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粉飾決算と経営破綻 その2~本業を補完する事業があだに~

粉飾決算と経営破綻 その1~激変する経営環境の変化と業績への圧力~」では、中小企業の粉飾決算や粉飾決算が経営破綻を招いた事例としてカネボウを紹介しました。

カネボウもそうですが、1社で様々な事業を行うコングロマリットは、多くの事業があり子会社も多いため、それぞれの事業の収益性が見えにくくなります。

いくつかの事業が悪化してもわからず、気が付けばどうにもならない状況に陥ってしまいます。

これが起きたのが三洋電機でした。
 

三洋電機の経営破綻

 
2011年三洋電機はパナソニックの完全子会社になりました。売上高1兆4千億円(2008年)、グループ10万人の巨大企業が消滅しました。

なぜこのようなことになったのでしょうか。
 

三洋電機の創立

 

三洋電機の創業者 井植歳男氏は、14歳で姉の夫 松下幸之助氏の会社に入りました。依頼30年に渡って創業期の松下電器を支えてきました。

しかし戦後、GHQの公職追放を受けて松下電器を退社することになりました。個人で50万円(現在の2億円)の借り入れをしていた井植氏は、住友銀行の頭取 鈴木剛氏に「一生働いて返す」と頭を下げに行きました。

住友銀行の鈴木氏は「だったらこれで事業を興してはどうか」と350万円(現在の14億円)を融資しました。そして松下幸之助氏も自転車用ランプの事業を井植氏に譲渡し、さらに400万円の手形を裏書きしました。

ここから始まった三洋電機は、数々のユニークな製品で成長し、松下電器、日立、東芝と並ぶ家電企業の一角を占めました。

一方、三洋電機にファミリー企業という特徴もありました。
 

創業家一族と銀行

 
創業時の経緯から三洋電機は住友銀行と深いつながりを保ち、経営者は歳男から弟の拓郎、薫と井植家のファミリーによって経営されました。

このような創業家が経営者の企業は、銀行にとっては優良顧客でした。創業家が保有する株を担保に多額の融資ができたからです。

それは株価が高い時だけでした。株価が下がれば、銀行は態度を変えました。
 

3つだけなら優良企業

 
家電メーカーとしては松下電器の後塵を拝していた三洋電機ですが、業務用の大型空調機器は日立と並んで双璧を成していました。独自のコンプレッサー技術を強みにドーム球場など大規模な建物では高いシェアがありました。

図1 ドーム球場イメージ

図1 ドーム球場イメージ


 

さらに半導体が発明された10年後の1957年に、すでに半導体技術研究所を設立しました。その結果、同社のブラウン管制御用バイポーラ半導体は世界シェア1位でした。

ハイブリッド車にも使用されているニッケル水素電池は、1990年に松下電池工業と三洋電機がそれぞれ独自に開発しました。2005年には家庭用ニッケル水素電池「エネループ」を発売し大ヒットしました。

このように三洋電機は、電池、電子部品、業務用システムの3つなら優良会社と言われていました。

一方、1980年以降は、三洋電機にとって苦難の時代でした。
 

振るわない業績

 
1986年歳男の長男 敏が社長になり1992年までの6年間社長を務めました。

この6年間は、石油ファンヒーター死亡事故、東京三洋電機との合併など、三洋電機にとって苦難の時代でした。

しかも当時は総会屋が全盛の時代でした。業績が芳しくない同社は株主総会では社長の敏が総会屋から罵声を浴びることもありました。利益を創出するため期末に子会社へ押込み販売するのも常態化していました。
 

なにわのジャックウェルチ

 
1992年井植敏氏は60歳で高野泰明氏に社長を交代し、会長へと退きました。高野氏は赤字体質の三洋電機の変革に取り組み、三洋電機はようやく黒字化しました。

社長を高野氏と交代する際、敏氏は三洋電機本体の経営には口を出さないという約束を高野氏と交わしていました。

しかしまだ60歳の敏氏は、会長に退いたといえ事業意欲はあったため、子会社、中でも三洋クレジットの経営に力を入れました。三洋クレジットは商店や飲食店など銀行からの十分な融資を受けられないリスクの高い貸出先に積極的に融資し高い利益を上げました。

2000年代に入ると松下電器、日立など大手電機メーカーが巨額の赤字に陥る中、三洋電機は三洋クレジットのおかげもあって黒字を維持しました。この敏氏の経営手腕にマスコミは、三洋クレジットを「なにわのGEキャピタル」、敏氏を「なにわのジャックウェルチ」と持ち上げました。
 

一方金融業で利益を稼いだことが、本業の改革を先送りしてしまいました。これはゲーム機(プレイステーション)、保険(ソニー生命)が利益を上げていたソニーも同様でした。

さらに敏氏は、将来子供の雅敏氏を社長にする布石として、1998年に敏氏の意向を組む近藤定男氏を社長をしました。その結果高野氏の改革は中途で挫折しました。

雅敏氏は2005年に社長に就任し、元ジャーナリストの野中ともよ氏を取締役に迎えて、財務担当役員の古瀬氏と雅敏氏、野中氏の3人体制で経営にあたりました。

ところが2004年に入ると、それまでうまくいっていた事業が変調をきたします。
 

狂いだす歯車

 
2000年初頭まで好調だった携帯電話、デジカメ市場が2004年突然不調に転じました。電池も利益が減少し、電子部品のCCDデバイスも不振に陥りました。

図2 携帯電話市場は不振に…

図2 携帯電話市場は不振に…

本業が変調をきたすと、今度は三洋クレジットの高リスクの融資の焦げ付きが目立つようになりました。

さらにバブル期に住友銀行が入れ込んで不良債権化した木ノ本開発プロジェクトを敏氏が引き取り、三洋紀洋開発を立ち上げました。この開発は思うように進まず不良債権になりつつありました。ところが土地や設備は簿価のまま計上されていました。
 

その傍らで三洋電機は成長への投資は惜しみませんでした。2000年に鳥取三洋に910億円で大型液晶パネル生産設備へ投資しました。さらに新潟三洋の半導体に230億円、コダックとの有機ELの合弁会社に510億円を投資しました。

ところがこれらの投資は大きな収益を生みませんでした。

こうしていくつもの事業が変調をきたし、コングロマリット全体の経営に暗い影が差していました。

そこに起きたのが地震でした。
 

新潟県中越沖地震と監査法人の姿勢

 
2004年10月新潟県中越沖地震が発生、新潟三洋電子の半導体設備は壊滅的な打撃を受けました。

その後、現場の不休の努力により、わずか2か月で奇跡的に再開にこぎつけました。ところがこの2か月の間に競合に市場を奪われてしまいました。再開後も顧客は戻りませんでした。新潟三洋電子は2005年上期に100億円の赤字を計上しました。

さらに同社の監査法人 中央青山監査法人は、担当したカネボウの粉飾決算の責任を金融庁から厳しく追及されていました。

その結果、2004年の三洋電機の決算に対する中央青山監査法人の姿勢は非常に厳しいものでした。中央青山監査法人は、繰延税金資産の取崩し、在庫評価の見直し、不稼働資産の減損処理に問題があるとして、2004年5月決算報告書の修正を求めました。

監査法人の姿勢の変化もあり三洋電機のバランスシートは急速に悪化しました。

もう事業を切り売りして新たに資金を調達しないと、債務超過は免れない状況になっていました。ところがそう認識していなかった人もいました。
 

身売りしかない

 
同社の有利子負債1兆3千億円、最終損益は1,538億円の赤字になりました。メインバンクの三井住友銀行は、三洋クレジットを売却し身軽になることを要求、、三洋クレジットの三井物産への売却が進められました。

ところがこれに敏氏が難色を示しました。さらに取締役の野中氏がこの売却をマスコミにリークしてしまったことで、三井物産はこの売却に不信感を持ったため、結局、売却が成立しませんでした。(最終的に2007年にゴールドマンサックスに300億円で売却) 
残念ながら、敏氏には三洋電機が危機的な状況という認識がありませんでした。

しかし2006年3月期には自己資本は800億円まで減少し、増資は避けられませんでした。やむを得ず第3者割当増資3,000億円、1株70円で43億株を公募しましたが、当時の株価は304円、市価の1/4での公募は既存株主の激しい怒りを買いました。

こうなった場合、できれば一度倒産して債務を整理して再出発した方がよかったなかもしれません。それができなかったのは大きすぎる規模でした。
 

大きすぎてつぶせない

 
2005年11月に、三洋電機の再建のため三井住友銀行から前田孝一氏が副社長として送り込まれました。

当時の日本は金融機関の不良債権処理がようやく終わったばかりでした。

三洋電機は取引先に5,000億円の売掛金がありました。もし三洋電機が破綻すれば取引先の連鎖倒産が起き、信用不安が再燃しかねない状況でした。

民事再生法も会社更生法も実質的に不可能で、増資しか手段はありませんでした。

最終的に、パナソニックが三洋電機を吸収合併し、三洋電機は解体されました。
 

収益マシンが経営判断を遅らせた

 
三洋電機のようなコングロマリットは、本当の姿は単年度の決算では分かりません。在庫評価、減損会計で数字はいくらでも変わるからです。順調に見えてもある日突然経営破綻していたということもあり得ます。

三井住友銀行傘下の再建会社 大和PIが試算したところ、過去10年間は1538億円の赤字でした。つまりBSを痛めてPLを粉飾していたのです。

1996年には半導体の在庫は2年間で500億円も増加しました。当時は儲かっていたので半導体部門としては在庫と借入金を減らしたかったのですが、本社からの「利益を出せ」という声に抗うことができませんでした。
 

今から見れば、デジカメや携帯電話などデジタル製品は、事業の見極めとすばやい損切が不可欠な事業です。個々の事業を見極め体力のあるうちにに不振になった事業から撤退し、収益の柱である電池、電子部品、空調事業に事業を集約すれば存続できたのもしれません。そうした経営判断を誤らせたのは、三洋クレジットという収益マシンがあったためでした。

これはGEクレジットという収益マシンを生んだジャック・ウェルチのGEも同じだったのです。
 

GEの盛衰

 

ニュートロン・ジャック

GE(ジェネラル・エレクトリック)を成長軌道に乗せたCEOのジャック・ウェルチ氏は、その手腕から伝説の経営者と呼ばれています。

図3 ジャック・ウェルチ氏(Wikipediaより)

図3 ジャック・ウェルチ氏(Wikipediaより)

在任中、1980年から2000年の20年間に売上は5倍、株価は40倍になり、名経営者の名声をほしいままにしました。

官僚主義に陥り停滞していたGEに「1位か2位以外の事業はすべて切る」と従業員の1/4にあたる10万人をリストラ、いつの間にかフロアー全員が消えていたことから「ニュートロン(中性子爆弾)ジャック」と呼ばれました。

業績の振るわない下位10%の社員は解雇され、昇進するかクビになるか(ランク・アンド・ヤンク) という厳しい体制を敷き、その一方20年間で1,000件のM&Aを実施して会社を成長軌道に乗せました。

その中でGEキャピタルをGEの成長エンジンに育て、GE全体の利益の半分を稼ぎ出しました。しかし退任間際、彼が力を入れたハネウェルの買収は失敗に終わりました。そして後任のジェフ・イメルト氏にバトンを渡しました。

しかしGEキャピタルは

自ら利益を作り出す収益マシン

だったのです。
 

GEキャピタルという収益マシン

 
GEキャピタルとは航空機や航空機のエンジンを航空会社にリースするリース会社で、リース会社の規模は世界一でした。その後、不動産など様々な案件に投資するノンバンクに発展しました。投資額の規模はピーク時には全米で7位の銀行に相当しました。
 

GEキャピタルが利益を生む仕組みは以下のようなものでした。

まず、GEから独立した特別目的会社エジソン・コンデュイットがコマーシャルペーパー(CP 短期債券)を発行します。このCPはGEが保証するため、トリプルAの高い格付けでした。

エジソン・コンデュイットはCPで調達した資金で、GEキャピタルから資産を簿価よりも高い金額で購入します。こうしてGEキャピタルは利益を計上します。もし利益が多すぎる場合は将来のリストラ費用を計上し利益を圧縮しました。そうすれば翌年以降必要に応じて利益を引き出すことができました。

この仕組みはGEで「ハニーポット」と呼ばれました。つまり外部から借りてきたお金で自社の売上を増やす仕組みだったのです。しかしCPはいずれ返済しなければなりません。利益を出し続けるにはCPによる資金調達を増やし続けなけるしかないのです。

もうひとつの大きな収益はM&Aです。安く買った会社をリストラして収益力を高め、キャッシュを生むマシンにしました。

ところが順調だったGEキャピタルという収益マシンにブレーキをかけたのは、意外な方向からやってきた事件でした。
 

同時多発テロ

 
ジェフ・イメルト氏がCEOに就任した2000年以降、GEの成長戦略にふたつの大きな壁が立ちはだかりました。

ひとつは2001年の同時多発テロです。航空輸送の市場が大幅に縮小と航空不況に陥ったことで航空機エンジンの受注が減少しました。

もうひとつは2000年のエンロンの破綻です。この事件から企業会計に対する信頼が損なわれました。これに対処するためサーベンス・オクスリー法 (SOX法)クリックするとページ下部の説明へ移動が制定されました。SOX法には財務諸表の信頼性を高めるために財務報告プロセスの厳格化が盛り込まれました。

このSOX法にこれまでGEが行っていたことが一部抵触しました。GEキャピタルが市場から資金を調達して自社の資産を購入して利益を生み出す仕組みが変調をきたしはじめました。SOX法はGEにとって同時多発テロよりも大きな影響があったのです。

こうしたことが重なって2002年秋には中核事業の大半で売上と利益が減少しました。イメルトは電子商取引部門を3憶ドル売却しなければなりませんでした。

CPという収益マシンが変調をきたしたGEキャピタルは、他の大手銀行と同様に収益性の高いサブプライムローンにのめり込んでいきました。

一方イメルトには清算しなければならないウェルチの負の遺産がありました。
 

保険事業の清算

 
ウェルチ氏の残した負の遺産が保険事業でした。中でも保険会社が保険を支払う場合に備えた保険(再保険)は、制度設計が甘かったため、94億ドルもの責任準備金を積まなければなりませんでした。

イメルトは一連の保険事業を2004年から2006年にかけて売却しました。ただし売却をスムーズに進めるため、最も収益性の低い介護保険の再保険だけはGEに残しました。これがのちに火種となってしまいます。

さらに大きな外部環境の変化がGEに襲いかかります。リーマンショックです。

図4 リーマンショック

図4 リーマンショック


 

サブプライムローンから資金難に

 
好調だったサブプライムローンは2008年に破綻しリーマンショックが起きました。2008年にはGEキャピタルは住宅ローンに急ブレーキかけましたが、それでも10億ドルの損失が発生しました。

より大きな痛手はリーマンショックによりCP市場が消失してしまったことです。市場から資金を調達できなくなり、たまらずに投資家のウォーレン・バフェット氏の投資を受けました。

これはとても高いものにつきました。122億ドルの資金を調達(株を購入)するために、1株22.5ドルという市場価格よりも大幅に安い価格で55万株をバフェットに売らなければならなかったからです。
 

その一方、GEは苦労して調達した資金を次の成長のための投資に使わず、自社株買いに充てました。株価を維持するためです。

それでも株価の下落は止まらず、2001年に38ドルだった株価は、2009年には12ドルと1/3以下になりました。2009年2月には2000年から継続していた31セントの配当も10セントに減配しました。その結果、GEの格付けは引き下げられました。

またリーマンショックでリスクマネーにのめり込んだ金融機関に対する批判が強まりました。これを規制するために政府は金融機関に対する監視を強め、その中に全米7位の規模の銀行になるGEキャピタルも含まれました。
 

SECの監視

1920年代の世界大恐慌の教訓からアメリカでは銀行の証券取引に対して様々な規制がかけられていました。しかし1980年代以降規制は徐々に緩和され、その結果大手銀行はサブプライムローンなどリスクの高い投資にのめり込みリーマンショックが起きました。

そこで銀行に対しリスクの高い融資を規制するドッド・フランク法 (クリックするとページ下部に移動)が2010年に制定されました。そうなるとリスクの高いビジネスに巨額の融資を行うGEキャピタルにも政府から注目されました。そして証券取引委員会(SEC)のメンバーがGEに2年半常駐し、不正の調査を行いました。
 

新たな収益エンジン

 
CPによる資金調達が封じられたGEキャピタルは、もうGEの収益エンジンにはならなくなりました。新たな収益エンジンとしてイメルト氏は3つの取組を行いました。

一つ目の取組は、航空機エンジンに多数のセンサーを付けたインダストリアルネットワークとビッグデータ分析を行う「プレディクス」を成長させ、2020年までにトップ10に入るソフトウェア企業を目指すものでした。

二つ目は、油田開発会社、掘削機器、ポンプ、油田設備のメーカーを次々に買収し、GEオイル&ガスを石油コングロマリットに育て、GEの売上の1/4にまで引き上げることでした。

三つ目の取組として、苦境に陥ったフランスのタービン、鉄道のコングロマリット アルストムの買収です。
 

新たな収益エンジンの苦境

 
右から左へお金を動かせば利益が出る金融と異なり、実際の事業は思うようにいきませんでした。

プレディクスは航空機以外に発電所など様々なシステムとつなごうとしたため複雑化し、いつまでたっても未完成の状態のアプリでした。何より顧客から見て「何を売ろうとしているのかわからない製品」だったため、売上は伸び悩みました。

石油コングロマリットを目指したGEオイル&ガスでしたが、原油価格が当初見込んでいた1バーレル100ドルから50ドルに下落したため収益性が大きく低下しました。またコストが下がった太陽光や風力発電との競争にもさらされました。

アルストムの買収は、買収されればリストラによってフランスの雇用が大幅に減ることを恐れたフランス政府の猛反対に遭い、買収までに時間がかかってしまいました。

こうして株価の下落、成長の停滞が起きると、株主の発言力が強くなります。

図5 発言力が強くなる

図5 発言力が強くなる


 

イメルト解任

 
業績の低迷と株価の下落から、GEは取締役会にファンド(トライアン・ファンド・マネジメント)から取締役を受け入れざるを得なくなりました。ファンドから来た取締役はアクティビスト(もの言う株主)として、2017年には業績低迷を理由にジェフ・イメルト氏の解任を求めました。取締役会はジェフ・イメルト氏を解任し、後任にジョン・フラナリー氏を指名しました。

なぜこうなってしまったのでしょうか?
 

原因

 
すでにウェルチの頃から、GE内部では数字が目的化し、事業での実態が正しく数字に反映されなくなっていたのです。
 

利益を決めてから数字をつくる

 
ランク&ヤンクという評価の厳しい中、各事業部のトップにとって「目標数字の未達」とは、自らのキャリアの終わりを意味していました。期末の報告は、最初に利益を決めておき、その利益になるように他の数字は後から調整していました。

例えばジェットエンジンの場合、エンジンの販売自体は赤字です。しかし1度エンジンが売れれば交換部品の注文が継続的に入ります。しかも交換部品は高い利益率でした。そこでエンジンが売れると、将来発生する利益率の高い部品の販売と今期のエンジンの販売と抱き合わせて今期の利益を計算しました。

発電所のタービンを製造するGEパワーでは、5年以内に入金される見込みの売上を債権としてGEキャピタルに売却し、今期の利益をつくりました。
 

GEの好業績の実態は、このように今日の現金を手に入れるために明日の現金を売る「繰延収益化」が常態化していたのです。これはGE内部では「麻薬(ドラッグ)」と呼ばれました。

追い打ちをかけるように新型コロナウイルスで航空業界は大打撃を受けました。加えてボーイング737MAX 2機が墜落事故を起こし、ボーイングは737MAXの生産を停止しました。その一方でコロナによりGE内部のリストラが加速しました。そして25億ドルのキャッシュを手にすることができました。

このように数字をつくることに専念すれば、会計処理は不適切なものにならざるを得ません。
 

指摘された数々の不適切な会計処理

 
2020年9月SECの調査が終了し、GEの会計処理に多くの問題が指摘され、改善命令が出されました。

GEは基本的には製造業で、これはものを作って付加価値を生むことです。しかし、それが思うように利益を上げられなくなった時、それでも数字を出さなければならないという立場に追い込まれれば「数字は作られる」ことになります。

それにより事業の問題は見えなくなり、本来行うべき事業の立て直しが遅れてしまいます。

また製造業でキャリアを積んできたウェルチ氏やイメルト氏は、複雑な金融業がどこまでわかっていたのでしょうか。

三洋電機、GEの事例を見ると、コングロマリットの成長を持続することは難しく、そこに粉飾の誘惑があるのかもしれません。
 

参考文献

「三洋電機井植敏の告白」大西康之 著 日経ビジネス
「GE帝国の盛衰史」 トーマス・グリタ、テッド・マン 著 ダイヤモンド社
 

参考資料

サーベンス・オクスリー法

上場企業会計改革および投資家保護法(サーベンス・オクスリー法、別名SOX法)はエンロン事件やワールドコム事件で問題になった粉飾決算に対し、企業会計・財務諸表の信頼性を向上させるために制定され、2002年7月に成立しました。
 

【概要】
投資家保護のための財務報告の厳格化、会計監査の独立性の強化、コーポレート・ガバナンス(企業統治)改革、情報開示の強化、説明責任などが盛り込まれ、1933年の連邦証券法、1934年の連邦証券取引法の以来の金融ビジネスの最も大きな変更となりました。

経営者に対し年次報告書が適正である旨の宣誓書提出の義務(302条)、財務報告に係る内部統制報告書の義務づけ、公認会計士による内部統制監査の義務づけ(404条)などがあります。一方、条文の文言が曖昧で、解釈による違いが大きいこと、内部統制のため企業は多大なコストが生じる問題があります。
 

ここで内部統制は3つの目的と5つの構成からなります。

3つの目的

  1. 業務の有効性と効率性
  2. 財務報告の信頼性
  3. 関連法規の遵守

 

5つの構成要素

  1. 統制環境
  2. リスク評価
  3. 統制活動
  4. 情報と伝達
  5. 監視活動

 

この内部統制によって財務状況・経営成績が適正であることを示すには、基礎となる各データ(売上に関する項目であれば商品、数量、納品日など)が全て適正でなければなりません。

これらは複数の業務部門にも関わるため、経理部門以外に内部統制整備の影響を広い範囲で受けます。そのためまず内部統制の内容、その有効性の検証方法・結果、問題があった場合の対応などを明確化・文書化しなければなりません。

ERPなどの情報システム、システムの開発・保守・運用といった業務プロセス、外部への委託方法なども含まれるため、各企業が非常な労力を費やしました。

日本も2006年に財務報告の適正性を確保するために上場企業に対して内部統制の構築を義務づける「日本版SOX法」(通称)を含む、「金融商品取引法」が2006年に成立し、2008年から適用されました。
 

ドッド・フランク法

ドッド・フランク法(正式名:ドッド・フランク・ウォールストリート改革および消費者保護法)は、米国の銀行システムの事実上すべての側面に抜本的な改革を行った米国連邦法で2010年7月21日に制定されました。

この法律にはリーマンショックの原因となった虐待的な銀行業務を防ぐため、銀行、ウォールストリート、保険会社、信用格付け機関の規制強化などが含まれ、他にも消費者保護の強化や内部告発者の補償が含まれます。

しかし2018年5月にトランプ大統領は、米国最大の銀行を除くすべての銀行をドッド・フランク法の規制の多くから免除する法案に署名しました。
 

【概要】
ドッド・フランク法には、16の改革分野が含まれます。その特徴を挙げると以下のようなものがあります。

  • 金融安定監視委員会(FSOC)を設立し、銀行業界全体のリスクの高い慣行を監視する
  • FSOCは「大きすぎて潰せない」銀行を解散するよう命じることができ、FSOCはSECを通じてヘッジファンドのようなリスクの高いノンバンク金融機関を規制できる
  • 銀行がヘッジファンド、プライベート・エクイティ・ファンド、またはその他のリスクの高い株式取引業務に関与することを禁じるボルカールールを制定する
  • 銀行は、必要に応じて取引は限定的なものに規制できる
  • ボルカールールにより政府がクレジットデフォルトスワップなどリスクの高いデリバティブの規制が可能になる
  • すべてのヘッジファンドはSECに登録が必要になる
  • サブプライム住宅ローン危機につながったヘッジファンドによるデリバティブ取引を規制できる
  • ムーディーズやスタンダード&プアーズなどの債券格付け機関が住宅ローン担保証券とそのデリバティブを過大評価したこともリーマンショックの一因とし、SECの下に信用格付け局を設立した
  • 債券格付け機関を監視し、必要があれば認証を取り消すことが可能になった
  • 銀行による「悪意のあるビジネス」から消費者を保護するため、消費者金融保護局(CFPB)を設立し、消費者に害を及ぼす取引を防止、また銀行は消費者に住宅ローンやクレジットスコアをわかりやすく説明することを要求した
  • 信用調査機関として、クレジットカードや消費者ローンを監督
  • サーベンス・オクスリー法の内部告発者プログラムを強化した
  • 金融業界内のどこかで詐欺または虐待行為を報告する人は、訴訟和解または裁判所の判決からの収益の10%から30%を受け取る権利を認めた

 

経営コラム ものづくりの未来と経営

人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中

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粉飾決算と経営破綻 その1~激変する経営環境の変化と業績への圧力~

粉飾決算とは、会社の経営を実際より良く見せるために利益を過大に計上することです。

逆に利益を過少に見せようとするのは逆粉飾といいます。

なぜ粉飾決算を行うのでしょうか?

その動機は、金融機関から借入を継続するため、配当や株価の維持するため、さらに経営者自身の地位を保つため、など様々です。

これまで粉飾決算の多くは経営者によるものでした。しかし最近は経営者から厳しい利益目標を要求され役員や管理職が粉飾を行うケースも増えてきました。
 

代表的な粉飾決算は

    売上げの過大・架空計上

  • 費用の過少計上
  • 預金や商品などの過大計上
  • 借入金の過少計上

などです。

こうした粉飾決算は取引先や子会社の協力を得て行うことが多く、連結していない子会社や特定目的会社(SPC)が利用されます。

こうした粉飾を防ぐため、上場会社は公認会計士・監査法人の監査が強制されています。

もし粉飾決算を行った場合、経営者は金融商品取引法違反として10年以下の懲役または1,000万円以下の罰金が科せられます。会社も7億円以下の罰金と課徴金を納めなければいけません。
 

なぜ粉飾決算をするのか?

このような厳しい罰則があるにも関わらず、なぜ経営者は粉飾決算をするのでしょうか?

経営者は誰に向けて粉飾決算をするのでしょうか?

この場合、企業の利害関係者が誰かということが大きく影響します。
 

利害関係者

企業の利害関係者(ステークホルダー)とは、「企業の活動に対して、直接的・間接的な利害関係を有するグループまたは個人」のことです。

主なステークホルダーは以下の8つです。
■ 株主:配当金が発生したり金額が増加したりする
■ 経営者:役員報酬の増加
■ 従業員:給与・賞与の増加や福利厚生の充実
■ 顧客(消費者):例えば、「スーパーが新規出店することにより、買物の利便性が向上する」など
■ 取引先企業:受注の増加、良好な労働環境の実現
■ 競合企業:「顧客を奪われる」などの不利益が発生
■ 行政機関:税収の増加
■ 地域社会:雇用の創出、公害・環境負荷の発生など
 

このうち直接の「利害関係者」は、株主や銀行、証券会社など金銭的な関係を有する集団です。

  • 株主
  • 銀行
  • 税務署

この3つの利害関係者に対しては、「企業会計原則に基づく公正な財務諸表の作成」が義務付けられています。さらに上場企業は、財務諸表を監査法人が監査して「適正」と判断されなければなりません。
 

中小企業は企業会計原則に従わなくてもかまわない

一方、中小企業には会計監査の義務はありません。不適切な財務諸表を作成しても罰則はありません。ただし税務署に申告する納税額が不正に低ければ脱税になります。

このように中小企業と上場企業では財務諸表に対する要求が違います。また収益、費用の認識も企業会計原則と税法で異なります。

実はかつての粉飾決算の背景には、企業の利害関係者である

「株主」「銀行」の姿勢の変化

がありました。

かつてバブル崩壊、金融ビッグバンなど、企業の経営の環境が激変したのです。

それはどのような変化だったのでしょうか?
 

株式をめぐる環境の変化

バブル以前、日本の企業は金融機関と株式を持ち合っていました。株価は比較的安定していて、企業は株価より配当が重視された時代でした。

ところが1990年以降、資本市場が海外に開放され、海外の機関投資家が日本の株式市場に参入しました。

機関投資家とは、生命保険会社、損害保険会社、信託銀行、普通銀行、信用金庫、年金基金、共済組合、農協、政府系金融機関など多額の資金で株式や債券の運用を行う大口の投資家を指します。

機関投資家は運用益を重要します。そのため一貫して株価が上昇することを求めます。20年先の革新的な製品の開発のように今の株価に影響しない事業は関心がありません。

しかし炭素繊維のような開発に20年以上かかる製品もあります。炭素繊維は、当初は東レ、帝人の他、アメリカの企業も研究していました。しかし株主の強いアメリカでは、短期的な利益が重視されたため、アメリカの企業は開発を断念しました。
 

資本市場の開放により企業の株主が大きく変わりました。企業には短期の収益性と成長が強く求められるようになりました。

さらに欧米企業は、

取締役会の影響があります。

欧米企業の取締役会は、株主の代表で構成され過半数が社外取締役です。取締役会が任命した役員(最高経営責任者CEO)が経営します。株価が低迷し経営状況が思わしくないと判断されれば、取締役会はCEOを解任します。そして新たに業績を改善できる経営者を指名します。

従って欧米企業では、経営者であり続けるためには、常に利益と成長を維持しなければなりません。経営が思わしくなければ経営者は粉飾決算への強い誘引があります。
 

一方、粉飾決算は悪い経営状況をよく見せることです。その結果、悪い経営状態が改善されず、遂には破綻してしまいます。

ただし、経営破綻は、

大企業と中小企業では全く違います。

 

経営破綻

経営破綻は大きく分けて二つあります。

  • 資金の枯渇
  • 資金が枯渇し、支払い不能になれば事業は継続できません。手形を発行している場合、手形が決済できなければ(手形の不渡り)、銀行は取引を停止します。資金ショートのにる破綻は、大企業でも中小企業でも起きます。

  • 債務超過
  • 負債が増え続けて負債が資産を上回れば新規融資が受けられなくなります。上場企業は債務超過に陥った場合、1年以内に解消できなければ上場廃止されます。新規の資金調達ができなくなり、株価は大幅に下落し経営が破綻します。

 

図1 経営破綻

図1 経営破綻


 

ところが非上場の中小企業の場合、債務超過でも経営者が私財を投じて会社を支えます。そしてお金が回れば会社は継続できます。債務超過でも存続している中小企業はたくさんあります。

それなのに

なぜ中小企業は粉飾決算をするのでしょうか?

 

中小企業の粉飾決算

 

中小企業の場合、債務超過の影響は上場企業ほどではありません。それでも新規の融資が受けられないと資金繰りが困難になります。そこで経営者はできるだけ決算をよく見せるため粉飾決算をします。あるいは何年も赤字が続きバランスシートが悪いと融資を引き揚げられる恐れがあります。そこで本当は赤字でも利益があるように粉飾します。

一方で利益が大きいと法人税が増えます。そこで利益を少なく見せる逆粉飾も行われます。

主な中小企業の粉飾は以下の方法です。
 

粉飾の方法

  1. 利益水増し
    架空売上 売上金、仮払金などを架空に計上します。
  2. 在庫水増し
    期末在庫を増やして製造原価を少なくして利益を増やします
  3. 減価償却未計上
    税法では認められています。しかもキャッシュフローには影響しないため、金融機関も問題視しません。

 

粉飾の問題

赤字が続いているのに、毎期架空売上を計上し、在庫の水増しをすれば、売掛金、在庫の金額がどんどん増加します。

従って何年間か複数年間の貸借対照表(BS)を比較すれば粉飾決算はわかります。

では金融機関は粉飾をどこまで見破るのでしょうか?
 

金融機関の財務診断力

金融機関は、融資先の財務諸表を自社のシステムに入力して収益性、健全性を判断します。年々売掛金や在庫が増えていれば怪しいことが分かります。

一方、中小企業の場合、税金や仕入れなどでお金が動くと利益も変わります。金融機関の担当者もそこまで細かな融資先の事情はわからないようです。例えば、

  • 消費税の支払い
    ある会社は、1/4期分の消費税を翌期に支払っていました。そのため先期の売上が多く、今期の売上が少ないと、税金の支払いが多いため、利益が大きく減少しました。しかし金融機関の担当者はこうした減益の原因は分かりませんでした。
  • キャッシュフローを調整
    利益は様々な手法で粉飾できます。「利益つくられるもの」と言われています。しかしキャッシュフローは粉飾が容易゛てなく「利益は意見、キャッシュは真実」と言われています。それでも期末に仕入れを大量に行えばキャッシュは減少します。

 

工事進行基準

受注から完成・納入までの期間が1年以上かかる製品は、工事の進捗に応じて期末に一定額の収益(売上)を計上できます。ただしこれは工事の進捗に応じて収益を合理的に見積ることができなければなりません。

この工事進行基準は2021年度以降、大企業(上場企業・非上場企業とも)、中小企業(のうち上場企業)は「新収益認識基準」を適用しなければなりません。

この工事進行基準は上場企業でも監査法人の考え方により変わります。そして

収益認識のタイミングを変えれば利益も変わります。

 

節税

赤字の期もあれば、黒字になる期もある場合、赤字の時に架空売上や水増しした在庫で利益を粉飾して赤字を少なくします。黒字になった時に粉飾した架空売上や水増しした在庫を解消します。そうすれば税金を少なくできます。

それは黒字の時に不要な在庫や資産を特別損失として計上すれば利益を減らすことができるからです。この黒字の時に不要な資産を処分するのは合法的な会計処理です。

ところが赤字が予想以上に長く続けば、一時のつもりの粉飾が長期化して抜け出せなくなります。

図2 粉飾の長期化に悩むことに

図2 粉飾の長期化に悩むことに


 

会社と個人の一体化

かつては法人税の税率が高かったため、法人税を払って利益を会社に残すよりも、経営者の報酬を増やして所得税を払った方が支払う税金は少なくなりました。利益が多ければ、役員報酬を増やして利益を少なくし、経営者の資産を増やします。あるいは会社の土地や建物を経営者個人の所有にして、会社が経営者に家賃を払います。こういった節税は法人税率が高かった時代の常套手段でした。

しかし現在は法人税の実効税率は33.58%(中小企業 東京23区 2023年)、所得税は所得が695~900万円が23%、900~1800万円が33%、大きな違いはなくなってきています。

このような節税をしてお金を経営者個人に残すのは、個人商店のような

会社=個人

であれば問題はないかもしれません。

しかしある程度の規模の会社でこれを行うと

会社と経営者個人が一体化

します。
 

こうした会社と経営者個人の一体化が債務の個人保証(連帯保証)の一因です。融資が経営者個人に流れる可能性があるからです。個人保証があるため会社が倒産すれば経営者は個人の資産をすべて処分して個人保証した債務を弁済しなければなりません。

この債務の個人保証が、従業員や子供へ事業承継が進まない原因です。その背景には、このような会社と経営者個人の一体化があります。

個人保証があるため、中小企業の経営者にとって「倒産=自己破産」です。それを避けるためなら粉飾も一つの手段です。

これに対して、大企業の粉飾決算の原因に、社会の変化とそれに伴う企業会計ルールの変化がありました。
 

企業会計とその背景の変化

 
粉飾決算の記事を読むと、一方的に粉飾した側の問題点がかかれています。

実際は小さなほころびを繕うために行った粉飾が、いつしか致命的な問題になってしまったのです。

それは企業を取り巻く環境が変化するからです。

最も大きな変化は「バブル崩壊」です。
 

バブル崩壊

1985年のプラザ合意により円高が急速に進みました。日銀は競争力の落ちた輸出産業や製造業を救済する為、1987年2月までの間、公定歩合を引き下げ、公定歩合は戦後最低の2.5%になりました。

その一方で急激な円高で米国債券など海外の投資に大きな為替差損が生じました。その結果、多額の運用資金が国内李株式市場に向かいました。多額の資金は株価や地価を大幅に上昇させ、企業が保有する株や土地の値段も上がりました。担保価値や資産価値が増大し、それに伴い金融機関の融資も拡大、日本は空前の好景気に沸きました。
 

そのバブルは1990年崩壊しました。

株や土地の値段は大幅に下落し、企業のバランスシートは悪化しました。担保価値が下がったため融資の多くは不良債権になってしまいました。

ところが上場企業は、1年以上債務超過になれば上場廃止になってしまいます。そこで親会社の赤字を非連結子会社に移転する、いわゆる「損失飛ばし」が横行しました。この飛ばしは発覚し、1997年11月には山一證券が自主廃業しました。

それまでは単体の財務諸表を重視していましたが、こうしたこともあって連結財務諸表重視に変わりました。

このバブル景気と相前後して大きな影響があったのが、株式市場など資本市場の海外への開放でした。
 

資本市場開放

日本の資本市場開放は、

  • 1970年代前半の資本自由化(対内直接投資、対内外証券投資)
  • 1980年代の東京証券取引所の海外への会員権開放
  • 1971年の外証法(外国証券業者に関する法律)成立

などにより、段階的に海外に門戸を開き、外資系証券会社が参入しました。

1980年代後半には債券発行市場やデリバティブ市場が整備されました。

これは海外からの開放圧力によるものでした。一方、企業がグローバル化する中、日本企業が海外からの資金調達や資本政策が容易になるというメリットもありました。

その一方、株式市場における機関投資家の増加は、上場企業に

株価の持続的な上昇と高い成長を要求

しました。その結果、企業は長期的な成長よりも短期の業績を重視するようになったのです。

この資本市場の開放は、これまで国内中心だった企業会計のルールを海外と整合を取るきっかけにもなりました。

さらにバブル崩壊で起きた損失飛ばしや粉飾決算は、企業会計の厳格化へとつながりました。その中で起きた企業会計の変革が「金融ビッグバン」でした。
 

金融ビッグバン

バブル崩壊後、株や土地の価値の大幅な下落し、バランスシートの悪化による不良債権化、それに伴い生じた損失飛ばしなどが発生し、企業会計の見直しの要求が高まりました。

加えて資本市場の開放、機関投資家の増加により、企業価値の公正な評価、財務諸表の信頼性と国際的な会計基準との整合が求められました。

そこでこれまでの企業会計を見直し、国際的な会計基準と整合する会計ビッグバンが行われました。
 

その主な内容は

  • 有価証券など資産の時価評価
  • 連結財務諸表の義務付け
  • 四半期決算
  • キャッシュフロー計算書
  • 国際会計基準 (企業の海外進出、海外子会社との連結決算)

これと前後してアメリカでも

巨額の粉飾決算を行い破綻したエンロンが大きな問題になりました。

 

2001年エンロン破綻

2001年10月に、アメリカの多角的大企業のエンロン社で不正会計(巨額の粉飾決算)が発覚しました。

総合エネルギー取引とITビジネスを行っていたエンロン社が、特別目的事業体(SPE)を使った簿外取引で決算上の利益を水増し計上していたことが分かったのです。エンロンは2001年12月に経営破綻に追い込まれ、世界の株式市場に大きな衝撃を与えました。

図3 テキサス州ヒューストンのエンロン本社 (Wikipediaより)

図3 テキサス州ヒューストンのエンロン本社 (Wikipediaより)


 

2002年には、エンロン社に続いて、Kマート(小売業、破綻)やグローバルクロッシング(海底ケーブル通信、破綻)、ウェイスト・マネジメント(大手廃棄物処理、存続)など、他の有力企業でも不正会計が次々と明るみに出ました。

その結果、コーポレート・ガバナンス(企業の法令遵守)が強く問われ、2002年に企業の不祥事に対し厳しい罰則を盛り込んだ「サーベンス・オクスレー法(SOX法)」が制定されました。

このように企業不祥事が起きると次々と規制が強化されました。

SOX法でコーポレート・ガバナンスに手は打ったはずなのに、次に起きたのはリスクマネーにのめり込んだ金融機関でした。
 

リーマンショック

サブプライムローンとは、アメリカで信用力の低い借り手向けの住宅ローンです。信用力が低くリスクが高い反面、金利は高く設定されます。

「リーマン・ブラザーズ」は1850年に創立された名門投資銀行で、アメリカ五大投資銀行グループのひとつです。1990年代以降の住宅バブルの波に乗ってサブプライムローンの証券化を積極的に行いました。この証券化した商品を大量に抱えていた時、住宅バブルが崩壊しました。2008年に株価が急落し2008年9月に経営破綻しました。負債総額6130億ドルはアメリカ最大の企業倒産でした。
 

これをきっかけに信用不安が急速に伝搬し、世界的な金融危機と世界同時不況が起きました。ほとんどの国の株式相場は暴落し、世界中で信用収縮が起きました。

この反省から2010年7月21日に制定されたドッド・フランク法は、リーマンショックの元凶となった銀行のリスクマネーへの融資を規制し、銀行システムの抜本的な改革を行いました。

このように企業会計や社会的背景が変化する中、粉飾決算がきっかけとなって経営破綻し、清算した名門企業がありました。

それが戦前には売上高日本一であったカネボウです。
 

カネボウの経営破綻

カネボウは1887年東京の鐘ヶ淵に新設された紡績工場から始まりました。東京綿商社として創業し、地方の繊維工場を吸収して拡大しました。1961年には合成繊維、化粧品業界に進出し、食品、住宅用品、医薬品の5事業に多角化し拡大しました。

しかし2004年に経営破綻し産業再生機構の管理下に置かれました。その後、化粧品は花王、それ以外の事業はホーユー(株)の子会社クラシエホールディングスに、繊維事業はセーレン(株)など各社に吸収され2008年に清算しました。
 

伊藤社長の時代

なぜカネボウは経営破綻したのでしょうか。

始まりは1970年から1992年まで社長を務め、その後2003年まで名誉会長として影響力を行使した伊藤淳二氏の時代からでした。(彼は城山三郎『役員室午後三時』の主人公や山崎豊子『沈まぬ太陽』の国見会長のモデルとも言われています。)

本業の繊維事業は繊維業界の不況により業績が悪化し1975年には経常赤字に転落しました。その後も繊維事業は業績悪化が続きました。中でも子会社の興洋染色(株)は、1997年には売上高250億円に対し実質債務超過が450億円にも上りました。これがそのままカネボウの連結決算に含まれるとカネボウ自身が債務超過になる恐れがありました。

なぜこのようなことが起きたのでしょうか?
 

商社金融

興洋染色の経営悪化の原因は、商社との備蓄取引でした。

かつては中小企業に対する金融機関の資金供給が十分でなく、代わってそれを担ったのが商社金融でした。

興洋染色の主力商品アクリル毛布は、需要が秋から冬に限られています。しかし工場はコストを下げるため通年生産したいと考えます。そこで興洋染色が通年生産した毛布を商社が一旦買い上げ、金利を上乗せして冬に卸していました。当時はどこの商社もこのような商社金融の機能を果たしていました。

問題は売れ残った毛布の処分です。興洋染色はこれを買い戻し、その後再び商社に備蓄しました。しかしこれでは生産調整が効きません。そのため商社の備蓄は増える一方でした。しかも興洋染色は在庫の評価損を計上しませんでした。

図4 カネボウの資金循環取引 (「粉飾の論理」の資料を基に著者作図)

図4 カネボウの資金循環取引 (「粉飾の論理」の資料を基に著者作図)


 

しかも最大の取引先 商社の兼松と興洋染色は決算期が違っていました。興洋染色の決算時に在庫を兼松に引き取ってもらい、見かけの売上と利益を増やすことができました。この再備蓄の増加に伴い興洋染色の売上も増加しました。兼松も備蓄取引が増えれば売上が増えて、その分の口銭(手数料)も入りました。

こうした備蓄取引は兼松の他にトーメン、ニチメンも加わっていました。一方最大の取引先は兼松でした。
 

循環取引

後にこれにカネボウ自身も加わりました。そして興洋染色、兼松、カネボウの間を伝票だけがぐるぐる回る循環取引となっていました。これは「宇宙遊泳」と呼ばれ、カネボウ内部では「資金対策売買」、毛布を「凍結在庫」と呼んでいました。

実はこういった利益操作は多かれ少なかれ他の企業でも行われていました。問題はカネボウは、本業の繊維事業が苦しい時、この「金の成る木」に頼ってしまったことでした。特にのめり込んだのが1978年にカネボウの取締役になった山本吉彦氏でした。その後の八木幸一氏も山本氏に倣いました。

本来は銀行の融資が十分に得られない中小企業へのサービスだった商社金融が、業績を良く見せる手段に変わってしまった時、カネボウの経営者はこれに頼ってしまったのです。

しかしそれも長くは続きませんでした。なぜなら

銀行の姿勢が変わったからです。

 

金融機関再編の影響

きっかけはバブル崩壊による金融機関の再編と不良債権処理でした。

1996年兼松のメインバンク東京銀行は三菱銀行と合併しました。そして商社への融資枠を見直しました。兼松自身も1997年には203億円の赤字を出していました。

このように銀行の姿勢が変化したため、これまでのような手段は難しくなってきました。

実際に興洋染色の問題は、カネボウ内部でも問題視されていました。1997年6月にはKS対策委員会が設立され、内密に興洋染色の債権処理が計画されました。
 

そのスキームは、1998年2月にただ同然の土地と建物を現物出資し、防府興産という会社を設立します。そしてその株式をカネボウ物流に売却し、防府興産をカネボウの連結対象から外します。そして興洋染色から防府興産に売掛債権などを287億円を譲渡します。そうしておいて1998年4月にカネボウは防府興産を吸収合併します。

そうすると防府興産のただ同然の土地、建物は287億円の含み益を生みます。しかも興洋染色は287億円の不良債権をゼロにできます。

これを計画したのは当時の社長帆足氏と銀行出身の宮原氏でした。こうして興洋染色の問題を解決し、カネボウのバランスシートも改善する目論見でした。

ところが興洋染色の本業の毛布販売が急減速し資金繰りがさらに悪化しました。不良債権は計画当初の2倍の427億円に増えていました。
 

連結決算への移行

そうこうするうちにカネボウ自身の自己資本が1999年3月期には連結では213億円の債務超過(単独では463億円のプラス)になってしまいました。

理由は、これまでは単独決算が主でしたが、2000年3月期から有価証券報告書や証券取引所のルールが連結決算に移行したためでした。

それまで赤字を子会社に飛ばしていたカネボウは、新ルールでは2,500億円もの債務超過になることが予測されました。そこで子会社への出資比率を引き下げ、子会社15社を連結対象から外しました。

ここまでくると稼ぎ頭の事業でもなんでも売れる事業を売って現金を手にしなければ会社が存続できません。幸いカネボウには化粧品部門という稼ぎ頭がありました。

ところが化粧品部門の売却に立ちはだかったのが、会社の苦境を知らない人たちでした。
 

化粧品部門売却の失敗

カネボウは、債務超過を解消するためにホームプロダクツ部門、化粧品部門の売却を進めました。ところが労働組合が強いカネボウは、苦境を知らない社員や組合員からの強い反対に遭いました。売却は頓挫し産業再生機構の支援を受けることになりました。

帆足氏ら経営陣は退任し、中嶋章義氏が社長に就任しました。中嶋氏は経営浄化調査委員会を立上げて過去の不正を調査しました。その結果2005年には子会社15社を連結決算に追加し、過去5期分の決算を訂正しました。

粉飾決算の深みにはまったことに気づいた時には、どうすることもできませんでした。

では挽回の最後のチャンスはいつだったのでしょうか?

 

最後のチャンスに権力争いに明け暮れた

実は1992年伊藤社長が退任した時、カネボウは銀行も入って密かに再建策を検討していました。

しかし当時すでに1,700億円に達した不良資産を償却できる体力がカネボウに残っていませんでした。こうしてこの案は封印されました。

最後のチャンスは1980年代の好景気の時だったのです。しかし、この時

カネボウ内部は伊藤氏を中心とした権力争いに明け暮れていたのです。

 

会計の怠慢が招いた悲劇

始まりは備蓄取引でした。

それ備蓄取引自体は違法ではありません。しかし在庫の評価損を計上せずに再備蓄を繰り返し、さらに循環取引になったことで、この備蓄取引は白からグレー、グレーからブラックに変わっていったのです。

そして時代が進み会計基準が変わる中で、社内以外に監査法人も適正な会計処理をしなかった「会計の怠慢」が破綻を招いたのです。
 

その結果、カネボウ元社長、帆足隆氏、元副社長、宮原卓氏は、2005年証券取引法違反罪で起訴されました。さらに監査を担当した中央青山監査法人は、業務停止命令を受けて、後に解散しました。カネボウの監査を担当した公認会計士4人が逮捕されました。

カネボウは、円高、新興国の台頭など繊維業界を取り巻く環境が変化し、抜本的な事業構造の変革が必要な時に、粉飾決算による見かけの利益に頼り、内部で権力抗争に明け暮れ、貴重な時間を失ってしまいました。

一方、バブルの傷跡を直視できなかった経営者もいました。その背景には社会問題にもなった「損失補填」がありました。
 

オリンパス事件

 

1980年代バブル景気に沸く日本では、株などに投資する「財テク」をしない者は愚か者だというムードでした。
 

バブルと特金

その時代、証券会社が企業の財テク商品として積極的に販売したのが特定金銭信託(特金)でした。この商品は簿価分離のため株価が上がっても含み益が出ず、企業にとってうまみの多い商品でした。

こういった金融商品の銘柄の売買は、本来顧客が証券会社に指示をして行うものでした。実際は証券会社に売買を任せる一任売買が横行していました。

他社に負けじと営業をかけていた証券会社は、特金を販売する際、名刺の裏に「(損失を)補填します」と書いて営業しました。

今では考えられないことですが、当時は

「みんなで渡れば怖くない」

とこれが広まっていました。これがバブル崩壊で負の遺産になります。

図5 バブル景気

図5 バブル景気


 

損失補填の問題

特金はバブル崩壊で暴落しました。多くの証券会社は裏書きした名刺に苦しむことになります。

1991年6月には読売新聞は、野村證券が年金福祉事業団に50億円の損失補填があったと発表しました。

こうした損失補填が明るみに出る一方、当時は個人で株式を買った人も多かったのです。中には不動産を担保にお金を借りて株を買った人もいました。彼らの損失は補填されることはなく、多くの人は多額の負債や不動産を失ったのです。

企業向けの特金のみが優遇されたことが明るみに出ると、多くの人から怨嗟の声が上がりました。マスコミも一斉に報道しました。

こうした圧力に負けて1991年7月には四大証券会社が損失補填リストを公表しました。損失補填先は228法人、金額は1,283億円に上りました。これをきっかけに1991年10月には橋本首相が辞任しました。
 

一方、すべての企業の特金の損失が補填されたわけではありませんでした。中には多額の損失を被ったままの企業もありました。

その1社がオリンパスでした。

しかも2000年には会計基準が変更されました。

それまでは株式、土地・建物などの資産は、決算時に(著しい時価下落を除き)取得原価で計上していました。ところが新基準では時価評価になりました。株価の暴落の結果、オリンパスの株の含み損は950億円にもなりました。当時の財務部長 山田秀雄氏は「今さら外に出せるか」と言いました。

こうした外に出せない損失に困った企業に近寄ったのが、

様々な「飛ばし」のノウハウを身に着けた人たちでした。

 

飛ばし

この損失隠蔽の画策に協力したのは、元野村証券の人たちです。損失を隠蔽するため、彼らの手を借りてオリンパスはあるM&Aを実施しました。

2008年にイギリスの医療機器メーカー ジャイラス・グループを買収しました。その際、元野村證券の佐川肇氏が設立したケイマン諸島の投資ファンド「AXAMインベストメント」に買収額2,117億円の32%に当たる687億円を支払いました。

また2006年から2008年の間、元野村證券の横尾宣政氏が設立した「グローバル・カンパニー」を通じて、アルティス、ヒューマラボ、ニューズシェフなど売上高数億円の会社を734億円で買収しました。
 

そうしておいてオリンパスは2009年3月期に557億円の減損処理を行いました。

しかしこういった不自然なM&Aはどこかで情報が漏れます。その情報は、当時のオリンパス社長イギリス人のマイケル・ウッドフォードに渡りました。
 

ウッドフォード社長突然の解任

2011年に6月にオリンパス社長になったマイケル・ウッドフォード氏は、この情報を入手し会計事務所プライスウォーターハウスクーパース(PwC)に独自で調査を依頼しました。その結果、コーポレート・ガバナンスに関して多くの不審な点が見つかりました。

そこでウッドフォード社長は、この不透明なM&Aで会社と株主に損害を与えたとして、菊川会長および森久志副社長の引責辞任を求めました。

ところが逆に10月の取締役会で、ウッドフォード社長は「独断的な経営を行い、他の取締役と乖離が生じた」として解任されてしました。この突然の解任劇は世間の注目を集めました。

こうしてオリンパスの粉飾が明るみに出たのです。
 

発覚した粉飾

この事件によりオリンパスの株価は大幅に下落し、菊川氏は会長兼社長を辞任しました。しかしすでに有価証券報告書の虚偽記載が取り沙汰される事態になっていました。

第三者委員会の調査の結果、1990年代から損失の隠蔽が行われ、その補填のために買収が実施されたことが明らかとなりました。

2これにより11月の期限までに上半期中間決算が提出できなくなり、オリンパスの株は『監理銘柄』になってしまいました。

2012年2月に東京地検特捜部は、菊川前社長(元会長)、森前副社長、前常勤監査役、証券会社の元取締役、また投資会社の社長、取締役、元取締役などを金融商品取引法違反(有価証券報告書虚偽記載罪)で逮捕しました。さらに投資会社の社長と取締役は、詐欺罪で起訴されました。
 

950億円の含み損は決して小さな金額ではありません。しかしオリンパスを経営破綻に追い込むほどではなかったのです。事実、この問題の後もオリンパスは存続しています。

しかし「今さら外に出せるか」と隠蔽に取組んだ代償はとても高いものになりました。

参考文献

「粉飾の論理」 高橋篤史 著 東洋経済新報社
「オリンパス症候群」 チームFACTA  平凡社
「粉飾決算の見分け方」 石田昌宏 著 ビジネス教育出版社
 

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過去のイノベーションとデジタル時代のイノベーションについて ~まとめコラム~

中小企業、製造業の今後の経営を考える上でイノベーションが重要なのは、自社がイノベーションを起こすという意味ではありません。

イノベーションにより今までの市場が急激になくなってしまうことがあるからです。
その結果、自社の主要取引先の事業が減少すれば、自社の存続にかかわることもあります。
 

そこで弊社では、

ブログ 製造業の経営革新 ~30年先を見渡す経営~
経営勉強会 未来戦略ワークショップ

などで度々イノベーションを取り上げています。

そこで本コラムでは、それまでの記事をまとめて、イノベーションとは何か、日本企業のイノベーションの例、画期的なアイデアとそれを実現する方法、そしてイノベーターを脅かす模倣者の戦略などについて述べます。
 

絶好調だった時に感じた危機感

 

10万分の1グラムの歯車で有名な愛知県の樹研工業株式会社は、創業者の松浦会長が東北に出張に行った際、新幹線の隣に座った外国人から携帯電話事業のことを聞きました。まだバブル崩壊前、日本の電機メーカーが絶好調だった頃です。

携帯電話をきっかけに欧米の家電業界に興味を持った松浦会長は、現在欧米の家電メーカーがどうなっているのか調べました。

その結果、RCA、GE、フィリップスなど名だたる電機メーカーが続々と家電から手を引いていることが分かりました。すでに家電は人件費の安い新興国へ生産拠点を移していたし、そもそも大企業が儲かる商売でなくなっていました。
 

かつての名門 RCA(ウイキペディアより)

かつての名門 RCA(ウイキペディアより)


 

当時、樹研工業の顧客の大半が家電などの弱電メーカーでした。危機を感じた松浦会長は、時計の駆動部に使う小型のプラスチック部品のサンプルを展示会に出展しました。これが功を奏して、時計メーカーからの受注が増えて、家電の比率を減らすことができました。

その後、急激な円高により家電メーカーは一斉に工場を海外に移転、家電の下請けの中小企業は大幅な受注減少に見舞われました。

間一髪で樹研工業は間に合いました。

1980年代の急激な円高は、多くの日本企業が海外に工場を移転し、国内産業の空洞化が急速に進行しました。
 

過去の事業環境の変化

 

このような産業構造の変化は過去にも何度もありました。

戦後、日本が成長するためにはまず鉄鋼、化学、発電などのインフラの充実が不可欠でした。そのため、重工業、化学工業の振興が国策として進められました。

工作機械の名門 池貝鉄工

工作機械の名門池貝鉄工(現在、株式会社池貝)は、発電所などの大型部品を切削加工する機械を得意としていました。しかし産業の主流が、重工業から自動車や家電などに代わったことと、コンピューターを使ったNC工作機械への転換に乗り遅れ、経営が悪化し、2001年に東京地方裁判所に民事再生を申請しました。
 

池貝鉄工所 第1号旋盤 (ウイキペディアより)

池貝鉄工所 第1号旋盤 (ウイキペディアより)


 

一方、近年はデジタル技術の発達により、既存製品が短期間で市場を奪われるケースがあります。

その顕著な例が、カメラのデジタル化です。

本業消失の危機 富士フイルム

1975年コダックが世界で初めて実現したデジタルカメラは、ソニーが1981年に「マビカ」を発売、1994年にはカシオが「QV10」を6万5千円で発売するなど、各メーカーが開発に取り組んでいました。

しかし画質はフィルカメラに及ばず、価格も高価なため普及は限定的でした。写真フイルムの分野でコダックと世界を2分していた富士フイルムの社内でも、

「デジタルカメラは、フィルカメラには及ばない」

「フイルムはあと10年持つのではないか」

といった楽観論がありました。

しかし1999年から市場は急速にデジタルカメラに置き換わっていきました。この急激な変化に、富士フイルムはなんとか対応し、事業分野の転換に成功しました。
 

変化への対応について、池貝鉄工と富士フイルムについては、以下のブログに書きました。

「変化への対応 工作機械の名門 株式会社池貝の変遷と富士フイルムを襲ったデジタル化」
 

<h3>ゲームのルールが変わる危機

 

一方、ビジネスのルールが変わると今まで強みとしてきたものが生かせず、苦境に陥ることがあります。

1970年代のオイルショックによりガソリン価格が上昇し、アメリカでは車はそれまでのパワーと大きさから、燃費へと顧客が重視する点が変わりました。

これにより燃費のすぐれた日本車の輸入が急拡大しました。

ゲームのルールが変わる、コモディティ化

同様にゲームのルールが変わる例として「コモディティ化」があります。

コモディティ化が起きると、性能において商品を差別化することが難しくなり、価格競争が激化します。
 

オーバーシューティング


 

コモディティ化は、液晶テレビ、パソコン、そしてスマートフォンにも起きています。

このコモディティ化について、以下のブログに書きました。

「ゲームのルールが変わる、コモディティ化」

コモディティ化で生じる価格競争の激化「価格戦争」

一方、最初からキャッチアップ戦略を取る中国企業は価格という武器を積極的に生かして戦いを挑んできます。これは価格競争でなく、「価格戦争」と呼ぶべきものです。

この中国企業の価格戦争については、以下のブログに書きました。

「薄型テレビ、半導体…、負けるべくして負けている!! 価格戦争という戦いを知らない日本企業」

周到に用意された日本の価格戦争の例

この価格戦争は、過去には日本でも起きています。それは周到に用意されたものでした。

二輪車市場シェア2位、万全の財務体質のトーハツがなぜ短期間に苦境に陥ったのか、以下のブログに書きました。

「なぜ、万全の財務体質のトーハツが倒産し、ホンダが飛躍したのか?」

自動車はコモディティ化するか

一方、自動車がコモディティ化しないのは、自動車はオーナーのステータスを表すからです。その点で自動車はロレックスなどの腕時計と同じ要素があります。

つまり機能だけでなく、ブランド価値の要素があります。

しかしこれが自動運転かつカーシェアが主流になれば、どうなるでしょうか。

この自動運転とコモディティ化について、以下のブログに書きました。

「自動車は本当にコモディティ化するのか、その時、日本の自動車メーカーに競争力はあるのか?」
 

イノベーションのジレンマ

 

コモディティ化する最大の原因は技術の進歩です。

技術の進歩により、製品の性能が顧客のニーズを「追い越してしまう」と、性能で差別化できなくなります。

そのうち、現在の製品よりも性能の低い、それまではライバルたり得なかった製品でも顧客にとって使えるようになります。こうして、それまではライバルみなされなかった製品が強力なライバルとなり、既存の企業を追い落としていきます。

これがイノベーションのジレンマです。
 

持続的な改良と破壊的技術

持続的な改良と破壊的技術


 

このイノベーションとは何か、その本質について、以下のブログに書きました。

「イノベーションの本質とイノベーションを起こす方法を考える」

ローエンド製品の破壊的イノベーション ホンダのアメリカ進出

このイノベーションのケーススタディとして挙げられるのが、ホンダの二輪車のアメリカ進出です。当初持って行った250cc、350ccの二輪車は、ハイウェイの発達したアメリカで、長時間の高速走行に耐えられずオイル漏れが頻発し、販売は不振でした。

このとき現地の駐在員が日常の足代わりに使っていたスーパーカブが現地のバイヤーの目に留まります。

そしてスーパーカブがティーンエージャーや大学生の足として好評でホンダは窮地を脱しました。

このホンダのアメリカ進出については以下のブログで触れました。

「危機がなければ、イノベーションは起きない?「成功の罠」から抜け出す方法」

ローエンド製品の破壊的イノベーション 日産の例

日産は1960年代アメリカに進出します。同時期トヨタはクラウンをアメリカに輸出しましたが、評判が悪くアメリカから引き揚げていました。

日産が輸出したダットサン210は非力でトラブルが続き、アメリカでのビジネスは苦戦しました。これを救ったのが小型トラックでした。日産の小型トラックは、アメリカの自動車メーカーにとって破壊的イノベーションとなりました。今でもダットサン・トラックはアメリカでは広く認知されています。

この日産の北米でのイノベーションについて、以下のブログに書きました。

「『フェアレディZの父』片山豊氏の北米事業は破壊的イノベーションだった」
 

イノベーターと画期的なアイデア

 

一方、イノベーションを起こすには、やはり画期的なアイデアも必要です。

アイデアを生み出す力は、ある程度は訓練によって培うことができます。逆に言えばトレーニングしなければ、どんな優秀な人でもアイデアを生み出すことは困難です。

そして今まで画期的なアイデアを生み出してきたイノベーターたちは、意外なことに取り組んでいました。

この偉大なイノベーターが取り組んできた方法について、以下のブログに書きました。

「ひらめきを生むには?偉大なイノベーターが取り組んできた方法」

アイデアだけでない、イノベーターに必要なもの

一方で偉大な発明やイノベーターはひらめいたアイデアを実現するまでに非常な苦労をしています。

ジェームズ・ダイソンはサイクロン掃除機を完成させるのに5,000回以上の試作を行いました。優れたアイデアを実現するためには、熱意と努力が不可欠です。

この偉大な発明家の努力と、珍発明に終わってしまったアイデアについて、以下のブログに書きました。

「アイデアだけでない!発明の成功と失敗を分けたもの」
 

イノベーションは不要、模倣者の戦略

 

一方、多大な努力をつぎ込んで画期的な製品を開発しても、後発企業にキャッチアップされ、市場を奪われてしまうこともあります。むしろ本当に追いつく実力のある企業は、先頭に立って進むより、追いかけることを戦略とることもあります。

松下電器(現 パナソニック)の創業者 松下幸之助氏は、

「うちはソニーという研究所が東京にありましてなあ、ソニーさんがね、何か新しいものをやってね、こらええなとなったら、われわれはそれからやりゃあいい」

と語っていました。

このイノベーターと模倣者の戦略について以下のブログに書きました。

「イノベーターの敗北、真の勝者は模倣者か?」

 

累々と横たわるイノベーションの亡骸、それでもイノベーションから目を離さない

 

これまでにiPhoneのように画期的な製品が市場を一気に変えてしまう場合もあれば、このスマートフォンが既存の市場、例えばポータブル・カーナビ市場を消滅させてしまう場合もあります。

その一方でワンセグTVのように優れた技術・商品を開発しても、思ったように市場が広がらないこともあります。

振り返れば、モトローラの衛星電話イリジウム、アメリカのネットスーパーWebvan、そして一時は企業も出店したりして盛り上がった仮想世界のゲーム「Second Life」など、様々な製品やサービスの亡骸が死屍累々と横たわっています。
 

ネットスーパーwebvanの配送車(ウィキペディアより)

ネットスーパーwebvanの配送車(ウィキペディアより)


 

そしてGAFAと呼ばれるプラットフォーマーも決して安泰ではありません。

グーグルの検索エンジンは、何か調べようとするとアフィリエイト目的のサイトが上位に上がってきて使いやすいとは言えません。学術関係の人は、海外の別の検索エンジンを使うようです。グーグルでさえ将来本当に優れた検索エンジンに席巻されるかもしれません。

それはデジタルの世界ではごく短期間に起こるかもしれません。

今後はより一層、短期間に新商品や新サービスが生まれ、市場が大きく変わる可能性があります。

従って、常に市場や技術の動向に注目し、市場の変化の傾向をいち早く捉えて、自社に影響するようなことがあれば何らかの用意をする必要があります。
 

 

経営コラム ものづくりの未来と経営

人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中

ものづくりはどのように変わっていくのでしょうか?

未来の組織や経営は何が求められるのでしょうか?

経営コラム「ものづくりの未来と経営」は、こういった課題に対するヒントになるコラムです。

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なぜ、万全の財務体質のトーハツが倒産し、ホンダが飛躍したのか?

真の経営戦略とは?

半導体の敗戦、液晶テレビの劣勢、東芝の経営悪化など、かつて世界を席巻した日本企業の衰退がニュースになっています。

これらの敗因について、経営戦略の視点から、各社の経営の問題点を指摘する記事も出ています。
 

現実には、ビジネスでの敗因は、ライバルとの競争に敗れたものですから、ライバルの経営と比較する必要があります。

そしてそれぞれの経営や打ち手を時系列で比較することで、ようやく見えてくるものがあります。
 

そこで1950年代、モータリゼーションの黎明期に、かつてシェアトップを誇った優良企業「トーハツ」と、競争に打ち勝ち日本一となった「ホンダ」の経営を比較することで、真の競争戦略について考えます。
 

戦後飛躍したトーハツ

 

1955(昭和30)年は、前半は金融引き締めのデフレ政策の影響が尾を引きました。

しかし、後半からは輸出が急増し、景気は回復し、次の“神武景気”へとつながりました。

日本経済は戦前の水準まで回復し、1956年の経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言しました。
 

その年、トーハツ株式会社(旧 東京発動機株式会社)は、国内の二輪車市場のシェア35.5%で一位、売上高利益率10%の好業績でした。

ホンダは、シェア2位で16%でした。

トーハツの支払手形はホンダの4分の1、買掛金は3分の1、借入金は10分の1に過ぎず、東洋洋経済やダイヤモンドなどの経済雑誌は優良会社と褒めていました。
 

しかし5年後の1960年には赤字に転落、1964年に会社更生法の適用を受けました。

その後、同社は二輪車事業から撤退し、船外機のメーカーとなりました。
 

なぜ、万全の財務体質のトーハツが倒産し、ホンダが飛躍したのでしょうか?

その経営の違いを比較しました。
 

トーハツの歴史

 

トーハツの創業は、内燃機関の専門家であった高田益三氏が1922年(大正11年)「タカタモーター研究所」を設立、発動機付揚水ポンプを生産し、逓信省他に納入しました。

その後、小型エンジンの専門メーカーとして、無線発電機、船外機などを生産しました。
 

1939年(昭和14年)「東京発動機株式会社」に改名し、2ストロークガソリンエンジンを主力とし、軍の発電用エンジンを主に生産し、軍管理工場となりました。
 

1946年 戦後、軍需工場の指定が解除され、GHQの生産停止命令により工場が閉鎖されました。

その後いちはやく生産を回復し、国鉄・漁業・農業向けにエンジンを納入しました。
 

1947年 小型で持ち運びができる日本初の消防ポンプVC-50型を開発しました。
 

1951年 ポンプ事業が好調、そして自転車用補助エンジン「TFL型」が好調で二輪車事業が第二の柱になりました。
 

1952年 戦後初めて設備の改善が行われ、倣い旋盤やターレット旋盤などの最新設備を投入しました。

免許制度が変更され、2サイクル60ccと4サイクル90cc以下の二輪車は、運転免許制から許可制に切替え、より身近なものなりました。
 

当時の状況

トヨモーターをはじめ自転車に補助エンジンを積んだバイクがブームになりました。

名古屋地区では、ニシオ〔西尾鉄工所〕ノーリツ(岡本自転車)など、他地区ではホンダの赤カブ、富士精密のBSモーター、トーハツ〔東京発動機〕のパピーなどがよく売れました。

名古屋中日本重工業〔元三菱重工業名古屋機械製作所〕のスクーターのシルバーピジョンは、年間生産台数19,889台で富士重工のラビットを追い抜き、シェアは53,7%に達しました。

ここから1980年代まで二輪車市場は、一貫して拡大していきました。
 

1953年 自転車用補助エンジンの「パピー号」発売しました。そして初の本格的オートバイPK53型(2ストローク単気筒98cc)を発売しました。
 

二輪車市場の推移

二輪車市場の推移


 

1954年 朝鮮戦争終了、特需後の反動減により不況に陥りました。
 

1955年 1955年~1957年神武景気

販売台数7万台、シェア35.5%でトップメーカーとなり、大型車のメグロ、小型車のトーハツと言われました。

そしてヤマハ発動機は、最初の二輪車2サイクル125ccのYA1を発売しました。

薄赤色とクリーム色のツートンの軽快なスタイルで「赤トンボ」と呼ばれ、大人気となりました。
 

国内では、生き残りを賭けた2輪メーカーの激しい販売合戦が繰り広げられていました。

浅間レースなど盛んに開催され始めたレースは、勝てば、広告に勝る大きな宣伝効果を発揮するため、各メーカーがこぞって出場しました。
 

1957年 神武景気後の金融引き締めで、なべ底不況

2輪車の販売のかげりにより、売上に対して利益が次第に低下しました。

1958年 1958~1961年岩戸景気
 

1959年 目黒製作所は、市場での人気を得た「メグロ S3」など250ccと、500cc「メグロ Z7(500cc)により年間15000台のオートバイを生産し、最盛期に達しました。
 

1960年 斬新的なデザインの50ccロードスポーツ車ランペットCAを発売しました。
 

ランペットCA

ランペットCA


 

1955年に比べ売上は20%増加しましたが、売上原価が10%増加し、赤字に転落しました。
 

そのため、富士電機製造株式会社に経営を委譲し、経営陣を刷新しました。

ハーレーのコピーを生産していた陸王モーターサイクル(株)が倒産しました。
 

1963年 最も小型のモペット35ccのベルBCを発売しました。

目黒製作所は、川崎重工傘下となって「カワサキメグロ製作所」と改名しましたが、翌年倒産しました。1959年の最盛期からわずか4年後のことでした。
 

1964年 会社更生法適用し倒産しました。

そして船外機メーカーとして、事業再生しました。
 

トーハツの衰退の原因

 

「…つまり、2輪車業界ではエンジンという製品の基幹部分の性能・品質だけで市場をおさえることができる時代は去っていた。総合力、言ってみればマーケティング力が必要な時代が到来していたことは明らかだった。こうした総合力、マーケティング力は企業の中から生まれる。いわば風土がベースになっている。」(トーハツホームページ トーハツの歩みより引用)

エンジンの性能は良かったが、製品の総合的なマーケティング力が不十分だったことが敗因として、挙げられています。

しかし、ライバルのホンダの経営を時系列で比較すると、その経営の違いが顕著に分かります。
 

ホンダの歴史

 

1946年 本田宗一郎氏が、本田技術研究所を開設し、無線用発電機を改造した小型エンジンを自転車に搭載した通称バタバタを発売しました。
 

1951年 4ストロークOHV146ccの先進的なエンジンを搭載したドリームE型を発売しました。
 

ドリームE型

ドリームE型


 

ホンダ副社長 藤沢武夫氏「製品の方から見れば2サイクルのオートバイに将来性がないことが分かっているわけです。だから、私は「4サイクルをつくってくれ」と繰り返し主張していたんですが…中略…ある朝、本田が「ちょっと一緒に行こう」と車で呼びに来たんです。…中略…「これでもう大丈夫だよ。ホンダはこれで、大変な勢いで伸びるよ」って、本田が言った。それが4サイクルオーバーヘッドバルブ・エンジンの設計図だったんです。」(「経営に終わりはない」 藤沢武夫著より引用)

 

1952年 自転車搭載用エンジン カブF型発売。全国5,000を超える自転車店にダイレクトメールを送り、販売網を確立しました。
 

ホンダ副社長 藤沢武夫氏「本田技研を大きくするためには、どうしても大きな流通網を考えなくてはならない。代理店だけに頼っていたのでは、流通のパイプが詰まってしまうことは目に見えているんです。そこで思いついたのが自転車屋なんですよ。…中略…これまでの代理店にはドリームだけ売ってもらうことにして、カブについては新規の販売網だっていうんで、さっそく、全国5万5千軒の自転車販売店に手紙を出しました。」(「経営に終わりはない」 藤沢武夫著より引用)

 

1953年 1年間で総額4.5億円の設備投資(当時、トヨタ、日産よりも多い)を行いました。

大量生産への考え方

「「入社間もない1950年の夏で、ダイキャストに関連してでした。『砂型でアルミ部品をつくるより、ダイキャストでつくったほうがどれほどいいのか、どういう点で勝っているか、ちゃんと説明できれば、通産省が補助金を40万円出すと言っている。だから、リポートを急いで書け』と、突然命じられました。
そこで、とにかく砂型との優劣やコストを比較してみた。そりゃ大量生産の部品をつくるのならダイキャストがいい。でも、Hondaは、これに見合うほど製品をつくっていない。月に100台か、せいぜいが200台です。最低でも1000台、1万台ぐらいつくるのでなければ、コストが合いません。困ってしまって『どう計算しても砂型が有利でダイキャストが不利です。書けません』と言ったんです」。
計算が緻密だったせいか、本田は、白井の返事に怒り出しもせず、珍しく諄々(じゅんじゅん)と説いた。
「『現実は、そうだよ。職人が1個ずつ砂型でつくった方が今んところ手っとり早いし、安い。けどなぁ、日本の将来は工業立国しか手がないんだ。世界を相手の商売となったら、1番大事なのは量産性のあること、部品が均質であることだ。だからウチはつらいのを承知で、最初っからダイキャストでやってる。そこに力点を置いて書け』と。
正直言って、吹けば飛ぶような町工場の社長です。当時大企業の社長でも口にしない”世界を相手に”なんてことを、本気で言ってるんです。びっくりしながらも、この人はただの職人あがりの技術者じゃないと思った。スケールが違うぞ、と。リポートは、言われた通りに書きました」」

 

当時、設計課長だった河島喜好は、輸入工作機械購入決定のいきさつをこう語っています。
「前略 はっきり言っておきますが、Hondaの工場はいわゆる生産工場ではなくて、組立工場だったのです。部品メーカーからほとんどの部品を買ってきて、それを組み立ててオートバイをつくっていたんです。ギヤ1個さえ社内ではつくれない。あるのは組立ラインと塗装ラインだけ。溶接すら外注でした」。
かろうじて内作していたのは、カムシャフト、クランクシャフト、シリンダーなどのエンジン部品で、それは全部品の20%にも満たなかった。
「ここで、本田と藤澤の経営者としての先見の明が、決断を下したのです。デフレ不況が去って、E型が売れて、一時期の危機こそ乗り越えたが、このままでは大きな成長は望めない。しかも戦前の古い工作機械でつくった部品を買って使っているようでは、世界のHondaになれるわけがない。お二人は、Hondaを生産工場を持った会社にする決意をした。何が何でも最新鋭の工作機械を買おうと。それで、4億5000万円分の外貨申請を出したのです」

 

1954年 朝鮮戦争終了、特需後の反動減により不況に

カブF型は後発の他社製品に人気が移り、しかも自転車用補助エンジンが時代遅れになっていました。

さらにドリーム、ベンリイのトラブルで経営危機に陥ります。

そこで社内の士気を高めるため、本田宗一郎氏はマン島TTレースへの出場を宣言しました。

(マン島TTレースは、当時世界のトップメーカーとライダーが激しく争う世界グランプリの中でも最も伝統と格式に満ちたレースでした。)
 

1957年 神武景気後の金融引き締めで、なべ底不況

1954年から順次導入した設備により工場の量産能力は高まり、つくるほどに安くすることができるようになりました。

そして2度の値下げで20%価格を引き下げ、増産により販売量も増加し、国内生産台数が第1位になりました。
 

競合の苦境

対抗するメーカーは、ホンダの価格に対応するために高品質で勝負しようとすれば値上げが必要でした。

そこで値上げでなく、やむなく値下げをした結果、粗製乱造となりました。

性能、外観、部品精度など目に見えて低下し、これがユーザーの信用の低下を招きました。

そして昭和32年(1957)1月には名古屋を代表するメーカーでキャブトンのみづほ自動車製作所〔犬山市〕が倒産、同33年(1958)にはトヨモーターで一世を風靡した株式会社トヨモータース〔刈谷市〕も社内整理に入りました。
 

1958年 1958~1961年岩戸景気

スーパーカブ発売

50ccを作れという藤沢氏

「カブ号のように自転車に取り付けるものじゃ、もうだめだ。ボディぐるみのものを考えてくれないか。どうしても50CCだ。底辺の広い、小さな商品をつくってくれ。底辺が広がらない限り、うちの将来はないよ。」
「そんなこといっても、50CCで乗れる車なんかつくれるものか」そう本田はいう。
ドイツでは、クライドラー、イタリアではランブレッタとかを見てまわりました。みな当時、有名なオートバイメーカーです。やはり50CCのことが気になったとみえて、それらしきものがあると、「これはどうだい?」って聞く。
「こんなのは、だめだ」「これは?」「だめだ」「これは?」「こんなのつくったって、どうしようもない」「ないじゃないか」「ないからつくってくれといってるんだ。こんなものじゃだめだよ。すぐに売れなくなっちまう」
というような問答をしているうちに、本田は私の欲しがっているもののイメージを理解していったようです。

帰国してから一年ほど経った頃でした。「おい、ちょっと研究所まで来てくれ」と、本田から電話があったんです。さっそく出かけていくと、スマートなモペットの模型ができている。
「うん、これなら売れる。ぜったい売れる」見たとたんに、私はそういいました。
「どのくらい売れる?」「うん。……まあ、月三万台だよ」「ええっ!」
社長だけでなく、居合わせた研究所員がみんなおどろいてしまった。そりゃ、そうです。
その頃、ドリーム号とベンリイ号を合わせて月六、七千台、日本全国の二輪車販売台数が二万台くらいでした。だから、月三万台と聞くと、すっかり開発に馬力がかかってしまった。(「経営に終わりはない」 藤沢武夫著より引用)

スーパーカブ

スーパーカブ


 

1959年 現地法人アメリカホンダを設立し、アメリカ進出。スーパーカブが大ヒットしました。
マン島TTレースに初出場し、完走しました。
 

1960年 年間60万台の生産規模の鈴鹿製作所が完成しました。
 

市場が拡大する局面での経営

 

トーハツの経営だけで見れば、それぞれの時点で最適な打ち手を打っていたように見えます。

ただし、ライバルがいなければ、です。
 

実際には、ライバルのホンダは、現在の二輪車市場でなく、成長する市場を見据えて、世界の市場をターゲットにして手を打っていました。

それが、4.5億円の設備投資であり、スーパーカブの開発でした。
 

トーハツとホンダの生産台数推移

トーハツとホンダの生産台数推移


 

時には多額の投資は、資金繰りを悪化させる危険があります。

ホンダも景気の悪化とクレームによる販売低迷で倒産寸前になりました。
 

一方設備投資により導入した最新のダイキャストマシンやプレス機は、月産数千台に達した時、大幅なコストダウンと高い生産能力と品質の安定をもたらします。

そしてそれだけの生産台数が必要だったからこそ、藤沢氏は50ccの商品を求めました。

それに答えて本田氏はスーパーカブを開発し、爆発的なヒットを生み出しました。
 

おそらく目先の市場のみ見ていたトーハツの経営陣には、ホンダの戦略は読めなかったに違いありません。

例え気づいても、あのような膨大な設備は、短期ではとても追いつくことができなかったでしょう。

このスーパーカブは、ホンダのアメリカ進出の実現し、さらにスーパーカブの生み出した豊富な資金が四輪業界への進出を可能にしました。

今、台湾や韓国の積極的な投資に苦戦する多くの日本企業にとって、藤沢氏のような発想が必要なのではないでしょうか。
 

本コラムは2016年1月17日「未来戦略ワークショップ」のテキストから作成しました。
 

経営コラム ものづくりの未来と経営

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