「経営に終わりはない」ホンダという会社を創った男 藤沢武夫(後編)

経営と戦略
【コラムの概要】

藤沢武夫は、本田宗一郎と共にホンダを創業から永続企業へ転換させ、その独自技術のDNAを次世代へ引き継ぐ組織を築いた。彼の真の目標は、自身がいなくとも会社が成長し続ける仕組みを完成させることであり、本田宗一郎と共に潔く引退した。この先見の明がホンダジェットなど今日の成功に繋がっている。

「経営に終わりはない」ホンダという会社を創った男 藤沢武夫(後編)

本田宗一郎氏と二人三脚でホンダを世界的な企業に育てた藤沢武夫氏、彼には非常に大きな課題がありました。それは彼にしかできないことでした。 

創業から、永続する会社への転換です。

藤沢氏の自叙伝「経営に終わりはない」には、ホンダという組織を完成させるための氏の努力が克明に書かれています。

以下、「経営に終わりはない」より引用

要するに、すべて本田宗一郎がいなくなったらどうするか

というところから発想されたということです。

本田の未知への探求という基本は貫かなければならないけれど、

彼個人の挑戦には限界があります。

彼の知恵が尽きても、

それに代わるものがどんどん現れてくるような、

それでも逆に企業が伸びてゆくような組織体をつくったつもりです。

引用ここまで

藤沢氏は、経営者としてホンダを世界的な企業に発展させる傍ら、常に事業の継承に頭をめくらせていたのです。

そしてホンダは、四輪車に進出します。昭和37年特定産業振興法案が出てきました。国は化学、重電、自動車などを手厚く支援する代わりに新規参入は制限するというものです。

この法案が通るとホンダは四輪車をつくれなくなるかもしれない。急遽ホンダはS800というスポーツカーを発売しました。こうして四輪車メーカーとなったホンダはN360というヒットにも恵まれて、四輪車メーカーとしても成長していきます。 

しかし本田宗一郎氏の主張する空冷エンジンのホンダ1300は大不振に終わり、時代は自動車に環境性能を求めるようになってきました。

熱海で技術研究所の幹部と会った藤沢氏は、彼らから排ガス対策の新技術の可能性を聞かされます。それには空冷でなく、熱的に安定した水冷エンジンが必要でした。

以下、「経営に終わりはない」より引用

東京に戻ると、私は本田にこの技術者たちの意見を伝えました。

「いや、空冷でも同じことだ。できないことはないよ。

あんたに説明しても、わからんだろうけど」

本田宗一郎氏は信念の人であり、それが技術にかけてはなおさらですから、

その考えを変えさせるのは並大抵ではできないと思った私は、

「あなたは本田技研の社長としての道をとるのか、

それとも技術者として本田技研にいるべきだと考えるのか、

どちらかを選ぶべきではないでしょうか」

といった。

彼はしばらく黙っていましたが、

「やはり、おれは社長としているべきだろうね」

と答えました。

「水冷でやらせるんですね」

「そうしよう。それが良い」

引用ここまで

この決断の後、水冷化したエンジンを土台にして、世界を驚愕させた低公害エンジンCVCCが完成したのでした。 

これは1970年に世界一厳しい排気ガス規制マスキー法が制定され、1975年以降製造する自動車の排気ガスの有害物質を従来の1/10にするというものでした。当初どのメーカーもクリヤすることができませんでしたが、1972年ホンダがシビックに搭載した副燃焼室による希薄燃焼方式CVCCにより規制をクリヤして、世界を驚かせました。

シビック
シビック Wikipediaより

本田宗一郎氏のホンダから、企業体としてのホンダに変わったのです。本田宗一郎氏の優れた技術者としてのバトンが研究所にしっかりと渡され、ホンダの未来をつなぐ組織が完成したのです。

昭和48年の正月、藤沢氏はある決断をします。

以下、「経営に終わりはない」より引用

「かねてから考えていたとおり、今年の創立記念日には辞めたいと思う。

社長はいま社会的な活動をされているし、どうされるかわからないが、

私からいわないほうがいいだろうから、専務から私の意向を伝えてもらいたい」

が、私本田宗一郎氏との二十五年間のつきあいのなかで、

たった一回の、

そして初めで終わりの過ちを犯してしまいました。

本田は私のことを聞くとすぐ、

「二人いっしょだよ、おれもだよ」

といったそうなのです。

ほんとに恥ずかしい思いをしました。

その後、顔を合わせたときに、こっちへ来いよと目で知らされたので、

私は本田の隣に行きました。

「まあまあだな」

「そう、まあまあさ」

しかし、実際のところは、私が考えていたよりも、

ホンダは悪い状態でした。

もう少し良くなったところで引き渡したかったのですが。

「ここいらでいいということにするか」

「そうしましょう」

すると、本田はいいました。

「幸せだったな」

「ほんとうに幸せでした。心からお礼をいいます」

「おれも礼をいうよ、良い人生だったな」

それで引退の話は終わった。

引用ここまで

最後に藤沢氏が語っています。

二十五年が限界なのです。それは双方とも進歩が止まるときです。二十五年が私たちの人生の進歩の限界点であったということでしょう。 

藤沢武夫氏、本田宗一郎氏の引き際の鮮やかさは大変有名です。多くの経営者が引退しても会長や相談役として、影響力を発揮するのに対して、両氏が引退後はホンダの経営に関与することはまったくありませんでした。そして藤沢氏がつくりあげた組織は、創業者のDNAを確実に継承しています。 

特にその象徴なのは、ホンダジェットです。自らライセンスを持ち飛行機を操縦していた本田宗一郎氏のDNAを受け継ぎ、ホンダはビジネスジェットに進出します。しかもエンジンまで自前で開発します。その結果20年の期間を経て、どこのまねでもない独自のビジネスジェット機を完成させました。来年から販売が始まるホンダジェット、これこそチャレンジ精神あふれるホンダのDNAが引き継がれていると思います。

ホンダジェット
ホンダジェット Wikipediaより

それは、ここまでを振り返ってみると、ホンダの未来をつなぐ組織をつくる人が藤沢氏のゴールであり、そのゴールは彼らがいては完成しないことを知っていました。 

そしてもうひとつは、今までの二十五年が自分たちにとっての限界であることも分かっていました。今の感覚で言えば藤沢氏ほどの経営手腕があれば、まだほかの会社の経営者でやっていけたのではないかと思います。しかし自らの能力の限界と、後進に道を譲るという観点から、潔く身を引きました。 

そして多くの中小企業が経営の承継という問題を抱えていますが、ホンダは本田宗一郎氏がエンジンとなって会社を引っ張る傍らで、藤沢氏が冷静に舞台を用意し、そして企業としてのホンダという組織を着実につくりあげていったため、このように見事な経営の承継ができました。 

「経営に終わりはない」ホンダという会社を創った男 藤沢武夫(前篇)は、こちらから参照いただけます。
 

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