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「労働生産性向上と人材教育 その2」 ~企業が業績を高めるために必要な人材の確保と教育とは?~
低成長が続く日本は、再び成長するためには労働生産性を高めなければならないと言われています。
そのため、国も労働生産性を高めるべく様々な努力をしています。
では労働生産性が高まればGDPを増加するのでしょうか?
これについては、「労働生産性向上と人材教育 その1 ~労働生産性とは?マクロとミクロの視点~」で、内閣情報調査室 前田氏の「TFP(全要素生産性)に関する一試論」を説明しました。
これによれば労働生産性が向上すれば、国全体ではTFP(全要素生産性)の増加として現れます。しかしTFPが増加しても、需要が増えなければGDPは増加しないのです。
そして日本は需要を増やすことが難しくなっています。それは以下の理由からです。
市場が縮小
日本のGDPの75%は国内の民間消費だからです。
日本は民間需要(国内需要)が73.1%、公的支出が26.0%、輸出から輸入を引いた外需は0.9%しかありません。
注)以下の通り計算して作成
民間 (公的) の消費と投資 =
民間 (政府) 最終消費支出 + 総固定資本形成 民間 (公的) + 在庫変動 民間 (公的)
この民間需要、特に個人消費は、ほとんど増加していません。図は家計消費の成長率を示しています。
これを見ると2014年の消費税増税8%、2019年の消費税増税10%で個人消費を大きく落ち込みました。
高齢化でさらに縮小
日本の場合、問題は人口の減少以上に年齢構成の変化していることです。65歳以上の高齢者が増加し、高齢化比率が急速に高まっています。
消費者として考えると、高齢者が増加し年金生活者の割合が増えればれば、消費はさらに減少します。なぜなら年金生活者は節約志向が強くなるからです。
年金生活者の強い節約志向
年金生活は収入が増える見込みはありません。そのため貯えがあっても、将来貯えが尽きる不安から積極的に消費しません。
そうして80代になると今度は活動範囲が狭くなります。消費する機会が減少します。
日本人はセロトニン(トランスポーター遺伝子S型)という不安遺伝子の保有率が82.25%と世界一高い民族です。(アジア人の平均は70~80%です)
対してヨーロッパ人の不安遺伝子の保有率は40~45%です。それもあって年金も貯えも全部使い切って人生を満喫して一生を終える人も多くいます。しかし多くの日本人には、このイタリアの陽気な老婦人のような暮らし方は無理です。
結局、団塊の世代が引退した2017年以降、期待されたシニア消費の波はやってきませんでした。
不安遺伝子は若者消費にも影響
この不安遺伝子のため、若者もお金を使わなくなっています。
非正規雇用が増え、正社員の賃金上昇も低く、将来収入が増え豊かになると実感できません。しかも少子高齢化の加速は、年金制度への不安となり、貯蓄志向を高めます。その結果、総務省「全国消費実態調査」によれば、30代未満の単身所得世代の平均貯蓄額は、男性が1989年の138万円から190万円、女性が132万円から149万円に増加しました。
国が将来も不安のない年金制度を構築し、企業は社員に安定した賃上げを続ければ、若者の消費は増え、GDPは増加するのでしょうか?
問題はGDPの増加にはTFPの増加が必要です。TFPが増加するためにはイノベーション(技術の進歩)が必要です。ところが企業がイノベーションを生みにくくなっているのです。
不安遺伝子が強く、高齢化で節約志向が高まる日本は、そのままでは消費は伸びず、経済は縮小してしまいます。
企業自身も高齢化
それは企業の従業員の高齢化比率が上昇することで、企業自身も高齢化するからです。
東京商工リサーチの2013年の調査結果によると、上場企業2318社の従業員の平均年齢は40.2歳です。年齢分布が均等であれば、企業の中堅社員は30~50代、60代でも戦力です。中間管理職が実務を担う「名ばかり管理職化」が多くの企業で進んでいます。今では管理業務のみ行う管理職はわずかで、大半が実務を行っています。
この社員の年齢の上昇は、企業に以下のような影響を与えます。
① リスクを取らない
新事業、新製品は失敗のリスクが伴います。失敗して経歴に傷がつき社内の立場が悪くなることを考えれば、リスクを取って新技術・新製品に取組むよりも、取り組まない方がメリットは大きいと考えます。そのためリスクがあるようなプロジェクトは様々な理由を挙げて反対します。
② 新しい価値観、手法を受け入れない
中高年社員にとって、これまでの経験や価値観はアイデンティティの一部です。新しい考え方や価値観、技術や手法はそれを否定するものです。そのため受け入れがたいのです。
③ 決定を先延ばしにする
事業活動では、時には時間が成否を決定します。有望な事業でも決定が遅れれば失敗することもあります。しかし彼らは経験があるために、いろいろと不安な点に気が付きます。そのため決定を先送りにします。一方海外の積極的な企業は、早く取組んで早く結果を出すことを重視します。ダメなら早く修正して完成度を高めれればよいのです。
失敗の責任は問わない
アマゾンのジェフ・ペゾズは、早く実験し、早く結果を出すことを常に部下に求めます。だから失敗しても担当者は責任を問われません。
1日で新規事業が決済
中国のIT企業テンセントは、朝4時30分にオーナーの馬氏が思いついたアイデアをメールすると、10時にCEO、10時30分に副社長が意見を述べ、12時には本部長が決済します。15時には企画書が完成し、22時にはその製品の開発期間とリリース次期が馬氏に報告されます。24時間以内に新事業のプロジェクトが走り出します。
グローバル企業と競争するには、このような目まぐるしいスピードで意思決定が求められます。高齢化した日本企業がこのようなスピードに対抗できるでしょうか。
実はアマゾンやテンセントのようなIT企業が成長しても、かつてのようなGDPの成長は来ないのです。
企業が高齢化し、イノベーションが起こせなくなった日本では、従来の企業に代わるスピード感のある企業が必要なのです。
むしろ今までの100年間が特別な期間だった
なぜならこれま出が異常だったからです。
ロバート・ゴードンは著書「アメリカ経済 成長の終焉」で「1870年からの100年がむしろ特別な期間だった」と述べています。
この100年の間、蒸気機関、電気、内燃機関、電気通信、化学工業など多くの革新的な技術が実用化され、生産性は急速に向上しました。しかし、「このような劇的な生産性向上はもう起きない」とゴードンは考えます。
その一方、ムーアの法則に従えば、半導体の進歩はこれからも続きます。情報通信技術の革新スピードは持続します。しかし情報通信技術はこれまでの産業のような雇用や消費の増大をもたらしません。グーグルの検索エンジンは、グーグルを時価総額2兆ドル(300兆円!)の企業に押し上げました。しかしグーグルの社員はたった10万人です。鉄鋼、造船、自動車、電気などのかつての産業に比べはるかに少ない雇用です。
つまりイノベーションを起こし、労働生産性を高めても、かつてのようなGDPの成長は望めないのです。
GDPは今の経済活動を表していない
そもそも経済の金銭消費のみを対象とするGDPは現在の価値を適切に表していないという考えもあります。
個人がSNSで挙げた情報は多くの人に有益な情報を提供しています。動画に投稿したダンスや音楽は、多くの人を楽しませています。しかし、そこに金銭が介在しないためGDPには何ら影響しません。ボランティアによる社会貢献活動が社会にプラスの価値を提供しても、GDPには影響がないのです。
しかしこういった活動がある社会とない社会では、暮らしやすさ、豊かさが全然違います。
その点で、日本のサービス業も優れたサービスがお金に十分に変わっていない分野です。
サービス業だから生産性が低い
日本の労働生産性が低いことについて、特にサービス業の労働生産性の低さが指摘されています。国もサービス業の生産性向上を課題としています。
サービス業の平均年収は飲食業108万円、理容・美容業125万円しかありません。業務を改善し、時間当たりのサービスを増やせば、サービス業の労働生産性は向上するのでしょうか。
効率化では労働生産性は上がらない
経営コラム「労働生産性向上と人材教育 その1 ~労働生産性とは?マクロとミクロの視点~」で計算したように、単に時間当たりの出来高を増やしても付加価値は増えません。
付加価値を増やすには、生産性を高めるだけでなく、販売量を増やすか、値上げが必要だからです。
しかし市場が縮小する日本は、販売量を増やすのは困難です。いくら割引を宣伝をしても床屋さんに行く回数は2倍になりません。そうなると値上しかありません。しかし高齢者の比率が高ければそれも難しいのです。高齢者は節約志向が高く、値上げすれば、安いところに変わってしまいます。
医療・介護・福祉の分野はどうでしょうか。これらの分野は報酬を国が決めています。国が報酬を引き上げない限り付加価値は増えません。料金は国が払うため、どこを利用しても同じ費用なので差別化しにくい分野です。そこで労働生産性を上げるためには、今までと同じ仕事をより少ない人数で短時間にこなすしかありません。これでは現場は過酷になるばかりです。
では、付加価値を高める方法は他にないのでしょうか?
年間500種の新製品
工業製品の場合、独自の工夫をして他社と違うより良いものをつくれば他社より高くても売れます。付加価値は増大し労働生産性は向上します。
岐阜県の電設部品メーカー未来工業は、残業ゼロ、年間休日140日、加えて有給取得率も高い会社です。それでいて営業利益率は常に10%以上の優良企業です。
同社は「常に考える」をスローガンに掲げ、付加価値の高いアイデア製品づくりに努力しています。新製品は毎年500点以上出しています。これがどれほど大変な事か、製品開発に関わった人ならお判りいただけると思います。
労働生産性を高めるのは効率性の追求ではありません。より高く売れる商品やサービスをつくることです。それが少子高齢化で高くても良い商品が市場で受け入れられなくなっているのが問題なのです。
未来工業の製品の顧客は、電気工事会社です。彼らは使いやすい良いものがあれば高く買ってくれます。では一般の消費者に提供する製品やサービスはどうすればよいでしょうか。
ヒントは時計です。世界の時計のシェアはスイスが50%を占めています。その多くがロレックスやカルティエなどの高級時計メーカーです。高額な時計は高い付加価値を生み、スイスの労働生産性を高めています。
サービス業も富裕層向けの商品やサービスを充実すればより高い付加価値を生むことができます。
労働生産性を高めるのは効率性を追求し勤勉に働くことではありません。
そもそも日本人は昔から勤勉だったわけではありません。昔の日本人は働かなかったのです。
昔の日本人は働かなかった
江戸時代まで、日本人には労働と日常の区別がありませんでした。時間の単位は1刻(およそ2時間)、しかも不定時法のため、夏と冬で1刻の長さが変わりました。「いつまでに、どれだけの仕事をしなければならない」というのはなかったのです。1859年に来日した駐日スイス領事ルドルフ・リンダウは、火鉢の周りでおしゃべりをしながらだらだらと過ごす日本人を見て「矯正不可能な怠惰」と言いました。
その日本も工場は西洋式の「テイラーの科学的管理方法」を導入し、効率性を追求しています。オフィスでも時間にしばられて働いています。時間に対し自分の裁量がないことが労働を苦痛なものにしています。ベルトコンベアーに沿って流れてくる製品に1分ごとに同じ作業を繰り返す仕事に喜びはありません。作業者の唯一の楽しみは、終業のベルが鳴って、この苦痛から解放されることです。
実は今の日本人の勤勉さは、和を重視する文化と集団の圧力によるものでした。だから個人の会社に対するエンゲージメント(組織への貢献意欲、愛着心)は高くありません。
エンゲージメントの低い現代の日本人
日本企業の社員は、長時間労働やサービス残業も厭わない「まじめで勤勉」というイメージが世界中で広まっています。実は仕事への充実感・達成感は高くないという結果が出ています。
アメリカの調査会社ギャラップ社の2017年の調査によれば、エンゲージメントの強い社員の割合が日本は6%で、139カ国中132位でした。同様にオランダの総合人材サービス ランスタッド社の2019年の調査でも、「仕事に対して満足」と回答した割合が日本は42%と、34カ国中最下位でした。逆に「仕事に不満」と回答した割合は21%で1位でした。
こうした原因について、ビジネス誌では以下の要因を挙げています。
- 賃金が上がっていない
- ルールが多すぎる
- 意思決定がスピードを欠きストレスになる
- 経営陣と現場とのコミュニケーション不足
- 多様性・柔軟性に乏しくワークライフバランスへの配慮に欠ける
- 業績評価で適切なフィードバックが行われていない
最もな感じがしますが、本当にそうでしょうか。上記の6項目を改善すれば、個人の組織に対する貢献意欲は高まるのでしょうか。
同じ仕事を続けることでやりがいを失う
これに対してマーケティング 評論家のルディー・和子氏は、なぜ日本人の貢献意欲が低いのか、これに対しユニークな意見を述べています。
それは「飽きるから」です。
実際、企業の業務はルーティン業務も多く、ホワイトカラーでも単調な業務をかなりの量こなさなければなりません。終身雇用制の元では社員は一生同じ会社に勤務します。組織内の移動も少なければ、何十年も同じ仕事をすることになります。その結果、仕事に飽きてしまいます。飽きたためにやりがいや充実感を感じなくなってしまうのです。
実際、アメリカでの過去10年間の生産性低下は、和子氏は離職率の低下を原因として挙げています。アメリカ人も同じ会社に留まって仕事に飽きると彼女は言います。日本も、異動による一時的な生産性低下が無視できないため、配置転換がとても少ない、あるいは全くない中小企業も多くあります。そのため入社してからひとつの部署に10年以上いる社員もいます。また仕事に飽きた若い社員は、転職してしまいます。
もし社員の貢献意欲が低い理由が、ビジネス書の指摘通りであれば、それを解決するには昇給や人事制度など様々な取り組みが必要です。しかし、ただ飽きてしまうのであれば、対策はもっと容易です。
移動すればいいのです。
一方上場企業は常に利益を出し続けるように株式市場から圧力を受けています。経営者は株価を持続的に上げなければならないのです。
イノベーションが起きない中、大企業が利益を増やすには
企業が高齢化し、新製品・新技術などに及び腰な時、付加価値を増やすにはどうしたらよいでしょうか。
具体的に売上は以下の式で計算されます。
売上=材料費+労務費+経費+利益
そこで付加価値を高めるために効果が高いのは、
- 労務費の削減
- 材料費の削減
の2つです。
労務費の削減
労務費を下げれば利益は増えます。しかし賃金は下げられないので、
賃金の高い中高年をリストラし若い社員と入れ替える
正社員から派遣社員に切り替え
などを行います。派遣社員にすれば生産量の変動に応じて人数を調整でき、労務費を変動費とすることができます。
材料費の削減
材料費(外部購入費用)を下げれば、利益は増えます。例えば自動車メーカーの場合、原価に占める外部購入費用の割合は80%もあります。工場の改善よりも購入部品の値下げの方が利益を増やす効果は高いのです。この購入部品には下請が製造する部品も含まれます。
労務費の削減や材料費の削減は、利益を上げるための王道です。しかしこれを継続してもイノベーションは起きず、社員のやる気も低くなるだけです。
目先のコスト削減でなく、社員のやる気を高め、アイデアを引き出す取り組みが必要なのです。
労働の質の向上
「労働生産性向上と人材教育 その1 ~労働生産性とは?マクロとミクロの視点~」で述べたように、労働生産性を高めるには
- 値上げ
- 製造時間短縮
- 販売量増加
の3つがあります。
例えば未来工業は、年間500種もの新製品を出すことで、製品の付加価値を高めています。こうした価値の高い製品や技術の実現は、社員の自主的な取り組み、高い意欲、問題解決力が必要です。つまり社員の労働の質を高める必要があります。
ところが日本企業の社員の仕事に対するエンゲージメントは高くありません。では、どうすればよいでしょうか。
ヒントは意外にも戦時中のGMにありました。
生産性が高かったGM
GM、フォード、クライスラーといったアメリカのビッグスリーの工場の労働者は、全米自動車労働組合(UAW)に所属しています。彼らにとって、仕事は収入を得るための手段にすぎず、できる限り楽をしたいと考えます。そのため担当の仕事以外はやりません。デトロイトをやめた職人気質の労働者は「デトロイト中の空気がよどんでいる。仕事のある者さえ失業者のようだ」とまで言いました。
ところがGMの工場の社員がやる気に満ち、労働者が多くの改善提案を出した時期があったのです。
それは第二次世界大戦中のことでした。
第二次世界大戦中、GMは大量の兵器の製造を請け負いました。しかし兵器の製造に習熟した工員はおらず、素人を大勢工場につれてくるしかありませんでした。そこで管理者は作業を細かく分解し、手順書には「なぜその作業をやらなければならないか」まで書きました。管理者は作業者を信頼し、作業スピードは作業者に任せました。
銃を製造する工場では、新人が銃の部品を製造できるようになると、新人を射撃場につれていきました。そして正確に加工した部品の銃を撃たせた後、雑に加工した部品に変えた銃を撃たせて、部品の違いをわからせました。
爆撃機の部品を製造していた工場は、本物の爆撃機を工場に展示しました。工員たちは自分たちの仕事がどこに使われ、それがこの戦争にどれだけ貢献するかが実感できました。仕事への意欲が高まり作業効率は向上しました。
工員がより良いやり方を提案する制度も実施され、40万人の工員から、11万5千件の提案が出ました。しかもそのうちの1/4が採用されました。
残念なことは、これだけ生産性の高かった工場が、戦後は前述した退廃した工場に変わってしまったのです。
上記を反面教師とすれば、社員の意欲を高める取り組みはビジネス誌のようなことをしなくても実現できるのではないでしょうか。
一方技術が進歩すれば、社員の能力が不足します。そこで継続的な能力開発が必要になってきます。
ラーニングの重要性
GMの工場では、非熟練者でも仕事の意義や目的を伝えることで、意欲を高めて高い生産性を実現しました。その一方、生産性を高めるには、意欲だけでなく能力も重要です。
ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者ジョセフ・E・スティグリッツは、著書「生産性を向上させる社会」の中で、『今日では国の成功を決める要因は、人や研究への投資であり、ラーニング(学習)が重要だ』と主張しました。
デビッド・リチャードの比較優位説では、国同士相対的に低いコストで製造できるものにお互いが特化し、貿易で生産物を交換すれば双方の国が大きな利益が得られます。
スティグリッツはこれを静学的比較優位と呼び、これに対し、より重要なのは知識と学習によるイノベーションであり、これを動学的比較優位と呼びました。そしてこういった学習を主体とする社会をラーニング・ソサエティ<注記>と呼びました
これからはどの年齢でも継続的に学習と能力開発の機会があり、自ら学習する社会がイノベーションを増やして、その国の経済を活性化させると述べました。
<注記>
ラーニング・ソサエティとは、アメリカのロバート・M・ハッチンスが1968年に著した「ザ・ラーニング・ソサエティ」で書かれた言葉で、国民の生涯学習が普及した社会を指します。ハッチンスは、未来には自由時間が労働時間を上回り、自由時間には自己実現を図るような学習が重要と考えました。対してスティグリッツのラーニング・ソサエティのラーニングは仕事の中における学習を指しています。
スティグリッツのラーニング・ソサエティ
この学習に関して、スティグリッツはお手本(>ベストプラクティス)から学ぶことの重要性を説きました。
国の経済が発展するためには、新たな価値を生み出すことが必要で、スティグリッツは以下の3つを挙げました。
- ベストプラクティスを学ぶ
- ベストプラクティスから改善し生産性を高める
- 新たな製品や事業を創出する
① ベストプラクティスに学ぶ
1940年代から1980年代の間、多くの社会主義国は、自由主義国よりも高い貯蓄率と投資率を維持していました。教育投資も積極的に行いました。それにもかかわらず産出量は自由主義国の1/2以下でした。その原因はベストプラクティスに学ばずイノベーションが起きなかったからです。
先進国と発展途上国でも知識に大きな差があります。そこで発展途上国は先進国からベストプラクティス(知識)を導入し、工業化を促進しました。中国が成功した要因は、多くの外資系企業を呼び込み、積極的に知識を吸収して工業化を促進したためでした。
スティグリッツは貿易規制により、自国の産業を保護する「幼稚経済保護論」も提唱しました。発展途上国は当初は自国の工業が弱いので、貿易規制で自国の産業を保護して工業化を促進し、経済成長と生活水準の向上を実現することを推奨しました。
② ベストプラクティスの改善
さらにスティグリッツはこうして手にしたベストプラクティスを改善すれば、さらなる生産性向上が実現できるとしました。
アメリカの製造業は1970年代から1980年代前半、1980年代後半から1990年代、この2つの期間で年間成長率が0.9から2.9%に上昇しました。これは他の国よりも1.9%も高かったのです。スティグリッツは、これは業務管理の改善やTQC(全社的品質管理)の導入などの学習強化によるものだと主張します。
対して1995年~2001年もアメリカの生産性は日本やヨーロッパを上回りました。しかしこれは資本蓄積、教育の改善、公式な研究開発投資とは無関係と言います。
③ 新たな製品や事業を創出する環境
技術の進歩に伴い必要な知識も変わります。そのため常に新たな学習が必要です。しかし知識を生産し伝搬する点で市場は必ずしも効率的ではありません。そこで知識の生産や研究開発分野は政府が支援する必要があります。
学習により獲得した新たな知識は、ある製品から他の分野の製品へと伝搬し、社会に大きな影響をもたらします。こういった知識の取引は、市場メカニズムというより、むしろ研究者同士のプレゼント交換のような形なのです。
この学習を促進するためには以下のポイントがあります。
- 学習能力 若いほど学習能力は高い「老犬に新しい芸は教え込めない」
- 知識へのアクセス 「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからです」アイザック・ニュートン
- 学習のための触媒 アイデアは反応を促進、学ぶための刺激が触媒となる
- 思考方法 創造的思考を作り出すための認識フレーム
- 触媒作用を引き起こす人との接触 知識は人との接触によって広がる
- 知識の伝達につながるような人との接触
技術の進歩に適応し、常に新たな知識を獲得してイノベーションを起こすには、上記のような取組を促進し、学習する社会(ラーニング・ソサエティ)の実現が重要です。
スティグリッツは人や組織が継続的に能力を高めアイデアを共創することが重要で、知識を生み出し広げるには、政府の役割の重要性を説きました。
こういった学習に関して、最近「人的資本経営」という取組が注目されています。
人的資本経営の取組
労働生産性向上の本質は、生産活動の効率化ではなく付加価値の向上であり、新製品・新事業の促進、つまりイノベーションです。
そのためには新製品・新事業を促進する人材が必要です。そのため人材教育の重要性は高くなっています。加えて定年の延長もあり社員の年齢構成は変化しています。これからは中高年社員も戦力とする必要があります。ところが彼らのスキルは新たな業務や最新のIT技術に適応しない場合があります。
しかも単純作業、事務作業は非正規雇用が担当するようになり、正社員は企画・管理など今まで以上に高度な業務スキルが求められます。またテレワークなど新たな仕事のやり方も出てきて、これまでとは異なる業務スキルも必要になってきます。その結果、従来のOJTを主体とした人材教育では不十分になってきました。
そこで従来の組織構成員としての人材ではなく、設備や技術と同様に社員を資本と考え、教育を資本への投資とする「人的資本経営」という考え方が提起されています。
経済産業省は、企業経営者、投資家、コンサルティング会社などにより「人的資本経営に向けた検討会」を開催し、2020年に「人材版伊藤レポート」、2022年には「人材版伊藤レポート2.0」を発表しました。
人材版伊藤レポート2.0には以下のような項目が提唱されています。
視点
- 経営戦略と人材戦略の連携
- 現状とあるべき姿のギャップの把握
人材戦略の要素
- 動的な人材ポートフォリオ
- 知・経験の多様性と包括
- リスキル・学びなおし(デジタル、創造性)
- 従業員エンゲージメント
ただしこのレポートは、大企業を想定しているため課題や方針については詳細ですが、具体的な教育や育成の記述は少なく抽象的なものになっています。
残念ながらスティグリッツの提唱する「ラーニング・ソサエティ」という継続的に学習し、アイデアを交換することでこれまでにない発想を生みイノベーションを創出する考えが、「人的資本経営」では人事と教育、そして高齢者のリスキルになってしまいました。
見えない未来に必要な能力を自ら考え、選び学習することが必要です。そうして生まれた知識を一時政府が保護し熟成して世に出すことで、次々とイノベーションが生まれる社会がラーニング・ソサエティと考えます。
そのストーリーの中で、中高年が能力を発揮するために必要なスキルを身に着ける必要があるのです。
最後にGDPの成長と生産性向上、人的資本の関連性を下図に示します。
参考文献
「生産性を上昇させる社会」 ジョセフ・E・スティグリッツ 著 東洋経済新報社
「企業とは何か」 P・F・ドラッカー 著 ダイヤモンド社
「TFP(全要素生産性)に関する一試論」 前田 泰伸 著 内閣情報調査室レポート
「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~」経済産業省
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
ものづくりはどのように変わっていくのでしょうか?
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労働生産性向上と人材教育 その1 ~なぜ労働生産性の向上が必要なのか?~
バブル崩壊後、日本は低成長が続き、海外と比べて日本は相対的に貧しくなっています。
日本が成長するには、労働生産性を高めなければならない、それにはイノベーションが必要と言われています。
つまり
イノベーション→労働生産性向上→GDP成長
というわけです。
しかし、こう言われ10年以上経過しましたが、大きなイノベーションは生まれず、アベノミクスの第三の矢は実現していません。
一方、企業も生産性を高め、より大きな付加価値を生まなければ賃金を上げられません。賃金が上がらなければ、個人消費は低迷したままで景気も良くなりません。
どちらも労働生産性の向上がカギです。
この労働生産性はどのようなものなのでしょうか。
労働生産性とは
生産性は、アウトプットをインプットで割ったものです。
労働生産性とは「労働の成果(アウトプット)」を「労働量(インプット)」で割った「労働者1人あたりが生み出すアウトプットの指標」です。
実は労働生産性は、
日本、アメリカといった国レベルで比較するマクロ的な視点の労働生産性と、
各企業の時間当たりの生産性といったミクロ的な視点の労働生産性
のふたつがあります。
日本の労働生産性 (マクロ的視点)
マクロ的な視点の労働生産性は、GDP(国の踏み出した価値の合計)を就業者数で割って計算します。
ここでGDPは国内で生み出したものやサービスの付加価値の合計で、以下の式で表します。
このGDPは、国内で生産して消費した「ものやサービス」と「海外に輸出したもの」の合計から、「海外から輸入したもの」を引いたものです。
その中で、マクロ的視点の労働生産性は、国民一人が平均してどれだけのGDPを生み出したのかを示します。
一方でGDP(実質GDP)は、1人あたりの労働生産性から以下の式で計算します。
日本がGDPを上げるには、「働く人を増やす」、「1人が生み出す価値を高める」のいずれかが必要です。
一方、ロバート・ソローの経済成長理論によれば、GDPの増加は、以下の3つの要因があります。
労働投入量の増加は、国の人口の増加を指します。
資本投入量の増加は設備投資を指します。
ところが人口や設備投資が増えなくても、産出量(GDP)は増加します。
それは技術革新があるからです。技術が進歩し、設備の性能が向上し、仕事のやり方も改善されれば、同じ労働投入量、同じ設備投資金額でも産出量は増えます。
これをTFP(全要素生産性)、またはソロー残差と呼びます。
日本のように今後は人口増加や、高度成長期のような大規模な設備投資が期待できなくても、技術革新があればGDPは増加します。
先に述べたイノベーションとは、この技術革新を指します。
TFP(全要素生産性)について
安倍政権が2015年に立案した「日本再興戦略」には「生産性革命」が謳われています。これはTFPの上昇を目指しています。
アベノミクスでも、第三の矢としてイノベーションの創出が掲げられています。にもかかわらず日本のTFPの上昇率は高くありません。
どうすればTFPが向上するのでしょうか。
内閣情報調査室 前田氏による「TFP(全要素生産性)に関する一試論」によるとTFPを高める要素として、
- 資本の質
- 労働の質
- 経営の質
- 外部経営環境等
の4つを挙げています。
これはどのような内容でしょうか。
(1) 資本の質を高める
これはより高性能な生産設備を導入することです。
その結果、投入量に対する生産量が増大します。他にも省エネ性能の高い設備を導入すれば、より少ないエネルギー(費用)で同じ生産量を達成できるため、資本の質を高めます。
またブランドのような無形資産があれば、同じ製品でもより高く売れます。そのためこのブランドも資本の質です。厚生労働省の「平成28年版 労働経済の分析」では高級なブランドが多く無形資産装備率が上昇している国ほどTFP上昇率が高い傾向がありました。
例えばロレックスなど高級腕時計は、価格の高さがステータスとなり、多額の付加価値を生みだしています。今日時計はスイスの主要産業のひとつで、スイスは世界の時計のシェアの50%を占めています。
この無形資産には、OFF-JTのような教育による人的資本形成も含まれます。
(2) 労働の質を高める
より能力の高い労働者を雇用して、時間当たりの生産量が増加すればTFPは上昇します。
これは製造業の場合、労働者が頑張って製造して生産量を増やすという20世紀的な考え方より、より高いスキルの労働者を雇用して、自動化を推進してより高度な製品を生産し、生産量を増やすという考え方です。
一方サービス業では、より近いホスピタビリテイの労働者を雇用すれば、質の高いサービスが提供でき付加価値を高めることができます。あるいはレベルの高い接客によってリピーターが増えれば、長期的にはTFPの増加につながります。
また博士号など高度な知識を持つ人材が、新技術や新製品を開発すればTFPは上昇します。
社員への能力開発投資とTFPの関係は、内閣府「平成29年度 年次経済財政報告」によれば、企業が能力開発費を1%増加した結果、TFPは0.03%の増加があったことが報告されています。
またワークライフバランスを実現し、女性、高齢者、外国人など社員の多様性が広がれば、TFPが増加する可能性があります。
(3) 経営の質を高める
経営者の経営能力が高くなれば、企業が生み出す付加価値が増えてTFPが上昇します。
この付加価値の増大は革新的な製品やサービスだけでなく、物流や流通、マーケティング、管理など業務のさまざまな面(ビジネスプロセス)を強化・改善しても実現します。経営の質は、こういったビジネスプロセスの改革も含んでいます。
(4) 外部経営環境等の影響
企業の立地や政府の施策も、TFPの上昇に影響します。
特定の地域に産業が集積することで、優れた労働者が集まるとともに企業間の連携が強化され、新技術の波及効果が高まります。政府の規制緩和が新しい産業を生み出すこともあります。あるいは優れた技術を持つ外国企業が日本に進出すれば技術やノウハウが日本に移転されます。
こういったTFPの上昇はGDPにどのような影響を及ぼすのでしょうか。
前田氏のシミュレーションによると下記の3つの結果が示されました。
① 現状のままTFPが3%と大幅に上昇した場合 (需要は変わらない)
- 供給が増加しても需要は変わらないため、デフレが悪化する
- 実質GDPは横ばい、物価は下落し、失業率は増加する
この試算からイノベーションが起きて供給が増えても、需要が増えなければ
- デフレが悪化
- 賃金が下がり失業も増える
- GDPは変わらず、国の財政も変わらない
という結果になりました。
② TFP3%の上昇とともに輸出が大きく増加した場合
(輸出には外国人観光客の国内消費、インバウンド需要も含まれる。)
- 供給の増加に応じて需要も増加し、物価と賃金は上昇し、財政収支は改善する
- 実質GDPは増加、物価は若干上昇、失業率は変わらず、財政収支は黒字化
この試算からイノベーションが起きて、かつ輸出やインバウンドが増加して需要が増えれば
- 物価が上がり、デフレ脱却
- 賃金が上がり、それでも失業率は変わらない
- GDPは上昇し、国の財政は改善される
という結果になりました。
③ TFP3%の上昇とともに公共投資を増加した場合
- 乗数効果が輸出よりも大きいため、輸出よりも成長は大きいが財政は急速に悪化する
- 実質GDPは増加、物価は若干上昇、失業率は若干改善するが、財政収支は大幅に悪化する
この試算から、イノベーションが起きても輸出も国内需要も増えないため、公共投資で補った場合
- 輸出よりも乗数効果が高いため、デフレは改善される
- 賃金はやや上がり、失業もやや減る
- 国の財政は大幅に悪化する
という結果になりました。
イノベーションが起きても需要が増えなければ、デフレが続く
このシミュレーションからわかることは、TFPの上昇はあくまで供給側の指標ということです。
需要側の問題を解決しなければ、技術革新はさらなるデフレを誘発するということです。
一方、実際の経済活動において、TFPの上昇がどのような製品や技術により達成されるのかは、よくわかっていません。しかも実際の経済活動は、様々な人々の消費行動など複雑な要因があります。上記のようなシミュレーション通りにならない可能性もあります。
企業の労働生産性 (ミクロレベル)
企業の労働生産性も基本的な考え方は同じです。企業の場合、1人当たりの労働生産性の他、時間当たりの労働生産性も使用されます。
企業の生み出す付加価値は、売上から材料費など外部から購入した金額(変動費)を引いたものです。
付加価値=売上-外部購入費用=売上-変動費
企業で発生する費用は、
- 外部購入費用 (変動費) : 材料費、外注費、他の資材など
- 社内で発生する費用 (固定費) : 労務費、会社の経費(工場の経費、販管費)
があります。そこで利益は以下の式で表されます。
利益=売上-費用=売上-変動費-固定費=付加価値-固定費
1人当たりの労働生産性は、この付加価値を就業者数で割ったものです。
時間当たりの労働生産性は、この付加価値を就業者全員の就業時間の合計で割ったものです。
改善は付加価値を高めるのか?
上記の式を具体的な企業の数字に落とし込むと、意外なことがわかります。「改善は付加価値を高めるとは限らない」のです。
なぜでしょうか。
企業の労働生産性を具体的な数字で検証してみます。
モデル企業A社は、1人のみの会社です。この会社は製品A1(価格1,500円 年間販売量1万個)のみを生産しています。
A社
- 売上 1,500万円
- 材料費(外部費用) 500万円
- 付加価値額 1,000万円
付加価値額1,000万円に対して、A社は賃金600万円、
会社の経費は200万円なので、これを引いて200万円の利益がありました。
A社の労働時間は2,000時間なので、
1時間当たりの付加価値(時間当たり労働生産性)は5,000円/時間でした。
材料価格が20%上昇しました。
- 売上 1,500万円(変化なし)
- 外部費用 500万円→700万円(200万円増加)
- 付加価値 1,000万円→800万円(200万円減少)
時間当たりの労働生産性は4,000円/時間に減少します。
利益は0円です。
そこで利益回復のため以下の3つの手段を検討します。
- 値上
- 製造時間短縮
- 販売量増加
1. 値上
値上げをすれば、売上は1700万円に増加します。
付加価値は1,000万円に回復し、利益も200万円になります。
時間当たりの労働生産性は5,000円/時間に戻ります。
2. 製造時間短縮
A1製品の製造時間は0.2時間なので、これを0.16時間にして20%短縮します。
しかし売上、外部費用は変わらないため、付加価値は800万円のままです。
1万個の製造に必要な労働時間は1,600時間に減少しますが、その分賃金を下げなければ利益は200万円になりません。
ただし労働時間を短縮すれば、時間当たりの労働生産性は5,000円/時間に戻ります。
3. 販売量増加
販売量を1.25倍増加させます。
外部費用も1.25倍の875万円、労働時間も1.25倍の2500時間になります。
ただし賃金は変わらないとします。
その結果、付加価値は1,000万円に回復し、利益は200万円になります。
ただし時間当たりの労働生産性は4,000円/時間に低下します。
つまり原材料の上昇などで付加価値が減少した場合、以前の利益を維持するには値上げか、販売量の増加などで付加価値を回復することが必要です。
改善で製造時間を短縮しても、販売量が増加しなければ利益は回復しません。
(生産量に応じて労働時間と賃金が変動できれば別ですが。)
労務費が固定費であれば、材料価格の上昇などで付加価値が減少した場合、時間短縮などの改善では利益を維持できません。
受注を増やすか、値上げするか、付加価値を増やすか、いずれかの方法を取る必要があります。
人口減少など市場の縮小に直面する日本も同様です。
計算の詳細は以下に記載します。(ご関心のない方は飛ばしてください。)
参考 計算の詳細
製品A1
売価 1,500円
年間販売量 1万個
年間売上 1,500万円利益=1500-500-600-200=200 万円
付加価値=1500-500=1000 万円
年間労働時間 2,000時間、1人なので、1人当たりの労働生産性=1000万円
1時間当たりの労働生産性=1000×104/2000=5000円/時間
年間で1万個生産なので
1個の生産時間=2000/10000=0.5時間
A1製品の原価
材料費500円
労務費600円
経費200円
1個の利益=1500-500-600-200=200円
1個の生産時間=2000/10000=0.2時間
【材料価格が20%上昇】
材料価格が40%上昇し、年間では500万円→700万円に増加
● 価格がそのままの場合
付加価値=1500-700=800 万円 200万円減少
利益=1500-700-600-200=0 円
利益はゼロ円になる。労働生産性は
1時間当たりの労働生産性=800×104/2000=4000円/時間
4,000円/時間に減少する。
● 値上 1500円→1700円
付加価値=1700-700=1000 万円
利益=1700-700-600-200=200 万円
利益は200万円と変わらない。
● 原価低減
製造時間を20%短縮、製造時間0.2時間→0.16時間
労務費600円→480円
計算上の原価=700+480+200=1,380円
利益=1500-1380=120円
しかし年間での販売量は1万個で同じ場合、売上1500万円は変わらないため
付加価値=1500-700=800 万円
付加価値は200万円減少し、利益はゼロになる。
● 販売量増加
販売量を1.25倍増加、1万個→12,500個
売上=1500×1.25=1,875万円
材料費=700×1.25=875万円
労務費600万円は変わらないものとする。ただし労働時間は1.25倍となり
労働時間=2000×1.25=2500時間
利益=1875-875-600-200=200円
1時間当たりの労働生産性=1000×104/2500=4000円/時間
材料費が上昇し、1個当たりの利益はゼロになる。
労務費が固定費で変わらない場合、売上を1.25倍にすれば付加価値は増加し利益は200万円になる。
なぜ国は労働生産性向上に力を入れるのか?
GDPが成長すれば、年々経済規模が大きくなります。雇用は安定し、家計収入は増加、生活も安定します。税収が増加し政府債務も減少します。
従って国家の安定と国民生活の安定にはGDPの成長が不可欠と国は考えます。
GDPを成長させるためには以下の方法があります。
- 就労者数の増加
今から出生率を上げても、生まれた子供が生産活動に貢献するのは20年以上先です。すぐに効果が出るのは移民の増加です。
- 労働生産性向上
就労者数が増えなくても一人当たりの生み出す付加価値が増えればGDPは増加します。これは労働生産性の向上に他なりません。
このような背景から、国は日本の労働生産性を高めるべく努力をしています。ところがなかなか効果が出ません。
なぜ日本の労働生産性は低いままなのでしょうか。
続きは別のコラムで紹介します。
参考文献
「なぜ日本の会社は生産性が低いのか?」 熊野英生 著 文春新書
「勤勉な国の悲しい生産性」 ルディー和子 著 日本実業出版社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
ものづくりはどのように変わっていくのでしょうか?
未来の組織や経営は何が求められるのでしょうか?
経営コラム「ものづくりの未来と経営」は、こういった課題に対するヒントになるコラムです。
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「中国経済の誤解 ~学ぶべきマクロ経済コントロールと今後の課題~ その2
今や中国は世界第二位の経済大国、中国経済の世界に対する影響とてもは大きいです。
加えて日本やアジアの国々はグローバルなサプライチェーンの中で中国と密接な関係があります。中国経済失敗のリスクは計り知れないでしょう。
ところが中国に対する正しい情報は意外にありません。マスコミから出てくる情報は、人日の注目を集めるためにある面をだけを強調しています。
中国経済はこれまで何度もピンチになりながら、苦境を乗り切ってきました。一部の評論家は「悪い一面」だけ切り取って「中国経済が崩壊する」と主張していました。実際はどうでしょうか。
そこでトーマス・オーリック著「中国経済の謎 ~なぜバブルははじけないのか~」を参考に、中立的な視点でこれまでの中国の政治・経済の取組と今後について、2回にわたり述べます。
「中国経済の誤解 ~学ぶべきマクロ経済コントロールと今後の課題~ その1では、中国の政治機構の特徴、そして毛沢東の死後から、改革開放政策に至る過程と、発生した問題について述べました。
ここでは、習近平体制での経済政策と、これからの課題について説明します。
中国経済の発展 その2
2008年リーマンショック
「世界の工場」中国はこれまで輸出に大きく依存していました。しかし2桁成長が続いていた経済成長はリーマンショックで鈍化しました。2009年1~3月期は6.5%、2007年の14.2%の半分以下でした。輸出は初のマイナス16%という厳しい数字が出て「非常事態」となりました。
これに対し、2008年11月中国はG20で4兆元(59兆円)の経済対策(内需拡大策)を発表し、世界を驚かせました。
しかし実態は、中央政府1.18兆元、地方政府負担1.3兆元、銀行融資1.5兆元でした。
経済対策の多くがインフラ投資でした。
インフラ投資は現金給付に比べ、将来にわたって長く社会の役に立ちます。また生産拡大に寄与します。更にこの非常事態を脱するため、他にもなりふり構わず政策を総動員しました。例えば輸出企業の消費税(中国では増値税)還付率引き上げ、輸出関税の見直し、さらに大規模な利下げを実施しました。
激しい不況(ショック)には、思い切った財政政策が必要で、小出しにすれば不況が長期化することを、彼らは日本などから学んだのです。
一方で欧米各国も相次いで利下げを行ったため、海外からのホットマネーの流入が懸念されていました。
2009年 超金融緩和 貸出額9.5兆元
6月に経済指標が改善し資産バブルのリスクが出てきましたが、緩和は継続されました。
- 経済刺激策で最も避けるべきなのは途中で投げ出すことであり、元日本銀行の速水優氏のように落とし穴に陥ることである(バブル崩壊時の景気対策が中途半端に終わった例)
- 経済を加熱させることの難度は、経済を冷え込ませるよりも高い
中国はこのように考え、個人消費の拡大策として自動車取得減税や、農村への家電普及策「家電下郷」を実施、13%の補助金を導入しました。
2009年不動産市場の過熱
一方中国の生産能力はすでに過剰になっていました。これ以上の設備投資の大幅な拡大は困難でした。そのため余剰な資金は不動産市場に流入しました。不動産ブームが中国全土に広がりました。
中国では投資信託など個人向け金融商品はまだ普及していませんでした。また株は価格が乱高下するため、素人は手を出すのを躊躇しました。これに対し、不動産は所有することに夢がありました。しかも個人の投資先としても魅力がありました。政府としても輸出が減少する中、不動産投資の増大は国内成長の下支えが期待できました。
しか不動産市場が加熱すると中国政府は早めに手を打ちました。
2010年4月には人民銀行が金融引き締めに転じ、10項目からなる不動産価格抑制策を施行しました。住宅価格は急落、北京と上海では70%も下落しました。株価も急落し、2010年7月には時価総額の25%が消失しました。
2010年6月、人民元のドルペッグ制が撤廃されたことで、ホットマネーが大量に流入し物価が上昇しました。そこで2010年10月人民銀行は0.25%利上げしました。それでも2011年3月には消費者物価数は5%を超えました。
2012年には欧州の債務危機で輸出が落ち込みました。工業生産、個人消費、投資すべてが落ち込んだため、再び景気刺激策に回帰しました。景気刺激策をやめたもうひとつの理由は、景気刺激策をやめたことで成長が鈍化したためです。
つまり景気刺激策をやめるタイミングは非常に難しいのです。
この年、政治体制に大きな変化がありました。
2012年11月習近平 総書記就任
総書記に就任した習近平氏は、就任直後から徹底した腐敗退治を行いました。腐敗摘発チーム「虎もハエも叩く」が党最高幹部から下級官吏までくまなく摘発しました。こうして習近平氏は党内に恐怖政治を敷き、権力基盤を確固たるものにしました。一方で腐敗した地方政府ほど成長が遅かったことも判明しました。
腐敗は成長の足かせだったのです。
2014年5月、習近平は「新常態」を宣言しました。中国はこれまでの二けた成長を断念し、年7~8%の成長の持続を目標としました。
一方、今度は株式市場が過熱し始めました。
2015年7月 上海株価指数 3週間で3割下落 11兆元が消失
2007年以降、上海と香港の株式市場での相互乗り入れがありました。
こうして国境を超える資本の流れができました。
海外からの資本の流入で上海株は上昇を続けました。これに多くの中国人が引き付けられました。多くの株取引の未経験者が株を購入、借金で株を購入する信用取引も増加しました。まさに日本のバブルの様相を呈し始めました。
そこで2015年7月中国証券監督管理委員会は、株式ブローカーが投資家に貸せる金額に上限を設ける方針を示唆しました。これをきっかけに株価が暴落し、11兆元が消失しました。
2015年8月 人民元切り下げ1.08%から、大規模な資本逃避
輸出が減少し、しかも上海と香港の株式市場での相互乗り入れによる資本が流出した中国では、人民元は実力よりも割高になっていました。市場は人民元を売り、下げ圧力をかけていましたが、これを人民銀行が買い支えていました。そして2015年8月になってようやく人民銀行は人民元を切り下げ1.08%としました。
これをきっかけに、さらに人民元は下がると予想した市場は、中国の株式市場から大規模な資本逃避を始めました。2016年1月には上海総合指数はピークの1/2に減少し、18兆元が消失しました。ただし企業も家計も資金の運用手段として株式は多くなかったため、株価の暴落による家計や企業活動への影響は限定的でした。
サプライサイド改革の実施
2016年1月人民日報は中国でよくつかわれる数字を取り混ぜた記事で「四つの落ち込みと一つの上昇」を開設しました。
4つの落ち込みととは
経済成長の落ち込み
工業品価格の落ち込み
企業利益の落ち込み
財政収入の落ち込み
ひとつの上昇とは「経済リスクの上昇」でした。
これに対し政府は介入を強化し、サプライサイドの改革を実行しました。
大企業の合併を進め、過剰な生産能力に陥っていた工場を閉鎖しました。これにより供給過剰が是正され企業の利益が増加しました。またこれにより雇用が減少したため、公共投資を増加する財政刺激策を行い雇用を吸収しました。人民銀行が2兆元の資金を供給し、スラム街を一掃して住人に住宅ローンを提供しマンションを買うように仕向けました。
この供給過剰是正策で、
2015年4月に太陽光発電パネル大手保定天威が国有企業初の倒産をしました。
2016年遼寧省の国有企業の東北特殊鋼集団が倒産、負債総額は72億元でした。
過剰債務企業の債務総額は2016年で118兆元(GDPの160%)に上りました。
2016年マクロプルーデンス評価とデレバレッジ
こうした政策により、銀行はシャドーバンクを経由した迂回融資で過剰な融資をするのが難しくなりました。加えて銀行は自己資本比率を高めるように圧力をかけられたため、不良債権の処分を推進しました。さらに財務基盤が脆弱な銀行に対しては地方政府が圧力をかけて合併させ、強制的な不良債権の処分をさせた上で公的資金を注入しました。こうして銀行のシャドーバンクに対する融資は2018年半ばにはマイナスに転じました。
実は地方政府が過剰債務に陥った原因は、公共事業の資金を1年以内の短期借入で調達していたためでした。そこでこれを低金利の地方債(5年物)に借り換えさせて返済の負担を低減しました。こうして成長を減速させることなく、貸出のペースを落としてレバレッジの拡大を止めて、リスクを回避したのです。
2015年 中国製造2025年 国が主導で技術開発
10の重点分野を定めロードマップを提示し、これに合わせて地方政府も独自に計画を策定し補助金を支給しました。
表 重点10産業・23分野
次世代情報技術 | ①IC・専用設備 ②情報通信設備 ③OS・産業ソフト ④スマートさ位増のコアとなる情報設備 |
CNC工作機械・ロボット | ①CNC工作機械・基板製造設備 ②ロボット |
航空・宇宙装備 | ①航空機 ②航空エンジン ③航空機載設備・システム ④宇宙関連設備(運搬ロケット、衛星など) |
海洋エンジニアリング・ハイテク船舶 | 1分野。 製品としては、海洋資源探索、開発設備、 ハイテク船舶、大型低速船舶用エンジンなど |
先進軌道交通設備 | 1分野。 製品としては、中国基準の高速鉄道、 中低速リニアなど |
省エネ・新エネ自動車 | ①省エネ自動車 ②新エネ自動車 ③コネクテッドカー |
電力設備 | ①発電設備 ②送変電設備 |
農業設備 | 1分野。 製品としては、自動化、情報化、 スマート化した農業機械など |
新素材 | ①先進基盤素材 ②コア戦略素材 ③先端新素材 |
バイオ医療 高性能医療機器 |
①バイオ医薬 ②高性能医療機器 |
出典:中国製造2025重点領域技術創新路線図
当初は外国の技術をリバースエンジニアリングし、その後は国産化比率を高める計画です。国産化比率は2020年までに主要部品の40%、2025年までに70%に引き上げる計画です。
そのための研究開発投資は、2017年は中国は4440億ドル、アメリカ4830億ドルに肩を並べています。対するEU3660億ドル、日本は1730億ドル(19.1兆円)でした。
2017年7月5年に一度の全国金融工作会議
習近平氏は、国有企業の過剰債務の削減(デレバレッジ)を最優先させるように強く指示しました。リーマンショック以降の経済対策で過剰になった債務と膨らんだバランスシートにより、金融システム崩壊のリスクが高まっていました。金融システムの崩壊とそれに続く不況は、社会を不安に陥れ、政治の混乱につながるためでした。
2016年5月人民日報は「天まで伸びる木はない」という記事を掲載しました。
「高いレバレッジは不可避的に高いリスクをもたらす。きちんと管理しなければシステム的な金融危機を引き起こし、不況をもたらすだろう」
と報じました。
中国経済の特徴と世界への影響
この中国経済はどのような特徴があるのでしょうか。
高い貯蓄率
改革前の中国ではゆりかごから墓場までの手厚い福祉で「鉄飯碗」と呼ばれました。しかし改革開放により企業の民営化が推進し、社会保障制度が脆弱化しました。加えて一人っ子政策のため、両親の老後の不安が増大しました。子供に頼れなくなった両親は老後のために貯蓄に励みました。また一人っ子政策は最も消費の多い子育て世代の消費が減少します。それもあって中国の貯蓄率は高く、その分消費が弱くなります。
2007年にはGDPの51%が貯蓄されました。この巨額の貯蓄を賄うには莫大な輸出か、莫大な投資が必要です。一方、まだ高い経済成長中の中国では、貯蓄にはインフレ率以上のリターン(収益)が必要です。しかし銀行預金金利は低く、銀行に預金しても価値は目減りしてしまいます。
多額の外貨
一方中国自身も貿易黒字が積み上がっていました。外貨残高は1兆,000億ドルに上り、外貨の安全でリターンの高い投資先として多くのアメリカ国債を購入しています。実はこれがアメリカの長期金利に影響していたのです。
FRBベン・バーナンキ議長は、あまりにも長い間金利が低かったため、2004年から金融引き締めに転じました。短期金利は2004年の1%から2006年には5.52%に引き上げられました。しかし長期金利は4.7%から5.2%とわずかしか上がりませんでした。当初はなぜ長期金利が上がらないのかわかりませんでした。
原因は、中国がアメリカ国債を大量に買っていたためでした。
過剰設備と不良債権
地方政府にとって地方の雇用の安定と経済の安定化はとても重要です。そのため景気が悪化すれば地方の国有企業に設備投資を促します。地方政府と国有企業は一体化しているため、必要な資金は地方政府が保証し国有銀行から調達します。しかも貯蓄過剰の中国は、国有銀行に潤沢な資金があります。しかも国有銀行は絶対につぶれないと誰もが信じているため審査は甘くなっていました。
こうして国有企業には過剰な設備が積み上がります。もし国有企業の経営が悪化すれば、融資はたちどころに不良債権化します。そのため国有企業の過剰設備の問題に対して共産党も再三通達を出しています。しかし
「上に政策あれば、下に対策あり」
という国のため改善されていません。
為替操作
中国は急激な円高で輸出競争力が一気に低下した日本の失敗を学びました。それもあって為替は市場に自由にさせません。その基本スタンスは以下のものです。
- 自主性 外圧でなくあくまで中国自身の判断で人民元レートを決定
- 管理可能性 現行の管理変動相場制を維持
- 斬新性 急激な切上げは意図していない
中国にとって為替の問題は、国際問題以上に国内問題なのです。
輸出品の多くが価格競争力を武器とした労働集約品です。しかも賃金や原材料価格の上昇という要因にもさらされています。もし人民元の切上げが行われれば輸出は大打撃を受けます。
2010年中国商務部は、南部の輸出企業を中心に人民元が3%上昇すると輸出にどれだけ影響が出るか試算しました。その結果、輸出型企業の収益は30~50%も低下し、大打撃を受けることが判明しました。
2010年6月中国政府は人民元レートの弾力化を発表しました。しかし3か月経っても1~2%しか上昇しませんでした。
シャドーバンク
銀行が信用力の低い企業に融資する場合、その融資には相応の引当金を積まなければなりません。このように貸付にコストがかかるため、信用力の低い企業は正規の融資先としてなかなか計上できません。もしその企業の経営が悪化すれば不良債権になってしまうからです。
かといってこういった企業への融資を止めれば破綻してしまいます。そうなればこれまでに融資したお金が回収不能になってしまいます。そこで銀行でなく、シャドーバンク(信託会社や資産運用会社)を介して信用力の低い企業に融資を継続します。そして銀行はシャドーバンクへの資金供給は、シャドーバンクが発行した証券を買って、証券に対する投資として計上します。こうすれば銀行はコストをかけずに経営が悪化した企業を融資で支えることができます。また、企業も融資を受けられます。
しかしこれはリスクの高い企業に融資しているのに銀行は必要な引当金を積んでいないことになります。もし融資が焦げ付けば銀行の経営も一気に悪化します。このシャドー融資の総額は2010年には2兆8千億元でしたが、2016年には27兆元にまで膨らみました。
これは
「中国版サブプライムローン」
です。
アメリカのサブプライムローンは、2006年に合計2兆4千億ドル、GDPの17%に達しました。これに対し中国のシャドーバンクの負債総額は27兆元、GDPの86%です。それでもユーロ圏の270%、イギリスの263%、アメリカの145%よりは低い状況です。
マクロプルーデンス評価
2013年には中国経済全体の負債はGDPの2倍以上に拡大しました。しかも銀行やシャドーバンクは短期資金で借りて長期資産に投資するという運用のミスマッチが起きていました。リーマンショック前の欧米で起きた急激な融資の伸びと短期資金への依存と同じ構図です。
そこで人民銀行は季節的に短期資金が不足する6月、あえて資金の供給を停止しました。市場はパニックを起こし、銀行は資金をため込むために貸し渋りをしました。株価は急激に下落しました。
短期金利が28%という記録的な数値となった6月20日、人民銀行は短期資金の供給を開始し、パニックは収まりました。
つまり人民銀行は「短期で借りて長期で貸す」という無鉄砲な融資を行うシャドーバンクに警告を発したのです。しかしその代償は高くつきました。
かつてニューヨーク連銀の初代総裁ベンジャミン・ストロングは
「国内経済で何か起こるたびに、我々は親の役割を果たさなくてはならないのか?」
「我々には多くの子供ができるだろう。その一人が悪さをしただけなのに、全員にお仕置きをしなければならないのか?」
「信用業務には(規制対象を)選択するプロセスがないことだ」
と述べました。
デレバレッジ(収入に対する負債比率を下げること)のため、人民銀行は2016年に「マクロプルーデンス評価」を導入しました。具体的には各金融機関の貸し出しや財務内容を評価し、格付けを行いました。
格付けの高い銀行は、準備預金の利息を高くし、事業活動の自由度も与えられます。
対して、格付けの低い銀行は、準備預金の利息を下げられ、事業活動にも様々な規制が加わります。
これにより金融システム全体のリスク管理を図りました。つまり
「多くの子供の一人が悪さをしただけなのに、全員にお仕置きをしなければならない」
というジレンマを解決しました。
金融システム全体のリスク管理は、リーマンショックの後、アメリカの金融安定監視費用議会、欧州システム理事会、イングランド銀行の金融行政委員会などが取組みました。しかしマクロプルーデンス評価のような包括的なツールを開発し、各銀行を明確に差別化して金融システムの安定を脅かすようなリスクに取り組んだのは、人民銀行が初めてでした。
これからの中国と世界経済
このようにこれまでにも中国は数々の経済危機がありました。これを巧みに乗り切ることができたのは、日本や韓国といった先例があったためでした。適切な対処を怠ればどんな結果になるのか、彼らはわかっていたのです。そのため、行うべきことをためらわずに実行できました。
しかも中国には、それを実行できる強力な指導力と国の強制力がありました。さらに政権中央部の政策立案者も類い稀な独創性と柔軟性を発揮しました。
今までは
答えが分かっていた試験
でした。解き方さえ間違わなければ合格点は取れました。
これまで中国の成長は、製造業が牽引するモデル、そしてカギは投資と輸出でした。しかしこれからは違います。
今後は個人消費の増加による内需拡大 「投資と輸出と消費」
中国の高官自身も
「我々は多くのマクロコントロールの経験を積んできたが、個人消費の拡大策についてはノウハウがない。」
「現金を配るのは意味がない。アメリカ人はウォルマートに行くかもしれないが、中国人は銀行に行く」
と述べています。
課題は遅れているサービス業の発展です。また米中貿易戦争もあり頭打ちになりつつある経済成長です。また今後は戦争の影響も懸念されます。
しかも例え中国製造2025により先端分野における製造強国となっても、先端分野の雇用創出効果はかつての重工業に比べ高くありません。さらに債務は拡大し続けGDP比で250%を超え、先進国並みになっています。つまり
借金は先進国並みで収入は新興国並み
が現在の中国です。
このような課題が山積みの中国経済は、
「大幅な減速をすることなくソフトランディングできるかどうか」
は、指導者と政策立案者にかかっています。
リーマンショックでは、サブプライム問題に直接関係のない日本もアメリカの消費減退で多大な影響を受けました。2021年の世界のGDPに占める中国の比率は18%、世界の経済成長に対する中国の寄与度は30%にも達しています。
もし中国の景気が減速すれば世界中に影響が出ます。
中国の需要が1%減少すれば世界のGDPは0.25%減少します。もし中国で危機が起こり、需要がマイナス9%になれば、世界のGDPは2.25%減少し不況の崖っぷちに立たされてしまうでしょう。
アジアに目を向ければ、中国の需要が1%減少すれば韓国のGDPは0.35%減ります。もし中国の需要がマイナス9%になれば、韓国は激しい不況に陥ります。中国と関係の深い日本も無傷ではいられません。しかも中国経済は巨大になりすぎて、どの国も支えることができません。
約100年前の世界恐慌では、オーストリアで通貨危機が起きた時、ドイツの力を削ぎたかったフランスは通貨危機を煽りました。フランスの望み通りオーストリアの通貨危機はドイツに飛び火し、ドイツにも通貨危機が起きました。しかしフランスの予想外なことに、これはドイツに多額の債権を持っていたイギリス経済に打撃を与えました。つまりオーストリア、ドイツ、イギリスは、同じロープで括られた登山者であり、1人が落ちれば他の2人も無事では済みませんでした。そして通貨危機に端を発した世界恐慌はナチスの台頭を引き起こしたのです。
世界各国の指導者に、中国という巨人と自国が複雑に結びついたロープが見えているのでしょうか。
参考文献
「中国経済の謎 ~なぜバブルははじけないのか~」トーマス・オーリック著 ダイヤモンド社
「チャイナ・インパクト」柴田聡 著 中央公論新社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
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「中国経済の誤解 ~学ぶべきマクロ経済コントロールと今後の課題~ その1
今や中国は世界第二位の経済大国、中国経済の世界に対する影響とてもは大きいです。
加えて日本やアジアの国々はグローバルなサプライチェーンの中で中国と密接な関係があります。中国経済失敗のリスクは計り知れないでしょう。
ところが中国に対する正しい情報は意外にありません。マスコミから出てくる情報は、人日の注目を集めるためにある面をだけを強調しています。
中国経済はこれまで何度もピンチになりながら、苦境を乗り切ってきました。一部の評論家は「悪い一面」だけ切り取って「中国経済が崩壊する」と主張していました。実際はどうでしょうか。
そこでトーマス・オーリック著「中国経済の謎 ~なぜバブルははじけないのか~」を参考に、中立的な視点でこれまでの中国の政治・経済の取組と今後について、2回にわたり述べます。
中国の政治機構の特徴
「中国は共産党独裁だが、独裁者ではない」
共産党の権限が非常に強く、欧米など民主主義国家ではできないことも短時間に実行できます。その意思決定は「少数の指導者の合議」です。独裁者のように一人で決めているわけではありません。
その点、アメリカや日本など民主主義国家でも、選挙で選ばれた首相や大統領が強い権限を持ち、意思決定をします。
そのリーダーの判断は正しいのでしょうか。
中国の場合「国務院」が非常に強い権限を持っています。その国務院の10人のメンバーで行われる「常務会議」で重要な意思決定がされます。10人が同意すれば実行できるため、意思決定はスピーディーです。
対して日本は全閣僚をメンバーとして閣議が週2回行われます。しかし全会一致がルールで1人でも反対すれば政府決定できません。
一方中国の閣僚は人数が多すぎる(図1参照)ため、常務会議に参加しません。そのため中国の大臣は政治家というより官僚に近い存在です。
方針の違い
「国家が指導し、企業は国の指導に従う」
という仕組みが国の統治構造の中に組み込まれています。例えば商業銀行法にも「国家の指導」という条文が存在します。「商業銀行は、国民経済及び社会の発展の必要に基づき、国の産業政策の指導の下に貸付業務を営む」と規定されています。
政経一体のシステム
中央銀行(人民銀行)は政府の一機関です。欧米のような中央銀行の独立性が保たれていません。そのため税制の変更に法律の改正が不要で(日本は法律の改正が必要)、極めて短い間に税制を変更できます。そのため金融政策と税制改正を政府決定だけで実施できます。金融政策、財政政策、税制を組み合わせて経済をコントロールすることができ、政策の自由度が日本よりも高いのです。
強力な役所
日本にはない強い権限を持った「国家発展改革委員会」があります。この委員会は、短期から中長期の経済計画や産業政策、エネルギー政策、物価管理まで担う経済全般にわたる総合的な企画調整機能を持つ機関です。この国家発展改革委員会がリーマンショックの時、4兆元の内需拡大策を取りまとめました。
地方政府の力
中国の政治機構の特徴として、地方政府の力がとても強いことが挙げられます。この地方政府は、税収、雇用、地方経済の運営を任されています。一極集中の日本は東京がGDPの19%を占め巨大な経済圏を構成しています。対して中国は北京のGDPに占める比率は3%にすぎません。
中国の各地方には有力な国有企業があります。彼らは地方政府と結びつき、地方の雇用を担っています。地方経済が減速すれば、国有企業は設備投資を増やして地域の経済を活性化させます。地方政府にとって国有企業は、成長、雇用、収賄の源泉です。
一方日本は公共事業は国や自治体が主体となって行いますが、中国ではインフラ整備などの公共事業は収益事業です。そのため第三セクターのような事業会社「地方融資平台(地方融資プラットフォーム)」を設立して行います。
国有銀行の存在
中国では銀行の金利は自由化されておらず、金利は何%のスプレッドと決まっています。これまで経済が成長し物価が上昇していた中国では、預金金利が物価上昇率よりも低い場合、資産の目減りを避けるため人々は預金より有利な投資先を探します。
一方、国有銀行は国がバックにあるため、倒産することはありません。その結果、融資審査が甘くなります。景気が減速すると、地方政府からは景気対策のため、採算性の低い国有企業にも設備投資のために融資するように圧力がかかります。これが不良債権の温床になっています。
他国の経済政策の失敗
中国にとって幸いなことに、中国が経済成長を遂げる中で様々な問題に直面した時、日本、韓国をはじめとした多くの国で、失敗事例「教科書」があったことです。
経済成長の定石
経済的に貧しい発展途上国は、海外からの投資だけでは経済成長はできません。海外から投資を受け工場を建てても、自国にはそこまでの規模の市場がないからです。そこで
必要なのは輸出です。
海外から投資を受けた工場が製品をつくり、それを輸出すれば多額のお金が国に入ってきます。そのお金を投資に回せばつさらに成長します。こうして成長の歯車が回り始めます。アフリカなど資源があっても貧しい国は、投資による製造業の発展と輸出の歯車が回っていないのです。
一方、成長の歯車が回り始めると海外からお金がどんどん入ってきて賃金が上昇します。これに伴い物価も上がります。この経済成長している国の最大の課題はインフレです。賃金の上昇よりもインフレが高いと、豊かになっている過程にも関わらず人々の生活が苦しくなります。人々の不満がたまって、これが社会不安の引き金となります。
日本のバブル崩壊
日本は1985年のプラザ合意で急激に円高が進行しました。これによる景気後退に対処するため、日銀は公定歩合を引き下げました。これにより過剰に流動したお金が株と不動産に向かいました。
「土地の値段は下がらない」
という土地神話があった当時の日本は、銀行は土地を担保に採算性の低い案件まで過剰に融資しました。担保至上主義の銀行は土地があればどんどん貸しました。こうして借りたお金が株価を押し上げました。
日本はこの加熱した経済を冷やすのが遅れました。やうやく大蔵省が総量規制を実施した時にはバブル崩壊というハードランディングになってしまいました。急激な信用収縮が発生しました。土地の値段が大幅に下がり、担保価値は急減し銀行は多額の不良債権を抱えました。
しかしこの時、多くの人々にあったのは、乱脈融資を行った銀行に対する怨嗟の声でした。
「なぜ税金で銀行を救うのか」
及び腰になった大蔵省、政府は金融機関への公的資金の注入が後手にまわりました。景気が急速に悪化した日本経済に対し、財政出動は不十分でこれが不況を長期化させました。こうして日本は失われた20年へ突入しました。
このバブル崩壊はもうひとつ大きな出来事のきっかけになりました。長年続いた自民党政権が下野したのです。
つまり宴はほどほどのところで冷や水を浴びせるべきでした。そして、もし不景気に入ったときは、やるべきことを(公的資金注入、経済対策、ゾンビ企業の退出)躊躇すれば、代償はとても大きいのです。経済の失敗は政治を不安定化させてしまいます。
中国の政策決定者は、経済運営に失敗すれば現体制が揺らぎかねないことを学んだのです。
また彼らは国内市場を安易に外資に開放すればどうなるかも学びました。
アジア通貨危機
1990年代、海外からホットマネーが流入し、タイ、インドネシア、韓国などアジアの国々は好景気に沸きました。しかし血縁者を優先する縁故資本主義、巨大財閥が見栄を張るためのプロジェクトに投資するなど、成長のための投資ではない非効率な投資も多くありました。こうして好景気の陰で隠れ不良債権が膨らんでいました。
この時アメリカのヘッジファンドは、アジア諸国の中央銀行が過大に評価されていることに気づきました。そして彼らは「自国通貨を買い支えることはできない」と踏んで大規模な空売りを仕掛けました。1997年5月ヘッジファンドに空売りを仕掛けられたタイバーツは急落し、タイから大規模な資本逃避が発生しました。こうして外貨が枯渇し海外との決済資金が不足したたタイは、8月にIMFの救済を受けました。これは10月にはインドネシア、11月には韓国にも飛び火し、IMFの救済を受けました。
こうしてIMFの管理下に入ると緊縮財政を取らざるを得ません。これにより激しい不況になりました。韓国は通貨ウォンが暴落した中で、IMFの要求により資本市場を外国に開放させられました。その結果、韓国の名門企業が海外から安く買い叩かれました。今でも多くの韓国企業が海外のファンドの傘下に入っています。
このアジア通貨危機でインドネシアは20年以上続いたスハルト政権が退陣、韓国では野党の金大中政権が誕生しました。
中国は、アジア通貨危機から国の資本勘定の解放(自国の金融市場と国際金融市場を隔てる壁の撤廃)は慎重にしなければならないことを学びました。朱鎔基は「国の資本勘定を時期尚早に開放すれば、その国の経済を破壊する恐れがある」と警告しました。
リーマンショック
2000年代、低金利、金余りが長期にわたり、欧米の銀行は利幅の高い投資先を求めていました。アメリカでは、世界恐慌の教訓から銀行の証券取引は禁じられていました。(グラス・スティーガル法) 2000年代銀行はこれを骨抜きにし証券取引に参入しました。あふれたマネーは不動産に向かいました。「無収入」「無職」「無資産」の層をターゲットにしたニンジャローンを連邦住宅抵当公庫(ファニーメイ)、連邦住宅抵当貸付公社(フレディマック)が証券化して、投資商品として各国の金融機関に販売しました。
利回りの高い投資商品を求めている金融機関は、レバレッジの大きくかかったリスクの高い商品と気づかずに購入しました。アメリカの住宅会社は、支払い能力の低い人たちに将来住宅価格が上がる前提で住宅を売りまくりました。宴は彼らがローンを払えなくなった時に瓦解しました。世界中で猛烈な信用収縮が発生しました。リーマンショックです。
政権の安定に経済の安定が不可欠
中国共産党が重視するのは党が政権を安定して維持することです。そのためには社会・経済の安定が最も重要です。そのため大衆の不満が募りやすい「雇用」「物価」の動向を常に注視し警戒しています。
- 経済が過熱しバブルが起きるとどうなるのか
- 金余りの時、大量のホットマネーが入ってくるとどうなるのか
- バブルの加熱を避けるには、いつ宴に冷水をかけたらいいのか
- もしバブルがはじけたらどうすればいいのか
目の前で起きたバブルとその後の深刻な不景気を中国は冷静に分析し、対処方法を学びました。
中国経済の発展 その1
1976年 毛沢東の死
毛沢東時代、毛沢東は文化大革命など政治闘争に終始し、経済派発展しませんでした。
毛沢東の死後、華国鋒首相は毛路線を継承しました。
中国は貧しいままで、華国鋒路線は2年間で失敗しました。
1978年 鄧小平
後を引き継いだ鄧小平は改革開放路線に舵を切りました。経済特区を設立し外資を呼び込み、商業銀行(四大銀行)を設立して融資を拡大しました。そして景気が拡大しました。
1988年 保守派の巻き返し
1988年8月の価格統制撤廃をきっかけに急速な物価上昇が起こりました。そこで保守的な計画経済派は、価格統制の再導入、投資の抑制という緊縮財政を実施しました。
その結果
「手術は成功したが、患者は死んだ」
状態となりました。
深刻な不況と大量の失業者が出て、経済成長は1988年の11.3%から1989年には4.9%へと落ち込むハードランディングとなりました。民衆の不満がたまり民主化を求める運動が激化し、1989年天安門事件が発生。そこで言論統制の強化がなされました。
過熱した景気にバケツの冷水をいきなりぶっかければ、不況と社会不安が生じることを彼らは学習したのです。
1992年 鄧小平 南巡講話
保守派の台頭で不利となった鄧小平は、1992年1月武漢、長沙、深圳、珠海を視察する南巡講話を行いました。「深圳の発展は経済特区を設置する政策が正しかった証拠」として、改革再開にむけてPRしました。政府の統制が取り払われました。地方政府は新たな投資を加速させ、1990年3.9%だった経済成長は1991年には9.2%、1992年には14.3%へと加速しました。
1989年ソ連崩壊
1989年ソ連が崩壊しました。これに対し鄧小平氏は
「ゴルバチョフはバカだ。政治改革(グラスノチ)と経済改革(ペレストロイカ)を両方やろうとして、どちらもコントロールできなくなり、両方失った」
と述べています。
1989年 江沢民とWTO加盟
1989年鄧小平に代わり江沢民が国家主席になり、2001年にはWTOに加盟したことで輸出が急増しました。中国には4つの強みがありました。
- 安い人件費
- 通貨安
- 安い土地
- 安い資金調達コスト
一方、WTO加盟により圧倒的に低い人件費の中国で作られる製品が世界市場にあふれ出ました。これは先進国の雇用を直撃しました。MITのダレン・アシモグル教授は1999~2011年に中国との競争で失われたアメリカの雇用は200~240万人に上るとと推定しています。
通貨安(安い人民元)に対し、2005年5月アメリカは中国を為替操作国に指定すると脅し、人民元を切上げなければ大幅な追加関税を導入する法案を可決しました。
2005年7月中国は人民元をドルペッグ制から管理変動相場制に移行し人民元を切上げました。しかし切上げ幅はわずか2%でした。プラザ合意による急激な円高で輸出主導経済に終止符を打たれた日本の例から、彼らは学んでいたのです。
1995年インフレの抑え込みに成功
過熱する経済とともに物価上昇も加速し、1994年には20%強上昇しました。そこで朱鎔基首相は緩やかに融資と投資を減らすソフトランディングを実施しました。
朱鎔基首相は「中国の人民のためにソフトランディングをもたらす重要性を、我々は十分理解している。…成長が急減速すると、社会の安定が打撃を受ける。社会の安定が打撃を受ければ、改革を始められない」と述べました。
こうしてインフレは抑え込まれ、1996年の初めまで物価上昇率は1桁台に戻りました。
国有銀行に資本注入
1990年代から国有銀行の不良債権は増加していました。そこで1999年に不良債権処理会社「金融資産管理公司(AMC)」を設立し、国有銀行の不良債権を買い取りました。
それでも2002年中国四大銀行の不良債権比率は26.1%もありました。日本は金融危機の際も主要行の不良債権比率が最高8.4%だったことと比べれば、国有銀行の危機的状況に変わりはありませんでした。債務超過に陥っていた四大国有銀行に対し、金融システム健全化のため、四行だけでも800億ドル(日本の金融危機の資本注入の2/3の金額)の公的資金を注入しました。その結果、国有銀行の財務は健全化し四大国有銀行は上場することができました。
2002年 胡錦涛
2002年江沢民に代わり胡錦涛が国家主席になりました。しかし胡錦涛体制は集団指導体制が強く意思決定に時間がかかりました。
一方、胡錦涛は改革開放による成長で顕著になった格差に対し、より包摂的な発展モデルを目指しました。それまで中国の社会保障制度は「ゆりかごから墓場まで」国家が面倒をみてくれ「鉄飯碗」と呼ばれていました。これが改革開放の結果、弱体化したため補強しました。
このように中国は自国の経済成長と政治の安定に苦慮しながら、経済を巧みにコントロールしてきました。
こうした他国の失敗による学習がリーマンショックの時、世界を驚愕させた4兆元の経済政策になったのです。
中国経済のその後の発展と今後の課題については、別のラムでお伝えします。
参考文献
「中国経済の謎 ~なぜバブルははじけないのか~」トーマス・オーリック著 ダイヤモンド社
「チャイナ・インパクト」柴田聡 著 中央公論新社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
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政府債務がどれだけ増えても破綻しない? 話題の『現代貨幣理論』MMTを考える その2
日本の財政赤字は約1200兆円、GDPの2倍以上になります。これは先進国の中では突出した金額です。
これに対し、ニューヨーク州立大ステファニー・ケルトン教授は
「国(もしくは政府、以降政府)が
自国通貨建ての借金(国債)をいくら増やしても財政は破綻(はたん)しないし、ハイパーインフレにならないように制御も可能
なので、
経済成長が不足であれば政府は借金を増やしてでも積極的に財政出動すべき」
と主張しました。
彼女の理論「現代貨幣理論 (Modern Monetary Theory : MMT) 」は従来の経済学の常識を覆す一方、従来の主流派経済学者からは激しい反発を受けています。
果たしてMMTは正しいのでしょうか?
政府債務がどれだけ増えても破綻しない? 話題の『現代貨幣理論』MMTを考える その1では、MMTの特徴とMMTが提言する政策について述べました。
今回はMMTの反対意見についてまとめました。
MMTへの批判
2019年1月にアメリカの下院議員オカシオ・コルテス氏が財政政策の財源の理論的背景としてMMTを述べ、それ以降アメリカではMMTに関する論争が活発化しました。そしてMMTに対する批判的な意見が続出しました。
- 「赤字が問題にならないという考えは全く誤っていると思う」FRB議長ジェローム・パウエル
- 「MMTを全く支持する気になれない」ウォーレン・バフェット
- 「ブードゥー経済学」元米財務長官 ローレンス・サマーズ
ではMMTの何が問題なのでしょうか、MMTへの批判を以下にまとめました。
「永遠には続かない」いずれ超均衡予算が必要
従来の経済理論でも、例え中央銀行が国債を引き受け(財政ファイナンス)、貨幣供給量を大きく増やしても、すぐにインフレになることはなく、政府支出を増やすことは問題ありません。しかし過大な財政支出を続ければ、インフレになります。
実はMMTも、政府支出をいくら増やしてもデフォルトにならないが、
インフレにならない
とは言っていません。
そしてハイパーインフレになった国 (例えばドイツやハンガリー、戦後の日本など) でも政府は財政破綻していません。
政府の財政破綻とハイパーインフレは、全く別の減少なのです。
MMT派は
いくら財政破綻しないからといって際限もなく通貨を発行すればハイパーインフレになるのはわかっているから、
そんなことはするはずがない
と主張します。
では、「際限もなく」とはどれくらいで、現実にどこまで通貨を発行しても問題ないのかはMMTは示しません。
MMTでは、「円の信認が失われるのは日本の徴税システムが機能不全に陥った時だ」と主張します。
しかし財政赤字を続けて市中にばらまいたお金は、どこかで適正な量にしなければなりません。
そこで市中の通貨を回収してマネタリーベースが減少すれば、多額の日銀の通貨発行損が発生し、巨額の歳入減少が生じます。その結果、超縮小予算にせざるえず、ひどい不景気になります。しかし永遠にお金を増やし続けることはできず、いつかは回収しなければ経済は持続しません。お金を刷り続ければ、その回収も考えなければならいのです。出かけたのはいいのですが、「家に帰ってくるまでが遠足」なのです。
現在の日本の政府債務は、対GDP比が2.4倍(2018年)、先進国では突出しています。そして歴史を遡れば、19世紀のイギリスは英仏戦争で負債がかさんで、政府債務の対GDP比は2.6倍になりました。しかし幸いなことに、その後、輝ける大英帝国の時代が到来しました。産業革命やインドなど植民地からの富の集積により、休息に経済成長し債務の圧縮に成功しました。
逆にイギリス以外の国で多額の債務から
「ハイパーインフレやデフォルトなしに」生還した国
はありません。
それでもハイパーインフレは起きる
確かにMMTの主張するように財政赤字を続けてもデフォルトしません。しかし放置すればハイパーインフレはいつか起きます。MMT推進派は
「政府は通貨発行権と徴税権を持っている」
「納税のために貨幣は必要」
「貨幣は法貨なので受取は拒否できない」
などから貨幣の価値がとめどなく下がることはないので
「ハイパーインフレは起きない」
と主張します。
現実には、人々は貨幣の受取は拒否できませんが、貨幣をずっと持っていなければならない義務はありません。
貨幣の価値が下がりはじめれば、人々は少しでも資産の減少を防ぐために、預金や現金を現物と交換し始めます。(今なら、外貨や仮想通貨という選択肢もあります。) 「円が危ない」と感じて人々が一斉に行えば、円の価値は暴落、物価は高騰します。つまり激しいインフレ (円の取付け騒ぎ) に見舞われます。
世界恐慌の前に起きたマルクの暴落はまさにそれでした。
この財政赤字とインフレの関係は、地下に蓄積された地震のエネルギーに似ています。ある日「紛争」「天災」「石油ショック」のような変化 (ゆれ) が起きると、人々の間でインフレ予想が広がります。そして一斉に預金を引き出してものを買い始めます。インフレ率は急上昇します。さらに「円は危ない」と思えば外貨や金などの実物資産を買い始めます。そして
ハイパーインフレが起きます。
その時、巨額の増税でインフレを止めることは、過去の歴史を振り返ってみても不可能です。最後は1920年代のドイツや終戦後の日本のように、新紙幣を発行して旧紙幣を使用不能にして市中の貨幣を急減させるしか手段はありません。
一方、ベネズエラやジンバブエのハイパーインフレは、物価の上昇に対して政府が価格を統制したために起きたものでした。価格を統制したことで、コストを価格に転嫁できず生産者の倒産が続出し、生産体制が崩壊したことがきっかけでした。1920年代のドイツのハイパーインフレも戦争による生産設備の喪失と供給不足、加えて第一次世界大戦での巨額の賠償金が引き金になりました。
現在の日本ではそのようなことはありません。しかしハイパーインフレは、銀行の取り付け騒ぎのようなものです。人々のちょっとしたマインドで起こり得るものです。そして市場における人々の行動は、時として予測不能なものなのです。
しかもハイパーインフレになっても、ハイパーインフレと分かるまでにタイムラグがあります。
タイムラグのため、その時になって、あわてて金融引締めに転換しても手遅れなのです。
では、それを防ぐ手立てはあるのでしょうか。
《市中に溢れた貨幣を回収する方法》
早稲田大学教授で元日銀の岩村充氏は、市中に溢れた貨幣を回収する方法として「条件付き変動金利永久国債の日銀引受」を提言しました。これは
- 政府は市場金利連動型の変動金利永久国債を日銀引受により発行
- 日銀は政府と協議することなく、この国債を市中に売却できる
- 政府はこの国債の日銀保有分をいつでも額面で償還できる(市場価格で買入、消却できる)
- 政府は発行済み国債を保有者の同意を得て変動金利永久国債に転換できる
というものです。
つまり国債を償還不要の永久債に替えて、徐々に国債を償還して貨幣を回収する方法です。
「お金を刷る」のは簡単だけど「刷ったお金を戻す」のは大変なのです。
「租税が貨幣を動かす」には増税が必要
MMTは「納税のために貨幣が必要なので貨幣価値は下がらない」と主張します。しかし貨幣の価値を維持するためには、貨幣供給量が増加した際は、それに見合うだけの増税が必要です。そうしなければ貨幣が増えても、そこまでの貨幣は必要ないため、結局貨幣価値が下がります。
しかし増税は国民の反発が大きく容易ではありません。その結果、貨幣が増えれば、余った貨幣が他のものに変わり、貨幣価値の低下、つまりインフレが起きます。
ポンジーゲームの財政運営は非現実的
国債の累積発行額が巨額になっている日本は、財政の持続可能性はどれくらいなのでしょうか。
毎年の政府の予算制約式
PBの現在価値 + 通貨発行益の現在価値 + 公債残高
例え国債の償還期限が来ても返済しないで、新たに元本と利子を合わせた国債を発行すれば、財政赤字を永遠に続けることができます。これはポンジーゲーム(ネズミ講)と呼ばれ、危険なゲームです。
日本はGDPがマイナス、自然利子率もマイナスなので低金利が当面続きます。そのためポンジーゲームが続けられる気がします。
しかしこれは財政赤字ギャンブルです。多くの国民がまずいと思い始めると、ある日突然金利が上がり始めます。つまり高血圧のように「全く症状がないのにある日突然血管がバースト」して命を落とすのです。
企業収支を変えない限り、政府支出の赤字は続く
図4に示すように日本は、1995年以降企業収支の黒字が続き、家計部門も黒字です。そのため、政府は多額の財政支出をして大幅な赤字を出してバランスを維持してきました。今後も企業が投資をしないで黒字を継続し、家計も支出を減らして貯蓄を増やそうとすれば、需要不足が続き経済は低迷します。そのため政府はさらに支出を増やして経済を支えようとします。
しかしいずれ家計の貯蓄率は頭打ちになり減少します。そうなれば国際収支が赤字になる可能性があります。これにより円安になれば、海外への資本逃避が起きる危険性があります。資本逃避が起きれば急激な円安が起きて物価が上昇し、インフレになります。
前出の岩村教授の物価水準の財政理論 FTPL(Fiscal Theory of Price Level)では
財政政策が豊かさをもたらすには、この分母が拡大しなければなりません。財政政策で支出しても富を増やさなければインフレになります。そしてハイパーインフレは分母が限りなくゼロに近づくことです。
対外債務のある国はできない
日本は巨額の対外純資産を持ち、対外債務の多くは自国通貨建てです。そのため海外の投資家のことを気にする必要はありません。
しかし対外債務の多い国は海外からの投資も多くあります。海外投資家はリスクが高まった時の逃げ足が速いので注意が必要です。財政政策を続けて政府債務が巨額になれば、デフォルトのリスクが高まります。そして何かをきっかけに海外投資家が逃げ出します。この時、その国の通貨をドルに替えます。これによりドル高と自国通貨安が起きて、輸入価格が急上昇しひどいインフレになります。また海外のドル建て債務を返済するためには自国通貨をドルに替えなければなりません。そこでドルが値上がりすると、さらに負担が大きくなります。
経済学理論への素朴な疑問
経済学の理論では、貨幣供給量の増加や財政支出は実体経済へ反映されることになっています。しかし金融経済は実体経済のおよそ100倍の規模があります。つまり市中にいくらお金を増やしても、実体経済の貨幣需要が弱ければ金融経済に吸収されてしまいます。
実際1990年代アメリカの不況対策として市中に増えたお金が2000年のITバブルを引き起こしまた。そして2000年のITバブル崩壊後の景気対策のお金が次のバブルを引き起こしリーマンショックが起きました。
金融経済は図14のようにレバレッジがかかっているため、少ないお金で多額の資金を運用します。運用がうまくいっている間は金融市場全体が大きな収益を生み実体経済にも反映されます。しかし資金運用で収益が得られるのはファンドや富裕層に限られます。高額品の消費は増えても消費全体を底上げするには至りません。その結果、実体経済では企業の設備投資や賃上げは低調で乗数効果は限定的です。
一方、金融市場の拡大は、ある種のバブルです。いつか崩壊します。そして実体経済への資金供給を弱まらせて失業や倒産を引き起こします。失業や倒産を防ぐため政府はさらに財政支出を行い、これが次のバブルの予兆になります。
そう考えるとMMT派、従来の経済学者も、経済政策の効果は金融市場も含めて評価すべきです。さらに財政政策や金融政策が効果を出すためには肥大化した金融市場も何とかすべきであると思うのですが。
実際、財政政策にしても金融政策にしても政府が動かせる市場は限られ、実体経済の一部であり、市中のお金の一部です。
もし実体経済が大きく落ち込めば、財政政策や金融政策は実体経済を変えるほどの力はありません。
実体経済は過去から現在まで同じではありません。常に構造的な変化を起こし、それにより生産と消費活動が変わり、企業収益や賃金、消費に影響を与えます。
経済学は実体経済のこうした構造変化は無視して、結果として生じるお金というマクロ的な指標を財政政策や金融政策で変えようとしているのではないでしょうか。
原因に手をつけず、結果だけを変えようと途中過程のパラメーターだけを調整しているのではないでしょうか。
そもそも財政政策や金融政策は不況と好況(インフレ)に対する処方箋です。日本はこの失われた25年の間、好景気もありました。ところが25年間財政支出を拡大し続けています。
経済学の理論は短期的な景気対策であり、長期的な成長不足の問題は別の処方箋が必要なはずです。それには実体経済の構造的な問題は避けて通れません。ケインズが見ていた頃の実体経済と現在の実体経済の構造は同じでしょうか。
これに関して、社会の構造変化を指摘した経済学者にトマ・ピケティ氏がいます。お金が金融市場に流れる原因は、トマ・ピケティが「21世紀の資本」で指摘した
「g<r という不都合な真実」
です。これは
経済成長率(g) < 資本収益率(r)
というものです。資産運用で得る利益の方が、実体経済で得る利益より大きいことを示しています。そのため富裕層はより豊かに、貧困層はより貧しくなり格差が拡大します。
また「g<r 」であれば、実体経済に投資するよりも金融市場に投資した方がより高い利益が得られます。
実際、これまでの歴史の中で、「g>r」だった期間は1900年から2000年の100年でした。それ以前は「g<r 」のため、富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなるという格差が拡大する時代でした。そして2000年以降は再びgとrが逆転しました。このgとrの関係と財政政策、金融政策の効果を図17に示します。
以上、2回に分けてMMTの特徴と賛成派、反対派の意見をまとめました。
これまで見てきたようにMMTの基本的な考え方は、主流派経済学とはかなり異なっています。
しかし実際の貨幣現象の説明や提言は、現在各国で取り組んでいることと大きな違いはありません。そして景気回復が弱ければ、財政支出を続けるべきとしています。しかし財政支出を際限なく続ければ、どうなるかは明言しません。「そんなことは起きるはずがない」としています。
しかしリーマンショックは「確率的には起きるはずがない」ことが起きたのですが…
MMTを理解する上で必要な経済学用語の解説は、政府債務がどれだけ増えても破綻しない? 話題の『現代貨幣理論』MMTを考える その1の最後にあります。
参考文献
「MMTのポイントがよくわかる本」中野 明 著 秀和システム
「MMT『現代貨幣理論』がよくわかる本」望月 慎 著 秀和システム
「MMTによる令和『新』経済論」藤井 聡 著 晶文社
「国家・企業・通貨」岩村 充 著 新潮社
「MMT 現代貨幣理論入門」L・ランダル・レイ 著 東洋経済新報社
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政府債務がどれだけ増えても破綻しない? 話題の『現代貨幣理論』MMTを考える その1
日本の財政赤字は約1200兆円、GDPの2倍以上になり先進国の中では突出した金額です。
その一方で、日本はアベノミクスによる異次元の金融緩和を行ってもデフレを解消できず、2%のインフレ目標はいまだに達成できていません。(執筆時2022年)
それもあって「積極的な財政支出」を求める政治家もいます。そのような背景から2021年11月、政府は18歳以下に一人10万円の支給を検討しました。
財源は大丈夫でしょうか。
これに対し、ニューヨーク州立大ステファニー・ケルトン教授は
国(もしくは政府、以降政府)が
「自国通貨建ての借金(国債)をいくら増やしても財政は破綻(はたん)しないし、ハイパーインフレにならないように制御も可能」
なので、
「経済成長が不足であれば政府は借金を増やしてでも積極的に財政出動すべき」
と主張しました。
彼女の理論「現代貨幣理論 (Modern Monetary Theory : MMT) 」は従来の経済学の常識とは大きく異なり、主流派経済学者からは激しい反発を受けています。
果たしてMMTは正しいのでしょうか?
政務債務の対GDP比が先進国中最悪の日本は、将来問題ないのでしょうか。
MMTの賛成派と反対派の意見をまとめました。
MMTとは?
現代貨幣理論の代表的な主張をまとめると、以下の3つのことがあげられます。
- 自国通貨を発行できる政府は、財政赤字を拡大しても債務不履行にはならない
- だから財政赤字でも政府はインフレが起きない範囲で財政支出を行うべき
- なぜなら税は財源ではない。通貨を流通させる仕組みだからである
このMMTの主張を図1にまとめました。
MMTは、「税は政府の収入」という従来の考えを覆しました。そして「財政赤字を拡大しても債務不履行になることはないから、財政支出を拡大し景気を浮揚させるべき」と、従来とは全く異なる考えを主張し、大きな話題になりました。
アメリカでは、民主党の大統領候補サンダース上院議員や下院議員のオカシオ・コルテス氏がMMTを強く支持し、そこから広く知られました。日本の政界では、西田昌司参院議員(自民党)などが、早くからMMTを取り上げました。
MMTが大きな議論を巻き起こしたのは、貨幣や負債について、従来とは異なった新たな考えを示したこと、そして従来の経済学(新古典派)が提言してきた政策の矛盾点を突いたことです。さらに雇用や政策についても新たな提言をしました。
一方、経済理論としてMMTの主張には脆弱な点もあります。その点を反対派から批判されています。
注) MMTとリフレ派
MMT、リフレ派と積極財政派は、現在の日本の財政が危機的な状況でないという見解は同じですが、以下の主張が異なっています。
- リフレ派 財政政策に否定的、量的緩和(金融政策)を主張
- MMT 金融政策に否定的、総需要拡大でなく的を絞った財政政策を主張
- 積極財政派 金融政策に否定的、総需要拡大を目指す財政政策を主張
現金通貨の理解
《租税貨幣論》
なぜ、ただの紙切れの貨幣に価値があるのでしょうか。
MMTは、「貨幣とは政府が国民・企業に渡す債務証書」と考えます。政府は、国民・企業から財やサービスを購入し、その対価として貨幣(債務証書)を渡します。国民・企業は、納税として一定額の貨幣(債務証書)を政府に渡します。
貨幣は借用証書なので、先に納税する必要はありません。政府が先に支出して、国民・企業に貨幣(借用証書)を渡し、後から納税してもらえばよいのです。これを
(スペンディングファースト)
と呼びます。
つまり、これまで考えられていたように、政府が支出をする際、税金を財源とする必要はありません。
必要なときに必要なだけ、お金を刷ればよいのです。
貨幣の発行に税収が必要ないことは、FRBのバーナンキ議長も認めています。以下はバーナンキ議長の発言です。
「税金で集めたお金ではありません。(中略) 銀行に貸出をするために、私たちはコンピューターを使って、銀行がFRBに持っている口座の残高を書き換えているだけです。」
だからといってMMTは、税は必要ない(無税)とは言っていません。税には以下の役割があるからです。
- 物価の自動調整
- 悪い行動の抑制(CO2排出、公害、喫煙)
- 富の再配分
- 政府のコストの直接賦課
税率を変えることで、物価が調整できます。
CO2排出、公害、喫煙など社会に対しマイナスの行動を、法律で罰する代わりに、税率を高めることで抑制できます。
所得税の累進税率などで、富裕層から貧困層に富を再分配します。
道路整備のためのガソリン税のように、特定の目的に応じて税を徴収しコストを使用者に負担させます
一方、MMTは、社会にマイナスの影響をもたらす租税を「悪税」と呼び、反対しています。
- 生活水準の引き上げに逆行
- 逆進性 (低所得者ほど厳しい)
- 現在の税制は景気に連動しない → インフレ率連動型消費税を提言
実は、お金の実体は紙幣ではありません。
日本のマネーストックM2は約1,000兆円ですが、紙幣や硬貨などの「お金」は100兆円に過ぎません。他の900兆円は、銀行預金などコンピューター上の数字です。そして企業間の支払いとは、実体はA社の銀行口座からB社の銀行口座に、数字を移動することです。
つまり元手(紙幣)は必要ありません。
同様に政府(中央銀行)がお金を発行する場合、A銀行の日銀当座預金口座に数字を書き込むだけです。これを
「万年筆マネー (キースロークマネー) 」
と呼びます。
貨幣は、政府の債務証書なので、民間部門が黒字になり貨幣を蓄積すれば、政府は赤字になります。従って財政赤字は決して悪いことでなく
「デフレ下では、政府の財政は持続的に赤字に偏らなければならない」
とMMTは考えます。
逆にインフレになれば、税収を増やして政府の財政を黒字にします。そこでMMTは、
国内民間部門収支 + 政府部門収支 + 海外部門収支 = 0
と考えます。これは以下のように表すことができます。
(貯蓄-投資) + (租税-政府購入) + (輸入-輸出) = 0
実際、日本は図4に示すように1995年以降、企業と家計収支は黒字、海外部門(経常収支)も黒字です。これと対比して政府は赤字です。
好景気になって民間借入支出が増えれば、政府部門は黒字になります。好景気で民間借入支出が増えれば、後述の信用創造により「結果として」貨幣量が増えます。
不景気になって民間借入支出が減れば「結果として」貨幣量が減少します。そして徴税により貨幣は消滅します。
従来は「貨幣量が増えたら好景気、貨幣量が減ったら不景気」と考え、不景気には貨幣量を増やせばよいと考えました。
これは因果関係が逆です。
この「国、銀行、企業・家計」の債務は、図5のようなピラミッド構造になっています。
企業がお金を借りて、そのお金を使えば、そのお金がさらにお金を生むのです。これが信用創造です。
銀行は元手がなくても、借り手の口座に数字を書き込むことで、お金を生むことができます。そこで必要なのは、誰かの借入です。借入があればお金を創造できます。そしてマネーストックが拡大します。
例えば、誰かが銀行に100万円預金すれば、銀行は準備預金10万円(なくても可、その場合、日銀から借りる銀行与信を利用)を引いた残り90万円を企業A社に貸出します。
90万円を借りたA社は、物品をB社から購入します。そしてB社に代金90万円支払います。
その結果、B社の口座に90万円が書き込まれ、銀行は、この90万円から準備預金9万円を引いた81万円をC社に貸し出します。
これを繰り返すことで
100万円の預金は何倍ものお金を生みます。
これを信用創造と言います。
ただしBIS規制があるため、国際取引をする銀行は、8%以上の自己資本比率がです。国内取引のみの銀行でも、金融庁の規制により自己資本比率4%以上が必要です。
一方、政府が国債を発行して民間に直接投資しても、同様に民間企業の預金口座残高が増加し、信用創造によりマネーストックが拡大します。
MMT派は、積極的に財政支出をするために、
中央銀行が国債を直接購入する財政ファイナンスでも構わない
と考えます。(財政ファイナンスは日本では財政法で原則禁止)
財政ファイナンスで政府が発行した国債を中央銀行が直接買い取るのなら国債も不要です。
そこで図9のように政府と中央銀行は統合できると考えます。
(ただし、現在は国債には金利を調整する役割もあります。中央銀行が国債の売買することで(売りオペ、買いオペ)金利を操作しています。)
機能的財政論
これまで
「日本は、政府が赤字になっても民間が貯蓄超過、貿易収支が黒字のため、財政破綻しない」
と考えられていました。しかしMMTは
「主権通貨国は、どれだけ財政赤字になっても、自国通貨建ての債務に関してデフォルトすることはない」
と主張します。
実は
「国債がデフォルトしない」
ことは財務省も認めています。
外国の債権格付け会社3社が日本国債の評価を下げた際に、財務省は「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」という公式意見書を格付け会社に送っているのです。
なぜ国債がデフォルトしないのでしょうか。
それは日本など主権通貨国は、国債の返済期限が来た時にお金が足りなければ、自らお金を刷ればよいからです。
しかし発展途上国で自国通貨の信用が低い国は、米ドルとの連動制(為替相場を固定)を取っています。そのため自国通貨を発行するには、発行する金額と同等の米ドル(外貨)が必要です。そのため自由に通貨を発行できないのです。
以上のことからMMTは、赤字国債発行を伴う財政支出を
「税収が多いか少ないか」、「累積財政赤字が多い少ないか」
で判断するのは間違っていると考えます。
財政支出は
「不況かインフレか」、「完全雇用か不完全雇用か」
で判断すべきと考えます。
《インフレ率を基準に財政支出》
MMTでは、
「経済が停滞すれば財政支出を増加させて政府が自ら需要をつくるべき」
と考えます。その場合の政府支出(財政赤字)は、少なくとも
「経済が停滞してしまう程度以上」
として、上限は
「過剰インフレにならない程度」
までとします。その基準は
インフレ率
です。
従来の経済学(新古典派)は、景気対策は金融政策を主とし、財政政策の効果は否定していました。従来は経済が過熱すれば、インフレを抑えるために金利を引き上げます。しかしMMTは、金利を引き上げれば政府の利払い費も上昇するため、民間への資金供給も増えます。そしてインフレを高めてしまうと考えます。
そのためインフレ率を引き下げるには、金利より「消費税増税、国債発行減少、政府支出減少」により、直接需要を冷やすべきと考えます。言い換えれば、増税や政府支出減少で市中のお金を政府が回収することです。そして市中の貨幣循環量を調整します。
一方
「インフレが怖いからデフレの方がまし」
という意見もあります。しかし、自国のデフレを放置すれば、世界の中でその国は相対的に貧しくなってしまいます。 (日本がまさにそうです。) MMTは、政府の累積赤字や現在の財政状態にかかわらず、不況であれば赤字国債を発行して財政支出を拡大し、デフレを防ぐべきと考えます。
《自動調整機構を組み込む》
しかし政府が景気の動向を見て財政支出の拡大や縮小を決定するという裁量的な政策は、以下のような問題がありました。
- 後手に回りがち
- 必要な層に届きづらい
- 規模が不適切になりがち
そのためうまくいっているとは言い難い状況です。
そこで政府は景気の変動にかかわらず、社会が必要する支出を継続して行い、インフレ率の調整は、
経済の状況に応じて自動的に変化する調整機構(ビルトインスタビライザー)
を組み込みます。
このビルトインスタビライザーとは、具体的には、
高額所得者の税率を引き上げ、低額所得者の税率を引き下げて
「所得税の累進性」を高くします。
累進性が高ければ、デフレで所得が下がれば税率も下がり、結果的に減税になります。減税になれば、人々の可処分所得が増えます。これは貨幣循環量を増大させ景気が刺激されます。
インフレになれば所得が増えるので所得税の税率が上がり、結果的に増税されます。貨幣循環量は減少し、景気が沈静化します。法人税も景気によって、0~20%自動的に変化するような制度にして、景気によって税率を変化させます。
MMT学派の政策提言
主流派経済学(新古典派)では、不況で景気を刺激するために財政支出を行えば、政府支出が増大することでハイパーインフレの恐れがあると考えます。そこで不況の際は金融政策で金利を下げて貨幣供給量を増やし、景気を刺激すべきだと考えます。
現実には、日本をはじめとする先進国は、金利をゼロにしても投資や消費は伸びません。(流動性の罠) ケインズは、不況の時は金融政策よりも財政政策を取るべきで、政府が積極的に公共事業に投資すれば景気を刺激できると主張しました。
この主流派経済学、ケインズ派、MMTの考え方の違いを図10に示します。
日本は、1995年以降政策金利はゼロです。(ゼロ金利政策)
それにも関わらずマネタリーベースは増えず、GDPの伸びも停滞しています。そこで2000年以降は財政支出を拡大しました。
実はアメリカや中国などの財政支出の伸び率は日本よりも高いのです。そして財政支出の伸び率とGDPの伸び率には明らかな相関がみられます。
ケインズが指摘するは資本主義の根本的欠陥は
- 慢性的な失業
- 過度の不平等
です。
ワシントン大学の経済学部教授ハイマン・ミンスキーは、これに
- 不安定性
を加えました。
こういった資本主義の根本的な欠陥を解決するために、MMTでは様々な政策提言を行っています。
財政支出とインフレの調整
これまでは赤字国債を大量に発行すれば、急激なインフレ(ハイパーインフレ)が起きると考えられていました。さらに過大な支出のため税収が不足すれば、将来増税して回収しなければならないと考えていました。
それは、政府が税収以上に支出するのは、今貯蓄している人のお金や金融資産を将来はく奪することになるからです。しかしMMTでは、これは最初の仮定が正しくないと考えます。
累積赤字が過度に大きいのなら現時点ですでにインフレになっているはず
だからです。
そこで緊縮財政を行えば、経済全体への投資不足が負の遺産となって、将来にマイナスの影響を与えます。だからMMTは「税収」でなく「インフレ率」に基づいて財政支出を調整すべきだと考えます。
就業賃金保証プログラム
一方、財政政策は的を絞って支出をすべきです。(ワイズスペンディング)
例えば
ジョブギャランティ(就業保証)で完全雇用を実現する
のが理想と言えるでしょう。
MMT派のビル・ミッチェル氏は、市場経済下で自ずと調整される失業率「自然失業率」について、
「失業は個人の問題ではなく、政府や会社といった組織の方策の失敗が影響している」
と主張します。そして物価の安定とともに完全雇用の回復は実行可能であり、財政拡大主義に基づいてジョブギャランティを行えば完全雇用は実現できることを示唆しています。
ビル・ミッチェル氏のジョブギャランティは、オーストラリアの羊毛管理制度にヒントにした「労働力のバッファ・ストック」という考えです。オーストラリアは、羊毛が市場で過剰になった場合、政府が際限なく羊毛を買い取りストックします。そして市場で羊毛が不足すれば、政府は羊毛を市場に放出して価格の安定化を図ります。
同様にジョブギャランティは、不況の場合は政府が失業者に仕事を出して労働力をストックします。好況になれば、民間部門がジョブギャランティ以上の賃金で雇用するようになります。そのため労働者は政府から民間部門へ自然に移動します。こうすることで景気対策と同時に、失業によって労働者の意欲やスキルが低下したり、労働力が陳腐化したりすることを防ぎます。
現在行われている景気浮揚を目的とした財政政策は、必ずしも雇用の増加につながっていません。場合によっては格差の拡大や不平等なインフレの原因になります。ジョブギャランティは、ベストではありませんが、下記の最低限の対策はできます。
- 失業しても労働者の生活の最低水準の底抜けを防ぐ
- 非自発的失業者を迅速に救済する
- 労働力の一時保全と復帰を支える
《ベーシックインカムとジョブギャランティ》
ベーシックインカムとは、最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して一定の現金を支給する政策です。これに対しビル・ミッチェル氏は以下の反対意見を述べています。
- 政府が失業や完全雇用保証に対し責任を持たなくなる
- 自動的な経済調整機構がない
- インフレ発生時に失業を増やして物価下降圧力をかけるという現在の問題点が放置される
- 失業しても生活できることで雇用による社会的アイデンティティや自尊心、社会的ネットワークが得られない
ベーシックインカムが生活保障のみに焦点を当て、労働と収入を切り離すのに対し、ジョブギャランティは労働を必須とすることで「価値ある仕事とは何か」「生産性のある仕事とは何か」を問い直すものといえるでしょう。
日本への提言
日本は2014年の消費税増税、財政支出削減という緊縮財政により、貨幣供給量が減少しデフレが加速しました。MMT推進派の京都大学大学院教授 藤井聡氏によれば「日本は今の政策を反転すべき」と言います。
- 反・緊縮
- 反・グローバル化
- 反・構造改革
まずプライマリーバランスの目標を撤廃し、消費税を減税して貨幣供給量を増やします。さらに積極的な財政政策で需要を拡大します。
段階的な法人税の強化(累進課税)でビルトインスタビライザーを構築します。外国人の流入を規制し、財政支出で政府が支出したお金を外国人労働者が海外に持ち去るのを防ぎます。同様に資本の海外への移動を規制します。
では、このMMTに対し、どのような反対意見があるのでしょうか?
これについては、「政府債務がどれだけ増えても破綻しない? 話題の『現代貨幣理論』MMTを考える その2」でお伝えします。
経済学用語の解説
ここでは、MMTの理解に必要な経済学用語の説明を述べます。
モズラーの名刺説
お金持ちのモズラー氏は、三人の子どもたちに手伝いをさせるため、皿洗いや庭の掃き掃除などの手伝いをしたら、名刺をあげることにしました。さらに「名刺を納めないとこの家から追い出すぞ」と脅して、月末にその名刺を30枚渡すことを義務付けました。その結果、子供たちは手伝いをするようになりました。子供にとって何の価値もない名刺が、月末に30枚渡す義務が生じたことで、価値あるものに変わりました。
同様に政府は、公共事業など政府支出を先に行い、その後、徴税します。ただの紙切れの貨幣に価値があるのは、貨幣で納税しなければならないからです。
信用創造
「信用創造」とは、銀行が、預金を元手に貸付をして見かけ上の預金を増やして、さらに貸付を行うことです。銀行は預かったお金から、現金を引き出すお客さんに備え一定額(準備預金)を残して、残りを別の顧客に貸付します。そのお金を相手の口座に入金することで口座預金は増えます。
新たに増えた預金から準備預金を除いた額が貸付されます。
これが繰り返されて、元の預金の何倍もの貸付が行われます。
(準備預金をどのくらいにするかは、日本銀行によって決められます。)
乗数効果
需要を増加させたときに、増加させた額よりも国民所得がより多く増えることです。
企業や政府が投資を増やす → 国民所得が増加する → 消費が増える → 国民所得が増える → さらに消費が増える・・・
という効果を意味します。
家計の可処分所得が1単位(たとえば1万円)増加したとき、β(限界消費性向)を消費し、(1-β)を貯蓄したとします。(0≦β≦1)。
(ここで1-βは限界貯蓄性向)
全家計の可処分所得の合計がX円増加すると、家計はβX円だけ消費に回します。βX円は企業の収入となり、給料として再び各家計に入ります。すると家計はこのβX円のβ割のβ2X円を消費に回します。β2X円は企業経由で再び家計に入り、家計はそのβ割にあたるβ3X円を消費に回します。これが繰り返され総消費は以下の式に表されます。
すなわち、最初に行われた投資Xの1/(1-β)倍分だけ消費が拡大します。
例えば
β=0.9 1/(1-β)=10
10倍消費が拡大します。 1/(1-β)(=10)が乗数であるため、乗数効果と呼ばれます。
マネーストックとマネタリーベース
- マネーストック
- マネタリーベース
- 信用乗数
日本銀行を含む金融機関全体から供給される通貨の総量で、企業、個人などが保有する通貨量の残高「通貨残高」。
「日銀が供給する通貨の総量」です。具体的には、市中に出回っている流通現金(日本銀行券発行高と貨幣流通高、つまりお札と硬貨)と、日銀当座預金(民間銀行が日銀に保有している当座預金)の合計値。
マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」
マネタリーベースに対するマネーストックの比率を表すことができます。
マネーストック=信用乗数×マネタリーベース
この式から「日銀がマネタリーベースを増やせば、その信用乗数倍マネーストックが増える」、つまり「日銀が銀行への資金供給を増やせば、銀行から企業への融資も増える」と示されます。
財政ファイナンス
中央銀行(日本では日銀)が、政府発行の国債を直接引き受ける(買う)ことです。日本の法律では、借換債を除き財政ファイナンスは原則禁止されています。アベノミクスの量的緩和は、民間銀行が保有する国債を日銀が直接引き受けるもので、これは間接的な財政ファイナンスとなります。
流動性の罠
金融緩和により金利が一定水準以下に低下した時、投機的動機のため貨幣需要が無限大になり、金融政策が効力を失うことです。つまり金利水準が極めて低ければ、金融緩和を行っても景気は回復しません。
金融緩和を行うと金利が低下して民間投資や消費が増加します。しかし、金利がゼロ%近くまで低下すると、消費や投資よりも貨幣保有が選好されます。そのため、銀行に資金が滞留して企業や個人に資金が流れず、設備投資や個人消費が増えません。こうなると利下げによる景気刺激策は効果がなく、量的緩和やマイナス金利、大規模な財政政策などが発動されます。
縦軸を利子率、横軸を国民所得とし、財市場と貨幣市場の均衡を分析する「IS-LMモデル」では、「流動性の罠」はLM曲線が利子率の下限で水平となる状態です。この時、金融政策は均衡点の国民所得を変化させることができません。財政政策は水平となったLM曲線上でIS曲線を右に動かすため、均衡点の国民所得は増大します。
不況で金利が低くなれば、自由に使えるお金を手許に置きたい流動性選好が大きくなり、リスクを背負って投資に回そうとは考えなくなります。
ケインズは不況のときには、有効需要(消費+投資+政府支出+純輸出)の中で企業の投資Iがいちばん落ち込むため、それを回復させるには金融緩和でマネーの量を増やして金利を下げて、利子率が利潤率より低くするべきと提言しています。これにより投資のハードルが下がります。
それでも流動性選好が強く投資が増えないときは、財政赤字になってでも政府支出で有効需要を増大させるべきとケインズは説いています。金融政策でマネタリーベースを量的緩和で増やしても、企業が銀行からお金を借りようとしないため、市中に供給されず無駄に積みあがる(ブタ積みになる)だけだからです。
ただし財政政策で直接市中にお金を供給しても、企業の投資が増えず、お金が循環しないという可能性もあります。
ニューケインジアンのポール・クルーグマンは、ただ単純な金融緩和や財政出動をやるのではなく、インフレ予想や、中央銀行が長期に渡って金利を抑え込むコミットメントが必要と言っています。
リカードの中立命題(等価定理)
財政赤字の穴埋めに公債の発行が増えた場合、その負担は将来の増税になると考えられます。公債の利子率と民間資金の割引率が同じであれば、生涯所得は変わりません。そのため人々は、将来の増税を見越して現在の消費を少なくします。これは現在世代が将来の税負担と同じ効果を、節約という形で行うことです。従って将来世代の負担が重くなるということはありません。
このリカードの中立命題は、全ての人間は常に経済合理性のみに従って動くという合理的期待形成仮説をもとに立てられています。現実に人々がそのように動くとは限らず、人々が将来の増税に備えることなく減税分を消費に回してしまう可能性もあります。経済学者の浜田宏一氏は「誰もが子や孫を持っているわけではないし、国民全員が子や孫の事を考えて合理的に行動するとは限らない」と述べています。
合理的期待形成仮説 (合理的期待仮説)
「人々が利用可能なあらゆる情報を用いて合理的に予想するとき,期待値に関しては正しい予想ができる」という前提に立つ学説です。1970年代米国ではケインジアンの財政金融政策に対し、「人々は政府この説は前提として「人々は皆市場についての正確な知識をもっている」としていて、これは現実から乖離していると批判されています。
自然利子率
景気が緩和状態でも引き締められた状態でもない中立状態での実質利子率のことを「自然利子率」と呼びます。実質利子率は中長期的には潜在的成長利率に類似します。つまり金利がお金の利子率に対し、自然利子率はモノ(物価)の利子率です。例えば10年後にはガソリンの供給量が現在の2倍になっていると人々が予想すれば、現在ガソリン1リットルを使う権利は10年後のガソリン2リットルを使う権利に相当します。この現在と将来のモノの交換比率が自然利子率です。
金融政策が景気を過熱するか冷やすかは、金利を自然利子率より低くするか、高くするかで決まります。自然利子率の低下はデフレ下の日本で1990年から低下し、その後は回復していません。これはデフレの日本固有の減少と思われていましたが、2010年代のアメリカでも発生しました。今では先進国に共通する現象です。
基軸通貨
「主たる国際通貨」の意味ですが明確な定義はありません。この国際通貨とは、国際的な取引・決済に使われる通貨のことで、現在、基軸通貨はドルです。海外との取引(外国為替)で問題となるなのは、為替レートの変動です。企業は先物予約などを使って、そのリスクをヘッジします。しかし国際通貨・基軸通貨は自国の通貨がそのまま使えるため(為替変動リスクがゼロ)、リスクヘッジの必要がありません。
基軸通貨の最大のメリットは、貿易赤字でも自国通貨で払えることです。手持ちの外貨がなくても新たにお金を刷ればよいのです。
貿易黒字で生まれた外貨は、現金のままでは価値が低下するため、その国の国債に替えます。アメリカに対し多額の貿易黒字がある中国は、ドルと米国債を約4兆ドル保有しています。このドルが基軸通貨のアメリカのメリットには、以下のようなものがあります。
- ドル以外の資産(外貨など)で対外債務を決済する必要がない
- ドル建てで経常収支赤字の支払いができる
- 世界に対して低利で対外債務を拡大できる
- 政府は米財務省証券の発行によって低利で対外借り入れができる
- 金融機関はドルが国際通貨として利用されるため国際的に優位である(建値通貨に関わるレント)
参考文献
「MMTのポイントがよくわかる本」中野 明 著 秀和システム
「MMT『現代貨幣理論』がよくわかる本」望月 慎 著 秀和システム
「MMTによる令和『新』経済論」藤井 聡 著 晶文社
「国家・企業・通貨」岩村 充 著 新潮社
「MMT 現代貨幣理論入門」L・ランダル・レイ 著 東洋経済新報社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
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世界恐慌 ~金融危機と通貨危機の同時連鎖はなぜ起こったのか?~
リーマンショックは100年に一度の不況と言われ、今回のコロナ不況は1920年代の世界恐慌に匹敵するともいわれています。
では、あの時の世界恐慌とはどんなものだったのでしょうか?歴史を遡って考えました。
時代背景1 金本位制
現在、我々が使用しているお金、つまり通貨は政府がその信用を保証しています。信用がなければただの紙切れにすぎません。20世紀初頭、「金本位制」では通貨の価値は金の価値と結びついていました。政府が発行した通貨の価値は「金に対していくら」と決められ、誰でも紙幣を金と交換してもらうことができました。
経済の弱い国でも自国通貨に十分な信用
この金本位制をとることで、経済力の低い弱小国の通貨でも十分な信用を得て他国との取引を行うことができました。
ただし金本位制では自国の政府が必要な通貨を発行するのに十分な金を持っている必要があります。ただ発行する通貨の総額の金を保有する必要はなく、例えばアメリカの金の準備高は発行する通貨の総額の40%以上と決められていました。イングランド銀行では7,500万ドルを超えて発行する紙幣は同量の金の準備が必要でした。
通貨発行高の40%の金が必要
表1 世界恐慌前後の各国貨幣用金の分布状況の推移 単位 100万ドル
金本位制の元では、世界中で発行できる通貨の総額は世界中の金の量で決まってしまいます。幸いなことに20世紀は世界で金の採掘量が増加し、経済規模の拡大に見合った通貨が発行できました。
金の流出とは中央銀行の金庫にある金の持ち主が変わるだけ
金本位制では海外との取引で支払いが超過になれば自国の金が流出します。ただ流出といっても金自体がイギリスからアメリカに移動するわけではありません。イギリスの中央銀行の金庫には、イギリスの保有する金、アメリカの保有する金などがあります。イギリスからアメリカに支払えば、金庫にあるイギリスの金の一部がアメリカの金の置き場に移動するだけです。
紙幣の価値は金の裏付けが必要という常識
金本位制では各国の通貨の価値は金との交換比率で決まります。従って各国の通貨間の交換レートも固定されます。つまり為替レートは固定相場制です。
太古から貨幣といえば金であり、紙幣であっても金の裏付けがあることが当時の人々の常識でした。この時代、通貨の発行量は金の準備高で制限されているためインフレになることはなく、逆に通貨の不足による物価の下落、デフレが起きやすい状態でした。
時代背景2 弱い中央銀行
現在、各国の中央銀行は通貨の信用と金利を管理し、国の経済を決定する非常に重要な機関です。さらに政治家の思惑により自国の経済を混乱することがないように政治に対する独立性が保たれています。しかし世界恐慌前の1920年の時点では、各国の中央銀行は民間の銀行でした。
中央銀行は民間の銀行!
アメリカの中央銀行ニューヨーク連邦準備銀行は12行ある連邦準備銀行の一つにすぎず、これを管轄する連邦準備制度理事会(FRB)の指揮下にありました。第一次世界大戦後から世界恐慌までの間アメリカの金融政策の中心を担ったベンジャミン・ストロングはニューヨーク連邦準備銀行の総裁でした。
ドイツの中央銀行はライヒスバンク(ドイツ帝国銀行)ですが、それ以外にバイエルン王国・ヴュルテンベルク王国・ザクセン王国・バーデン大公国には独自の発券銀行があり、1935年まで独自の通貨を発行ました。官僚が非常に強力なフランスではフランス銀行の幹部は銀行出身以外の官僚で占められていました。
発端は第一次世界大戦の戦費調達
1914年6月28日サラエボでオーストリアの皇太子が暗殺されたことをきっかけに始まった第一次世界大戦はヨーロッパ全土を巻き込み、1918年11月に終結しました。戦死者992万人、戦傷者2,122万人を出した長い戦争が終了しました。(第二次世界大戦は、死者は軍人2,500万人、民間人3,700万人)
長引く戦争と不足するお金
当初各国の指導者は、この戦争は短期で終わると考えていました。そのため戦争が長引くにつれて不足したのが戦費でした。そこで各国とも一旦金本位制を放棄して紙幣を増刷して戦費を調達しました。さらにイギリス、フランスはアメリカから戦費を借り入れました。
表2 各国の戦費の調達
戦費 | 借入 | 注記 | |
英 | 430億ドル (1,032兆円) |
270億ドル (648兆円) |
110億ドル(264兆円) 仏、露に融資 |
仏 | 300億ドル (720兆円) |
100億ドル (240兆円) |
50億ドル(120兆円) 紙幣印刷 |
独 | 470億ドル (1,128兆円) |
||
米 | 300億ドル (720兆円) |
100億ドル(240兆円) 仏、英に融資 |
(円換算は、経済規模を考慮し200倍にし、1ドル120円で計算)
表2の各国の戦費を現在の貨幣価値に換算すると、第一次世界大戦の戦費が巨額なことがわかります。アメリカはイギリス、フランスに対して総額100億ドルを融資しました。イギリスは海外に110億ドルを債権がありましたが、このうちフランスに30億ドル、ロシアに25億ドルでした。しかしロシアへの融資はロシア革命により回収不能になりました。
戦費が不足し、金本位制から離脱
当時の各国の指導者たちは自国が戦争には勝つと考え、戦費は負けた国から賠償金としてもらえばよいと考えていました。戦争が長引くにつれて各国とも不足した戦費は紙幣を増刷して補い、フランのレートは3倍、マルクのレートは4倍と通貨安になりました。
借りたお金は負けた国に払わせればよい
数多くの人命が失われた悲惨な第一次世界大戦でしたが、ヨーロッパ西部では戦線はドイツ、ベルギー、フランスの国境線沿いに限定されていました。工業施設や社会インフラなどの物質的な破壊は限られたため、戦争終了とともに各国とも経済活動を活発に再開しました。
戦後のドイツで起きたハイパーインフレ
1919年1月に開催されたパリ講和会議で、ドイツの賠償金額について初めて話し合いがもたれました。しかしフランス、イギリスの主張する金額とドイツの提示する金額とで折り合いがつかず、金額についてはその後何度も話し合いが持たれました。
賠償金でドイツの力を削ぎたいフランス
ドイツと国境を接し度重なる戦争が起きたフランスは、ドイツに多額の賠償金を課してドイツの力を削ごうと考えました。またドイツからの賠償金によりアメリカから債務を返済する目的もあって、イギリスは賠償金を550億ドル(1,320兆円)と主張しました。当時のドイツのGDPは120億ドル(288兆円)、550億ドルはGDPの4.6倍に相当する金額でした。
1922年までにドイツは20億ドル(48兆円)を返済しました。最終的には賠償金は120億ドル(288兆円)と決定され、ドイツは毎年6~8億ドル(14~19兆円)支払うことになりました。しかしこれが決まるまでには長い時間がかかりました。
マルク安からマルクが大人気
巨額の対外債務を背負ったドイツは、軍人や戦争未亡人への給付金などもあって多額の財政赤字に陥りました。財政赤字を解決するためにドイツの中央銀行ライヒスバンクは紙幣を大量に印刷しました。マルクの価値はどんどん下がり、戦前は1ドル4.2マルクだったものが、1ドル65マルクになりました。
しかし規律と秩序を重んじるドイツ人のことだから、マルクの価値はどこかで元に戻ると多くの投資家は思いを買いました。マルク人気はアメリカやヨーロッパにも飛び火し、アメリカでは一般の人までもがマルク紙幣を手にしていました。
人々の不安からパニックになった
しかし1921年半ばには、賠償金に対するフランスの頑なな姿勢、頻発する右翼テロなど政情不安からマルクに対する不安が広がり、マルクが売られ始めました。1922年6月にラーテナウ外相が射殺されると人々はパニックになりマルクは大量に売られて急落、1ドル7,600マルクまで下がりました。
インフレは急激に加速しました。これに対してドイツの中央銀行は不足する紙幣を補うため、紙幣をさらに増刷しました。物価は3週間で1万倍に上昇、人類史上経験したことのないインフレが起きました。
未曾有のハイパーインフレ
ドイツに住む外国人は貴族のような暮らしになり、工場や商品を持っていた資産家も裕福になりました。仕事もそこそこあるため、労働者の暮らしも悪くありませんでした。しかし公務員や年金で生活している人は極貧生活を強いられました。
マルクを救ったシャハト
ライヒスバンク総裁ハーフェンシュタインはジレンマに直面していました。財政赤字を埋めるには、紙幣を増刷するか、政府がお金をかき集めるかしかありません。しかし政府がお金をかき集めれば金利が上昇して、不況に陥ります。大量に失業者が出れば社会が動乱状態になり
「インフレを止めて革命の引き金を引く」
ことになりかねません。金本位制の元で通貨政策を実施してきたハーフェンシュタイン総裁には、
金本位制を離れた時にどう通貨の発行量をコントロールすべきか
解が見つかりませんでした。
1923年に入るとドイツ経済は機能不全に陥ります。通貨が使用できないため商業決済に支障をきたして経済が低迷し、物価高のために暴動が起きました。
そんな中、1923年11月ダナートバンク取締役ヒャルマール・シャハトがライヒスバンク総裁に就きました。
そして新しい通貨レンテンマルクを発行しました。シャハトは交換比率を1兆ライヒスマルク=1レンテンマルクに決定しました。他にも政府の様々な財政均衡の努力もあってレンテンマルクの価値は安定し、物価も安定しました。
海外からの投資を呼び込み好景気に沸く
その後、マルクの価値が安定したことでドイツ経済は復調し、1926年には生産高は50%、輸出は75%増加しました。加えて1924年にはドーズプラン (後述) により2年で15億ドル(36兆円)の外貨がドイツに流れ込みました。賠償金の5億ドルを支払ってもまだ余裕があり、これらの外貨が劇場やスタジアムの建設に使われました。さらに外国人投資家からの資金もドイツに入ってきました。
イギリスの金本位制復活の悲願
大戦がイギリス経済に及ぼした影響
第一次世界大戦前のイギリスは世界の金融の中心地で、世界の貿易信用の2/3、長期投資の1/2がロンドン経由でした。対外投資も200億ドル(480兆円)以上ありました。
戦前イギリスは世界の金融センターでした。
しかし戦争はイギリスに大きな影を落としました。第一次世界大戦ではどの国も紙幣を増刷しインフレになりました。そこから金本位制に復帰するためには、通貨の流通量を減らさなければなりません。これは信用収縮と高金利を発生させ、その結果、不況になり失業が増大します。これを避けるには通貨を切り下げなければなりません。
過去の成功体験が生んだ通貨切り下げへの強い抵抗
しかし大戦前は世界の金融センターだったイギリスは、ポンドを切り下げるのに強い抵抗がありました。かつてイギリスは1821年に金本位制に復帰したことで、ポンドが世界で金に次ぐ価値を得て、イギリスが大いに発展した成功体験があったからです。
その時の経験からイギリスは金本位制への復帰に固執します。そこで1920年から財政支出を大幅に削減した均衡予算を組むと共に、金利を7%に引き上げました。ポンドの価値は戦前の1ポンド4.86ドルに近づきましたが、
その代償はとても高いものになりました。
イギリスの景気は落ち込み、失業者はその後の20年間、常に100万人を上回っていました。高いポンドはイギリス製品の国際競争力を低下させ、綿、石炭、造船などの産業は深刻な不況に陥りました。
金の流出
第一次世界大戦はヨーロッパ各国の金を減らし、アメリカの金保有量を大きく増加させました。その結果アメリカは世界最大の金保有国になりました。一方で金本位制に復帰したイギリスは、金不足に常に悩まされました。
金本位制の下では、以下のメカニズムで金の保有量のバランスが保たれていました。
- ある国の金の準備高が減少すると信用収縮と金利上昇が起きます。
- その国の購買力は低下し輸入が減少します。
- その一方で海外からの資金が流入するため金の準備高が増加します。
- 金の保有が増加すれば信用が拡大し購買力が増加します。
- そして輸入が増加し金が流出して金準備高が減少します。
しかし戦争で金の多くがアメリカに集中したため、この調整機構がうまく働かなくなっていました。
また外貨が増えたフランスは1927年にポンドと金との交換を要求しました。これにより2億ドル(4.8兆円) 近くの金がイギリスから流出しました。
好景気のアメリカ
戦後のインフレと1921年の不況
第一次世界大戦の被害の少なかったアメリカは、戦後消費が急増し好景気に沸きました。アメリカには十分な量の金がありました。そのため経済の増大に伴い通貨の発行を増やし、その結果物価上昇(インフレ)が加速しました。
そこでインフレを抑えるために連邦準備制度は金利を7%に引き上げました。アメリカは一時的な不況に陥りました。失業者は250万人になり、物価は1921年には1/3に下落しました。
実体経済の成長からバブルへ
その後、ゼネラルモータース(GM)など新興企業の生産が増加し、GMの利益は1925年から1927年にかけて2倍に増えました。株式市場も活況を帯びダウは1921年の67から1925年には150と大幅に伸びました。不動産投資も活発に行われ、フロリダの不動産価格は25万ドルから500万ドルと20倍に跳ね上がりました。この1925年の好景気はクーリッジ景気と呼ばれます。
信用取引の増加により株式市場が大幅に拡大
実体経済の成長に伴い株式市場も過熱し、銀行から証券会社への融資(ブローカーズローン)が急増しました。証券会社は銀行から得た資金を顧客の信用取引に使い、証券会社の顧客は少ない資金で多額の株式取引ができました。フーヴァー商務長官は、この状況をみて連邦準備制度に対し金融引き締めを求めました。しかし連邦準備制度総裁ストロングは「今はまだバブルでない」と金融引き締めを否定しました。実際1926年には、過熱していた株式市場は一旦落ち着きを見せました。
1927年7月アメリカで各国の中央銀行総裁の会合が開かれました。メンバーはイングランド銀行総裁ノーマン、フランス銀行総裁モロー、ライヒスバンク総裁シャハト、連邦準備制度総裁ストロングでした。その会合では金の流出とポンド売りに苦しむイギリスを救済するため、各国が協調して金利引き下げを行うことが合意されました。
これに対しフランス銀行副総裁リストは、「株式市場が過熱するアメリカが金利を引き下げるのは株式市場に
『ウィスキーを少々注ぐ』
ようなものだ」と批判しました。
はたして連邦準備制度が7月に金利を0.5%引き下げると、8月には株式相場が急上昇し、12月にはダウが200を超えました。1928年1月にはブローカーズローンが前年の33億ドルから44億ドルに急増しました。
1928年2月連邦準備制度は方針を転換し、金利を3.5%から5%に引き上げました。しかし7月の金利引き下げという
「火花」からすでに「山火事」
が起きていました。
対外債務とドイツの賠償金問題
ドイツの賠償金はドイツ、イギリス、フランス、アメリカなど各国で何度も話し合いが持たれました。しかしなかなか決着がつきませんでした。1924年4月に開かれた賠償委員会(ドーズ委員会)において、アメリカ人ドーズとヤングの提案でようやく支払い案がまとまりました。
解決策はアメリカ、ドイツ、イギリス・フランスの間でお金が循環するだけ
この提案は賠償金の支払い総額には言及せず、今後数年間ドイツが支払う金額を「1年目の2億5千万ドル(6兆円) から年々増額し10年後には6億ドル(14.4兆円)とする」このことだけ決定しました。
返済の枠組みは、アメリカがドイツに融資を行い、ドイツはその融資をイギリス、フランスへの賠償金の返済に充てます。イギリス、フランスはその賠償金をアメリカへの債務の返済に充てるものです。つまりアメリカ、ドイツ、イギリス・フランスの間でお金がぐるぐる回っているだけのものでした。
バブルはじける
1927年の時点では実体経済の成長に伴うものだった株式市場の活況は、1928年の夏ダウが200を超えてあたりでバブルと化しました。ダウはその後15か月で380に上昇しました。1929年にはアメリカの家庭の10件のうち1件は株式投資を行い、靴磨きの少年がとっておきの銘柄の話をするほどでした。
加熱する株式市場に手が出せない
株式市場の過熱ぶりにクーリッジ大統領、そして1929年2月から大統領になったフーヴァーはこれといった有効な手を打つことができませんでした。連邦準備制度総裁ストロングは、金利を引き下げて市場に鉄槌を下してしまうのを恐れて、何もせず自然に鎮火する方を選択しました。
暗黒の木曜日
その日は突然やってきました。
1929年10月23日の水曜日、突然売り注文が殺到しました。そして翌日「暗黒の木曜日」に市場はパニックになりました。
株式価値500億ドル(1,200兆円) 、すなわちGDPの50%が短期間に消えました。株式市場の暴落は多額の資金をブローカーズローンに提供していた銀行の経営を揺さぶりました。連邦準備制度は金利を引き下げようとしましたが、金利引き下げに連邦準備制度理事会が強く反対したためできませんでした。
金融緩和中止と取り付け騒ぎ
1929年11月に入り連邦準備制度は、ようやく金利を6%から2.6%に引き下げました。さらに銀行システムに5億ドル(12兆円)の公的資金を投入する金融緩和を行いました。しかし連邦準備制度はこの金融緩和の副作用を恐れて、1930年夏には金融緩和を中止してしまいました。しかし
金融緩和の中止は時期尚早でした。
1930年12月ある顧客が合衆国銀行から買った株を買い取ってもらうように合衆国銀行に頼みに行きました。しかし行員はその顧客に「まだ持っていた方が良い」と長時間説得しました。これに腹を立てたその顧客は銀行を出ると「あの銀行には問題がある」と言って回りました。
これがきっかけとなって、その日の午後には合衆国銀行から預金を引き出そうとする人で長蛇の列ができました。すぐに取り付け騒ぎに発展しました。合衆国銀行は個人預金者の数がアメリカでもっとも多い銀行でしたが、簿外債務を抱えて赤字に陥り経営基盤は脆弱でした。
合衆国銀行を救済するには、連邦準備制度は3千万ドル(7,200億円)の公的資金を注入する必要がありました。しかし「一時的に流動性が不足した銀行は救済するが、債務超過の銀行は救済しない」という連邦準備制度の方針のため、合衆国銀行は救済されませんでした。当時のアメリカには2万5千行の銀行があり、毎年およそ500行が倒産していたのです。つまり
銀行の倒産は決して珍しいものではありませんでした。
(日本の金融機関は、銀行、信金、信組合わせておよそ300行)
ところがこの合衆国銀行の倒産をきっかけに預金者は、次第に銀行からお金を引き出しはじめました。はじめはわずかな人たちの行動が徐々に大きなうねりとなり、結果的には預金総額の1%, 4億5千万ドル(10.8兆円)が引き出されました。
銀行は1ドル引き出されたら3~4ドルは回収しなければ債務超過に陥るため、融資の猛烈な回収に走りました。1931年中には融資残高の10%、50億ドル(120兆円)が回収されました。
この影響は乗数的に拡大し猛烈な勢いで信用収縮が起きました。
しかも1931年には銀行取り付け騒ぎが再燃し、1931年夏トレドでは1行を除いた全て銀行が閉鎖されました。こうして起きた通貨の退蔵(タンス預金)、銀行破綻、貸し渋り、20%の物価下落に対し、連邦準備制度は有効な手立てを打てませんでした。
ドイツへ飛び火
ウォール街のバブルは海外からの投資で息を吹き返したドイツ経済に痛手を与えました。それまでドイツに投資していた海外からの資金がウォール街に吸い寄せられ、お金がドイツまで回らなくなってしまったのです。
そのため1931年には失業者は470万人全労働者の25%にも達しました。この不景気で不人気だった連立政府に変わり、ヒトラー率いるナチス党が選挙で大勝し第二党になりました。今度はこれに金融市場がパニックを起こし、3億8千万ドル(9兆円) ドイツの金準備高の半分に当たる金が国外に流出してしまいました。
不景気なのに金利を上げざるを得ない
これ以上の金の流出を防ぐためライヒスバンクは金利を5%に引き上げました。これが景気をさらに悪化させ、
物価は7%/年のペースで下落
し失業率も上昇しました。そして財政赤字がさらに拡大しました。新たに発足したブリューニング政権は、この財政赤字の拡大に対し均衡予算を取らざるを得ず、景気はさらに悪化しました。
こうした中1931年5月オーストリアのクレディト・アシュタルト銀行が破綻し、オーストリアの全銀行で取り付け騒ぎが起きました。このオーストリアの銀行の取り付け騒ぎがオーストリア通貨の取り付けに発展しました。
この時フランスはドイツの力を弱めるためオーストリアから外貨を引き出し、オーストリア通貨の危機を煽ったのです。
当時オーストリアとドイツは関税同盟を結んでいました。オーストリア通貨の取り付け騒ぎに、他の多くの国々はドイツの通貨も危ないと誤解したため、ドイツからも資金の流出が始まりました。
「ドイツの破綻は欧州全体の経済危機につながりかねない」
とアメリカのフーヴァー大統領は賠償金の支払い猶予を含むドイツ救済案を提案しました。しかしこれにフランスが激怒したため調整が難航し、ドイツ救済案がようやくまとまったのは7月7日でした。
しかし時すでに遅く、ドイツの不況はさらに深刻化し、7月13日の月曜日ドイツのダナートバンクが営業を停止、ついに全国的な取り付け騒ぎに発展しました。全銀行は2週間営業を停止、ドイツ政府は対外債務の返済停止、国外への送金規制を行いました。国内生産高は30%減少し、
失業者は600万人全労働者の1/3
に達しました。
火の手は世界中に
ドイツの危機は、ハンガリー、ポーランド、ユーゴスラヴィア、チェコスロバキアにまで広がりました。さらに危機は世界中に飛び火し、1931年1月に南米ボリビア、3月にベルーがデフォルトになりました。この危機が世界各国に投資していたイギリスを直撃、イングランド銀行の金は枯渇寸前になりました。
戦前のイギリスは自国の工場が世界中に輸出して、そこで得た外貨を海外に投資していました。第一次世界大戦後は短期で借り入れた資金も海外に投資しました。その投資先がドイツや南米の国々です。ドイツや南米の国々で起きたデフォルトはイギリスの銀行の経営を圧迫しました。
たまりかねたイギリスは1931年9月に金本位制から離脱しました。ポンドの価値は1ポンド4.86ドルから3.5ドルへと下がりました。さらに金融危機の連鎖からヨーロッパの中央銀行が続々と外貨を金に換えたため、アメリカから大規模な金の流出が起きてしまいました。
加えてポンドの下落はイギリスの債権を多く保有していたアメリカの銀行の資産価値の低下をもたらしました。そのため9月にはアメリカの銀行で取り付け騒ぎが再燃して、10月にはアメリカの522の銀行が破綻、12月には2,294行が営業停止に陥りました。
この背景にはアメリカの銀行は帳簿上の資産を担保にできないため、連邦準備銀行から融資を受けられないことがありました。
この時点で連邦準備制度は通貨の発行に必要な40%の金を維持するため自国から金の流出を防ぐ必要がありました。そこで金利を1.5から3%に引き上げました。
これはすでに不況に突入していたアメリカ経済に打撃を与えました。信用収縮と債務不履行が発生し1931年9月から1932年6月までの9か月間で、
生産高はマイナス25%、投資はマイナス50%、物価はマイナス10%、失業者は1,000万人
に上りました。ダウは1929年の381から1932年には41と大幅にダウンしました。
こうした中連邦準備制度は遅ればせながら1932年2月に10億ドル(240兆円)の資金を注入しました。しかし不況の勢いは止められませんでした。
これが1930年末から1931年であれば、結果は大きく違っていたといわれています。
1932年11月にルーズヴェルト大統領が就任しますが、取り付けは世界中に伝搬し、1933年2月にはニューヨーク連邦準備銀行から2週間で2億5千万ドル(6兆円)の金が流出しました。1933年3月には28の州で銀行閉鎖、この3年間で全銀行の1/4が破綻し、GDPは1000億ドルから550億ドルまで減少しました。
立ち直り
ルーズヴェルト大統領とニューディール政策
ルーズヴェルト大統領は1933年3月ニューディール政策を打ち出し、銀行救済のための緊急銀行法を制定しました。商業銀行と投資銀行を分離し、2500ドルまでの預金を保証するグラス・スティーガル法を制定しました。加えてルーズヴェルト大統領は1933年3月12日ラジオで銀行制度の健全性を訴える「炉辺談話」を放送しました。
これで人々は再び銀行にお金を預けるようになり、不況の歯車が逆回転を始めました。
さらにアメリカは1933年4月に金本位制から離脱しドルを切り下げました。株価は15%上昇し、1934年にはドル安から物価も上昇しました。企業の借り入れ意欲や消費が活発になり、アメリカの工業生産は倍増し、GDPは40%増大しました。これに対し雇用の回復は遅れました。
ドイツの立ち直り
1933年1月ヒトラーが首相になると、ライヒスバンク総裁を辞任したシャハトが再び総裁に復活しました。ドイツは中央銀行からの借り入れと紙幣を増刷することでアウトバーン建設など公共事業を大々的に行いました。600万人いた失業者は150万人に減少し、工業生産高は1928年の2倍になりました。ただし工業生産高の多くは兵器など軍事関連に限定され、庶民の生活必需品はひどく欠乏していました。またドイツは金本位制を維持したためマルクは割高となって輸出は停滞しました。
世界恐慌とは何だったのか
このように見ていくと世界恐慌は複数の危機が次々と起こったことかわかります。
- 1928年 ドイツ経済の収縮
- 1929年 ウォール街の大暴落
- 1929年 アメリカの銀行パニック
- 1931年 欧州の金融破綻
この連鎖で世界各国の工業生産は大きく落ち込み、失業者が急増しました。ドイツ、アメリカに至っては工業生産が半分近くまで低下しました。
これはリーマンショックの比でなく、
1994年のメキシコ ペソの危機、1997年のアジア通貨危機、2000年のITバブル崩壊、2008年のリーマンショックをすべて合わせたぐらいの大きなショックが2年の間に次々と起きたのです。
その原因は、第一次世界大戦の巨額の戦費が各国の戦後経済に影響を及ぼしたことと、その戦費を賄うためにドイツに巨額の賠償金を課してドイツ経済を弱体化させたことでした。
そしてオーストリア通貨危機に始まるドイツの破綻が、ドイツに多額の債権を有するイギリスにも伝搬しました。オーストリア、ドイツ、イギリスは互いをロープで縛った登山者のようなもので、
誰か一人が転落すれば他の二人も無事では済まなかったのです。
それまでの各国の世界観「金本位制」は、経済成長に伴い増加する資金需要に対応できず、世界は常に通貨不足とデフレに悩まされていました。しかも金本位制は固定相場のため、不況になっても通貨を切り下げて通貨安による貿易拡大という恩恵が受けられませんでした。
表3 世界恐慌期の各国工業生産の推移
年 | 米 | 英 | 仏 | 独 | 日本 | ソ連 |
28年 | 93 | 94 | 92 | 99 | 90 | 79 |
29年 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 | 100 |
30年 | 81 | 92 | 100 | 86 | 95 | 131 |
31年 | 68 | 84 | 86 | 68 | 92 | 161 |
32年 | 54 | 84 | 72 | 53 | 98 | 183 |
33年 | 64 | 88 | 81 | 61 | 113 | 196 |
34年 | 66 | 99 | 75 | 80 | 128 | 238 |
35年 | 76 | 106 | 73 | 94 | 142 | 293 |
(1929年を100とした比較) (Wikipediaより)
中央銀行の力が弱くバブルの経験のない連邦準備制度総裁ストロングは、過熱する株式市場に対し適切に対処できませんでした。バブル崩壊後に起きた急速な信用収縮にも適切な対応が取れませんでした。世界恐慌に対する各国の中央銀行の取組を見ると、彼らは
それまでの知識・常識の中でなんとか問題を解決しようと
もがいていたのです。
しかし経済環境は大きく変わり、新しい環境には新しい方程式が必要でした。しかしケインズが「雇用・利子および貨幣の一般理論」を発表したのは1936年、世界恐慌がほぼ終息した頃でした。
参考文献
「世界恐慌」ライアカット・アハメド 著 筑摩書房
「世界恐慌」ジョン・A・ギャラティ 著 TBSブリタニカ
本コラムは未来戦略ワークショップで使用したテキストから作成しました。
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グローバル資本とデフレの関係
金融緩和はデフレを克服できるか?
日銀の金融緩和
第二次安倍政権誕生後、2013年3月 黒田氏が日銀総裁に就任しました。その後日銀は以下のように大胆な金融緩和を行いました。
- 2013年4月
- 2014年10月
- 2016年1月29日
- 2016年7月
- 2016年9月
「量的・質的金融緩和」(QQE1)と2%の物価安定目標
長期国債、ETF、J-REITなどの買入れの拡大により、マネタリーベースで年間約60~70兆円増加させる大胆な金融緩和を発表(黒田バズーカ)
「量的・質的金融緩和」の拡大(QQE2)を決定。
マネタリーベースの増加を年間約80兆円(約10~20 兆円追加)に加速
マイナス金利の導入を発表。-0.1%の金利適用
ETFの買い入れ額増額 6兆円に
10年国債の金利をゼロ近傍にする新たな長期金利コントロールを導入。(イールドカーブコントロール)
アベノミクスについて
第二次安倍政権の経済政策の考え方は以下のようなものです。
企業の業績が向上すれば景気が良くなる背景には、企業業績の向上が個人消費や設備投資の増加につながり、これが日本経済全体のパイの増加、つまりGDPの増加につながるという考え方があります。
現実には、利益が増えても企業は内部留保を積み上げ、賃上げや設備投資は低調なままです。すでにゼロ金利となっているため、政府はマイナス金利を導入し金融機関に積極的な貸し出しを求めると共に、経団連などを通じて賃上げを要請、さらに様々な補助金を打ち出し、企業の設備投資を促しています。
図1 金利の推移
デフレの原因
なぜ日本が長期にわたるデフレに陥っているのか、書籍「デフレの真犯人」でJPモルガン証券の北野一氏の考えを元に、以下のようにまとめました。
実力以上利益を追求した
北野氏はデフレの真の原因は成長余力の乏しい日本企業がその実力以上に利益を出していることが原因と断言します。それはバブル崩壊とも密接に関係しています。
バブル崩壊以前の日本は、企業の株式は企業や銀行が相互に持ち合い、国際的な競争にさらされていませんでした。しかしバブル崩壊後、銀行や企業は他社の株式を所有する余力がなくなり、代わって存在感を増してきたのが、銀行や保険会社など株式の運用による利益を目的とした機関投資家です。中でも海外の機関投資家の存在感が高まりました。
この機関投資家の目的は株価の上昇による売買益です。そのため企業には成長と高配当を要求します。そこで出てきた指標がROE(株主資本利益率)です。これは以下の式で表されます。
日本企業が好調であった1980年代は、資本金10億円以上の大企業のROEは、平均8.7%でした。しかしバブルが崩壊後した1990年以降は、平均3.1%に低下しました。海外の機関投資家は、投資先として日本企業と海外企業を区別せず、日本企業にも海外企業なみの高いROEを求めてきます。
バブル崩壊により経済規模が縮小した日本に対し、欧米やアジアの企業は順調に成長していました。その結果、日本企業は大きく成長していないにも関わらず、欧米企業並みの利益を出さざるを得ませんでした。そのしわ寄せが賃金や設備投資の抑制の原因となりました。
図2 低成長が続く日本
利益と費用は同じ
なぜ無理に利益を出そうとすると賃金や設備投資にしわ寄せがいくのでしょうか。それは本質的には賃金も利益も同じものだからです。
表1の損益計算書では、売上から費用を引いたものが利益となります。しかしこれをグラフにすると、実は利益も人件費や原材料費と同じ費用(コスト)であることが分かります。
表1 損益計算書の例
ということは、入って来るお金、つまり売上が一定の時、利益を増やすには何かの費用を減らさなければなりません。金額が大きく削減効果の高い費用のひとつが労務費、つまり賃金です。また設備投資を減らせば、減価償却費という費用を減らすことができます。
一方、資金調達の面でみると、利益は3つに分けられます。
図3 売上の分配
図4 利益分配
上場企業の場合、資金調達は銀行借り入れ、株式発行、社債発行の3つです。税引後の利益は、銀行借り入れや社債などの借入金の返済と株主への配当、そして残りが内部留保に充てられます。
では、配当はどのように決められるのでしょうか。これが株主資本コストです。ここでコストというのは、企業から見れば株式で資金調達した場合の配当、借入金で資金調達した場合の利息、これらはいずれも資金調達に伴う費用と考えられるからです。そして株は、投資家からみれば国債などの安全資産よりリスクが高いため、より高い利回りが求められます。この投資家が企業に求める株主資本コストは、
以下の資本資産評価モデル(Capital Asset Pricing Model:CAPM)で求められます。
Rf (リスクフリーレート、安全資産の利子率) : 一般的には国債の利回り
β : 個別の株式のリスク
つまりRfが上がれば、投資家が企業に求める期待収益率が上がります。日本企業は日本の証券取引所で株式を売買しています。国内だけであればRfは日本の国債が基準となり、国債の利回りが低ければ、株式の期待収益率も低くなります。一方海外の投資家は、海外市場での株式と比較するため高い期待収益率を求めます。ニューヨークのダウ平均は8%、しかし日本企業の実績は前述のように1990年以降は平均3.1%でした。
投下資本に対する企業全体の資本コストは、加重平均資本コスト(Weighted Average Cost of Capital:WACC)で求められます。
損益計算書には、負債のコスト(支払利息)は載っていますが、投資家(株主)のコスト(配当)は載っていません。そこで負債と株主資本のコストを合わせて企業業績を評価する指標がEVA(Economic Value Added : 経済的付加価値)です。このEVAは米国スターンスチュワート社が商標登録しています。これは、会社が生み出す付加価値を以下の式で算出したものです。
EVAがプラスであれば、その企業の価値は上昇していることになります。日本の大手企業でもソニーなどが業績評価指標として採用しています。
ROE向上という金融引き締め
前出の北野氏は、日本がデフレに陥った原因は、一方で低金利の資金を供給しながら、株主資本は8%の利回りを要求されているため、実質的には金融引き締めの状態になっていることだと指摘しています。
ROEが高いとどうなのか、例えば、中堅工作機械メーカー東芝機械の決算書を題材に考えてみます。
同社の平成28年3月期の決算は、売上1,243億円、営業利益47億円(売上高営業利益率3.8%)、当期純利益43億円でした。
ここで1株当たりの当期純利益22.37円、1株当たりの純資産616円、従ってROE=22.37/616=3.6% でした。
もし投資家が高いROEを要求し、経営者がROEを8%台にしようと考えれば、当期純利益を2.2倍、103億円以上にする必要があります。つまり損益計算書のどこかから56億円を持ってこなくてはいけません。その際、最初に犠牲となるのが人件費です。
しかしこうして増やした利益は、どうなるのでしょうか。市場が拡大しておらずこれ以上の売り上げ増加が望めなければ、設備投資をしても減価償却費が増えて来期の利益が減少するだけです。むしろ来年も好業績が続くとは限らないので、配当を維持するために内部留保することを選択します。
また設備投資のような投資案件の可否の判断は、将来の収益を正味現在価値 (NPV)に割り引いて行います。
NPV (Net Present Value : 正味現在価値)
r : 資金調達のコスト(割引率)
ここで正味現在価値に割り引いたプロジェクトのフリーキャッシュフローの合計が投資金額より大きければ、つまりNPV>0であれば、プロジェクトは実行されます。ここでrは借入金の金利が低くても期待ROEが高ければ高くなります。
例えばrが1%であれば、現時点の100万円は5年後には105万円の価値があります。しかしrが8%にあれば、5年後には147万円の価値になります。資金調達のコストが1%であれば、5年後に105万円以上のキャッシュが得られる投資は実行しますが、8%になると、5年後のキャッシュが147万円以上ないと投資を実行しません。こうしてROEが高くなると、成長の少ない投資案件は却下されます。
つまり企業金融という視点から考えると、政策金利だけでなく、期待ROEという資本市場の金利も考慮しなければなりません。
バブル崩壊以前は、日本では企業に対する期待ROEは限りなく0%に近いものでした。期待ROEが0%のお金は、ただでもらったお金と変わらず、企業は豪華な社宅や福利厚生施設など事業活動に直接関係ないものにもお金を使いました。こうした無駄遣いの結果、景気は良くなり、バブルが発生しました。このような状況下で日銀が政策金利を上げたところで、効果は限定的だったのではないかと考えられます。
同様に今日、政策金利をマイナスにまで下げても、期待ROEの上昇という事実上の「金融締付け」が行われている限り、企業は投資に慎重にならざるを得ません。
実は機関投資家が求められていることは、株式の運用において絶対的なリターンを稼ぐことではありません。
市場平均に対して相対的に勝ち続け、他の機関投資家と比較して運用成績が良ければよいのです。例えばTOPIXが10%上昇した時は、10%を超えるリターンを稼ぎ、10%下落した時は10%より少ない割合でしか負けないことが求められています。そのためには、例えば自動車株を運用する場合であれば、「今はトヨタと日産のどちらが良いか」こういった視点で考えています。常に短期での成果、利益や株価の上昇を企業に要求します。その一方長期的な投資や研究開発による成長は考慮しません。
グローバルで資本を調達する大企業の経営者は、ROEや株価を無視できない面もあります。しかしそれにあまりにとらわれると企業の長期的な成長を阻害します。
円安を読み誤った企業
デフレの日本と為替
日本は、バブル崩壊以来、デフレに陥り物価は下がっています。対してアメリカは経済成長に伴い物価は上がっています。これはドル円の購買力平価で示されます。図5は、1973年を基準とした購買力平価について、消費者物価、企業物価、輸出物価を示したものです。消費者物価でみると、1990年に対し2016年は約40%低下しています。つまり同じ円ドルレートでも40%も円安になっているのです。
図5 ドル円購買力平価と実勢相場
つまり新聞等マスコミの報道は、数値だけを比較して円高、円安を論じていますが、実際には購買力平価の違いを補正して円高、円安を判断しなければなりません。そこで日銀は為替レートを貿易額に応じて加重平均し、さらに物価動向(インフレ動向)に応じて調整した実質実効為替レート指数を発表しています。
図6 ドル円スポット相場と実質実効為替レート指数
図6で基準年の2010年は、1ドル90円前後まで円高になった年です。これに対して、リーマンショック前の2007年は、実質実効為替レート指数が80まで下がりました。これと同水準だったのは、1982年で、この時のレートは1ドル270円です。つまり2007年は、購買力平価を考慮すれば異常なほどの円安でした。
この異常な円安の原因は、個人投資家「ミセスワタナベ」による円キャリートレードでした。円キャリートレードとは、低金利の日本円で資金を借入れ、それを高金利の通貨に変え、株・為替・商品・債券などで運用して利益を得ることです。当時、低金利の預金に不満のあった主婦や若者が外貨取引FXを始めました。その後、円安が続いたこともあり、円キャリートレードは盛んになり、4億円以上稼いだ主婦も現れました。
この「ミセスワタナベ」の規模は40兆円程度とも推計され、政府の通貨介入規模に匹敵する資金が動くため、為替の波乱要因の一つとなっています。2007年までは、こうして円が海外に流出してさらに円安が進むという円安バブルの状態になりました。
この円安バブルを読み切れなかったのが、シャープやパナソニックでした。当時、薄型テレビの市場が急速に拡大し、大手メーカーはサムソンなど海外メーカーと覇権を競っていました。薄型テレビは、半導体と同様に設備投資の規模が製造コストを支配します。パナソニックやシャープは、生き残りをかけて国内の工場に大規模な設備投資を行いました。その直後にリーマンショックが襲い、市場は大幅に縮小すると共に急激な円高になりました。
さらに国内では、2010年の地デジ切り替えによる特需終了後、市場が急速に縮小しました。国内での大幅な販売不振と大幅な円高というダブルパンチに見舞われたシャープ、パナソニック、ソニーは一挙に苦境に陥りました。
変動レートに正直すぎた日本
変動相場制は、貿易黒字が増えれば通貨が高くなり、輸出国での商品の価格が上昇し、輸出が減少します。輸入品は価格が安くなり、輸入が増加します。
こうして輸出が減少し、輸入が増加することで外貨が流出し、通貨が下がる自律的な均衡メカニズムです。これは長期的には貿易の均衡に有効ですが、短期間に大きく変動すると、その変化に企業は対応できず危機に陥ります。多くの国々はこの点を理解し自国の為替相場があまり大きく変動しないように管理しています。中国は日本の失敗を研究し、自国通貨「元」が高くならないように細心の注意を払っています。
その点、日本は変動相場制にあまりに正直で、自国通貨の激しい変動に寛容過ぎたと言えます。1985年のプラザ合意後、急激な円高に見舞われた日本は、付加価値の低い労働集約型の産業が大きな打撃を受けました。繊維業界は、最初韓国、次に中国に工場を移転しました。さらに電気製品などが海外に工場を移転し、国内製造業の空洞化が一気に進みました。
図7 日本の製造業の海外生産比率(厚生労働省ホームページより)
図8 日本の繊維産業の推移(出典 : 経済産業省:繊維産業の現状及び今後の展開について)
拡大する格差と企業経営
株主とは何か
欧米のコーポレートカバナンスやコーポレートファイナンスという考えは、企業統治において「不特定多数の抽象的な株主」を意識して、企業活動を行うものです。その普遍的なルールは、株主から預かったお金を増やし、株主に還元することです。この株主は、特定の個人を指すものでなく、不特定多数の抽象的な存在であり、これはキリスト教の「神」の概念に通じるものです。これはキリスト教の概念のない多くの日本人は、その本質を理解できないと北野氏は述べています。
このような背景から欧米の経営者が当たり前のこととして受け止めている機関投資家からの利益やROEに対する要求を、日本の経営者は必要以上に気を使いすぎてしまっています。
現実には、需要不足の今日、ROEを重視して利益を増やすことは、削るべきでない費用を削り、将来の成長の機会を失います。むしろ需要不足の時は、利益よりも売上高を重視して需要を創出することに注力すべきです。その点、資本市場の論理に縛られないオーナー経営者の方が、長期的な視点に立って投資や研究開発に取組むことができます。実際、バブル崩壊後、大きく成長したニトリ、ヤマダ電機、ユニクロ、日本電産などはオーナー経営者の力の強い企業です。
拡大する格差
このような背景の中、政府が主導して構造改革が進められ、この構造改革が格差を拡大しました。実は構造改革は、これまで手をつけてこなかった生産要素を市場化することでした。構造改革派の主張は、
「規制によって非効率となった日本では物価が高く、消費者は損をしている。
そこで市場競争を行えば物価が下がり消費者の利益になる」
というものでした。
そして労働市場を自由化することで
「がんばった者が報われる」
というものでした。
競争が自由化され物価が下がるということは、どういうことでしょうか。
原材料や光熱費などのランニングコストは変わりません。その中で価格を下げるために削ることができるのは人件費です。そして規制緩和された分野では、人件費の抑制や下落が進みました。
では「がんばった者が報われた」でしょうか。
現実の労働市場では、優秀な人を高い給料で雇うような高スキルの仕事は限られています。飲食、サービス業などは、仕事の大半が誰でもできる仕事です。そこに自由競争を導入すれば賃金は下がります。経営者としても、少しでも安い人を使い経費を下げなければ生き残れないからです。
しかし労働は、市場の変動によって価格や供給を自由に変動できません。労働力の供給は、労働者の生活や住む地域に依存するからです。例えば派遣社員の規制を緩和したことで、非正規社員が増え正社員の雇用は減少しました。リーマンショックが起きると、派遣社員は雇止めに遭い、住むところも失って困窮する若者が出ました。
安定した生産や社会の実現のためには、労働市場は完全に市場化されず、一定の範囲で規制によって管理される必要があります。今までは企業ができる限り解雇を抑えていました。規制緩和により、企業のセーフティネットが脆弱になったのであれば、税金を使ってセーフティネットを構築する必要があります。実は他にも市場原理の導入に向いていない分野があります。漁業のような天然資源を扱う分野、インフラや交通のような公共的な性格を持つ分野です。
図9 正規雇用者と非正規雇用者の推移
このような事業には一定の規制や参入障壁は必要です。例えば電力会社は、どんな山奥の一軒家でも電気を供給します。その費用は他の顧客に負担してもらっています。完全な市場原理を導入すれば、そのような採算の取れない地域に電気を通すことはなくなります。
日本企業の課題
賃金抑制、投資不振の原因がROE重視という金融締付けであるならば、金融緩和は強力なブレーキのかかっている車のアクセルを一生懸命踏んでいるようなものです。その結果、国内消費不振によりデフレになっているのであれば、
という負のスパイラルに陥っていることになります。どうすれば、このスパイラルから抜け出せるのか、
- 企業は誰のものか? 企業にとって株主とはどのような存在か?
- 企業の成長とは何か?
- 賃上げは、どのように行うべきなのか?
とても大きな課題です。
本コラムは2017年5月21日「未来戦略ワークショップ」のテキストから作成しました。
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