどのシステムにもバグがあり、その脆弱性が攻撃されます。バグの修正パッチが配布されたら直ちにインストールするようにします。また、サポートが切れた製品は使用しないようにします。
 

② ゲートウェイ

インターネットの入り口のゲートウェイにはファイアウォールが設置され、不正アクセスを防御しています。それでも通常のメールを装って侵入するメールは防げないため、ITベンダーから提供されている迷惑メール対策やURLフィルタリング、WEBフィルタリングなども活用します。
 

③ エンドポイント

パソコンなどの端末機器のセキュリティです。例えば紛失や盗難に備えてデータの暗号化を行います。万が一、紛失した場合は遠隔でその端末を使用禁止にする遠隔管理を行います。そのために全社員のIT端末の登録とユーザー名、パスワードの管理が必要です。

なおネットワーク機器などのパスワードの初期設定が”admin”や”password”になっている場合は必ず変更します。各機器の初期設定がどんなパスワードになっているか一覧は、闇サイト(ダークウェブ)で容易に入手が可能です。

また社員が業務上必要のないデータにアクセスしないようにアクセス権を管理したり、自宅でマルウェアに感染したファイルを会社のPCにUSB接続しても感染しないようにウイルス検出を行ってからデータを移行するなども重要です。
 

④ クラウドサービス

利用するクラウドサービスについてもhttpsのような通信の暗号化を行い、自宅のWiFiもWPAやWPA2のような暗号化を行います。
 

教育とルール

標的型攻撃メールを防御するには、標的型攻撃メールと正常なメールの違いを教育する必要があります。標的型攻撃メールを受けた時の対応策を学習します。

情報サービスのユーザーIDとパスワード管理のルール化を行います。個人に任せると容易に突破されるパスワードを使用することが多いので、管理方法はルール化し、定期的な確認を行います。

シングルサインオン(SSO)の導入を検討しても良いでしょう。「シングルサインオン(Single Sign-On)」は、「シングル 」と「サインオン」を組み合わせた造語で1度システム利用開始のユーザー認証 (ログイン) を行うと、複数のシステムを利用開始する際に、都度認証を行う必要がない仕組みのことです。
また、1度の認証で、以後その認証に紐づけられている複数のシステムやアプリ・サービスにも、追加の認証なしで利用できる製品・システム・ツールも意味します。
 

良いパスワードと悪いパスワードの例を以下に挙げます。
良いパスワード

  • 8桁以上
  • 英数字、特殊文字を混ぜる
  • 容易に推測されない

悪いパスワード

  • 8桁未満
  • 英字のみ、数字のみ
  • 関連情報から作成(名前、電話番号、誕生日など)

 

ユーザーIDもパスワードと同じように以下のようなものは避けます。

  • 単純な文字列 11111, 12345, abcdeなど
  • キーボード配列の1列 qwerty, asdfg, zxcvb
  • 使いまわしのIDとパスワード
  • 共有パスワード
  • 紙やファイルに保存したパスワード

パスワードは「暗証番号」ではありません。
コンピューターによる総当たり攻撃が行われる今日では、必要な文字や記号まで入れたパスワードはもう暗記はできません。本人が記憶した暗証番号を入力するのは過去の話です。

パスワードはシステムにログインするための「電子鍵」なのです。そして記憶できないことを前提として、パスワードの管理方法を自社で決めなければなりません。当然ソーシャルエンジニアリングの攻撃を考慮しておきます。

ただし、セキュリティの条件を全部満たそうとすると業務は極めて非効率になってしまいます。業務の効率性、社員の利便性を考慮して、漏洩リスクとのバランスをとることが大切です。
そしてパスワードを作成する際には、総当たり攻撃を受けても「クラッキングされるまで何年も時間がかかるようなものでなければならない」を念頭に置きます。
 

ケビン・ミトニックのアドバイス「泥棒に入られたくなかったら、侵入方法を泥棒に聞く」

ハッカーたちの座右の銘に「我々に見つけられないセキュリティの穴はない」というものがあります。
世界的に著名なハッカー ケビン・ミトニックは、セキュリティについて以下のようにアドバイスしています。 

① パスワード
  • パスワードは、英数字、かつ大文字と小文字が混在し、記号を含めたランダムなものにすること(数字4桁であれば、10,000回の試行で見つけられる。)
  • 記憶するのは困難なので、記憶以外の手段を用意する、そして他人に見られないように管理する
  • 固定パスワードは限界があるため、コード生成装置など認証デバイスや生体認証と組み合わせる
  • 管理者がPCを保全する際はブラウザのパスワード保存機能をオフにする(そうしないと誰でも管理者ログインが可能になる)
② PC・サーバー
  • 悪意ある者がサーバーやPCに「キーロガー」のようなハッキングツールやハッキングソフトをインストールできないようにUSBポートは機能停止が望ましい
  • ハッキングツールが仕掛けられていないか定期的にチェックする
  • 許可されたソフトウェアのみインストールする
  • 許可されたソフトウェアのリストをつくり、定期的にチェックする
  • ソフトウェアが改造されていないかもチェックする
  • アプリケーションでなくインストーラーに脆弱性があることもあるので、インストールが完了したら除去する
  • 日常はユーザー権限で使用する(管理者権限では悪意ある者が有害なプログラムを簡単にインストールできてしまう。また業務時間内は対話型ログインを制限する)
  • 外部から接続されるシステムでWinVCNやTightVCN、DameWareなどの遠隔制御ソフトウェアがないか調べる(これらのソフトは攻撃者に悪用されるとシステムを監視されたり、制御したりしてしまう)
  • ウィンドウズ・ターミナル・サービスやシトリックス・メタフレーム経由のログインには注意する(これらは遠隔制御プログラムより検知される確率が低いため多くの攻撃に使用されている)
  • SQLインジェクション攻撃から守るために、SQLサーバーはシステム・アカウントとは別のアカウント上で稼働させる
  • プログラムを開発する時は動的SQLクエリが生成されないようにする
  • SQLクエリの実行は必ずストアド・プロシージャーを使い、不必要なタスクが実施されるのを防ぐ 
③ ネットワーク
  • いつかゼロデイ攻撃を受けるという前提で、ネットワークは「多層防御」にする
  • 外部からアクセスされるシステム(ウェブサーバーやメールサーバーやDNSなど)は機密情報を扱う社内システムと分離する
  • 1人1アカウントとする(1台のPCとアカウントを複数のユーザーで使用すれば、情報漏洩が起きても犯人が特定できない)
  • 出先の社員が使用するノートPCも社内のシステムにアクセスするにはパスワードの認証を入れる(パスワードのかかっていない接続ポートは、たとえ短時間でもハッカーにとっても開いた玄関と同じである)
  • 不正使用されないように未使用の機器はすべて停止し、未使用のネットワーク用ジャックはすべて停止する
  • 無線・有線インターネットなど外部からの接続を受け入れているシステムはログイン/ログアウトに対する監視体制を構築する
  • ネットワーク上で開いているポートは外部への通信を行うポートのみとしそれ以外の開放ポートは閉じる
  • ネットワーク内部から外部への通信も厳格な管理基準を設け定期的にログの精査を行う
  • 「デフォルト パスワード一覧」でグーグル検索すると、各メーカーの機器の出荷時のアカウントとパスワードが分かるため、出荷時の状態で使用することは避ける(ハッカーに対し玄関を開けているようなもの)
  • パスワードの変更だけでなくアカウント名も変更する 
④ インターネット
  • Whoisで検索すればそのドメインに関する情報が入手できるため、Whoisの情報は非公開にする
  • ドメインの逆引きをさせないためにわかりやすいドメイン名はつけない
⑤ データ
  • 重要なファイルはファイル自体にパスワードをかける
  • バックアップデータ(ハードディスク)も同様に暗号化する(PGPディスクを使えば容易に暗号化仮想ディスクを構築できる)
  • アクセス権のない人間がバックアップにアクセスできないようにIDとパスワードで保護する 
⑥電子メール
  • 知っている人や顧客からのメールでも添付ファイルは開かない(やむを得ず開く場合もマクロは有効にしない)
  • メール本文にURLがある場合、安全なドメインであることを確認してから開く 
⑦ 侵入者
  • 外来者は受付で記帳しバッジやカードをつけて誰が見ても外来者と分かるようにする
  • 見たことのない人がいる場合、社員が必ず声をかける
  • 社員に内部情報を粗略に扱うことの危険性を教育する(ソーシャル・エンジニアは人畜無害な情報を足掛かりに重要な情報にたどり着く。サーバーのパスワードは答えなくても契約しているサーバー名を教えたりしないだろうか)
  • 社員や顧客を装って聞かれた場合、どのように対応するのか手順を決めておく
  • 本物の顧客から問い合わせが来ている場合、失礼にならないように十分に配慮する 
⑧ 教育
  • ウイルスについての最新情報を入手し従業員に教育する
  • 席を離れる時は自分のコンピューターはロックする
  • スクリーンセーバーにパスワードをかける(これらは就業規則等に入れておく)
  • 自ら退職の意思を表示した社員、また会社が解雇する社員は、重要な情報にアクセスできないようにする 

情報漏洩を前提とする

このように完全なセキュリティは存在せず、情報漏洩やハッキングの可能性はいつでもあります。そこでいつか起きるという前提で「情報セキュリティ事故」が起きた時の対策を立てておく必要があります。
対策を考える場合、情報漏洩やマルウェア感染が確認された場合と、マルウェア感染の疑いがあるが確証がない場合の2種類を考えます。

前者はBCPに準じて、社内の報告、対処、場合によっては顧客への報告を行います。

後者は疑わしい場合の報告のルールを決めておかないとうやむやになってしまい、マルウェア感染を長期間放置する恐れもあります。

それを防ぐために、誰に報告し、どのように対処し、安全を確認するのか決めておきます。特に情報システム管理の専任者がいない中小企業では、担当者不在が原因となって放置されることがあります。
 

参考文献

「ハッカーズ」ケビン・ミトニック、ウィリアム・サイモン 著 インプレスジャパン
「欺術」ケビン・ミトニック、ウィリアム・サイモン 著 ソフトバンク・パブリッシング
「実務に役立つ改正個人情報保護法速攻対応」 (株)シーピーデザインコンサルティング著 学研
「機密情報の保護と情報セキュリティ」畠中伸敏 著 日科技連
「社長のための情報セキュリティ」日経BPコンサルティング情報セキュリティ研究会 著 日経BPコンサルティング
「サイバー攻撃からあなたの会社を守る方法」藤原礼征 著 中経出版
 

この記事を書いた人

本コラムは「未来戦略ワークショップ」のテキストから作成しました。

経営コラム ものづくりの未来と経営

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書籍「中小企業・小規模企業のための個別製造原価の手引書」【基礎編】【実践編】
経営コラム「原価計算と見積の基礎」を書籍化、中小企業が自ら原価を計算する時の手引書として分かりやすく解説しました。
【基礎編】アワーレートや間接費、販管費の計算など原価計算の基本
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ハッキングから会社を守る1~情報セキュリティ・個人情報保護法の課題~ https://ilink-corp.co.jp/12407.html https://ilink-corp.co.jp/12407.html#respond Thu, 07 Mar 2024 03:54:23 +0000 https://ilink-corp.co.jp/?p=12407
【コラムの概要】

近年、サプライチェーンを狙ったサイバー攻撃や内部犯行による情報漏洩が多発。企業は機密性、完全性、可用性を軸に、技術・物理・人的対策の組み合わせが重要です。関連法規(サイバーセキュリティ基本法、特定電子メール法、不正アクセス禁止法、個人情報保護法、不正競争防止法)への対応も不可欠です。

頻発するセキュリティ事故

2022年3月1日トヨタ自動車は国内14工場の生産を停止しました。

原因は仕入れ先の小島プレス工業のサーバーがウイルスに感染したため部品供給のめどが立たなかったからです。
 

子会社の脆弱なセキュリティが発端

発端は小島プレス工業の子会社が外部との通信に使用していた機器にセキュリティ上の脆弱性があったことです。

2月27日にそこからウイルス(ランサムウェア)が侵入しました。

その結果、小島プレス工業の約500台のサーバーのうち、受発注や電子カンバンに係るサーバーまでが感染しました。トヨタも100人態勢で支援に乗り出しましたが、28日中には復旧のめどは立ちませんでした。トヨタは週明け3月1日の生産ラインを停止することを決定しました。

たった1台の機器の脆弱性のためトヨタの受けた損害は数億円にもなりました。
 

数億円に達したトヨタの損害

3月2日の午後、小島プレス本社に一人の作業服の男性がいました。トヨタの社長 豊田章男氏でした。トヨタがこの事態をどれほど重く見ていたかがわかります。トヨタのサプライチェーンは6万社もあります。そのうち1社でもセキュリティが破られればどうなってしまうのか、今回の事件は示しました。

今では企業と多数の取引先がネットワークで結ばれ、リアルタイムで情報をやり取りしています。これにより生産の効率は上がり、発注の無駄も減りました。一方それと引き換えに、一旦ネットワークに問題が起きれば、サプライチェーン全体に影響が及ぶようになったのです。
 

内部による情報漏洩

 
ただし情報漏洩事件に限れば、外部からの不正な侵入よりも内部の者による漏洩の方が多いのです。

理由のひとつは、通信販売が発達したためです。顧客名簿の価値が高まり、社内の顧客名簿を名簿業者に売れば多額のお金が入るようになりました。

もうひとつの理由は、設計図面など技術情報が電子化されたことです。膨大な図面や技術情報もUSBひとつで簡単に持ち出せるようになりました。
 

ベネッセの顧客情報流出事件

2014年7月「進研ゼミ」や「こどもちゃれんじ」を運営するベネッセコーポレーションで顧客情報が流出しました。

2014年6月ベネッセコーポレーション(以降、ベネッセ)の複数の顧客に身に覚えのない企業からDMが送られてきました。顧客は個人情報が漏洩したのではないかと思いベネッセに相次いで問い合わせしました。ベネッセで調査した結果、合計3504万件の顧客情報が漏洩したことが判明しました。同社は6月30日、警察に顧客情報漏洩の疑いがあることを報告しました。

名簿が数百万円で売却

調査の結果、同社がデータベースの運用や保守管理を委託していたシンフォームの39歳のシステムエンジニアが顧客情報を持ち出したことが判明、7月17日警察に逮捕されました。彼は派遣会社からシンフォームに派遣され、ベネッセのデータベースの管理を行っていました。そのため顧客情報に容易にアクセスができました。警察の調べに対して「金がなくて生活に困っていたため、名簿業者に売却した。売却の総額は数百万円になった」と供述しました。

失った100億円と90万人の顧客

委託先の派遣社員が数百万円のお金欲しさに起こした個人情報の流出は、ベネッセ100億円以上の損失をもたらしました。この事件が原因で同社は90万人以上の顧客と社会的な信頼も失いました。

一方、昔から企業が所有する技術やノウハウを盗み出す産業スパイはありました。今はUSB 1個で大量の設計情報も持ち出せるため、漏洩リスクは高くなっています。
 

ヤマザキマザックで設計情報が漏洩

2012年3月27日、愛知県警はヤマザキマザックのサーバーから設計情報を漏洩させたとして、同社社員で中国籍の唐博容疑者を逮捕しました。一方、唐容疑者は容疑を否認しています。

アクセス権のない設計情報を大量に複製

唐容疑者は約10年前に来日し日本の大学を卒業後、正社員としてヤマザキマザックに入社しました。事件当時は販売部営業係に所属し、社内の営業部員へ工作機械の説明する業務を行っていました。唐容疑者は設計情報へのアクセス権はありませんでした。

ところが1月から3月にかけ、唐容疑者は相当数の工作機械の図面を私物のハードディスクに複製していました。おそらく何らかの不正な方法でアクセス権を取得したとみられます。そして3月12日に「中国に住む父親の体調が悪い」として退職を申し出ました。しかし大量のデータをダウンロードしているのを見た同僚が不審に思ったことで事件が発覚しました。
 

いたずらから始まった連邦裁判所への不正侵入

 
アメリカのコンピューター好きなティーンエイジャーの2人、マットとコスタは、電話システムのハッキング「フリーキング」でハッキングの技能を高めていました。

そんな二人はある晩、携帯電話会社の中継局に出かけ、ゴミ箱漁りをしていました。そこでゴミ箱から「すべての中継局と電子認識ナンバー(ESN)」を書いたメモを見つけました。このデータを使い、自分の携帯電話に特別なファームウェアを入れるとどこでも無料で電話をかけることができるようになりました。(当時インターネットの接続はLANでなくモデム経由のダイヤルアップ接続でした。)

連邦裁判所のコンピューターに侵入

2人は無料となった通信を使い、ウォー・ダイヤラーを行ってコンピューターに手当たり次第に電話をかけさせました。そこで偶然、連邦地方裁判所のモデムの番号を見つけました。連邦地方裁判所のコンピューターのユーザー名はpublic、パスワードもpublic、あまりにも単純でした。

2人はこの連邦地方裁判所のコンピューターを経由して、このコンピューターが使用しているOSメーカー(仮にA社)のコンピューターにトロイの木馬を送りました。そして、そこに接続されている多くのコンピューターの情報を引き出すことに成功しました。その中にボーイングのコンピューターのログイン情報がありました。
 

オープンになっていたボーイングのネットワーク

ある日、マットとコスタがボーイングのネットワークに侵入した時、彼らの前にUNIXのshellが現れました。どうやらボーイングの社員がそれまでサーバーにアクセスしていたコンピューターをログアウトせずに放置したようです。難なくファイアウォールを突破した2人はボーイングのネットワーク内を自由に行き来しました。

セキュリティ研修中にハッカーの侵入を発見

その頃ボーイングのコンピューターセキュリティの専門家ドン・ボーリングは、ボーイングの社員と連邦法執行官らに情報セキュリティの研修を行っていました。

研修中、ドンは情報システム担当者から、何者かがパスワードをクラックした痕跡があるという報告を受けました。マットとコスタの仕業です。ハッキングの痕跡を印刷するとユーザー名の多くが判事(judge)という文字で始まっていました。

青ざめる判事、逮捕される2人

ドン・ボーリングは研修に参加していた法執行官に向かってユーザー名のリストを見せました。ユーザー名は、連邦地方裁判所の判事のコンピューターでした。こうして連邦地方裁判所へのハッキングが判明し、法執行官たちの顔は真っ青になりました。

その結果、FBIはマットとコスタの電話番号を逆探知しました。そして所在を突き止め、2人を逮捕しました。
 

誰が攻撃者するのか?

攻撃者のタイプ

コンピューターに不正に侵入するハッカーは、全員が犯罪目的ではありません。このハッカーは以下の3つに分類されます。

  1. 政治的、経済的な利益を求める 例 ランサムウェア
  2. 個人の利益のためにデータを盗用 例 顧客名簿の販売
  3. 愉快犯 例 マットとコスタ
図1 ハッカーにもタイプが存在する
図1 ハッカーにもタイプが存在する

①の政治的、経済的な利益のために行われるのは、特定の国や企業へのサイバー攻撃や身代金目的の攻撃です。

②は個人の利益のためのデータの盗用や販売です。内部の者の犯行が多数を占めます。

企業の持つ顧客リストは高い価値があります。ベネッセコーポレーションから流出した顧客リストは複数の名簿事業者が購入し、その名簿はある通信教育の企業が購入していました。こうして犯人は数百万円の利益を得たのです。

③の愉快犯は、マットとコスタのように自らのハッキング能力を磨くために行うものです。

侵入が困難なシステムほど彼らは侵入を試みます。侵入すること自体が目的なので、苦労は厭いません。むしろ侵入が困難なほど挑戦意欲が掻き立てられます。
 

サイバー空間固有の犯罪

企業や個人から情報や企業秘密のような価値のあるものを盗み出す窃盗や強盗は、サイバー空間以外の現実世界にもいます。ただし現実世界にはサイバー空間のような③はいません。会社や住宅に侵入して何も盗ってこなければ、リスクを冒す価値がないからです。

しかしサイバー空間のハッカーたちは「自分の技術を試すため」侵入自体が目的です。

しかし何もしなくても、重要な情報がある部屋をハッカーが自由に出入りする状態は安全とはとても言い難いのです。
 

攻撃手段

では攻撃者はどのような攻撃手段を取るのでしょうか?
代表的な攻撃手段を示します。

注) 使われる用語の意味
ウイルス : プログラムやパソコンに寄生して広がり、システムの挙動に悪影響を及ぼすプログラム
ワーム : 単体で増殖を繰り返し、ネットワークを介して広がり、パソコンや情報に悪影響を及ぼすプログラム
トロイの木馬 : 侵入先のコンピューターで、コンピューターの使用者が意図していない操作を秘密裏に行うプログラム
スパイウェア : 感染先に保存されている情報を盗み、外部に送信するプログラム

 

① 身代金目的のランサムウェア

ネットワークなどを通じて感染を広げるマルウェア(悪意を持ったソフトウェア)の一種です。「ランサム」(Ransom)は英語で「身代金」を意味します。

図2 ランサムウェアの仕組み
図2 ランサムウェアの仕組み

ランサムウェアに感染すると、コンピューターのファイルが暗号化されて復元できなくなったり、端末が起動不能または操作不能になったりします。
前述の小島プレスの子会社が感染したのもランサムウェアです。
 

② 取引先を装う標的型攻撃メール

取引先からのメールと全く同じように見えます。実はこれが攻撃メールなのです。担当者や部署名、連絡先も正しく、メール本文の内容もおかしくありません。日本語も不自然でなく、相手のURLも合っています。ところが添付ファイルがウイルスであったり、メール内のURLをクリックすると問題のあるサイトに誘導されてしまいます。

これは攻撃者は攻撃対象を決めて、攻撃対象から不審に思われないように攻撃メールを送ってくるからです。

この標的型攻撃メールでは、攻撃者は事前に何らかの方法で顧客から攻撃者へのメールを取得しています。もし標的型攻撃メールの攻撃を受けても被害に遭わないようにするには、例え顧客から来たメールでも「不用意に添付ファイルを開かない」、「見覚えのないURLがメールにあってもクリックしない」といった注意が必要です。
 

③ データベースを改ざんするSQLインジェクション

第三者がSQLコマンドを悪用してデータベースに不正にアクセスして、情報の搾取や改ざん、削除を行う手法です。

具体的には、攻撃者はウェブサイトのお問い合わせフォームなどに不正に情報を引き出すSQL文を入力します。例えば、氏名を入力するフォームに「山田太郎」と入力する代わりに「山田太郎+SQLスクリプト」を入力します。このSQLスクリプトを使い、データベースを改ざんしたり削除します。

ECサイトや会員制のウェブサイトは個人情報がデータベースに格納されています。これらはSQLインジェクション攻撃でデータ漏洩の被害を受けやすいのです。あるいはブラウザの画面コントロールに使用されるJavaScriptでも、不正なJavaScriptコマンドを入力するJavaScriptインジェクション攻撃があります。
 

④ アップデートのタイムラグを衝くゼロデイ攻撃

OSやアプリケーションなどソフトウェアのバグを衝く攻撃です。

アプリケーションやOSのバグは、「脆弱性」と呼ばれ、攻撃者に狙われます。攻撃者はこのバグ(脆弱性)を衝いて悪意あるプログラムを実行します。

メーカーはバグを発見すると随時バグを修正した修正パッチを提供します。しかし修正パッチが配布されてもユーザーが修正パッチをインストールするまで時間がかかります。その間に攻撃者が脆弱性を衝いて侵入します。これが「ゼロデイ攻撃」です。あるいは攻撃者自身がアプリケーションやOSの脆弱性を発見すれば、メーカーも知らないため、大きな被害が出ます。

過去のゼロデイ攻撃の例にWannaCryがあります。これはWindows10の脆弱性を衝いたランサムウェアで自己増殖機能を持っていました。2017年には世界中のセキュリティが脆弱な端末が感染しました。

インターネット・エクスプローラーやグーグルクロームのようなブラウザも多くの脆弱性が発見され、そのためアップデートが頻繁に行われています。

2021年にインターネット・エクスプローラーで脆弱性が見つかり、攻撃者が脆弱性を悪用したWEBサイトを作成し、バンキングマルウェア(オンラインバンキングの認証情報を狙い、不正送金を目的としたマルウェア)やランサムウェアに感染させました。

(インターネット・エクスプローラーはすでにサポートが終了しているため、使用すれば脆弱性を攻撃されるリスクがあります。)
 

⑤ パスワードのハッキング

パスワードは以下の方法でハッキングされます。

ネットワークにつながるPCや機器の端末のどれかに脆弱性があり、攻撃者が侵入すれば、攻撃者はその端末のキーボード操作などを盗み見るソフトをインストールしてしまいます。そして端末がサーバーに接続するパスワードをハッキングしてしまいます。

あるいはパスワードをハッキングするソフトを使います。例えば攻撃者がネットワークに侵入するとサーバーが外部と接続するポートを調べます。もし解放されているポートがあれば、それを足掛かりに侵入します。サーバーに侵入するにはサーバーのパスワードが必要です。しかしパスワードをハッキング(クラッキングともいう)するツール(パスワードクラッカー)やパスワードクラッカーの辞書ツールは闇サイト(ダークウェブ)で容易に入手できます。攻撃者はこういったツールを使って総当たり攻撃を行います。

何万回試行してもコンピューターが自動で行えばそれほど時間はかかりません。もし事前にパスワードがpassword○○○○(4桁の数字)と分かっていれば、パスワードのハッキングは極めて容易になります。そしてハッカーたちは後述のソーシャルエンジニアリングの手法を使ってこういった情報を入手します。
 

何を守らなければならないか?

 
かといってセキュリティをいたずらに強化すれば、業務のスピードは低下し、顧客サービスも低下します。そのため情報セキュリティは何を守らなければならないのかを明確にします。

また自社の秘密の漏洩は内部によるものの方が多いのです。社内の人間による機密情報の持ち出しをシステムで完全に防ぐこと困難です。

企業秘密防衛の本の中には防衛策として訴訟が書いてあるものもあります。しかし訴訟は漏洩した後の話です。
 

守るべきものは大きく分ければ以下の2つです。

  1. 顧客情報(中には個人情報)
  2. 自社の機密情報

こうした背景から関心が高まってきたりが「情報セキュリティ」です。

この情報セキュリティとはどのようなものでしょうか?
 

情報セキュリティと関連する法律

情報セキュリティ

情報セキュリティとは、JISによれば「コンピューターやインターネットを安全に、安心して使うための対策」のことです。これは以下の3つを維持することです。

  1. 情報にアクセスできる人の制限
  2. 情報の欠損の防止
  3. 情報が必要な時に問題なく使える状況
図3 何らかの攻撃を受けた企業 (総務省の「平成30年度情報通信利用動向調査」引用)
図3 何らかの攻撃を受けた企業 (総務省の「平成30年度情報通信利用動向調査」引用)

総務省の「平成30年度情報通信利用動向調査」によれば企業の約半数が何らかの攻撃を受けています。多いのはウイルスメールや標的型メールですが、不正アクセスや情報漏洩、ホームページ改ざんの被害を受けた企業もあります。
 

① 情報セキュリティの7要素

情報セキュリティの要素は以下の7点があります。

  1. 機密性
  2. 完全性
  3. 可用性
  4. 正真性
  5. 責任追及性
  6. 信頼性
  7. 否認防止

 

(1)機密性(Confidentiality)

機密性とは認められた人だけが情報にアクセスし、操作できるようにすることです。このアクセス制限には、

  • コンピューターの操作ができないようにする
  • 情報そのものを見られないようにする
  • 情報を見られても書き換えられないようにする

などがあります。これらが不十分な場合、情報の改ざんや漏洩が発生します。
 

(2)完全性(Integrity)

情報が正確で改ざんや削除などが行われていない状態を指します。完全性の維持には、

  • 情報にアクセスできる人を制限する
  • 情報の閲覧権限と編集権限を使い分ける
  • 情報に行われた操作のログを残す

などが必要です。
 

(3)可用性(Availability)

情報へのアクセスを認められた人が、必要な時に問題なく情報を見たり、操作できることです。Webサイトがダウンしないようなサーバーの管理など、サービスが正しく提供されるための対策です。

この機密性、完全性、可用性は7つの情報セキュリティの中でも最も重要な内容なため、それぞれの頭文字をとって「情報セキュリティのCIA」とも呼ばれています。
 

(4)真正性

情報を使用する人が間違いなく本人であること、情報そのものも偽物ではないことを確かめます。特定の人しかアクセスできないように、情報システムにログインする際はIDとパスワードを入力するようにします。
 

(5)責任追跡性
誰が情報にアクセスしたのか明確にすることです。アクセスログの記録は責任追跡性の維持に効果的です。
 

(6)信頼性

情報に対し行った操作が正しく、正しい結果が返ってくることや、システムに故障がないことなどです。
 

(7)否認防止

情報の製作者が後で否定することで悪意ある改ざんや破壊を行っても責任を逃れることができないようにすることです。文書ファイルにデジタル署名をつけて制作者を明らかにしたり、情報の変更記録のログが残るようにします。
 

② 情報セキュリティへの脅威は?

脅威は人的脅威、技術的脅威、物理的脅威の3点です。

(1)人的脅威

人のミスや悪意のある行動を指します。ミスにはシステムの誤操作などもあります。例として

  • メールの誤送信やサーバー内のデータの削除
  • パソコンやSD・USBメモリーの紛失
  • システムの脆弱性の見落とし

などです。

悪意のある行動は、情報漏洩やデータの改ざんなどです。IDやパスワードなどを不正に聞き出すソーシャルエンジニアリングは悪意のある人的脅威です。
 

(2)技術的脅威

不正なプログラムなど、技術的に生まれる脅威です。例えばコンピューターウイルスなどです。
 

(3)物理的脅威

情報システムやコンピューターに、物理的に発生する脅威を指します。

  • 機材の老朽化
  • 故障、地震・台風などの自然災害や事故による機材破損
  • 機材の意図的な破壊、盗難
  • パソコンやサーバーがある施設への不正侵入

物理的脅威の防止には機材の定期的なメンテナンスや自然災害を想定した環境整備、パソコンのID・パスワードの認証設定などが必要です。
 

③ 具体的な情報セキュリティ対策1 技術的対策

具体的な情報セキュリティ対策のうち、技術的対策を以下に示します。

【ファイアウォール】

インターネットを経由した不正アクセスに対し、ネットワーク階層を守るセキュリティ機器です。許可された機器やIPアドレスの信号のみを通信可能とし、それ以外の機器からの通信を遮断します。さらに攻撃者がネットワークのポートをスキャンして、ネットワーク上の開放ポートを探るのを防止します。

【IDS(不正侵入検知システム)/IPS(不正侵入検知システム) 】

攻撃者の中にはネットワークサーバーの脆弱性を衝いてDos攻撃などを仕掛ける場合があります。これはファイアウォールでは防げないため、IDS/IPSは通信パターンを調べて異常なパターンの通信を排除します。

【WAF(ウェブ・アプリケーション・ファイヤウォール) 】

Dos攻撃のような明らかに異常なパターンの通信に対し、SQLインジェクション攻撃は通信パターンは正常ですが、不適切なコマンドをウェブアプリケーションに送信する攻撃です。そのためIDS/IPSは検知できません。WAFはウェブアプリケーションの送られるデータ検査することでSQLインジェクションやJavaScriptインジェクション攻撃から防御します。

図4 様々な階層での防御方法
図4 様々な階層での防御方法
【ユーザー認証】

IDとパスワードでアクセス制限をかけるのに加えて、メールアドレスや携帯電話番号を使用した二段階認証も行うことで不正アクセスを防ぎます。
 

④ 具体的な情報セキュリティ対策2 物理的対策

物理的脅威に対してアクセス制限をします。許可された人のみがパソコンやサーバーを使えたり、機材のある建物にアクセスでき、他の人はアクセスできないようにします。

【離席ロック機構】

パソコンなどから一定時間離れる場合、自動的にロックがかかるようにします。組織内で運用する場合は、「〇分経ったらスリープ状態になる」など基準を設けます。

【筐体管理】

パソコン自体が管理されてなく紛失してもわからない職場もあります。そこでパソコンそのものにも破壊や盗難の防止策を施します。本体のカバーが開けられたことを通知する警報設置や、ワイヤーから切断されたときにブザーが鳴るケンジントンロックなどがあります。
 

⑤ 具体的な情報セキュリティ対策3 人的対策

従業員に対して情報セキュリティ教育を行います。

情報を扱う人に対する教育として、パソコン、SD・USBメモリーの取り扱い方法や個人情報の扱い方、情報を使用する際のモラル教育を行います。

これらの対策は相互に効果を高める効果があるため、一つだけに注力しても効果は高くありません。そこで技術的対策、物理的対策、技術的対策を組み合わせることが重要です。

図5 対策と機能の組み合わせ
図5 対策と機能の組み合わせ


 

事故対応

情報セキュリティ事故(インシデントという)が起きた時、対処方法を決めておかなければ、初動対応を誤り、被害を拡大させてしまいます。事故対応だけでなく、情報セキュリティに関して問題が発生した時の責任者と連絡方法を決めておきます。

図に例を示します。

図6 事故対応の流れ
図6 事故対応の流れ


 

参考) 情報セキュリティに関する認証制度
【ISMSマーク】

国際規格(JIS Q 27002: ISO/IEC 27002)に従ってすべての情報資産がセキュリティの適切な運用ができているか審査し認証が付与されます。認証にはJIS Q 27002: ISO/IEC 27002が定める要求事故に適合し、情報の機密性・完全性・可用性の維持がなされていることが必要です。

【プライバシーマーク】

個人情報の取り扱いが適切な法人や組織に付与されます。ISMSマークと違いプライバシーマークは個人情報のみを対象としています。
 

情報セキュリティ関連の法律 

サイバーセキュリティ基本法

2014年成立し、2015年1月から施行されています。サイバーセキュリティに関する施策を総合的かつ効率的に推進するため、基本理念や国の責務、サイバーセキュリティ戦略をはじめとする施策の基本となる事項を規定したものです。

具体的な戦略は「内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)」や他の法律にゆだねられます。
 

特定電子メール法

短時間のうちに無差別かつ大量に送信される広告や宣伝メールなど、いわゆる「迷惑メール」を規制し、良好なインターネット環境を保つために2002年に施行されました。2008年に法改正が行われ、オプトイン方式の導入や罰則の強化も盛り込まれました。

特定電子メールとは、

「営利を目的とする団体および営業を営む場合における個人」

である送信者が

「自己又は他人の営業につき広告又は宣伝を行うための手段として送信する電子メール」

で、(総務省のガイドラインでは)

「電子メールの内容が営業上のサービス・商品等に関する情報を広告または宣伝しようとするもの」

であれば特定電子メールに該当します。その場合、企業が顧客や見込み客にメールマガジンなどを配信する場合は注意が必要です。この場合、「広告または宣伝」とそれに関するウェブサイトへの誘導の有無で「特定電子メール」に該当するかどうかが決まります。
 

罰則

特定電子メール法に従わず「オプトイン方式」や「送信者の表示義務」を守らず、「送信者情報を偽った電子メールの送信 」や「架空電子メールアドレスあての送信」を行った場合は最高「1年以下の懲役又は100万円以下の罰金」、法人では「行為者を罰する他、法人が3000万円以下の罰金」が科せられます。

オプトイン方式

特定電子メールを送信する際、受信者から事前に同意を得ることです。
一方「オプトアウト」とは、受信者側が特定電子メールを「もう入りませんよ、送らないでください」と受信を拒否することです。オプトアウトの通知が来た場合、送信者は特定電子メールの送信を停止しなければいけません。
 

不正アクセス禁止法

2000年に施行され、サイバー犯罪の深刻化等の事態を受け、2012年に改正された法律です。改正で、フィッシング行為や識別符号(IDやパスワード)の不正取得・不正保管が禁止され、不正アクセス行為に関する法定刑の引き上げが行われました。

不正アクセス禁止法では、不正アクセス行為や不正アクセスを助長する行為、他人の識別符号(IDやパスワード)を不正に取得する行為が禁止されています。
 

個人情報保護法

個人情報とは、生存する個人に関する情報で、氏名、生年月日、住所、顔写真などにより特定の個人を識別できる情報を指します。

生年月日や電話番号は、それ単体では特定の個人を識別できませんが、氏名と組み合わせると特定の個人を識別でき個人情報に該当します。

要配慮個人情報とは、他人に公開されることで、本人が不当な差別や偏見などの不利益を被らないように取扱いに配慮すべき情報です。例えば、人種、信条、社会的身分、病歴、犯罪歴、身体障害・知的障害などの障害などが要配慮個人情報に該当します。「要配慮個人情報」の取得は、本人の同意が必要です。

氏名だけでも個人情報に該当します。企業が個人情報を取得する場合は、あらかじめ利用目的を公表(ホームページ等)する、あるいは取得後速やかに利用目的を本人に通知、又は公表する必要があります。また、取得後利用目的を変更する場合は、本人の同意が必要です。
 

個人データとは、個人情報を検索可能なように分類、整理したものを指します。

顧客が記入したアンケートは個人情報であっても個人データではありません。アンケートを表に整理し、エクセルに入力して顧客を検索できるようにしたものは個人データになります。

個人情報は安全管理の義務は生じませんが、個人データは安全管理が必要です。

安全管理の措置は、個人情報保護委員会「個人情報保護法ガイドライン(通則編)」の「8(別添)講ずべき安全管理措置の内容」に具体的に示されています。

ただし中小事業業者(従業員100人以下)ではそこまでの、そこまでの措置は困難なことから必要な最低限の措置が示されています。
 

個人情報保護法の概要
① 組織的安全管理
  • 組織体制の整備
  • 個人データの取扱いに係る規律に従った運用
  • 個人データの取扱状況を確認する手段の整備
  • 漏えい等の事案に対応する体制の整備
  • 取扱状況の把握及び安全管理措置の見直し

中小規模事業者の場合、個人データを取り扱う社員が複数いる場合は責任者を決めておきます。個人情報保護法に従って社内で定めたルールに従い個人データを取り扱っているか、責任者が確認します。

また、情報漏えい等が発生したときの連絡体制を決めておきます。個人データの取り扱いについて、責任者は年に1回は点検し、必要に応じて見直します。
 

人的安全管理措置

従業者に個人データの適正な取扱いを周知徹底するとともに適切な教育を行わなければなりません。具体的には以下の2点です。

  • 個人データの取り扱いの留意事項について、従業者に定期的な研修等を行う
  • 個人データの秘密保持に関する項目(懲戒等)を就業規則等に盛り込む
図7 機密情報の人的リスク
図7 機密情報の人的リスク


 

③ 物理的安全管理措置

物理的安全管理措置として、次に掲げる措置が必要です。

  • 個人データを取り扱う区域の管理
  • 機器及び電子媒体等の盗難等の防止
  • 電子媒体等を持ち運ぶ場合の漏えい等の防止
  • 個人データの削除及び機器、電子媒体等の廃棄

 

中小規模事業者が個人データを記録したパソコンやUSBメモリ、個人データが記載された書類などを管理する場合、少なくとも次の対応を行います。

  • 個人データを取り扱う従業者以外の者が、のぞき見などをできないようする
  • 施錠できるところに保管し、盗難されないようにする
  • 持ち運ぶときは、パスワードを設定する
  • すぐに情報が漏えいしないように封筒に入れた上で鞄に入れたりする
  • 廃棄するときは、廃棄したことを責任者が確認する

 

④ 技術的安全管理措置

これは前述の情報セキュリティと重複する部分が多くあり、以下の安全管理措置対策が必要です。

  • アクセス制御
  • アクセス者の識別と認証
  • 外部からの不正アクセス等の防止
  • 情報システムの使用に伴う漏えい等の防止

 

中小規模事業者は技術的安全管理措置として、少なくとも次の対応が必要です。

  • 個人データを取り扱うパソコンと、それを使える従業者を決めておく
  • 個人データを扱うパソコンには、ID・パスワードの認証を設定しておく(ID・パスワードの共有はしない)
  • OSは常に最新にしておく
  • セキュリティ対策ソフトなどを導入する
  • メールで個人データの含まれるファイルを送信するときは、そのファイルにパスワードを設定する
図8 個人情報の種類と管理方法
図8 個人情報の種類と管理方法


 

不正競争防止法

営業秘密は、企業が持つ秘密情報の中で、「不正競争防止法」により保護の対象となる秘密情報を指します。社員が営業秘密を持ち出した場合、民事上・刑事上の措置をとることが可能です。
 

① 営業秘密の3要件
1.秘密管理性

秘密管理性とは、情報を秘密として管理されていること。適切に管理されていなければ保護の対象となりません。

2.有用性

事業活動における製品やサービスの生産・販売・研究開発などに役立つ、事業者にとって有用な情報であること。

3.非公知性

非公知性とは、公然と知られていないこと。一般的に入手することができない状態にあること。
 

② 企業に必要な営業秘密の管理

紙やデータディスクは「秘」「社外秘」「Confidential」などの記載をし、秘密とすべき情報であることを表示します。情報を使用する者について制限を行ったり、使用に際して一定の承認行為を設けます。

該当する紙や媒体を、鍵がかけられる棚などの収納設備に収納し、鍵を管理する取扱責任者を置きます。
 

③ 「営業秘密」を漏えいさせた者への罰則

10年以下の懲役または1,000万円以下の罰金が科せられます。
 

④ 営業秘密の漏えいの原因は「人」

原因の多くは「人」です。従業員、退職者、取引先や共同研究している関係企業、それ以外の第三者などが含まれます。
過去の事例では顧客情報がもっとも多く、次いで設計図や製造装置の情報が多いです。これらの漏えいの多くは人を介して行われていました。

原因が従業員の場合、管理ミスによる事故と悪質な行為の2つがあります。管理ミスによる事故で多いのは、営業秘密が記載されたメールの誤送信、営業秘密が入ったバッグの置き忘れなどです。

悪質な行為としては、高額な報酬との引き換え、転職先への営業秘密の持ち出しなどが挙げられます。
 

⑤ 営業秘密の漏えい防止と管理方法

IT化による情報の取り扱い手法の変化や業務の外部委託化、雇用の流動化などのため情報漏えい事故は後を絶ちません。営業秘密の漏えいを招かないためには、状況に応じて適切な管理を行う必要があります。

1.物理的管理
  • 生体認証による出入管理

部外者の侵入による営業秘密の流出を防ぐため、出入管理が必要です。社員証の場合、紛失やなりすましの恐れもあるため、生体認証の方がより効果的です。

  • 防犯カメラの設置

内部者による情報漏えいの犯行を防ぐには、防犯カメラの設置も効果的です。営業秘密を保管している場所に防犯カメラを設置し、常時監視していることを周知するとともに、万が一漏えいが発覚した場合にすぐ状況を確認できる環境を作りましょう。

図9 防犯カメラの設置は効果的
図9 防犯カメラの設置は効果的


 

  • 機密文書集荷、廃棄処理

機密文書を廃棄する際は、内容の流出を避けるため、機密文書専門の廃棄処理サービスを活用します。
 

2.技術的管理

パソコンやモバイル機器、記憶媒体などのIT資産を適正に管理することは、意外に大変です。具体的には、パソコンやモバイル端末から、それらにインストールされたソフトウェアなどのバージョン・ライセンスに関する情報を一元管理できることが理想的です。

3.組織的管理

営業秘密を適切に管理するためには、以下の5つの措置が必要です。

  • 組織体制を整えること
  • 規程とその運用を整備すること
  • 情報の取扱状況を把握できる手段を整えること
  • 安全管理の見直しや改善
  • 事故や違反への対処

これらの項目の実施により、「組織的安全管理措置」を行うことができます。

4.人的管理

従業員が適切に情報を取扱い保護できるために、機密保持契約を結んだり、社内規程などについて教育や訓練を行ったりすることを「人的管理」と言います。
 

アメリカのトレード・シークレット法

アメリカも同様に企業や個人が不正な手段で企業秘密を取得したり、漏洩することを禁じています。現在は統一トレード・シークレット法として各州が州法として採用することを勧告し、現在41の州が採用しています。

この中でトレード・シークレットは以下のように定義されています。製法、様式、修正、プログラム、考案、方法またはプロセスなどの情報で

  • 一般には知られていない
  • 現実的または潜在的な経済価値を有している
  • 秘密性を保持するために合理的な努力がなされているもの

またトレード・シークレットに対する侵害行為として

  • 当該トレード・シークレットが不正手段(窃盗、買収、詐欺、守秘義務違反、その他教唆、電子的手段やその他のスパイ行為など)によって取得されたことを知っている者が、そのトレード・シークレットを取得・使用・開示する行為

が定められています。
 

事例 Apple

Appleが、企業秘密を盗んだとして自社の自動運転車チームの元メンバーを刑事告訴しました。Appleの訴えにより、元社員のXiaolang Zhang被告が中国への逃亡を図ろうとしたところ、2018年7月7日にサンノゼ空港で逮捕されました。

Appleの知的財産の窃取に関して米連邦捜査局(以下、FBI)の事情聴取を受け、同氏は罪を認めています。Zhang氏は2015年からAppleで働き、同社の自動運転車プロジェクトで、センサデータを分析する回路基板の設計とテストを担当しました。

2018年4月に休暇を取得して中国に戻り、その後職場に戻り、Appleを退職してXMotors(小鵬汽車)という中国の自動運転車のスタートアップに転職すると上司に告げました。

その際に上司が疑念を持ち、AppleのNew Product Security Teamに連絡したところから、不正行為が明らかになりました。
 

米国における営業秘密等の保護

連邦経済スパイ法 EEA(Economic Espionage Act of 1996)

1980年代初頭のIBM ソフトウェアの窃盗事件の発生、その後の米ソ冷戦構造で軍事技術情報をめぐるスパイ事件の増加という背景と、民事規制では十分ではないという観点から、営業秘密の不正取得等に関して制定された連邦法です。

EEAは、以下の2つの犯罪を禁止しています。

◆外国政府に便益を与えるための経済スパイ:合衆国法典第18巻(EEA)第1831条

本条は、所有者の許可なく営業秘密を取得もしくは他人に譲渡し、又は、その他の方法で所有者から営業秘密を奪うことを禁止しています。

◆営業秘密の不正取得・不正開示: 合衆国法典第18巻(EEA)第1832条

本条は、営業秘密の窃取、獲得、破壊又は伝達に関する同様の行為を禁止していますが、外国主体の便宜に関する規定の代わりに、所有者以外の者の便益のために営業秘密を不正取得するという被告人の意図を要件としています。 

注意が必要なのは未遂及び共謀でも同じ罰則が科せられることです。

またFBIは不正取得の疑いがあれば、覆面捜査も行います。例えば捜査員が、営業秘密に興味があるふりをして近づいたりします。営業秘密を所有する企業が調査を手助けすることも多いです。海外企業と事業提携を行う場合、提携企業がライバル企業の営業秘密を不正に取得すれば、自社もアメリカでの刑事事件に巻き込まれる恐れがあります。
 

参考文献

「ハッカーズ」ケビン・ミトニック、ウィリアム・サイモン 著 インプレスジャパン
「欺術」ケビン・ミトニック、ウィリアム・サイモン 著 ソフトバンク・パブリッシング
「実務に役立つ改正個人情報保護法速攻対応」 (株)シーピーデザインコンサルティング著 学研
「機密情報の保護と情報セキュリティ」畠中伸敏 著 日科技連
「社長のための情報セキュリティ」日経BPコンサルティング情報セキュリティ研究会 著 日経BPコンサルティング
「サイバー攻撃からあなたの会社を守る方法」藤原礼征 著 中経出版
 

この記事を書いた人

経営コラム ものづくりの未来と経営

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粉飾決算と経営破綻 その2~本業を補完する事業があだに~ https://ilink-corp.co.jp/9104.html https://ilink-corp.co.jp/9104.html#respond Mon, 20 Nov 2023 02:34:14 +0000 https://ilink-corp.co.jp/?p=9104
【コラムの概要】

三洋電機とGEは、コングロマリット経営と金融事業での利益計上が本業の課題を覆い隠し、経営判断を遅らせた結果、最終的に破綻しました。特に、利益目標達成のために数字を操作する企業文化が、不正会計を常態化させました。

粉飾決算と経営破綻 その1~激変する経営環境の変化と業績への圧力~」では、中小企業の粉飾決算や粉飾決算が経営破綻を招いた事例としてカネボウを紹介しました。

カネボウもそうですが、1社で様々な事業を行うコングロマリットは、多くの事業があり子会社も多いため、それぞれの事業の収益性が見えにくくなります。いくつかの事業が悪化してもわからず、気が付けばどうにもならない状況に陥ってしまいます。

これが起きたのが三洋電機でした。
 

三洋電機の経営破綻

 2011年三洋電機はパナソニックの完全子会社になりました。売上高1兆4千億円(2008年)、グループ10万人の巨大企業が消滅しました。

なぜこのようなことになったのでしょうか。
 

三洋電機の創立

 三洋電機の創業者 井植歳男氏は、14歳で姉の夫 松下幸之助氏の会社に入りました。依頼30年に渡って創業期の松下電器を支えてきました。
しかし戦後、GHQの公職追放を受けて松下電器を退社することになりました。個人で50万円(現在の2億円)の借り入れをしていた井植氏は、住友銀行の頭取 鈴木剛氏に「一生働いて返す」と頭を下げに行きました。住友銀行の鈴木氏は「だったらこれで事業を興してはどうか」と350万円(現在の14億円)を融資しました。そして松下幸之助氏も自転車用ランプの事業を井植氏に譲渡し、さらに400万円の手形を裏書きしました。

ここから始まった三洋電機は、数々のユニークな製品で成長し、松下電器、日立、東芝と並ぶ家電企業の一角を占めました。

一方、三洋電機にファミリー企業という特徴もありました。
 

創業家一族と銀行

 創業時の経緯から三洋電機は住友銀行と深いつながりを保ち、経営者は歳男から弟の拓郎、薫と井植家のファミリーによって経営されました。このような創業家が経営者の企業は、銀行にとっては優良顧客でした。創業家が保有する株を担保に多額の融資ができたからです。それは株価が高い時だけでした。株価が下がれば、銀行は態度を変えました。
 

3つだけなら優良企業

 家電メーカーとしては松下電器の後塵を拝していた三洋電機ですが、業務用の大型空調機器は日立と並んで双璧を成していました。独自のコンプレッサー技術を強みにドーム球場など大規模な建物では高いシェアがありました。

図1 ドーム球場イメージ
図1 ドーム球場イメージ


 さらに半導体が発明された10年後の1957年に、すでに半導体技術研究所を設立しました。その結果、同社のブラウン管制御用バイポーラ半導体は世界シェア1位でした。
ハイブリッド車にも使用されているニッケル水素電池は、1990年に松下電池工業と三洋電機がそれぞれ独自に開発しました。2005年には家庭用ニッケル水素電池「エネループ」を発売し大ヒットしました。このように三洋電機は、電池、電子部品、業務用システムの3つなら優良会社と言われていました。

一方、1980年以降は、三洋電機にとって苦難の時代でした。
 

振るわない業績

 1986年歳男の長男 敏が社長になり1992年までの6年間社長を務めました。この6年間は、石油ファンヒーター死亡事故、東京三洋電機との合併など、三洋電機にとって苦難の時代でした。しかも当時は総会屋が全盛の時代でした。業績が芳しくない同社は株主総会では社長の敏が総会屋から罵声を浴びることもありました。利益を創出するため期末に子会社へ押込み販売するのも常態化していました。
 

なにわのジャックウェルチ

 1992年井植敏氏は60歳で高野泰明氏に社長を交代し、会長へと退きました。高野氏は赤字体質の三洋電機の変革に取り組み、三洋電機はようやく黒字化しました。社長を高野氏と交代する際、敏氏は三洋電機本体の経営には口を出さないという約束を高野氏と交わしていました。

しかしまだ60歳の敏氏は、会長に退いたといえ事業意欲はあったため、子会社、中でも三洋クレジットの経営に力を入れました。三洋クレジットは商店や飲食店など銀行からの十分な融資を受けられないリスクの高い貸出先に積極的に融資し高い利益を上げました。

2000年代に入ると松下電器、日立など大手電機メーカーが巨額の赤字に陥る中、三洋電機は三洋クレジットのおかげもあって黒字を維持しました。この敏氏の経営手腕にマスコミは、三洋クレジットを「なにわのGEキャピタル」、敏氏を「なにわのジャックウェルチ」と持ち上げました。 

一方金融業で利益を稼いだことが、本業の改革を先送りしてしまいました。これはゲーム機(プレイステーション)、保険(ソニー生命)が利益を上げていたソニーも同様でした。

さらに敏氏は、将来子供の雅敏氏を社長にする布石として、1998年に敏氏の意向を組む近藤定男氏を社長をしました。その結果高野氏の改革は中途で挫折しました。
雅敏氏は2005年に社長に就任し、元ジャーナリストの野中ともよ氏を取締役に迎えて、財務担当役員の古瀬氏と雅敏氏、野中氏の3人体制で経営にあたりました。

ところが2004年に入ると、それまでうまくいっていた事業が変調をきたします。
 

狂いだす歯車

 2000年初頭まで好調だった携帯電話、デジカメ市場が2004年突然不調に転じました。電池も利益が減少し、電子部品のCCDデバイスも不振に陥りました。

図2 携帯電話市場は不振に…
図2 携帯電話市場は不振に…

本業が変調をきたすと、今度は三洋クレジットの高リスクの融資の焦げ付きが目立つようになりました。さらにバブル期に住友銀行が入れ込んで不良債権化した木ノ本開発プロジェクトを敏氏が引き取り、三洋紀洋開発を立ち上げました。この開発は思うように進まず不良債権になりつつありました。ところが土地や設備は簿価のまま計上されていました。 

その傍らで三洋電機は成長への投資は惜しみませんでした。2000年に鳥取三洋に910億円で大型液晶パネル生産設備へ投資しました。さらに新潟三洋の半導体に230億円、コダックとの有機ELの合弁会社に510億円を投資しました。

ところがこれらの投資は大きな収益を生みませんでした。こうしていくつもの事業が変調をきたし、コングロマリット全体の経営に暗い影が差していました。

そこに起きたのが地震でした。
 

新潟県中越沖地震と監査法人の姿勢

 2004年10月新潟県中越沖地震が発生、新潟三洋電子の半導体設備は壊滅的な打撃を受けました。

その後、現場の不休の努力により、わずか2か月で奇跡的に再開にこぎつけました。ところがこの2か月の間に競合に市場を奪われてしまいました。再開後も顧客は戻りませんでした。新潟三洋電子は2005年上期に100億円の赤字を計上しました。さらに同社の監査法人 中央青山監査法人は、担当したカネボウの粉飾決算の責任を金融庁から厳しく追及されていました。

その結果、2004年の三洋電機の決算に対する中央青山監査法人の姿勢は非常に厳しいものでした。中央青山監査法人は、繰延税金資産の取崩し、在庫評価の見直し、不稼働資産の減損処理に問題があるとして、2004年5月決算報告書の修正を求めました。

監査法人の姿勢の変化もあり三洋電機のバランスシートは急速に悪化しました。

もう事業を切り売りして新たに資金を調達しないと、債務超過は免れない状況になっていました。ところがそう認識していなかった人もいました。
 

身売りしかない

 同社の有利子負債1兆3千億円、最終損益は1,538億円の赤字になりました。メインバンクの三井住友銀行は、三洋クレジットを売却し身軽になることを要求、、三洋クレジットの三井物産への売却が進められました。

ところがこれに敏氏が難色を示しました。さらに取締役の野中氏がこの売却をマスコミにリークしてしまったことで、三井物産はこの売却に不信感を持ったため、結局、売却が成立しませんでした。(最終的に2007年にゴールドマンサックスに300億円で売却)
残念ながら、敏氏には

三洋電機が危機的な状況

という認識がありませんでした。

しかし2006年3月期には自己資本は800億円まで減少し、増資は避けられませんでした。やむを得ず第3者割当増資3,000億円、1株70円で43億株を公募しましたが、当時の株価は304円、市価の1/4での公募は既存株主の激しい怒りを買いました。
こうなった場合、できれば一度倒産して債務を整理して再出発した方がよかったなかもしれません。それができなかったのは大きすぎる規模でした。
 

大きすぎてつぶせない

 2005年11月に、三洋電機の再建のため三井住友銀行から前田孝一氏が副社長として送り込まれました。当時の日本は金融機関の不良債権処理がようやく終わったばかりでした。
三洋電機は取引先に5,000億円の売掛金がありました。もし三洋電機が破綻すれば取引先の連鎖倒産が起き、信用不安が再燃しかねない状況でした。民事再生法も会社更生法も実質的に不可能で、増資しか手段はありませんでした。

最終的に、パナソニックが三洋電機を吸収合併し、三洋電機は解体されました。
 

収益マシンが経営判断を遅らせた

三洋電機のようなコングロマリットは、本当の姿は単年度の決算では分かりません。在庫評価、減損会計で数字はいくらでも変わるからです。順調に見えてもある日突然経営破綻していたということもあり得ます。三井住友銀行傘下の再建会社 大和PIが試算したところ、過去10年間は1538億円の赤字でした。つまりBSを痛めてPLを粉飾していたのです。

1996年には半導体の在庫は2年間で500億円も増加しました。当時は儲かっていたので半導体部門としては在庫と借入金を減らしたかったのですが、

本社からの「利益を出せ」

という声に抗うことができませんでした。 

今から見れば、デジカメや携帯電話などデジタル製品は、事業の見極めとすばやい損切が不可欠な事業です。個々の事業を見極め体力のあるうちにに不振になった事業から撤退し、収益の柱である電池、電子部品、空調事業に事業を集約すれば存続できたのもしれません。そうした経営判断を誤らせたのは、三洋クレジットという収益マシンがあったためでした。

これはGEクレジットという収益マシンを生んだジャック・ウェルチのGEも同じだったのです。
 

GEの盛衰 

ニュートロン・ジャック

GE(ジェネラル・エレクトリック)を成長軌道に乗せたCEOのジャック・ウェルチ氏は、その手腕から伝説の経営者と呼ばれています。

図3 ジャック・ウェルチ氏(Wikipediaより)
図3 ジャック・ウェルチ氏(Wikipediaより)

在任中、1980年から2000年の20年間に売上は5倍、株価は40倍になり、名経営者の名声をほしいままにしました。

官僚主義に陥り停滞していたGEに

「1位か2位以外の事業はすべて切る」

と従業員の1/4にあたる10万人をリストラ、いつの間にかフロアー全員が消えていたことから「ニュートロン(中性子爆弾)ジャック」と呼ばれました。

業績の振るわない下位10%の社員は解雇され、昇進するかクビになるか(ランク・アンド・ヤンク) という厳しい体制を敷き、その一方20年間で1,000件のM&Aを実施して会社を成長軌道に乗せました。

その中でGEキャピタルをGEの成長エンジンに育て、GE全体の利益の半分を稼ぎ出しました。しかし退任間際、彼が力を入れたハネウェルの買収は失敗に終わりました。そして後任のジェフ・イメルト氏にバトンを渡しました。

しかしGEキャピタルは

自ら利益を作り出す収益マシン

だったのです。
 

GEキャピタルという収益マシン

 GEキャピタルとは航空機や航空機のエンジンを航空会社にリースするリース会社で、リース会社の規模は世界一でした。その後、不動産など様々な案件に投資するノンバンクに発展しました。投資額の規模はピーク時には全米で7位の銀行に相当しました。
 
GEキャピタルが利益を生む仕組みは以下のようなものでした。

まず、GEから独立した特別目的会社エジソン・コンデュイットがコマーシャルペーパー(CP 短期債券)を発行します。このCPはGEが保証するため、トリプルAの高い格付けでした。
エジソン・コンデュイットはCPで調達した資金で、GEキャピタルから資産を簿価よりも高い金額で購入します。こうしてGEキャピタルは利益を計上します。もし利益が多すぎる場合は将来のリストラ費用を計上し利益を圧縮しました。そうすれば翌年以降必要に応じて利益を引き出すことができました。

この仕組みはGEで「ハニーポット」と呼ばれました。つまり外部から借りてきたお金で自社の売上を増やす仕組みだったのです。しかしCPはいずれ返済しなければなりません。利益を出し続けるにはCPによる資金調達を増やし続けなけるしかないのです。

もうひとつの大きな収益はM&Aです。安く買った会社をリストラして収益力を高め、キャッシュを生むマシンにしました。

ところが順調だったGEキャピタルという収益マシンにブレーキをかけたのは、意外な方向からやってきた事件でした。
 

同時多発テロ

 ジェフ・イメルト氏がCEOに就任した2000年以降、GEの成長戦略にふたつの大きな壁が立ちはだかりました。

ひとつは2001年の同時多発テロです。航空輸送の市場が大幅に縮小と航空不況に陥ったことで航空機エンジンの受注が減少しました。

もうひとつは2000年のエンロンの破綻です。この事件から企業会計に対する信頼が損なわれました。これに対処するためサーベンス・オクスリー法 (SOX法)クリックするとページ下部の説明へ移動が制定されました。SOX法には財務諸表の信頼性を高めるために財務報告プロセスの厳格化が盛り込まれました。
このSOX法にこれまでGEが行っていたことが一部抵触しました。GEキャピタルが市場から資金を調達して自社の資産を購入して利益を生み出す仕組みが変調をきたしはじめました。SOX法はGEにとって同時多発テロよりも大きな影響があったのです。

こうしたことが重なって2002年秋には中核事業の大半で売上と利益が減少しました。イメルトは電子商取引部門を3憶ドル売却しなければなりませんでした。
CPという収益マシンが変調をきたしたGEキャピタルは、他の大手銀行と同様に収益性の高いサブプライムローンにのめり込んでいきました。

一方イメルトには清算しなければならないウェルチの負の遺産がありました。
 

保険事業の清算

 ウェルチ氏の残した負の遺産が保険事業でした。中でも保険会社が保険を支払う場合に備えた保険(再保険)は、制度設計が甘かったため、94億ドルもの責任準備金を積まなければなりませんでした。

イメルトは一連の保険事業を2004年から2006年にかけて売却しました。ただし売却をスムーズに進めるため、最も収益性の低い介護保険の再保険だけはGEに残しました。これがのちに火種となってしまいます。

さらに大きな外部環境の変化がGEに襲いかかります。リーマンショックです。

図4 リーマンショック
図4 リーマンショック


 

サブプライムローンから資金難に

 好調だったサブプライムローンは2008年に破綻しリーマンショックが起きました。2008年にはGEキャピタルは住宅ローンに急ブレーキかけましたが、それでも10億ドルの損失が発生しました。

より大きな痛手はリーマンショックにより

CP市場が消失

してしまったことです。市場から資金を調達できなくなり、たまらずに投資家のウォーレン・バフェット氏の投資を受けました。
これはとても高いものにつきました。122億ドルの資金を調達(株を購入)するために、1株22.5ドルという市場価格よりも大幅に安い価格で55万株をバフェットに売らなければならなかったからです。 

その一方、GEは苦労して調達した資金を次の成長のための投資に使わず、自社株買いに充てました。株価を維持するためです。
それでも株価の下落は止まらず、2001年に38ドルだった株価は、2009年には12ドルと1/3以下になりました。2009年2月には2000年から継続していた31セントの配当も10セントに減配しました。その結果、GEの格付けは引き下げられました。

またリーマンショックでリスクマネーにのめり込んだ金融機関に対する批判が強まりました。これを規制するために政府は金融機関に対する監視を強め、その中に全米7位の規模の銀行になるGEキャピタルも含まれました。
 

SECの監視

1920年代の世界大恐慌の教訓からアメリカでは銀行の証券取引に対して様々な規制がかけられていました。しかし1980年代以降規制は徐々に緩和され、その結果大手銀行はサブプライムローンなどリスクの高い投資にのめり込みリーマンショックが起きました。

そこで銀行に対しリスクの高い融資を規制するドッド・フランク法 (クリックするとページ下部に移動)が2010年に制定されました。そうなるとリスクの高いビジネスに巨額の融資を行うGEキャピタルにも政府から注目されました。そして証券取引委員会(SEC)のメンバーがGEに2年半常駐し、不正の調査を行いました。
 

新たな収益エンジン

 CPによる資金調達が封じられたGEキャピタルは、もうGEの収益エンジンにはならなくなりました。新たな収益エンジンとしてイメルト氏は3つの取組を行いました。

一つ目の取組は、航空機エンジンに多数のセンサーを付けたインダストリアルネットワークとビッグデータ分析を行う「プレディクス」を成長させ、2020年までにトップ10に入るソフトウェア企業を目指すものでした。

二つ目は、油田開発会社、掘削機器、ポンプ、油田設備のメーカーを次々に買収し、GEオイル&ガスを石油コングロマリットに育て、GEの売上の1/4にまで引き上げることでした。

三つ目の取組として、苦境に陥ったフランスのタービン、鉄道のコングロマリット アルストムの買収です。
 

新たな収益エンジンの苦境

 右から左へお金を動かせば利益が出る金融と異なり、実際の事業は思うようにいきませんでした。

プレディクスは航空機以外に発電所など様々なシステムとつなごうとしたため複雑化し、いつまでたっても未完成の状態のアプリでした。何より顧客から見て「何を売ろうとしているのかわからない製品」だったため、売上は伸び悩みました。

石油コングロマリットを目指したGEオイル&ガスでしたが、原油価格が当初見込んでいた1バーレル100ドルから50ドルに下落したため収益性が大きく低下しました。またコストが下がった太陽光や風力発電との競争にもさらされました。

アルストムの買収は、買収されればリストラによってフランスの雇用が大幅に減ることを恐れたフランス政府の猛反対に遭い、買収までに時間がかかってしまいました。

こうして株価の下落、成長の停滞が起きると、株主の発言力が強くなります。

図5 発言力が強くなる
図5 発言力が強くなる


 

イメルト解任

 業績の低迷と株価の下落から、GEは取締役会にファンド(トライアン・ファンド・マネジメント)から取締役を受け入れざるを得なくなりました。ファンドから来た取締役はアクティビスト(もの言う株主)として、2017年には業績低迷を理由にジェフ・イメルト氏の解任を求めました。取締役会はジェフ・イメルト氏を解任し、後任にジョン・フラナリー氏を指名しました。

なぜこうなってしまったのでしょうか?
 

原因

 すでにウェルチの頃から、GE内部では

数字が目的化し、事業での実態が正しく数字に反映されなくなっていた

のです。
 

利益を決めてから数字をつくる

 ランク&ヤンクという評価の厳しい中、各事業部のトップにとって

「目標数字の未達」とは、自らのキャリアの終わり

を意味していました。期末の報告は、最初に利益を決めておき、その利益になるように他の数字は後から調整していました。

例えばジェットエンジンの場合、エンジンの販売自体は赤字です。しかし1度エンジンが売れれば交換部品の注文が継続的に入ります。しかも交換部品は高い利益率でした。そこでエンジンが売れると、将来発生する利益率の高い部品の販売と今期のエンジンの販売と抱き合わせて今期の利益を計算しました。

発電所のタービンを製造するGEパワーでは、5年以内に入金される見込みの売上を債権としてGEキャピタルに売却し、今期の利益をつくりました。
 
GEの好業績の実態は、このように

今日の現金を手に入れるために明日の現金を売る「繰延収益化」が常態化

していたのです。これはGE内部では「麻薬(ドラッグ)」と呼ばれました。

追い打ちをかけるように新型コロナウイルスで航空業界は大打撃を受けました。加えてボーイング737MAX 2機が墜落事故を起こし、ボーイングは737MAXの生産を停止しました。その一方でコロナによりGE内部のリストラが加速しました。そして25億ドルのキャッシュを手にすることができました。

このように数字をつくることに専念すれば、会計処理は不適切なものにならざるを得ません。
 

指摘された数々の不適切な会計処理

 2020年9月SECの調査が終了し、GEの会計処理に多くの問題が指摘され、改善命令が出されました。

GEは基本的には製造業で、これはものを作って付加価値を生むことです。しかし、それが思うように利益を上げられなくなった時、それでも

数字を出さなければならないという立場に追い込まれれば「数字は作られる」

ことになります。

それにより事業の問題は見えなくなり、本来行うべき事業の立て直しが遅れてしまいます。また製造業でキャリアを積んできたウェルチ氏やイメルト氏は、複雑な金融業がどこまでわかっていたのでしょうか。三洋電機、GEの事例を見ると、コングロマリットの成長を持続することは難しく、そこに粉飾の誘惑があるのかもしれません。
 

参考文献

「三洋電機井植敏の告白」大西康之 著 日経ビジネス
「GE帝国の盛衰史」 トーマス・グリタ、テッド・マン 著 ダイヤモンド社
 

参考資料

サーベンス・オクスリー法

上場企業会計改革および投資家保護法(サーベンス・オクスリー法、別名SOX法)はエンロン事件やワールドコム事件で問題になった粉飾決算に対し、企業会計・財務諸表の信頼性を向上させるために制定され、2002年7月に成立しました。
 

【概要】
投資家保護のための財務報告の厳格化、会計監査の独立性の強化、コーポレート・ガバナンス(企業統治)改革、情報開示の強化、説明責任などが盛り込まれ、1933年の連邦証券法、1934年の連邦証券取引法の以来の金融ビジネスの最も大きな変更となりました。

経営者に対し年次報告書が適正である旨の宣誓書提出の義務(302条)、財務報告に係る内部統制報告書の義務づけ、公認会計士による内部統制監査の義務づけ(404条)などがあります。一方、条文の文言が曖昧で、解釈による違いが大きいこと、内部統制のため企業は多大なコストが生じる問題があります。 

ここで内部統制は3つの目的と5つの構成からなります。

3つの目的

  1. 業務の有効性と効率性
  2. 財務報告の信頼性
  3. 関連法規の遵守

 

5つの構成要素

  1. 統制環境
  2. リスク評価
  3. 統制活動
  4. 情報と伝達
  5. 監視活動

 この内部統制によって財務状況・経営成績が適正であることを示すには、基礎となる各データ(売上に関する項目であれば商品、数量、納品日など)が全て適正でなければなりません。

これらは複数の業務部門にも関わるため、経理部門以外に内部統制整備の影響を広い範囲で受けます。そのためまず内部統制の内容、その有効性の検証方法・結果、問題があった場合の対応などを明確化・文書化しなければなりません。

ERPなどの情報システム、システムの開発・保守・運用といった業務プロセス、外部への委託方法なども含まれるため、各企業が非常な労力を費やしました。

日本も2006年に財務報告の適正性を確保するために上場企業に対して内部統制の構築を義務づける「日本版SOX法」(通称)を含む、「金融商品取引法」が2006年に成立し、2008年から適用されました。
 

ドッド・フランク法

ドッド・フランク法(正式名:ドッド・フランク・ウォールストリート改革および消費者保護法)は、米国の銀行システムの事実上すべての側面に抜本的な改革を行った米国連邦法で2010年7月21日に制定されました。

この法律にはリーマンショックの原因となった虐待的な銀行業務を防ぐため、銀行、ウォールストリート、保険会社、信用格付け機関の規制強化などが含まれ、他にも消費者保護の強化や内部告発者の補償が含まれます。

しかし2018年5月にトランプ大統領は、米国最大の銀行を除くすべての銀行をドッド・フランク法の規制の多くから免除する法案に署名しました。
 

【概要】
ドッド・フランク法には、16の改革分野が含まれます。その特徴を挙げると以下のようなものがあります。

  • 金融安定監視委員会(FSOC)を設立し、銀行業界全体のリスクの高い慣行を監視する
  • FSOCは「大きすぎて潰せない」銀行を解散するよう命じることができ、FSOCはSECを通じてヘッジファンドのようなリスクの高いノンバンク金融機関を規制できる
  • 銀行がヘッジファンド、プライベート・エクイティ・ファンド、またはその他のリスクの高い株式取引業務に関与することを禁じるボルカールールを制定する
  • 銀行は、必要に応じて取引は限定的なものに規制できる
  • ボルカールールにより政府がクレジットデフォルトスワップなどリスクの高いデリバティブの規制が可能になる
  • すべてのヘッジファンドはSECに登録が必要になる
  • サブプライム住宅ローン危機につながったヘッジファンドによるデリバティブ取引を規制できる
  • ムーディーズやスタンダード&プアーズなどの債券格付け機関が住宅ローン担保証券とそのデリバティブを過大評価したこともリーマンショックの一因とし、SECの下に信用格付け局を設立した
  • 債券格付け機関を監視し、必要があれば認証を取り消すことが可能になった
  • 銀行による「悪意のあるビジネス」から消費者を保護するため、消費者金融保護局(CFPB)を設立し、消費者に害を及ぼす取引を防止、また銀行は消費者に住宅ローンやクレジットスコアをわかりやすく説明することを要求した
  • 信用調査機関として、クレジットカードや消費者ローンを監督
  • サーベンス・オクスリー法の内部告発者プログラムを強化した
  • 金融業界内のどこかで詐欺または虐待行為を報告する人は、訴訟和解または裁判所の判決からの収益の10%から30%を受け取る権利を認めた

経営コラム ものづくりの未来と経営

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粉飾決算と経営破綻 その1~激変する経営環境の変化と業績への圧力~ https://ilink-corp.co.jp/9097.html https://ilink-corp.co.jp/9097.html#respond Mon, 20 Nov 2023 02:26:22 +0000 https://ilink-corp.co.jp/?p=9097
【コラムの概要】

粉飾決算は、企業が実態より良く見せるために利益を過大計上すること。金融機関からの借入れ維持、株価維持、経営者の地位保持が主な動機です。上場企業は監査が義務付けられ、違反には厳しい罰則があります。一方、中小企業は罰則がなく、節税目的の逆粉飾も行われます。バブル崩壊、資本市場の開放、金融ビッグバンなどの社会変化が、粉飾を助長し、カネボウやオリンパスのような大企業の破綻につながりました。

粉飾決算とは、会社の経営を実際より良く見せるために利益を過大に計上することです。

逆に利益を過少に見せようとするのは逆粉飾といいます。

なぜ粉飾決算を行うのでしょうか?

その動機は、金融機関から借入を継続するため、配当や株価の維持するため、さらに経営者自身の地位を保つため、など様々です。

これまで粉飾決算の多くは経営者によるものでした。しかし最近は経営者から厳しい利益目標を要求され役員や管理職が粉飾を行うケースも増えてきました。 

代表的な粉飾決算は

売上げの過大・架空計上

  • 費用の過少計上
  • 預金や商品などの過大計上
  • 借入金の過少計上

 などです。

こうした粉飾決算は取引先や子会社の協力を得て行うことが多く、連結していない子会社や特定目的会社(SPC)が利用されます。こうした粉飾を防ぐため、上場会社は公認会計士・監査法人の監査が強制されています。

もし粉飾決算を行った場合、経営者は金融商品取引法違反として10年以下の懲役または1,000万円以下の罰金が科せられます。会社も7億円以下の罰金と課徴金を納めなければいけません。
 

なぜ粉飾決算をするのか?

このような厳しい罰則があるにも関わらず、なぜ経営者は粉飾決算をするのでしょうか?

経営者は誰に向けて粉飾決算をするのでしょうか?

この場合、企業の利害関係者が誰かということが大きく影響します。
 

利害関係者

企業の利害関係者(ステークホルダー)とは、「企業の活動に対して、直接的・間接的な利害関係を有するグループまたは個人」のことです。

主なステークホルダーは以下の8つです。
■ 株主:配当金が発生したり金額が増加したりする
■ 経営者:役員報酬の増加
■ 従業員:給与・賞与の増加や福利厚生の充実
■ 顧客(消費者):例えば、「スーパーが新規出店することにより、買物の利便性が向上する」など
■ 取引先企業:受注の増加、良好な労働環境の実現
■ 競合企業:「顧客を奪われる」などの不利益が発生
■ 行政機関:税収の増加
■ 地域社会:雇用の創出、公害・環境負荷の発生など
 

このうち直接の「利害関係者」は、株主や銀行、証券会社など金銭的な関係を有する集団です。

  • 株主
  • 銀行
  • 税務署

この3つの利害関係者に対しては、

「企業会計原則に基づく公正な財務諸表の作成」

が義務付けられています。さらに上場企業は、財務諸表を監査法人が監査して「適正」と判断されなければなりません。
 

中小企業は企業会計原則に従わなくてもかまわない

一方、中小企業には会計監査の義務はありません。不適切な財務諸表を作成しても罰則はありません。ただし税務署に申告する納税額が不正に低ければ脱税になります。

このように中小企業と上場企業では財務諸表に対する要求が違います。また収益、費用の認識も企業会計原則と税法で異なります。

実はかつての粉飾決算の背景には、企業の利害関係者である

「株主」「銀行」の姿勢の変化

がありました。

かつてバブル崩壊、金融ビッグバンなど、企業の経営の環境が激変したのです。

それはどのような変化だったのでしょうか?
 

株式をめぐる環境の変化

バブル以前、日本の企業は金融機関と株式を持ち合っていました。株価は比較的安定していて、企業は株価より配当が重視された時代でした。

ところが1990年以降、資本市場が海外に開放され、海外の機関投資家が日本の株式市場に参入しました。機関投資家とは、生命保険会社、損害保険会社、信託銀行、普通銀行、信用金庫、年金基金、共済組合、農協、政府系金融機関など多額の資金で株式や債券の運用を行う大口の投資家を指します。

機関投資家は運用益を重要します。そのため一貫して株価が上昇することを求めます。20年先の革新的な製品の開発のように今の株価に影響しない事業は関心がありません。

しかし炭素繊維のような開発に20年以上かかる製品もあります。炭素繊維は、当初は東レ、帝人の他、アメリカの企業も研究していました。しかし株主の強いアメリカでは、短期的な利益が重視されたため、アメリカの企業は開発を断念しました。
 

資本市場の開放により企業の株主が大きく変わりました。企業には短期の収益性と成長が強く求められるようになりました。

さらに欧米企業は、

取締役会の影響があります。

欧米企業の取締役会は、株主の代表で構成され過半数が社外取締役です。取締役会が任命した役員(最高経営責任者CEO)が経営します。株価が低迷し経営状況が思わしくないと判断されれば、取締役会はCEOを解任します。そして新たに業績を改善できる経営者を指名します。

従って欧米企業では、経営者であり続けるためには、常に利益と成長を維持しなければなりません。経営が思わしくなければ経営者は粉飾決算への強い誘引があります。
 

一方、粉飾決算は悪い経営状況をよく見せることです。その結果、悪い経営状態が改善されず、遂には破綻してしまいます。

ただし、経営破綻は、

大企業と中小企業では全く違います。

 

経営破綻

経営破綻は大きく分けて二つあります。

  • 資金の枯渇

資金が枯渇し、支払い不能になれば事業は継続できません。手形を発行している場合、手形が決済できなければ(手形の不渡り)、銀行は取引を停止します。資金ショートのにる破綻は、大企業でも中小企業でも起きます。

  • 債務超過

負債が増え続けて負債が資産を上回れば新規融資が受けられなくなります。上場企業は債務超過に陥った場合、1年以内に解消できなければ上場廃止されます。新規の資金調達ができなくなり、株価は大幅に下落し経営が破綻します。

 

図1 経営破綻
図1 経営破綻


 

ところが非上場の中小企業の場合、債務超過でも経営者が私財を投じて会社を支えます。そしてお金が回れば会社は継続できます。債務超過でも存続している中小企業はたくさんあります。

それなのに

なぜ中小企業は粉飾決算をするのでしょうか?

 

中小企業の粉飾決算

 中小企業の場合、債務超過の影響は上場企業ほどではありません。それでも新規の融資が受けられないと資金繰りが困難になります。そこで経営者はできるだけ決算をよく見せるため粉飾決算をします。あるいは何年も赤字が続きバランスシートが悪いと融資を引き揚げられる恐れがあります。そこで本当は赤字でも利益があるように粉飾します。
一方で利益が大きいと法人税が増えます。そこで利益を少なく見せる逆粉飾も行われます。

主な中小企業の粉飾は以下の方法です。
 

粉飾の方法

  1. 利益水増し
    架空売上 売上金、仮払金などを架空に計上します。
  2. 在庫水増し
    期末在庫を増やして製造原価を少なくして利益を増やします
  3. 減価償却未計上
    税法では認められています。しかもキャッシュフローには影響しないため、金融機関も問題視しません。

 

粉飾の問題

赤字が続いているのに、毎期架空売上を計上し、在庫の水増しをすれば、売掛金、在庫の金額がどんどん増加します。従って何年間か複数年間の貸借対照表(BS)を比較すれば粉飾決算はわかります。

では金融機関は粉飾をどこまで見破るのでしょうか?
 

金融機関の財務診断力

金融機関は、融資先の財務諸表を自社のシステムに入力して収益性、健全性を判断します。年々売掛金や在庫が増えていれば怪しいことが分かります。
一方、中小企業の場合、税金や仕入れなどでお金が動くと利益も変わります。金融機関の担当者もそこまで細かな融資先の事情はわからないようです。例えば、

  • 消費税の支払い
    ある会社は、1/4期分の消費税を翌期に支払っていました。そのため先期の売上が多く、今期の売上が少ないと、税金の支払いが多いため、利益が大きく減少しました。しかし金融機関の担当者はこうした減益の原因は分かりませんでした。
  • キャッシュフローを調整
    利益は様々な手法で粉飾できます。「利益つくられるもの」と言われています。しかしキャッシュフローは粉飾が容易゛てなく「利益は意見、キャッシュは真実」と言われています。それでも期末に仕入れを大量に行えばキャッシュは減少します。

 

工事進行基準

受注から完成・納入までの期間が1年以上かかる製品は、工事の進捗に応じて期末に一定額の収益(売上)を計上できます。ただしこれは工事の進捗に応じて収益を合理的に見積ることができなければなりません。
この工事進行基準は2021年度以降、大企業(上場企業・非上場企業とも)、中小企業(のうち上場企業)は「新収益認識基準」を適用しなければなりません。

この工事進行基準は上場企業でも監査法人の考え方により変わります。そして

収益認識のタイミングを変えれば利益も変わります。

 

節税

赤字の期もあれば、黒字になる期もある場合、赤字の時に架空売上や水増しした在庫で利益を粉飾して赤字を少なくします。黒字になった時に粉飾した架空売上や水増しした在庫を解消します。そうすれば税金を少なくできます。それは黒字の時に不要な在庫や資産を特別損失として計上すれば利益を減らすことができるからです。この黒字の時に不要な資産を処分するのは合法的な会計処理です。

ところが赤字が予想以上に長く続けば、一時のつもりの粉飾が長期化して抜け出せなくなります。

図2 粉飾の長期化に悩むことに
図2 粉飾の長期化に悩むことに


 

会社と個人の一体化

かつては法人税の税率が高かったため、法人税を払って利益を会社に残すよりも、経営者の報酬を増やして所得税を払った方が支払う税金は少なくなりました。利益が多ければ、役員報酬を増やして利益を少なくし、経営者の資産を増やします。あるいは会社の土地や建物を経営者個人の所有にして、会社が経営者に家賃を払います。こういった節税は法人税率が高かった時代の常套手段でした。

しかし現在は法人税の実効税率は33.58%(中小企業 東京23区 2023年)、所得税は所得が695~900万円が23%、900~1800万円が33%、大きな違いはなくなってきています。

このような節税をしてお金を経営者個人に残すのは、個人商店のような

会社=個人

であれば問題はないかもしれません。

しかしある程度の規模の会社でこれを行うと

会社と経営者個人が一体化

します。
 

こうした会社と経営者個人の一体化が債務の個人保証(連帯保証)の一因です。融資が経営者個人に流れる可能性があるからです。個人保証があるため会社が倒産すれば経営者は個人の資産をすべて処分して個人保証した債務を弁済しなければなりません。

この債務の個人保証が、従業員や子供へ事業承継が進まない原因です。その背景には、このような会社と経営者個人の一体化があります。
個人保証があるため、中小企業の経営者にとって「倒産=自己破産」です。それを避けるためなら粉飾も一つの手段です。

これに対して、大企業の粉飾決算の原因に、社会の変化とそれに伴う企業会計ルールの変化がありました。
 

企業会計とその背景の変化

 粉飾決算の記事を読むと、一方的に粉飾した側の問題点がかかれています。実際は小さなほころびを繕うために行った粉飾が、いつしか致命的な問題になってしまったのです。

それは企業を取り巻く環境が変化するからです。

最も大きな変化は「バブル崩壊」です。
 

バブル崩壊

1985年のプラザ合意により円高が急速に進みました。日銀は競争力の落ちた輸出産業や製造業を救済する為、1987年2月までの間、公定歩合を引き下げ、公定歩合は戦後最低の2.5%になりました。

その一方で急激な円高で米国債券など海外の投資に大きな為替差損が生じました。その結果、多額の運用資金が国内李株式市場に向かいました。多額の資金は株価や地価を大幅に上昇させ、企業が保有する株や土地の値段も上がりました。担保価値や資産価値が増大し、それに伴い金融機関の融資も拡大、日本は空前の好景気に沸きました。
 

そのバブルは1990年崩壊しました。

株や土地の値段は大幅に下落し、企業のバランスシートは悪化しました。担保価値が下がったため融資の多くは不良債権になってしまいました。

ところが上場企業は、1年以上債務超過になれば上場廃止になってしまいます。そこで親会社の赤字を非連結子会社に移転する、いわゆる

「損失飛ばし」

が横行しました。この飛ばしは発覚し、1997年11月には山一證券が自主廃業しました。それまでは単体の財務諸表を重視していましたが、こうしたこともあって連結財務諸表重視に変わりました。このバブル景気と相前後して大きな影響があったのが、株式市場など資本市場の海外への開放でした。
 

資本市場開放

日本の資本市場開放は、

  • 1970年代前半の資本自由化(対内直接投資、対内外証券投資)
  • 1980年代の東京証券取引所の海外への会員権開放
  • 1971年の外証法(外国証券業者に関する法律)成立

などにより、段階的に海外に門戸を開き、外資系証券会社が参入しました。

1980年代後半には債券発行市場やデリバティブ市場が整備されました。

これは海外からの開放圧力によるものでした。一方、企業がグローバル化する中、日本企業が海外からの資金調達や資本政策が容易になるというメリットもありました。

その一方、株式市場における機関投資家の増加は、上場企業に

株価の持続的な上昇と高い成長を要求

しました。その結果、企業は長期的な成長よりも短期の業績を重視するようになったのです。

この資本市場の開放は、これまで国内中心だった企業会計のルールを海外と整合を取るきっかけにもなりました。

さらにバブル崩壊で起きた損失飛ばしや粉飾決算は、企業会計の厳格化へとつながりました。その中で起きた企業会計の変革が「金融ビッグバン」でした。
 

金融ビッグバン

バブル崩壊後、株や土地の価値の大幅な下落し、バランスシートの悪化による不良債権化、それに伴い生じた損失飛ばしなどが発生し、企業会計の見直しの要求が高まりました。

加えて資本市場の開放、機関投資家の増加により、企業価値の公正な評価、財務諸表の信頼性と国際的な会計基準との整合が求められました。

そこでこれまでの企業会計を見直し、国際的な会計基準と整合する会計ビッグバンが行われました。
 

その主な内容は

  • 有価証券など資産の時価評価
  • 連結財務諸表の義務付け
  • 四半期決算
  • キャッシュフロー計算書
  • 国際会計基準 (企業の海外進出、海外子会社との連結決算)

これと前後してアメリカでも

巨額の粉飾決算を行い破綻したエンロンが大きな問題になりました。

 

2001年エンロン破綻

2001年10月に、アメリカの多角的大企業のエンロン社で不正会計(巨額の粉飾決算)が発覚しました。

総合エネルギー取引とITビジネスを行っていたエンロン社が、特別目的事業体(SPE)を使った簿外取引で決算上の利益を水増し計上していたことが分かったのです。エンロンは2001年12月に経営破綻に追い込まれ、世界の株式市場に大きな衝撃を与えました。

図3 テキサス州ヒューストンのエンロン本社 (Wikipediaより)
図3 テキサス州ヒューストンのエンロン本社 (Wikipediaより)


 

2002年には、エンロン社に続いて、Kマート(小売業、破綻)やグローバルクロッシング(海底ケーブル通信、破綻)、ウェイスト・マネジメント(大手廃棄物処理、存続)など、他の有力企業でも不正会計が次々と明るみに出ました。

その結果、コーポレート・ガバナンス(企業の法令遵守)が強く問われ、2002年に企業の不祥事に対し厳しい罰則を盛り込んだ「サーベンス・オクスレー法(SOX法)」が制定されました。

このように企業不祥事が起きると次々と規制が強化されました。

SOX法でコーポレート・ガバナンスに手は打ったはずなのに、次に起きたのは

リスクマネーにのめり込んだ金融機関

でした。
 

リーマンショック

サブプライムローンとは、アメリカで信用力の低い借り手向けの住宅ローンです。信用力が低くリスクが高い反面、金利は高く設定されます。

「リーマン・ブラザーズ」は1850年に創立された名門投資銀行で、アメリカ五大投資銀行グループのひとつです。1990年代以降の住宅バブルの波に乗ってサブプライムローンの証券化を積極的に行いました。この証券化した商品を大量に抱えていた時、住宅バブルが崩壊しました。2008年に株価が急落し2008年9月に経営破綻しました。負債総額6130億ドルはアメリカ最大の企業倒産でした。
 

これをきっかけに信用不安が急速に伝搬し、世界的な金融危機と世界同時不況が起きました。ほとんどの国の株式相場は暴落し、世界中で信用収縮が起きました。

この反省から2010年7月21日に制定されたドッド・フランク法は、リーマンショックの元凶となった銀行のリスクマネーへの融資を規制し、銀行システムの抜本的な改革を行いました。

このように企業会計や社会的背景が変化する中、粉飾決算がきっかけとなって経営破綻し、清算した名門企業がありました。

それが戦前には売上高日本一であったカネボウです。
 

カネボウの経営破綻

カネボウは1887年東京の鐘ヶ淵に新設された紡績工場から始まりました。東京綿商社として創業し、地方の繊維工場を吸収して拡大しました。1961年には合成繊維、化粧品業界に進出し、食品、住宅用品、医薬品の5事業に多角化し拡大しました。

しかし2004年に経営破綻し産業再生機構の管理下に置かれました。その後、化粧品は花王、それ以外の事業はホーユー(株)の子会社クラシエホールディングスに、繊維事業はセーレン(株)など各社に吸収され2008年に清算しました。
 

伊藤社長の時代

なぜカネボウは経営破綻したのでしょうか。

始まりは1970年から1992年まで社長を務め、その後2003年まで名誉会長として影響力を行使した伊藤淳二氏の時代からでした。(彼は城山三郎『役員室午後三時』の主人公や山崎豊子『沈まぬ太陽』の国見会長のモデルとも言われています。)

本業の繊維事業は繊維業界の不況により業績が悪化し1975年には経常赤字に転落しました。その後も繊維事業は業績悪化が続きました。中でも子会社の興洋染色(株)は、1997年には売上高250億円に対し実質債務超過が450億円にも上りました。これがそのままカネボウの連結決算に含まれるとカネボウ自身が債務超過になる恐れがありました。

なぜこのようなことが起きたのでしょうか?
 

商社金融

興洋染色の経営悪化の原因は、商社との備蓄取引でした。

かつては中小企業に対する金融機関の資金供給が十分でなく、代わってそれを担ったのが商社金融でした。

興洋染色の主力商品アクリル毛布は、需要が秋から冬に限られています。しかし工場はコストを下げるため通年生産したいと考えます。そこで興洋染色が通年生産した毛布を商社が一旦買い上げ、金利を上乗せして冬に卸していました。当時はどこの商社もこのような商社金融の機能を果たしていました。

問題は売れ残った毛布の処分です。興洋染色はこれを買い戻し、その後再び商社に備蓄しました。しかしこれでは生産調整が効きません。そのため商社の備蓄は増える一方でした。しかも興洋染色は在庫の評価損を計上しませんでした。

図4 カネボウの資金循環取引 (「粉飾の論理」の資料を基に著者作図)
図4 カネボウの資金循環取引 (「粉飾の論理」の資料を基に著者作図)

 

しかも最大の取引先 商社の兼松と興洋染色は決算期が違っていました。興洋染色の決算時に在庫を兼松に引き取ってもらい、見かけの売上と利益を増やすことができました。この再備蓄の増加に伴い興洋染色の売上も増加しました。兼松も備蓄取引が増えれば売上が増えて、その分の口銭(手数料)も入りました。

こうした備蓄取引は兼松の他にトーメン、ニチメンも加わっていました。一方最大の取引先は兼松でした。
 

循環取引

後にこれにカネボウ自身も加わりました。そして興洋染色、兼松、カネボウの間を伝票だけがぐるぐる回る循環取引となっていました。これは「宇宙遊泳」と呼ばれ、カネボウ内部では「資金対策売買」、毛布を「凍結在庫」と呼んでいました。

実はこういった利益操作は多かれ少なかれ他の企業でも行われていました。問題はカネボウは、本業の繊維事業が苦しい時、この「金の成る木」に頼ってしまったことでした。特にのめり込んだのが1978年にカネボウの取締役になった山本吉彦氏でした。その後の八木幸一氏も山本氏に倣いました。

本来は銀行の融資が十分に得られない中小企業へのサービスだった商社金融が、業績を良く見せる手段に変わってしまった時、カネボウの経営者はこれに頼ってしまったのです。

しかしそれも長くは続きませんでした。なぜなら

銀行の姿勢が変わったからです。

 

金融機関再編の影響

きっかけはバブル崩壊による金融機関の再編と不良債権処理でした。

1996年兼松のメインバンク東京銀行は三菱銀行と合併しました。そして商社への融資枠を見直しました。兼松自身も1997年には203億円の赤字を出していました。

このように銀行の姿勢が変化したため、これまでのような手段は難しくなってきました。

実際に興洋染色の問題は、カネボウ内部でも問題視されていました。1997年6月にはKS対策委員会が設立され、内密に興洋染色の債権処理が計画されました。
 

そのスキームは、1998年2月にただ同然の土地と建物を現物出資し、防府興産という会社を設立します。そしてその株式をカネボウ物流に売却し、防府興産をカネボウの連結対象から外します。そして興洋染色から防府興産に売掛債権などを287億円を譲渡します。そうしておいて1998年4月にカネボウは防府興産を吸収合併します。

そうすると防府興産のただ同然の土地、建物は287億円の含み益を生みます。しかも興洋染色は287億円の不良債権をゼロにできます。

これを計画したのは当時の社長帆足氏と銀行出身の宮原氏でした。こうして興洋染色の問題を解決し、カネボウのバランスシートも改善する目論見でした。

ところが興洋染色の本業の毛布販売が急減速し資金繰りがさらに悪化しました。不良債権は計画当初の2倍の427億円に増えていました。
 

連結決算への移行

そうこうするうちにカネボウ自身の自己資本が1999年3月期には連結では213億円の債務超過(単独では463億円のプラス)になってしまいました。

理由は、これまでは単独決算が主でしたが、2000年3月期から有価証券報告書や証券取引所のルールが連結決算に移行したためでした。

それまで赤字を子会社に飛ばしていたカネボウは、新ルールでは2,500億円もの債務超過になることが予測されました。そこで子会社への出資比率を引き下げ、子会社15社を連結対象から外しました。

ここまでくると稼ぎ頭の事業でもなんでも売れる事業を売って現金を手にしなければ会社が存続できません。幸いカネボウには化粧品部門という稼ぎ頭がありました。

ところが化粧品部門の売却に立ちはだかったのが、会社の苦境を知らない人たちでした。
 

化粧品部門売却の失敗

カネボウは、債務超過を解消するためにホームプロダクツ部門、化粧品部門の売却を進めました。ところが労働組合が強いカネボウは、苦境を知らない社員や組合員からの強い反対に遭いました。売却は頓挫し産業再生機構の支援を受けることになりました。

帆足氏ら経営陣は退任し、中嶋章義氏が社長に就任しました。中嶋氏は経営浄化調査委員会を立上げて過去の不正を調査しました。その結果2005年には子会社15社を連結決算に追加し、過去5期分の決算を訂正しました。

粉飾決算の深みにはまったことに気づいた時には、どうすることもできませんでした。

では挽回の最後のチャンスはいつだったのでしょうか?

 

最後のチャンスに権力争いに明け暮れた

実は1992年伊藤社長が退任した時、カネボウは銀行も入って密かに再建策を検討していました。

しかし当時すでに1,700億円に達した不良資産を償却できる体力がカネボウに残っていませんでした。こうしてこの案は封印されました。

最後のチャンスは1980年代の好景気の時だったのです。しかし、この時

カネボウ内部は伊藤氏を中心とした権力争いに明け暮れていたのです。

 

会計の怠慢が招いた悲劇

始まりは備蓄取引でした。

それ備蓄取引自体は違法ではありません。しかし在庫の評価損を計上せずに再備蓄を繰り返し、さらに循環取引になったことで、この備蓄取引は白からグレー、グレーからブラックに変わっていったのです。そして時代が進み会計基準が変わる中で、社内以外に監査法人も適正な会計処理をしなかった

「会計の怠慢」

が破綻を招いたのです。 

その結果、カネボウ元社長、帆足隆氏、元副社長、宮原卓氏は、2005年証券取引法違反罪で起訴されました。さらに監査を担当した中央青山監査法人は、業務停止命令を受けて、後に解散しました。カネボウの監査を担当した公認会計士4人が逮捕されました。

カネボウは、円高、新興国の台頭など繊維業界を取り巻く環境が変化し、

抜本的な事業構造の変革が必要な時に、粉飾決算による見かけの利益に頼り、内部で権力抗争に明け暮れ、貴重な時間を失ってしまいました。

一方、バブルの傷跡を直視できなかった経営者もいました。その背景には社会問題にもなった「損失補填」がありました。
 

オリンパス事件

 1980年代バブル景気に沸く日本では、株などに投資する「財テク」をしない者は愚か者だというムードでした。
 

バブルと特金

その時代、証券会社が企業の財テク商品として積極的に販売したのが特定金銭信託(特金)でした。この商品は簿価分離のため株価が上がっても含み益が出ず、企業にとってうまみの多い商品でした。

こういった金融商品の銘柄の売買は、本来

顧客が証券会社に指示をして行う

ものでした。実際は証券会社に売買を任せる一任売買が横行していました。

他社に負けじと営業をかけていた証券会社は、特金を販売する際、

名刺の裏に「(損失を)補填します」

と書いて営業しました。今では考えられないことですが、当時は

「みんなで渡れば怖くない」

とこれが広まっていました。これがバブル崩壊で負の遺産になります。

図5 バブル景気
図5 バブル景気


 

損失補填の問題

特金はバブル崩壊で暴落しました。多くの証券会社は裏書きした名刺に苦しむことになります。

1991年6月には読売新聞は、野村證券が年金福祉事業団に50億円の損失補填があったと発表しました。こうした損失補填が明るみに出る一方、当時は個人で株式を買った人も多かったのです。中には不動産を担保にお金を借りて株を買った人もいました。彼らの損失は補填されることはなく、多くの人は多額の負債や不動産を失ったのです。

企業向けの特金のみが優遇されたことが明るみに出ると、多くの人から怨嗟の声が上がりました。マスコミも一斉に報道しました。こうした圧力に負けて1991年7月には四大証券会社が損失補填リストを公表しました。損失補填先は228法人、金額は1,283億円に上りました。これをきっかけに1991年10月には橋本首相が辞任しました。 

一方、すべての企業の特金の損失が補填されたわけではありませんでした。中には多額の損失を被ったままの企業もありました。

その1社がオリンパスでした。

しかも2000年には会計基準が変更されました。それまでは株式、土地・建物などの資産は、決算時に(著しい時価下落を除き)取得原価で計上していました。ところが新基準では時価評価になりました。株価の暴落の結果、オリンパスの株の含み損は950億円にもなりました。当時の財務部長 山田秀雄氏は「今さら外に出せるか」と言いました。

こうした外に出せない損失に困った企業に近寄ったのが、

様々な「飛ばし」のノウハウを身に着けた人たちでした。

 

飛ばし

この損失隠蔽の画策に協力したのは、元野村証券の人たちです。損失を隠蔽するため、彼らの手を借りてオリンパスはあるM&Aを実施しました。

2008年にイギリスの医療機器メーカー ジャイラス・グループを買収しました。その際、元野村證券の佐川肇氏が設立したケイマン諸島の投資ファンド「AXAMインベストメント」に買収額2,117億円の32%に当たる687億円を支払いました。
また2006年から2008年の間、元野村證券の横尾宣政氏が設立した「グローバル・カンパニー」を通じて、アルティス、ヒューマラボ、ニューズシェフなど売上高数億円の会社を734億円で買収しました。 

そうしておいてオリンパスは2009年3月期に557億円の減損処理を行いました。

しかしこういった不自然なM&Aはどこかで情報が漏れます。その情報は、当時のオリンパス社長イギリス人のマイケル・ウッドフォードに渡りました。
 

ウッドフォード社長突然の解任

2011年に6月にオリンパス社長になったマイケル・ウッドフォード氏は、この情報を入手し会計事務所プライスウォーターハウスクーパース(PwC)に独自で調査を依頼しました。その結果、コーポレート・ガバナンスに関して多くの不審な点が見つかりました。
そこでウッドフォード社長は、この不透明なM&Aで会社と株主に損害を与えたとして、菊川会長および森久志副社長の引責辞任を求めました。ところが逆に10月の取締役会で、ウッドフォード社長は「独断的な経営を行い、他の取締役と乖離が生じた」として解任されてしました。この突然の解任劇は世間の注目を集めました。

こうしてオリンパスの粉飾が明るみに出たのです。
 

発覚した粉飾

この事件によりオリンパスの株価は大幅に下落し、菊川氏は会長兼社長を辞任しました。しかしすでに有価証券報告書の虚偽記載が取り沙汰される事態になっていました。第三者委員会の調査の結果、1990年代から損失の隠蔽が行われ、その補填のために買収が実施されたことが明らかとなりました。これにより11月の期限までに上半期中間決算が提出できなくなり、オリンパスの株は『監理銘柄』になってしまいました。

2012年2月に東京地検特捜部は、菊川前社長(元会長)、森前副社長、前常勤監査役、証券会社の元取締役、また投資会社の社長、取締役、元取締役などを金融商品取引法違反(有価証券報告書虚偽記載罪)で逮捕しました。さらに投資会社の社長と取締役は、詐欺罪で起訴されました。
 

950億円の含み損は決して小さな金額ではありません。しかしオリンパスを経営破綻に追い込むほどではなかったのです。事実、この問題の後もオリンパスは存続しています。しかし

「今さら外に出せるか」

と隠蔽に取組んだ代償はとても高いものになりました。

参考文献

「粉飾の論理」 高橋篤史 著 東洋経済新報社
「オリンパス症候群」 チームFACTA  平凡社
「粉飾決算の見分け方」 石田昌宏 著 ビジネス教育出版社
 

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危機管理とBCP~企業経営の本当のリスクと、それに備えるリスクマネジメントとは?~ https://ilink-corp.co.jp/8783.html https://ilink-corp.co.jp/8783.html#respond Tue, 01 Aug 2023 07:56:43 +0000 https://ilink-corp.co.jp/?p=8783
【コラムの概要】

BCPは自然災害に有効だが、事業リスクは多岐にわたる。企業はリスクマネジメントでリスクを特定し、優先順位をつけ対策すべき。想定外の事態に備え、社員が自律的に行動できるよう方針を共有し、日頃からの訓練が重要。

日本は地震、豪雨や台風による水害や土砂崩れなど、災害が多い国です。災害は時には企業に大きなダメージを与えます。災害の規模によっては事業の継続が困難になることもあります。この時、万が一に備えた事業継続計画(Business Continuity Plan : BCP)があれば、災害を乗り越え事業をスムーズに再開できます。

ただし自然災害以外にも事業リスクあります。つまりBCPだけでは万全ではありません。

ではどうすればよいのでしょうか。事業のリスクとは何でしょうか?

企業経営の危機管理についてまとめました。
 

リスクとリスクマネジメント

危機や危機管理に関して、リスクマネジメント、クライシスマネジメント、リスクアセスメントなどの言葉があります。

これはどのような意味でしょうか?

そもそもリスクとは何でしょうか?
 

リスクとは

リスクとは、

「将来いずれかの時に起こる不確定な事象とその影響」

を意味します。

一方日本語ではリスクは

「何か悪い事が起きる可能性、予想通りにいかない危険、危機が起きる確率など『危険』や『危機』」

を指します。

【リスクの語源】

英語 risk の語源はラテン語の risicare で、「(悪い事が起こる可能性を承知の上で)勇気をもって試みる」という意味です。

このようにリスクは、様々な意味があります。また分野によっても定義が違います。
 

【経済学でのリスク】

経済学では、ある事象の変動に関する不確実性を指します。また金融理論では変動の大きさをリスクと呼びます。そして経済学では悪いことだけでなく良いこともリスクです。
 

【工学でのリスク】

工学分野でリスクとは「ある事象生起の確からしさと、それによる負の結果の組合せ」を指し、JIS Z 8115「ディペンダビリティ(信頼性)用語」で定義されています。この場合、リスクはマイナスの要因のみを指します。
 

【リスクとハザード】

工学ではリスクと並んでハザードという単語も使われます。「リスク」と「ハザード」は同じ意味としても捉えられますが、リスクアセスメントの観点では以下の違いがあります。

  • ハザード :自然災害、停電、劣化などによる危険性又は有害性
  • リスク  :ハザードが悪影響をもたらす可能性

従って、ハザードがなければリスクは生まれません。
 

図1 危険性または有害性(ハザード)とリスクの違いとは
図1 危険性または有害性(ハザード)とリスクの違いとは


 

工学の分野では、製品やプロジェクトの信頼性を高めるために、リスクマネジメントを行い、リスクの影響を抑えます。
 

リスクマネジメント(工学)

JISの定義によればリスクマネジメントとは

「リスクについて,組織を指揮統制するための調整された活動」(危機管理)

とあり、ISO31000に規定されています。

ISO31000のリスクマネジメントのプロセスは以下の通りです。

  • コミュニケーション及び協議
  • 適用範囲,状況及び基準
  • リスクアセスメント (リスク特定、リスク分析、リスク評価)
  • リスク対応
  • モニタリング及びレビュー
  • 記録作成及び報告

 

1. リスクアセスメント

リスクマネジメントでは、最初に以下の手順に従いリスクアセスメントを行います。

  1. リスク特定
  2. リスク分析
  3. リスク評価 – 各リスクに対してリスクの度合いを評価

 

(1)リスクを特定
リスクを洗い出し、確認して記録します。リスクを特定するには、次のような方法があります。

  • 過去のデータ、または理論モデルに基づくチェックリスト、または分類法
  • 文献レビューや履歴データの分析などの証拠に基づく方法
  • HAZOP、FMEA、SWIFTなど、通常の運用からの逸脱の可能性を体系的に検討するチームベースの方法
  • 特定の状況下で何が起こるかを特定するためのテストやモデリングなどの経験的方法
  • シナリオ分析など、将来の可能性について想像思考手法
  • ブレインストーミング、構造化インタビュー、 監査などの専門家を引き出す方法

 

図2 工程FMEAの例
図2 工程FMEAの例


 

(2)リスク分析
特定したリスクを発生可能性(確率)も含めて分析します。リスク分析には以下のようなものがあります。

  • リスクの原因、リスクが推進される要因
  • 既存の管理手法(コントロール)の有効性の調査
  • 起こりうる結果とその可能性
  • リスク間の相互作用と依存関係
  • リスクの尺度の決定
  • 結果の検証と妥当性確認
  • 不確実性と感度(変動)の分析

リスク分析は、過去の事象(イベント)の確率と結果に関するデータを使用することがよくあります。
 

(3)リスク評価
リスクの推定レベルからとその結果から、リスクの重大性を評価します。そしてリスクの対処について決定を下します。
 

2.リスク対応

リスクの対応を選択します。以下はリスク対応の例です。

(1)リスク除去
リスクを生じさせる活動を行わないことでリスクを回避します。

(2)あえてリスクを取る
利益や事業機会を失わないために、あえとリスクがあることを容認します。しかしこの場合も安全を考慮するべきで、安全の低下を推奨するものではありません。

(3)リスク回避
リスク源を除去します。
例)人のミス(ヒューマンエラー)のリスクに対し、ポカヨケやチェックシステムを構築する。

(4)起こりやすさを変える
例)地震や洪水に対し、より安全な場所に会社を移転する。

(5)結果を変える
何らかの対処をすることで、問題は起きても深刻な事態にならないように結果を変えます。
例)火災が派生しても、スプリンクラーをつけることで火事になるのを防ぐ。

(6)リスク共有
例)契約、保険購入によってリスクを共有する

(7)リスク保有
リスクの情報を収集し、問題は小さいことから、あえてリスクをそのままとします。
 

リスクマネジメント(経営)

経営におけるリスクマネジメントは、組織運営に影響を与えるようなリスクに対し、損失を最小限に管理することです。
 

経営の2種類のリスク

経営のリスクは、大別すると「純粋リスク」と「投機的リスク」の2種類があります。

【純粋リスク】
企業に損害や損失のみをもたらすリスクのことで、以下のような要因が挙げられます。

  • 火災
  • 水害
  • 地震
  • 自動車事故
  • テロ

【投機的リスク】
「ビジネスリスク」とも呼ばれ、投資や金利変動、新商品開発など損失と利益のどちらの可能性もあるリスクのことです。例えば、以下のようなタイミングで発生します。

  • 為替変動
  • 金利変動
  • 新商品の開発
  • 事業の多角化

 

リスクマネジメントの手順

経営におけるリスクマネジメントは以下の手順で行います。

図3 リスクアセスメントとリスクマネジメント
図3 リスクアセスメントとリスクマネジメント


 

(1)リスクの特定
予測されるあらゆるリスクを列挙します。些細だと思うものも含め、抜けや漏れなくリスクを洗い出します。
 

例 上場企業が国内拠点で着目しているリスク

順位リスク
1位地震・風水害等、災害の発生
2位人材流失、人材獲得の困難による人材不足
3位法令順守違反
4位製品/サービスの品質チェック体制の不備
5位情報漏えい
6位サイバー攻撃・ウイルス感染
7位過労死、長時間労働等労務問題の発生
8位市場における価格競争
9位原材料ならびに原油高の高騰
10位法改正や業界基準変更時の対応の遅れ

引用元│ 有限責任監査法人トーマツ「企業のリスクマネジメントおよびクライシスマネジメント 実態調査 2018年版」
 

(2)リスクの分析
各リスクのもつ影響度の大きさを評価します。

一般的には各リスクを頻度と影響度で分類してマトリクスにします。頻度を発生確率として、影響度を金銭的な損害として下記のようなマトリクスを作成します。

リスクの大きさ=影響度×発生確率
 

図4 リスクの大きさのマトリックス
図4 リスクの大きさのマトリックス


 

中には数値で表す(定量化)のが難しいリスクもあります。これは定性的リスクと呼ばれ、例えば、コンプライアンスリスクは、発生頻度とその結果の金銭的な影響の予測が難しく、影響度を数値化するのは困難です。こういった定性的リスクは、弁護士・公認会計士など専門家の意見や客観的な統計を使ってリスクの影響度を精査します。
 

(3)リスクの評価
リスク分析後、リスクマップと呼ばれる表を用いてリスクの重大さを可視化します。
 

表 リスクの大きさと対応の例

リスクの大きさ重要度 
9優先的に対応
6やや大二番目に優先
4三番目に優先
3費用対効果を考慮して対応
2費用対効果を考慮して対応
1対応しない

 

各リスクをマッピングしていくことで、リスク全体を体系的に把握することができるほか、優先して対応すべきリスクの可視化ができます。
 

図5 リスクマップの例
図5 リスクマップの例


 

マトリクスでマッピングされた(分析された)リスクに対し、対応の優先順位をつけます。リスクは数多く存在するため、そのすべてに対応することは不可能です。またリスクマネジメントに割けるリソースも限られています。そのため、リスクに対し優先順位をつけます。基本的には頻度と影響が大きいものを高い優先順位にします。
 

(4)リスクの対応と実施
優先順位に従って対策や低減措置を考えます。その際、対策は大きく分けて、リスクコントロールとリスクファイナンスに区分されます。
 

● リスクコントロール
リスクによって発生し得る損失の頻度と大きさをコントロールします。回避する、損失防止・損失削減を行う、分離・分散を行うなどです。

例)事業撤退、リスクを生む要因を取り除くリスク発生頻度を軽減させるためのマニュアル策定、緊急対応時のルール策定など

● リスクファイナンス
リスクによって発生した損失を、金銭で補填する方法です。移転や、損失の許容などがこれに当たり、大きな経済的損失を補填することです。

例:損害保険加入など他社と合意に基づきリスク分散する、期間損益でのコスト吸収など損出を受容する
 

リスクコントロールとリスクファイナンスの詳細を以下に示します。

表 リスクコントロールとリスクファイナンシング

区分手段内容
リスクコントロール回避リスクを伴う活動自体を中止し、予想されるリスクを遮断する対策。リターンの放棄を伴う。
損失防止損失発生を未然に防止するための対策、予防措置を講じて発生頻度を減じる。
損失削減事故が発生した際の損失の拡大を防止・軽減し、損失規模を抑えるための対策。
分離・分散リスクの源泉を1か所に集中させず、分離・分散させる対策。
リスクファイナンシング移転保険、契約等により損失発生時に第三者から損失補填を受ける方法。
保有リスク潜在を意識しながら対策を講じず、損失発生時に自己負担する方法。

資料:リスク管理・内部統制に関する研究会「リスク新時代の内部統制」から中小企業庁作成
 

表 具体的なリスク対策方法

リスクへの対応方法具体例
回避活動を停止し、リスクを遮断する。事業撤退など
損失防止発生しないよう予防策を講じる。研修やマニュアルの整備など
自社に損失を与える可能性のある取引先を避ける
損失削減リスク発生時の損失を抑える。対応フローの整備など。
火災の損失を削減するために、スプリンクラーや防火扉を設置する
自動車事故での負傷による損失を削減するために、エアバッグを設置する、シートベルトを着ける
分離、分散地震の発生確率を考えて、生産拠点を分散させる
金融機関の破綻に備えて、預金先銀行を複数確保する
リスクの源泉が集中するのを防ぐ
移転ネットワークの停止時における損失を保険で補填する、ネットワーク保険に加入する
保険などで第三者から損失補填を受ける
保有(許容)特に対策を講じず自社で損失を負担する。新入社員に業務を任せるなど

 

(5)対応のモニタリングと改善
対策を実施したら効果を評価します。効果が不十分であれば改善を行い、より質の高い対策にします。

さらに定期的にモニタリングを行います。社会や企業を取り巻く環境が変われば、リスクや対応策も変化するからです。
 

クライシスマネジメント

「クライシス(crisis)」の語源は「将来を左右する分岐点」です。

人あるいは組織がクライシス(危機的な事態)に直面したとき、対応によって将来が大きく変わります。

そこで組織が危機的な事態に直面したときの対応を管理するクライシスマネジメントを行います。これはクライシス(危機)をマネジメント(management)は「管理」することなので危機管理とも呼ばれています。
 

リスクマネジメントは、「危機を発生させない」ようにし、なおかつ「危機が発生した」場合も管理します。従ってリスクマネジメントは、クライシスマネジメントを含みます。ただし狭い意味のリスクマネジメントは、危機を発生させないための管理に限定します。

下図で、リスクマネジメントとクライシスマネジメントについて示しました。危機の予見力、回避力から再発防止力までがリスクマネジメントであり、危機が発生後の被害軽減力がクライシスマネジメントであることが分かります。
 

図6 リスクマネジメントとクライシスマネジメント
図6 リスクマネジメントとクライシスマネジメント


 

危機が発生した時は、以下の手順で対応します。

第一報

いつまでに(危機発生後何分以内に)、誰に報告するのか、何を (5W1Hにとらわれない)、深夜、休日はどうするのかなど、社内でルールを決めておきます。

この場合、自社にとっての危機は何か、どこまでを危機とみなすのか、誰もが同じ判断ができるようにしておく必要があります。

事実と状況の把握

正しい決定には、正確な情報が不可欠です。情報は「現地・現物・現実」の三現主義に徹して、人から聞いた情報を鵜呑みにするのではなく、自分の目で確かめるようにします。

情報はできる限り正確に、定量的に把握(何分、何kg、何個…)します。

状況の判断

論理的に予測し、データに基づいて判断します。問題は「こうなってほしい」とこちらの都合のいい結果にならないこともあります。予測が外れた場合のプランBを必ず用意しておきます。

また意思決定者が不在の場合、誰が判断するのか、代行者をあらかじめ決めておきます。

対応方針の決定

判断した状況に基づき、対応を決定します。

図7 初動対応の手順
図7 初動対応の手順


 

組織的な実行

メンバー全員で組織的に対応します。現場では想定外のことも起きます。その場合はメンバーが自ら判断しなければなりません。そこでリーダーからメンバーまで同じ情報を持ち、判断の根拠となる方針を全員が共有していることが必要です。

その場で判断が必要な場合、上からの指示がなくても現場がためらわず行動できるようにします。例え行動した結果がリーダーの考えと違っていても、リーダーは違っていたことを後から指摘してはいけません。
 

コラム 震災2日目 ヘリコプターで上空を視察

東日本大震災で福島第一原子力発電所の状況に対し、的を射ない東京電力の説明に業を煮やした菅直人首相は、ヘリコプターで福島第一原子力発電所に向かいました。

福島第一原子力発電所の後、ヘリコプターで宮城と岩手を上空から視察した菅首相は、津波に飲み込まれた市街を見て災害の規模を実感、自衛隊派遣を10万人に倍増しました。
 

コラム 初期消火が遅れたA社 加工工場火災

A社の部品加工工場で火災が発生しました。原因は設備から出た火花が木製の踏み台に引火したためでした。しかし初期消火が遅れたため、工場が全焼しました。初期消火が遅れた原因は「消火器を使うと叱られる」「始末書を書かされる」といったマイナス要因のため、現場には「消火器は使うものでない」という文化があったからでした。

高価な設備から出たわずかなボヤに対し、消火器をかけるのは勇気がいります。しかし、もし火が出た時、消火器を使わなければ火は工場全体に広がってしまいます。こういった状況では、

設備よりも工場、

工場よりも人命


という優先順位をあらかじめ決めておかなければ、対応が遅れてしまいます。
 

企業経営のリスク

このように経営のリスクマネジメントについて述べました。純粋リスクと投機的リスクは

  • 純粋リスク : 内部要因によるリスク
  • 投機的リスク : 外的要因によるリスク

した方が分かりやすいでしょう。

内部要因によるリスクは、自社で防止策や改善が可能で、つまりコントロールすることができます。

外的要因によるリスクはコントロールできないため、起きてしまったらどうするかを考えるしかないものです。 

企業広報戦略研究所が行った「危機管理力調査」の結果、直近2年間に起きた危機の件数のランキングを以下の表に示しました。

表 直近2年間に起きた危機の件数

順位件数内容
117事故・火災の発生
212欠陥商品の回収(リコール)
311個人情報・顧客情報の漏洩
47従業員によるSNSへの不適切な書き込み
55労務上のトラブル(過労死、不当解雇等)
65製品・サービスの表示偽装
74地域住民とのトラブル
84他社の知財の侵害訴訟
94顧客が利用する情報システムのトラブル
103談合・独占禁止法違反

 

これを参考に、自分なりに企業経営のリスクのうち、内的要因を以下の表にまとめました。

表 企業経営のリスク
表 企業経営のリスク
(赤枠はBCP、青枠は情報セキュリティマネジメントシステムでカバーする範囲)
 

このうち、自然災害は内的要因ではありませんが、物理的な損失が大きく事前に対処が必要なため、内的要因に含めました。外部要因は以下にまとめました。

表 その他外部要因のリスク

社外の企業取引先、仕入れ先などの売掛金回収不能や、倒産・廃業
社会新型コロナウイルスなどの感染症
原油、穀物など材料価格上昇と入手難
戦争・テロ・クーデター、デフォルトなどカントリーリスク
金融リーマンショックのようなショックと信用収縮、金利上昇
為替(円高、円安)

 

このように企業経営のリスクを洗い出すと、一般的なBCPの内容よりも多くのことが含まれます。むしろ自然災害よりもそれ以外のリスクの方が頻度が高く、影響も大きいのです。

では、これに対しどのような対策があるでしょうか?

具体的な対策

事故

① 人

人のリスクは、病気や事故、けがにより長期間出社できなくなる、あるいは亡くなってしまうことです。最悪の場合、業務が停止してしまいます。そして中小企業の最大の人のリスクは、経営者自身です。

他にも例えば見積や経理のような重要な業務を一部の社員のみが行っている場合、その社員が出社できなければ誰も替わることができません。そうなると他の社員が分からないなりに時間をかけてもしなければ業務が止まってしまいます。よくあるのが必要な書類やデータの保管場所が担当者しかわからないことです。

【リスクマネジメント】
社員の業務と担当をリストアップし、代替要員がいなければ、代替要員を育成します。資料やデータは他の社員も分かるようにします。業務に必要な書類やデータの保管場所をルール化し、それを全員で守ることです。個人のパソコンのマイドキュメントに業務のデータを保管するのは論外です。
 

② 業務

設備や工場の破損には、高額な修理費がかかるものがあります。

【リスクマネジメント】
事前に保険に加入します。交通事故も同様に保険でカバーします。一方保険でリスクをヘッジすることも重要ですが「設備を破損させない」、「交通事故を起こさない」教育を定期的に行う方がより大切です。
 

③ お金

社員による横領、不正支出、物品の不正持ち出しなどで会社に経済的な損失が生まれることがあります。

【リスクマネジメント】
任せっぱなしは危険です。人は魔がさすこともあります。不正があれば見つかるように定期的にチェックを行うと共に、社員への不正に対する教育が不可欠です。
 

④ 火災

火災の多くは、設備のメンテナンス不良や社員の火の不始末、漏電、放火などが原因です。一方近年は喫煙者が減少し社員の火の不始末による火災は減少しています。

【リスクマネジメント】
設備のメンテナンス不良や漏電による火災は、ある意味人災です。定期的な設備点検を行う、延長コードを使用しない、使い終わった機器のコンセントは抜いておく、コンセントや機器の周りのほこりは取り除くなど基本的な防止策を徹底します。

さらに火災発生時に迅速な初期消火ができるように、消火訓練を行います。そして必要な場合は
ためらわず消火器を使用できるように「消火器を使用した者を褒める」ようにします。

図8 消火訓練
図8 消火訓練


 

⑤ 通信障害

2) の災害で発生することもあります。有線の電話回線、無線の携帯回線が不通の場合、業務がどうなるのか、あらかじめ検討します。そういった場合も出社するのか、業務は継続できるのか等、万が一に備えた対策を講じておく必要があります。

【リスクマネジメント】
オフラインでできることと、オンラインでなければできないことを事前に洗い出しておきます。もし事前に準備を刷ればオフラインでも業務ができるのであれば、オフライン化を検討します。
 

⑥ インフラ故障

2) の災害で発生することもあります。トラブルで電気、水道、ガスが止まった場合、業務が遂行可能か、事前に検討しておきます。
 

災害

① 地震

後述のBCPでも詳しく記載します。広域災害のため、従業員とその家族の安全が優先されます。時間帯によって、出社すべきか、帰宅すべきか、判断が必要になります。また工場の被害が大きいと復旧に時間がかかります。

【リスクマネジメント】
BCPを策定します。その中で、優先すべき事項、そして出社待機すべき条件、早期退社すべき条件を決めておきます。
 

② 水害(大雨、台風、津波)

地震と同様、広域災害として対応します。特に局地的な豪雨により一時的に交通がマヒすることがあります。定時で退社したために道路が冠水して、水没や亡くなることもあります。豪雨が予想される場合は、早期退社するなど、社員の安全を優先するようにします。
 

③ 他 突風、雪害、噴火、異常低温・高温
突風(竜巻)、雪害、噴火、異常低温、異常高温により、工場や業務に支障が出る可能性があれば、検討しておきます。
 

品質問題

不良品が発生した場合の対処方法は、多くの企業ではルールが決まっています。もし責任者やリーダーが不在の場合は、どのように対処するか決めておきます。また社内で発生した不良は報告されないことがあるので、社内不良も報告するルールを策定しておきます。
 

情報漏洩

個人情報、顧客情報、営業秘密(図面、ノウハウも含む)

顧客の個人情報を扱う企業は個人情報の管理(規定)が必要です。また必要であれば顧客(企業)の情報も「営業秘密」として管理しなければなりません。同様に必要であれば、顧客の図面や支給品、自社の図面や治具などのノウハウも「営業秘密」として管理します。

【リスクマネジメント】
「盗もうと思う人間」に「盗めないように対策する」のはとても大変です。お金がかかり、日常業務の効率も低下します。

そこで「盗めないように対策する」よりも、「盗もうと思わないように教育すること」が大切です。

ただし簡単に盗めないような管理は必要です。もし魔がさして盗んだとしてもすぐに発覚するような管理体制を構築します。機密事項を機密として管理していなければ、機密を漏洩した社員を刑事告発できません。
 

SNSの書き込み

SNSの利用規定を策定し、業務に関する情報をSNSに上げないよう社員に教育します。

図9 内容によっては炎上も…
図9 内容によっては炎上も…


 

労務

① 長時間残業、過労死、健康問題(身体、心)

定期的な残業時間管理を行い、一部の社員だけが長時間残業にならない配慮をします。もし残業時間が多い場合は代休や振替休日を活用します。メンタルヘルスは周りからはわかりにくいため、本人から言いやすい仕組みも必要です。

【リスクマネジメント】
社員の残業時間の上限を規定します。上限が決まってなく、本人の判断、あるいは直属の上司の判断で長時間労働になるようであれば、そのような環境は改善します。
 

② セクハラ、パワハラ

セクハラ・パワハラは、会社の評判に大きく影響します。また訴訟問題に発展することもあります。

【リスクマネジメント】
セクハラ、パワハラに対するルールを決めて、社員教育を行い、ルールを運用します。セクハラ、パワハラは社員からは言い出しにくいため、告発制度を設けます。
 

③ 問題社員と不当解雇訴訟

問題のある社員を解雇した結果、不当解雇で訴訟されることがあります。

【リスクマネジメント】
解雇ルールを就業規則に入れ、社員に通達します。
 

情報システム

① システムトラブル、通信障害

自社のシステムがトラブルを起こした場合、あるいは通信障害で自社のシステムが使用できない場合に備え、代替方法を検討しておきます。

【リスクマネジメント】
情報システムの問い合わせ先、担当者を確認しておきます。古いシステムの場合、システムを開発した会社がなくなっていることがあります。
 

② ウイルス感染、ウイルス他者へ感染させた

社員が「ウイルスメールを開封してしまう」、「ウイルスメールを他に転送してしまう」トラブルが起きることがあります。

【リスクマネジメント】
ウイルス感染しないようにメール、WEB使用時のルールを策定します。またウイルス感染が判明した場合の処置を検討しておきます。会社によっては、見知らぬ人からのメールはすべて削除すると決めている会社もあります。
 

③ データ消失

データ消失により業務が停止、過去の資産を喪失することがあります。

【リスクマネジメント】
定期的なバックアップ(PC、データベース、サーバーのデータ)を行います。クラウドサービスを使用してクラウドにデータがある場合もバックアップを取るようにします。
 

知的財産

「ホームページや社外へ発信する文書が著作権を侵害してしまう」、「自社の製品やサービスが他社の商標や特許を侵害してしまう」などです。

【リスクマネジメント】
社員に著作権や商標などの知財教育を行います。ホームページやパンフレットが著作権のルールに抵触していないか確認します。画像はフリー画像を使用せず、購入します。
 

関係者とのトラブル

近隣住民とは同じ圏内で生活するため、トラブルになることがあります。会社から出る騒音のクレームや排気(炉や塗装設備など)や排水等の環境問題、配送車の路上駐車や社員の交通マナーなどがトラブルの原因として挙げられます。

【リスクマネジメント】
騒音、排気、排水は定期的に測定し、環境基準を満たすことを確認します。路上駐車は納入業者に文書で通達し、社員に交通マナーを教育します。近隣住民の代表者(町内会など)と定期的に連絡を取るようにします。
 

BCPについて

BCPとは

災害など緊急事態における企業の事業継続計画(Business Continuity Planning)を意味します。BCPの目的は自然災害やテロ、システム障害など危機的な状況に遭遇した時に損害を最小限に抑え、重要な業務の早期復旧を図ることです。内閣府は、2005年公表の「事業継続ガイドライン」でBCP策定を強く推奨しています。

BCPの構成

詳細は、中小企業庁ホームページ「中小企業BCP策定運用指針」を参照してください。

  • 基本方針
  • BCPの運用体制 組織と担当者

中核事業と復旧目標 中核事業の情報 売上、顧客、復旧時間
事業継続に係る各種資源の代替
代替生産する工場、応援要員、資金、必要な情報(プログラム)

  • 財務診断と事前対策計画 財務診断、保険、対策のための投資
  • 緊急時におけるBCP発動
  • 発動フロー 活動チェックと実施内容メモ書き
  • 退避 避難計画シート
  • 情報連絡 主要組織の連絡先、従業員連絡先、通信手段、主要顧客情報
  • 事業資源 中核事業に係るボトルネック資源、必要な供給品、供給業者、災害対応用具
  • 地域貢献 地域貢献活動チェックリスト

 

 

BCPの活用

国がマニュアル、書式をすべて提供しており、内容もシンプルにまとめられています。
災害時、迅速な対応ができるように、また必要な資金を計算し、不足すれば保険を活用できるよう、BCPを各企業が活用していく必要があります。

マニュアルは紙ベースになっていますが、緊急時に対応できるように必要なことはカードに小さくまとめる、又はチェックリスト形式にしておきます。

問題は、自然災害は滅多に起きず、大半の企業はBCPを規定しても一度も使うことがないことです。そのため時間の経過とともにBCPマニュアルが陳腐化します。災害に備え、定期的に訓練を行い、いつでも使える状態にする必要がありますが、それはとてもエネルギーがいる作業です。
 

コラム ハドソン湾の奇跡

2009年1月15日、ニューヨーク発USエアウェイズ1549便が離陸直後の渡り鳥の群れに遭遇、両方のエンジンが渡り鳥を吸い込んでしまいました。エンジンは2基とも停止、機体はハドソン湾に不時着水しました。乗客乗員155名は無事救助されました。

図10 ハドソン湾の奇跡(Wikipediaより)
図10 ハドソン湾の奇跡(Wikipediaより)


 

この時、エンジが停止してから不時着水までの時間はわずか3分。その間に、クルーはエンジン再始動を試みましたが、回復は見込めなかったので不時着水の準備に入りました。なぜ短時間にこれだけのことが手際よくできたのでしょうか? 

それはコックピットにエンジン再始動のチェックリストや不時着水のチェックリストが備わっていたからでした。これらのチェックリストは大半の飛行機では使われることはありません。しかし、もし必要な場合には確実に使えるように適切に準備されていました。
 

リスクマネジメントの必要性

このようにみていくと企業には様々なリスクがあります。しかも自然災害よりも確率の高いリスクも多く、こういったリスクに対応するには一般的なBCPでは十分ではありません。

しかもリスクはいつ顕在化するのか分かりません。一度リスクマネジメントを行って自社の経営上のリスクを洗い出し、対策しておけば問題を未然に防止できます。 

その一方、セキュリティ対策などは、何万人もの社員を抱える大企業と数十人の社員の中小企業では大きく異なります。大企業は社員が多く中には問題社員がいる可能性もあるため、不正や情報漏洩できない仕組みが必要です。もし情報漏洩が起これば多額の損失が発生します。そのため、情報漏洩を防ぐためにコストがかかるのは仕方ありません。

しかし、中小企業はそこまでコストをかけられません。また過剰な管理をすれば管理コストが肥大化し、業務効率も低下します。

そのため、信用のおける社員の採用と社員相互の管理を基本とします。信用のおける人材を採用し、不正をすればどうなるのか、罰則も含めて教育します。その上で、社員が相互にお互い仕事を見ていて不正な兆候があれば直ちに管理者や経営者に報告するようにします。加えて会社に個人的な恨みを持たないように適正な処遇やコミュニケーションも必要です。
 

想定内の問題を防ぐ

このようにリスクを洗い出してみると、まだまだリスクを減らすことができることに気付きます。

  • 「ルールが決まっていない
  • 「いけないことを社員が知らない」

そのためうっかりやってしまうリスクもあります。こういったことはルールや罰則が決まっていれば防ぐことができます。ルールを作る際はできれば関係する社員にも関与してもらい、アイデアを出すのと同時に

リスクを低減し会社を守るのは社員である」

という自覚を持たせるようにします。
 

想定外の問題への対応

自然災害や事故などは、想定していなかったようなことが起きます。事前に策定した計画通りにはできず、計画があったとしてもうまく実行できません。むしろ災害や事故は想定外のことが起きるのです。
 

自分で考えて行動できる体制

想定外の事柄に対しては、関係する社員が現場で対処しなければなりません。自然災害では、リーダーへの連絡が困難な時もあります。事前にマニュアルがあってもマニュアル通りにできないかもしれません。目の前で起きていることを的確に把握し、正しい判断ができるように普段からトレーニングが必要です。
そして正しい判断をするためには、元となる方針が必要です。
 

BCPの参考書には、基本方針に

  • 人命(従業員・顧客)の安全を守る
  • 自社の経営を維持する
  • 供給責任を果たし、顧客からの信用を守る
  • 従業員の雇用を守る
  • 地域経済の活力を守る
  • 社会からの要望に応える

という例が掲載されていますが、

優先順位がありません。

実際はどれかを優先し、どれかを犠牲にしなければならないのです。緊急時は時間も資源も限られています。

その中でどれを優先し、どれを切り捨てるのか、これが危機的状況において本当に必要な方針です。

 

参考文献

「戦略思考のリスクマネジメント」企業広報戦略研究所 著 日経BPコンサルティング
中小企業庁ホームページ「中小企業BCP策定運用指針」

 

経営コラム ものづくりの未来と経営

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『直感』による意思決定はうまくいくのか? https://ilink-corp.co.jp/8174.html https://ilink-corp.co.jp/8174.html#respond Thu, 08 Dec 2022 12:59:35 +0000 https://ilink-corp.co.jp/?p=8174
【コラムの概要】

意思決定には直感と熟慮の二つの方法がある。不確実な状況では直感が有効な場合もあるが、自信過剰や視野狭窄に陥る危険性も。多様な情報を考慮し、偏見を排した論理的思考が重要である。

適切な意思決定を行うには「多くの選択肢を比較し、結果を予測し、意思決定に結果影響を受ける人や組織を考慮するべき」と言われています。しかし実際の意思決定はどのように行っているのでしょうか。案外「直感」で行っているのではないでしょうか。

直感は意外と優れていて、直感のほうが上手くいく場合があります。一方、人は錯覚や誤解をするので、直感は危険だという主張もあります。はたしてどちらが正しいのか2つの考えを比較しました。
 

直感のほうがうまくいく

1985年心理学者のゲイリー・クラインは、消防隊⻑にインタビューをしました。

消防隊⻑は台所の火事現場に到着し、すぐさまリビングから台所に放水を開始しました。しかし、一向に火勢が落ちません。隊⻑はなぜ放水が消火の役に立たないのか不思議に思っていました。その時、隊⻑の第六感が閃いて急に不安に襲われました。隊⻑が部下に「すぐに外に出ろ」と怒鳴った直後、リビングの床が崩落しました。火元はリビングの下にあった地下室だったのです。

直感が彼と彼の部下の命を救いました。

クラインによれば、人が専門的知識を深め、いろいろな状況に遭遇する回数が増えるほど、

経験のパターンを数多く発見します。

そして目の前の現実と過去の経験を照合する能力が 精緻なものになります。これにより直感が研ぎ澄まされていきます。
 

2009年1月 US エアウェイズ 1549便がカナダガンの群れと遭遇し、エンジンが両方ともカナダガンを吸い込んで停止してしまいました。エアウェイズ 1549便は即座に空港に向かいました。

無事に空港に着けるかどうかの判定を機⻑は

「管制塔に視線を固定し、前面ガラスの中でせり上がってきたら空港には着けない」

という経験則に従いました。しばらく飛行して、前面ガラスの中で管制塔がせり上がってきたため、機⻑はハドソン湾への不時着水を決意しました。
 

2つの選択方法

アメリカ合衆国の政治家ベンジャミン・フランクリンが、二股をかけて迷っている甥に書いた手紙があります。

「迷っているなら、賛成する理由と反対する理由を 1 枚の紙に左右 2 列に書き出す。同じ価値を持つ項目同士は線を引いて消して、残った項目の数で決めろ。」

テレビ番組を選ぶ際にすべてのチャンネルを選択してから決める、ショッピングなどであらゆる選択肢を比較してから最善のものを買うなどはベンジャミン・フランクリンの方法です。これを「マキシマイザー」と呼びます。

一方、追及はそこそこで、まあまあと思った最初の選択肢でさっさと決めるのを「サティスファイサー」と呼びます。直感はサティスファイサーの意思決定方法です。
 

直感とは?

スポーツのような身体的な活動は直感的な動作が多くみられます。

野球でフライの捕球をする際に外野手は緩慢に走っているように見えます。そこで監督が「もっと真剣に走れ」と叱咤した結果、むしろ落球が頻発しました。理由は、実は外野手はフライがどこに落ちるのかわかっていなかったのです。それでも捕球できるのは、上がっていくフライが一定の速度で上がっていくように走る速度を調整していたからです。
 

図1 フライの捕球
図1 フライの捕球


 

これは注視ヒューリスティックと呼ばれ、動物や昆虫など多くの生物が三次元空間を移動する物体を補足する能力です。
 

なぜ直感がはたらくのでしょうか。それは違和感があるからです。違和感は「モヤモヤする」「つらい」といった感情に結びつきます。この違和感は自分へのメッセージになります。

逆に好きと感じれば、理屈ではなく、体でピピピと感じることがあります。好きだとやる気が出て、その物事を継続できます。がんばれるから結果が出ます。良い結果を見て、「自分にとってこれは正しかった」と思うでしょう。
 

直感には3種類あります。

  • 直感 (gut feeling) 一瞬で意識に上る判断
  • 直観 (intuition) 基になっている理由が自分でもよくわからない判断
  • 勘 (hunch) 行動を移すに足る確固たる判断

 

直感を構成するのは

  1. 単純な経験則=ヒューリスティックス
  2. 脳の進化した能力

と言われています。
 

ではなぜ直感が働くのでしょうか?それは人間の特徴として協調性があるからです。
 

チンパンジーの実験

檻に入ったチンパンジーの前に2つのハンドルがあります。
「親切なハンドル」は自分と隣の檻のチンパンジーに餌がもらえます。
「意地悪なハンドル」は自分だけ餌がもらえます。

ハンドルを回す回数を記録すると隣の檻に血縁関係のあるチンパンジーが入っていても、チンパンジーが「親切なハンドル」を回す回数は変わりませんでした。

同様の実験を人間の子供に対し行ったところ「親切なハンドル」を回す回数が多くなりました。子供はほかの人にも分け与えるほうを選んだからです。

何かを判断する時、人は相手も喜ぶような方法を感覚的に選ぶ傾向にあります。これは人類が進化の過程の中で獲得した能力「協調性」によるものです。
 

不確実な状況での意思決定

不確実な状況では多くの情報をあえて無視して意思決定を行う

ことがあります。問題解決の選択肢の中で、最も有効であると思ったひとつの理由だけで意思決定を行うことを「最善選択ヒューリスティック」と呼びます。
 

実は鳥の多くは巣の中のヒナを見分けられません。図々しいカッコーは自分のヒナを他の鳥の巣に入れて育てさせます。カッコーの托卵です。しかし人の子供は知っている人とそうでない人を瞬時に見分けます。人は個別再認能力が他の動物よりも高いからです。

これは全く見たことがないものよりも見たことがあるものを優先する「再認ヒューリスティック」が生じます。

実は「商品を選ぶなら聞いたことがあるブランドにしよう」という再認ヒューリスティックがあるため、多くの企業がテレビコマーシャルに多額の費用をかけるのです。
 

最善選択ヒューリスティック

極楽鳥の一種は、メスが相手を探す際に尾羽の一番⻑いオスを選びます。

⻑い尾羽は飛行の際にハンディキャップになるはずですが、求愛するオスは実に上手く飛びます。メスは種の間で、尾羽の⻑く、且つ飛ぶのも上手いオスを選ぶようになりました。

尾羽の⻑いオスの方が尾羽の⻑い子供が生まれ、更に繁殖できるチャンスが増えます。
 

図 2 尾羽の⻑い極楽鳥(Wikipediaより)
図 2 尾羽の⻑い極楽鳥(Wikipediaより)

このダーウィンの雌雄淘汰説は 100年間無視されていましたが、今では生物学の一分野として確立しています。

 

イギリスで子供が夜間急に医者にかからなければならない場合の医者の選び方を調査しました。
以下の 4つの選択肢、
①態度(話をちゃんと聞いてくるか)
②場所、③どんな医者
④待ち時間に
YES、NO で回答してもらいました。

その結果、「①態度(話をちゃんと聞いてくるか)」による選択が最も重視されました。それ以降の選択肢が違っても選択に変化は見られませんでした。多くの親は、態度が YES であれば、それ以外の要因はさほど重要ではないと回答したのです。

つまりたった一つの理由が決め手になっていました。 

同様の調査を NBA(バスケットホール)、ブンデスリーグ(ドイツのサッカーリーグ)の試合結果の予測で行っても、ひとつの理由「これまでの勝ち数の多いチームが勝つ」だけで、多くの人は予測していました。 

20件の実験について

  • ひとつの理由で決める最善選択ヒューリスティックの予測結果
  • 複雑な理由で決定する方法(重回帰分析)での予測結果

を比較しました。

その結果、最善選択ヒューリスティックの方が正答率は高かったのです。つまりたったひとつの理由で決めた方が正確でした。

  1. 将来を予測しなければならない
  2. 将来の予見が困難
  3. 情報が限られている

この3つが揃った場合、たったひとつの理由で決めた方が正確さは増すのです。

一方、
将来が十分に予測可能である場合、
あるいは情報が豊富な場合、
複雑な分析のほうが正確さは増します。
 

図3 予測を立てる分析の方法
図3 予測を立てる分析の方法


 

調べすぎる問題

アメリカでは医療訴訟が頻発するのはよく知られています。ある患者は前立腺がんの検査は受けないことにしました。しか不幸なことに、彼はその後前立腺がんで死亡しました。訴訟で原告側弁護士は「検査をしなかったのは医師の過失である」と主張しました。

アメリカではこうした訴訟が相次ぐため、医師はためらわずに過剰診断、過剰医療に突き進みます。

  • 過剰診断

本来なら患者が生涯気づかずに済んだはずの疾患を、検査によって発見すること

  • 過剰医療

本来なら患者が生涯気づかずに済んだはずの疾患を治療すること

しかし情報は多ければいいというものではないようなのです。
 

こんな例があります。

全身 CT スクリーニングによって冠状動脈疾患のリスクの高い人を特定できる確率は 80%です。そう聞くと高いい確率に感じます。

しかし、これは残り20%の人はハイリスクにも関わらず陰性と判断されることを示しています。彼らは偽の安心感を植え付けられて、治療の機会を逃してしまいます。

逆にリスクのない人を陽性と判定する確率が 60%もあります。つまり 60%の心配する必要がない人が、かかるはずがない病気におびえながら、残りの時間を過ごすはめになるのです。
 

米国予防医療サービス対策委員会は、前立腺、肺、膵臓、卵巣、膀胱、甲状腺のがん検診はメリットよりデメリットの方が大きいので受けないようにと勧告しています。検診してもがんがなくなるわけではないので、早期発見よりも予防の方が効果が期待できるとしています。喫煙、肥満、不適切な食生活、過度の飲酒を避け、適度な運動を行うことを推進しています。

 

リスクと判断

確実性をめぐってふたつの幻想があります。

① ゼロリスクの幻想
リスクはあるのにないと思うことです。

HIV 検査での偽陽性(誤った陽性判定)が起きると、陽性判定を受けた人が自殺したり、生活が破綻してしまうことが起きます。
 

② 七面鳥の幻想
殺されるかもしれないとおびえつつ毎日餌をもらえる七面鳥の逸話です。
n 日えさをもらった時、再び餌がもらえる確率は
(n+1)/(n+2)
で計算できます。100 日過ぎれば明日もエサがもらえる確率は
(100+1)/(100+2)=99%、
明日もエサがもらえるのはほぼ確実です。

七面鳥にとって不幸なことに 101 日目はクリスマスでした。
 

未来の予測に使ったモデルは短期には有効でも、⻑期も有効とは限らない例です。
 

図 4 確実性の幻想
図 4 確実性の幻想

リーマンショックについて、ゴールドマンサックス CEO デビッド・ヴィニア氏は

「『25シグマの事象』が数日連続で起きるという不測の事態が当社のリスクモデルを襲った」

と語りました。そして同社のリスクモデルでは 7〜8シグマの市場はビッグバン以来 1度だけ起きた頻度だと説明しました。

これは起こりえないことが起きたのでなく、同社のリスク評価モデルが間違っていたとみるべきです。

リスクは確率や可能性で数値化できます。しかし

リスクが「恐れ」とつながると人の行動が変容します。 

「恐れ」つまり恐怖は脳の基本的な情動回路のひとつで、扁桃核を中心に形成されます。その多くは後天的に学習します。
 

 図5 2種類の確実性の幻想
図5 2種類の確実性の幻想


 

恐怖の内容を学習するメカニズムは以下の2つがあります。

  • 「社会的模倣」

自分が属する集団が恐れるものは恐れることです。

クリスマスキャンドルはドイツ人にはかかせないものです。しかしアメリカ人にとって火のついたローソクは火災の危険と背中合わせでとんでもないものです。そこでアメリカ人の多くはローソクを電飾に変えましたが、キャンドルの不注意による火災で死亡するドイツ人と、電飾の電灯による誤飲や感電で死亡するアメリカ人の数は同じでした。

遺伝子組み換え食品に対する姿勢や放射能に対する姿勢もアメリカとヨーロッパでは大きく異なり、ヨーロッパでは強い反対があります。これは自分が属する社会集団が恐れるものは自然と恐れるようになる例です。
 

  • 「生物学的準備性」

蛇におびえるサルのビデオを見せられた別のサルも、蛇を見ておびえるようになります。動物でも自分に危害を加える生き物の情報は他者に伝搬します。
 

現代社会の病理

安全な社会になればなるほど、病気や事故など危害を加える事象が減少し、遭遇する機会も減少します。些細な事件がクローズアップされて報道されると、社会に伝搬する不安や「恐れ」が広く共有されていきます。
 

アメリカで大うつ性障害になる若者は1920年代生まれで2%だったのに対し20世紀中盤生まれでは20%に増加しました。別の調査でも1930年代以降は、自己愛的、自己中心的、反社会的、不安、憂うつ感が強くなっていると判っています。

一方、第二次世界大戦、冷戦の時期、労働争議の60年代、学生運動の70年代など社会が不安定な時期はうつ病の発症率は低い傾向にあります。

リスクに対する誤った判断とマスコミの功罪では、BSE(狂牛病)騒動や O157騒動は記憶に新しいのではないでしょうか。
 

直感は誤った判断を誘発する

直感、つまり主観に頼った判断は、人によっては大きな判断ミスを引き起こします。なぜなら、人は自信過剰で楽観的に考えるからです。
 

自信過剰と視野狭窄

人は主観的な視点にとらわれ、良い点ばかりに目を向けて現状認識が楽観的に陥ることがあります。
それは3つの幻想があるためです。

  • 自分は人より能力が高いという幻想

80%以上の人が自分の運転技術は上位50%以上に入ると回答しています。

  • 楽観主義の幻想

自分の未来が他人より明るいと考えます。

  • コントロールの幻想

コントロールできない確率的な事象をコントロールできるように思ってしまいます。例 ファンドマネジャー

カリフォルニア大学のキャメロン・アンダーソン、ギァビィン・キルダフは知らない学生同士を集めて4人のグループをつくり数学問題を解く実験を行いました。グループのやり取りをビデオに録画し、それをメンバーに見せて誰がリーダーにふさわしいか判定させました。リーダーに選ばれたのは数学の力でなく、支配的な人でした。支配的な人は自信のある態度を取るため、他のメンバーは彼を信頼し従おうとしました。
 

アンカリング

特定の情報、特徴に基づいて考え始め、それを元に結論に至る方法です。アンカーというバイアスが効いて、正しい答えから逸脱してしまいます。そしてアンカリングがあると、起こりうる事柄を十分に考慮しない視野狭窄(トンネルビジョン)に陥ってしまいます。人は自分が導き出した仮説から推論し、それに矛盾しないものだけを考慮の対象にしてしまい、間違っているかもしれないという可能性が考えられなくなるものです。従って最初に問題をどう捉えるかが、意思決定に大きく影響します。
 

つまり

  • その問題がどのように表現されて伝わったのか
  • それについてどのように感じたのか
  • その人がそれについてどれだけの事前知識があるのか

これによって意思決定が変わります。
 

視野狭窄(トンネルビジョン)を避けるためには

  1. 様々な他の選択肢を考える、複数のシナリオを考える
  2. 自分と異なる意見を積極的に探す
  3. 意思決定の背後にある理論的な根拠を記録し、後で振り返る
  4. 平常心でない場合は重要な意思決定は行わない
  5. インセンティブの影響を理解する(金銭、地位、名誉は誤った決定を導く)

などを考えると良いでしょう。

 

集団の均一性

集合知の正確性「みんなの言っていることはなんとなく正しい」と思うことはないでしょうか。牛の体重当てコンテストでは、専門家の推定よりも多くの人の投票結果の平均値の方が正確でした。ただしこれは多くの人が互いに話し合わず独立して予想した場合です。

参加者が自分の頭で考えず、他人の考えやメディアの情報を信用すると、多くの人が同じ値を予測するようになりました。つまり多様性が喪失してしまったのです。ブームや流行が起こったのも、他人の考えやメディアの情報を信用し多くの人が同じ考えを持ったためです。
 

こういった状況の影響力を回避するには以下のような方法があります。

  • 状況を考慮

他人の判断は組織の影響など状況の影響を受けていないか注意する

  • 「横並びの強制力」に注意

「無意識のうちに」同業者のまねをしてしまう傾向がある

  • 惰性を回避

組織は往々にして凝り固まった手順を踏襲する

医療機関、取締役会、裁判所など、いずれも意思決定は社会的な行為です。そのためプライミング効果、デフォルト、感情などの周囲に影響されます。
 

結果が予測できない場合

相互作用の多いシステムでは一部を変更した影響が予期しない結果を引き起こすことがあります。
 

1800年代イエローストーン国立公園で ヘラジカがハンターに殺されるのを見て、ヘラジカの餌を増やしました。公園内の野生動物を増やして公園内の生態系を蘇 生させるためです。しかし、増えすぎたヘラジカは植物を食べ尽くし、土壌浸食が 発生しました。木が減ったためビーバー がダムをつくれずに減少し、ダムがなくなり、川の水質が悪化しました。

こうしたエサ不足でヘラジカが大量死したのを人はオオカミのせいと思い込み、オオカミを殺戮し、公園内のオオカミは絶滅、さらに状況はさらに悪化しました。
 

図 6 ヘラジカ(Wikipediaより)
図6 ヘラジカ(Wikipediaより)

日本でも、風が吹けば桶屋が儲かるという格言があります(桶屋が儲かる仕組みを知っていますか?)。複雑な状況では意思決定の結果から起こることが容易にはわかりません。様々な状況を考慮して、総合的に判断する必要があります。
 

図7 風が吹けば桶屋が儲かる
図7 風が吹けば桶屋が儲かる


 

平均回帰とハロー効果

平均回帰

平均回帰とは、特別なことが起こるとこれを打ち消すような反対の出来事が起きることです。統計学では、「ある事象を何度も独立させて繰り返して行うと、相対頻度が理論的な確率に近づいていく」という「大数の法則」があります。

簡単に言えばいいことの後には悪いことが起こる

ということです。
 

スポーツ界の2年目のジンクスは、1年目に大活躍をした新人選手が2年目には成績が落ちることです。いろいろ理由が言われていますが、統計的には平均回帰であり、当たり前のことです。

心理学者ダニエル・カーネマンは、イスラエル空軍の操縦指導教官のトレーニング技術を指導した際、指導教官に「もっとパイロットをほめるべき」と助言しました。

これに対し指導教官は「パイロットはうまくいったと褒めると、次の飛行ではうまく飛べず、へたくそと罵倒した後はもっとうまくできる」と主張しました。この指導教官の過ちは</color=”red”>平均回帰を理解していなかったことでした。うまくいった後にへたくそだったのは、単に平均に回帰しただけで、ほめたことは無関係だったのです。
 

ハロー効果

ハロー効果とは、一般的な印象に基づいて特定のことを結論づけてしまうことです。

ある企業が良い業績を出していると「正しい戦略、ビジョンのあるリーダー、活気あふれる企業文化」と称賛されます。しかし翌年は業績が平均回帰によって大きく低下します。戦略もリーダーも企業文化も何一つ変わっていないというのに。
 

多くのシステムは複雑で、結果は運と実力の影響が混在しています。チェスや囲碁は実力があれば勝つことができ、運の影響は少ないですが、中には実力があっても勝てないゲームがあります。

これは故意に負けることができるかどうかで判断できます。例えば、ルーレットやスロットなどのギャンブルは完全に運が支配するゲームです。なぜならわざと負けることはできないからです。

では投資についてはどうでしょうか? S&P500種指数を上回るポートフォリオを構成するのはとても難しいことはわかります。逆に大幅に下回るポートフォリオをつくるのもとても難しいのです。

しかし、そのことに多くの人は気づいていません。

 

想定していないものは見えない

2001年2月9日原子力潜水艦グリーンヴィル号の艦⻑スコット・ワドルは潜望鏡で付近を確認しました。「船は何も見えなかった」、「ほかの船がいることは予想も期待もしていなかった」と後に述べました。

そしてデモンストレーションのため艦は急速潜航した後、緊急浮上しました。潜水艦が船首から海に飛び出すように浮上すると、それと共に激しい衝撃が潜水艦を襲いました。漁業実習船えひめ丸に衝突した瞬間でした。最大の疑問は「なぜ潜望鏡で確認したのに見えなかったのか」に尽きるでしょう。
 

オートバイ事故の半数以上が別の乗り物との衝突で、そのうちの65%以上が直進するバイクと右折する車の事故です。なぜバイクが直進するのにドライバーは右折しようとするのでしょうか。

それはドライバーにはバイクが見えず、バイクが直進してくると予想しなかったからです。ドライバーにはオートバイの存在は想定外でした。そしてこういった事故を起こしたドライバーの中にバイクに乗ったことがあるドライバーは皆無でした。派手な色のウェアやヘッドライト点灯 もないよりはましですが、最も効果があるのはオートバイを車に似せることです。ヘッドライトの間隔を離せば注意をひきやすくなります。
 

図8 いわゆる「右直事故」
図8 いわゆる「右直事故」


 

直感による判断は正しいのか

日常生活での錯覚は、自分たちの能力を過大評価させ、自信を増大させます。人の思考プロセスは以下の2つがあります。

  1. 素早い反射的な思考
  2. ゆっくりとした内省的な思考

 

素早い反射的な思考は、見落としや錯覚を引き起こします。

ゆっくりとした内省的で高次の思考は、反射的な思考の見落としを見つけることができます。しかし適切な修正ができなければ結局問題が起きてしまいます。

人の話を鵜呑みにしたり、多くの人が常識と考えていることを無条件に信じることは間違った判断を引き起こす原因になります。
 

素早い反射的な思考、別名「直感」はこうささやきます。

「自分は十分に注意を行き届かせることができる、

自分の記憶は詳細で正確、自分はものごとをよく知っている、

自信のある人は能力がある、

偶然や相関関係には因果関係がある、

自分は脳の10%しか使っておらず大きな可能性に満ちている…」

こうした直感は全て間違っているのです。
 

経営者が直感に従った具体例

モトローラの首脳陣は衛星電話ビジネス「イリジウム計画」を画策しました。地球上に 64 基の人工衛星を打ち上げ、地球上のどこにいても通話が可能になります。ただし 1 台 3,000 ドルの端末と1分3ドルの通話料を払えば。

プロジェクトは 1 年で崩壊し、50 億ドル近い損失が残りました。
 

注記)
現在、衛星インターネットは複数の会社が提供しています。通信の遅れなど問題はあるものの、広まりつつあります。直感が正しいかどうか、それはその事業をいつ行うのか、その時の技術的、社会的なバックグラウンドはどうかによって大きく変わります。
 

参考文献

「なぜ直感のほうが上手くいくのか?」ゲルト・ギーゲレンツァー著  インターシフト
「賢く決めるリスク思考」ゲルト・ギーゲレンツァー著 インターシフト
「まさか!? 自身がある人ほど陥る意思決定の 8つの罠」マイケル・J・モーブッサン著 ダイヤモンド社
「しらずしらず」レナード・ムロディナウ著 ダイヤモンド社
「錯覚の科学」クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ著  文藝春秋

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経営と会計 固定費の役割と設備投資のリスク 〜低成⻑時代の設備投資を考える〜 https://ilink-corp.co.jp/8140.html https://ilink-corp.co.jp/8140.html#respond Thu, 10 Nov 2022 11:36:29 +0000 https://ilink-corp.co.jp/?p=8140
【コラムの概要】

アベノミクスは設備投資で景気回復を図ったが、多くは既存設備維持・更新で新規投資は低調だった。人口減の日本で経済成長には一人あたりGDP増が不可欠。売上増が見込めないと企業は投資を控えるため、市場拡大に依存しない新たな経営戦略が必要だ。

設備投資は、しばしば「景気のエンジン」に例えられます。このエンジンに火が付き、設備投資が次々に行われ始めると、これらが「現在の需要」となって景気が上向きます。設備投資が蓄積されると、積み上がった資本ストックが「将来の生産能力の増強」となって、供給力を押し上げます。つまり設備投資には需要面と供給面の2つの顔があります。

第二次安倍政権の経済政策「アベノミクス」は、この設備投資にスポットライトを当てました。発表された「日本再興戦略」の中には、2012年度に約63兆円だった設備投資を、3年間でリーマン・ショック前の70兆円規模へ回復させることが盛り込まれています。そこには20年間続いた経済の停滞から抜け出すには、設備投資の復活が不可欠という強い想いが込められました。その結果、どうなったでしょうか。日本は停滞から脱したでしょうか。
 

この3年後の2015年度の設備投資は70.1兆円(2016年7〜9月期のGDP1次速報公表時点)目標を達成しました。しかしこの設備投資は盛り上がりを欠き、停滞感が残るという声が後を絶ちませんでした。

それは70兆円の設備投資の大半が、新しいビジネスを興すためよりも、既存設備の維持補修や設備更新のためだったからです。
なぜ企業は新しい事業に設備投資をしなかったのでしょうか。設備投資は経営にどのような影響を及ぼすのでしょうか。設備投資の本質について考えました。
 

経済成⻑と設備投資

そもそも経済成長(GDPの増加)とはどのようなものでしょうか。
 

経済成⻑とは

国の経済規模(国内総生産:GDP)は、一人当たりのGDP×人口で表されます。経済成⻑が「GDPが拡大すること」と考えると、「人口が増える」、「一人当たりのGDPが増える」いずれかがあればGDPは増加します。

実はGDP世界第3位の日本も一人当たりの名目GDPは世界第27位(2014年)、アメリカは第7位、中国は第62位です。つまり人口が多いことが経済大国の基盤を維持しているのです。
 

図1 世界の一人当たりのGDP ランキング(出典:IMF - World Economic Outlook Databases (2022年10月版))
図1 世界の一人当たりのGDP ランキング(出典:IMF – World Economic Outlook Databases (2022年10月版))


 

先進国は人口減少の局面にあり、2019年10月1日の日本の総人口は1億2616万7千人で,前年に比べ27万6千人(0.22%)減少しました。人口から見れば、日本のGDPは毎年0.2%ずつ減少することとなります。経済成⻑するには一人当たりのGDPの増加が不可欠です。これは個人では賃上げにほかなりません。
 

図2 主要5か国の名目GDPの推移(出典:内閣府ホームページより)
図2 主要5か国の名目GDPの推移(出典:内閣府ホームページより)


 

企業の成⻑

企業が賃上げするには、収益力向上が不可欠です。一方、企業の売上は「単価×数」で表すことができます。従って収益力を高めるには

  • 新しい商品やサービスをつくり今より高く売る
  • 新しい商品やサービスで新たな市場をつくり数を増やす
  • 既存の市場でより多く買ってもらう、あるいは他社の市場を奪う

この3つしかありません。

高度成⻑期は、技術⾰新により新たな製品が生まれました。新製品は今までの製品がより安く、多くの人が買えるようになりました。企業の売上は増加し、企業は設備投資や採用を行って、事業規模を拡大させました。加えてバブル期には土地の値上りによりお金が市場に溢れ、そのお金が設備投資や、人々の購買に回って、市場が拡大しました。ところが、その後バブルが崩壊すると……。
 

低成⻑時代の課題

バブル崩壊により大幅な信用収縮が起きました。市場のお金が縮小し、設備投資も減少しました。設備投資が進まないことで国内の労働生産性が上がらず、賃金も上がらなくなりました。その結果、消費が低迷しました。賃金が上がらない理由として他にも

  • 企業が海外に進出し、資金を海外投資に振り向けた
  • 株式のグローバル化により高い配当性向を求められ、賃上げの原資が減少

などが挙げられます。
 

日本はかつて輸出大国でした。しかし多額の貿易⿊字に対する他国の批判もあって内需拡大に努めた結果、GDPに占める輸出比率は16.1%(2017年)です。これはドイツ46.1%、フランス29.3%、イタリア29.8%、韓国42.2%、台湾59.5%、中国19.6%に比べて低く、アメリカですら11.9%です。

内需型の経済構造の国で、賃金が上がらなければ消費は低迷します。企業が賃金を上げないことに対し、国は補助金等を使って、中小企業にも賃金を挙げさせるように促しています。
 

固定費の役割と設備投資

設備投資すれば企業の固定資産が増えます。この固定資産の増加は企業の事業構造にどのような影響があるのでしょうか。
 

変動費と固定費

企業の費用は変動費と固定費に分けられます。

  • 変動費

売上がゼロの時はゼロ、売上の増加に伴い増加する費用
例 原材料費

  • 固定費

売上にかかわらず一定額発生する費用
例 家賃

実際は売上がゼロの時も一定額発生し、売上が増加すれば増加する費用が多いです。これらは便宜的に固定費とみなします。
大きく分けると

【変動費】原材料費
【固定費】建物、設備、人件費、その他の経費

つまり原材料費以外は固定費と考えられます。
 

固定費の役割

固定費は企業そのもので、この固定費の大きさで売上金額が決まります。売上を上げるには、固定費の増加、つまり設備投資や人材採用などを行います。

一方、売上が減少した場合、固定費が大きければたとえ売上の減少が少なくても赤字になります。この時、企業が固定費の削減を検討します。しかしこれは会社を小さくすることに他なりません。

複数の事業があれば、赤字の事業をやめます。これは工場や設備を売却する、従業員のリストラを行うなどが考えられます。
その結果、固定費の削減は自社の生み出す付加価値を減らし、それによってさらに利益を減らします。つまり固定費の削減と付加価値の向上は矛盾するのです。

固定費の削減


 

一方、事業によって固定費の比率の大きな事業(固定費型ビジネス)と、変動費の比率の大きな事業(変動費型ビジネス)があります。

固定費型ビジネス

製造業、航空、鉄道などの運輸、ホテル等宿泊業、スポーツクラブなど設備投資の大きな事業

  • 固定費型ビジネスは、売上が減少すれば大きな赤字になるのに対して、売上が増加すれば大きな利益が出る

 

変動費型ビジネス

小売、卸・商社など売上に比べて設備投資の少ない事業

  • 変動費型ビジネスは、売上が減少しても赤字になりにくい反面、売上が増加しても利益の増加は多くない

 

固定費の収益性の指標

企業の収益力、売上高営業利益率

売上高営業利益率


 

自社の売上高営業利益率の推移を見れば、自社の収益力の変化が分かります。ただし固定費型、変動費型ビジネスによって、事業の収益力が異なるので、事業が異なる企業とは単純に比較はできません。

事業の規模に対する収益力、総資本経常利益率

総資本経常利益率


 

総資本は、建物、設備、ソフトなど固定資産、原材料や商品などの在庫、現預金などの合計で、企業の大きさを示します。これを同じ事業の他社と比較すれば、自社の固定費の稼ぐ力が分かります。表1に2016年の業種ごとの値を示します。

表1 業種ごとの総資本経常利益率など
業種大分類総資本経常利益率売上高経常利益率総資本回転率
建設業1.51.01.6
製造業2.11.81.2
情報通信業2.91.71.7
運輸業2.11.41.4
卸売業1.50.81.6
小売業0.70.41.7
不動産業1.64.40.2
飲食・宿泊業0.80.51.5
サービス業2.31.61.4
(出典:中小企業庁ホームページより)


 

この表から小売・卸売業は固定費が少ない反面、自社が生み出す付加価値が少ないため、利益率が低く薄利多売です。一方、総資本回転率が低く、少ない資本で大きな売上を上げて、薄利をカバーしています。仕入れた商品を短期間で入れ替えるため、総資本回転率が高くなります。
 

設備投資の回収リスク

一方、設備投資、すなわち固定費の増加は、売上減少に対し赤字の危険が増大します。

一度設備投資を行うと、やめるのは困難で、設備を売却しても入ってくるお金は多くありません。売上拡大に伴って設備投資を行う場合、設備投資の回収を計算して慎重に意思決定するようにします。
 

設備投資の回収

この設備投資に使ったお金は、事業から入ってくるお金で回収します。
例えば1,000万円の設備投資をすると1,000万円のお金がその年に出ていきます。ところが決算書に費用として計上されるのは減価償却費のみです。

減価償却費とは、購入金額を法定耐用年数で割ったものです。例えば定額法、法定耐用年数が10年の場合、1,000万円の設備の減価償却費は年間100万円になります。

2年目は設備の購入はすでに終わっているので、お金は出ていきません。しかし減価償却費として100万円が費用計上されます。そのため100万円お金が残ります。このお金が設備投資の回収となります。つまり設備投資の回収期間は法定耐用年数と同じになります。

この減価償却には毎年一定額を償却する定額法と、毎年一定率で償却する定率法があります。定率法の場合は設備投資初期の償却金額がもっと高くなります。
 

法定耐用年数は、税法で定められた設備の耐用年数です。これは実際の設備の耐用年数と異なることがあります。

減価償却の本来の意味は耐用年数の間の設備の劣化(価値の損耗)で、そのため、本当は購入費用を本当の耐用年数で割った金額であるべきです。ここではこれを「実際の償却費」と呼びます。1,000万円の設備を実際は10年使う場合、実際の償却費は100万円になります。

実際の耐用年数が10年の設備は、10年間使用し、その間に当初計画した売上があれば、設備投資のお金は回収できます。一方、固定費の増加は売り上げ減少の際、赤字になるリスクが高くなるため、より短い期間に設備投資を回収したいところです。その場合は実際の償却費に加えてそれぞれの製品から得られる利益も設備投資の回収に含めます。

表2 に1,000万円の設備を投資して、年間売上3,000万円、利益100万円の場合の設備投資の回収を示します。
 

表2 設備投資の回収   単位 : 万円
 1年目2年目5年目10年目合計
売上3,0003,0003,0003,000 
変動費1,3001,3001,3001,300 
固定費1,6001,6001,6001,600 
利益1001001001001,000
償却費1001001001001,000
入るお金2002002002002,000
設備投資回収2004001,000  

 

年間で会社に残るお金は、利益100万円と償却費100万円の合計200万円です。従って償却費に合わせて利益も投資の回収に回せば、5年で設備投資は回収できます。
事業の先行きが不透明なため、もっと短期間で回収したい場合は利益を増やします。つまり売価を上げるか、原価を下げます。例えば売価を挙げて年間の売上を3,200万円にすれば、利益は300万円になります。

表3 にこの場合の設備投資の回収期間を示します。
 

表3 より短期間に回収する場合  単位 : 万円
 1年目2年目3年目10年目合計
売上3,2003,2003,2003,200 
変動費1,3001,3001,3001,300 
固定費1,6001,6001,6001,600 
利益3003003003003,000
償却費1001001001001,000
入るお金4004004004004,000
設備投資回収4008001,200  

 

この場合、年間に入るお金は400万円になり、3年間で設備投資は回収できます。高度成⻑期のように売上が右肩上がりに上昇している場合、売上の増加に伴い変動費(原材料費)が上昇しますが、固定費は変わらないため年々利益が増加します。

表4に売上が2%/年で増加した場合を示します。
 

表4 売上が右肩上がりに増加した場合の設備投資の回収  単位 : 万円
 1年目2年目5年目10年目合計
売上3,0003,0603,2403,580 
変動費1,3001,3301,4201,570 
固定費1,6001,6001,6001,600 
利益1001302204102,450
償却費1001001001001,000
入るお金2002303205103,450
設備投資回収2004301,300  

 

売上が2%/年で増加すれば5年後には利益は220万円と2倍以上になります。入るお金も増加し、設備投資の回収は4年でほぼ完了します。
 

設備投資資金を借入した場合

設備投資資金を借入した場合、借入金の返済期間が設備の耐用年数より短い場合(大抵はそうなりますが)返済期間中は資金が不足します。

表5に設備投資の回収に借入金の返済を加えたものを示します。
 

表5 借入金の返済も含めた設備投資の回収  単位 : 万円
 1年目2年目5年目10年目合計
売上3,0003,0003,0003,000 
変動費1,3001,3001,3001,300 
固定費1,6001,6001,6001,600 
利益1001001001001,000
法人税▲40▲40▲40▲40 
税引後利益60606060600
償却費1001001001001,000
入るお金1601601601601,600
返済金額▲210▲210▲210  
残るお金▲50▲50▲50160550

 

借入金の返済は法人税を引かれた後の利益で行うため、利益から法人税を計算します。(ここで実効税率を40%とする。)
その結果、税引き後の利益は60万円で償却費と併せて160万円のお金が毎期残ります。

対して借入金の返済は210万円なので、毎年50万円の現金が不足します。この分は他の設備の利益で補填しなければなりません。

自己資本が十分でなく資金を借入して設備投資を行う場合、借入金の返済期間中は設備が生み出すお金が場合によっては返済のために不足します。しかし高度成⻑期のように市場が右肩上がりに拡大していれば、年々利益は増加するため資金に余裕が生まれます。
 

経営の教科書には「設備投資資金は⻑期借入金で行う」と書かれていますが、実際は借入金の返済期間より設備の耐用年数の方が⻑いことが多いです。

「新・ほんとうわかる経営分析」の中で高田直芳氏は以下のように述べています。

  1. 初期投資(いわゆる頭金)は、自己資本で賄うこと
  2. 初年度の調達資金のうち、他人資本によるものは極力抑えること
  3. 当該固定資産の稼働によって、高収益の製品の製造・販売が期待できること
  4. 当該固定資産から生産される製品以外にも、収益性の高い製品を扱う事業を抱えていること

これは言い方を変えれば「将来において企業にもたらされる内部留保を上回る設備投資は行わないこと」ということです。
 

右肩下がりの場合

売上が右肩上がりの場合、年々利益が増加し、設備投資の回収は容易になります。逆に売上が年々右肩下がりの場合、設備投資の回収が難しくなります。

表6に売上が2%/年減少する場合の設備投資の回収を示します。
 

表6 売上が2%/年減少する場合の設備投資の回収  単位 : 万円
 1年目2年目5年目10年目合計
売上3,0002,9402,7602,500 
変動費1,3001,2701,2001,100 
固定費1,6001,6001,6001,600 
利益10070▲40▲200▲530
法人税▲40▲3000 
税引後利益6040▲40▲200▲620
償却費1001001001001,000
入るお金16014060▲100380
返済金額▲210▲210▲210  
残るお金▲50▲70▲150▲100▲670

 

売上が減少するとともに変動費も減少します。しかし固定費は変わらないため利益は年々減少し4年目でゼロ、5年目から赤字になります。10年間の利益合計も赤字で、当然設備投資の回収はできません。

売上減少は販売数の減少になります。販売数は同じでも毎年コストダウンを強要され、利益率が低下しても同様となります。

表7に1%/年受注価格が減少する例を示します。
 

表7  1%/年で受注価格が減少する場合  単位 : 万円
 1年目2年目5年目10年目合計
売上3,0002,9702,8802,730 
変動費1,3001,3001,3001,300 
固定費1,6001,6001,6001,600 
利益10070▲20▲170▲350
法人税▲40▲300  
税引後利益6040▲20▲170▲440
償却費1001001001001,000
入るお金16014080▲70560
返済金額▲210▲210▲210  
残るお金▲50▲70▲130▲70▲490

 

受注価格が減少する場合、変動費は変わらないため利益はより顕著に減少します。市場が縮小し売上が減少する局面では、利益が年々減少するため、設備投資の回収は⻑期化します。

資金を借入している場合、返済期間中は資金不足がより顕著になり、売上の減少が⻑期的に続けば設備投資の回収自体が困難になります。

これは受注価格が減少しても同様です。あるいは市場が縮小し、さらにコストダウンを強要され受注価格が減少すれば、その影響はさらに顕著になります。このような環境にある場合、設備投資は難しく、これが日本の設備投資が低調な原因の一つになっているのではないでしょうか。
 

市場が急拡大する場合

例えば、スマートフォンやデジタルカメラのような全く新しい製品が開発され、その市場が急激に拡大する場合、需要は急激に増加し、それに応えるために企業は次々と設備投資をします。どんどん設備が増設されれば、多くの設備が工場全体の固定費を負担するため、設備1台当たりの固定費は減少し、利益は増加します。

表8 に設備を毎年増設した場合の設備投資の回収を示します。
 

表8 設備を毎年増設した場合の設備投資の回収  単位 : 万円
 1年目2年目3年目合計
売上3,0003,0003,000 
変動費1,3001,3001,300 
固定費1,6001,4001,200 
利益100300500900
償却費100100100 
入るお金2004006001,200
  2台目増設3台目増設 

 

2年目に2台目、3年目に3台目が増設されたことで、固定費が減少し、利益は増加しました。その結果、設備投資は3年で回収されました。

市場が急激に拡大する局面では、市場の拡大に合わせて十分な供給ができないと競合に市場シェアを奪われます。そうならないようにするためには積極的に設備投資を行います。
市場が拡大する局面では売上が増加し、固定費の負担が減少するため利益は増加します。

その結果、設備投資の回収も短くなります。一方借入で設備投資を行う場合、当初は固定費の負担が大きく利益が少ないため資金が不足します。その分の資金を手当てする必要があります。
 

成⻑の限界とこれからの経営

経済学の教科書には「設備投資が次々に行われ始めると、これらが現在の需要となって景気を押し上げる」と書かれています。これは「供給量を増やせば需要が増える」という意味に取れます。はたして本当でしょうか。
 

今までの検討から明らかなように、売上が増えなければ、設備投資の回収リスクは高くなり、企業は設備投資を控えます。加えて設備投資の資金を借入する場合、資金不足の問題も発生します。また、設備投資を抑えれば生産性は向上しませんが、かといって同じ設備を増強しても効率は変わりません。技術的に進歩した新しい設備を導入すれば生産性が大きく向上するならば企業は積極的に設備投資を行うはずです。
 

経済学は、

「景気回復局面では、在庫が減少し需要が増加します。その結果、企業が設備投資を行うことで景気が回復する」

といいます。実際は需要が増加する見込がない場合、企業は設備投資を行いません。それを国は無理に補助金を投入して中小企業に設備投資を行わせようとしているのではないでしょうか。

新しい製品、事業が立ち上がれば新たな需要が生まれて企業は設備投資を行います。あるいは新興国のように今まで買えなかった人たちが収入の増加に伴い買うことができるようになれば、新たな市場が生まれます。しかしいずれ世界の人口増加が止まれば、新たな市場も生まれなくなります。
 

図3 世界人口の推移予測
図3 世界人口の推移予測


 

世界の人口は2030年から2080年には頭打ちになるという予測があります。また現在の人口すべてに先進国と同様に商品やエネルギーを供給できないという地球環境の制約があります。市場の拡大に依存した設備投資、事業規模の拡大はいずれ壁にぶつかるのではないでしょうか。
 

参考文献

「企業の投資戦略に関する研究会−イノベーションに向けて−」財務省報告書
「新・ほんとうにわかる経営分析」高田直芳 著 ダイヤモンド社_
 

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製品別の原価計算や見積金額など製造業の経営者や管理者が感じる「現場のお金」の疑問についてわかりやすく解説した本です。

書籍「中小企業・小規模企業のための個別製造原価の手引書」【基礎編】【実践編】
経営コラム「原価計算と見積の基礎」を書籍化、中小企業が自ら原価を計算する時の手引書として分かりやすく解説しました。
【基礎編】アワーレートや間接費、販管費の計算など原価計算の基本
【実践編】具体的なモデルでロットの違い、多台持ちなど実務で起きる原価の違いや損失を解説

セミナー

アワーレートの計算から人と設備の費用、間接費など原価計算の基本を変わりやすく学ぶセミナーです。人件費・電気代が上昇した場合の値上げ金額もわかります。
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