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「労働生産性向上と人材教育 その2」 ~企業が業績を高めるために必要な人材の確保と教育とは?~
低成長が続く日本は、再び成長するためには労働生産性を高めなければならないと言われています。
そのため、国も労働生産性を高めるべく様々な努力をしています。
では労働生産性が高まればGDPを増加するのでしょうか?
これについては、「労働生産性向上と人材教育 その1 ~労働生産性とは?マクロとミクロの視点~」で、内閣情報調査室 前田氏の「TFP(全要素生産性)に関する一試論」を説明しました。
これによれば労働生産性が向上すれば、国全体ではTFP(全要素生産性)の増加として現れます。しかしTFPが増加しても、需要が増えなければGDPは増加しないのです。
そして日本は需要を増やすことが難しくなっています。それは以下の理由からです。
市場が縮小
日本のGDPの75%は国内の民間消費だからです。
日本は民間需要(国内需要)が73.1%、公的支出が26.0%、輸出から輸入を引いた外需は0.9%しかありません。
注)以下の通り計算して作成
民間 (公的) の消費と投資 =
民間 (政府) 最終消費支出 + 総固定資本形成 民間 (公的) + 在庫変動 民間 (公的)
この民間需要、特に個人消費は、ほとんど増加していません。図は家計消費の成長率を示しています。
これを見ると2014年の消費税増税8%、2019年の消費税増税10%で個人消費を大きく落ち込みました。
高齢化でさらに縮小
日本の場合、問題は人口の減少以上に年齢構成の変化していることです。65歳以上の高齢者が増加し、高齢化比率が急速に高まっています。
消費者として考えると、高齢者が増加し年金生活者の割合が増えればれば、消費はさらに減少します。なぜなら年金生活者は節約志向が強くなるからです。
年金生活者の強い節約志向
年金生活は収入が増える見込みはありません。そのため貯えがあっても、将来貯えが尽きる不安から積極的に消費しません。
そうして80代になると今度は活動範囲が狭くなります。消費する機会が減少します。
日本人はセロトニン(トランスポーター遺伝子S型)という不安遺伝子の保有率が82.25%と世界一高い民族です。(アジア人の平均は70~80%です)
対してヨーロッパ人の不安遺伝子の保有率は40~45%です。それもあって年金も貯えも全部使い切って人生を満喫して一生を終える人も多くいます。しかし多くの日本人には、このイタリアの陽気な老婦人のような暮らし方は無理です。
結局、団塊の世代が引退した2017年以降、期待されたシニア消費の波はやってきませんでした。
不安遺伝子は若者消費にも影響
この不安遺伝子のため、若者もお金を使わなくなっています。
非正規雇用が増え、正社員の賃金上昇も低く、将来収入が増え豊かになると実感できません。しかも少子高齢化の加速は、年金制度への不安となり、貯蓄志向を高めます。その結果、総務省「全国消費実態調査」によれば、30代未満の単身所得世代の平均貯蓄額は、男性が1989年の138万円から190万円、女性が132万円から149万円に増加しました。
国が将来も不安のない年金制度を構築し、企業は社員に安定した賃上げを続ければ、若者の消費は増え、GDPは増加するのでしょうか?
問題はGDPの増加にはTFPの増加が必要です。TFPが増加するためにはイノベーション(技術の進歩)が必要です。ところが企業がイノベーションを生みにくくなっているのです。
不安遺伝子が強く、高齢化で節約志向が高まる日本は、そのままでは消費は伸びず、経済は縮小してしまいます。
企業自身も高齢化
それは企業の従業員の高齢化比率が上昇することで、企業自身も高齢化するからです。
東京商工リサーチの2013年の調査結果によると、上場企業2318社の従業員の平均年齢は40.2歳です。年齢分布が均等であれば、企業の中堅社員は30~50代、60代でも戦力です。中間管理職が実務を担う「名ばかり管理職化」が多くの企業で進んでいます。今では管理業務のみ行う管理職はわずかで、大半が実務を行っています。
この社員の年齢の上昇は、企業に以下のような影響を与えます。
① リスクを取らない
新事業、新製品は失敗のリスクが伴います。失敗して経歴に傷がつき社内の立場が悪くなることを考えれば、リスクを取って新技術・新製品に取組むよりも、取り組まない方がメリットは大きいと考えます。そのためリスクがあるようなプロジェクトは様々な理由を挙げて反対します。
② 新しい価値観、手法を受け入れない
中高年社員にとって、これまでの経験や価値観はアイデンティティの一部です。新しい考え方や価値観、技術や手法はそれを否定するものです。そのため受け入れがたいのです。
③ 決定を先延ばしにする
事業活動では、時には時間が成否を決定します。有望な事業でも決定が遅れれば失敗することもあります。しかし彼らは経験があるために、いろいろと不安な点に気が付きます。そのため決定を先送りにします。一方海外の積極的な企業は、早く取組んで早く結果を出すことを重視します。ダメなら早く修正して完成度を高めれればよいのです。
失敗の責任は問わない
アマゾンのジェフ・ペゾズは、早く実験し、早く結果を出すことを常に部下に求めます。だから失敗しても担当者は責任を問われません。
1日で新規事業が決済
中国のIT企業テンセントは、朝4時30分にオーナーの馬氏が思いついたアイデアをメールすると、10時にCEO、10時30分に副社長が意見を述べ、12時には本部長が決済します。15時には企画書が完成し、22時にはその製品の開発期間とリリース次期が馬氏に報告されます。24時間以内に新事業のプロジェクトが走り出します。
グローバル企業と競争するには、このような目まぐるしいスピードで意思決定が求められます。高齢化した日本企業がこのようなスピードに対抗できるでしょうか。
実はアマゾンやテンセントのようなIT企業が成長しても、かつてのようなGDPの成長は来ないのです。
企業が高齢化し、イノベーションが起こせなくなった日本では、従来の企業に代わるスピード感のある企業が必要なのです。
むしろ今までの100年間が特別な期間だった
なぜならこれま出が異常だったからです。
ロバート・ゴードンは著書「アメリカ経済 成長の終焉」で「1870年からの100年がむしろ特別な期間だった」と述べています。
この100年の間、蒸気機関、電気、内燃機関、電気通信、化学工業など多くの革新的な技術が実用化され、生産性は急速に向上しました。しかし、「このような劇的な生産性向上はもう起きない」とゴードンは考えます。
その一方、ムーアの法則に従えば、半導体の進歩はこれからも続きます。情報通信技術の革新スピードは持続します。しかし情報通信技術はこれまでの産業のような雇用や消費の増大をもたらしません。グーグルの検索エンジンは、グーグルを時価総額2兆ドル(300兆円!)の企業に押し上げました。しかしグーグルの社員はたった10万人です。鉄鋼、造船、自動車、電気などのかつての産業に比べはるかに少ない雇用です。
つまりイノベーションを起こし、労働生産性を高めても、かつてのようなGDPの成長は望めないのです。
GDPは今の経済活動を表していない
そもそも経済の金銭消費のみを対象とするGDPは現在の価値を適切に表していないという考えもあります。
個人がSNSで挙げた情報は多くの人に有益な情報を提供しています。動画に投稿したダンスや音楽は、多くの人を楽しませています。しかし、そこに金銭が介在しないためGDPには何ら影響しません。ボランティアによる社会貢献活動が社会にプラスの価値を提供しても、GDPには影響がないのです。
しかしこういった活動がある社会とない社会では、暮らしやすさ、豊かさが全然違います。
その点で、日本のサービス業も優れたサービスがお金に十分に変わっていない分野です。
サービス業だから生産性が低い
日本の労働生産性が低いことについて、特にサービス業の労働生産性の低さが指摘されています。国もサービス業の生産性向上を課題としています。
サービス業の平均年収は飲食業108万円、理容・美容業125万円しかありません。業務を改善し、時間当たりのサービスを増やせば、サービス業の労働生産性は向上するのでしょうか。
効率化では労働生産性は上がらない
経営コラム「労働生産性向上と人材教育 その1 ~労働生産性とは?マクロとミクロの視点~」で計算したように、単に時間当たりの出来高を増やしても付加価値は増えません。
付加価値を増やすには、生産性を高めるだけでなく、販売量を増やすか、値上げが必要だからです。
しかし市場が縮小する日本は、販売量を増やすのは困難です。いくら割引を宣伝をしても床屋さんに行く回数は2倍になりません。そうなると値上しかありません。しかし高齢者の比率が高ければそれも難しいのです。高齢者は節約志向が高く、値上げすれば、安いところに変わってしまいます。
医療・介護・福祉の分野はどうでしょうか。これらの分野は報酬を国が決めています。国が報酬を引き上げない限り付加価値は増えません。料金は国が払うため、どこを利用しても同じ費用なので差別化しにくい分野です。そこで労働生産性を上げるためには、今までと同じ仕事をより少ない人数で短時間にこなすしかありません。これでは現場は過酷になるばかりです。
では、付加価値を高める方法は他にないのでしょうか?
年間500種の新製品
工業製品の場合、独自の工夫をして他社と違うより良いものをつくれば他社より高くても売れます。付加価値は増大し労働生産性は向上します。
岐阜県の電設部品メーカー未来工業は、残業ゼロ、年間休日140日、加えて有給取得率も高い会社です。それでいて営業利益率は常に10%以上の優良企業です。
同社は「常に考える」をスローガンに掲げ、付加価値の高いアイデア製品づくりに努力しています。新製品は毎年500点以上出しています。これがどれほど大変な事か、製品開発に関わった人ならお判りいただけると思います。
労働生産性を高めるのは効率性の追求ではありません。より高く売れる商品やサービスをつくることです。それが少子高齢化で高くても良い商品が市場で受け入れられなくなっているのが問題なのです。
未来工業の製品の顧客は、電気工事会社です。彼らは使いやすい良いものがあれば高く買ってくれます。では一般の消費者に提供する製品やサービスはどうすればよいでしょうか。
ヒントは時計です。世界の時計のシェアはスイスが50%を占めています。その多くがロレックスやカルティエなどの高級時計メーカーです。高額な時計は高い付加価値を生み、スイスの労働生産性を高めています。
サービス業も富裕層向けの商品やサービスを充実すればより高い付加価値を生むことができます。
労働生産性を高めるのは効率性を追求し勤勉に働くことではありません。
そもそも日本人は昔から勤勉だったわけではありません。昔の日本人は働かなかったのです。
昔の日本人は働かなかった
江戸時代まで、日本人には労働と日常の区別がありませんでした。時間の単位は1刻(およそ2時間)、しかも不定時法のため、夏と冬で1刻の長さが変わりました。「いつまでに、どれだけの仕事をしなければならない」というのはなかったのです。1859年に来日した駐日スイス領事ルドルフ・リンダウは、火鉢の周りでおしゃべりをしながらだらだらと過ごす日本人を見て「矯正不可能な怠惰」と言いました。
その日本も工場は西洋式の「テイラーの科学的管理方法」を導入し、効率性を追求しています。オフィスでも時間にしばられて働いています。時間に対し自分の裁量がないことが労働を苦痛なものにしています。ベルトコンベアーに沿って流れてくる製品に1分ごとに同じ作業を繰り返す仕事に喜びはありません。作業者の唯一の楽しみは、終業のベルが鳴って、この苦痛から解放されることです。
実は今の日本人の勤勉さは、和を重視する文化と集団の圧力によるものでした。だから個人の会社に対するエンゲージメント(組織への貢献意欲、愛着心)は高くありません。
エンゲージメントの低い現代の日本人
日本企業の社員は、長時間労働やサービス残業も厭わない「まじめで勤勉」というイメージが世界中で広まっています。実は仕事への充実感・達成感は高くないという結果が出ています。
アメリカの調査会社ギャラップ社の2017年の調査によれば、エンゲージメントの強い社員の割合が日本は6%で、139カ国中132位でした。同様にオランダの総合人材サービス ランスタッド社の2019年の調査でも、「仕事に対して満足」と回答した割合が日本は42%と、34カ国中最下位でした。逆に「仕事に不満」と回答した割合は21%で1位でした。
こうした原因について、ビジネス誌では以下の要因を挙げています。
- 賃金が上がっていない
- ルールが多すぎる
- 意思決定がスピードを欠きストレスになる
- 経営陣と現場とのコミュニケーション不足
- 多様性・柔軟性に乏しくワークライフバランスへの配慮に欠ける
- 業績評価で適切なフィードバックが行われていない
最もな感じがしますが、本当にそうでしょうか。上記の6項目を改善すれば、個人の組織に対する貢献意欲は高まるのでしょうか。
同じ仕事を続けることでやりがいを失う
これに対してマーケティング 評論家のルディー・和子氏は、なぜ日本人の貢献意欲が低いのか、これに対しユニークな意見を述べています。
それは「飽きるから」です。
実際、企業の業務はルーティン業務も多く、ホワイトカラーでも単調な業務をかなりの量こなさなければなりません。終身雇用制の元では社員は一生同じ会社に勤務します。組織内の移動も少なければ、何十年も同じ仕事をすることになります。その結果、仕事に飽きてしまいます。飽きたためにやりがいや充実感を感じなくなってしまうのです。
実際、アメリカでの過去10年間の生産性低下は、和子氏は離職率の低下を原因として挙げています。アメリカ人も同じ会社に留まって仕事に飽きると彼女は言います。日本も、異動による一時的な生産性低下が無視できないため、配置転換がとても少ない、あるいは全くない中小企業も多くあります。そのため入社してからひとつの部署に10年以上いる社員もいます。また仕事に飽きた若い社員は、転職してしまいます。
もし社員の貢献意欲が低い理由が、ビジネス書の指摘通りであれば、それを解決するには昇給や人事制度など様々な取り組みが必要です。しかし、ただ飽きてしまうのであれば、対策はもっと容易です。
移動すればいいのです。
一方上場企業は常に利益を出し続けるように株式市場から圧力を受けています。経営者は株価を持続的に上げなければならないのです。
イノベーションが起きない中、大企業が利益を増やすには
企業が高齢化し、新製品・新技術などに及び腰な時、付加価値を増やすにはどうしたらよいでしょうか。
具体的に売上は以下の式で計算されます。
売上=材料費+労務費+経費+利益
そこで付加価値を高めるために効果が高いのは、
- 労務費の削減
- 材料費の削減
の2つです。
労務費の削減
労務費を下げれば利益は増えます。しかし賃金は下げられないので、
賃金の高い中高年をリストラし若い社員と入れ替える
正社員から派遣社員に切り替え
などを行います。派遣社員にすれば生産量の変動に応じて人数を調整でき、労務費を変動費とすることができます。
材料費の削減
材料費(外部購入費用)を下げれば、利益は増えます。例えば自動車メーカーの場合、原価に占める外部購入費用の割合は80%もあります。工場の改善よりも購入部品の値下げの方が利益を増やす効果は高いのです。この購入部品には下請が製造する部品も含まれます。
労務費の削減や材料費の削減は、利益を上げるための王道です。しかしこれを継続してもイノベーションは起きず、社員のやる気も低くなるだけです。
目先のコスト削減でなく、社員のやる気を高め、アイデアを引き出す取り組みが必要なのです。
労働の質の向上
「労働生産性向上と人材教育 その1 ~労働生産性とは?マクロとミクロの視点~」で述べたように、労働生産性を高めるには
- 値上げ
- 製造時間短縮
- 販売量増加
の3つがあります。
例えば未来工業は、年間500種もの新製品を出すことで、製品の付加価値を高めています。こうした価値の高い製品や技術の実現は、社員の自主的な取り組み、高い意欲、問題解決力が必要です。つまり社員の労働の質を高める必要があります。
ところが日本企業の社員の仕事に対するエンゲージメントは高くありません。では、どうすればよいでしょうか。
ヒントは意外にも戦時中のGMにありました。
生産性が高かったGM
GM、フォード、クライスラーといったアメリカのビッグスリーの工場の労働者は、全米自動車労働組合(UAW)に所属しています。彼らにとって、仕事は収入を得るための手段にすぎず、できる限り楽をしたいと考えます。そのため担当の仕事以外はやりません。デトロイトをやめた職人気質の労働者は「デトロイト中の空気がよどんでいる。仕事のある者さえ失業者のようだ」とまで言いました。
ところがGMの工場の社員がやる気に満ち、労働者が多くの改善提案を出した時期があったのです。
それは第二次世界大戦中のことでした。
第二次世界大戦中、GMは大量の兵器の製造を請け負いました。しかし兵器の製造に習熟した工員はおらず、素人を大勢工場につれてくるしかありませんでした。そこで管理者は作業を細かく分解し、手順書には「なぜその作業をやらなければならないか」まで書きました。管理者は作業者を信頼し、作業スピードは作業者に任せました。
銃を製造する工場では、新人が銃の部品を製造できるようになると、新人を射撃場につれていきました。そして正確に加工した部品の銃を撃たせた後、雑に加工した部品に変えた銃を撃たせて、部品の違いをわからせました。
爆撃機の部品を製造していた工場は、本物の爆撃機を工場に展示しました。工員たちは自分たちの仕事がどこに使われ、それがこの戦争にどれだけ貢献するかが実感できました。仕事への意欲が高まり作業効率は向上しました。
工員がより良いやり方を提案する制度も実施され、40万人の工員から、11万5千件の提案が出ました。しかもそのうちの1/4が採用されました。
残念なことは、これだけ生産性の高かった工場が、戦後は前述した退廃した工場に変わってしまったのです。
上記を反面教師とすれば、社員の意欲を高める取り組みはビジネス誌のようなことをしなくても実現できるのではないでしょうか。
一方技術が進歩すれば、社員の能力が不足します。そこで継続的な能力開発が必要になってきます。
ラーニングの重要性
GMの工場では、非熟練者でも仕事の意義や目的を伝えることで、意欲を高めて高い生産性を実現しました。その一方、生産性を高めるには、意欲だけでなく能力も重要です。
ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者ジョセフ・E・スティグリッツは、著書「生産性を向上させる社会」の中で、『今日では国の成功を決める要因は、人や研究への投資であり、ラーニング(学習)が重要だ』と主張しました。
デビッド・リチャードの比較優位説では、国同士相対的に低いコストで製造できるものにお互いが特化し、貿易で生産物を交換すれば双方の国が大きな利益が得られます。
スティグリッツはこれを静学的比較優位と呼び、これに対し、より重要なのは知識と学習によるイノベーションであり、これを動学的比較優位と呼びました。そしてこういった学習を主体とする社会をラーニング・ソサエティ<注記>と呼びました
これからはどの年齢でも継続的に学習と能力開発の機会があり、自ら学習する社会がイノベーションを増やして、その国の経済を活性化させると述べました。
<注記>
ラーニング・ソサエティとは、アメリカのロバート・M・ハッチンスが1968年に著した「ザ・ラーニング・ソサエティ」で書かれた言葉で、国民の生涯学習が普及した社会を指します。ハッチンスは、未来には自由時間が労働時間を上回り、自由時間には自己実現を図るような学習が重要と考えました。対してスティグリッツのラーニング・ソサエティのラーニングは仕事の中における学習を指しています。
スティグリッツのラーニング・ソサエティ
この学習に関して、スティグリッツはお手本(>ベストプラクティス)から学ぶことの重要性を説きました。
国の経済が発展するためには、新たな価値を生み出すことが必要で、スティグリッツは以下の3つを挙げました。
- ベストプラクティスを学ぶ
- ベストプラクティスから改善し生産性を高める
- 新たな製品や事業を創出する
① ベストプラクティスに学ぶ
1940年代から1980年代の間、多くの社会主義国は、自由主義国よりも高い貯蓄率と投資率を維持していました。教育投資も積極的に行いました。それにもかかわらず産出量は自由主義国の1/2以下でした。その原因はベストプラクティスに学ばずイノベーションが起きなかったからです。
先進国と発展途上国でも知識に大きな差があります。そこで発展途上国は先進国からベストプラクティス(知識)を導入し、工業化を促進しました。中国が成功した要因は、多くの外資系企業を呼び込み、積極的に知識を吸収して工業化を促進したためでした。
スティグリッツは貿易規制により、自国の産業を保護する「幼稚経済保護論」も提唱しました。発展途上国は当初は自国の工業が弱いので、貿易規制で自国の産業を保護して工業化を促進し、経済成長と生活水準の向上を実現することを推奨しました。
② ベストプラクティスの改善
さらにスティグリッツはこうして手にしたベストプラクティスを改善すれば、さらなる生産性向上が実現できるとしました。
アメリカの製造業は1970年代から1980年代前半、1980年代後半から1990年代、この2つの期間で年間成長率が0.9から2.9%に上昇しました。これは他の国よりも1.9%も高かったのです。スティグリッツは、これは業務管理の改善やTQC(全社的品質管理)の導入などの学習強化によるものだと主張します。
対して1995年~2001年もアメリカの生産性は日本やヨーロッパを上回りました。しかしこれは資本蓄積、教育の改善、公式な研究開発投資とは無関係と言います。
③ 新たな製品や事業を創出する環境
技術の進歩に伴い必要な知識も変わります。そのため常に新たな学習が必要です。しかし知識を生産し伝搬する点で市場は必ずしも効率的ではありません。そこで知識の生産や研究開発分野は政府が支援する必要があります。
学習により獲得した新たな知識は、ある製品から他の分野の製品へと伝搬し、社会に大きな影響をもたらします。こういった知識の取引は、市場メカニズムというより、むしろ研究者同士のプレゼント交換のような形なのです。
この学習を促進するためには以下のポイントがあります。
- 学習能力 若いほど学習能力は高い「老犬に新しい芸は教え込めない」
- 知識へのアクセス 「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからです」アイザック・ニュートン
- 学習のための触媒 アイデアは反応を促進、学ぶための刺激が触媒となる
- 思考方法 創造的思考を作り出すための認識フレーム
- 触媒作用を引き起こす人との接触 知識は人との接触によって広がる
- 知識の伝達につながるような人との接触
技術の進歩に適応し、常に新たな知識を獲得してイノベーションを起こすには、上記のような取組を促進し、学習する社会(ラーニング・ソサエティ)の実現が重要です。
スティグリッツは人や組織が継続的に能力を高めアイデアを共創することが重要で、知識を生み出し広げるには、政府の役割の重要性を説きました。
こういった学習に関して、最近「人的資本経営」という取組が注目されています。
人的資本経営の取組
労働生産性向上の本質は、生産活動の効率化ではなく付加価値の向上であり、新製品・新事業の促進、つまりイノベーションです。
そのためには新製品・新事業を促進する人材が必要です。そのため人材教育の重要性は高くなっています。加えて定年の延長もあり社員の年齢構成は変化しています。これからは中高年社員も戦力とする必要があります。ところが彼らのスキルは新たな業務や最新のIT技術に適応しない場合があります。
しかも単純作業、事務作業は非正規雇用が担当するようになり、正社員は企画・管理など今まで以上に高度な業務スキルが求められます。またテレワークなど新たな仕事のやり方も出てきて、これまでとは異なる業務スキルも必要になってきます。その結果、従来のOJTを主体とした人材教育では不十分になってきました。
そこで従来の組織構成員としての人材ではなく、設備や技術と同様に社員を資本と考え、教育を資本への投資とする「人的資本経営」という考え方が提起されています。
経済産業省は、企業経営者、投資家、コンサルティング会社などにより「人的資本経営に向けた検討会」を開催し、2020年に「人材版伊藤レポート」、2022年には「人材版伊藤レポート2.0」を発表しました。
人材版伊藤レポート2.0には以下のような項目が提唱されています。
視点
- 経営戦略と人材戦略の連携
- 現状とあるべき姿のギャップの把握
人材戦略の要素
- 動的な人材ポートフォリオ
- 知・経験の多様性と包括
- リスキル・学びなおし(デジタル、創造性)
- 従業員エンゲージメント
ただしこのレポートは、大企業を想定しているため課題や方針については詳細ですが、具体的な教育や育成の記述は少なく抽象的なものになっています。
残念ながらスティグリッツの提唱する「ラーニング・ソサエティ」という継続的に学習し、アイデアを交換することでこれまでにない発想を生みイノベーションを創出する考えが、「人的資本経営」では人事と教育、そして高齢者のリスキルになってしまいました。
見えない未来に必要な能力を自ら考え、選び学習することが必要です。そうして生まれた知識を一時政府が保護し熟成して世に出すことで、次々とイノベーションが生まれる社会がラーニング・ソサエティと考えます。
そのストーリーの中で、中高年が能力を発揮するために必要なスキルを身に着ける必要があるのです。
最後にGDPの成長と生産性向上、人的資本の関連性を下図に示します。
参考文献
「生産性を上昇させる社会」 ジョセフ・E・スティグリッツ 著 東洋経済新報社
「企業とは何か」 P・F・ドラッカー 著 ダイヤモンド社
「TFP(全要素生産性)に関する一試論」 前田 泰伸 著 内閣情報調査室レポート
「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~」経済産業省
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
ものづくりはどのように変わっていくのでしょうか?
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労働生産性向上と人材教育 その1 ~なぜ労働生産性の向上が必要なのか?~
バブル崩壊後、日本は低成長が続き、海外と比べて日本は相対的に貧しくなっています。
日本が成長するには、労働生産性を高めなければならない、それにはイノベーションが必要と言われています。
つまり
イノベーション→労働生産性向上→GDP成長
というわけです。
しかし、こう言われ10年以上経過しましたが、大きなイノベーションは生まれず、アベノミクスの第三の矢は実現していません。
一方、企業も生産性を高め、より大きな付加価値を生まなければ賃金を上げられません。賃金が上がらなければ、個人消費は低迷したままで景気も良くなりません。
どちらも労働生産性の向上がカギです。
この労働生産性はどのようなものなのでしょうか。
労働生産性とは
生産性は、アウトプットをインプットで割ったものです。
労働生産性とは「労働の成果(アウトプット)」を「労働量(インプット)」で割った「労働者1人あたりが生み出すアウトプットの指標」です。
実は労働生産性は、
日本、アメリカといった国レベルで比較するマクロ的な視点の労働生産性と、
各企業の時間当たりの生産性といったミクロ的な視点の労働生産性
のふたつがあります。
日本の労働生産性 (マクロ的視点)
マクロ的な視点の労働生産性は、GDP(国の踏み出した価値の合計)を就業者数で割って計算します。
ここでGDPは国内で生み出したものやサービスの付加価値の合計で、以下の式で表します。
このGDPは、国内で生産して消費した「ものやサービス」と「海外に輸出したもの」の合計から、「海外から輸入したもの」を引いたものです。
その中で、マクロ的視点の労働生産性は、国民一人が平均してどれだけのGDPを生み出したのかを示します。
一方でGDP(実質GDP)は、1人あたりの労働生産性から以下の式で計算します。
日本がGDPを上げるには、「働く人を増やす」、「1人が生み出す価値を高める」のいずれかが必要です。
一方、ロバート・ソローの経済成長理論によれば、GDPの増加は、以下の3つの要因があります。
労働投入量の増加は、国の人口の増加を指します。
資本投入量の増加は設備投資を指します。
ところが人口や設備投資が増えなくても、産出量(GDP)は増加します。
それは技術革新があるからです。技術が進歩し、設備の性能が向上し、仕事のやり方も改善されれば、同じ労働投入量、同じ設備投資金額でも産出量は増えます。
これをTFP(全要素生産性)、またはソロー残差と呼びます。
日本のように今後は人口増加や、高度成長期のような大規模な設備投資が期待できなくても、技術革新があればGDPは増加します。
先に述べたイノベーションとは、この技術革新を指します。
TFP(全要素生産性)について
安倍政権が2015年に立案した「日本再興戦略」には「生産性革命」が謳われています。これはTFPの上昇を目指しています。
アベノミクスでも、第三の矢としてイノベーションの創出が掲げられています。にもかかわらず日本のTFPの上昇率は高くありません。
どうすればTFPが向上するのでしょうか。
内閣情報調査室 前田氏による「TFP(全要素生産性)に関する一試論」によるとTFPを高める要素として、
- 資本の質
- 労働の質
- 経営の質
- 外部経営環境等
の4つを挙げています。
これはどのような内容でしょうか。
(1) 資本の質を高める
これはより高性能な生産設備を導入することです。
その結果、投入量に対する生産量が増大します。他にも省エネ性能の高い設備を導入すれば、より少ないエネルギー(費用)で同じ生産量を達成できるため、資本の質を高めます。
またブランドのような無形資産があれば、同じ製品でもより高く売れます。そのためこのブランドも資本の質です。厚生労働省の「平成28年版 労働経済の分析」では高級なブランドが多く無形資産装備率が上昇している国ほどTFP上昇率が高い傾向がありました。
例えばロレックスなど高級腕時計は、価格の高さがステータスとなり、多額の付加価値を生みだしています。今日時計はスイスの主要産業のひとつで、スイスは世界の時計のシェアの50%を占めています。
この無形資産には、OFF-JTのような教育による人的資本形成も含まれます。
(2) 労働の質を高める
より能力の高い労働者を雇用して、時間当たりの生産量が増加すればTFPは上昇します。
これは製造業の場合、労働者が頑張って製造して生産量を増やすという20世紀的な考え方より、より高いスキルの労働者を雇用して、自動化を推進してより高度な製品を生産し、生産量を増やすという考え方です。
一方サービス業では、より近いホスピタビリテイの労働者を雇用すれば、質の高いサービスが提供でき付加価値を高めることができます。あるいはレベルの高い接客によってリピーターが増えれば、長期的にはTFPの増加につながります。
また博士号など高度な知識を持つ人材が、新技術や新製品を開発すればTFPは上昇します。
社員への能力開発投資とTFPの関係は、内閣府「平成29年度 年次経済財政報告」によれば、企業が能力開発費を1%増加した結果、TFPは0.03%の増加があったことが報告されています。
またワークライフバランスを実現し、女性、高齢者、外国人など社員の多様性が広がれば、TFPが増加する可能性があります。
(3) 経営の質を高める
経営者の経営能力が高くなれば、企業が生み出す付加価値が増えてTFPが上昇します。
この付加価値の増大は革新的な製品やサービスだけでなく、物流や流通、マーケティング、管理など業務のさまざまな面(ビジネスプロセス)を強化・改善しても実現します。経営の質は、こういったビジネスプロセスの改革も含んでいます。
(4) 外部経営環境等の影響
企業の立地や政府の施策も、TFPの上昇に影響します。
特定の地域に産業が集積することで、優れた労働者が集まるとともに企業間の連携が強化され、新技術の波及効果が高まります。政府の規制緩和が新しい産業を生み出すこともあります。あるいは優れた技術を持つ外国企業が日本に進出すれば技術やノウハウが日本に移転されます。
こういったTFPの上昇はGDPにどのような影響を及ぼすのでしょうか。
前田氏のシミュレーションによると下記の3つの結果が示されました。
① 現状のままTFPが3%と大幅に上昇した場合 (需要は変わらない)
- 供給が増加しても需要は変わらないため、デフレが悪化する
- 実質GDPは横ばい、物価は下落し、失業率は増加する
この試算からイノベーションが起きて供給が増えても、需要が増えなければ
- デフレが悪化
- 賃金が下がり失業も増える
- GDPは変わらず、国の財政も変わらない
という結果になりました。
② TFP3%の上昇とともに輸出が大きく増加した場合
(輸出には外国人観光客の国内消費、インバウンド需要も含まれる。)
- 供給の増加に応じて需要も増加し、物価と賃金は上昇し、財政収支は改善する
- 実質GDPは増加、物価は若干上昇、失業率は変わらず、財政収支は黒字化
この試算からイノベーションが起きて、かつ輸出やインバウンドが増加して需要が増えれば
- 物価が上がり、デフレ脱却
- 賃金が上がり、それでも失業率は変わらない
- GDPは上昇し、国の財政は改善される
という結果になりました。
③ TFP3%の上昇とともに公共投資を増加した場合
- 乗数効果が輸出よりも大きいため、輸出よりも成長は大きいが財政は急速に悪化する
- 実質GDPは増加、物価は若干上昇、失業率は若干改善するが、財政収支は大幅に悪化する
この試算から、イノベーションが起きても輸出も国内需要も増えないため、公共投資で補った場合
- 輸出よりも乗数効果が高いため、デフレは改善される
- 賃金はやや上がり、失業もやや減る
- 国の財政は大幅に悪化する
という結果になりました。
イノベーションが起きても需要が増えなければ、デフレが続く
このシミュレーションからわかることは、TFPの上昇はあくまで供給側の指標ということです。
需要側の問題を解決しなければ、技術革新はさらなるデフレを誘発するということです。
一方、実際の経済活動において、TFPの上昇がどのような製品や技術により達成されるのかは、よくわかっていません。しかも実際の経済活動は、様々な人々の消費行動など複雑な要因があります。上記のようなシミュレーション通りにならない可能性もあります。
企業の労働生産性 (ミクロレベル)
企業の労働生産性も基本的な考え方は同じです。企業の場合、1人当たりの労働生産性の他、時間当たりの労働生産性も使用されます。
企業の生み出す付加価値は、売上から材料費など外部から購入した金額(変動費)を引いたものです。
付加価値=売上-外部購入費用=売上-変動費
企業で発生する費用は、
- 外部購入費用 (変動費) : 材料費、外注費、他の資材など
- 社内で発生する費用 (固定費) : 労務費、会社の経費(工場の経費、販管費)
があります。そこで利益は以下の式で表されます。
利益=売上-費用=売上-変動費-固定費=付加価値-固定費
1人当たりの労働生産性は、この付加価値を就業者数で割ったものです。
時間当たりの労働生産性は、この付加価値を就業者全員の就業時間の合計で割ったものです。
改善は付加価値を高めるのか?
上記の式を具体的な企業の数字に落とし込むと、意外なことがわかります。「改善は付加価値を高めるとは限らない」のです。
なぜでしょうか。
企業の労働生産性を具体的な数字で検証してみます。
モデル企業A社は、1人のみの会社です。この会社は製品A1(価格1,500円 年間販売量1万個)のみを生産しています。
A社
- 売上 1,500万円
- 材料費(外部費用) 500万円
- 付加価値額 1,000万円
付加価値額1,000万円に対して、A社は賃金600万円、
会社の経費は200万円なので、これを引いて200万円の利益がありました。
A社の労働時間は2,000時間なので、
1時間当たりの付加価値(時間当たり労働生産性)は5,000円/時間でした。
材料価格が20%上昇しました。
- 売上 1,500万円(変化なし)
- 外部費用 500万円→700万円(200万円増加)
- 付加価値 1,000万円→800万円(200万円減少)
時間当たりの労働生産性は4,000円/時間に減少します。
利益は0円です。
そこで利益回復のため以下の3つの手段を検討します。
- 値上
- 製造時間短縮
- 販売量増加
1. 値上
値上げをすれば、売上は1700万円に増加します。
付加価値は1,000万円に回復し、利益も200万円になります。
時間当たりの労働生産性は5,000円/時間に戻ります。
2. 製造時間短縮
A1製品の製造時間は0.2時間なので、これを0.16時間にして20%短縮します。
しかし売上、外部費用は変わらないため、付加価値は800万円のままです。
1万個の製造に必要な労働時間は1,600時間に減少しますが、その分賃金を下げなければ利益は200万円になりません。
ただし労働時間を短縮すれば、時間当たりの労働生産性は5,000円/時間に戻ります。
3. 販売量増加
販売量を1.25倍増加させます。
外部費用も1.25倍の875万円、労働時間も1.25倍の2500時間になります。
ただし賃金は変わらないとします。
その結果、付加価値は1,000万円に回復し、利益は200万円になります。
ただし時間当たりの労働生産性は4,000円/時間に低下します。
つまり原材料の上昇などで付加価値が減少した場合、以前の利益を維持するには値上げか、販売量の増加などで付加価値を回復することが必要です。
改善で製造時間を短縮しても、販売量が増加しなければ利益は回復しません。
(生産量に応じて労働時間と賃金が変動できれば別ですが。)
労務費が固定費であれば、材料価格の上昇などで付加価値が減少した場合、時間短縮などの改善では利益を維持できません。
受注を増やすか、値上げするか、付加価値を増やすか、いずれかの方法を取る必要があります。
人口減少など市場の縮小に直面する日本も同様です。
計算の詳細は以下に記載します。(ご関心のない方は飛ばしてください。)
参考 計算の詳細
製品A1
売価 1,500円
年間販売量 1万個
年間売上 1,500万円利益=1500-500-600-200=200 万円
付加価値=1500-500=1000 万円
年間労働時間 2,000時間、1人なので、1人当たりの労働生産性=1000万円
1時間当たりの労働生産性=1000×104/2000=5000円/時間
年間で1万個生産なので
1個の生産時間=2000/10000=0.5時間
A1製品の原価
材料費500円
労務費600円
経費200円
1個の利益=1500-500-600-200=200円
1個の生産時間=2000/10000=0.2時間
【材料価格が20%上昇】
材料価格が40%上昇し、年間では500万円→700万円に増加
● 価格がそのままの場合
付加価値=1500-700=800 万円 200万円減少
利益=1500-700-600-200=0 円
利益はゼロ円になる。労働生産性は
1時間当たりの労働生産性=800×104/2000=4000円/時間
4,000円/時間に減少する。
● 値上 1500円→1700円
付加価値=1700-700=1000 万円
利益=1700-700-600-200=200 万円
利益は200万円と変わらない。
● 原価低減
製造時間を20%短縮、製造時間0.2時間→0.16時間
労務費600円→480円
計算上の原価=700+480+200=1,380円
利益=1500-1380=120円
しかし年間での販売量は1万個で同じ場合、売上1500万円は変わらないため
付加価値=1500-700=800 万円
付加価値は200万円減少し、利益はゼロになる。
● 販売量増加
販売量を1.25倍増加、1万個→12,500個
売上=1500×1.25=1,875万円
材料費=700×1.25=875万円
労務費600万円は変わらないものとする。ただし労働時間は1.25倍となり
労働時間=2000×1.25=2500時間
利益=1875-875-600-200=200円
1時間当たりの労働生産性=1000×104/2500=4000円/時間
材料費が上昇し、1個当たりの利益はゼロになる。
労務費が固定費で変わらない場合、売上を1.25倍にすれば付加価値は増加し利益は200万円になる。
なぜ国は労働生産性向上に力を入れるのか?
GDPが成長すれば、年々経済規模が大きくなります。雇用は安定し、家計収入は増加、生活も安定します。税収が増加し政府債務も減少します。
従って国家の安定と国民生活の安定にはGDPの成長が不可欠と国は考えます。
GDPを成長させるためには以下の方法があります。
- 就労者数の増加
今から出生率を上げても、生まれた子供が生産活動に貢献するのは20年以上先です。すぐに効果が出るのは移民の増加です。
- 労働生産性向上
就労者数が増えなくても一人当たりの生み出す付加価値が増えればGDPは増加します。これは労働生産性の向上に他なりません。
このような背景から、国は日本の労働生産性を高めるべく努力をしています。ところがなかなか効果が出ません。
なぜ日本の労働生産性は低いままなのでしょうか。
続きは別のコラムで紹介します。
参考文献
「なぜ日本の会社は生産性が低いのか?」 熊野英生 著 文春新書
「勤勉な国の悲しい生産性」 ルディー和子 著 日本実業出版社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
ものづくりはどのように変わっていくのでしょうか?
未来の組織や経営は何が求められるのでしょうか?
経営コラム「ものづくりの未来と経営」は、こういった課題に対するヒントになるコラムです。
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社会の変革
技術だけでなく、人口、国家、金融など様々な面でも変化が起きています。
ここではそういった社会面での変革を取り上げました。
(タイトルをクリックすると記事に移動します。)
社会環境と制度
「SDGsの真実1」~環境だけじゃない。17の目標と温暖化対策の目標~
持続可能な開発、低炭素化社会の実現、などSDGsに関して、様々なキーワードが報道されています。しかしSDGsと言われてもピンと来ない方も多いのではないでしょうか?ではSDGsとはどんなものなのでしょうか?
実は、環境問題は背景に政治的、思想的な対立があり、一筋縄ではいきません。しかも二酸化炭素排出削減は、EVや太陽光発電よりももっと大きな問題があるのに、それについてはほとんど報道されていません。そこで地球温暖化と二酸化炭素排出量の関係はあるのか?二酸化炭素排出量削減に本当に必要なことは何か?SDGsと環境問題の本質について2回に分けて考えました。1回目はSDGsの17の目標についてです。
「SDGsの真実2」~温暖化に対する様々な意見と温暖化対策の難しさ~
持続可能な開発、低炭素化社会の実現、などSDGsについての2回目は、地球温暖化に関する議論と、発電、自動車以外の二酸化炭素排出問題についてです。
組織の進化形『ティール組織』
企業は階層型の組織をつくり「上司と部下」の関係で仕事をマネジメントします。しかしこういった従来のマネジメントはうまく行っているとは言い難く、上司と部下のコミュニケーションは不十分、パワハラの問題、部下の意欲の低下と退職など多くの問題が起きています。この従来の組織に対し「管理をしない」ティール組織が話題になっています。はたしてティール組織は未来の組織なのか、一過性のものなのか。フレデリック・ラルーチ著「ティール組織」から組織と管理について考えます。
「思想の対立か、パラダイムの転換か?」 ~脚光を浴びるベーシックインカム
ベーシックインカムは、社会保障として国民1人1人に毎月定額の現金を支給する政策です。この思想は17世紀から既にありましたが、最近になって海外でも様々な学者や団体が導入を提唱しています。ひとつには年金や生活保護などの社会保障制度は行政コストが非常にかかるため、むしろ一律給付の方が効率的だという考えです。さらに非正規雇用など不安定な生活に置かれた人々に安心を提供し、起業に失敗しても生活できるため起業が活発になるといわれています。今提唱されているベーシックインカムはどのような制度で、経済的に成立するのか?その結果社会はどうなるのか?ベーシックインカムについて考えました。
世界と経済
「中国経済の誤解 ~学ぶべきマクロ経済コントロールと今後の課題~ その1
中国経済については「不動産バブル」「シャドーバンク」などマイナスの面をことさら強調して、危機を煽り立てるような報道や書籍が目につきます。現実には、不動産バブルは崩壊せず、リーマンショックも乗り切って、成長を続けています。どのように中国の指導者層が困難を克服してきたのか、冷静な書籍や報道は多くありません。
今回取り上げるトーマス・オーリック著「中国経済の謎―なぜバブルは弾けないのか?」この本は、あえて政治には触れず、中国の指導者層の経済政策に焦点を当てて詳細に書かれています。この本を取り上げてこれまでの中国経済の巧みな運営と、今後のリスクについて2回に分けて説明します。1回目は中国の政治体制と、日本のバブル崩壊、アジア通貨危機から彼らが何を学んだかについてです。
「中国経済の誤解 ~学ぶべきマクロ経済コントロールと今後の課題~ その2
トーマス・オーリック著「中国経済の謎―なぜバブルは弾けないのか?」を取り上げてこれまでの中国経済の巧みな運営と、今後のリスクについて2回に分けて説明します。2回目は中国のこれまでの経済運営と現在の課題です。
政府債務がどれだけ増えても破綻しない? 話題の『現代貨幣理論』MMTを考える その1
今回の衆院選では多くの候補者や政党が積極的に財政出動して景気浮揚を訴えました。しかし財政は大丈夫でしょうか?そこで「財政は問題ない」とした拠り所が「自国通貨を発行できる国はいくら財政赤字を拡大してもデフォルトしない」というMMT(現代貨幣理論)です。
MMTはステファニー・ケルトン教授が提唱し、下院議員のオカシオ・コルテス氏が積極的な財政政策の根拠として主張し、日本でも西田昌司参院議員(自民党)などが取り上げました。一方従来の経済学者から「ブードゥ―経済学」とまで言われ、激しく批判されています。MMTの主張は本当なのか?MMT推進派と反対派、双方の主張を取り上げました。1回目はMMTの主張です。
政府債務がどれだけ増えても破綻しない? 話題の『現代貨幣理論』MMTを考える その2
「自国通貨を発行できる国はいくら財政赤字を拡大してもデフォルトしない」というMMT(現代貨幣理論)の2回目は、MMTの主張に対する反論です。
世界恐慌 ~金融危機と通貨危機の同時連鎖はなぜ起こったのか?~
リーマンショックは100年に一度の危機と言われました。では100年前の世界恐慌は度のようなものだったのでしょうか?それはリーマンショックよりもはるかに大きなものでした。歴史の教科書には、第一次世界大戦後の好景気に沸くアメリカで投資バブルが発生、バブルがはじけたため、世界恐慌が発生したと書いてあります。当時の世界の置かれた状況は?各国の中央銀行はどう動いたのか?ヨーロッパ、アメリカ、日本の金融政策は?金本位制と金融政策、経済発展と通貨の役割、などを取り上げ、不況を本質について考えました。
グローバル資本とデフレの関係
円安で輸出企業の利益が増えても企業は内部留保を積み上げ、賃上げや設備投資は依然低調です。この日本のデフレについて、JPモルガン証券の北野一氏は、「原因は成長余力の乏しい日本企業がその実力以上に利益を出していることにある」と断言します。この北野氏の主張するデフレの原因について深掘りし、借入と資本と費用の関係と、購買力平価でみた時の実質為替レート、そして格差の拡大について考えました。
これからの日本
「これからの日本の産業を考える」 ~日本の産業の歴史とグローバル環境から次の時代を考える~
紡績・繊維から、鉄鋼・造船、そして電気・半導体から自動車と日本の輸出を支える産業は変化してきました。その過程で多くの企業が栄枯盛衰の憂き目に遭いました。では、これからの日本を支える産業は何でしょうか?医療? 航空機?
これからの産業については情報が少なく、しかも行政やシンクタンクの一方的な情報ばかりです。しかし過去に発展した産業や企業は、常にこうした公の予想の外で起きました。これまでの日本の産業発展の歴史と現在の日本の企業の規模と業界のデータから、今後どのような産業が発展するのか、ディスカッションしました。
人口減少社会とこれから起こる変化
統計数値を基にした少子高齢化の実態と、その原因として政策の失敗、そして地方行政の失敗と行政に衝撃を与えた増田レポートから国が日本をどう変えていこうとしているのか学びました。そこから今後の市場の変化について、考えました。
「中国経済の誤解 ~学ぶべきマクロ経済コントロールと今後の課題~ その2
今や中国は世界第二位の経済大国、中国経済の世界に対する影響とてもは大きいです。
加えて日本やアジアの国々はグローバルなサプライチェーンの中で中国と密接な関係があります。中国経済失敗のリスクは計り知れないでしょう。
ところが中国に対する正しい情報は意外にありません。マスコミから出てくる情報は、人日の注目を集めるためにある面をだけを強調しています。
中国経済はこれまで何度もピンチになりながら、苦境を乗り切ってきました。一部の評論家は「悪い一面」だけ切り取って「中国経済が崩壊する」と主張していました。実際はどうでしょうか。
そこでトーマス・オーリック著「中国経済の謎 ~なぜバブルははじけないのか~」を参考に、中立的な視点でこれまでの中国の政治・経済の取組と今後について、2回にわたり述べます。
「中国経済の誤解 ~学ぶべきマクロ経済コントロールと今後の課題~ その1では、中国の政治機構の特徴、そして毛沢東の死後から、改革開放政策に至る過程と、発生した問題について述べました。
ここでは、習近平体制での経済政策と、これからの課題について説明します。
中国経済の発展 その2
2008年リーマンショック
「世界の工場」中国はこれまで輸出に大きく依存していました。しかし2桁成長が続いていた経済成長はリーマンショックで鈍化しました。2009年1~3月期は6.5%、2007年の14.2%の半分以下でした。輸出は初のマイナス16%という厳しい数字が出て「非常事態」となりました。
これに対し、2008年11月中国はG20で4兆元(59兆円)の経済対策(内需拡大策)を発表し、世界を驚かせました。
しかし実態は、中央政府1.18兆元、地方政府負担1.3兆元、銀行融資1.5兆元でした。
経済対策の多くがインフラ投資でした。
インフラ投資は現金給付に比べ、将来にわたって長く社会の役に立ちます。また生産拡大に寄与します。更にこの非常事態を脱するため、他にもなりふり構わず政策を総動員しました。例えば輸出企業の消費税(中国では増値税)還付率引き上げ、輸出関税の見直し、さらに大規模な利下げを実施しました。
激しい不況(ショック)には、思い切った財政政策が必要で、小出しにすれば不況が長期化することを、彼らは日本などから学んだのです。
一方で欧米各国も相次いで利下げを行ったため、海外からのホットマネーの流入が懸念されていました。
2009年 超金融緩和 貸出額9.5兆元
6月に経済指標が改善し資産バブルのリスクが出てきましたが、緩和は継続されました。
- 経済刺激策で最も避けるべきなのは途中で投げ出すことであり、元日本銀行の速水優氏のように落とし穴に陥ることである(バブル崩壊時の景気対策が中途半端に終わった例)
- 経済を加熱させることの難度は、経済を冷え込ませるよりも高い
中国はこのように考え、個人消費の拡大策として自動車取得減税や、農村への家電普及策「家電下郷」を実施、13%の補助金を導入しました。
2009年不動産市場の過熱
一方中国の生産能力はすでに過剰になっていました。これ以上の設備投資の大幅な拡大は困難でした。そのため余剰な資金は不動産市場に流入しました。不動産ブームが中国全土に広がりました。
中国では投資信託など個人向け金融商品はまだ普及していませんでした。また株は価格が乱高下するため、素人は手を出すのを躊躇しました。これに対し、不動産は所有することに夢がありました。しかも個人の投資先としても魅力がありました。政府としても輸出が減少する中、不動産投資の増大は国内成長の下支えが期待できました。
しか不動産市場が加熱すると中国政府は早めに手を打ちました。
2010年4月には人民銀行が金融引き締めに転じ、10項目からなる不動産価格抑制策を施行しました。住宅価格は急落、北京と上海では70%も下落しました。株価も急落し、2010年7月には時価総額の25%が消失しました。
2010年6月、人民元のドルペッグ制が撤廃されたことで、ホットマネーが大量に流入し物価が上昇しました。そこで2010年10月人民銀行は0.25%利上げしました。それでも2011年3月には消費者物価数は5%を超えました。
2012年には欧州の債務危機で輸出が落ち込みました。工業生産、個人消費、投資すべてが落ち込んだため、再び景気刺激策に回帰しました。景気刺激策をやめたもうひとつの理由は、景気刺激策をやめたことで成長が鈍化したためです。
つまり景気刺激策をやめるタイミングは非常に難しいのです。
この年、政治体制に大きな変化がありました。
2012年11月習近平 総書記就任
総書記に就任した習近平氏は、就任直後から徹底した腐敗退治を行いました。腐敗摘発チーム「虎もハエも叩く」が党最高幹部から下級官吏までくまなく摘発しました。こうして習近平氏は党内に恐怖政治を敷き、権力基盤を確固たるものにしました。一方で腐敗した地方政府ほど成長が遅かったことも判明しました。
腐敗は成長の足かせだったのです。
2014年5月、習近平は「新常態」を宣言しました。中国はこれまでの二けた成長を断念し、年7~8%の成長の持続を目標としました。
一方、今度は株式市場が過熱し始めました。
2015年7月 上海株価指数 3週間で3割下落 11兆元が消失
2007年以降、上海と香港の株式市場での相互乗り入れがありました。
こうして国境を超える資本の流れができました。
海外からの資本の流入で上海株は上昇を続けました。これに多くの中国人が引き付けられました。多くの株取引の未経験者が株を購入、借金で株を購入する信用取引も増加しました。まさに日本のバブルの様相を呈し始めました。
そこで2015年7月中国証券監督管理委員会は、株式ブローカーが投資家に貸せる金額に上限を設ける方針を示唆しました。これをきっかけに株価が暴落し、11兆元が消失しました。
2015年8月 人民元切り下げ1.08%から、大規模な資本逃避
輸出が減少し、しかも上海と香港の株式市場での相互乗り入れによる資本が流出した中国では、人民元は実力よりも割高になっていました。市場は人民元を売り、下げ圧力をかけていましたが、これを人民銀行が買い支えていました。そして2015年8月になってようやく人民銀行は人民元を切り下げ1.08%としました。
これをきっかけに、さらに人民元は下がると予想した市場は、中国の株式市場から大規模な資本逃避を始めました。2016年1月には上海総合指数はピークの1/2に減少し、18兆元が消失しました。ただし企業も家計も資金の運用手段として株式は多くなかったため、株価の暴落による家計や企業活動への影響は限定的でした。
サプライサイド改革の実施
2016年1月人民日報は中国でよくつかわれる数字を取り混ぜた記事で「四つの落ち込みと一つの上昇」を開設しました。
4つの落ち込みととは
経済成長の落ち込み
工業品価格の落ち込み
企業利益の落ち込み
財政収入の落ち込み
ひとつの上昇とは「経済リスクの上昇」でした。
これに対し政府は介入を強化し、サプライサイドの改革を実行しました。
大企業の合併を進め、過剰な生産能力に陥っていた工場を閉鎖しました。これにより供給過剰が是正され企業の利益が増加しました。またこれにより雇用が減少したため、公共投資を増加する財政刺激策を行い雇用を吸収しました。人民銀行が2兆元の資金を供給し、スラム街を一掃して住人に住宅ローンを提供しマンションを買うように仕向けました。
この供給過剰是正策で、
2015年4月に太陽光発電パネル大手保定天威が国有企業初の倒産をしました。
2016年遼寧省の国有企業の東北特殊鋼集団が倒産、負債総額は72億元でした。
過剰債務企業の債務総額は2016年で118兆元(GDPの160%)に上りました。
2016年マクロプルーデンス評価とデレバレッジ
こうした政策により、銀行はシャドーバンクを経由した迂回融資で過剰な融資をするのが難しくなりました。加えて銀行は自己資本比率を高めるように圧力をかけられたため、不良債権の処分を推進しました。さらに財務基盤が脆弱な銀行に対しては地方政府が圧力をかけて合併させ、強制的な不良債権の処分をさせた上で公的資金を注入しました。こうして銀行のシャドーバンクに対する融資は2018年半ばにはマイナスに転じました。
実は地方政府が過剰債務に陥った原因は、公共事業の資金を1年以内の短期借入で調達していたためでした。そこでこれを低金利の地方債(5年物)に借り換えさせて返済の負担を低減しました。こうして成長を減速させることなく、貸出のペースを落としてレバレッジの拡大を止めて、リスクを回避したのです。
2015年 中国製造2025年 国が主導で技術開発
10の重点分野を定めロードマップを提示し、これに合わせて地方政府も独自に計画を策定し補助金を支給しました。
表 重点10産業・23分野
次世代情報技術 | ①IC・専用設備 ②情報通信設備 ③OS・産業ソフト ④スマートさ位増のコアとなる情報設備 |
CNC工作機械・ロボット | ①CNC工作機械・基板製造設備 ②ロボット |
航空・宇宙装備 | ①航空機 ②航空エンジン ③航空機載設備・システム ④宇宙関連設備(運搬ロケット、衛星など) |
海洋エンジニアリング・ハイテク船舶 | 1分野。 製品としては、海洋資源探索、開発設備、 ハイテク船舶、大型低速船舶用エンジンなど |
先進軌道交通設備 | 1分野。 製品としては、中国基準の高速鉄道、 中低速リニアなど |
省エネ・新エネ自動車 | ①省エネ自動車 ②新エネ自動車 ③コネクテッドカー |
電力設備 | ①発電設備 ②送変電設備 |
農業設備 | 1分野。 製品としては、自動化、情報化、 スマート化した農業機械など |
新素材 | ①先進基盤素材 ②コア戦略素材 ③先端新素材 |
バイオ医療 高性能医療機器 |
①バイオ医薬 ②高性能医療機器 |
出典:中国製造2025重点領域技術創新路線図
当初は外国の技術をリバースエンジニアリングし、その後は国産化比率を高める計画です。国産化比率は2020年までに主要部品の40%、2025年までに70%に引き上げる計画です。
そのための研究開発投資は、2017年は中国は4440億ドル、アメリカ4830億ドルに肩を並べています。対するEU3660億ドル、日本は1730億ドル(19.1兆円)でした。
2017年7月5年に一度の全国金融工作会議
習近平氏は、国有企業の過剰債務の削減(デレバレッジ)を最優先させるように強く指示しました。リーマンショック以降の経済対策で過剰になった債務と膨らんだバランスシートにより、金融システム崩壊のリスクが高まっていました。金融システムの崩壊とそれに続く不況は、社会を不安に陥れ、政治の混乱につながるためでした。
2016年5月人民日報は「天まで伸びる木はない」という記事を掲載しました。
「高いレバレッジは不可避的に高いリスクをもたらす。きちんと管理しなければシステム的な金融危機を引き起こし、不況をもたらすだろう」
と報じました。
中国経済の特徴と世界への影響
この中国経済はどのような特徴があるのでしょうか。
高い貯蓄率
改革前の中国ではゆりかごから墓場までの手厚い福祉で「鉄飯碗」と呼ばれました。しかし改革開放により企業の民営化が推進し、社会保障制度が脆弱化しました。加えて一人っ子政策のため、両親の老後の不安が増大しました。子供に頼れなくなった両親は老後のために貯蓄に励みました。また一人っ子政策は最も消費の多い子育て世代の消費が減少します。それもあって中国の貯蓄率は高く、その分消費が弱くなります。
2007年にはGDPの51%が貯蓄されました。この巨額の貯蓄を賄うには莫大な輸出か、莫大な投資が必要です。一方、まだ高い経済成長中の中国では、貯蓄にはインフレ率以上のリターン(収益)が必要です。しかし銀行預金金利は低く、銀行に預金しても価値は目減りしてしまいます。
多額の外貨
一方中国自身も貿易黒字が積み上がっていました。外貨残高は1兆,000億ドルに上り、外貨の安全でリターンの高い投資先として多くのアメリカ国債を購入しています。実はこれがアメリカの長期金利に影響していたのです。
FRBベン・バーナンキ議長は、あまりにも長い間金利が低かったため、2004年から金融引き締めに転じました。短期金利は2004年の1%から2006年には5.52%に引き上げられました。しかし長期金利は4.7%から5.2%とわずかしか上がりませんでした。当初はなぜ長期金利が上がらないのかわかりませんでした。
原因は、中国がアメリカ国債を大量に買っていたためでした。
過剰設備と不良債権
地方政府にとって地方の雇用の安定と経済の安定化はとても重要です。そのため景気が悪化すれば地方の国有企業に設備投資を促します。地方政府と国有企業は一体化しているため、必要な資金は地方政府が保証し国有銀行から調達します。しかも貯蓄過剰の中国は、国有銀行に潤沢な資金があります。しかも国有銀行は絶対につぶれないと誰もが信じているため審査は甘くなっていました。
こうして国有企業には過剰な設備が積み上がります。もし国有企業の経営が悪化すれば、融資はたちどころに不良債権化します。そのため国有企業の過剰設備の問題に対して共産党も再三通達を出しています。しかし
「上に政策あれば、下に対策あり」
という国のため改善されていません。
為替操作
中国は急激な円高で輸出競争力が一気に低下した日本の失敗を学びました。それもあって為替は市場に自由にさせません。その基本スタンスは以下のものです。
- 自主性 外圧でなくあくまで中国自身の判断で人民元レートを決定
- 管理可能性 現行の管理変動相場制を維持
- 斬新性 急激な切上げは意図していない
中国にとって為替の問題は、国際問題以上に国内問題なのです。
輸出品の多くが価格競争力を武器とした労働集約品です。しかも賃金や原材料価格の上昇という要因にもさらされています。もし人民元の切上げが行われれば輸出は大打撃を受けます。
2010年中国商務部は、南部の輸出企業を中心に人民元が3%上昇すると輸出にどれだけ影響が出るか試算しました。その結果、輸出型企業の収益は30~50%も低下し、大打撃を受けることが判明しました。
2010年6月中国政府は人民元レートの弾力化を発表しました。しかし3か月経っても1~2%しか上昇しませんでした。
シャドーバンク
銀行が信用力の低い企業に融資する場合、その融資には相応の引当金を積まなければなりません。このように貸付にコストがかかるため、信用力の低い企業は正規の融資先としてなかなか計上できません。もしその企業の経営が悪化すれば不良債権になってしまうからです。
かといってこういった企業への融資を止めれば破綻してしまいます。そうなればこれまでに融資したお金が回収不能になってしまいます。そこで銀行でなく、シャドーバンク(信託会社や資産運用会社)を介して信用力の低い企業に融資を継続します。そして銀行はシャドーバンクへの資金供給は、シャドーバンクが発行した証券を買って、証券に対する投資として計上します。こうすれば銀行はコストをかけずに経営が悪化した企業を融資で支えることができます。また、企業も融資を受けられます。
しかしこれはリスクの高い企業に融資しているのに銀行は必要な引当金を積んでいないことになります。もし融資が焦げ付けば銀行の経営も一気に悪化します。このシャドー融資の総額は2010年には2兆8千億元でしたが、2016年には27兆元にまで膨らみました。
これは
「中国版サブプライムローン」
です。
アメリカのサブプライムローンは、2006年に合計2兆4千億ドル、GDPの17%に達しました。これに対し中国のシャドーバンクの負債総額は27兆元、GDPの86%です。それでもユーロ圏の270%、イギリスの263%、アメリカの145%よりは低い状況です。
マクロプルーデンス評価
2013年には中国経済全体の負債はGDPの2倍以上に拡大しました。しかも銀行やシャドーバンクは短期資金で借りて長期資産に投資するという運用のミスマッチが起きていました。リーマンショック前の欧米で起きた急激な融資の伸びと短期資金への依存と同じ構図です。
そこで人民銀行は季節的に短期資金が不足する6月、あえて資金の供給を停止しました。市場はパニックを起こし、銀行は資金をため込むために貸し渋りをしました。株価は急激に下落しました。
短期金利が28%という記録的な数値となった6月20日、人民銀行は短期資金の供給を開始し、パニックは収まりました。
つまり人民銀行は「短期で借りて長期で貸す」という無鉄砲な融資を行うシャドーバンクに警告を発したのです。しかしその代償は高くつきました。
かつてニューヨーク連銀の初代総裁ベンジャミン・ストロングは
「国内経済で何か起こるたびに、我々は親の役割を果たさなくてはならないのか?」
「我々には多くの子供ができるだろう。その一人が悪さをしただけなのに、全員にお仕置きをしなければならないのか?」
「信用業務には(規制対象を)選択するプロセスがないことだ」
と述べました。
デレバレッジ(収入に対する負債比率を下げること)のため、人民銀行は2016年に「マクロプルーデンス評価」を導入しました。具体的には各金融機関の貸し出しや財務内容を評価し、格付けを行いました。
格付けの高い銀行は、準備預金の利息を高くし、事業活動の自由度も与えられます。
対して、格付けの低い銀行は、準備預金の利息を下げられ、事業活動にも様々な規制が加わります。
これにより金融システム全体のリスク管理を図りました。つまり
「多くの子供の一人が悪さをしただけなのに、全員にお仕置きをしなければならない」
というジレンマを解決しました。
金融システム全体のリスク管理は、リーマンショックの後、アメリカの金融安定監視費用議会、欧州システム理事会、イングランド銀行の金融行政委員会などが取組みました。しかしマクロプルーデンス評価のような包括的なツールを開発し、各銀行を明確に差別化して金融システムの安定を脅かすようなリスクに取り組んだのは、人民銀行が初めてでした。
これからの中国と世界経済
このようにこれまでにも中国は数々の経済危機がありました。これを巧みに乗り切ることができたのは、日本や韓国といった先例があったためでした。適切な対処を怠ればどんな結果になるのか、彼らはわかっていたのです。そのため、行うべきことをためらわずに実行できました。
しかも中国には、それを実行できる強力な指導力と国の強制力がありました。さらに政権中央部の政策立案者も類い稀な独創性と柔軟性を発揮しました。
今までは
答えが分かっていた試験
でした。解き方さえ間違わなければ合格点は取れました。
これまで中国の成長は、製造業が牽引するモデル、そしてカギは投資と輸出でした。しかしこれからは違います。
今後は個人消費の増加による内需拡大 「投資と輸出と消費」
中国の高官自身も
「我々は多くのマクロコントロールの経験を積んできたが、個人消費の拡大策についてはノウハウがない。」
「現金を配るのは意味がない。アメリカ人はウォルマートに行くかもしれないが、中国人は銀行に行く」
と述べています。
課題は遅れているサービス業の発展です。また米中貿易戦争もあり頭打ちになりつつある経済成長です。また今後は戦争の影響も懸念されます。
しかも例え中国製造2025により先端分野における製造強国となっても、先端分野の雇用創出効果はかつての重工業に比べ高くありません。さらに債務は拡大し続けGDP比で250%を超え、先進国並みになっています。つまり
借金は先進国並みで収入は新興国並み
が現在の中国です。
このような課題が山積みの中国経済は、
「大幅な減速をすることなくソフトランディングできるかどうか」
は、指導者と政策立案者にかかっています。
リーマンショックでは、サブプライム問題に直接関係のない日本もアメリカの消費減退で多大な影響を受けました。2021年の世界のGDPに占める中国の比率は18%、世界の経済成長に対する中国の寄与度は30%にも達しています。
もし中国の景気が減速すれば世界中に影響が出ます。
中国の需要が1%減少すれば世界のGDPは0.25%減少します。もし中国で危機が起こり、需要がマイナス9%になれば、世界のGDPは2.25%減少し不況の崖っぷちに立たされてしまうでしょう。
アジアに目を向ければ、中国の需要が1%減少すれば韓国のGDPは0.35%減ります。もし中国の需要がマイナス9%になれば、韓国は激しい不況に陥ります。中国と関係の深い日本も無傷ではいられません。しかも中国経済は巨大になりすぎて、どの国も支えることができません。
約100年前の世界恐慌では、オーストリアで通貨危機が起きた時、ドイツの力を削ぎたかったフランスは通貨危機を煽りました。フランスの望み通りオーストリアの通貨危機はドイツに飛び火し、ドイツにも通貨危機が起きました。しかしフランスの予想外なことに、これはドイツに多額の債権を持っていたイギリス経済に打撃を与えました。つまりオーストリア、ドイツ、イギリスは、同じロープで括られた登山者であり、1人が落ちれば他の2人も無事では済みませんでした。そして通貨危機に端を発した世界恐慌はナチスの台頭を引き起こしたのです。
世界各国の指導者に、中国という巨人と自国が複雑に結びついたロープが見えているのでしょうか。
参考文献
「中国経済の謎 ~なぜバブルははじけないのか~」トーマス・オーリック著 ダイヤモンド社
「チャイナ・インパクト」柴田聡 著 中央公論新社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
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「中国経済の誤解 ~学ぶべきマクロ経済コントロールと今後の課題~ その1
今や中国は世界第二位の経済大国、中国経済の世界に対する影響とてもは大きいです。
加えて日本やアジアの国々はグローバルなサプライチェーンの中で中国と密接な関係があります。中国経済失敗のリスクは計り知れないでしょう。
ところが中国に対する正しい情報は意外にありません。マスコミから出てくる情報は、人日の注目を集めるためにある面をだけを強調しています。
中国経済はこれまで何度もピンチになりながら、苦境を乗り切ってきました。一部の評論家は「悪い一面」だけ切り取って「中国経済が崩壊する」と主張していました。実際はどうでしょうか。
そこでトーマス・オーリック著「中国経済の謎 ~なぜバブルははじけないのか~」を参考に、中立的な視点でこれまでの中国の政治・経済の取組と今後について、2回にわたり述べます。
中国の政治機構の特徴
「中国は共産党独裁だが、独裁者ではない」
共産党の権限が非常に強く、欧米など民主主義国家ではできないことも短時間に実行できます。その意思決定は「少数の指導者の合議」です。独裁者のように一人で決めているわけではありません。
その点、アメリカや日本など民主主義国家でも、選挙で選ばれた首相や大統領が強い権限を持ち、意思決定をします。
そのリーダーの判断は正しいのでしょうか。
中国の場合「国務院」が非常に強い権限を持っています。その国務院の10人のメンバーで行われる「常務会議」で重要な意思決定がされます。10人が同意すれば実行できるため、意思決定はスピーディーです。
対して日本は全閣僚をメンバーとして閣議が週2回行われます。しかし全会一致がルールで1人でも反対すれば政府決定できません。
一方中国の閣僚は人数が多すぎる(図1参照)ため、常務会議に参加しません。そのため中国の大臣は政治家というより官僚に近い存在です。
方針の違い
「国家が指導し、企業は国の指導に従う」
という仕組みが国の統治構造の中に組み込まれています。例えば商業銀行法にも「国家の指導」という条文が存在します。「商業銀行は、国民経済及び社会の発展の必要に基づき、国の産業政策の指導の下に貸付業務を営む」と規定されています。
政経一体のシステム
中央銀行(人民銀行)は政府の一機関です。欧米のような中央銀行の独立性が保たれていません。そのため税制の変更に法律の改正が不要で(日本は法律の改正が必要)、極めて短い間に税制を変更できます。そのため金融政策と税制改正を政府決定だけで実施できます。金融政策、財政政策、税制を組み合わせて経済をコントロールすることができ、政策の自由度が日本よりも高いのです。
強力な役所
日本にはない強い権限を持った「国家発展改革委員会」があります。この委員会は、短期から中長期の経済計画や産業政策、エネルギー政策、物価管理まで担う経済全般にわたる総合的な企画調整機能を持つ機関です。この国家発展改革委員会がリーマンショックの時、4兆元の内需拡大策を取りまとめました。
地方政府の力
中国の政治機構の特徴として、地方政府の力がとても強いことが挙げられます。この地方政府は、税収、雇用、地方経済の運営を任されています。一極集中の日本は東京がGDPの19%を占め巨大な経済圏を構成しています。対して中国は北京のGDPに占める比率は3%にすぎません。
中国の各地方には有力な国有企業があります。彼らは地方政府と結びつき、地方の雇用を担っています。地方経済が減速すれば、国有企業は設備投資を増やして地域の経済を活性化させます。地方政府にとって国有企業は、成長、雇用、収賄の源泉です。
一方日本は公共事業は国や自治体が主体となって行いますが、中国ではインフラ整備などの公共事業は収益事業です。そのため第三セクターのような事業会社「地方融資平台(地方融資プラットフォーム)」を設立して行います。
国有銀行の存在
中国では銀行の金利は自由化されておらず、金利は何%のスプレッドと決まっています。これまで経済が成長し物価が上昇していた中国では、預金金利が物価上昇率よりも低い場合、資産の目減りを避けるため人々は預金より有利な投資先を探します。
一方、国有銀行は国がバックにあるため、倒産することはありません。その結果、融資審査が甘くなります。景気が減速すると、地方政府からは景気対策のため、採算性の低い国有企業にも設備投資のために融資するように圧力がかかります。これが不良債権の温床になっています。
他国の経済政策の失敗
中国にとって幸いなことに、中国が経済成長を遂げる中で様々な問題に直面した時、日本、韓国をはじめとした多くの国で、失敗事例「教科書」があったことです。
経済成長の定石
経済的に貧しい発展途上国は、海外からの投資だけでは経済成長はできません。海外から投資を受け工場を建てても、自国にはそこまでの規模の市場がないからです。そこで
必要なのは輸出です。
海外から投資を受けた工場が製品をつくり、それを輸出すれば多額のお金が国に入ってきます。そのお金を投資に回せばつさらに成長します。こうして成長の歯車が回り始めます。アフリカなど資源があっても貧しい国は、投資による製造業の発展と輸出の歯車が回っていないのです。
一方、成長の歯車が回り始めると海外からお金がどんどん入ってきて賃金が上昇します。これに伴い物価も上がります。この経済成長している国の最大の課題はインフレです。賃金の上昇よりもインフレが高いと、豊かになっている過程にも関わらず人々の生活が苦しくなります。人々の不満がたまって、これが社会不安の引き金となります。
日本のバブル崩壊
日本は1985年のプラザ合意で急激に円高が進行しました。これによる景気後退に対処するため、日銀は公定歩合を引き下げました。これにより過剰に流動したお金が株と不動産に向かいました。
「土地の値段は下がらない」
という土地神話があった当時の日本は、銀行は土地を担保に採算性の低い案件まで過剰に融資しました。担保至上主義の銀行は土地があればどんどん貸しました。こうして借りたお金が株価を押し上げました。
日本はこの加熱した経済を冷やすのが遅れました。やうやく大蔵省が総量規制を実施した時にはバブル崩壊というハードランディングになってしまいました。急激な信用収縮が発生しました。土地の値段が大幅に下がり、担保価値は急減し銀行は多額の不良債権を抱えました。
しかしこの時、多くの人々にあったのは、乱脈融資を行った銀行に対する怨嗟の声でした。
「なぜ税金で銀行を救うのか」
及び腰になった大蔵省、政府は金融機関への公的資金の注入が後手にまわりました。景気が急速に悪化した日本経済に対し、財政出動は不十分でこれが不況を長期化させました。こうして日本は失われた20年へ突入しました。
このバブル崩壊はもうひとつ大きな出来事のきっかけになりました。長年続いた自民党政権が下野したのです。
つまり宴はほどほどのところで冷や水を浴びせるべきでした。そして、もし不景気に入ったときは、やるべきことを(公的資金注入、経済対策、ゾンビ企業の退出)躊躇すれば、代償はとても大きいのです。経済の失敗は政治を不安定化させてしまいます。
中国の政策決定者は、経済運営に失敗すれば現体制が揺らぎかねないことを学んだのです。
また彼らは国内市場を安易に外資に開放すればどうなるかも学びました。
アジア通貨危機
1990年代、海外からホットマネーが流入し、タイ、インドネシア、韓国などアジアの国々は好景気に沸きました。しかし血縁者を優先する縁故資本主義、巨大財閥が見栄を張るためのプロジェクトに投資するなど、成長のための投資ではない非効率な投資も多くありました。こうして好景気の陰で隠れ不良債権が膨らんでいました。
この時アメリカのヘッジファンドは、アジア諸国の中央銀行が過大に評価されていることに気づきました。そして彼らは「自国通貨を買い支えることはできない」と踏んで大規模な空売りを仕掛けました。1997年5月ヘッジファンドに空売りを仕掛けられたタイバーツは急落し、タイから大規模な資本逃避が発生しました。こうして外貨が枯渇し海外との決済資金が不足したたタイは、8月にIMFの救済を受けました。これは10月にはインドネシア、11月には韓国にも飛び火し、IMFの救済を受けました。
こうしてIMFの管理下に入ると緊縮財政を取らざるを得ません。これにより激しい不況になりました。韓国は通貨ウォンが暴落した中で、IMFの要求により資本市場を外国に開放させられました。その結果、韓国の名門企業が海外から安く買い叩かれました。今でも多くの韓国企業が海外のファンドの傘下に入っています。
このアジア通貨危機でインドネシアは20年以上続いたスハルト政権が退陣、韓国では野党の金大中政権が誕生しました。
中国は、アジア通貨危機から国の資本勘定の解放(自国の金融市場と国際金融市場を隔てる壁の撤廃)は慎重にしなければならないことを学びました。朱鎔基は「国の資本勘定を時期尚早に開放すれば、その国の経済を破壊する恐れがある」と警告しました。
リーマンショック
2000年代、低金利、金余りが長期にわたり、欧米の銀行は利幅の高い投資先を求めていました。アメリカでは、世界恐慌の教訓から銀行の証券取引は禁じられていました。(グラス・スティーガル法) 2000年代銀行はこれを骨抜きにし証券取引に参入しました。あふれたマネーは不動産に向かいました。「無収入」「無職」「無資産」の層をターゲットにしたニンジャローンを連邦住宅抵当公庫(ファニーメイ)、連邦住宅抵当貸付公社(フレディマック)が証券化して、投資商品として各国の金融機関に販売しました。
利回りの高い投資商品を求めている金融機関は、レバレッジの大きくかかったリスクの高い商品と気づかずに購入しました。アメリカの住宅会社は、支払い能力の低い人たちに将来住宅価格が上がる前提で住宅を売りまくりました。宴は彼らがローンを払えなくなった時に瓦解しました。世界中で猛烈な信用収縮が発生しました。リーマンショックです。
政権の安定に経済の安定が不可欠
中国共産党が重視するのは党が政権を安定して維持することです。そのためには社会・経済の安定が最も重要です。そのため大衆の不満が募りやすい「雇用」「物価」の動向を常に注視し警戒しています。
- 経済が過熱しバブルが起きるとどうなるのか
- 金余りの時、大量のホットマネーが入ってくるとどうなるのか
- バブルの加熱を避けるには、いつ宴に冷水をかけたらいいのか
- もしバブルがはじけたらどうすればいいのか
目の前で起きたバブルとその後の深刻な不景気を中国は冷静に分析し、対処方法を学びました。
中国経済の発展 その1
1976年 毛沢東の死
毛沢東時代、毛沢東は文化大革命など政治闘争に終始し、経済派発展しませんでした。
毛沢東の死後、華国鋒首相は毛路線を継承しました。
中国は貧しいままで、華国鋒路線は2年間で失敗しました。
1978年 鄧小平
後を引き継いだ鄧小平は改革開放路線に舵を切りました。経済特区を設立し外資を呼び込み、商業銀行(四大銀行)を設立して融資を拡大しました。そして景気が拡大しました。
1988年 保守派の巻き返し
1988年8月の価格統制撤廃をきっかけに急速な物価上昇が起こりました。そこで保守的な計画経済派は、価格統制の再導入、投資の抑制という緊縮財政を実施しました。
その結果
「手術は成功したが、患者は死んだ」
状態となりました。
深刻な不況と大量の失業者が出て、経済成長は1988年の11.3%から1989年には4.9%へと落ち込むハードランディングとなりました。民衆の不満がたまり民主化を求める運動が激化し、1989年天安門事件が発生。そこで言論統制の強化がなされました。
過熱した景気にバケツの冷水をいきなりぶっかければ、不況と社会不安が生じることを彼らは学習したのです。
1992年 鄧小平 南巡講話
保守派の台頭で不利となった鄧小平は、1992年1月武漢、長沙、深圳、珠海を視察する南巡講話を行いました。「深圳の発展は経済特区を設置する政策が正しかった証拠」として、改革再開にむけてPRしました。政府の統制が取り払われました。地方政府は新たな投資を加速させ、1990年3.9%だった経済成長は1991年には9.2%、1992年には14.3%へと加速しました。
1989年ソ連崩壊
1989年ソ連が崩壊しました。これに対し鄧小平氏は
「ゴルバチョフはバカだ。政治改革(グラスノチ)と経済改革(ペレストロイカ)を両方やろうとして、どちらもコントロールできなくなり、両方失った」
と述べています。
1989年 江沢民とWTO加盟
1989年鄧小平に代わり江沢民が国家主席になり、2001年にはWTOに加盟したことで輸出が急増しました。中国には4つの強みがありました。
- 安い人件費
- 通貨安
- 安い土地
- 安い資金調達コスト
一方、WTO加盟により圧倒的に低い人件費の中国で作られる製品が世界市場にあふれ出ました。これは先進国の雇用を直撃しました。MITのダレン・アシモグル教授は1999~2011年に中国との競争で失われたアメリカの雇用は200~240万人に上るとと推定しています。
通貨安(安い人民元)に対し、2005年5月アメリカは中国を為替操作国に指定すると脅し、人民元を切上げなければ大幅な追加関税を導入する法案を可決しました。
2005年7月中国は人民元をドルペッグ制から管理変動相場制に移行し人民元を切上げました。しかし切上げ幅はわずか2%でした。プラザ合意による急激な円高で輸出主導経済に終止符を打たれた日本の例から、彼らは学んでいたのです。
1995年インフレの抑え込みに成功
過熱する経済とともに物価上昇も加速し、1994年には20%強上昇しました。そこで朱鎔基首相は緩やかに融資と投資を減らすソフトランディングを実施しました。
朱鎔基首相は「中国の人民のためにソフトランディングをもたらす重要性を、我々は十分理解している。…成長が急減速すると、社会の安定が打撃を受ける。社会の安定が打撃を受ければ、改革を始められない」と述べました。
こうしてインフレは抑え込まれ、1996年の初めまで物価上昇率は1桁台に戻りました。
国有銀行に資本注入
1990年代から国有銀行の不良債権は増加していました。そこで1999年に不良債権処理会社「金融資産管理公司(AMC)」を設立し、国有銀行の不良債権を買い取りました。
それでも2002年中国四大銀行の不良債権比率は26.1%もありました。日本は金融危機の際も主要行の不良債権比率が最高8.4%だったことと比べれば、国有銀行の危機的状況に変わりはありませんでした。債務超過に陥っていた四大国有銀行に対し、金融システム健全化のため、四行だけでも800億ドル(日本の金融危機の資本注入の2/3の金額)の公的資金を注入しました。その結果、国有銀行の財務は健全化し四大国有銀行は上場することができました。
2002年 胡錦涛
2002年江沢民に代わり胡錦涛が国家主席になりました。しかし胡錦涛体制は集団指導体制が強く意思決定に時間がかかりました。
一方、胡錦涛は改革開放による成長で顕著になった格差に対し、より包摂的な発展モデルを目指しました。それまで中国の社会保障制度は「ゆりかごから墓場まで」国家が面倒をみてくれ「鉄飯碗」と呼ばれていました。これが改革開放の結果、弱体化したため補強しました。
このように中国は自国の経済成長と政治の安定に苦慮しながら、経済を巧みにコントロールしてきました。
こうした他国の失敗による学習がリーマンショックの時、世界を驚愕させた4兆元の経済政策になったのです。
中国経済のその後の発展と今後の課題については、別のラムでお伝えします。
参考文献
「中国経済の謎 ~なぜバブルははじけないのか~」トーマス・オーリック著 ダイヤモンド社
「チャイナ・インパクト」柴田聡 著 中央公論新社
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「SDGsの真実2」~温暖化に対する様々な意見と温暖化対策の難しさ~
前回、SDGsの取り組みについて説明しました。
「SDGsの真実1」~環境だけじゃない。17の目標と温暖化対策の目標~はこちらをご参照ください。
地球温暖化に対し割れる意見
地球温暖化対策はSDGsの17の目標のうちその1テーマにしか過ぎません。しかし経済活動、社会生活に与える影響は他の16テーマと比べて極めて大きいものがあります。しかもその根拠は「地球温暖化」という科学的に完全に解明されているとは言えないものです。「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)(注)の報告書は誇張されている」と考える専門家もいます。
図1 地球温暖化とその原因に対する考え
注) IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change : 気候変動に関する政府間パネル)
国際連合環境計画と世界気象機関が1988年に共同で設立。地球温暖化に関する科学的知見の集約と評価が主要業務。地球温暖化に関する「評価報告書」を発行している。本来は世界気象機関(WMO)の一機関で国際連合の気候変動枠組条約とは関係のない組織であったが、条約の交渉にIPCC報告書が活用されたこと、また、条約の実施にあたり科学的調査を行う専門機関の設立が遅れたことから、国際的な地球温暖化問題への対応策を科学的に裏付ける組織として、間接的に大きな影響力を持っている。(Wikipediaより)
IPCCによる温暖化と日本の対応
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は2018年10月に「1.5℃特別報告書」を発行し、2030年から2050年までの間に1.5度気温が上昇する可能性が高い(ワーストシナリオ) と発表しました。さらにIPCC第5次評価報告書は、今後二酸化炭素排出量を削減できなければ2100年には気球の平均気温は2.6~4.8度上昇する可能性が高い(ワーストシナリオ)と述べました。
温室効果ガスによる地球温暖化は、将来の気候変動に大きな影響をもたらす可能性があります。そして人々や生態系に対し広範囲に深刻な影響が生じる可能性があります。
図2は世界の平均地表気温の変化を予測したものです。温暖化の大部分は二酸化炭素の累積排出量によるものとされ、今後21世紀の間、地表気温は上昇すると予測されます。
図2 世界平均地上気温の変化 (出典 環境省ホームページ)
地球温暖化が進むと多くの地域で熱波が頻繁に、しかも長く発生します。また、集中豪雨のような極端な降雨がより頻繁に発生するようになります。
そうした気候変動の影響は、例え温室効果ガスの排出が停止しても何百年も持続します。
図3 1850~900年を基準とした気温上昇の変化 (出典 環境省ホームページ)
各国の首脳は、2030年を目標年とする貢献(NDC)のさらなる引き上げや、2050年までの温室効果ガス排出実質ゼロ、石炭火力発電のフェードアウトなどについて言及しています。日本では菅総理大臣が「地球規模の課題の解決に大きく踏み出します」と述べ、2030年には2013年比で温室効果ガスを46%削減する目標を表明しました。
図4 我が国の温室効果ガス削減の中期目標と長期目標の推移 (出典 環境省ホームページ)
温暖化反対派の中には「このまま温暖化が進めば破滅的な未来になる」と警告します。
では地球温暖化は、これまで地球が経験したことのない温度でしょうか?
二酸化炭素濃度上昇と地球温暖化は初めてではない
実は気温の測定するようになったのは最近のことです。
1850年頃から温度計による観測が行われ、信頼できる気温が記録されるようになりました。
データから、1910年から1945年、1976年から2000年の間に大規模な温暖化が起こったことがわかっています。
それ以前の気温の記録は、木の年輪の幅やサンゴの成長線、氷床コアの同位体などから得られます。
この手法により北半球でのヤンガードライアス期(1000年間続いた寒冷期)終了以降のデータが得られました。これによると完新世の1万年の期間のうち最も暖かい時期は、気温が20世よりも高いことが分かりました。
図6 過去1万2000年の気候変化 (Wikipediaより)
右が現在。横軸の単位は1000年前
さらに南極ボストークの氷床コアの調査から、42万年前まで遡った記録が得られています。またEPICAコアからは80万年前まで掘削・解析が進みました。
これらのデータによると、地球の平均気温が今より3度以上高い期間が複数回あったと推定されます。
温暖化派と懐疑派
今後、地球が温暖化しても、その温度は地球が直面する初めての温度ではありません。中世期は今よりも暖かく二酸化炭素も多かったのです。これが巨大な恐竜やその食物となる植物の活発な生育を促しました。
また図3から二酸化炭素濃度は、一定以上増えてもそれ以上気温は上昇せず均衡することがわかります。温暖化反対派の「このまま二酸化炭素排出量が増加すれば『ディッピングポイント(臨界点) 』を超える」という主張に科学的な根拠はありません。この点で「過去にない危機的状況」「環境や健康に大きな懸念」と煽るメディアの姿勢は疑問があります。
ただし、過去の地球温暖化は何千年もかけてゆっくりと変化しました。それが今回はわずか数十年の間に平均気温が1度近く上昇しています。この急激な変化に動物や植物は対応できず、絶滅する種が出るかもしれません。
一方地球温暖化は、人為的な二酸化炭素排出が本当に原因かどうかという問題があります。これについては賛成派、懐疑派の激しい議論が交わされています。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にも「地球温暖化に対する懐疑論」があり、様々な考え方が示されています。
2009年にはイーストアングリア大学気候研究所のメールがハッキングされ、論文の改ざんをにおわせる記述が流出しました。(クライメートゲート事件) 改ざんの事実は否定されましたが「ネイチャー」に載った(現代になって急激に温度が上昇したとする)「ホッケースティック曲線」は、IPCC第4次評価報告書には使用されなくなり、中世に温暖期(中世気候異常)があったことが明記されました
こういった学術分野の研究は、新たな事実が発見される度に旧来の学説が覆され、激しい議論になります。地球温暖化の問題は、実験で確かめることができないため、観測データの地道な積み重ねから結論を導かなければなりません。そして今後も新たな事実が見つかれば、これまでの学説が覆される可能性もあります。科学の進歩には、こうした多様な研究と健全な議論が不可欠なのです。
地球が温暖化しているのかどうか、その原因は、人為的な二酸化炭素排出がどうかは非常に重要な問題です。なぜなら、二酸化炭素排出量削減は、多くの国に経済的な損失と経済成長の阻害と言う痛みを強いるからです。
しかも空気に国境はありません。一部の国が多額のコストをかけて二酸化炭素排出量を削減しても、他の国が大量に二酸化炭素を排出すれば、一部の国の努力は効果がありません。
一方、野心的な温暖化対策を推進するヨーロッパの国々は、地球温暖化を「決まったこと」と考えています。その影響もありヨーロッパの国々の政策や発表は、現状を無視した誇大なものになる傾向があります。
また一部の環境保護団体は、異なる見解を断固として排除する「環境原理主義」の様相を呈しています。2014年にイギリスBBCが「最近の異常気象は人間起源の気候変動が原因か」というラジオ番組を放送した結果、環境団体から「出演者は気候変動対策を否定している。科学者でもない者を番組に出演させるな」という抗議が殺到しました。一部には中世の異端審問の様な状況になっています。
このヨーロッパの動向に対し日本のメディアは「欧州は温暖化対策の優等生であり、欧州に学ぶべき」と迎合的な報道を行っています。
本来は温室効果ガス削減のための政策は、冷静に様々な方法を議論する必要があります。SDGsの17のテーマに示されるように世界には様々な課題があり、各国の事情も異なっています。その上で温暖化対策にどの程度のリソースを割くべきなのか、どの程度のコストを許容するのか、SDGsの他のテーマとの兼ね合いや各国の事情も考慮して、総括的に国際間で話し合わなければなりません。
地球温暖化対策は、複数の答が存在する社会科学的な政策論の問題なのです。
なぜなら二酸化炭素排出量削減とは、経済成長をあきらめることになるからです。
なぜそうなるのか、産業別の二酸化炭素排出量を見てみます。
CO₂排出量削減に必要なこと
二酸化炭素の排出量が大きい産業
図8は、2019年度における我が国の二酸化炭素排出量を部門別・業種別に見たものです。左の円グラフは部門別のCO₂排出量で、全体の35%を「産業部門」が占めていることが分かります。
その産業部門の二酸化炭素排出量は、鉄鋼業界が40%を占め、2番目の化学工業に3倍の差をつけています。2019年度の鉄鋼業界の二酸化炭素排出量(間接排出)は約1億5500万トンでした。つまり低炭素化社会の実現には、鉄鋼業界の二酸化炭素排出削減が不可欠です。
産業部門の中でも、鉄鋼、化学工業は生産時のエネルギー使用量が多く、二酸化炭素の排出も多くなっています。そして鉄鋼などの生産が活発なのは、中国、韓国、日本などアジアの国々です。アメリカやヨーロッパなど先進国は、中国や日本が二酸化炭素を排出してつくった製品を買っています。二酸化炭素排出量を削減するには、コストをかけて二酸化炭素を排出しない生産をするか(技術的に難しい)、生産を縮小しなければなりません。その影響は、アメリカやヨーロッパなど先進国にも及びます。
私たちが消費する様々な商品は、企業が多くのエネルギーを使用して生産したものです。さらに流通や販売活動でも二酸化炭素は消費します。つまり二酸化炭素の排出は、生産と消費活動そのものです。
ところが二酸化炭素排出量削減というと、私たちは太陽光発電や電機自動車の問題と考えています。決してそうではなく、個人の消費の問題です。
しかも商品は生産時だけでなく、廃棄の際も焼却炉で燃やされ、二酸化炭素を排出します。
これはリサイクルすれば解決するのでしょうか。
リサイクルでは解決しない
現在、プラスチックのリサイクルの大半はサーマルリサイクル、つまり燃料として燃やしています。中でも一部の質の高いプラスチックは、ペレットに加工されて製鉄所の燃料になります。一方質の良くないプラスチックは自治体や廃棄物処理業者が焼却処分します。
つまりマテリアルリサイクルを実現しない限り、プラスチックや化学繊維を製造すれば最後には二酸化炭素を排出して熱になるのです。
図9 我が国における物質フロー(2018年度)(環境省ホームページより)
注:含水等:廃棄物等の含水等(汚泥、家畜ふん尿、し尿、廃酸、廃アルカリ)及び経済活動に伴う土砂等の随伴投入(工業、建設業、上水道業の汚泥及び鉱業の鉱さい)
図9で我が国における物質のフローを示しました。二酸化炭素排出削減のためには、生産プロセスにおける二酸化炭素排出量を削減するとともに、最終処分で廃棄されるものを減らすことが必要です。
ただし、プラスチックはリサイクルされたものが回収業者に引き渡されればリサイクルしたものと扱われます。実際はその中で海外に輸出される、または廃棄されるものもあります。
経済成長に伴い今後排出量は増加
しかも二酸化炭素排出削減どころか、今後も経済成長に伴い、二酸化炭素の排出はまだまだ増えるのです。
なぜなら新興国の人口は増加し、GDPも増加するからです。GDPの増加に伴い、二酸化炭素の排出も増えます。図10に2050年GDP予測と人口のデータを示しました。
2050年の世界の人口は97億人、現在の1.24倍と予想されています。これに伴いGDPも増加します。これまでは開発途上国だった国が人口増加と共に経済も成長します。GDP4兆ドル以上の国は、欧米に加えて、インドネシア、ブラジル、メキシコ、サウジアラビア、ナイジェリア、エジプト、パキスタンが加わります。
そこで現在の各国のGDP当たりの二酸化炭素排出量を元に、2050年の二酸化炭素排出量を私の方で計算したものを図11に示します。
図11 各国のGDP当たりの二酸化炭素排出量から換算した2050年の二酸化炭素排出量
GDPに対する二酸化炭素排出量を現状と同じとすると、
2050年の二酸化炭素排出量は2020年の約4倍
にもなります。もし現状と同程度の二酸化炭素排出量に抑えるには、
GDP当たりの二酸化炭素排出量を現在の1/4にしなければなりません。
それでも現在と同等の二酸化炭素が排出されるのです。
一方2019年のGDP当たりの二酸化炭素排出量は国によって大きな違いがあります。これはその国の産業構造が
- 製造業主体か、サービス業主体か
- 製造業の中でも鉄鋼、化学の比率が高いかどうか
で変わります。ただしそれを抜きにしてもイラン、ベトナム、ロシア、サウジアラビアなどは、GDP当たりの二酸化炭素排出量が高いため、改善の余地は大きいでしょう。
開発途上国の声
コロラド大学の気象学者ロジャー・ピールキ・ジュニア教授は、欧米の環境保護団体を「途上国を貧困のままにおこうとする『グリーン(緑)帝国主義』の活動家だ」と批判しました。
「グローバル開発センターの報告によれば、1000億円をつぎ込むサヘル地域(サハラ砂漠南部)の再生可能エネルギー事業は、3000万の住民に電気を送ることができます。しかし、同じ1000億円で天然ガス火力発電をしたら、9000万の住民に送電できます」
インド政府は国連の二酸化炭素削減に反発して、2009年に国連にこう申し入れました。
「国民の40%が電気を使えない現在、二酸化炭素排出削減に努めよとは、無慈悲というものだろう」
途上国の開発を願って活動する南アフリカの作家レオン・ルーは、以下のように発言しています。
「第三世界は、先進国がやったのと同じことをしていい。天然資源を活用して都市を作り、湿地帯を住宅地に変え、木材の生産・利用を進め、鉱物資源を掘り、天然資源を利用する。
先進国を豊かにしたそんな政策が、いま貧困国には閉ざされているのだ」
環境活動家のビル・マッキベン氏は、貧困国は「化石資源時代を通らず、一足飛びに再生可能エネルギー時代になるべきだ」と主張します。そして太陽光や風力など再生可能エネルギーが「持続可能な開発」に役立つと言います。本当にそうでしょうか。
エネルギー関連の活動家スティーブ・ミロイ氏は「通信の分野であれば、電話線の時代無しに携帯電話時代を迎えた貧困国もある。しかしエネルギーだと、化石資源の時代無しにはすまない。
火力のバックアップがなければ無風の夜に電気は来ない。
また、再生可能エネルギーの電気は高いので、先進国なら莫大な補助金を使って運用できる。しかし貧困国にはそんなお金はない」
と述べています。
環境論の始祖、かつては温暖化の恐怖を煽ったジェームス・ラブロック氏は「持続可能な開発」を戯言と斬り捨てます。今では
「私たちは、よくも考えずに再生可能エネルギーに走った。絶望的に非効率だし悪趣味、とりわけ風力は許しがたい」
と発言しています。実は電力が安定して供給されている先進国の人々は問題がわかりません。しかし新興国の脆弱な電力インフラは、しばしば停電を起こします。停電しないまでも電圧が不安定な国も多く、そうした不安定な電源では先進国の製品や装置は正しく動作しません。外国資本の工場すら誘致できないのです。ジェームス氏は
「フラフラ電源でも構わない用途ならローカル電源として役に立つ。だが、基盤電源の補佐役でしかない風力をどしどし建てる欧州のやり方は、極悪の蛮行として人類史に残る」
と指摘しています。
低炭素製鉄とCO2貯留と回収技術
それでは、産業界で最も二酸化炭素排出量の多い鉄鋼業界ではどのような取組がされているのでしょうか。
鉄鋼メーカーは、以下のようなCO₂排出量削減の取組を行っています。
- 高炉の割合を減らして、スクラップを溶かす電炉製鉄の比率を増やす
- 高炉でのプロセスに水素還元方法を導入
- 発生した二酸化炭素を分離・回収する
国際エネルギー機関(IEA)は、製造工程のCO2排出量が実質ゼロとなる「グリーンスチール」の市場が、2050年時点では約5億トンになり、2070年には生産される鉄鋼のほとんどが、グリーンスチールにかわると予測しています。
環境への負荷を抑えるなら、鉄鉱石から鉄をつくるよりも、スクラップを活用すればよいです。しかし鉄鋼は自動車や各種インフラ、電子電気機器などの需要が2050年以降も大きく、それを十分に満たすだけのスクラップはありません。従って高炉による製鉄は将来も不可欠です。
日本製鉄、JFEスチール、神戸製鋼所の高炉3社と、日鉄エンジニアリングがNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)委託事業として行う「COURSE50」が取組んでいるのが、この水素還元法と二酸化炭素の分離回収の2つの技術です。2016年には日本製鉄・君津製鉄所に小型試験高炉を建設し、実証試験を進めてきました。
水素還元法
高炉内に水素を吹き込むことで水素還元の比率を増やして二酸化炭素を削減します。さらに、炉に入れるコークスを必要最小限度に抑え、製鉄過程で発生する水素以外に、外部からも水素を取り入れて投入量を大幅に増やし、より大規模な水素還元を行います。
製鉄方法には、「高炉法」のほかに「直接還元法」という方法もあります。直接還元法は、天然ガスを使用して鉄鉱石を固体のまま還元し、そのあとで電炉に移して溶解をおこなう方法です。コークスを使わないため、高炉よりもCO2の発生を低く抑えることができます。海外では天然ガスを用いた直接製鉄法(鉄鉱石から固体還元鉄を直接製造する方法)がすでに稼動しています。
二酸化炭素の分離回収
化学吸収法とは、「吸収塔」でアミン等のアルカリ性水溶液(吸収液)とCO2含有ガスとを接触させ、吸収液にCO2を選択的に吸収させた後、「再生塔」で吸収液を加熱して、高純度のCO2を分離・回収する技術です。
化学吸収法は、常圧のガスから大量のCO2を分離・回収するのに適していますが、これまで製鉄プロセスへの応用した実績がなく、新吸収液の開発やプロセスの最適化により、これまでの方法よりCO2分離・回収に要するエネルギーが約40%低い方法を実現しました。
さらに物理吸着法を製鉄プロセスに組み込み、高炉ガスから二酸化炭素を分離吸着して二酸化炭素回収率≧80% 、または二酸化炭素濃度≧90%を達成しました。
注) 「CCS」とは、「Carbon dioxide Capture and Storage」の略で、日本語では「二酸化炭素回収・貯留」技術と呼ばれます。発電所や化学工場などから排出されたCO2を、ほかの気体から分離して集め、地中深くに貯留・圧入するというものです。
「CCUS」は、「Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage」の略で、分離・貯留したCO2を利用しようというものです。たとえば米国では、CO2を古い油田に注入することで、油田に残った原油を圧力で押し出しつつ、CO2を地中に貯留するというCCUSがおこなわれており、全体ではCO2削減が実現できるほか、石油の増産にもつながるとして、ビジネスになっています。
最も冷静な議論が必要な課題なのに、冷静な議論ができていない
地球温暖化の問題は過去の省エネと違い、日本だけが努力しても効果はありません。世界中で協調して取り組まなければなりません。これは二酸化炭素排出削減にかかるコストと経済成長の問題なのです。SDGsの他のテーマも合わせて、今後どのように進めていくのか、各国が冷静に議論を行い協調して取り組む必要があります。加えて途上国の負担するコストや成長の阻害をどうするのかも考えなければなりません。
残念ながらこうした問題に対し、今ある技術でどこまで二酸化炭素排出量を抑えられるのか、数値目標ばかり先行して冷静な議論が進みません。菅政権の46%削減にしてもどこまで技術的な裏付けがあるのか不明です。
リスクマネジメントの世界では、ある問題事象に対し対策費用が過大であれば、その問題を受け入れる選択もあります。
地球温暖化のリスクは、対策可能なのか、受入ざるを得ないのか、冷静が議論が求められます。
参考文献
「環境問題のウソとホントがわかる本」杉本裕明 著 大和書房
「図解SDGs入門」 村上芽 著 日本経済新聞出版
「異常気象と地球温暖化」鬼頭昭雄 著 岩波新書
「地球温暖化の不都合な真実」マーク・モラノ 著 日本評論社
「地球温暖化 そのメカニズムと不確実性」日本気象協会 朝倉書店
「SDGsとは何か 世界を変える17のSDGs目標」安藤 顯 著 三和書籍
「不都合な真実」アル・ゴア 著 ランダムハウス講談社
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「SDGsの真実1」~環境だけじゃない。17の目標と温暖化対策の目標~
SDGsとは
SDGsという言葉を報道などで耳にする機会が増えています。「SDGs登録制度」を設けている県もあり、国はSDGs達成に向けた取組を行っている企業を増やし、SDGsの普及を目指しています。
では、SDGsとはどのような取組なのでしょうか。
私たちは何をすればいいのでしょうか。
SDGsを環境問題と思っている人もいます。しかしSDGsは環境だけではありません。しかもSDGsの中には、矛盾する内容もあるのです。
このSDGsについて、詳しく調べました。
(本コラムは、未来戦略ワークショップのテキストから作成しました。)
図1 SDGs 17の目標
SDGsの成り立ち
SDGs(Sustainable Development Goals)とは
「持続可能な開発目標」
のことです。2016年から2030年までの15年間で世界が達成すべき
17の目標と169のターゲット
で構成されています。
このSDGsは、これまでの【MDGs(ミレニアム開発目標)】と、【リオ+20(国連持続可能な開発会議)】という2つの大きな流れが融合し、作られました。
【MDGs】
MDGsは、2000年9月の国連ミレニアム・サミットで採択された【国連ミレニアム宣言】と、1990年代に国際会議やサミットで採択された【国際開発目標】を統合したものです。以下の8つのゴールが設定されました。
1 極度の貧困と飢餓の撲滅
2 初等教育の完全普及の達成
3 ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上
4 幼児死亡率の削減
5 妊産婦の健康の改善
6 HIV/エイズ、マラリア、そのほかの疾病の蔓延の防止
7 環境の持続可能性確保
8 開発のためのグローバルなパートナーシップの推進
そのテーマ、「経済成長を通じて貧困を削減する」ものです。その結果、極度の貧困に苦しむ人々の割合は、1990年には世界の人口の36%だったものが、2015年には12%(3分の1)まで減少しました。これにより10億人以上が極度の貧困から脱し、子供の死亡率は半分以下に減少しました。
こうして一定の目標は達成しましたが、その一方で格差の拡大、特に女性、子供、障害者、高齢者、難民など立場の弱い人たちへの格差がクローズアップされています。
【リオ+20】
1992年にブラジル・リオデジャネイロで開催された「国連環境開発会議」(地球サミット)では、「環境と開発に関するリオ宣言」が採択されました。
さらにその行動計画「アジェンダ21」が採択され、気候変動枠組条約や生物多様性条約の署名が行われました。
その20年後、2012年6月に開催された「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)では、グリーン経済への移行、「持続可能な開発」のための新たな枠組みの議論が行われました。そして「我々の求める未来」がまとめられました。この議論がMDGsと統合され、SDGsになりました。
SDGs 17の目標
SDGsには、17の目標と169のターゲットがあります。全部紹介するのは大変なので、169のターゲットの要点のみ解説します。
(詳細は、末尾の参考文献やSDGsの解説本を参照してください。
あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ
《ターゲットの概要》
2030年までに
- 極度の貧困(1日1.25ドル未満で生活)をなくす
- 極度の貧困以外でも貧困状態にある人を半減させる
- 貧困層への《社会保障制度、権利(財産・相続、金融サービスを受ける権利)》を確保する
- 病気、失業、災害など予期せぬ事態に対する個人の強靱性(レジリエンス)を強化する。そのために途上国支援や開発投資を促進する
表1 日本の貧困率の推移
1991 | 2003 | 2006 | |
相対的 貧困率(%) |
13.5 | 14.9 | 15.7 |
中央値 (万円) |
270 | 260 | 254 |
貧困値 (万円) |
135 | 135 | 127 |
2009 | 2012 | 2015 | |
相対的 貧困率(%) |
16.0 | 16.1 | 15.6 |
中央値 (万円) |
250 | 244 | 245 |
貧困値 (万円) |
125 | 122 | 122 |
表2 世界の地域別貧困率の変化
1990 | ||
貧困率 (%) |
貧困層の人数 (百万人) |
|
東アジア 太平洋地域 |
60.23 | 965.9 |
ラテンアメリカ カリブ海地域 |
15.84 | 71.21 |
南アジア地域 | 44.58 | 505.02 |
サブサハラ アフリカ地域 |
54.28 | 276.08 |
途上国全体 | 42.01 | 1840.47 |
世界全体 | 34.82 | 1840.47 |
2013 | ||
貧困率 (%) |
貧困層の人数 (百万人) |
|
東アジア 太平洋地域 |
3.54 | 71.02 |
ラテンアメリカ カリブ海地域 |
5.40 | 33.59 |
南アジア地域 | 15.09 | 256.24 |
サブサハラ アフリカ地域 |
40.99 | 388.72 |
途上国全体 | 12.55 | 766.01 |
世界全体 | 10.67 | 766.01 |
1990年に比べ世界全体の貧困率は大きく改善されました。特に東アジア、南アジアの貧困率の改善は大きく、世界全体でも貧困者数は2013年には766万人と1990年の半数以下になりました。
その一方アフリカ地域の貧困率は2014年でも40%もあり、大きな問題となっています。
飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する
《ターゲットの概要》
2020年までに
- 国際間の種子の適正管理と、野生種の遺伝的多様性の維持
2030年までに
- 飢餓の撲滅と5歳未満の子供の栄養不良を解消
- 小規模食料生産者の生産性及び所得倍増
- 災害への適応能力を高め、土壌を改善し強靭(レジリエント)な農業を実践
その他
- 開発途上国の農村インフラ投資の拡大、農産物輸出補助金を撤廃し貿易制限や歪みを是正、食料市場及びデリバティブ市場への規制
表3 熱量消費量(単位 kCal/人・日)
2001 | 2009 | |
日本 | 2746 | 2723 |
インド | 2487 | 2321 |
フィリピン | 2372 | 2580 |
アメリカ | 3766 | 3688 |
イタリア | 3680 | 3627 |
ギリシア | 3754 | 3611 |
スーダン | 2288 | 2326 |
1日のカロリー摂取量でみると、アメリカ、イタリアなど先進国は過剰摂取、対してインド、スーダンなどは2,500kcalを下回り、生存に必要な最低限のエネルギーしかありません。これは先の貧困問題とも関係しています。
表4 主要各国の自給率(2009年 単位 %)
穀類 | 野菜類 | 肉類 | |
日本 | 23.2 | 83.2 | 56.1 |
中国 | 103.4 | 101.8 | 97.4 |
アメリカ | 124.8 | 92.3 | 113.4 |
イギリス | 101.0 | 43.4 | 68.0 |
オランダ | 19.8 | 302.9 | 187.7 |
ドイツ | 124.1 | 33.4 | 114.4 |
フランス | 174.1 | 62.6 | 100.5 |
ロシア | 128.9 | 76.8 | 72.0 |
オーストラリア | 242.3 | 87.8 | 162.7 |
穀物は広い土地を必要とし、収穫量に比べ金額は低いため、国土の狭い国では生産量は多くありません。一方野菜や果物は、狭い土地でも収穫でき金額も高いため、日本でも自給率は高く、オランダは野菜の多くを輸出しています。
国により国土や経済力が違うため、農産物の生産性は国により異なります。関税を完全に撤廃したり、先進国が輸出補助金で農産物の輸出を促進したりすれば、生産性の低い国の農業は壊滅的な打撃を受けます。
あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進する
《ターゲットの概要》
2020年までに
- 交通事故による死傷者を半減
2030年までに
- 妊産婦の死亡率を出生10万人当たり70人未満
- 新生児死亡率を出生1,000件中12件以下、5歳以下死亡率を出生1,000件中25件以下
- 新生児及び5歳未満児の予防可能な死亡を根絶
- エイズ、結核、マラリアなどの伝染病を根絶
- 非感染性疾患による若年死亡率を3分の1減少、精神保健及び福祉を促進
- 性と生殖に関する保健サービスを全ての人々が利用可能に
- 有害化学物質、大気、水質及び土壌汚染による死亡や疾病を大幅に減少
その他
- 全ての人々に質の高い保健サービスや安全で安価な必須医薬品とワクチンの利用を実現
- 薬物乱用やアルコール依存症の予防や治療の強化
- 全ての国々でたばこの規制の強化
- 開発途上国の感染性及び非感染性疾患のワクチン及び医薬品の研究開発を支援
- 開発途上国において保健人材の採用、能力開発・訓練及び定着の大幅な拡大
- 全ての国々の国家・世界規模な健康危険因子の早期警告と管理能力を強化
今回の新型コロナウイルス感染症は、一旦感染症が拡大すれば被害を免れる国はないことを示しました。感染症の予防と撲滅は人類共通の課題です。
その一方、不十分な衛生環境や不十分な予防接種のため、先進国では抑えられている結核やマラリヤなどの病気が新興国では問題となっています。安全な飲み水の確保など衛生環境の整備や予防接種などの充実が新興国にも必要です。
一方先進国では、若年者の自殺は大きな問題です。日本は人口10万人当たりの自殺死亡率は15.2人と世界でも高い数字です。
日本の15~39歳の死因の第1位(2019年)は自殺です。G7の中で若者の死因の第1位が「自殺」なのは日本だけで、これは社会問題となっています。
すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する
《ターゲットの概要》
2020年までに
職業訓練、情報通信技術(ICT)、技術・工学・科学プログラムなど高等教育の奨学金の件数を全世界で大幅に増加
2030年までに
- 全ての子供が、無償かつ質の高い初等教育及び中等教育を修了できる
- 全ての子供が、乳幼児の発達・ケア及び就学前教育を受け、初等教育を受ける準備が整う
- 全ての人々が、質の高い技術・職業教育及び高等教育(大学)を受けることが可能
- 技術的・職業的スキルを習得し、仕事や起業に必要な技能を備えた若者を大幅に増加
- 教育におけるジェンダー格差を無くす。障害者、先住民など脆弱層も教育や職業訓練受けることが可能
- 全ての若者及び大多数の成人が、読み書き及び基本的計算能力を身に付けられる
- 質の高い教員の数を大幅に増加
その他
- 子供、障害及びジェンダーに配慮した安全で非暴力的な教育施設を提供
表5 初等教育修了率(2014年 単位 %)
男子 | 女子 | |
欧・米・日本 | 99.6 | 99.4 |
南アジア | 91.5 | 92.0 |
アフリカ(サブサハラ) | 72.0 | 68.0 |
先進国では99%の子供が基本的な読み書きを習得する初等教育を受けています。しかしアフリカでは約70%、つまり3割の子供が初等教育を受けていません。
読み書きができないことが、職業選択を制限し、貧困から抜け出せない原因となっています。
ジェンダーの平等を達成し、すべての女性と女児のエンパワーメントを図る
《ターゲットの概要》
- 女性及び女児に対するあらゆる差別を撤廃
- 人身売買や性的搾取などあらゆる形態の暴力を排除
- 早期結婚、強制結婚及び女性器切除など有害な慣行を撤廃
- 無報酬の育児・介護や家事労働を評価
- 政治、経済などあらゆるレベルで公平な女性の参画の機会を確保
- 女性に対し、所有権、土地、財産など経済的資源の権利を与えるための改革に着手
- 女性の能力強化促進のため、ICTをはじめとする技術の活用
- ジェンダー平等の促進のための政策や法規を導入・強化
すべての人に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を確保する
《ターゲットの概要》
2030年までに
- 全ての人々の安全で安価な飲料水へのアクセスを達成
- 全ての人々の適切な下水施設へのアクセスを達成、野外での排泄をなくす
- 排水の浄化と汚染の減少により水質を改善
- 淡水の持続可能な供給を確保、水不足に悩む人々の数を大幅に減少
- 国境を越えた協力を含む、統合水資源管理を実施
- 山地、森林、河川を含む生態系の保護・回復を行う
- 開発途上国における水と衛生分野の国際協力と能力構築支援を拡大
表6 世界の降水量、水資源量、取水量の関係
(単位 降水量mm/年 1人当り水資源量&1人当り取水量立方メートル/人、年)
降水量 | 1人当り 水資源量 |
1人当り 取水量 |
|
世界平均 | 780 | 7800 | 560 |
日本 | 1560 | 3030 | 680 |
サウジアラビア | 30 | 0 | 720 |
インド | 1080 | 1700 | 580 |
フランス | 760 | 3000 | 570 |
インドネシア | 2680 | 1450 | 380 |
世界の一人当たりの水資源量は、地域によって大きく異なります。世界平均では7,800立方メートル/年ですが、利用できない地域の工数もあるため、国別では日本は3,030立方メートル/年で世界で96位です。
農業や工業などに必要な水資源量は、1,700立方メートル/年とされ、これに満たない国が世界では55カ国もあります。
すべての人々に手ごろで信頼でき、持続可能かつ近代的なエネルギーへのアクセスを確保する
《ターゲットの概要》
2030年までに
- 安価かつ信頼できるエネルギーサービスを利用可能
- 世界のエネルギーミックスにおける再生可能エネルギーの割合を大幅に拡大
- 世界全体のエネルギー効率の改善率を倍増
- エネルギー効率向上のための国際協力の強化、エネルギー技術への投資を促進
- 開発途上国の全ての人々に持続可能なエネルギーサービスを供給できるようにインフラ拡大と技術向上
表7 世界の1人当り消費エネルギー(単位 kg/年)
(総務省統計局の資料 2013年)
1999 | 2008 | 2009 | |
世界全体 | 1358 | 1493 | 1465 |
アジア | 721 | 1042 | 1077 |
アメリカ | 7973 | 6866 | 6486 |
南アメリカ | 865 | 1029 | 1004 |
ヨーロッパ | 2853 | 3231 | 3018 |
アフリカ | 347 | 356 | 353 |
オセアニア | 4269 | 4098 | 4108 |
日本 | 3665 | 3210 | 3003 |
すべての人のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)を推進する
《ターゲットの概要》
2020年までに
- 就労、就学及び職業訓練のいずれも行っていない若者の割合を大幅に減らす
2025年までに
- 児童兵士の募集と使用を含むあらゆる形態の児童労働を撲滅
2030年までに
- 持続可能な消費と生産に関する10年計画に従い経済成長と環境悪化の分断を図る
- 若者や障害者を含む全ての男女の、完全な雇用及び人間らしい仕事、並びに同一労働同一賃金を達成
- 持続可能な観光業を促進する政策を立案し実施
その他
- 強制労働を根絶
- 移住労働者など不安定な雇用形態の労働者の権利を保護
- 一人当たり経済成長率を持続、後発開発途上国は少なくとも年率7%の成長率
- 多様化、イノベーションを通じた高いレベルの生産性を達成
- 開発重視型の政策を促進するとともに、中小零細企業の設立や成長を奨励する
- 国内の金融機関の能力を強化し、全ての人々の金融サービスへのアクセスを促進・拡大
- 開発途上国に対する貿易の援助を拡大
強靭なインフラを整備し、包摂的で持続可能な産業化を推進するとともに、技術革新の拡大を図る
《ターゲットの概要》
2020年までに
- 開発途上国において普遍的かつ安価なインターネットアクセスを提供
2030年までに
- 雇用及びGDPに占める産業セクターの割合を大幅に増加。後発開発途上国については同割合を倍増
- 資源利用効率の向上とクリーン技術及びインフラ改良により持続可能性を向上
- イノベーションを促進させることや100万人当たりの研究開発従事者数を大幅に増加させ、科学研究を促進し、技術能力を向上
その他
- 質の高い、信頼でき、持続可能かつ強靱(レジリエント)なインフラを開発
- 開発途上国における小規模の製造業その他の企業への金融サービスへの利用可能性を拡大
- アフリカ諸国への金融・テクノロジー・技術の支援強化を通じて、インフラ開発を促進
- 産業の多様化や商品への付加価値創造などを通じて、開発途上国の技術開発、研究及びイノベーションを支援
国内および国家間の格差を是正する
《ターゲットの概要》
2030年までに
- 各国の所得下位40%の所得成長率の国内平均を上回る数値を達成
- 年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教に関わりなく、能力強化を促進
- 移住労働者による送金コストを3%未満に引き下げ、コストが5%を越える送金経路を撤廃
その他
- 差別的な法律、政策及び慣行の撤廃、並びに適切な関連法規、政策などを通じて、機会均等を確保し、成果の不平等を是正
- 税制、賃金、社会保障政策をはじめとする政策を導入し、平等の拡大
- 世界金融市場と金融機関に対する規制とモニタリング
- 国際経済・金融制度の意思決定に開発途上国の参加や発言力の拡大
- 秩序のとれた、安全で規則的かつ責任ある移住や流動性を促進
- 世界貿易機関(WTO)協定に従い、開発途上国に対する特別かつ異なる待遇の原則を実施
- 政府開発援助(ODA)及び海外直接投資を含む資金の流入を促進
都市と人間の居住地を包摂的、安全、強靭かつ持続可能にする
《ターゲットの概要》
2020年までに
- あらゆるレベルでの総合的な災害リスク管理の策定と実施
2030年までに
- 安全かつ安価な住宅へのアクセスを確保しスラムを改善
- 全ての人々に、安全かつ安価で持続可能な輸送システムを提供
- 都市化を促進し、全ての国々が持続可能な人間居住計画・管理能力を強化
- 世界の文化遺産及び自然遺産の保護・保全の努力を強化する
- 水関連災害などの災害による死者や被災者数を大幅に削減
- 都市の一人当たりの環境上の悪影響を軽減
- 人々に安全で利用が容易な緑地や公共スペースへの普遍的アクセスを提供
その他
- 開発計画を通じて、都市部、都市周辺部及び農村部間の良好なつながりを支援
- 財政的及び技術的な支援などを通じて、後発開発途上国の持続可能かつ強靱(レジリエント)な建造物の整備を支援
持続可能な消費と生産のパターンを確保する
《ターゲットの概要》
2020年までに
- 化学物質や廃棄物の大気、水、土壌への放出を大幅に削減
2030年までに
- 人々が持続可能な開発及び自然と調和したライフスタイルに関する情報と意識を持つ
- 天然資源の持続可能な管理及び効率的な利用を達成
- 世界全体の一人当たりの食料の廃棄を半減させる
- 廃棄物の発生防止、削減、再生利用及び再利用により、廃棄物の発生を大幅に削減
その他
- 持続可能な消費と生産に関する10年計画(10YFP)を実施し全ての国々が対策を講じる
- 大企業や多国籍企業などは持続可能な取り組みを導入し、持続可能性に関する情報を定期報告に盛り込むよう奨励
- 持続可能な公共調達の慣行を促進
- 開発途上国に対し持続可能な消費・生産形態の促進のため科学的・技術的能力の強化を支援
- 持続可能な観光業に対して開発がもたらす影響を測定する手法を開発・導入
気候変動とその影響に立ち向かうため、緊急対策を取る
《ターゲットの概要》
2020年までに
- 開発途上国のニーズに対応するため年間1,000億ドルを共同で動員するUNFCCCのコミットメントを実施し、速やかに資本を投入して緑の気候基金を本格始動させる
その他
- 気候関連災害や自然災害に対する強靱性(レジリエンス)及び適応の能力を強化
- 気候変動対策を国別の政策、戦略及び計画に盛り込む
- 気候変動の緩和、適応、影響軽減及び早期警戒に関する教育、啓発、人的能力及び制度機能を改善する
※国連気候変動枠組条約(UNFCCC)が、気候変動への世界的対応について交渉を行う一義的な国際的、政府間対話の場であると認識している。
表8 主な国・地域の温室効果ガス削減目標
削減比率と期限 | 備考 | |
日本 | 2013年比 2030年までに26% | 2050年に80%削減を閣議決定 |
アメリカ | 2005年比 2030年までに26~28% | 2017年6月にパリ協定離脱 推移目標も取り消し |
EU | 1990年比 2030年までに40% | |
中国 | 2005年比 2030年までに60~65% | GDP当りのCO₂排出量 |
インド | 2005年比 2030年までに33~35% | GDP当りのCO₂排出量 |
海洋と海洋資源を持続可能な開発に向けて保全し、持続可能な形で利用する
《ターゲットの概要》
2020年までに
- 強靱性(レジリエンス)の強化などによる持続的な管理と保護を行い、海洋及び沿岸の生態系の回復のための取組を行う
- 漁獲を効果的に規制し、過剰漁業や違法・無報告・無規制(IUU)漁業及び破壊的な漁業慣行を終了
- 国内法及び国際法に則り、少なくとも沿岸域及び海域の10パーセントを保全
- 過剰漁獲能力や過剰漁獲につながる漁業補助金を禁止し、違法・無報告・無規制(IUU)漁業につながる補助金を撤廃
2025年までに
- 海洋ごみや富栄養化を含むあらゆる種類の海洋汚染を防止し大幅に削減
2030年までに
- 漁業、水産養殖及び観光の持続可能な管理などを通じ、後発開発途上国の海洋資源の持続的な利用による経済的便益を増大
その他
- 海洋酸性化の影響を最小限化し、対処する
- 水産資源を、実現可能な最短期間で少なくとも各資源の生物学的特性によって定められる最大持続生産量のレベルまで回復させる
- 開発途上国に対する適切かつ効果的な待遇が、世界貿易機関(WTO)漁業補助金交渉の不可分の要素であるべきことを認識した上で、海洋の健全性の改善と、開発途上国の開発における海洋生物多様性の寄与向上のために、科学的知識の増進、研究能力の向上、及び海洋技術の移転を行う
- 小規模・沿岸零細漁業者に対し、海洋資源及び市場へのアクセスを提供する
- 海洋法に関する国際連合条約(UNCLOS)に反映されている国際法を実施することにより、海洋及び海洋資源の保全及び持続可能な利用を強化する
陸上生態系の保護、回復および持続可能な利用の推進、森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地劣化の阻止および逆転、ならびに生物多様性損失の阻止を図る
《ターゲットの概要》
2020年までに
- 森林、湿地、山地及び乾燥地をはじめとする陸域生態系と内陸淡水生態系の保全、回復及び持続可能な利用を確保
- 森林減少を阻止し、劣化した森林を回復し、世界全体で新規植林及び再植林を大幅に増加
- 外来種の侵入を防止し、これらによる陸域・海洋生態系への影響を大幅に減少させるための対策を導入
- 生態系と生物多様性の価値を、国や地方の計画策定、開発プロセス及び貧困削減のための戦略及び会計に組み込む
- 絶滅危惧種を保護し、絶滅防止するための緊急かつ意味のある対策を講じる
2030年までに
- 砂漠化に対処し、砂漠化、干ばつ及び洪水の影響を受けた土地などの劣化した土地と土壌を回復
- 生物多様性を含む山地生態系の保全を確実に行う
その他
- 国際合意に基づき、遺伝資源への適切なアクセスを推進
- 保護の対象となっている動植物種の密猟及び違法取引を撲滅するための緊急対策を講じる
- 生物多様性と生態系の保全と持続的な利用のために、あらゆる資金源からの資金の動員及び大幅な増額を行う
- 保全や再植林を含む持続可能な森林経営を推進するため、持続可能な森林経営のための資金の調達と開発途上国への十分なインセンティブ付与のための資源を動員
- 地域コミュニティ経済能力を高め、密猟及び違法な取引を防ぐための支援を強化
持続可能な開発に向けて平和で包摂的な社会を推進し、すべての人に司法へのアクセスを提供するとともに、あらゆるレベルにおいて効果的で責任ある包摂的な制度を構築する
《ターゲットの概要》
2030年までに
- 違法な資金及び武器の取引を大幅に減少させ、あらゆる形態の組織犯罪を根絶
- 全ての人々に出生登録を含む法的な身分証明を提供
その他
- 全ての形態の暴力及び暴力に関連する死亡率を大幅に減少
- 子供に対する虐待、搾取、取引及びあらゆる形態の暴力及び拷問を撲滅
- 国家及び国際的な法の支配を促進し、全ての人々に司法への平等なアクセスを提供
- あらゆる形態の汚職や贈賄を大幅に減少
- 有効で説明責任のある透明性の高い公共機関を発展
- 対応的、包摂的、参加型及び代表的な意思決定を確保
- グローバル・ガバナンス機関への開発途上国の参加を拡大・強化
- 国内法規及び国際協定に従い、情報への公共アクセスを確保し、基本的自由を保障
- 特に開発途上国において、暴力の防止とテロリズム・犯罪の撲滅に関する能力構築のため、国際協力などを通じて関連国家機関を強化
- 持続可能な開発のための非差別的な法規及び政策を推進、実施
持続可能な開発に向けて実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する
《ターゲットの概要》
【資金】
- 課税及び徴税能力の向上、国内資源の動員を強化
- 先進国は、開発途上国に対するODAをGNI比0.7%に、後発開発途上国に対するODAをGNI比0.15~0.20%という目標を完全に実施する。少なくともGNI比0.20%のODAを後発開発途上国に供与するという目標を奨励
- 複数の財源から、開発途上国のための追加的資金源を動員
- 必要に応じた負債による資金調達、債務救済及び債務再編の促進を目的とした政策により、開発途上国の長期的な債務の持続可能性の実現を支援し、重債務貧困国(HIPC)の対外債務への対応により債務リスクを軽減する
- 後発開発途上国のための投資促進枠組みを導入及び実施する
【技術】
- 科学技術イノベーション(STI)及びこれらへのアクセスに関する南北協力、南南協力及び地域的・国際的な三角協力を向上
- 開発途上国に対し、譲許的・特恵的条件などの相互に合意した有利な条件の下で、環境に配慮した技術の開発、移転、普及及び拡散を促進
- 2017年までに、後発開発途上国のための技術バンク及び科学技術イノベーション能力構築メカニズムを運用し、情報通信技術(ICT)をはじめとする実現技術の利用を強化
【キャパシティ・ビルディング】
- 開発途上国における持続可能な開発目標を実施するための効果的かつ的をしぼった国際的な支援を強化
【貿易】
- WTOの下での普遍的でルールに基づいた、公平な貿易体制を促進
- 開発途上国による輸出を大幅に増加させ、特に2020年までに世界の輸出に占める後発開発途上国のシェアを倍増
- 世界貿易機関(WTO)の決定に矛盾しない形で、全ての後発開発途上国に対し、永続的な無税・無枠の市場アクセスを適時実施
【体制面】
- 政策協調や政策の首尾一貫性などを通じて、世界的なマクロ経済の安定を促進
- 持続可能な開発のための政策の一貫性を強化する
- 貧困撲滅と持続可能な開発のため政策の確立・実施にあたっては、各国の政策空間及びリーダーシップを尊重
【マルチステークホルダー・パートナーシップ】
- 全ての国々、特に開発途上国での持続可能な開発目標の達成を支援すべく、知識、専門的知見、技術及び資金源を動員、共有するマルチステークホルダー・パートナーシップによって補完しつつ、持続可能な開発のためのグローバル・パートナーシップを強化する
- さまざまなパートナーシップの経験や資源戦略を基にした、効果的な公的、官民、市民社会のパートナーシップを奨励・推進する
【データ、モニタリング、説明責任】
- 2020年までに、開発途上国に対する能力構築支援を強化し、所得、性別、年齢、人種、民族、居住資格、障害、地理的位置及びその他各国事情に関連する特性別の質が高く、タイムリーかつ信頼性のある非集計型データの入手可能性を向上させる
- 2030年までに、持続可能な開発の進捗状況を測るGDP以外の尺度を開発する既存の取組を更に前進させ、開発途上国における統計に関する能力構築を支援する
環境だけでなく、世界が直面する様々な問題への取組
このようにSDGsは、環境だけでなく世界が直面している様々な問題を解決するための取組を低減しています。
その一方、経済発展と環境のように相反するテーマもあります。その中で、どのように折り合いをつけてそれぞれの問題を解決するのか、それには各国の知恵と、世界での協調が不可欠です。
地球温暖化とパリ協定
パリ協定
パリ協定とは、2015年にパリで開かれた「国連気候変動枠組条約締約国会議(通称COP)」で合意された、温室効果ガス削減に関する国際的取り決めのことです。
パリ協定では、次のような世界共通の長期目標を掲げています。
- 世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をする
- できるかぎり早く世界の温室効果ガス排出量をピークアウトし、21世紀後半には、温室効果ガス排出量と(森林などによる)吸収量のバランスをとる
日本も批准手続きを経て、パリ協定の締結国となりました。この国際的な枠組みの下、主要排出国が排出削減に取り組むよう国際社会を主導し、地球温暖化対策と経済成長の両立を目指すとしています。
最大の二酸化炭素排出国アメリカは、ドナルド・トランプ米大統領が2017年6月にパリ協定から離脱を宣言し、2020年11月4日に正式離脱しました。その後、バイデン大統領に変わった2021年2月19日正式に復帰しました。
パリ協定が画期的といわれる2つのポイント
パリ協定は歴史的に重要な取組で、特に画期的な点は、途上国を含む全ての参加国に、排出削減の努力を求めたことです。
京都議定書では、排出量削減の法的義務は先進国のみ課せられました。しかし2016年の温室効果ガス排出の国別シェアは、中国が23.2%で1位、米国が13.6%で2位、EUが10.0%で3位、インドが5.1%でロシアと並んで同率4位です。日本の温室効果ガス排出量シェアは2.7%で8位です。
パリ協定では、途上国を含む全ての参加国と地域に、2020年以降の「温室効果ガス削減・抑制目標」を定めることを求めています。加えて、長期的な「低排出発展戦略」を作成することも求められています。
一方パリ協定は、各国が自主的に取り組むことが求められています。この自主的な取組はこれまでの国際交渉で日本が提唱してきたものです。その結果、各国が自国の国情を織り込み、
削減・抑制目標を自主的に策定する
ことが認められました。
日本の削減目標とビジネスへの影響
日本では、中期目標として、2030年度の温室効果ガスの排出を2013年度の水準から26%削減することが目標として定められました。「この目標は低いのではないか」という声もありますが、各国が自主的に定めた目標は基準年度や指標などがバラバラなので比較するには注意が必要です。表9は主要排出国の削減・抑制目標を比較したものです。日本の数値は一見低いように見えて、かなり高い目標だと分かります。
・日本は2013年と比べた場合の数値、米国は2005年と比べた場合の数値、EUは1990年と比べた場合の数値を削減目標として提出
・比較する年度を「2013年」に合わせて数値を比べてみると、日本の目標は高いことが分かる
経済と両立しながら低排出型社会を目指す
経済産業省はこうした野心的な目標を達成するため、再生可能エネルギー(再エネ)の導入量を増やすなど低排出なエネルギーミックスの推進と、エネルギー効率化を追求しています。政府の2030年のエネルギーミックスは、再エネを22~24%、原子力を22~20%とするなどの電源構成を見通しています。
地球温暖化対策はSDGsの17の目標のうちその1テーマにしか過ぎません。
しかし経済活動、社会生活に与える影響は他の16テーマと比べて極めて大きいものがあります。
ところがその根拠は「地球温暖化」という科学的に完全に解明されているとは言えない現象です。実際、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)(注)の報告書は誇張されていると考える専門家もいます。
なにより現在の地球温暖化の議論には重大な問題があります。
これについては、別の経営コラムでお伝えします。
参考文献
「環境問題のウソとホントがわかる本」杉本裕明 著 大和書房
「図解SDGs入門」 村上芽 著 日本経済新聞出版
「異常気象と地球温暖化」鬼頭昭雄 著 岩波新書
「地球温暖化の不都合な真実」マーク・モラノ 著 日本評論社
「地球温暖化 そのメカニズムと不確実性」日本気象協会 朝倉書店
「SDGsとは何か 世界を変える17のSDGs目標」安藤 顯 著 三和書籍
「不都合な真実」アル・ゴア 著 ランダムハウス講談社
経営コラム ものづくりの未来と経営
人工知能、フィンテック、5G、技術の進歩は加速しています。また先進国の少子高齢化、格差の拡大と資源争奪など、私たちを取り巻く社会も変化しています。そのような中
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カオス理論が常識を覆す~バブルは再発し、野生動物は激減する、難解なカオス理論を易しく解説~
金融工学の理論上、バブルは起きないことになっています。ではなぜ起きないはずのバブルが起きるのでしょうか?
あるいは、近年のカツオやサンマの不漁が話題になっていますが、これは中国など他国の乱獲が原因なのでしょうか?
私たちの身近に起きる問題について、様々な原因が報道されています。
しかし、問題を解明する理論の前提が違っていたら、どうなるのでしょうか?
例えば、かつては地球を中心として太陽や惑星が回っていると考えられていました(天動説)。しかし天動説では惑星の動きを正確に表すことができませんでした。
そして現在は地球が太陽の周りを回っている地動説に置き換わりました。
同様に私たちの身近にある様々な現象は、天動説のような古い考え方で捉えようとしているのかもしれません。
1960年代に生まれ、1990年代以降注目されている「カオス理論」があります。
カオス理論では経済や自然現象に対し、それまで正しいとされてきた前提条件が違っていることが分かってきました。
カオス理論に照らすと世界はどのように見えるのでしょうか。
近代科学の成立と無視された世界
17世紀以前、世界は神話に支配されていました。
様々な物理現象は神によるものでした。
しかし17世紀にはいるとニュートンをはじめとする多くの科学者が様々な原理や法則を発見し、近代科学は大きく進歩しました。
こうして世界は神による神秘的なものから、様々な理論や数式で表すことができる時計仕掛けの世界に変わったのです。
時計仕掛けの世界観と自然界への応用
ニュートンの功績は、物理上の様々な運動法則を解き明かしたことと、微分・積分を確立したことです。
これにより物体の衝突から振り子の振動、天体の動きを数式で表すことができるようになりました。つまり様々な物理現象の結果が計算できるようになったのです。
20世紀にアインシュタインが相対性理論を確立するまで、ニュートンの物理学が唯一でした。今でもほとんどの物理現象はニュートンの理論で解くことができます。今の高校生や大学生が勉強しているのもニュートンの理論なのです。
このニュートンの理論は、それまでの神話から始まる神秘に満ちた世界観を、神秘性の全くない時計仕掛けの世界に変えました。
そしてニュートン(とライプニッツら)の打ち立てた微分・積分は、天体の運動以外にも様々な物理現象を微分方程式と数式で表すことを可能にしました。こうしてニュートンが開いた科学の扉から、多くの科学者が様々な自然現象に微分・積分を応用しました。
イギリスの数学者ブルック・テイラーは、微分方程式を使って振動が正弦波であることを発見しました。さらにフランスの数学者ジャン・ル・ロン・ダランベールは2つ以上の変数の現象を解く偏微分方程式を考えました。そしてこれを使って2つ以上の振動の重なりを解きました。
ジョゼフ・ルイ・ラグランジュはこの振動理論を音響学に発展させ、レオンハルト・オイラーはニュートンの理論を応用して水などの液体(流体)の流れを解き明かしました。(二人は18世紀最大の数学者と呼ばれています。)
ジョゼフ・フーリエは熱の流れに微分方程式を応用しました。ピエール・シモン・ド・ラプラスやシメオン・ドゥニ・ポアソンは、構造物(弾性体)の変形を解き明かしました。
こうした科学者の自然現象に対する解析と理解は急速に深まり、それを元に蒸気機関、発電所、モーターなどの技術は急速に進歩し、産業は大いに発展しました。
無視された世界
一方様々な物理現象を微分方程式で表すことができても、そこからその現象の結果を定量的に把握するには、その微分方程式を解いて数値解を出さなければなりません。
物理現象を微分方程式で表すことと、その微分方程式を解くことは別なのです。
例えば、微分方程式とは以下の式です
当時、微分方程式を解いて数値解を出すには、この微分方程式を展開して(解析的に)解かなければなりませんでした。これは今でも工学部の学生が試験でやっていることです。
一方、今では解析的に解かなくても、コンピューターを使って微分方程式の数値解を計算することができます。
しかし当時、例え自然現象を微分方程式で表すことができても、その微分方程式が複雑で解析的に解けなければ、その理論は現実には使えませんでした。そこでこのような場合、解析的に解けるように微分方程式の前提条件を変えました。
例えば物体の衝突を計算する場合、衝突する物体は
- 弾性変形や塑性変形が一切ない完全な剛体で
- 衝突の際に摩擦の影響も全くない
という条件です。
従ってパチンコ玉のような硬い物体が衝突した後の軌跡は、ニュートン力学では高い精度で計算できます。(それでも弾性変形が皆無ではないため誤差は生じます。) しかし車と車が衝突した場合、衝突後の2台の運動はニュートン力学では解けません。
また物体の衝突自体も物体が2つの場合はニュートン力学で計算できますが、3つ以上の場合は計算できません。
天体のような互いに引力が作用する場合も同様で、これは「三体問題」として現在でも物理学の大きなテーマとなっています。
また当時は微分方程式を解析的に解くには、微分方程式が「線形」である必要がありました。微分方程式の線形と非線形の違いは以下のようなものです。
微分方程式が線形であれば、解はひとつだけ存在します。これに対して非線形微分方程式では、解が存在するかどうか、また解が存在してもその解が一つかどうかわかりません。
そこで当時の科学者は、自然現象を少々無理をしてでも線形微分方程式で表しました。しかし実際は自然界の現象の多くは、正確に表すためには非線形微分方程式が必要でした。
注記) 微分方程式の数値解
多くの数学者が微分方程式の解法を探求しましたが、手計算で解析的に解ける微分方程式は限界がありました。そこでコンピューターを使って数値解を求める方法が研究され、コンピューターの進歩と共に発展しました。数値解を求める方法にはルンゲ・クッタ法、線形多段法、オイラー法などがあり、今でも多くの解法が研究されています。この方法であれば非線形微分方程式も数値解が得られます。
確率論とランダムさとは?
実は天体の運動は軌跡が一つしかありません。そのためニュートン力学で表すことができます。
では常に起きるとは限らないような物理現象は、どうやって数学で表すのでしょうか。
確率論の確立
決まって起きるとは限らない現象、その代表がルーレットやサイコロ、つまりギャンブルです。
このギャンブルを16世紀から17世紀にかけてカルダーノ、パスカル、フェルマー、ホイヘンスらが数学の一分野として研究しました。
そして、その結果「確率論」が生まれました。
イタリアの数学者カルダーノは、賭博師でもありました。彼は1560年代『さいころあそびについて』で初めて確率論を系統的に論じました。
ラプラスは1814年に『確率の哲学的試論』でそれまでの様々な確率論を統合し、古典的確率論にまとめました。さらにベルヌーイは完全にバランスの取れたコインを投げた場合、回数が多くなれば表と裏の確率が半々になることを「大数の法則」で証明しました。
試行回数が非常に多い場合、その分布はつりがね型の「ベル・カーブ」になります。このベル・カーブは1733年アブラーム・ド・モアブルによって定義されました。
カール・フリードリッヒ・ガウスは、誤差の多い測定結果の修正に最小二乗法を用いました。そして真の値を計算する際に、誤差の分布を正規分布として計算しました。
1812年にピエール・シモン・ラプラスは最小二乗法、帰納的確率論、仮説の検証といった確率や統計の基礎を統合しました。「正規分布」という言葉はチャールズ・サンダース・パース、フランシス・ゴルトン、ヴィルヘルム・レキシスの3人によって1875年頃に導入されました。
正規分布は以下の式で表されます。図2に正規分布曲線を、表1に正規分布における信頼区間と誤差を示します。
信頼区間と誤差の理論は、今でも品質管理やシステムの信頼性の基本として広く用いられています。
例えば、目標値に対し測定結果の標準偏差が0.01ミリでした。
このとき信頼区間1σ、つまり±0.01ミリの誤差は31.7%
測定結果の31.7%は±0.01ミリの範囲外、つまり不合格になります。
このとき信頼区間3σ、つまり±0.03ミリの誤差は0.27%
測定結果の0.27%は±0.03ミリの範囲外、つまり不合格になります。
このとき信頼区間5σ、つまり±0.05ミリの誤差は0.000057%
測定結果の0.000057%は±0.05ミリの範囲外、つまり不合格になります。
このようにして品質管理では製品の信頼度を評価しています。そして高度な信頼性が求められる製品では、0.000057%の誤差でさえ問題になるのです。
表1 信頼区間と誤差(σは標準偏差)
信頼区間 | 発生確率(%) | 誤差(%) |
1σ | 68.2689492 | 31.7310508 |
2σ | 95.4499736 | 4.5500264 |
3σ | 99.7300204 | 0.2699796 |
4σ | 99.993666 | 0.006334 |
5σ | 99.9999426697 | 0.0000573303 |
ランダムさとは?
確率論の対象となる、このように必ずしも結果が決まっていない現象をランダム(random)といいます。これは以下のように定義されます。
「事象の発生に法則性(規則性)がなく、予測が不可能(英語版)な状態で、無作為性ともいう」
ランダムの例としてコイン投げやサイコロがあります。
実際は完全なサイコロやコイン投げは存在しません。そのため必ず結果に偏りが出ます。ただし物理では、予測が不可能であればランダムとします。
実際のカジノのルーレットも完全にランダムではありません。
1964年リチャード・ヤレキ氏は、記録係を8人雇い、ヨーロッパの何か所かのカジノに行かせました。そしてルーレットの出た数字をひたすら記録させました。そしてそれぞれのルーレットのくせを完全に把握すると、3,000万円の資金を借りてカジノに出かけました。
ヤレキ氏の荒稼ぎは半年続き、その間に7億4,000万円を手にしました。
カジノ側も荒稼ぎをするヤレキ氏に気づき、毎日ルーレット盤を変えました。しかしヤレキ氏はルーレット盤の僅かなキズや変色も記録しておいたので目当ての台を見つけました。
この一見ランダムな事象も長いスパンではあるパターン(傾向)がみられます。ひょっとするはこれがギャンブルの「運」なのかもしれません。
1950年フェラーはコイン投げを1万回行い、表と裏の出現頻度にパターンがあることを発見しました。
単純なコイン投げでも回数が多いと長期的なパターンがみられるのです。
数学者のベノワ・B・マンデルブロ氏は、このランダムさには複数の「状態」又は型があると言います。
- マイルド型
- ワイルド型
- スロー型
コイン投げなど、平均値から一定の範囲内でゆらぐものです。自然界でもこれが正常な状態とされてきました
極めて不規則に変化し、予測が困難
マイルド型とワイルド型の中間
予想以上にランダム
19世紀の数学者コーシーは、ガウスとは異なった誤差理論(コーシー曲線)を考えました。
目隠しをしたアーチェリー選手の撃った結果は、時には外れ方が半端なく大きくなります。そして誤差は正規分布になりません。
たった1回でも大きく外すと平均値が大きく書き換わるため平均値は一定に収束せず、標準偏差は無限大になります。
ガウスは大きな変化はたくさんの小さな変化の結果と考えました。しかしコーシーは大きな変化は意外に高い確率で発生すると考えたのです。
図4で、最も背の低い曲線が正規分布、最も背が高い曲線がコーシー分布の曲線です。
その中間の高さの曲線はマンデルブロ氏が調べた実際の市場における綿花の価格の変動の分布です。
当時は、多くの学者がガウスの理論はシンプルで現実的であると考えました。しかしマンデルブロ氏はむしろコーシーの理論の方が自然に見えると言います。
金融工学の誕生とその土台
確率論がギャンブルを出発点に発達しました。逆にギャンブル要素の高い金融市場(株式市場)に確率論を持ち込んだ人たちがいました。
株式市場は確率的?
フランスの数学者ルイ・バシュリエは、株式や債券の価格の変動がランダムウォークであると考えました。
この価格の変動に確率論を適用して1900年に論文「投機の理論」を書きました。ランダムウォークとは価格動向が確率的に等しく上下する(ボラティリティ)場合の振る舞いです。このランダムウォークの分布は正規分布で表現できます。
さらにバシュリエは債券価格の値動きに微粒子の不規則な動き「ブラウン運動」の理論を応用しました。
当時フランスでは株式以外にオプションやワラント債などが活発に取引されていました。バシュリエは実際にオプション取引や先物取引の価格付けに自分の理論を当てはめてみたところ、利益を上げた人の割合はバシュリエの理論と一致しました。
このときバシュリエは以下の2つを仮定しました。
- 価格の変化は過去の変化の影響を受けない
- 価格の変化は正規分布に従う
これを前提としてバシュリエのモデルに従って、逆の方向の値動きをする株式や債券を組み合わせれば、リスクに応じた収益性の高い金融商品の組合せ(ポートフォリオ)をつくることができます。これは現代の金融商品(例えば投資信託)そのものです。
しかし、不幸なことにバシュリエは生まれたのが早すぎました。生前は全く評価されませんでしたが、彼の理論は彼の死後、1950年代になってハリー・マーコヴィッツ、ウイリアム・シャープ、ポール・サミュエルソン、ユージン・ファーマらが取り上げました。
より洗練され高度化し、これが現代のファイナンス理論の基礎となりました。
ファイナンス理論は次の「効率的市場仮説」を前提としています。
- 常に多数の投資家が収益の安全性を分析・評価している
- 新しいニュースは常に他のニュースと独立してランダムに市場に届く
- 株価は新しいニュースによって即座に調整される
- 株価は常に全ての情報を反映している
現実はこの前提を完全に満たしておらず、金融理論は現実を一部無視した主観的な面があります。
一方、この理論はシンプルで使いやすく、大半の市場にはよく適合します。そのため、現在も金融業界で広く用いられています。
ところが稀に、現実はこの前提から外れ、大きな変動が発生します。
マーコヴィッツとCAPM
シカゴ大学のマーコヴィッツは、リスクとリターンの関係を表す数式に確率論を用いました。これを元に現代ポートフォリオ理論を考え現代の金融工学を確立しました。
また企業の株式のパフォーマンスを定量化するためにCAPM(資本資産価格モデル、Capital Asset Pricing Model)を考案しました。このCAPMは今も企業が投資先としての自社の価値を示すのに使用しています。
CAPMでは、ある株式に期待されるリターンは個別の株式が持つβ値とリスクフリー・レートから計算します。
E(r) = rf + β(rM-rf)
E(r): 任意の株式の期待リターン
rf: リスクフリー・レート(実際は国債の利回り)
β: 任意の株式のβ値
rM:マーケットが期待するリターン
CAPMから計算した株式投資期待収益率E(r)は、企業側から見れば株主コストです。
この株主コストと負債コストを加重平均すると企業が調達している資本のコスト(WACC、加重平均資本コスト)が計算できます。 このWACCで個別案件が生み出す将来のフリー・キャッシュフローを割り引けば、個別の投資案件の採算性が評価できます。
このβ値は企業の株式が市場全体の株価の動きよりも大きく変動するか、小さく変動するかを表します。つまりその株式のリスクを示します。大きなリターンを求める投資家はβの高い株式を狙い、リスクを嫌う投資家はβの低い株式を選択します。
1960年ウイリアム・シャープはマーコヴィッツに
「効率的市場仮説が正しいのであれば、効率的なポートフォリオは一つだけになるのではないか」
と尋ねたところ、彼の答えはイエスでした。これを実現したのがインデックス・ファンドです。
ブラック=ショールズの公式
デリバティブなどオプションの価格は、すでにバシュリエが1900年の論文でオプションの評価式を考案しました。しかしオプションの価格評価の中で、リスクの市場価格を明示できなかったため実用性は乏しいままでした。
1965年にハーバード大学からアーサー・D・リトルに移ったフィッシャー・ブラックは、ワラント債の評価式を研究しました。そして1969年にワラントの評価式を導出しました。しかしブラックは方程式を解くことができませんでした。
ところが同じ1969年マサチューセッツ工科大学(MIT)に移籍すると、ブラックはこれが熱伝導方程式の一種であることには気付きました。そしてMITのマイロン・ショールズと共に評価式を完成させました。そして実際にこの評価式を使って割安なワラント債を買ってみたところ、この評価式はオプションの評価に十分使えることが分かりました。
そして1970年オプションの評価式としてこのブラック=ショールズの公式を発表しました。これにより市場で取引されていたオプションやワラント債などデリバティブの適正な価格が算出できるようになりました。
S : 原資産である株式価格
N(α) : 正規分布に従う確率変数がα以下の値をとる確率、すなわち正規分布の累積分布関数
K : コール・オプションの行使価格
t : 満期時点(年単位)
r : オプションの満期に対応する無リスク金利(連続複利ベース)
e-rt : 時点tで発生するキャッシュ・フローを、連続複利金利rで現在価値に引き直すための割引係数(ディスカウント・ファクター)
σ : ボラティリティ(原資産の収益率の標準偏差)
【背景】
1950年代、60年代はアメリカの黄金時代でした。企業は年々成長し株価は多くの銘柄で値上がりが続きましたしかし1971年ドルは変動相場制に移行し、その後到来したオイルショックの影響もあり、アメリカは長い不況に見舞われました。企業の成長も鈍化しました。一方1973年にはシカゴにオプション取引所が開設され、株式以外の金融商品の取引が活発になりました。そこでオプション価格の算定のニーズが高まりました。
1993年にショールズはロバート・マートンと共にヘッジファンド「ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)」に参画しました。LTCMは当初4年間に40%を超える平均年間利回りという驚異的な成績を上げました。そして各国の金融機関の資金など合わせて1000億ドルを運用しました。
しかしアジア通貨危機によるロシア債券価格の急落により経営破綻しました。ブラック=ショールズの公式にはアジア通貨危機は盛り込まれていなかったようです。
経済学の流行
金融工学や経済学に対し、マンデルブロ氏は「伝統的な金融工学は以下の仮定に基づいている」と言います。
- 人間は合理的に考え、豊かになることだけを目的としている
- 投資家の行うことは全て似たり寄ったり
- 株式や債券の価格が急変することはない
《理論上は》 合理的に意思決定する
《現実は》 意思決定は時には非合理(これは行動経済学で明かされた)
《理論上は》 同じように行動する
《現実は》 投資家の行動は同じではない
《理論上は》 少しずつ変化する
《現実は》 時には激しく変化する
金融工学が価格の変動をブラウン運動とみなして価格を算定するためには、以下の3つの理論上の仮定があります。
- 過去の価格は現在の価格に影響しない
- 価格の変動は統計的には定常性がある
- 価格の変動は正規分布に従う
しかし現実はそれほど単純ではありません。
ところが多くの経済学者は、単純なモデルを使ってきれいな結果を出すことを重視しています。そしてモデルが現実に合わない時は「アノマリー」(異常)とし、モデルを見直そうとはしません。
- 金融モデルは市場の動きを正確に予想できるか
- 現代ポートフォリオ理論に従えば安全で利益を出せる投資戦略が立てられるか
- 金融アナリストやCFOはCAPMを利用して正しい判断をしているか
「この3つ問いの答えがイエスならモデルの妥当性に文句をつけるべきではない」
とアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンは述べています。
稀に起こる突発的な変化を「アノマリー」として除外すれば金融工学のモデルは実用的で現実に十分適合します。
ただし、それは「突発的な変化による被害が自分に及ばない時」に限ります。
カオス理論が明かす想定外の変化
カオスとは「混沌」を意味する英語で、語源はギリシャ語のkhaosです。
これは宇宙が成立する以前の秩序なき状態を意味します。
カオス理論のカオスは、数学用語です。これは「決定論的システムにおける確率論的なふるまい」を意味します。
これはどういうことでしょうか?
カオス理論とフラクタル
フランスの数学者アンリ・ポアンカレは、
微分方程式の解が一つだけ決まるということは、その運動が何度も繰り返す、つまり周期性を持っている
ということを発見しました。
トポロジー(位相幾何学)
トポロジーは数学の一分野です。
何らかの形(又は「空間」)を曲げたり伸ばしたり(切ったり貼ったりはしない)しても保たれる性質のことです。このトポロジーは、空間、次元、変換といった概念の研究から生まれました。
オイラーの多面体公式が知られ、20世紀中頃には数学の著名な一分野になりました。
位相空間の中でひとつの点が閉曲線に従って運動すれば、その点は同じ運動を永久に繰り返します。
図7は理想化された線形運動である振り子の位相空間線図です。振り子の振動は円を描きます。この円の大きさは、初期条件によって変わります。
実際の振り子の運動の位相空間線図は非線形のため、理想化された線形運動のものとは大きく異なります。
ポアンカレ断面
微分方程式の解が一つだけ決まる場合、その運動は周期性があります。その場合、曲線は必ず出発点に戻ってきます。
ポアンカレは、位相空間の中で、周期運動する軌跡が出発点と同じ位置に戻ってくる断面をポアンカレ断面と呼びました。つまりポアンカレ断面があれば、その運動方程式は周期解が必ず存在するということです。
カオス理論
決定論とは
「初期値を与えると必然的に未来での振る舞いが与えられる」
ことです。
決定論的なふるまいをする事象が非線形の場合、初期値がわずかに異なっただけで予想できない不規則な現象が起きます。
これをカオスと呼びます。
ある事象がカオスかどうかの判定はフラクタル次元というものを使用します。
フラクタルは、カオスの逆プロセスのことです。そしてある事象のフラクタル次元が「非整数」であればカオスです。
例えば生物の数の増加を示す微分方程式の解は、最初急激に増加した後、ある値に収束します。
しかし実際の生物の増加は、連続的でなく離散的です。そこでこの微分方程式を差分方程式に変換します。すると解は、定常状態から周期状態、さらに不規則な状態へ変化を続けます。
これがカオスです。
ストレンジ・アトラクター
アトラクターとは「何かを引きつけたり、吸い寄せたりする」という意味です。
カオス軌道を位相空間にプロットすると不思議な形になります。ループやらせんが合流せず、決して交わりません。これをストレンジ・アトラクターと呼びます。
ストレンジ・アトラクターは無限の細部構造を持っています。その一部を拡大すると同じ様な細部構造が現れます。つまり自己相似性質があります。(フラクタル)
バタフライ効果
バタフライ効果とは、力学系のわずかな変化により、その後の系の状態が大きく異なってしまうことです。
気象学者のエドワード・ローレンツの
「蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?」
という問いからバタフライ効果と呼ばれるようになりました。
ローレンツの研究では観測誤差をゼロにしない限り正確な長期予測は困難という結論に達しました。
ローレンツ方程式における初期値鋭敏性(バタフライ効果)の例。横軸は時間、縦軸はある変数の変化を示す。水色は初期値 1.001、紫は 1.0001、朱色は 1.00001 で、最初のころはほとんど同じ動きだが、ある程度時間が過ぎたところで全く違った動きになる。(Wikipediaより)
バタフライ効果の例
一方バタフライ効果は、ローレンツが研究・発表した3元連立非線形常微分方程式(ローレンツ方程式)が生み出すストレンジ・アトラクターの形状に由来するという意見もあります。
フラクタル
フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが提唱した幾何学の概念です。図形の部分と全体が自己相似になっているものを指します。
具体的な例に海岸線の形があります。一般的の地形は複雑な図形でも拡大すれば滑らかな形状になりますが、海岸線はどれだけ拡大しても同じように複雑な形状が現れます。
そのため海岸線の長さは、小さい物差しで測れば測るほど微細な凹凸が測定されて長くなります。つまり図形の長さは無限大になってしまい、無限の精度を要求されれば測ることはできません(海岸線のパラドックス)。
フラクタル次元はこの様な図形を評価するためのものです。
比較的滑らかな海岸線のフラクタル次元は線の次元1に近く、リアス式海岸のような複雑な海岸線のフラクタル次元はより大きな値になります。なお、実際の海岸線のフラクタル次元は1.1 – 1.4程度とされています。以下はフラクタル図形の例です。これらの図形はすべて数式が表されています。
自然界の不均衡
生態学のA・J・ニコルソンはアオバエの個体群の大きさを研究しました。
容器の中でアオバエを繁殖させると、1万匹まで増えて容器は一杯になります。個体数は急激に減少します。
そしてある程度減少すると空間に余裕ができ、個体数は再び増加します。
このサイクルは38日で繰り返されますが、前と同じになることはなく、周期的に揺らぎます。
伝染病の流行もカオス的なものが見られました。イングランドとウェールズの風疹患者の時系列(1948-1966年)での増減もカオスとしてモデル化できました。
カオス理論で品質を改善
1994年SRAMA(バネ研究製造協会)のレン・レイノルズは、バネの品質を安定させるには素材の加工性が重要だと考えました。
そこでバネのテストサンプルをつくり、出来上がったバネのピッチを測定しました。この測定データが時系列に変化することに着目して、カオス理論のリュエル・ターケンスの位相空間再構成を使ってアトラクターを図式化しました。
このアトラクターには、巻取り性の良い線材とそうでない線材の違いをはっきりと示しました。
そこで新たに補助金を使ってSRAMAとウォーリック大学数学研究所は共同でFRACMATテストマシンを開発しました。
このテストマシンは、コンピューターによってデータを統計分析、およびカオス理論分析を行い、弾性/摩擦線の連続変動を定量化しました。
これによりワイヤー製造者は高品質のワイヤーを確実に顧客に提供できました。スプリングメーカーは、一貫性のないワイヤーを排除したことでセットアップの時間が短縮されました。
想定外に戸惑わないために
近代科学の幕開けは、ニュートンによって世界をシンプルな数学で表したことです。
しかしその過程で複雑な自然現象を解析的に解くために、現実から乖離したモデルに修正しなければなりませんでした。
この前提条件に気づかずに複雑なシステムを構成すると、自然界本来の姿がモデルと違った姿を現した時、モデルは瓦解し、私たちは戸惑います。
「想定外!」、これが原因かもしれません。
もっと安全が必要
マンデルブロ氏は、金融工学が前提となっている正規分布にも疑問を持っています。
そして実際に正規分布でないものはとても多く存在します。
イタリアの経済学者パレートはスイス、ドイツ、イギリスなど様々な国の税金の記録などを調べ、所得の分布をグラフ化しました。
驚くべきことにどのデータも偏っていて正規分布ではありませんでした。図15は日本の世帯ごとの所得分布です。
いつの時代も富は一部の特権層に集中していて、最も多い中間層は上に上がる可能性もあれば、最下層に落ちる可能性もあります。そして一定の最下層は劣悪な環境に置かれます。これは正規分布でなくべき乗分布です。その結果、所得の平均値はわれわれの実感とは乖離しています。
長期にわたる価格変動のデータとして、マンデルブロはアメリカの綿花の価格に注目し、100年分のデータを分析しました。その結果、価格のゆらぎ(ボラリティ)はバシュリエの理論とは大きく異なっていました。
データを増やすと標準偏差は大きくなりました。つまり正規分布よりも大きなゆらぎがあったのです。
そこで対数でプロットすると直線状になりました。つまりこれもべき乗分布でした。
また価格の日次、月次、年次の変化をプロットするとか、どれも似ていました。つまり大きな変動が発生する割合はどの時間スケールでも同じでした。このような変化はフラクタル的、つまりカオス的でした。
1906年ハロルド・エドウィン・ハーストはナイル川の水不足に対処するために過去の洪水の記録を調べました。そして、どのくらいの容量のダムが必要か調査しました。
調査の結果、洪水と干ばつはランダムに起きるのでなく、洪水が起きれば翌年も洪水が起きる「長期記憶性」がありました。ハーストは他の河川のデータも調べて、どの河川にもある公式が当てはまることを発見しました。その結果、変動の幅は、時間の平方根(0.5乗)で広がるのでなく、3/4乗(0.75乗)で広がりました。
これをハーストは自然の本質的な性質と断定しました。
マンデルブロ氏の金融への提言
マンデルブロ氏は、市場価格は乱高下するものと考え、以下のように提言しています。
- 金融市場の価格は正規分布でなく、ワイルド型で変動する乱流であり、変動は集中し不連続で急激に変化する。変化が大きければ市場のリスクは極めて高くなる。
- 市場が乱流のため、既存の金融理論(正規分布)では起こるはずのないリスクが現実には起こる。従ってどの株式に投資するかよりも、株式、債券、現金にどのように配分するかの方が重要。
- 特に市場のタイミングは重要。巨額の利益と損失は極めて短時間に起きるため、「すぐに買って、すぐに売る」ことが良い結果を生む。
- 価格は不連続にジャンプし、それがリスクをより高くする。些細な情報で投資家が行動するとそれが大きな変動をもたらす(バタフライ効果)。そのため価格は不連続に大きく変動する。
- 市場における価値は限定された価値。経済アナリストは企業の年次報告書から企業の価値を推定し、あるいはそれぞれの国のインフレ率や金利から為替レートを推測する。しかしワイルドに価格が変動するものの価値を算出できるだろうか。
実は固有の価値の根拠はありません。それなのにあたかも価値が算定できるかのような取組は、多くの問題を抱えることとなります。
自然界の予測不可能性
金融工学では、前提条件が現実と合ってなく、前提条件を正規分布と仮定したため、実際の価格の変動はもっと大きくなります。さらに価格の変動は長期記憶性があるため、長いスパンで増加や減少が続きます。そしてこれがバブルを引き起こします。
これを自然界に当てはめて考えると、我々が解き明かしたと思っていた自然現象、例えば、
音響、振動、運動、流体、物体の変形なども、現実を無理に線形微分方程式に置き換えたものが多いことに気付かされます。しかし実際の自然現象は非線形が多くあります。つまり使っているモデルが現実に合いません。
こういった非線形の問題を解決するアプローチとしてカオス理論は今後有望です。
特に長い期間の変動には長期記憶性があるため、正規分布モデルは不十分です。十分に安全を確保するならば、堤防はもっと高く、ダムの水はもっと多く、防潮堤はもっと高くしなければなりません。また例え解くことができた線形微分方程式でも、初期条件のわずかな変動により結果が大きく変わることがあります。
工学でも誤差の解析は正規分布を前提としています。では、その前提条件は本当に合っているのでしょうか。分布が異なれば、結果は違うものとなります。
長期的に堅牢なシステムをつくるには
- 長期スパンでの変動を考慮
- 僅かな初期条件の違いによる結果の影響を考慮
- 正規分布などの前提条件が間違いないか、検証
このような取組が必要です。
参考文献
「禁断の市場」 ベノワ・B・マンデルブロ 著 東洋経済新報社
「カオス的世界像」 イアン・スチュワート著 白揚社
「複雑系を超えて」 上田 睆亮、稲垣 耕作、西村 和雄著 筑摩書房
経営コラム ものづくりの未来と経営
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組織の進化形『ティール組織』
「上司が部下の管理を行わない」
「社員がやりたいことを自由に決める」
今そんな組織が話題になっています。
フレデリック・ラルーが2014年に著書「Reinventing Organizations」で提唱した組織のことです。日本語版「ティール組織」は2018年に発刊され、7万部を超えるベストセラーになりました。
今日、単純作業は減少し、創造的な業務はますます増えています。にもかかわらず、従来の業務管理手法では社員の創造性を十分に引き出せません。
しかも新型コロナウイルスでテレワークが普及しました。上司はオフィスにいない社員の仕事を管理しなければなりません。しかし上司は部下の仕事ぶりを直接見ることができません。
ティール組織は、これらの課題を解決する次世代の組織なのでしょうか?
ティール組織について考えてみます。
ティール組織とは
ティールとは何を意味するのでしょうか?
ティールは、青緑色という意味の英単語です。ラルーは、組織の進化過程を5つに分類しました。そしてそれぞれ5つのモデルを色で分けました。その中で、最も新しい組織モデルをティール(青緑色)で表しました。
ラルーは社会や組織を研究し、人の意識が高くなれば組織は次のステージに向かうと考え、そのステージを進化型組織と名付けました。そしてラルーは実際に実現している企業を調査し、その結果を「ティール組織」で出版しました。
ではラルーの考える組織のステージとはどのようなものでしょうか?
ティール組織の概要
ラルーは組織のステージを色で表現しました。組織が形成される以前のステージ、家族単位での集団を無色、部族単位でのグループをマゼンタで表現しました。
レッド組織(衝動型組織)
レッド組織とは
最も古い組織です。
圧倒的な力を持ったリーダーにより、各メンバーに対する強い上下関係があります。組織内はリーダーが恐怖によってメンバーを統率・支配しており、代表的なレッド組織はマフィアやギャングなどです。
自己中心的な考え方のメンバーによって構成され、自分以外の人間を脅威と思っています。恐怖により支配しているため、リーダー自身もメンバーからの脅威に対抗しています。メンバーは圧倒的な力のあるリーダーから自分を守るために無条件に従うしかありません。
レッド組織は将来的な発展や成長を考えず、短絡的・衝動的な行動を取ります。実際の日本のやくざ組織などは、恐怖というより情と相互依存関係で成り立っています。
組織論の視点
組織論ではフラット型組織です。トップがすべてのメンバーを直接指示します。
意思決定が早く、小規模な組織では効率が高いですが、組織の成果はリーダーの力量に左右されます。各メンバーは常にリーダーの方を向き、メンバー間の協力は希薄です。自分に都合がよいように他のメンバーを貶めたり、リーダーへごまをすることもあります。
アンバー組織(順応型組織)
アンバー組織とは
権力や階級、制度などの概念が組み込まれたピラミッド型組織です。組織の中での各メンバーの役割は決まっています。
指示はトップダウンで、組織の階層を上から下へと向かい、短時間に効率よく組織が動きます。組織ルールに基づいて運営され、組織内での秩序が重んじられます。
安定して運営ができますが、変化への対応は弱いです。特定のリーダーに依存しないため再現性が高く、組織は長期的に継続できます。政府機関や宗教団体、軍隊などがアンバー組織に該当します。
例えば、軍隊は戦闘のため何万人もの兵士が組織的に行動します。トップの司令官の命令に従い、末端の兵士は即座に的確に行動して作戦を遂行します。軍隊では命令は絶対服従で、命令に背けば軍法会議にかけられます。変化に対する臨機応変の対応力には弱く、過去の戦争でも想定外の事態に対応できず甚大な被害を受けた例は多いです。
組織論では官僚型組織
組織の構成員が増えると、フラット型組織はメンバーへの管理が不足し、活動が非効率になります。メンバーを効率よく組織化し、系統的に指示命令を行うために組織を階層型にして、メンバーには階層に応じた役割を分担します。重要な意思決定は上位階層が行い、メンバーはそれに従います。
実際に業務を行う末端のメンバーからの現場の情報は、トップに伝わりにくく、時間がかかります。しかも途中階層の管理者が情報を歪曲することもあります。ピラミッド型組織では、組織の存続自体が目的化します。部門間で対立が生じ、組織の効率は低下します。
オレンジ組織(達成型組織)
オレンジ組織とは
ピラミッド型の階層ですが、メンバーは成果を挙げれば階層を上に上がることが(昇進)できます。能力のあるメンバーを活用し、組織の成果を高めることができます。
組織の第一の目的は成果を上げることです。目標と実績管理を徹底し、メンバーに対し常に目標を達成するための努力と高い意欲を求めます。組織の価値観は目標とその達成、メンバーに対しては評価と昇進です。
組織論では
組織論では同じピラミッド型組織です。目標管理と評価制度、昇進の仕組みが組織に組み込まれています。アンバー組織はオレンジ組織ほど緻密な目標管理と評価制度がなく、評価は失敗による減点方式(アンバーの例 行政機構)です。
グリーン組織(多元型組織)
グリーン組織とは
オレンジ組織のようにトップダウンで目標を設定するのでなく、メンバーにある程度裁量権を持たせた組織です。リーダーはメンバーの主体性を尊重し、メンバーが最大の成果を出せるようにサポートに徹します。サーバント・リーダーシップ(サーバント召使の意味)と言われます。
メンバーの多様な価値観を認めていますが、トップの強制がないため、組織が行動するにはメンバーの合意形成(コンセンサス)が必要になります。そのため意思決定プロセスが複雑で意思決定に時間がかかります。ただし、コンセンサスを取っても最終的な決定権はリーダーにあります。
組織論から見ると
組織は階層型ですが、ボトムアップ型のアプローチとメンバー間の合意形成の点が異なります。
多くの日本企業は根回しや会議でのコンセンサスなどメンバーの合意のプロセスがありますが、リーダーが自身の保身や業績に意識が向けばコンセンサスが歪みます。例えボトムアップで良い提案が出てもリーダーは自分に都合の良いもの、リスクの低いものしか許可しません。
ラルーは、意思決定のプロセスから組織の進化を「リーダーの指向がアンバー(昇進)、オレンジ(成績)であれば、ボトムアップやコンセンサスなどグリーン組織のプロセスがうまくいかない」と述べています。
ティール組織(進化型組織)
各メンバーが体の組織のように自律的かつ調和的に協働することで、組織が「一つの生命体」のように活動します。
リーダーに強い権限がなく、メンバーが多くのことを決定します。メンバーは組織の社会的使命を理解しており、メンバー間のコンセンサスよりも自らが進んで課題を解決することを優先します。そのため、意思決定に時間がかかりません。
ではこの進化したティール組織とは、どのようなものでしょうか?
ティール組織の特徴
最初の特徴は組織の存在目的を問い続けることです。
存在目的(Evolutionary purpose)
ティール組織のリーダーは「なんのためにこの組織は存在しているのか?」と組織の存在目的を確認し続けることが必要です。
組織が陳腐化することを防ぎ、生命体のように組織自身を変化させ続けます。これをEvolutionary purpose、つまり「進化する目的」と呼びます。それには常に耳を澄ませ、組織が将来どうなりたいのか、感じ取る(センシングする)ことが必要です。なぜこの組織は存在しているのかを、組織のメンバーひとりひとりが考え続けます。もし一人でも新しい人が入れば、組織の存在目的が変わることもあります。
3つの問い
- 「あなたの組織はこの世界に何を実現したいか」
- 「世界はあなたの組織に何を望んでいるのか?何を期待しているのか?」
- 「あなたの組織がなかったら世界は何を失うのか?」
【誰も座らない椅子】
会議に「誰も座らない椅子」という空席を設けます。会議中、必要に応じて、誰かが着席して組織の声を代弁します。
この椅子は「組織の存在目的」を表す意味があり、参加者に常に目的を確認しようというメッセージを発します。
事例企業 FAVIの存在目的
- 仕事の少ない北フランスの田舎町アランクールに十分な雇用を生み出すこと
- 顧客に愛を届け、愛を受け取ること
存在目的がメンバーに浸透すれば、組織の運営は今までとどのように変わるのでしょうか?
自主経営(Self-management)
旧来組織のようなピラミッド構造の指示命令系統がなく、各メンバーが自分の裁量で意思決定を行うことができます。そのためには会社の情報は開示され、透明性が保たれています。ただし、メンバーが意思決定する際、2つの助言プロセスを経なければいけません。
- その決定に対して専門性の高い人に助言をもらう
- その決定に影響がありそうな人からも助言をもらう
そして相談されたら、真剣にアドバイスをします。
意思決定を実現するために、多くの事例ではチーム単位で活動します。チームのメンバーの目があるため、自分の利害だけで動くことはできません。各自が適切に判断するには、情報の透明性と社員への信頼が不可欠で、もし失敗したとしても励ましあう企業文化が必要になります。
経営や財務情報なども社員に全て公開し、経営者は社員を信用することが不可欠です。ティール組織には予算も計画もありません。その理由は、未来はコントロールできないからです。従来の管理と統制は、未来はコントロールできる前提で、実際に現実のコントロールを求められます。しかし現実には未来はコントロールできず、無理にコントロールを求めれば(成果を強要すれば)、メンバーは現実をゆがめてしまい、その結果企業不祥事が起きます。
セルフマネジメント
セルフマネジメントを成功させるには、明確な自社の存在目的や、社員の自立意識、情報の公開が必要になります。そういった環境が整備されていない中で、ティール組織はマネジャーがいないことだと間違った思い込みをし、マネジャーを廃止すると、以下の3つのパターンで終わってしまいます。
- 混乱して終わる
- あ、無理、となって元に戻る
- マネジャーはいなくても全員社長の顔色をうかがっている
私たちは大組織で働くことや、ありとあらゆるものを押しつけてくる「本社の役立たず」について冗談を言うことに慣れてしまっていました。ところが今や自分たちですべてをしなくてはなりません。他人に文句を言える立場にないのです。(ビュートゾルフの看護師)
報酬は自分たちで決める
ゴアテックス素材で知られる会社、W.L.ゴアは、1年に1度全社員が同僚たちを格付けします。この人は私よりも多く(あるいは少なく)会社に貢献していると格付けすればプラス3からマイナス3まで評価をし、この人には私を評価できる十分な材料又は根拠があると思えば、1から5までの段階で評価をします。これをアルゴリズムで何段階かの給与ベースにグループ分けをします。
事例 かつてのソニー
天外氏の言うソニーの不良社員たちは「上司の承認なんかもらったことがない」人たちです。勝手にOKを取り付けてきて後から報告します。天外氏がソニーの事業本部長の時、部下は、勝手に事業本部長のハンコを押して書類を回していたこともあるそうです。
メンバーが自主的に運営するティール組織、ではリーダーの役割はどのようなものでしょうか?
全体性(Wholeness)
トップをはじめとして全員が自分の弱さをさらけ出します。メンバーが自分の力を最大限に発揮するには、組織はメンバーがありのままの自分自身を出せる場所でなければなりません。リーダーが率先して自らの弱みを見せることが必要になります。
- オレンジ組織はタフネスさが求められる タフネスさの鎧を着る
- グリーン組織ではポジティブさが求められる ポジティブさの鎧を着る
グリーンは幸せで給与も高いかもしれませんが、
ポジティブを求めすぎています。
人は良い時もあれば悪い時もあり、笑顔がコンピテンシーになれば無理に笑顔をつくってしまいます。メンバーは組織で仮面をかぶらなければいけなくなり、経営者が良い会社レースを始めると、社員は自然と笑顔を強制させられます。
ティール組織ではメンバーは鎧を脱ぐ必要があります。ネクタイとスーツを鎧とすると、リーダーはあえてだらしない恰好を見せるのも一つの方法です。その方が相手も鎧を脱ぎます。
エゴは人間のエネルギーで、そのエネルギー自体は良いも悪いもありませんが、それが自然の摂理や道理、原理原則から外れるとエゴになります。リーダーのエゴが出てきてしまうと、意思決定に違和感が出ます。権力や肩書がなければ、意思決定が組織の存在目的や原理原則からずれた時に
「これはおかしいのではないか」
とお互いに言えます。
組織に鏡の役割の人をつくる
リーダーであれば、チームやメンバーをコントロールしたいという自分のエゴが出てくることがあります。リーダーのエゴを「それはおかしいのではないか」「組織の理念、存在目的に照らしてそれはどうか」と、トップに進言できる人が組織には必要です。この人は組織の鏡の役割を果たします。優れた経営をしている会社には鏡の役割の人がいます。優れた経営者は無意識にそういった人(耳の痛いことをいう人)を育てています。
事例
フランスの金属部品メーカーFAVIが深刻な不況に陥った時、社長のゾブリストは、臨時社員を解雇するかどうか、全社員を集めて自分の悩みを話しました。
すると社員は、自らの給料を25%カットし臨時社員を残すように進言しました。1時間も立たないうちにこの問題は解決しました。
その他
紛争解決
紛争になった時は、以下を試して解決します。
- まず直接会って二人だけで解決しようとする
- 解決できなかった場合は、信頼できる別の同僚に調停を依頼する
- 調停がうまくいかない場合、同僚たちの委員会を招集し、両者の言い分に耳を傾けて合意形成の手伝いをする
- 最終的にはCEOが呼ばれる
株式新聞の刊行元であるモーニングスター社の仕事の進め方の二つの原則
- 個人は決して他の人に何かを強制してはならない
- それぞれの約束を守ること
目標を設定しない効果
目標数値を設定することは、自分たちが未来を予測できるという前提に立っています。
その結果、
- 内なる動機から遠ざかった行動をするようになる
- 新しい可能性を感じ取る能力がせばまりがちになる
といった、視野を狭くする危険性があります。
このように聞くと理想的な素晴らしい組織に感じます。でも実際に運用している組織はあるのでしょうか?
事例
ラルーがティール組織と考えた組織は12社で、従業員100人以上の組織を対象としています。ただしすべてがティールというわけでなく、ティールとグリーンの中間的な組織もありました。
AES
1982年ロジャー・サントスとデニス・バーキによって設立されたエネルギー企業で、世界中に12の発電所を持ち、従業員数は4万人です。
ビュートゾルフ
2006年にヨス・デ・ブロックと看護チーム10人によって設立された高齢者や病人の在宅ケアサービスを行うNPO組織で、従業員7,000人です。バックオフィスは30人、大半がコーチで間接部門はほとんどありません。7,000人の看護師は、お互いにほとんどが会ったことがありません。困った時は社内SNSで専門知識を持った誰かに質問ができます。新しい質問が投稿されると、数時間のうちに数千人の看護師が閲覧し複数の回答が書き込まれます。
効率を上げるために電話を取るなどの雑用をなくすことで、看護師は介護に専念できます。介護も標準時間を決めてできるだけ多く訪問するようにし、マニュアルをつくってマネジャーを置きます。しかし利用者からみると、毎回看護師が変わる、時間が来ると話の途中でも帰ってしまうなどの不満が発生し、看護師からももっとやってあげたいことがあってもマニュアルにないからできないなど、仕事にやりがいがないと問題になりました。
2006年代表のヨス・デ・ブロックはマニュアルを廃止し、看護師が好きなようにサービスできるようにしました。
例 利用者と一緒に遺書を書くなど
利用者のためになるのであれば、介護の利用をやめて地域コミュニティに参加することも後押ししました。その結果、利用者満足度がオランダでNO.1になりました。
FAVI
1957年設立のフランスの金属部品メーカーで、主力製品は自動車のトランスミッションのシフトフォークです。1983年にジャン・フランソワ・ゾブリストがCEOに就き組織改革を行いました。従業員数は500人です。
ゾブリストがCEOに就いた時は従業員80人、典型的なピラミッド組織でした。ゾブリストの就任前は一人一人の出来高を計測し、ノルマに達しない場合は給料を減らしていましたが、ゾブリストは計測とノルマを撤廃しました。その結果、生産性は上がりその日の生産が終わるまでは進んで残業するようになりました。給料をもらうためだけに働くのでなく、自分の仕事に責任を持ち、きちんと仕上げることに誇りを持つように社員が認識したためでした。そしてチームとして目標を達成するため、やる気のないメンバーがさぼらないように周りメンバーが圧力をかけるようになりました。
現在はミニファクトリーと呼ばれる15~35名の21チームが活動し、各チームは特定の顧客や製品ごとに作られ、営業、生産管理、資材、人事など全ての機能を有しています。
営業は自分のチームに仕事を与えることが最大の目標です。「○○ドルの仕事を取った」のでなく「○○人分の仕事を取った」という意識です。
チームごとの仕事量がアンバランスになるとチームの代表者が集まり、忙しいチームへ何人応援するかを決めます。そして自分チームから応援に行っても良いというポランティアを募ります。各チームが必要な金額した要求しないため、予算調整も必要なく、そのままゴーサインが出ます。
サン・ハイドローリックス
油圧カートリッジとマニホールドの設計、及び製造をしている企業です。アメリカ、イギリス、ドイツ、韓国に工場があり、上場企業で従業員は900人です。
常に数百のエンジニアリングプロジェクトが動いていますが、これを全体に最適化することは困難です。どのプロジェクトを優先し、どのプロジェクトを落とすかは現場が判断します。
ティール組織と似た言葉にホラクラシー組織があります。ホラクラシー組織とはどのような組織でしょうか?
ホラクラシー組織
ホラクラシー組織はブライアン・ロバートソンの書いた「HOLACRACY 役職をなくし生産性を上げるまったく新しい組織マネジメント」で提唱された組織です。この組織の特徴は、人ではなくロール(役割)が主役となります。
従来の組織は人が階層構造をしたピラミッド組織ですが、ホラクラシーはロールが階層構造などで組織化されています。役割なので、ひとつのロールに複数人が当たりサークルとなることもあれば、他のロールと様々な関係を構築することもあります。ただし、階層の上位に決定権があるわけではなく、各サークルは独立しています。
意思決定のガバナンスもガバナンス・プロセスというロールに権限移譲されていて、ガバナンスミーティングでは組織の実態に合わせてガバナンスを定期的に更新します。
ホラクラシーは、個々のロールの責務や領域がすべて明確にされています。その上にホラクラシー憲法・メンテナンスされるシステムがあり、そのガバナンスの上には憲法という上位の規定があります。
つまり「何をしてはいけないか」を事細かく明文化することで、従来の階層型組織の管理を不要にする方法で、この点でティール組織とは大きく異なります。
ティール組織に対し、これまでの組織の問題は何でしょうか?
従来の組織の課題
管理と統制
ピラミッド型組織による管理と統制がうまくいかなくなってきた原因は、業務の複雑性が高くなり計画通りに結果が出なくなってきたためです。複雑性には2種類あります。
- Complicated 飛行機のように膨大な部品の集合体、複雑だが順序良く解いていけば解決可能
- Complex スパゲティが絡まっている状態、どうなるか予測がつかない、事前に計画を練っても無駄、失敗を覚悟してやってみて、その結果から次の対処を考える
Complicatedであれば、メンバーを組織化し、分担して取り組めば解決が可能です。
Complexであれば、計画は無意味です。やってみて失敗しながら、解決方法を見つけていきます。
そしてティール組織の世界観は、Complexです。
- 未来は予測できない
- 人は計画通りには動かない
失敗しないようにリスクを避けようとすればプロジェクトは進行しません。経営者には失敗すればすぐ首になるリスクも引き受けています。そこで組織はリスクを避けて一番安全に統率できるオレンジになります。またリスクのある提案に対して判断は慎重になります。その結果、メンバーは自分で考えなくなり、意欲は低下してしまいます。
管理し、統制を取るためにオレンジ組織になるのは、従来の従業員像が以下のようなものだからです。
- 見張らないと怠ける
- お金のためにのみ働く
- 組織より自分の利益を優先する
- 重要問題に適切な判断ができるのはトップだけ
- いつ、何を、どうするのか、自分で判断できないため命令しなければならない。
- 管理者は彼らが失敗した場合責任を取らせなければならない
これに対して、ティール組織で取り上げたAESの労働者観は以下の5点です。
- 創造的で思慮深く、信頼に足る大人で、重要な意思決定を下す能力を持っている
- 自分の判断と行動に対する説明義務を果たし、責任を取れる
- 失敗したってかまわない。私たちは失敗するものだから。時にはあえて
- ユニークだ (ユニークの意味は「他に類のない」「唯一無二の」「比類ない」)
- 自分たちの才能とスキルを使って会社と世界に貢献したい
アンバー組織のメンバーは自ら考えることは求められておらず、指示を忠実に実行することが求められています。
人「手」がほしいと言うたびに、「頭」までついてくるとはどういうわけなのだ?(ヘンリー・フォード)
ピラミッド型組織のメンバーは組織の目標達成のために考え、努力することは求められますが、それはリーダーの指示する業務の範疇に限られます。しかしComplexな世界では、リーダーが事前に計画した通りにならず、しかもメンバーは自ら判断することが許されず、組織は硬直化します。
日本型組織では実務を担当するメンバーからボトムアップの提案が出て、この提案を多くのメンバーやリーダーと合意形成(コンセンサス)して意思決定します。しかしリーダーがリスクに対し消極的だとリーダーから却下されてしまいます。
目標と評価
オレンジ組織では、高い目標を設定しそれを達成するために、メンバーの努力を求めます。その努力はメンバー自身が望んだものでなく、やらされ感、ネガティブなイメージがつきまといます。目標を達成すれば、さらに高い目標が課せられるため、あえて成果を低くすることもあります。
- 受注を減らす営業
- 生産スピードを調整する製造ライン
- 誰も高い目標を申告しない目標管理制度
目標管理をすることで、メンバーの力を抑えてしまっています。評価者が直属の上司一人なので、自分を上司によく見せようとする動機になります。上司へのごますりにエネルギーを割き、仕事の成果が落ちます。
ティール組織では社員同士の関係がウェブ上に非常に多く生まれます。同僚たち全員に自分をよく見せることは不可能なため、自分をよく見せようという気が起こらなくなります。
オレンジ組織は、葛藤が強く、葛藤を競争のエネルギーとして使っている人や、のし上がりたい人に向いています。人として、より進化すれば、のし上がりたい気持ちがなくなります。しかし、オレンジ組織のリーダーはのし上がりたい人がなります。そのためメンバーにも「のし上がりたい気持ち」を強く求めます。その点で、選挙に出て政治家になる人はのし上がりたい人ばかりです。そのため
政治は社会の進化の一番最後
になります。
責任と意欲
多くの関係者による合意形成(コンセンサス)の特徴は、決めるまでは時間がかかりますが、決まれば実行は早いです。
ジェームズ・P. ウォマックの「リーン生産方式が、世界の自動車産業をこう変える」では、日米の自動車メーカーの開発を比較して、日本メーカーはコンセンサスが得られるまでは時間がかかるが一度決まれば全員が協力して短時間に開発する、対してアメリカのメーカーは、決定は早いが決まってからもエンジン、車体、足回りなどの各担当がそれぞれの意見を主張し開発が進まない、と書いています。
しかしComplexな世界では、誰もリスクを完全に予測できず、どんな決定にもリスクが残ります。参加者全員に平等な発言権があるため、各々が勝手な発言をして決まりません。また決定したことに対して責任の所在が曖昧です。メンバーは「決まったことなので仕方がない」と従いますが、実行した結果うまくいかなくても自分の責任ではありません。こうして組織から情熱を奪っていきます。
失敗したという結果で十分に「罰」を受けているのに、その上、降格など組織上のペナルティを与えることは、一体どのような効果があるのでしょうか。ペナルティを受ければ責任を取ったことになるのでしょうか。
逸話
ラグビーU20日本代表元ヘッドコーチ中竹竜二氏は、選手に「好きにやってくれ。責任は絶対に俺が取る」と発言しました。それに対し、リーダー格の選手はこう言いました。「監督は結局何もやっていないのだから、俺が責任を取ります」「俺の働き方次第で今回は勝つか負けるかなんです」
しかし、責任感は沸き上がるものの、持てと言われて持てるものではありません。感謝、思いやり、責任感、主体性など、これらが信頼関係となって構築されなければチームとしてうまくいきません。感謝などは湧き出すものであり、教育や指導で身につけたものは無理があります。のちのち陰で愚痴を言ってしまいます。
ティールでは存在目的に対して、たまたま自分がその役割を果たしているだけで、組織全体が実現すればいいという考え方で、個人が責任を負う必要はありません。
では、これからはティール組織が広まっていくのでしょうか?
ティール組織の可能性と課題
方法論でなく思想
「ティール組織」は、よくあるコンサルタントが方法論を書いたものではありません。未来の組織はこうなるだろうという思想を述べたものです。ラルー自身、「今はグリーンの方が幸せかもしれない、ティール組織は馬車の時代であり、砂利だらけの道を誕生したばかりの車で走るようなもの」と述べています。
日本での事例は限られる
嘉村賢州氏は「ティール組織」F・ラルー著の解説者で、ラルー公認のティール組織の日本の伝道者です。NPO法人「場とつながりラボhome’s vi(ホームズ・ビー)」の代表を務め、ワークショップやファシリテーション、研修事業を行っています。従業員は10人です。
嘉村氏は自社をティール組織化に取り組んでいますが、自ら「まだ実現できていない」と認めています。
嘉村氏の会社で働く人は主婦や若者が多く、給料は高くありません。請け負う業務は行政からの仕事が大半で、単価の低い仕事も多い現状です。給与を自分で上げる仕組みもありますが、実際に上げたのは一人だけです。嘉村氏はティール組織化のコンサルティングを行っており、本格的に取り組んでいるのは2社です。日本でティール組織化を実現した例は限られ、現在ティール組織化へのノウハウもまだ少ない状況です。
ティール組織は将来組織がこうなるだろうという思想
ラルー自身、
「どうなるかわからないカオスの中に思い切って飛び込む以外にティール組織へ移行する手段はない」
と言っています。ラルー自身はティール組織化のコンサルタントでなく、「ティール組織」は将来組織がこうなるだろうという思想を表した本です。ラルー自身「今はまだグリーンの方が幸せかもしれない」と述べています。
このようにまだ生まれたばかりの思想と言えるのがティール組織です。にもかかわらずティール組織を導入するコンサルタントもいます。
ティール組織の誤解
組織と書いてあるため、企業で組織変更や組織改革のように「入れ物」と誤解されます。組織が入れ物であれば、自社に取り込むことは容易かもしれません。
ティールな企業文化
ティール組織は、実際は「ティールな企業文化」です。そして文化は組織を構成する人や人と人との関係性、明文化されていないものが含まれます。「ティールな企業文化」は自社に
導入するのに長い年月と自社独自の取組が必要
となります。他社の成功事例をポッと持ってきてできるものではありません。
それは、ティール組織は社員が変わることが必要だからです。
社員の成長が不可欠
セルフマネジメントが成功するためには、社員の高い自立意識が不可欠です。自ら意思決定するため、自分の責任はなくなりません(たとえペナルティがないとしても)。また、組織や組織の存在目的にとって最適な判断ができるように社員の成長が求められます。
アメリカのアパレル小売店ザッボスのCEOトニー・シェイ は、2014年ラルーのティール組織を読んで、導入を検討しましたが、最終的にはホラクラシーを取り入れました。トニー・シェイは、「ティール組織はコミュニケーションが得意で前のめりになっている人には良いが、ザッボスは小さな声の人にもそれなりに活躍して欲しいから、ティール組織はまだ難しい」と述べています。
一方、日本でも社員の新しい働き方に取組んでいる会社もあります。
サイボウズの取組
ティール組織ではありませんが、ソフトウェア会社のサイボウズ株式会社の創業者 社長の青野慶久氏の目指す経営も近いものがあります。
カイシャ(会社)は社員や経営者を支配する「モンスター」
青野慶久氏にとってカイシャ(会社)は社員や経営者を支配する「モンスター」であり、カイシャの代表であるサラリーマン社長は、他人から批判されないように売上と利益を最大化することに努力します。
社長が社会のためでなく自分のために働くようになると、自分のために働く部長を選ぶようになります。
そのため、職場にやらされ感が満ち、仕事は楽しくなくなり、社会の役に立っている実感もなくなってしまいます。青野氏は「サイボウズは永続させる必要はない、サイボウズは自分たちの理念を実現するためにある」と述べました。
青野氏は社員の意欲を高めるために「サイボウズのモチベーション創造メソッド」に取り組みました。
「サイボウズのモチベーション創造メソッド」では、楽しく働き続けるために「やりたい」「やれる」「やるべき」の3つが重なっている状態をどう打破するかを説いています。
- 「やりたい」は変化する、経験を積み重ねると変わる。答えは自分の中にしかない
- 「やれる」は拡大可能、スキルの向上、人のスキルを借りる(頼む)
- 「やるべき」自分の意思で選択し、結果を受け入れる覚悟
サイボウズは複業が自由で、各拠点に社員以外のいろいろな人が集まるハブオフィスがあります。
このティール組織の背景には、ある思想がありました。
ティール組織をめぐる思想
ラルーの考えにある「センシング」未来を感じ取ることは、C・オットー・シャーマーのU理論に通じるものがあります。U理論では、複雑な(Complex)問題を解決するためには、関係者は双方の利害や調整レベルの話し合いや対話からお互いが深く共感する段階になる必要があります。そうなると答えは未来の方からやってくる、感じ取る「センシング」します。
この深い理解と共感から、今まで解決できない課題を解決する考え方は、「学習する組織の提唱者」のピーター・センゲや「シンクロニシティ ~未来をつくるリーダーシップ~」の著者ジョセフ・ジャウォースキーとも共通するものがあります。
日本ではU理論の翻訳者は中土井 僚氏、由佐 美加子氏ですが、由佐 美加子氏は天外伺朗氏と共著でメンタル・モデルという本を書いています。これを下図に示します。
コロナがもたらした変化と直面する課題
ラルー氏の提唱するティール組織は将来こうなるであろうという未来の組織であり、まだ一部の企業しか実現していないのが実情です。しかし新型コロナウイルスによりテレワークが急速広まり、オレンジ組織も従来の管理手法が行き詰ってきました。
テレワークの広がり
オレンジ組織、中でも日本企業は成果主義と言いつつプロセスも重視しています。結果が出なくても「頑張っていれば」評価され、その評価は上司が部下の日常を見ていることと同義です。また失敗を恐れるマネジャーは部下の仕事を細かく管理するマイクロマネジメントの傾向が強いです。
しかし、コロナ禍で急速に広がったテレワークは部下の頑張りがあまり見えず、マイクロマネジメントもできません。ZOOMのカメラを常時ONにさせて社員の日常を見張る企業や、オフィス以上に頻繁にオンライン会議を行う上司「Teamsテロ」などが問題になりました。
しかし、どれも問題の解決にはなりません。自立した社員との上司と部下との信頼関係がなければ、テレワークはますます非効率化するでしょう。
一方、社員は本当にティール組織のようなものを望んでいるのでしょうか?
自立を望んでいるのか?
ティール組織では責任はとらされませんが、自身の失敗に変わりはありません。そのリスクを負ってでも自ら考え、行動したいと思う社員がどれだけいるでしょうか。自ら考え、意思決定するためにはトップと同等の情報を得て、自ら考えなければなりません。そして適切な意思決定ができるようになるには、組織の存在目的が明確になり、それは言葉を理解するだけでなく、メンバーひとりひとりの腹に落ちていなければいけません。
一方、組織が進化しても、組織を取り巻く社会環境が変わらなければ新しい組織は社会に適合しなくなります。
遅れる法整備
現在の金融資本主義は、株主至上主義であり、市場は株主の利益の最大化を求めます。株主こそ、オレンジ組織の考え方の代表です。ティール組織の企業が意思決定の失敗で株価が下がると、従来のオレンジ組織に戻せ、経営者を交代しろと力を行使します。
実際AESは、2001(平成13)年12月2日の米エネルギー大手エンロンの破綻に伴うアメリカのエネルギー企業の株価の暴落のあおりを受けて、株価が大幅に下がりました。株主は従来のオレンジ組織を強く要求し、創業者のデニス・バーキは辞任しました。利益の最大化でなく、自社の存在目的を追求するティール組織は、利益の最大化を目的とする株主至上主義には合いません。
日本でティール組織の企業、ダイヤモンドメディア株式会社の武井浩三は、自社の存在目的を追求する企業を応援するために、ブロックチェーンをトークン化してそれを流通させました。経営者の主体性は維持した上で、資金を調達して儲けなくても良い会社を応援することを提唱しました。例えば、債権をブロックチェーンでトークン化して、その債権をトークン取引市場に上場するILT(Initial Loan Procurement ) などは、既に行われています。
同様に労働法制も従業員が職場で働いた時間分の対価を得るという昔ながらの労働観でつくられています。それをテレワークにも持ち込むため、管理がオフィス以上に煩雑化してしまいます。もともと労働法制は、組織とメンバーの間の信頼関係を前提としていません。
今はまだ馬車の時代、砂利だらけの道を自動車が快適に走るためには、ガソリンスタンド(株式市場)、道路環境(法整備)など様々な環境を自動車に合わせて変えていく必要があります。
参考文献
「ティール組織」 フレデリック・ラルー 著 英知出版
「ティール組織へのいざない」嘉村賢州 天外伺朗 著 内外出版社
「会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない」青野慶久 著
PHP研究所
経営コラム ものづくりの未来と経営
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「思想の対立か、パラダイムの転換か?」 ~脚光を浴びるベーシックインカム~
近年話題になっているベーシックインカム、右派、左派を巻き込み様々な議論が起きています。
このベーシックインカムとはどのようなものでしょうか。
ベーシックインカムは社会のパラダイム転換となるのでしょうか。
ベーシックインカムについてまとめました。
ベーシックインカムとは?
べ―シックインカムの定義
ベーシックインカムとは、収入や労働条件にかかわりなくすべての人々に一定の現金を給付する制度です。これは以下の条件を満たすものと考えられています。
- 全ての国民に給付 (一定の要件を満たした外国人労働者も対象)
- 個人単位で給付 (世帯単位ではない)
- 無条件で給付 (所得制限を設けない)
- 現金で給付 (フードスタンプなど現物給付でない)
- 生涯にわたり定期的に給付 (安定的に給付)
ベーシックインカムに似たものとして「負の所得税」があります。負の所得税とは
一定以下の収入に対して、税金を納める代わりに収入に応じて一定の現金が給付される仕組みです。
これは経済学者ミルトン・フリードマンらが提唱しました。
生活保護などの社会保証プログラムは収入が増えると援助を受ける資格がなくなるため、労働への意欲を妨げます。そこでこれを防ぐ方法として考えられました。ただし負の所得税は収入があることが前提で、無条件に給付するベーシックインカムとはこの点で異なります。
古山明男氏は経済を商品経済、贈与経済、公共経済の三つの要素で考えました。
- 商品経済 お金で売買する
- 贈与経済 見返りを求めず与える
- 公共経済 みんなから集めて必要なことに使う
例 労働して賃金を得る、食料品を買う
家族でひとつの家計を営む、親族間や地域での慶弔金、政府による生活保護
道路の建設と維持、医療保険制度、無償義務教育
一見すると私たちは商品経済中心で生きているように見えますが、家庭や地域、社会の中では贈与経済も循環しています。社会全体で豊かさを分かち合うことで贈与経済の規模を拡大し、経済成長につなげることができます。
歴史的背景
ベーシックインカムの起源と言われているのが、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で書いた「ユートピア」という本です。そこに書かれた架空の楽園「ユートピア」では、人々は財産を共有し質素な生活を送っていました。モアはユートピアの中で
「罪人に厳しい刑罰を科すよりも現金を給付する方が犯罪の抑止になる」
と主張しました。
その後ベーシックインカムは、18世紀の思想家トマス・ペイン、19世紀にはフランス、オランダの社会主義者たちに提唱されました。第一次世界大戦後、イギリスの思想家たちによってベーシックインカムの第二の波が起きました。
その後1960年代にはアメリカでも構造的失業への懸念から「負の所得税」が検討されました。貧困層に対して安定した収入が必要という考えは、1968年に暗殺されたマーチン・ルーサー・キング牧師も演説で主張しています。
そして1986年に「ベーシックインカム欧州ネットワーク (BIEN)」の発足とともにベーシックインカムに対する第四の波が起き、現在に至っています。
今日ではベーシックインカムに対して、経済学者のハーバート・サイモン、ジョセフ・スティグリッツ、シリコンバレーの起業家イーロン・マスク(テスラ・モーターズ創業者)、クリス・ヒューズ(フェイスブック共同創業者)、エリック・シュミット(グーグル元CEO)などもベーシックインカムを支持しています。
日本では2009年に民主党が最低保証年金というベーシックインカムに近い構想を打ち立てました。また民主党政権が実施した「子供手当」は子供がいる家庭に無条件に給付するという意味でベーシックインカムに近いものです。また2009年に田中康夫氏率いる新党日本がベーシックインカムを提唱しました。2012年には大阪維新の会がベーシックインカムを政策提言に盛り込みました。民間では2008年に元ライブドアCEO堀江貴文氏が現在の社会保証制度の非効率性を批判しベーシックインカムを提唱しました。
ベーシックインカムの論者
ベーシックインカムについては、様々な人たちがそれぞれの立場で意見を述べています。しかもそれらが混然となってとても分かりにくくなっています。
ベーシックインカムが提唱された思想的背景には、ヨーロッパの思想にある社会的正義があります。根底には
「社会の富は共有財産であり、自分たちの所得と富は過去の世代の業績と努力によるもの」
という考えがあります。
例えば思想家のトマス・ペインは「土地配分の正義」において、土地は万人の共有財産と考えました。土地が価値をもたらすのは土地そのものでなく、土地に改良を加えたことによって生まれる価値と考え、土地を利用するものは社会に対して土地代を払う義務を負うべきと考えました。同様に現代の富豪の巨額の資産も個人の努力だけでないと「社会的正義」の思想では考えます。
例えばビル・ゲイツの莫大な資産は、彼の力だけでなく多くのマイクロソフトの社員の労働や努力の結果です。ところがマイクロソフトが生み出す価値の多くが彼のものになっているのは、彼に有利なルールの結果です。
個人の努力の結果よりも、特定の金儲けの仕方を優遇する人工的なルールによって得た賜物
です。
ベーシックインカムに対しては、思想的、政治的、経済学的な立場から様々な意見があります。これを大別すると、
- 新自由主義者(ネオリベラリスト)
- 自由主義者(リバタリアン)
- 共同体主義者(コミュタリアン)
です。
【新自由主義者 (ネオリベラリスト) 】
経済学的見地から社会の資源配分は、市場に委ねるべきで、政府は極力介在しない「小さな政府」であるべきという考えです。この思想は経済学のシカゴ学派などの流れを汲んでいます。現在の福祉事業は「誰にどのようなサービスをするか」政府が細かく決めていています。これに対してベーシックインカムは支給された資金の配分を個人が市場を通じて自由に行うため、経済活動の面で今までのやり方より合理性が高いことからベーシックインカムを支持しています。
【自由主義者 (リバタリアン) 】
リバタリアンが目指す究極は、国家の消失です。彼らは、政府はできる限り小さくあるべきと考え、政府の干渉を一切排除した世界を目指します。そこに至るまでの次善の策としてベーシックインカムを推奨しています。ベーシックインカムは、現在の福祉政策に比べ政府の干渉がなく、自由を手にすることができ、自分の判断で自分の人生を送ることができるからです。
リバタリアンの中でも、右派リバタリアンはベーシックインカムによって既存の福祉制度は撤廃できると主張しています。2016年のアメリカ大統領選挙でリバタリアン党ゲイリー・ジョンソン元ニューメキシコ州知事は、ベーシックインカムによって既存の福祉制度を撤廃すれば官僚機構のコストを節約できると主張しました。
これに対して左派リバタリアンは、社会全体に少額の分け前を与えることが社会正義の実現につながると考えています。
【共同体主義者 (コミュタリアン) 】
社会での平等が最重要の価値と考えて、格差の解消が最重要な課題です。ベーシックインカムは、格差の解消や平等性の観点で支持しています。これに対して、マルクス経済学の立場からは、ベーシックインカムには基本的には賛成しつつも、国家が現金を給付することで個人に対する国家権力が強まる点を懸念しています。むしろ生産や労働が企業という私的な存在で行われ、労働が賃労働となっていることが問題であり、本来の労働運動を進めて、労働を私的労働や賃労働から脱するべきと主張しています。
現代社会での変化
近年ベーシックインカムが見直されてきた背景には経済や社会が大きく変化し、仕事、つまり労働環境が大きく変化したためです。
これに対して今までの社会福祉政策は適切に対応できず様々な問題が起きています。
高度成長から低成長へ
先進国で製造業が衰退し雇用の中心はサービス業に変化しました。例えば1979年にはアメリカ国内では1960万人が製造業に従事していました。それが2017年には人口は1979年当時より1億人近く多いのにもかかわらず、
製造業の雇用は1250万人に減少しました。アメリカの雇用の1/4を担っていた製造業は現在10%に減少しました。
こういった現象は先進国に共通してみられ、かつて製造業8割、サービス業2割だった比率が、サービス業8割、製造業2割になっています。
これに伴い、雇用の中心が正社員から非正規雇用に移り、企業が社員の生活の安定を守り失業のリスクを回避するという社会モデルが機能しなくなりました。雇用の比較的安定した製造業は正社員として長期間雇用し、社員は生活の安定と各種社会保険のサービスを享受しました。
日本ではさらに終身雇用、年功序列賃金の企業が多く、生活はより安定していました。そのため日本では根強い正社員信仰があります。
しかしサービスは製造業のように作り置きすることができず、必要な時に必要なだけ提供しなければならないため、雇用は必然的に不安定になりました。少ない正社員に多くの非正規雇用という構成になり、非正規社員の雇用は不安定で高い失業リスクにさらされています。しかし
現在の社会保証は長期雇用の正社員を前提に作られているため、非正規雇用者が失業すると十分な社会保証が受けられず、
苦しい状況に追い込まれます。
19世紀はじめイギリス ノッティンガムの労働者は当時普及し始めた自動織機に対して、よりよい雇用と賃金を求めて織機を破壊した「ラッダイト運動」を行いました。しかし労働者の危惧に反して雇用は増え続け「ラッダイトの虚説」と呼ばれるようになりました。技術の進歩に伴い雇用は増え続け、世の中にある仕事は一定量と考えるのは誤りとする「労働塊の誤謬」は、経済学者などから広く信じられてきました。しかし今日急速なコンピューターの進歩により労働の多くは、コンピューターの方が正確で効率的になってきました。従って「労働塊の誤謬」が崩れつつあると警鐘をならす人もいます。
フェイスブックAIリサーチ(FAIR)は、様々な交渉に対応できるチャットボットを開発しました。AI(人工知能)を活用し最初は単純な定型交渉から学習し、徐々に交渉能力を高めています。現在では、価値の低い提案に偽りの関心を示したり、交渉が進んでから妥協するなど、すでに高度な交渉テクニックも習得しています。同様にAIチャットボットなども大きく進化しました。現在は話している相手がチャットボットだと気づかないような自然な英語の文章をつくることができます。
このようなAIの開発は多額の費用がかかります。しかし一度開発すれば、その機能はコストゼロで大量にコピーできます。そうなるとコストの点で人間はAIにかないません。今後はこういったAIがビジネスでの簡単な交渉やコールセンターに使われるでしょう。そうなれば多くの雇用が失われます。
先進国が抱える根本的な経済課題は、先進国は社会資本が十分に充実したため投資が減少していること、そのため国内市場がこれ以上成長しないことです。高度成長期までは先進国も人口が増加し、街や道路など社会インフラに大きな投資が必要でした。また新しい製品や事業が立ち上がれば、新たに工場を建設し、投資や雇用が増えました。
しかし成熟期に入るとこういった投資は減少し、先進国は需要不足に陥りました。日本は、バブル景気による過剰な投資と、バブル崩壊による経済の縮小が短期間に起きたため、この需要不足が短期間に起きました。そのため最近まで、この需要不足と低成長は日本固有の問題と思われていました。ところが2000年代に入ると他の先進国も
日本と同様に深刻な需要不足と低成長に直面し「日本化」しました。
古山氏は「アベノミクスがいくら大規模な金融緩和を行っても実体経済に比べてはるかに大きな金融市場が緩和したマネーを吸収してしまうため、いくらマネーを供給してもインフレすら起こせない」と述べています。そのためアベノミクスは「民間での需要不足を政府支出が補っているにすぎない」と言い切ります。
円安で輸出企業が好業績を上げても国内市場は需要不足なので企業の利益は国内の投資には回りません。安倍政権が提唱した
トリクルダウンは、富裕層の富が国内へ再投資され、国内市場に還元されなければ起きません。
しかし富裕層の富は金融市場に吸収され国内に投資されず、そのため雇用と賃金は変わらず、むしろ円安による原料高から輸入品は高くなり、実感なき景気回復になりました。
社会保障制度の弱体化
近年各国で社会保証制度の見直しが行われ、社会的な弱者である貧困層は一層苦しい状況追い込まれています。
例えばアメリカは1990年代の自由主義改革により医療の現物給付を減らし、自己負担率を増加しました。その結果、保険外診療の比率が高まりました。多くの人は民間の医療保険に加入しますが、医療保険がカバーする範囲は限定され、一度大きな病気で医者にかかると借金漬けになってしまいます。
2005年の統計でアメリカの204万人の個人破産者のうち、半数は医療費の負担が原因でした。高齢者用の公的医療保険(メディケア)にも制約があり、慢性的な糖尿病は薬が全額自己負担になる州もあります。
一方、貧困者への支援は、例えばバウチャー(引換券)など現物給付は、多くの行政コストがかかる反面、必要な人々に必要なものが届いていないという問題があります。インドの「公共配給システム(PDS)」は、1ルピーの食料を配給するために3.65ルピーの行政コストがかかっています。アメリカの「補助的栄養支援プログラム(SNAP)」フードスタンプ制度は換金が禁止されています。そのためフードスタンプの配布と不正利用の監視のため巨大な行政機構が必要で、そのために多額のコストがかかっています。
このような現物給付による支援は
「困窮者が何を必要としているか」は、本人よりも政府の方がよく理解しているというパターナリスティックな(父権的干渉主義)前提
に立っています。なぜなら貧しい人に現金を給付するとアルコールやギャンブルなど好ましくないものに浪費すると決めつけているからです。しかし現物給付は人間の自由を拡大できず、本人が収入を得るために必要な投資に使えません。さらに現物給付は受給者に「施しを受けている」という恥辱感を与え、卑屈な心理を植え付けます。
現代社会の課題
経済成長の終焉
成熟社会は貨幣によって満たすことができる欲求が飽和して、先進国では市場の伸びが鈍化しています。成熟社会において人々の価値観や欲求は「お金で買えないもの」、「豊かな人間関係」、「社会的な承認」、「自然との共生」などに向かいます。こういった活動は金銭的な価値を生みにくく経済活動になじみくい活動です。
また成熟社会の特徴として、自国内で需要を掘り起こし生産を拡大できないため、生産能力が過剰になり労働力が余る点があります。そのため慢性的な失業問題に悩まされます。さらに新興国が台頭してきて先進国の少ない生産物の需要を新興国が生産し奪っていきます。生産拠点のグローバル化は労働市場のグローバル化を招き、先進国の労働者の賃金は、新興国の労働者の賃金との競争にさらされています。
先進国の労働者はこうした低賃金の圧力にさらされ、しかもある日、生産拠点が海外に移管されてしまいます。そして国内産業が空洞化します。
これに対して近年の先進国のイノベーションはITの分野に集中し、イノベーションが大きな雇用を生みません。かつて航空機が発達し、航空輸送が事業化した時、機体メーカー、空港、航空会社など巨大な産業がいくつも出現しました。冷蔵庫やエアコンの普及、ビデオの商品化なども、多くの商品が行き渡るためには巨大な工場をいくつも必要とし、何万人もの雇用が生まれました。
今日ではIT技術は急速に進歩し、誰もがスマートフォンを手にし、インターネットにアクセスしています。
しかし街中の地下鉄、タクシー、映画館などは100年前と変わっていません。
「欲しいのは空飛ぶ車だったのに手に入れたのは140字だった」
IT投資家でトランプ大統領顧問ピーター・ティール氏の言葉です。
先進国では、サービス業が雇用の中心になり労働者の雇用条件は悪化しています。アメリカでは、かつてはティーンエイジャーのお小遣い稼ぎだったファーストフード店の仕事は、今では労働者の年齢が高くなりました。2013年にはファーストフード店の労働者の40%以上が25歳以上になりました。
彼らの時給は12ドル未満、フルタイムで働いても一家を支える収入にならないため、複数の仕事を掛け持ちしています。しかも技術の進歩は、ファーストフード店の仕事は単純でつまらないものに変えました。彼らの仕事は、常にアラームに追われボタンを押すだけの作業です。しかも勤務直前まで自分のシフトがわかりません。彼らの多くは休みなく働いても貧困線を下回る収入しか得られません。
ウーバーは、ギグエコノミーとして注目を浴びました。しかしウーバーの運転手はちゃんとした仕事をしていると世間からみなされず、運転手も価値ある存在だと思われていないと感じています。価格は運営側の都合で一方的に下げられることがあり、値下げの負担はドライバーに押し付けてきます。
ウーバーなどギグエコノミーの企業は、運転手、買い物代行者や配達スタッフなどサービス提供者を自社で雇用せず、契約業者としてサービス単位で買っています。そのため最低賃金を守る必要がなく、ドライバーは失業保険や社会保険も入れません。ウーバーのドライバーは
「単なる下働きだよ。人間扱いしている感じがないんだよ」
と語っています。企業が社員に向けて「あなたはパートナーです」というとき、「パートナー」という言葉の裏に「搾取」という言葉が隠されているかもしれません。
多くの先進国で平均所得は増加しているのですが、それでも中央値は横ばいです。理由は貧困層が増えているからです。イギリスでは「専門職に従事する中流層、特に南東部の中間層の暮らし向きは極めて良い。しかし所得水準がこれより下の人々は実質所得が伸び悩んでいるため借金頼みの生活だ。さらにその下には最低賃金で働く人々がいて、彼らは税金を免除されないと暮らしていけない。そして最底辺にいる人たちは仕事がなく、彼らは親や祖父母の代から職がない」ガーディアン誌のラリー・エリオットは述べています。
社会学者のエリオット・ショアは「働き過ぎのアメリカ人」の中で「競争が激しく労働者の権利保護が希薄な社会では、雇用主は多くの労働者に仕事を分配するよりも、少ない人間を長時間働かせる方を選ぶ。人を増やせば有給休暇を与えなければならないから。」と述べています。日本企業でも経費削減のため正社員の人数を減らした結果、正社員の労働時間は長くなり、非正規社員が増加しました。しかも非正規社員は彼らが望むほど十分な時間で働くことができません。
こうした不利な条件に対し50年前ならば、労働者は労働組合に所属し組合が代表して給料や福利厚生を要求しました。しかしサービス業が主体となり、サービス業は小規模な企業が多いため、労働組合の組織率は製造業よりも低くなっています。サービス業の労働者は孤立し、極めて低い所得の中で他に取るべき選択肢がありません。サービス業の多くは他社と差別化が困難で激しい競争にさらされ、生き残るために社員の労働環境はさらに悪化しています。正社員の労働時間は長くなり、業務は多様化し、さらに非正規社員の管理も加わります。こうした過酷な労働環境でも一度辞めると再び正社員に戻ることができないため辞めることができません。
この労働に対する態度はアメリカ人とヨーロッパ人では大きく異なります。かつてイギリスの貴族は、使用人や奴隷を使い自らは働かないという文化がありました。対してアメリカ人は自力で家と農場を建て、西部を開拓して(それまでそこで暮らしていた文明を破壊して)、土地を我が物にしました。アメリカ人にとって労働とは
経済的な必要性だけでなく、社会的義務であり、よい人生の基盤
でもあります。労働とは、誰でも無一文から始めて、財産と安心を築くことができるというアメリカンドリームの一部です。
このように神聖視される労働ですが、現代社会では労働に従事する人の数は半数にも満たないのです。日本では全人口の中で職に就いている人の割合は45.7%、職についていない人の方が上回っています。この職についていない人の内訳は、家事、老人、子供などです。
これがドイツでは、正規雇用者2,650万人に対して、年金生活者2,000万人、失業者500万人、生活保護や第二種失業保険受給者が200万人と、働いていない人の方が圧倒的に多くなっています。彼らはたとえ働いていなくても、消費市場の構成員として重要な役割を果たしています。これは言い方を変えれば
「私たちが食べているから、働いている人に職がある」
のです。
賃金労働の対価が減少する傍らで、必要とされるサービスはまだあります。ただ先進国ではそれが十分な対価を生み出せなくなっています。これに対してベーシックインカム推進派のドイツの起業家ゲッツ・W・ヴェルナーは
「私たちは収入、つまり貨幣によって生活できるわけでなく、他人が消費可能な商品やサービスを生産してくれることによって生活できる」
と述べています。それは彼が旧東ドイツを見ていたからです。そこでは人々はお金を持っていても、他者のために働く人がいなかったために、店に商品がなく空っぽでした。
そこでベーシックインカムを給付すれば、人々が今までは対価が合わなかった(他者のための)仕事を行うことができ、より豊かな社会が実現するとヴェルナーは考えています。
格差社会とセーフティネットの機能不全
イギリスは、失業者支援を福祉から就労支援に舵を切る「ワークフェア」を進めています。これら先進国の多くが、就業支援に多額の税金を投入していますが、実効性の高い職業訓練はできていません。その原因は職業訓練施設の目的が就労者の自立より、国からの補助金の受給になってしまっているためです。
こういった非効率な福祉政策に対して、堀江貴文氏は
「社会の富を増やすのでなく、社会全体の富を食いつぶしている負の労働があるのではないか」
と述べています。
「20万円/月の賃金の労働を作り出すのに、社会全体で30万円/月のコストをかけるなら、相手に直接20万円渡せば、10万円節約できる」という論理です。
そもそも職業訓練の問題は、正社員の仕事が十分になければ職業訓練を行っても本人が希望する正社員の仕事に就けないことです。
また最低賃金が失業を促進しているという意見があります。特に地方の賃金の実態はもっと低く、そのため働きたい人がいても、高すぎる最低賃金が雇用の妨げになっているというのです。実際震災前の東北地方で、時給400円で事務員を募集したら応募が殺到したこともありました。
時給400円でも働きたい人がいても最低賃金規制のため時給700円にせざるを得ません。時給700円の場合、それだけの生産性がなければ雇用できません。時給700円で雇用すれば、1人の粗利は1,000円必要です。
そのためには1時間当たり2000円の売上がなければなりませんが、地方ではそれだけの売上がないことも多いのです。経済が右肩上がりであれば、売上が増えて忙しくなるため、人が必要になります。売上が増えて粗利も増えるから人を雇う余裕ができます。
人口が減少し売上も下降している地方では、現在の最低賃金では人を雇いたくても雇えず、雇用は減る一方です。
そして、最低賃金ではフルタイムで働いても貯えができません。その状況で突発的な問題が発生する福祉支援がない限り生活が立て直せなくなります。つまり貧困がレジリエンスを蝕んでいます。
このレジリエンスとは人生で経験するショック(本人が選択したわけでない過酷な出来事)やハザード(結婚や出産、死などコストとリスクがもたらすライフサイクル上の出来事)に対処して、そこから自ら立ち直る力のことです。
予見できるようなリスクは、数値化することができます。そして、これは保険で対処できます。しかし(本人が選択したわけではない過酷な出来事のような) 不確実性は予見できません。そのため保険で対処することができません。
アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)によれば、アメリカ家庭のおよそ半分は、こういった非常事態に見舞われて400ドルのお金が必要になった時、借金をするか財産を売らなければ400ドルのお金が用意できません。
例えば、アメリカ人ジェイリーンは貯金をする余裕がなく110ドルの貯えがありませんでした。ある日タイヤがだめになり、タイヤを買うための110ドルのお金がなく出勤できませんでした。彼女は仕事ができなかったため、解雇されました。彼女は収入を失い、家賃を払えなくなって路上生活をするようになりました。
グローバル経済が進んだ今日、世界のどこかで下される決定によって、ある日突然職を失うこともあります。こういった自分ではコントロールできない決定によって最も弱い立場の者が直接的な打撃を被ります。
現代では、このような悪いことが起きた時のリスクとコストが労働者や一般市民に押し付けられてしまいます。そして社会階層は固定化し、しかも低賃金労働がまかり通っています。そのため、持続不能な重い債務を負ってしまっている人も多くいます。そのような人たちはショックやハザードに対処できるゆとりがないため、ショックやハザードに遭うとそこから立ち直ることが難しくなっています。
さらにアメリカでは、福祉政策から黒人を意図的に排除する人種差別があります。レーガン政権は、福祉政策を手当たり次第に受給し福祉を食い物にする「福祉の女王」がいると宣伝しました。これを受けてクリントン政権は福祉改革を行い、受給資格を州ごとに決めることができるようにしました。その結果、黒人の人口の多い州は、支出を抑えるために受給資格を厳格化しました。白人が大多数を占めるバーモント州では貧困家庭の78%が福祉給付を受けているのに対し、元奴隷州のルイジアナ州ではたった4%だったと、ワシントンDCのシンクタンク「アーバン・インスティテュート」は発表しています。
福祉から漏れる人たちがいるのは、受給するかどうかが行政担当者の恣意性と裁量で決まるからです。生活保護の捕捉率は、イギリス90%、ドイツ45%に対し日本は18%と低く、また受給する際に行政担当から個人の尊厳を傷つける言葉の数々を投げつけられることもあります。
福祉給付は、福祉受給者が就労すると福祉給付が減らされるため、就労への意欲が削がれ貧困から脱出できない「貧困のワナ」と、例え就労できて定期的な収入が得られると福祉給付が打ち切られ、その後何らかの理由で再び失業した時になかなか福祉給付が受けられない「不安定のワナ」という二つの問題があります。
その結果一度福祉給付を受けるとその状態から抜け出せず長期間受給し続けることになります。そして失業期間が長くなると社会的な落伍者として心理的なダメージも大きく、社会復帰がさらに難しくなります。
ベーシックインカムの効果
ベーシックインカムは、これまでの福祉政策と異なり、以下の長所があります。
- シンプルである
- 運用コストが低い
- 恣意性と裁量が入らない
- 働くことへのインセンティブが失われない
- 個人の尊厳を傷つけない
制度がわかりやすく、受給漏れを起こさない
資力調査や査定が不要、生活保護の職員は14,000人 (300万円/人として420億円)
生活保護は収入が得られると減額されるため、働く意欲が削がれる。また就労して生活保護がなくなると、再度失業した時に生活保護を受けるのが困難なので現状に留まろうとする。
このベーシックインカムの効果は以下の4つです。
貧困対策とセーフティネットの充実
最大の効果は確実な貧困対策を低コストで実現することです。従来の貧困対策は、受給者の資力調査や就労状態の調査に手間とコストがあり、行政の恣意性と裁量が作用し、福祉が必要な人に十分に行き渡りませんでした。むしろ
すべての国民に無条件に給付することで、きわめて低い行政コストで効率的な貧困対策が行えます。
さらに現物給付のように使途に制限がなく、自主性と自立性を保つことができます。
また発展途上国での実験結果から、ベーシックインカムによって経済的自立が得られると人々が自らの意見を持ち、民主主義が発展するという効果もあります。経済的資源があるからこそ、権利が価値を持つようになります。アメリカ合衆国憲法の起草者の一人アレキサンダー・ハミルトンは1788年に「人の生計の手立てを支配することは、その人の意思を支配することに等しい」と述べています。
消費市場の拡大
ベーシックインカムによって総需要が拡大し経済成長が実現します。ベーシックインカムは低所得層の購買力を高めますが、低所得層は富裕層よりもお金を消費に回す傾向が強いため、消費が拡大します。他の景気刺激策で富裕層の消費を高めても、地元の製品やサービスの需要は増えず、高額な輸入品にお金を使うため経済成長とともに国際収支の赤字が増加する「国際収支の天井」という問題が起きます。しかし低所得者層の支出の大半は地元での商品やサービスの購入なのでこのような問題は起きません。
またベーシックインカムは、景気の安定化装置になります。景気が良く雇用が多い時は、高収入の職に就く人も多く、ベーシックインカムを減額します。景気が悪化して雇用が減少した時は、ベーシックインカムを増額して収入の不足を補えば消費を活性化し景気を回復させることができます。
労働市場の流動化
ベーシックインカムによって最低限の収入があれば、多くの人はブラック企業で過酷な労働条件で働くくらいなら辞めることを選択します。特に専門的なスキルを必要とする職業に対して、単純労働では図5に示すような服従を強いる企業は誰も働かなくなります。
日本では根強い正社員信仰により辞められないことが職場での様々な問題の原因にもなっています。また失業しても何とか生活できれば、関心のある短期間のプロジェクトに参画したり、海外企業で働いたり、パートタイムで働いたりといった流動的な働き方ができるようになります。一方ベーシックインカムが企業の都合で解雇できる口実になることを心配する人たちもいます。
起業の活性化
日本では起業することは安定した正社員の地位を捨てることになります。起業に失敗すれば収入を得る方法がなくなり、正社員にも戻れないため大きなリスクがあります。ベーシックインカムがあれば起業に失敗しても生活に必要な最低限の収入はあるため、再起が容易になり、起業しやすくなります。そのためにはベーシックインカムを借金の担保にしないルールが必要です。
実は歴史的な大発見をした人達の多くは、経済的な制約を受けない人達でした。チャールズ・ダーウィンは裕福な一家の出身で「生活費を稼ぐ必要がなく、余暇時間がたっぷりありました」、ルネ・デカルトも生計のため学問をする必要がありませんでした。
一方こういった人々は労働統計では無業になります。しかし誰が大きな業績を上げるのかはわかりません。ゴッホは生きている間に売れた絵は1枚でした。
ベーシックインカムがあれば、生計を得ることに時間を取られず自分の興味があることに時間を費やすことができます。そして十分な才能と努力があれば社会に大きな貢献ができます。これは夢追い人を増やすことになりますが、たとえ業績を上げられなかったとしても社会と経済に害はありません。同様にスポーツや芸能活動に一生打ち込むことも可能になります。
デメリット
ベーシックインカムのデメリットとして、ある国がベーシックインカムを導入すると充実した福祉制度を目的に移民や難民が押し寄せるという危惧あります。これは経済学者ジョージ・ボージャスが充実した社会福祉は「福祉磁石」の傾向があると論文で発表しました。
実際は移民が惹かれるのは、活発な経済活動があって就職の機会があることです。
一生懸命働くことで成功する可能性があるから移民するのであり、自国より経済が停滞し仕事がない国ならば福祉制度が充実していても移民は来ません。
一方セーフティネットが充実している国は、自分達の既得権の意識が高く、反移民、半難民の感情が高くなる傾向があります。
ベーシックインカムの実験結果
ベーシックインカムは、アフリカ、インド、ブラジルなどの一部の貧困地域に社会実験がすでに行われています。
アフリカ
ナミビア共和国のオチベロ・オミタラ村では、2008年からナミビア政府が2年間ベーシックインカム給付試験事業を実施しました。1か月1人当たり100ナミビアドル(700円)を給付しました。貧困が著しいこの村では、学費が払えないために子供が小学校に行けず、人々は農場主の土地に勝手に入り込んで密漁を行いなんとか収入を得ていました。
この村ではベーシックインカムによって人々の生活は大きく変わりました。まず人々は食べ物を買い、子供は小学校に行けるようになりました。子供の栄養状態は大きく改善され、エイズ陽性の人々は診療費を払って抗エイズウィルス薬を買えるようになりました。人々が診療所に行くようになって村の診療所は経営が成り立つようになりました。
またベーシックインカムを元手に食べ物、たばこ、衣類や携帯電話などを仕入れて、商売を始める人が出てきました。あるいはミシンを買って民族伝統のドレスを作って売る人も出ました。総じて人々は、ベーシックインカムを食料や学費など必要なものに使う一方、商品の仕入れやミシンなどに投資し、より現金収入を増やすことに使いました。一方懸念されていたアルコールへの消費は増加しませんでした。現金収入があることで密漁や窃盗などの犯罪は減少しました。
インド
インド中部マディヤ・プラデシュ州で2010年から2013年にかけてベーシックインカムの試験プロジェクトが行われ、9つの村の住民6,000人全員にベーシックインカムを給付しました。その結果、これらの村ではコミュニティや家庭で現金が極度に不足していたため起きていた様々な問題が解消され、予想を上回る好成績が得られました。
今まで人々は現金がないため、医療などで急な出費があると高利貸から借金しなければなりませんでした。しかし現金収入が乏しいため債務不履行になると、返済できない代わりに地主の望むときに労働力を提供させられる「債務奴隷」になります。そのため自分の畑を耕す時間が無くなり、ますます貧しくなるという悪循環が生じていました。
ベーシックインカムにより人々は債務を減らしたり、より低額の融資を受けて、農具や種子、肥料を買って生産性を高める人が現れました。またそれまで村では女性は年長者の言うことに無条件で従っていましたが、ベーシックインカムにより経済的に自立したことで、自らの意見を言うようになりました。
イギリス
慈善団体「ブロードウェイ」は、路上生活が4年以上のホームレスに何が必要か聞いたところ、現金が必要と答えた13人に平均794ポンド(16,000円)の現金を支給しました。このうち11人は1年以内に路上生活から脱しました。13人のうち、アルコールや薬物、ギャンブルのために金を求めた者はいませんでした。彼らホームレスがこの実験に参加した理由は、自分達を施設に押し込めず、自分の人生をコントロールさせてくれるからでした。
イギリスはホームレス1人に対して、医療、警察、刑務所などに年間26,000ポンド(348万円)が費やされています。
反対派の声
意外なことにベーシックインカム反対派の急先鋒は労働組合です。ベーシックインカムが支給されると人々が労働組合に加入しなくなることを恐れているのです。実際は基礎的な安全が確保されている方が、自分たちの利害を代表する組織に加わるようになることが明らかになっているのですが。このように今まで考えにとらわれて、思い込みが原因の反対意見も多くあります。
「働かざる者食うべからず」という思想
ベーシックインカムに対する反対で根強いのは「働かざる者食うべからず」という思想です。言い換えると「なぜ働いていない人も働いている自分と同じようにベーシックインカムをもらうのは気に入らない」という感情です。
これに対してベーシックインカム推進論者は
- 先進国では多額の費用をかけて福祉給付を行っているが、それよりベーシックインカムの方が費用は少なく効率的である。
- 先進国では労働環境が大きく変わり、低賃金の仕事しかつけない貧困層は働いて得た収入だけでは必要最低限の生活を維持できない
- 発展途上国では現金収入の機会が限られるため、僅かな現金がないために貧困から脱出できない
と述べています。
しかしオバマ政権の経済諮問委員長のジェーソン・ファーマンのように「ベーシックインカムにより福祉予算が削られ、不平等が悪化する」など根強い反対意見があります。またベーシックインカムがあればアルコールやギャンブルに使うのではないかと決めつける人達もいます。これは「貧しい人は愚かで合理的な判断ができない」と決めつけているからです。実際は貧しい人達がアルコールやギャンブルに逃避するのはお金がないことが原因で心が荒廃するためです。
財源
「ベーシックインカムには賛成だが、財源がないから無理ではないか」という意見もあります。日本の財源については古山明男氏、波頭亮氏など多くの人が試算しています。古山氏の財源の検討例を紹介します。
ベーシックインカムは、医療扶助や介護扶助などの現物給付を残せば8万円/月人と推定します。8万円は国民年金や厚生年金の基礎部分よりも若干多く十分な金額です。
これに必要な財源は122兆円で、充当できる財源は、
- 国民年金・基礎年金が22.2兆円
- 生活保護が1.2兆円
- 雇用保険の失業保険費1.5兆円
- 厚生年金32.4兆円
計57.3兆円、そこであと64.7兆円が必要です。
日本は国民所得に対する税金や社会保険料の負担割合、国民負担率は42%で、ヨーロッパの先進国の60%に対しまだ低い値です。そこで国民負担率を60%に引き上げれば、国民所得431兆円に対して76.7兆円の歳入増となり十分に賄うことができます。さらに消費税を15%まで引き上げればさらに財源を確保できます。
(注)
1.日本は平成19年度(2007年度)実績、諸外国は、OECD “Revenue Statistics 1965-2008″及び同 “National Accounts 1996-2007″等による。なお、日本の平成22年度(2010年度)予算ベースでは、国民負担率:39.0%、租税負担率:21.5%、個人所得課税:7.2%、法人所得課税:3.4%、消費課税:7.1%、資産課税等:3.9%、社会保障負担率:17.5%となっている。
2.租税負担率は国税及び地方税の合計の数値である。また所得課税には資産性所得に対する課税を含む。
3.四捨五入の関係上、各項目の計数の和が合計値と一致しないことがある。
4.老年人口比率については、日本は2007年の推計値(国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(平成18年(2006年)12月推計)による)、諸外国は2005年の数値(国際連合 “World Population Prospects: The 2008 Revision Population Database”による)である。なお、日本の2010年の推計値は23.1となっている。
図6 国民負担率の内訳の国際比較(日伊加丁瑞)(財務省ホームページより)
もうひとつの方法は資産に対する課税です。土地などの固定資産は1.4%課税されていますが、金融資産は課税されていません。日本は資産100万ドル以上の富裕層が245万人いて、これはアメリカに次いで世界で2番目に多い数です。つまり日本には大金持ちは少ないが、そこそこのお金持ちは世界でも多い国です。
国民の金融資産は2017年には1832兆円あり、これに1.4%課税をすれば25.6兆円の税収増が得られます。
官僚の抵抗
ベーシックインカムの導入に関して強い抵抗が予想されるのが官僚です。官僚機構は組織を肥大化させ、仕事を細分化し複雑化させる傾向があります。実際省庁間の連携がなく、何のためにそんなにこだわっているのかと思うほど、些細にルールや仕様を決めて、効率性や社会的コストは無視されています。ベーシックインカムの導入は官僚の仕事を激減し、官僚がコントロールできる範囲を大幅に狭めるため、激しい抵抗が予想されます。
ベーシックインカム・プラスアルファ
古山明男氏は、ベーシックインカムをマイナス金利マネー(ゲゼルマネー)で給付することを提唱しました。
ゲゼルマネーは1900年代の初頭にドイツのシルビオ・ゲゼルが提唱したもので、毎月1%ずつ価値が下がるお金です。これは紙幣に12個のスタンプを押す個所があり、毎月スタンプを貼らないと使えません。このスタンプ代はマイナスの金利として作用します。ドイツのシュヴァーネンキルヘンやオーストリアのヴェルグルなどの町で自由通貨として発行され、人々はスタンプ代を支払わないようにできるだけ早くお金を使ったため、驚異的なスピードでお金が循環し、失業に悩まされていた町が瞬く間に活況を呈しました。
今までのお金は利息を生み「増価」します。そのため長く持っているほど価値が高まるため、何も生産しなくとも「富」が「富」を生み、金持ちはますます金持ちになります。逆にマイナス金利の減価マネーは持っている目減りするため、持っているよりも手放した方が良くなるお金、持っているより貸したくなるお金です。
そこで古山明男氏は、ベーシックインカムを電子通貨で発行し、この電子通貨にマイナス金利を付けた電子式減価マネーとすることを提唱しました。そのためには、国が電子式減価マネーを発行する銀行を設立し、国民全員が同銀行の口座を開設します。ベーシックインカムはその口座に電子式減価マネーで振り込みます。電子式減価マネーは1日0.1%とかなり大きな減価を想定しています。そのためもらった人はできるだけ早く使おうとします。
もし普通のお金と交換したい場合は、手数料を払います。もちろん通貨ですから、電子式減価マネーの支払いを誰も拒むことはできません。もし電子式減価マネーが実現すれば、過去の例からわかるように、ものすごいスピードでお金が循環かるため景気は急速に回復します。
もし景気が過熱したと判断すれば、マイナス金利を減らせばよく、今までの間接的な政策よりもはるかに強力に需要をコントロールできます。
これは先進国の課題「需要不足」を解決できる可能性を秘めています。
一方、お金が利益を生む従来の価値観は根強く、強欲な金融経済論者は激しく抵抗すると予想されます。
いずれにしてもベーシックインカムは従来の社会経済システム、社会保障、税制と全く異なるラディカルな考え方です。ベーシックインカム推進論者のT・フィッツパトリックも部分的な導入から初めて完全な導入までには20年はかかると考えています。
参考文献
「じゅうぶん豊かで貧しい社会」 ロバート・スキデルイキー 著 筑摩書房
「ベーシックインカム」 原田泰 著 中公新書
「ベーシックインカムは究極の社会保障か」 萱野稔人 著 堀之内出版
「みんなにお金を配ったら」 アニー・ローリー 著 みすず書房
「グローバルベーシックインカム入門」 岡野内正 訳 明石書房
「AIとBIはいかに人間を変えるのか」 波頭亮 著 幻冬舎
「ベーシックインカムへの道」 ガイ・スタンディング 著 プレジデント社
「ベーシックインカムのある暮らし」 古山明男 著 ライフサポート社
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